ぷかぷか日記

ツンさんの新しい作品

                                    四宮鉄男(映画監督)

刺激的だった。面白かった。
 養護学校の教師を定年退職してパン屋さんをやっている高崎さんから、ツンさんこと、塚谷陽人さんの新しい作品が送られてきた。高崎さんは、知的な障碍があったり、自閉症だったり、そのほか様々なハンディキャップを持った人たちが街の中で暮らしていける場を作ろうと、横浜・中山で「ぷかぷか」というパン屋さんとカフェを営んでいる。 ツンさんは、そこのメンバーの一人である。

 ツンさんの作品については、既にここで何度か紹介している。藤崎さんにお願いして、「メイシネマ祭」でも上映してもらった。岩波映画の助監督時代からの友人も何人も見に来てくれて、口うるさい連中が面白がってくれた。で、今回の新作だ。
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 送られてきたDVDには高崎さんのメモが入っていた。以下全文。
「ますます進化した感じですが、絵で遊んでいる感じが強く「記録映画」としての要素がなくなっている感じです。」とあった。

 DVDが届いた翌日には、メールも入っていた。次のような内容だった。以下全文。
「映像としては以前よりはるかに進化した感じがするのですが、何を伝えようとしたのか、あたりを考えると、何も伝わってこないというか、映像を断片的にかっこよくつないで、洗練された音楽をかぶせた、という印象です。題材はみんなで社員旅行に行ったときの記録、帰り道、ズーラシアに行ったときの記録ですが、肝心な中身が見えないのです。四宮さんの感想をお聞かせください。」 と。
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で、そういう先入観で見た。あらかじめこんな映画なのかなあ、と想像してから見た。するとまったく期待を裏切られてしまった。全然、イメージしていた映画とは違っていた。

それで、高崎さんには、面白かったよ、後ほど感想を送ります、と伝えた。と言うのも、その時はしたたかに酔っ払ってからツンさんのDVDを見たからだった。もしかしたら、酔っ払っていたから、わたしの感覚がハイになっていて、それで面白かったのかもしれないと思って、今日、見直した。
やっぱり面白かったけれど、酔っ払って見ていて面白いなあと感じたところで、今、見直して、面白いなあと感じと部分はずいぶん違う。当たり前のことだけど、そのことも面白いと感じた。
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 今回の作品は。『運動会3』『動物園』『千葉県』『千葉~横浜 湾岸道路』の4本。それぞれ4分から5分、そして7分半の短い作品だった。以前の作品は結構長くて、インターネットなどにアップするのなら短い方がいいよ、とアドバイスしたことがあったけれど、その影響があるのだろうか。

 短い方がいいよなあ、と思う。自分は長い作品ばかり作っているくせに。
今朝、ある作家さんのインタビューを新聞で読んでいたら、小説は短編に限ると語っていた。今の小説は長すぎると、苦情を語っていた。その人は、短い小説は難しいとも語っていた。ドキュメンタリーも短い方が難しいかもしれないと思ったものだ。

そうは思いながら、ツンさんの今回の作品も、短いから面白かったけれど、長いと持たないかもなあ、とか、長いと退屈するかなあ、とも感じていた。短い作品だから、思いの核みたいなものがすう~っと入ってくる。
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 『運動会3』は毎年恒例の「ぷかぷか」の運動会を撮影した作品だ。『動物園』はやはり「ぷかぷか」で横浜の動物園「ズーラシア」を訪ねた日の記録だ。この日はあいにくの雨だったらしく。傘をさしての動物園見学だった。『千葉県』は千葉県のレジャーランドへの社員旅行の記録だ。画面から想像するに1泊旅行かな。そして『千葉~横浜 湾岸道路』は、その帰り道。きっとバスの窓から撮った映像なのかなあ。

 これまで、ツンさんの作品はいくつも見てきていたが、それらとはがらっと違っていた。いや、これまでのツンさんの作品にチラチラと現われていたものが、一挙に、ドッと吐き出されていた感じだった。その意味では、一層ツンさんらしい。
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 4つの作品とも、カラーで撮られているのだが、モノトーンに仕上げられていた。『千葉県』『千葉~横浜 湾岸道路』は完全にモノクロの世界だった。脱色されていた。最初からモノクロで撮るのとカラーで撮って脱色するのでは、感じなのだがずいぶん違うのではないかなあと推測する。黒が澄んでいないのだ。むしろ濁りさえ感じる。そこに、失われたものを感じる。失われた世界を感じる。

