ぷかぷか日記

彼らと作り出す豊かな日々を地域に差し出す

 昨日「不安の正体」の上映会に行ってきました。精神障害の人たちのグループホーム建設を巡って地域で反対運動が起こりました。その記録映画です。

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www.lowposi.com

 

 グループホームの説明会会場に飛び交う怒号は、ほんとうに聞くに堪えないものでした。こんなふうにして障がいのある人を地域から閉め出すと、快適な地域社会が実現するのだろうか。その問いを怒号を発する人たちは自分に向けて欲しいと思います。

 社会の貧しさをひしひしと感じる怒号でした。その怒号とどう向き合えばいいのか。それを超える言葉を私たちはどうやって紡ぎ出せばいいのか。

 「障害者差別解消法」で、住民に対する説明、住民の合意は必要なくなった、と弁護士の方はおっしゃってましたが、といって反対住民がそれで納得するとは思えません。じゃぁ、どうすればいいのか。上映後のトークイベントで、そのあたりの掘り下げがなかったのはとても残念でした。

 

 ぷかぷかは「障害者差別はイカン!」とか「障害者差別をなくそう」みたいなことは言ったことがありません。そういう思いはあっても、もう少し違う方法で、障害者差別のまん延する社会を変えていこうと思っています。

 ぷかぷかが一番大事にしていることは「ぷかぷかさんたちといっしょにいい一日を作る」ということです。そうすることで生まれる豊かさこそが社会を変えていくと考えているからです。実際、その豊かさに気づく人が少しずつ増え、ぷかぷかのまわりの社会はずいぶん変わりました。つい先日の金曜日にはそういった人たちがぷかぷかの話を聞く講演会を開いてくれました。ホームページアクセス数は100万を超えます。

 彼らと作り出す豊かな日々は、あのやまゆり園事件を超える社会をどうやって作っていくのか、といったことにもつながってきます。事件を批判するだけでは社会は変わらないのです。

 

 たまたま上映会の日の午後、オペラシアターこんにゃく座のオペラ「あん」を見に行きました。

www.konnyakuza.com

 物語の舞台となったどら焼き屋であんこ作りの得意なおばあさんが働くことになります。あんこがおいしくて行列のできるお店になります。ところがおばあさんは昔ハンセン病を患い、指が曲がっていました。その噂が広まり、客足は途絶えます。

 その深刻な差別の問題に作品はどう向き合ったのか。

 おばあさんの生きた世界の豊かさを差し出すのです。そうやってハンセン病の差別を超えようとしたのだと思います。豊かさを歌い上げる歌には、ちょっと涙がこぼれました。

 

 グループホームの話に戻ります。

 グループホームができれば、地域でいろんな新しいおつきあいが生まれます。精神障害の人ってこんな人たちだったんだ、っていう出会いもあります。出会いは、人間の幅を広げます。それが地域社会を豊かにしていきます。

 そういったことをグループホームを運営する側がきちんと語っていく、発信していく、出会いの場、機会を積極的に作っていく、そういったことが大事ではないかと思います。そういうことの積み重ねが、映画の中のあの「怒号」を超えていく社会を作っていくのだと思います。

 

★5月7日(土)午後1時半よりみどりアートパークのリハーサル室で上映会をやります。問い合わせはNPO法人ぷかぷかの高崎まで。takasaki@pukapuka.or.jp

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彼らと出会ったおかげで、人生の幅も面白さも100倍くらい広がった。

 2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第五弾です。

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●養護教員をされていたと伺っていますが、「養護」に就いた理由があったらお教えください

 

 養護学校に行ったのは別に希望したからではありません。私は小学校の教員になるつもりで採用試験を受けました。当時養護学校を希望する教員がいなかったのか面接の時に、希望すれば養護学校も行けます、みたいな話が出て三つの選択肢が示されました。

