計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。
「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。























計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。
「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。























ぷかぷかカフェのメニューで新しいポタージュスープが2種登場しました。カボチャを使ったスープとほうれん草を使ったスープです。それぞれちょっとしゃれた名前をつけてみました。
ホームページは
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/
カフェに来たお客さんからこんな嬉しいメールが来ました。
ごちそうさまでした。
とても、おいしかったです。
器いっぱいに盛られたサラダ。
籠いっぱいに盛られたパン。
おとぎ話のように、
ひとつひとつが飛び出して踊りだしそうな・・
そんな、印象を受けました。
丁寧に、慎重にコーヒーをテーブルに
おいてくれたお店の方。
こころがこもっていて、一生懸命なのが
すごく伝わりました。
また、行きますネ!
あんまりにも、美味しかったので、
パン屋さんのほうでもたくさん買っちゃいました(*^_^*)
お店でおかわりいっぱいしたのにね♡
では、ぷかぷかのみなさんお風邪などひかない
ように気をつけてくださいませ。
嬉しいですね。お店を始めて良かったとしみじみ思えるメールです。今までの苦労が吹っ飛んだ感じです。
こういう「出会い」こそ大事にしたいと思います。
そして「心を込めて一生懸命接客した」利用者さんのお父さんに、こんなメール来ましたよ、って連絡したら、こんな返事がありました。
なんとお礼を言っていいか分かりません。
全て、ぷかぷかの皆さまのお蔭です。
今、ゆき子に見せたところ、「そんなぁ」って喜んでいました。
ありがとうございました。ぷかぷかにお世話になるようになって、
本当に前向きになり、
家族からも頼りにされる存在になりました。
保護者の方のこんな声も本当に嬉しいですね。ぷかぷかがやってきたことは本当に間違っていなかった、とあらためて思いました。
ホームページは
http://pukapuka-pan.xsrv.jphttp://pukapuka-pan.xsrv.jp
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にほんブログ村 11月23日、24日と千葉方面に一泊二日の旅行に行ってきた。利用者さん22名、スタッフ6名が参加。23日は雨の中、鴨川シーワールドを見学。寒くて本当に参ったが、それでもみんなとても楽しかったようだ。翔平さんはシャチのショーを絵日記に書いてくれた。トップページにその絵を載せたが、前に座っている人の頭が二つ大きく描いてあって、その間に泳ぐシャチに乗ったダイバーが手を上げている絵が小さく描かれている。
雨にもかかわらず大混雑で、掌握が大変だったが、それでも迷ってしまう人もなく、ほっとした。
ホテルはかなりいいリゾートホテルで、4人ずつの部屋で、のんびり、まったりのいい時間を過ごした。仕事の仲間でこんな時間を過ごすのは初めてだったので、本当にいい時間だったように思う。
夕食が超豪華なメニューで、大満足。味もすばらしかった。
風呂は露天風呂が1時間ほど貸し切りになり、ゆったりと楽しんだ。男性はスタッフが二人に対して利用者さんが10人もいて、一般のお客さんと一緒だったら本当に大変だったと思う。
24日は晴れの予報だったが、朝から冷たい雨。それでもマザー牧場に着く頃から雨が上がり、シープショー、アヒルの大行進などを楽しんだ。ジンギスカンの昼食のあとはわくわくランドで乗り物を楽しんだ。
有名な観光地を回っただけの旅行だったが、利用者さんは行く前から旅行をものすごく楽しみにしていて、これは私なんかが思う旅行のイメージをはるかに超えて、利用者さんに豊かな時間を提供したようだった。旅行前の胸のどきどき、わくわくこそ、人が生きていく上で一番大事なことだと思う。それがあるから明日が楽しみになる。
旅を終えて、あらためて「ぷかぷか」という集団のメンバーとしての一体感が強まった気がする。帰りのバスの中で一人ずつ感想を発表したが、「すごく楽しい旅行でした」「来年もまた行きたいです」「そのために、来週からの仕事がんばりたいと思います」といってくれた利用者さんが何人もいた。仕事へ向かう気持ちがみんな前向きになっていて、なんだか嬉しくなった。
ぷかぷかが始まって2年半。利用者さんとスタッフがこんなにも一つになって前に進むなんて、全く予想できなかった。
