ぷかぷか日記

単純作業では人は成長しない

福祉の世界を長年歩いてきた人が「毎日同じことの繰り返しの単純作業では人は成長しないんだよね」といっていました。全く同感です。自分がそういう仕事をすることを、ちょっとでも想像すれば、すぐに納得できます。
 にもかかわらず、知的障がいの人は単純作業が向いている、と昔からよく言われます。でも、ほんとうにそうか?と思います。単純作業の繰り返しは、あまり頭を使わない、だから知的障がいの人にはこういう仕事があっている、といわれるのだろうと思います。でも自分でそういう仕事をやってみると、同じことの繰り返しはすぐに飽きてしまうし、それを続けることはとても辛い毎日になります。そういう気持ちは知的障がいの人たちも同じだろうと思います。ただ彼らが黙っているだけではないかと思うのです。ボールペンの組み立て、割り箸の袋入れ等は福祉事業所でよくやっている仕事ですが、少し想像力を働かせれば、毎日そういった仕事を続けるつまらなさはすぐにわかります。毎日毎日何の変化もありません。変化がなければ面白くも何ともないし、自分の成長もありません。
 彼らだっておもしろい仕事を提供すれば、毎日が楽しくなるし、充実した時間を毎日過ごすことができます。ぷかぷかで働く知的障がいの人たちに活気があるのは,そういう毎日を送っているせいだと思います。

 ぷかぷかの外販部長をやっているツジさんは、入った当初は大声出して外へ飛び出したり、よその家に飛び込んだり、ほんとうに大変でした。でも今はすばらしい「外販部長」をやっています。
 ツジさんは「ぷかぷか」に来る前、授産施設にいたのですが、そこの職員は誰も今のツジさんの力を知らなかったといいます。その授産施設は、いわゆる「軽作業」と呼ばれる、単純作業の繰り返しをやっていました。ですから彼の力を発揮する機会がなかったのだと思います。彼が「ぷかぷか」に来なければ、今のすばらしい「力」を発揮する機会はなかったわけで、力を発揮できなければ,人は成長しません。
 ツジさんの成長は、知的障がいのある人だって、おもしろい仕事をやれば、ほんとうにすばらしい成長が期待できることを私たちに教えてくれています。
 

しんごっちと「猫も秋思の中に入る」

 「しんごっち」は利用者さんの愛称です。言葉によるコミュニケーションはなかなか難しい方です。ところが絵を描くとすばらしい作品を描いてくれます。「ぷかぷか」のホームページ(「ぷかぷかパン」で検索するとすぐに出てきます。)のトップにしんごっちの描いた猫の絵を載せているのですが、たまたま朝日歌壇にのっていた句を見たとき、真っ先に浮かんだのがしんごっちの描いたこの絵だったのです。
  窓に来て猫も秋思の中に入る
 物思いにふける、といったことをしんごっちが考えたのかどうかわかりません。でもしんごっちの描いた猫は物思いにふけっています。物思いにふける,なんて言葉はとても曖昧な言葉です。その曖昧な言葉のイメージを猫の表情で表したしんごっちはやっぱりただ者ではないなと私は思ってしまうのです。
 そのあたりと、言葉がどう説明しても通じないしんごっちと、どうなっているのか私にはよくわからないのです。言えることは、しんごっちのような人は、やはり大事にしたいし、私たちの世界の「宝」だなと思うのです。

誕生日プレゼント

「ぷかぷか」では利用者さんの誕生日に「ぷかぷかカフェ」でのスイーツセットをプレゼントすることにしている。しかも好きな人とのペアセットだ。
 ツジさんの誕生日。朝の会で「誰と一緒にお茶飲みますか?」「ユミさん!」
 年配の女性スタッフが選んでほしくて手を上げていたのだが、迷うことなく大好きな彼女の名をあげた。
 人とのおつきあいがまるっきりへたくそなツジさんがどんなデートをするのかと思ったが、ここは本人に好きなようにさせた。
 さて、午後になり、たまたま彼らが来る前にカフェで打ち合わせがあった。すぐ隣にツジさんが席を取り、彼女を呼んだ。これからデートが始まるというのに、いつもと同じようにわけのわからないことをべちゃくちゃしゃべりまくっている。全く困ったやつだと思うすぐそばで、「少し静かにしなさい」とツジさんの唇に手を当てて,ユミさんは優しく諭している。「うん、わかった」と普段とは別人のように素直に言うことを聞くツジさん。“おー、やるじゃん”と、そそくさと席を立ったのでした。