①養護学校に行きたい

②養護学校は行きたくない

③積極的ではないが、行ってもいい。

 私はそれまで障がいのある子どもとおつきあいの経験もなく、障害児教育を勉強したわけでもなかったので、養護学校がどういうところなのか、ほとんど知りませんでした。障がいのある子どものいる学校という漠然としたイメージしかありませんでした。なので、養護学校に行きたい、なんて思いはさらさらなく、かといって養護学校はいや、というのでもなく、ま、頼まれれば行ってもいいか、くらいの気持ちでした。で、③を選択しました。

 ところが面接が終わってすぐに、養護学校の校長から電話

「養護学校に来てみませんか?」

やさしいお誘いの電話です。断るわけにも行かず、しゃあない、行くか、みたいな全く後ろ向きの気持ちで養護学校で仕事をすることになったのです。

 

 養護学校に行ったものの、障害児教育も勉強してないし、おつきあいもしたことないし、どうつきあったものか全くわからず、悪戦苦闘の日々が始まります。

 おしゃべりできないし、字も書けないし、着替えもできないし、うんこの後始末もできないし、できないことだらけの子どもたち相手の日々が怒濤のように始まりました。日々想定外のことが起こり、

「ヒャ〜、どうしよう、どうしよう」

とオロオロするするばかり。でも、このオロオロする、という弱い人間丸出しで彼らと向き合ったが故に、人として彼らと出会えたと思っています。こんなにおもしろい人たちがいたんだ、という発見です。

 障害児教育をしっかり勉強して、その知識で彼らと向き合っていたら、人として彼らと出会うことはなかったと思います。人として出会えたからこそ、その後の人生の幅も面白さももう100倍くらい広がったと思っています。

 彼らと出会う前は、やっぱりいろんなことができない人、というイメージしかありませんでした。でもよ〜くおつきあいしてみたら、そういったマイナスイメージを遙かに超える人間の面白さ、魅力を彼らは持っていました。重度障がいと言われている子どもたちです。こんなおもしろい人たちがいたんだ!という発見は、私の中にあった人間のイメージを大きく広げてくれました。

 

 ケンタローという子がいました。ケンタローは犬が大好きでした。いっしょに散歩に出かけた時、犬がいて、ケンタロウーは駆け寄っていきました。で、何したかというと、犬を思いっきり抱きしめ、犬の顔をペロペロなめ始めたのです。犬の方がびっくりしていました。

 「犬が好き」というのはこういうことなんだと教えられた気がしました。ふつうは手でなでたり、抱きしめたり、です。それを一気に超えてしまったのです。

 彼らとおつきあいしていると、こういった私たちの常識では考えられないことがたくさん起こります。だから障害児なんだ、と否定的に見てしまうと、そこからは何も出てきません。そうじゃなくて「犬が好き」というのはこういうことなんだって、新しい気づきとして受け止めていけば、自分の人生の幅がぐんと広がります。私は彼らとのおつきあいで人生が豊かになったと受け止めています。

 彼らといっしょに生きると、社会が豊かになる、といつも言っていますが、彼らとの出会いが教えてくれたものです。彼らといっしょにやっている演劇ワークショップは、その豊かさを目に見える形で舞台で表現します。

 

 彼らを前に、どうしていいかわからずオロオロしたこと。その弱い人間丸出しの中で、彼らと出会えたこと。そういった経験が、30年後、「ぷかぷか」を作るいちばんの動機になっています。

 彼らと出会って、ほんとに人生が変わりました。100倍くらい楽しくなったと思っています。彼らに感謝!です。

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彼らのこと「素敵な人たちだなぁ」って思えるような出会いをするだけです。

 2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第四弾です。

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●タイトルになっている『ともに生きること』が、なかなか難しいのは、何に起因しているのか、お聞きしたい。

 

 いちばんの原因は学校教育の中で、障がいのある子どもたちとそうでない子どもたちがわけられていることだと思います。柔らかい感性を持っている子どもの時に障がいのある子どもたちとおつきあいする機会があれば、「あっ、楽しい!」って、みんな思うし、それがきっかけでおつきあいの幅がどんどん増えていきます。