ぷかぷかは形の上では就労支援をする事業所ではある。でもそんな枠組みをはるかに超えて、人と人とが思いを共有できる「場」になっているんだと、今回の旅行を終えて強く思った。
近々引っ越しします、とわざわざ挨拶に来てくれたお客さんがいたり、お客さんとのいい関係も徐々に増えつつある。ぷかぷかの中の関係も、外との関係も目に見えて良くなって、これからが本当に楽しみだ。
運動会に参加した地域の方が感想に「霧が丘に来てくれてありがとう!」と書いてくれていました。
障がいのある人たちの施設の建設には地域住民の反対がつきものの中で「霧が丘に来てくれてありがとう!」は滅多にない反応です。
もちろんはじめからそういう反応があったわけではありません。
お店を作る前、商店会の集まりでいろいろ説明しましたが、どうして障がいのある人たちのお店を霧が丘に作るんだ、という歓迎しない雰囲気はどうしようもありませんでした。とにかくつきあってもらうしかありませんでした。
お店ができた当初は、パン屋の前で利用者さんが一生懸命声を張り上げて「おいしいパンいかがですか」という声がうるさいと苦情の電話が入ったり、飲食店の前を行ったり来たりする利用者さんがいると、落ち着いて食事ができないと苦情を言われたり、間違えてほかのお店に飛び込んで、ものすごい剣幕で叱られたり、とにかく半年くらいは針のむしろ状態でした。
それが1年たち、2年たちしているうちに、少しずつ地域になじみ、今は霧が丘の風景の一つとして定着した感があります。クッキー、ラスクの工房から、オーブンのあるパンの厨房まで5,6分の距離ですが、そこを毎日できあがったクッキー、ラスクを天板に載せて利用者さんが運んでいます。利用者さんはとにかくみんな一生懸命です。その一生懸命さが、天板を運ぶ姿からはビリビリと伝わってきます。その姿を地域の人たちはしっかり見ています。
そういう中での「霧が丘に来てくれてありがとう!」の言葉。嬉しくてちょっと涙が出てしまいました。
テキトーきわまりない「ぷかぷか」の運動会に参加した地域の方の感想。
先日はぷかぷかのパン屋さんの運動会に参加させていただいてありがとうございました。
久々に運動をしたので翌日は筋肉痛かしら と思っていたのに、そうでもない。
そんな、運動会でした。
ちょっと遅れて行って輪の中に入ったのに、誰も何にも言わない。
4チームに分かれて競争して、1等、2等・・って決めるのに、チームの人数が多少違っていても、誰も何にも言わない。
玉入れのかごが傾いていて、絶対こっちのチームの玉が入りにくくて負けてしまっても、誰も何にも言わない。
種目が途中で増えても、誰も何にも言わない。
こんな運動会、初めてでした。
そして、こんなに楽しい運動会、初めてでした。
今までで一番最高に最高に楽しい運動会でした。
「○○ちゃんのお母さん?」って聞かれて「違うよ。お客さんだよ。」って答えたら、
「いつもありがとうございます。またお店に来てね。」と言ってくれた男の子。
リレーの時に、私が「走るの苦手だから、代わりに走ってくれる?」と一人の女の子に頼んだら
「そんなに走ったことなくて、自信がないから一緒に走ってくれますか?」と言われました。
手を繋いで走り終わった時、「走れたね~。」と言って、二人で手を取り合って喜び合いました。
こちらから何回か話しかけても、うつむいて黙っていた子は、急にギュッて手を握ってくれました。
ゆるゆるしているのだけれど、でもみんな頑張っている。
そんな運動会でした。
私たちが、普段暮らしている世界は、厳しい競争があってみんな人に負けないように競い合っています。
そんな世界ももちろん大事なのですけれど、そうでない、けれど頑張っている、そんな世界があってもいいじゃない。
そんなことを思いました。
そういえば、これはぷかぷかのパンの味ですね。
そんな事を感じました。
霧が丘にこんな素敵なパン屋さんが来てくれたのだから、
ぷかぷかのパン屋さんにも、「霧が丘に来て良かった。」と言ってもらえる様な素敵な街にしたいな。
霧が丘に来てくれて、ありがとうございます。
翌日から、私はまた混んだ横浜線でぎゅうぎゅうになりながら出勤したのですが、
ギスギスの車内でも、運動会のことを思い出して、にやにやしてしまいました。
ぷかぷか効果ですね。
霧が丘のもっともっと多くの人が、私のぷかぷか効果に感染して
ぷかぷか病になれば、みんなもっと幸せになれるのにな~。
計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。
「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。























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にほんブログ村 かながわ福祉サービス振興会が福祉サービスの先進事例を募集していたので応募した。