映画「ぷかぷか」

10月23日
 映画「ぷかぷか」の試写会。「ぷかぷか」の設立前から1年半ほどを追いかけたドキュメンタリー。経営的に本当に苦しい時期もあって、それがそのまま映像になっていて、あの頃のつらい思いがあらためてよみがえった。あの時、カメラの前で何かしゃべろうとしても言葉が出てこなかった。カメラを回している河原さんも、あの苦しい状況を超えるような言葉を期待していたんだろうと思う。私もそれを必死で探しながらも、あの時はどうしていいのかわからず、ただただ深いため息が出てくるばかりだった。カメラの視線がとても辛かったことを覚えている。それがそのまま映像になっていた。
 その沈黙のシーンの前に、思いを共有できなかったスタッフをぼやく場面があり、そこはカットしたほうがいいのではないか、という意見も出た。経営者としてはほんとはいうべきではない、という意見もあった。
 でも、あの苦しい時があったからこそ、今のぷかぷかがある。「夢」を実現するには、当たり前の話だが、楽しいことばかりではない。いろんな浮き沈みがあってこそ、みんなが鍛えられ、そのなかで「夢」が少しずつ実現していくのだと思う。そういう意味で、あのシーンは「ぷかぷか」にとってとても大切なシーンだと思う。
 とてもみっともない、恥ずかしい場面だが、それはそれでぷかぷからしいと思う。

 苦しくてもつらくても、明日のパンを作るために、利用者さんの明日の仕事を作るために、とにかく動いていくしかないところが、本当にきつかったが、そういう中でしっかり支えてくれる人もいて、なんとかやって来れた。何よりもそんなことはお構いなく、しっかり働き続け、「ぷかぷか」をしっかり支えてくれた利用者さんたちに、あらためて感謝したいと思う。
 映画の中で彼らは本当によく働いている。そして働いていく中で、大きく変わった。それが映像を見ているとよくわかる。彼らだけでなく、彼らを映像として追いかけてきた河原さんも変わった。カメラの向け方が最初の頃とずいぶん変わっている。
 河原さんをぷかぷかの映像作りに夢中にさせたものは何だったんだろうとあらためて思う。

 試写会の後、参加者の一人から「素敵な夢をプレゼントされた気がいたします。」といったメールが来た。そういったものが映画「ぷかぷか」にはあるのだろう。私には辛かったときのシーンだけが印象に残っているのだが、見た人に夢をプレゼントできるなら、こんなすばらしいことはないと思う。最後のシーンで外販を終えて帰って行く利用者さんの後ろ姿に私はちょっと涙が出そうになった。ぷかぷかが始まる前のパン教室での姿と、外販を終えて帰って行く自信に満ちた後ろ姿。ぷかぷかを初めて1年半の意味がその後ろ姿に凝縮されていると思った。

 映画は若干の手直しを入れて、今年の末には完成予定です。またお知らせを載せますので楽しみにしていてください。

 
 

パン屋を辞めた方が儲かる

 経営アドバイザーの方と話をしていて、「パン屋を辞めたら儲かるんだよなぁ」という話になった。
 おいしいパンを作ろうとすれば、当然人手がかかり、ぷかぷかでは現在障がいのある人たち20人に対して13人ものスタッフがいる。パンをやめて、たとえば簡単な組み立て作業(ボールペンの組み立て、電機部品の組み立て、段ボール箱の組み立て、割り箸の袋入れなど)をするなら、スタッフは半分以下に減る。設備投資も長机くらいですむから、パン屋の10分の一以下ですむだろう。それでも、障がいのある人たち対する福祉サービス(就労訓練)の報酬は同じだ。だから「パン屋を辞めた方が儲かる」というわけだ。運営は格段に楽になるだろう。
 では、どうして儲からないパン屋を辞めないか。それは障がいのある人たちに面白いと思える仕事を提供できるからだ。パンは結果が見えるので、仕事として楽しいし、やりがいがある。結果を見届けることのできる外販は、だから大人気で、毎週自分が外販に出かける日をみんなとても楽しみにしている。
 簡単な組み立て作業は、ほとんどの場合、大量に品物が来るから、やってもやっても終わりがない。終わりのない仕事は、結果が見えないので、辛いものがある。同じことの繰り返しの仕事は、やはり飽きが来る。
 仕事が楽しいこと、それを大事にしたいから、儲からなくても、運営がいつも苦しくても、パン屋は辞めたくないなと思う。
 

かっこいい!

 精神障がいの人が実習をしている。実習前の面接では、何を言っても全く笑顔が出なくて、笑顔という反応がないと、会話がぎくしゃくして、なんともやりにくい感じがした。いろいろ相手に気を遣ってもこんな調子では、知的障がいのあるメンバーさんとうまくやっていけるのかどうか、いささか不安だった。メンバーさんといい関係ができれば、ぷかぷかはすごく楽しい場になるが、そうでないと、ちょっと辛い場になるのではないかと心配した。
 カフェで実習。包丁を使って野菜を切るとき、決してうまいのではないが、ただ左手で包丁を持って切った、というただそのことが「かっこいい!」と女の子達が拍手したりした。右利きの彼女たちにとって、左手で包丁を使うこと自体が、すごいことに見え、思わず「かっこいい!」と言ってしまったのだろうと思うのだが、そのひと言が実習生と彼女たちの距離を一挙に縮め、精神障がいのある実習生から「かっこいいお兄さん」に変わった。
 この思ってもみない展開がすごく楽しいと思う。私の心配を押しのけるように「かっこいい!」なんて言ってくれた彼女たちに拍手!
 