 大人がお膳立てした「交流」の時間では、「あっ、楽しい!」って思えるような出会いは生まれません。そういった関係の薄さが大人になってもずっと尾を引いていて、「ともに生きる」ことがむつかしくなっているのだと思います。どうつきあっていいのかわからない、ということです。

 「ともに生きる」とか「共生社会」といった言葉がやたら飛び交っていますが、言葉だけで実態がなかなか見えません。実態を作り切れていない、作れない。本気で作ろうとしていないんじゃないか。だから「ともに生きる社会」とか「共生社会」が何を生み出すのか、といった肝心な部分が語れないし、表現もできない。

 そういう言葉を口にする人が、障がいのある人たちと実際に何をやってきたのか、何を作り出してきたのか、が問われているのだと思います。

 

 福祉事業所では障がいのある人たちが働いています。でも、そこにあるのは「ともに生きる」関係ではありません。障がいのある人たちはいろいろできないことが多いので、自分たちがいろいろやってあげないと何もできない、と考えているようです。「支援」という上から目線の関係です。これは「ともに生きる」関係ではありません。

 上から目線の関係からは何も新しいもの、おもしろいものは生まれません。目の前に素敵な人たちがいるのに、もったいない話だと思います。「支援」という上から目線の関係にいると、相手を「素敵は人たち」とは思いません。そう思っていないから、そこからは素敵なものなんか生まれません。もったいないです。

 ぷかぷかはタカサキが養護学校の教員をやっている時、彼らに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思って始めました。なので、彼らのこと、いつも「素敵な人たちだなぁ」と思っています。

  そう思っていると、こんな楽しい絵をササッと描いてくれたり、楽しい、魅力あるお店を作ってくれたりします。

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 素敵な人たちといっしょに芝居を作ると、こんなに素晴らしい舞台ができます。

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 「ともに生きる社会」が何を生み出すのか、写真を見るとよくわかります。いつも言っていることですが、いっしょに生きると、社会が豊かになるのです。だから「いっしょに生きなきゃソン!」と私は思っています。

 

 「ともに生きる社会」は誰かが作ってくれるものではありません。私たちが作るのです。彼らを理解するために小難しい勉強したり、誰かのむつかしい話を聞いたりではなく、「素敵な人たちだなぁ」って思えるような出会いをするだけです。そしてそんな出会いのできる場を街の中に作るのです。

 「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉がまだなかった30年前、こんな楽しい場ができちゃいました。「彼らと一緒にやるとすっごく楽しいよ」っていろんなことやっただけです。そうするとこんなにたくさんの人が集まりました。むつかしいことでも何でもありません。

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 写真は『街角のパフォーマンス』。こういう場がどうやってできたのかを書いています。

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ここにこそ、重い障がいを持つ彼らといっしょに生きる意味が

あゆちゃんのお母さんの言葉が素敵です。
 
 生きることのこんなにも深いお話ができるのも、いっしょに生きてきたあゆちゃんのおかげですね。あらためて、あゆちゃんてすごいなって思いました。かゆいところに手が届かなくても、渦巻く思いを言葉にできなくても、人生に不満一ついわず、いつも笑顔で生きてきたあゆちゃん。あの笑顔見るだけで今日も救われました。
 でも、あゆちゃんと同じくらいすごいのが、こんな素敵な言葉たちを紡ぎ出したお母さん。あゆちゃんといっしょに生きる中で直面せざるを得なかった様々な大変な出来事を、こんな風に前向きの言葉に置き換えるお母さんの優しさ、器の大きさ。涙がこぼれてしまいました。
 重い障がいのある子どもといっしょに生きることは、新しい希望を生み出すのだと思いましたね。彼らといっしょに生きる営みが生み出す新しい価値が、社会を豊かにします。ここにこそ、重い障がいを持つ彼らといっしょに生きる意味があります。
 
 昨年、あゆちゃんのお兄さんが取材に来た時、あゆちゃんの本をいただきました。

今、自分の人生、楽しんでる?