1,はじめに
「カフェベーカリーぷかぷか」では、お互い「いい一日を過ごそう」ということを目標に仕事をしている。「いい一日を過ごす」とはいうまでもなく、仕事を楽しみ、充実した一日を過ごすということだ。そのことを大事にすると、利用者さんの介護の度合いが格段に減る、という思いもよらない結果を生んだ。福祉事業所における仕事について考えてみたい。
font-family:"MS 明朝";mso-ascii-theme-font:minor-fareast;mso-fareast-theme-font:
minor-fareast;mso-hansi-theme-font:minor-fareast”>,事例の紹介
Yさんは「ぷかぷか」に来る前、ある作業所で働いていた。働いていたと言っても自分の好きなことをやって一日のんびり過ごすような感じだった。二十歳半ばになってどこか物足りなさを感じたのかどうか、仕事をしっかりする「ぷかぷか」にやってきた。クッキーやラスクを作る仕事をやったのだが、仕事のペースが作業所時代とは全く違い、慣れるまでは本当に大変だったと思う。それでも自分の作ったものが商品として売れ、それが収入となって自分に返ってくる、といったことが見えてくると、仕事がだんだんおもしろくなって、毎日生き生きと働いていた。仕事がおもしろくなると、更に仕事ができるようになり、いつの間にかクッキー、ラスクの生産を任せられるくらい仕事を覚えていた。
Yさんは「ぷかぷか」に来て初めて「仕事」というものに出会った、といっていいのではないかと思う。それまでいた作業所では、一応「仕事」とは言っても、自分の好きなことを、特に時間に追われることもなくやるだけなので、「ぷかぷか」の「仕事」とは質的に全く違うものだ。その違いが何を生み出すか、2年ほどたってからはっきりする。
2年ほどたった頃、担当のケースワーカーが介護認定の調査にやってきた。作業所にいた頃は何するにしても介護が必要で(Yさんには発作がある。通勤の時はそのためいつもヘルパーがついている)、ほとんどの項目がスコア表の右の方に○がついていた。それが今回ほとんどの項目が介護の必要のない左端に○がつき、こんなに評価がいいと介護サービスが受けられないとケースワーカーが心配するほどの結果だった。
Yさんはケースワーカーさんに今の気持ちを聞かれ、「作業所にいるときはいつもうつむいて生きている感じでしたが、今はまっすぐ前を向いて生きています。」と応えていた。
「まっすぐ前を向いて生きています」なんて、そうそう口にできる言葉ではないが、その言葉がさらっと出てくるくらい、毎日が充実しているのだと思う。
介護が必要かどうかは、その人の能力によって決まってしまうものではなく、その人自身の生き方によって大きく変わるものであるということをYさんの事例は教えてくれている。人は「まっすぐ前を向いて生き始めるとき」、そう生きようと、体全体が変わってくるのかも知れない。心がはずんでくると、体全体が元気になる。その結果、介護の度合いが減ってきたということだろう。
「ぷかぷか」では「いい一日を過ごす」ために、利用者さんがおもしろいと思える仕事を提供することを心がけている。その結果、Yさんのような事例を生み出した。
font-family:"MS 明朝";mso-ascii-theme-font:minor-fareast;mso-fareast-theme-font:
minor-fareast;mso-hansi-theme-font:minor-fareast”>,考察
毎日が充実すると、介護の度合いまで変わってくるという事実はたくさんのことを教えてくれる。介護の度合いが下がったと言うことは、自立の度合いが上がったと言うことで、人生を生きていく上でものすごく大きな意味を持っていると思う。そのことが何か訓練をした結果ではなく、仕事のおもしろさに出会い、そのことで充実した毎日を送ることができた結果であった、というところに「仕事」というものの持つ新しい可能性があるように思う。
仕事は単にお金を儲けるだけでなく、その人の人生そのものでもある、ということを今回の事例は教えてくれる。福祉事業所がそういったことまで視野に入れ、利用者さんに仕事を提供することができれば、利用者さんの毎日はもっともっと充実するのではないかと思う。
4,おわりに
「ぷかぷか」は就労支援の事業所だが、就労に向けた訓練としての仕事が、利用者さんの毎日をこれほどまで充実したものにしていたこと。このことは福祉事業所で何
を大事にすべきなのかを具体的な形で教えてくれたと思う。
Yさんがもし作業所で仕事を続けていれば、Yさんの人生は全く違ったものになっていただろう。福祉事業所で提供する仕事は、利用者さんにとって、それくらい大きな意味を持っている。