いい一日だったね

 べらべらおしゃべりばかりで仕事が進まないのは困りものだが、黙りこくったままの仕事場、というのもなんだか気詰まりな気がする。適度におしゃべりもし、笑いの絶えない職場がいいと思う。
 先週から来ている実習生は、仕事中、一言も喋らなかった。仕事中は喋らない、という決まりを忠実に守っているようだった。でも「ぷかぷか」では、みんなして、あーだ、こーだ、おしゃべりしながら仕事をやっている。それでいて仕事はしっかり進める。何よりも仕事場が楽しい雰囲気だ。
 実習生はふだん検品の仕事をしていて、これはやってもやっても終わりのない仕事だ。「そういう仕事って、辛くない?」って聞くと「仕事ですから」と見事な答え。若いのに“仕事は辛いもの”と割り切っているのだろう。それはしかし、寂しい“仕事観”だと思う。仕事は時間を仮に一日8時間とすると、単純計算で人生の三分の一を占める。この時間が辛いものだとすると、なんだかもったいないではないかと思う。
 ま、でも、考えてみれば、養護学校で働いている頃は、そういうイメージで生徒たちに仕事の厳しさを教えていたなぁ、と思う。でも、自分で仕事場を立ち上げてみると、仕事が辛いのではやっていけないなと思う。辛い顔して焼いたパンなんておいしくないと思う。パンはいい顔して焼きたい。パンの味は焼く人のそんな思いをしっかり反映する。
 仕事は楽しい!って心から思えること。それが一番大事なことだと思う。それを特に意識したわけではなかったが、「ぷかぷか」は自然にそういう雰囲気になっていた。
 一日の終わりに「いい一日だったね」ってお互いがいえるような仕事をしたいと思う。

 2週間目に入った実習生の顔がずいぶんやわらかくなり、仕事中もみんなと一緒に笑っている。仕事って楽しいんだ、って思ってくれたかな?

ツジ君、好きだよ

 障害者と健常者の交流などという薄っぺらな関係を一気に超えてしまったようなすてきな関係が、ちょっと目を離した隙にできてしまいました。それがこの写真。

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 何を耳打ちしているのか、竣くんのツジ君へのあたたかな思いがしっかり伝わってくる。
 竣くんにとってツジ君は障害者なんかではない。時々よくわからないことをしゃべってるけど、すっごく楽しいお兄さん、話し相手になってくれる頼りがいのあるお兄さん、て感じだろう。
 ぷかぷかが地域で作ろうとした関係を、パン作りの合間にさらっと作ってしまった3人に乾杯!
 

パン教室

 計画停電で中断していたパン教室を久しぶりに再開。26名もの参加で、大にぎわい。シンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、昨日畑からとってきたばかりのブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリームを作りました。
 今回初参加のダウン症の女の子は初めての場所で緊張したせいか、元気がなかったのですが、ブルーベリーパンをカスタードクリームの上にのせる作業が気に入ったのか、一人で次々にのせて、のせるたびに元気になったようでした。
 ツジ君のおしゃべりが気に入ったのか、小学校1年生の双子の兄弟がまとわりついていました。ツジ君もいつになく楽しそうにおしゃべりしていました。こういう思ってもみない関係ができるところがパン教室のいいところかなと思いました。
 お店に近所に住む子どもがツジ君に耳打ちしている写真、こんな関係ができたことに感動してしまいました。メンバーさんが地域で生きる、というのはこういう関係ができることだとあらためて思いました。それにしても、こんなすてきな関係をパン作りの合間を縫ってさらっと作ってしまうツジ君の力にあらためて脱帽です。

声が聞こえると…

瀬谷区役所のケースワーカーさんと話す機会があった。ケースワーカーさんの職場は区役所の3階、パンの外販は2階。普段はほとんど音なんか聞こえないし、気にもしないのだが、ぷかぷかが外販にきたときだけは、ツジくんの「パンはいかがですか?」のよく通る声が3階まで響き、「あ、来た!」となんだかうれしくなってしまうという話をしてくれた。そんなにも区役所の中でぷかぷかの外販が定着していたのか、とうれしくなった。

 今日は緑区役所に外販に行ったのだが、初めてぷかぷかのパンを食べた人が、しばらくしてまた買いに来てくれて、「おいしかったぁ。もうひとつください」と。うれしいですね、こういう反応は。

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