2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第三弾です。

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●障害を持ち2年後に学校卒業を控えている娘を持つ母親です。進路を決める上で重要な事、身につけておく事をお教えいただきたいと思っています。

 

●障がいのある子どもを育てる時に、将来に役立つ力をどのように身に着けられるよう助けていったらいいか、アドバイスをください。

 

 よくある質問ですね。養護学校の教員をやっている頃は、そういったことも考えていましたが、「ぷかぷか」という働く現場を作ってからは、かなり考え方が変わりました。

 ぷかぷかを10年やってきて思うのは、

「漠然と何かを身につける」

とかではなく、

「今、自分の人生を楽しむ」

ことこそ大事じゃないか、ということです。 

 ぷかぷかは

「いい一日をみんなで作る」

ことを大事にしています。いい一日はいい人生の始まり。みんなでいい人生、楽しい人生を作っていこうよ、というわけです。

 なんのために仕事をするのか。それはいい人生を送るためです。人生を楽しむためです。

 ぷかぷかではみんな仕事を楽しんでやっています。

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 仕事は一日のいちばんいい時間を使います。人生のいちばんいい時間を使うわけですから、仕事は楽しくないと時間がもったいないです。

 仕事は人生そのもの。だから楽しくないと、人生がつまらなくなります。

 

 

 もう一つ。自分のやりたいことをしっかり見つけることです。自分は何をしたいのか。そこがはっきりしているかどうかがすごく大事です。

 以前、「しんごっち」という青年がいました。しんごっちは電車が大好きで、給料が出ると、横浜川崎間のひと駅だけのグリーン車の切符を買い、8分間のわくわくするような旅をやっていました。

 ひと駅だけ乗るのにわざわざ高いグリーン車に乗る人はまずいません。わずか8分の乗車時間ですから、立ったままでも十分行ける距離です。座ったとしても、ゆったりくつろぐような時間はありません。それでも、そこに750円のグリーン車の代金を払って乗るところに、しんごっちの「人生観」があるように思うのです。

 横浜から博多までのグリーン車の旅よりも、短い分、もっと濃縮された、わくわくするような贅沢な時間がそこにはあるような気がします。8分間の胸のときめきこそ大事にしたい、というしんごっちの素敵な人生がそこにはあります。

グリーン車で自撮りしたしんごっち。人生を思いっきり楽しんでいます。

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テーブルの上には慎ましくお茶とおにぎり

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 自分は何をしたいのか。それをしっかり見つけて生きていって欲しいと思うので

大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」こと

2月11日の「ともに生きるってなんだろう」セミナーの事前質問第二弾です。
 
《障がい者に対して偏見などを持っている人が未だ多いと感じます。組織の中で1人でも多くの人に、障がい理解を促進していきたいと考えます。
 教員時代、法人での活動の中で、高崎さんが今まで行われた事項でこれは理解が
 深まった等の出来事があれば教えて下さい。》
 
 そうですね、要はお互いが楽しく出会える場、機会を作れるかどうかだと思います。養護学校の教員をやっている頃、こんな素敵な子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいないと、日曜日になると外に連れ出していました。
 こんな感じの広〜い原っぱによく連れていって、そこの子どもたちと遊びました。

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 そこで遊んでいた子どもたちに、障がいのある子どもたちの説明とか、こんな風につきあって下さいとか、こんな配慮をお願いします、といったことは一切いいませんでした。連れて行った重度障がいの子どもの一人が野球をやっていた子どもたちの中にふらふらと入っていきました。どうなったと思いますか?ちょっと想像して下さい。

 ①大混乱になった。

 ②けんかになった

いずれも×です。ではどうなったか。6年生のみさえの報告を見て下さい。

 

 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつ来たのかわかんないけど、けんいち君が入っていて、バットを持ってかまえているので、お兄さんのあきら君や大久保君にゆっくり軽い球を投げてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。

 けんいち君は、最初のうちは球が来ると、じーっと球を見て、打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。

 でもだんだんタイミングが合うようになり、ピッチャーゴロや、しまいにはホームランまで打つのでびっくりしちゃった。

 それから、打ってもホームから動かないで、バットをもったまま、まだ打とうとかまえている。走らないの。

 お兄さんのあきら君や大久保君や私たちで手を引いていっしょに一塁に走っても、三塁に行ってしまったりして、なかなか一塁に行かないんだもん。どうも一塁には行きたくないらしいんです。