人は「うつむいて生きる」より、「まっすぐ前を向いて生きる」方がいいに決まっている。利用者さんもスタッフも「まっすぐ前を向いて生きる」ような仕事をこれからも創り出したいと思う。
15日に、四谷にあるスリーエースタジオの音楽担当者であるEさんに会って、いろいろと相談してみました。わたしが映画を作る時に、いつもお願いしているスタジオです。
当日(15日)の朝に新しいDVDが速達で届いたので、「勘違い」の映画も見てもらいました。
運動会の映画も、パン屋さんの映画も、勘違いの映画も、おもしろがってくれました。予想どおりです。
感心していました。
固定概念にとらわれた映画屋さんの作品とは全然違うと言っていました。
新鮮だったみたいです。
よい勉強になったとも言っていました。
で、音楽については、わたしもいろいろと考えて言ったのですが、ほとんど同じ意見でした。
技術的に版権の差し障りのない音楽を後から付けることは可能だし、そして、あの映画にふさわしい音楽を付けることも可能なのですが、それでは、ツンさんの映画で無くなってしまうだろうという考えです。
打ち合わせたわけでなく、お互いが意見を交換すると、たまたま、わたしもEさんも同じ意見でした。
ぼくらにとって、映画の音楽というのは、先ず、映像があって、映像が先行して、そこにふさわしい音楽を付けるという感覚があります。
たいていの映画の音楽はそうやって選曲されたり、作曲されたりしています。
ところが、ツンさんの場合は少し違うようです。
それは、映像の撮られ方の違いとも共通しています。
わたしの場合は、とりあえず目の前で起こっていることをカメラに収めて、全部を撮り終わって編集の段階で、さて、何が撮れているのだろうかとか、そこでと言うか、カメラの前で起きていることを伝えるためにはどんな構成で、そのためにはどんなカットの順序にしたらいいのだろうかと考えますが、ツンさんの場合には少し違っているようです。
それは、あたかも、たとえば、巨匠の成瀬巳喜男監督が撮影の前に精妙なコンテを作って、その通りに撮ると、撮影が終了して編集の時には、カットの頭とお尻を僅か数秒づつ切り落とせばそれで映画が完成するというカット割りにも比例するものです。
しかも、成瀬巳喜男監督の場合は、劇映画であるからこそ、それが可能なのですが、ツンさんの「ぷかぷか」の映画は、次に何が起きるか、次にどう展開するのかがなにも予想できないドキュメンタリーでの撮影ですから。
この前に初めて映画を見せてもらった時にも言ったように、ツンさんの場合は、撮影が開始された時に、或いは、カメラのスイッチが入った時には、どこかで既に映画が出来上がっているように感じます。それも、彼のイメージの中でとか、彼の脳髄の中でとかいうのではなく、それがどこなのかはまったくわかりませんが、どこかで映画が出来上がっているのです。
それは、成瀬監督のように、これを先ず撮って、次にあれを撮ってというカット割りではなく、考えた末のカット割りではなく、あくまでもツンさんのからだの中に備わった感覚的なものです。
それは、喩えが適切でないかもしれませんが、かつて公開されアメリカ映画『レインマン』で、ダスティ・ホフマンが演じる自閉症の青年が、抜群の記憶力を生かしてラスベガスのカードゲームで独り勝ちしてしまう場面があるのですが、それを連想させられます。その青年はパッと一目見ただけで、カードの構成を見破って次にどんなカードが出てくるのかが分かるのです。だからカードゲームに勝利するのです。
特別の才能です。
才能の種類は人によって異なるのですが、ツンさんにもそういった感じの特別な才能があるのだと感じられます。
ツンさんのDVDの映画を見てくれた別の友人は、ツンさんはきちんと見えているのだという感想を語っていました。目の前で起きていることが見えているのだ、という意味です。きっとそうなんでしょう。選択的に、パッと、カットを決めて、なにを、どこから、どんな風に撮ればいいかが見えているから撮れるのだと思います。
(逆にわたしなんかは、見えていないものだから、目の前のことをとりあえず全部撮っておいてから、編集の時になって、さて、何が写っているのだろうと取捨選択しながらつないでいくわけです。)
話がちょっと遠周りになってしまいましたが、ツンさんの場合は、音楽も、映像と同時に生まれてきているように感じられるからです。(前に書いたように普通は、映像が編集されてから音楽が後から付けられます。)
ツンさんの場合は、少なくとも、編集の時には音楽が成立しているように感じられます。編集するときには、既に、そこに、使用する音楽が準備されていないといけないように感じます。
「勘違いの映画」は面白かったです。
吉田拓朗の音楽は、高崎さんのメールを読んでいたので、なるほどと言う感じで、感心し、共感してしまいましたが、大阪万博の「こんにちは!」の音楽には、衝撃的で、驚かされ、圧倒されてしまいました。
なんで~? と言う感じです。
ツンさんは、生まれてもいない、大昔の音楽の。どこに魅かれたのでしょう?