 でも、誰かと何回もいっしょに走るうちに、一塁まではなんとか行くようにはなったんだけど、それ以上は2,3塁打を打っても、一塁から先は走らないで、ホームに帰ってしまって、バットをかまえるのです。

 「かして」っていってバットを返してもらおうとしたけど、返してくれないの。誰かがとろうとしてもかしてくれないんです。でも、どういうわけか不思議なことに、私が「かして」というと、かしてくれるのでうれしかったです。

  だから、けんいち君が打ったら、バット持って行っちゃうから、私がけんいち君を追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。終わったらまたけんいち君という風に繰り返しました。

 けんいち君はすごく楽しそうに見えたよ。最初はうれしいのか楽しいのかわからない顔だったけど、ホームランを打ち始めてから、いつもニコニコしていた。

 一緒に野球をしたのは7人。敵、味方なし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバット振れる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、敵味方なし、チームなしになったの。一年生のちびっ子たちには都合がよかったみたい。負けてたからね。

 

 泥臭い小さな「ともに生きる社会」がここにあります。

 今、あちこちで「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのと言われていますが、一向にその具体的なものが見えません。30年前に子どもたちがいとも簡単に作ってしまった小さな「ともに生きる社会」が、どうして今ないんだろうと思います。

 

 この話は『街角のパフォーマンス』にありますので興味のある方はぜひ読んでみて下さい。

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 障がいのある人たちは社会にあわせることを求められます。そうしないと社会の中で生きていけない、みたいなこと言われて…。

 ぷかぷかはお店を始めるにあたって接客の講習会をやった時、接客マニュアルに合わせるぷかぷかさんの姿が気色悪かったので、マニュアルに合わせる、言い換えれば社会にあわせることをやめました。そうすると「ぷかぷかさんが好き!」というファンができました。彼らのこと「理解」したわけではありません。「理解する」ことと「ファンになる」ことは全く別です。彼らのことを「理解」しても。「ともに生きる社会」ができるわけではありません。でも「ファンになる」と、そこには「ともに生きる社会」が自然にできてきます。どうしてだと思いますか?

 ここにぷかぷかのヒミツがあります。そのヒミツを知りたい方はぜひぷかぷかにいらして下さい。遠くの方は『ぷかぷかな物語』を読んでみて下さい。映画『Secret of Pukapuka』の上映会を開いてもらってもいいですね。映画を見ると、心ぷかぷかになってぷかぷかのヒミツがわかります。

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 大事なことは彼らを「理解」するのではなく、人として「出会う」ことです。彼らと「出会う」機会、場所を作ること。それが大事だと思います。

彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」

2月11日(金)に「ともに生きる」ってなんだろう、というテーマでセミナーをするのですが、参加予定の方から事前に質問がいくつか上がってきました。

 

その中の一つにこんな質問がありました。
《相模原事件後、障がいのある方、職員や関わる方々、社会はどのような変化がありましたか?これからどのような希望をお持ちですか。》
 
 事件後、私自身は何かにつけ事件のことを話題にしますが、社会全体を見渡せば、事件直後はともかく、5年たった今、それほど変化があったとは思えません。結局はどんなに大事件であっても、やっぱりみんな忘れてしまうのだと思います。それが日々を生きる、ということだと思います。ですから社会に変化がないことを色々言っても、そこからは何も生まれない気がします。
 事件の犠牲者は全員名前が伏せられていました。このことが余計に事件を忘れさせる原因でもあったように思います。でも、事件の裁判が始まり、犠牲になった美帆ちゃんの名前が明らかになりました。美帆ちゃんという名前の一人の女性の人生がそこにはあったということです。そのかけがえのない人生がそこで断たれたということです。そのことを忘れないようにしたいと思うのです。
 名前は、その人の人生を語るいちばんの手がかりです。名前があることで、私たちは「ああ、あの人ね」と思い出すことができます。その名前がわからなければ、その人の人生を思い浮かべることはできません。その人の人生がなかったと同じになります。重い障がいのある人たちが、そのように扱われたこと、そのことを忘れないようにしたいと思うのです。
 殺された19人にはそれぞれの名前から思い起こす人生があったはずです。そのことを美帆ちゃんの名前の公表は教えてくれました。
「美帆ちゃんのこと、忘れないよ」それは、事件を抽象的に語るのではなく、美帆ちゃんという一人の大切な命が奪われた事件として記憶し、語っていくということです。そこから何をすればいいのかを考えていく、ということです。www.nhk.or.jp

 質問に「これからどのような希望をお持ちですか」という言葉があります。事件の犯人は「障害者はいない方がいい」といい、「よくやった」などと共感する人がたくさんいました。ぷかぷかは「それはまちがっている」と言葉で批判するするだけでなく、障がいのある人たちと「いい一日だったね」ってお互い言える日々を黙々と作り続けてきました。ぷかぷかの日々の活動そのものです。日々の活動そのものが事件への批判であり、異議申し立てでした。たくさんの人が共感してくれました。そのことが大きな希望だと思っています。

 彼らといっしょに生きる日々は、ほんとうに楽しいです。楽しさは未来への希望を生み出します。

 どんなに悲惨な事件であっても、彼らといっしょなら、それを乗り越えていけます。それが彼らといっしょに生きることが生み出す「希望」です。

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こうちゃんの家

 こうちゃんは特別支援学校中等部の2年生。将来は生活支援の福祉事業所に行くことになるでしょう、という話を学校で聞き、そういうところではこうちゃんの好きなことができないだろうな、と暗い気持ちになったといいます。やっぱり自分のやりたいことをやって生き生きとした毎日を送って欲しいし、そのためにはどうしたらいいんだろう、とぷかぷかに相談に来ました。なんと宮崎県からです。

 ひととおりぷかぷかの活動の話をしたあと、既成の福祉事業所に頼るのではなく、自分の納得できるような場所を自分で作ってみたらどうですか、という話をしました。

 たとえば「こうちゃんの家」なんてどうでしょうか。そこはこうちゃんがじぶんの好きなことを思いっきりできる場所です。こうちゃんが生き生きと毎日を送ることができます。こうちゃん一人では淋しいので、いろんな人が集まって、わいわいいっしょに楽しいことができればいいですね。障がいのある人もない人もいっしょです。大人も子どもも赤ちゃんも年寄りもいっしょ。こうちゃんにとってだけでなく、誰にとっても大切な「居場所」。

 ですから、作る時もお父さん、お母さんだけで作るのではなく、自分たちの思いを発信し、共感する人たちといっしょに作っていった方が、誰にとっても自分らしい日々を過ごせる楽しい場所ができると思います。「こうちゃんの家」は「みんなの家」でもあるのです。       

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 まずは自分たちの思いをまとめましょう。なんとなく頭にあるイメージを言葉にしましょう。ここがすごく大事。なんとなく思っているだけでは前に進みません。何がしたいのかを具体的に書いていきます。頭の中を整理するのです。夢が実現に向けて一歩前に進みます。ブログにまとめ、発信しましょう。たくさんの人に思いを伝えるのです。

 自分の子どもが、あるいは自分自身が生き生きと活動できる場を作りたい、と思っている方はたくさんいます。そんな人たちとうまくつながれたらいいですね。つながりを作るためには、とにかく自分たちの思いを発信することが大事です。ブログだけでは見る人が少ないので、Facebookやツイッターにもリンクさせましょう。「こうちゃんの家しんぶん」なんてのも作りましょう。隣近所の関係を作るには、手作りのあたたかみのある紙のしんぶんがいちばんです。

 思いっきり楽しいしんぶん作りましょう。ぷかぷかではこんなしんぶんを作って毎月近所に配っています。たくさんのファンをこのしんぶんは作り出しました。

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 「こうちゃんの家」に共感する人が現れたら、みんなで集まって作戦会議をやりましょう。自分たちのやりたいことを実現させるためには具体的に何をしたらいいのか、という作戦会議です。