なによりも驚かされたことは、ツンさんが、「世界の皆さんへ、コンニチハ!」というメッセージを発していることです。しかも、字幕入りで。
この間も映像を見せてもらったけれど、三陸の大地震や大津波があったから、世界のみんなに、呼びかけたくなったのでしょうか?
誰のアイデアなんですか。ツンさんの、オリジナルのアイデアですか。
鬱で、ひきこもり歴十何年のツンさんが・・・。
映像という物の効果と言うか、映像を作るということの精神的なパワーと言うか、あらためてそんなものを感じさせられました。
映像の治療効果です。
そんな意味も、われわれが勝手に音楽を付けちゃったら、それは技術的に可能だし、それなりのものを付けてあげる自信もあるのだけれど、それじゃあいけないのだよなあ、それじゃあツンさんのオリジナリティが壊れてしまうのだよなあ、と考える次第なのです。
こうやって書いてきて、歌詞のない音楽での編集作業は、ツンさんにとっては苦労だろうなあ、辛いだろうなあ、という気もしています。
そのうち自分で作詞作曲して、シンガーソングライターとして自分の歌を映画に付けてもいいかもしれません。そんな才能もあるのかもしれないなあ、と思います。
具体的な選曲を見ていると、いや、聞いていると、選曲の才能も只者じゃないですよねえ。
四宮鉄男(映画監督)
じつは、『はたけ』の前に、もう一本のDVD『丸の内』という作品がツンさん自身から送られてきていた。わたし、は同じ時期に送られてきた2本の作品が、初めは、同じ物がそれぞれから届いたのだろうと勘違いしていた。そして、念の為、みたいな感覚で見てみて、びっくり。
『丸の内』は、大傑作だった。
これは、夜の、東京・丸の内界隈を撮った作品だった。夜の光と、ビルと、そこを走る車と、勤め人と、道路工事などで働く人たちと。
まるで、タルコフスキーやソクーロフの作品ようだった。
ツンさんは、無名で、若くて、元ひきこもりの青年だから、その映画を見せられても格別のことはないのかもしれないが、これがもし、タルコフスキーやソクーロフの作品だよ、なんて言われて見せられたのなら、見た人は感動に噎ぶのかもしれない。それ程の作品だとお見受けした。
ズバリ! 現代都市・東京の深部を捉えていた。
面白い、興味深い映像だった。
映像がさまざまに物語ってくる。
以前に、スチール写真で、同じように、丸の内界隈だかどこだか、都市のビル群を撮ったものをスライドショーで見たことがあった。ツンさんにとっては、ずっと追及してきているモチーフのようだった。『丸の内』は無機物大好き人間であるツンさんの、面目躍如たる作品である。
でも、ツンさんは、無機物と心を通わしながら撮っているように感じられた。
そこに、ビルが、道路が、都市が、確かに存在している。
映像としてだけでなく。
現代都市が主人公だった。
一方で、現代を描きながら、過去と未来の時間を往還するような感じがしてきた。そこが、タルコフスキーやソクーロフを思い起こさせる。過去を振り返る視線。未来を見通す目線。でも、必ずしも、明るくも、輝かしくも、美しくもない。
とは言いながら、描かれている世界は現代そのものだった。
勤め人や、道路工事する人たちが描かれるのだが、その人たちは、主人公ではなかった。単に、映画の中の主人公というだけではなく、人間として、その都市を作ってきた人類という種に所属する人たちであるにもかかわらず、その都市の主人公としては描かれていなかった。その都市に従属する人間という生き物に過ぎなかった。
その意味で、痛烈な映画だった。
映画の中で、コンクリートのビル群は美しかった。そのビルたちを彩る光たちも美しかった。しかし、映画の中で、色彩は奪われていた。それは、夜だから、人工の光だから、色彩が奪われているのも必然だった。
その意味で、痛烈な映画だった。
それは、ツンさんの意図を越えて痛烈だった。
ラストカットの、「HONMA GOLF」の小さな看板が、警句的であり、皮肉たっぷりであり、ツンさんのメッセージのようだった。
いや、やっぱり、この『丸の内』の世界は、ツンさんの意図的な世界なのだろうなあ、と思い返した。
単なる、夜の都市のスケッチではなく。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。