 まずは「こうちゃんの家」で何をやりたいのか、それぞれの思いを大きな紙に書き出してみましょう。思いが目に見えることはすごく大事です。目に見えることで、それぞれの思いをみんなで共有できます。

 その思いを実現するためにはどうしたらいいのかをみんなで考えます。

 まずは実現するための場所が必要です。こうちゃんちは宮崎県の田舎にあるそうなので、ひょっとしたら安く借りられる場所が見つかるかも知れません。こういうときのためにたくさんの友達を作っておきましょう。

 《「こうちゃんの家」をみんなで作っちゃおうぜ、プロジェクト》なんて、勢いのある名前をつけると、それだけで楽しくなります。

 お金も当然必要です。日々の活動からどうやってお金を生み出すか。ここがいちばんむつかしくて、でもいちばん自分が試されて、考えようによってはいちばん楽しいところです。こういうことは楽しみながらすすめることが大事。でないと続きません。

 そんなん無理無理、といってしまえばそれまでです。その無理と思えることに挑戦すること、そこにこそ人生の面白さがあるような気がするのです。

 ぷかぷかを始める時も、60才で新しい事業を始めるなんて無理無理、とたくさんの人から言われました。特に長年おつきあいのある福祉の関係者から言われた時は、さすがに落ち込みましたね。

 でも、人になんといわれようと、進む時は進まないと何も始まりません。自分を信じるしかないですね、こんな時は。

 でも、まぁ、なんとかなるものです。それが人生。

 「こうちゃんの家」という夢があれば、大丈夫。それが自分を支えてくれます。大事なことはみんなで共有できる夢を持つことです。

 

 こうちゃんはこんな絵を描きます。何に見えますか?これを大きな紙に描いてもらって、それをベースにみんなでイメージを膨らませ、どんどんこの絵に描き込んでいったら、こうちゃんとの共同作品ができ上がります。この絵が大きく変身します。みんなの思いの詰まった絵ができ上がります。

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 いずれにしても、まずはお母さん、お父さんで、「こうちゃんの家」のイメージを膨らませましょう。どんな家にしたいのか、そこでは何をするのか、思いっきり夢を語りましょう。

 

 こうちゃんとお父さんは「こころぷかぷか」な絵を見て、何を思ったのかな。ひょっとしたらここから新しい何かが始まるかも。

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天王町サティ行くの!ー養護学校キンコンカン⑦

  自閉でこだわりの強い方は時々いますが、見ていると、こだわっているものからむしろ自分自身がなかなか自由になれない苦しさもあるようです。こだわりにとりつかれているというか…

 昔養護学校で働いていた頃、ケイちゃんというとてもこだわりの強い方がいました。ちょうど宿泊学習でよそへ泊まることになったのですが、どうもそのことに納得できなかったのか、夜のレクリエーションが終わって部屋へ帰る途中から異様に興奮し始め、わめきながら飛び跳ねていました。私のそばへ駆け寄ってきては「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していました。天王町サティはケイちゃんのお気に入りのスーパー。部屋に入ってからも布団に上をあっちに行ったりこっちに行ったりしながら「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と汗だくになって繰り返していました。

 「ケイちゃん、天王町サティに行くのは日曜日。今日はここで寝ます。ケイちゃん、わかりましたか」「今日はここで寝るの」「そう、わかってるじゃん。さ、寝よう!」「天王町サティいくの」「だからサティは日曜日!」「サティは日曜日」「その通り、わかってたらもう静かに寝てよ」「天王町サティいくの」「ケイちゃん!」ともう泣きたくなる。

 ここから更に1時間近く「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と繰り返していましたが、最後の方は涙を浮かべながら繰り返していました。ケイちゃん自身、もう天王町サティなんか行く気はほとんどないのに、「天王町サティいくの」の言葉だけが、自分の意思と関係なく口から飛び出して、それがやめられない苦しさが涙を浮かべるほどになっているようでした。ちょっともうかわいそうなくらい。それでもさすがに疲れたのか、10時を過ぎところ、電気を消して暗くするとすっと寝入ってくれました。

 翌朝、6時きっかりに目を覚ましたケイちゃん、いきなり「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」と大声で叫び、「うう、頼むからもうちょっと寝かせてよ」とお願いするも、もっとそばへ寄ってきて、耳元で「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」の大声。朝からどっと疲れました。

 

 そんなケイちゃんでしたが、嵐が通り過ぎるとやっぱり愛おしくて愛おしくて、彼らといっしょに生きる「ぷかぷか」を立ち上げてしまったのでした。あの嵐のような「天王町サティいくの」「天王町サティいくの」のおかげかも、と思ったり。

 

 「そうだそうだ」とこの猿がいってるような気がして…

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「ともに生きる」って、ご機嫌な顔して彼らと日々過ごすこと

 パルシステム主催の人権研修会で「ともに生きる」ってなんだろう?を考える話をします。パルシステムの会員でなくても、誰でも参加できますので、「あ、おもしろそう」って思ったらぜひ申し込んで下さい。

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www.palsystem-kanagawa.coop

 

 「ともに生きる」って、あーだこーだ小難しい話じゃなくて、この写真のようにご機嫌な顔して彼らと日々過ごすことだと思います。コツは、彼らに何かやってあげる、なんて思わないで、ふつうに、対等につきあうことです。間違っても「健常者」の自分の方がえらい、とか優れているなんて思わないことです。

 そうやっておつきあいすると、思ってもみない世界が見えてきます。

 昔演劇ワークショップの中で「海のぬいぐるみ」を作った人がいました。ぬいぐるみといえばふつうクマさんとかパンダとかなんとなく丸っこいものを作りますが、養護学校の生徒の一人が「海のぬいぐるみ」を作りました。海のどこをどう切り取ってぬいぐるみを作ると思いますか?ちょっと考えてみて下さい。こういうのをサラッと思いつくことが素晴らしいと思います。発想が豊かなのです。私たちにはまねできません。

 彼らとおつきあいしていると、こういう思ってもみないものが次々に出てきます。世界がグ〜ンと広がります。こんなおもしろい世界があったのかっていう気づき。こういった気づきが私たち自身を豊かにします。これが彼らとおつきあいするということです。

 演劇ワークショップでいっしょに芝居を作ると、彼らのおかげででき上がる作品の幅がびっくりするほど広がります。いっしょに生きる意味がよくわかります。

 ぷかぷかのお店がいろいろおもしろいのは、やはり彼らがいるからです。彼らがいなければ、おもしろくもなんともないただのパン屋であり、お惣菜屋、食堂にすぎません。彼らに、ただただ感謝!です。

 彼らといっしょに生きると、社会が豊かになります。それはぷかぷかを見ているとよくわかります。

 

 「酢のもの」と書くところを写真のように書いた人がいました。「あっ、いい!いい!」ってつい言っちゃいます。こういう字は楽しいし、社会をゆるっとしたものにしてくれます。「まちがってる」なんていうのはもったいないです。なので、ぷかぷかではそのまま商品といっしょに並べます。お客さんもよくわかっていて、「ああ、今日はこれね」って笑いながら買っていきます。こういう関係のあるところを「ともに生きる社会」というのだと思います。こういう字を書く人こそ大切な仲間として受け入れる社会こそ、みんなが心地よく生きられる豊かな社会といえます。

     

 いずれにしても、どうしたらご機嫌な顔して彼らと日々過ごせるようになるのか、その結果何が生まれるのか、といったお話をしようかと思っています。一方的な話ではなく、みなさんからの質問を受ける形でのお話なので、どんな話になるかは当日のお楽しみです。

 いい話だったね、で終わるのではなく、これをきっかけに自分のまわりにいる障がいのある人たちと、お互い笑顔で「いい一日だったね」っていえるようなおつきあいができるといいなと思っています。そしてぜひあなたの「ぷかぷかな物語」を作って下さい。

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