『運動会3』『動物園』はハイキーと言うか、オーバー目の世界である。ホワイトアウトする時の、その一過程の色調なのだ。そして薄く、グリーンだったりブルーだったり、或いはアンバーだったリの色調がベーシックに敷かれている。
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前々からのツンさんらしいと感じるのはデジタル効果のワイプの多様さなのだ。どくに『運動会3』ではデジタル効果のワイプがしつこく提示される。おや、と思うような、場面転換でないところでも使われている。
そして、今回の4作品に共通する一番の特徴は、時間の操作だった。駒伸ばしとか、駒落としが頻繁にされている。実に巧みに。ツンさんは映像の魔術師だよなあと感じる。映像処理の天才ではないかとさえ思わされてくる。いやあ、実に巧みに時間軸を狂わされるのだ。
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そうした手法を多用することで、「ぷかぷか」の何でもない日常を撮って、構成しているのだが、提示されている世界は非日常だった。写されている対象は日常なのに、作品として提示されている世界は非日常だった。

考えてみると、いや、考えるまでもなく、わたしなんて、90分とか120分の長い映画でも、なんの変哲もなく、すべて撮ったままの映像をなんの細工も施すことなく、すべてがカット繋ぎで、映像編集の基本のテクニックであるOLでさえ、普段はまったく使用しない。わたしの作品世界は、およそ日常そのもので、そこから一歩も出ようとしない。

そういう意味で、ツンさんの作品世界は凄いなあと思う。わたしなんかには、到底まねのできない世界である。

そういった意味で、高崎さんは不満を感じられたのかもしれない。
そして、それはそれで、よく理解できる。
「記録映画」の要素がほとんどない、というのも理解できる。
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 いや、そもそも、ツンさんには「記録映画」とか「ドキュメンタリー」なんてものを撮ろうという気がないんだろうと思う。それは高崎さんの方からの一方的な思い込みなのかもしれないと思う。もしも、これが、「ぷかぷか」がツンさんに費用やギャラを出して、「ぷかぷか」の世界を表現する映画を撮ってもらうのだったら、当然のことながら、作り直してもらえばいいのだが、現実はそうでもないみたいだ。

 ツンさんは、およそそんな気はないみたいだ。
 これは、ツンさんの世界の自己表現の世界なのだと思う。
 例えば、自分ではどうにもならなかった時間の世界を取り戻すために、映画の中で、時間軸をずらして、自分なりの時間の世界を再構築していったのだろうなあと思う。なによりも、ツンさんは、以前に体験していた、閉じ込められてきた時間の世界から解放されなければならなかったから、かなあと思う。

 「記録映画」や「ドキュメンタリー」のように、伝えるとか、メッセージするとかいうよりも、自分の中にある世界を外に表出することに興味があるのだと思う。だから、日常にカメラを向けても、表出されてくる世界は非日常なのだと思う。
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一方で、ツンさんにとっては、今までやってきた映像表現では物足りなくなったのだと思う。それに、その上に、現段階のデジタルの世界では、いろいろなことが簡単にできる。それをいろいろと試したかったのだと思う。

わたしの場合は、それに興味が無くて、カット繋ぎしかしないという結果なのだ。あれこれデジタル処理するのが面倒で、難しくて、お手上げなのだ。若者と年寄りと、世代間の差なのだろうと思う。

ツンさんの表現形式の、或いは、表現手法の変化とか、進化の結果なのだと思う。言ってみれば、ピカソがあれこれ表現手法を摸索していって、立体派の表現に行き着いたようなものかもしれない。

そう、これは、ツンさんの表現なのだ。

つまり、それは表現の様式の問題で、それはその時々の、その人の立ち位置の問題なのだ。例えば、わたしの好きな熊谷守一さんなんて、歳を取ってからの絵なんて、どれも、とてもシンプルなのだ。シンプルでいて、豊かなのだ。若い時から画風がどんどん変わっていく絵描きさんは多い。逆に、ずっと一貫していてほとんど変わらない人もいる。そう、その人がその時々に取る表現様式はきっとそれぞれなのだと思う。表現手法とか表現様式なんて、そんなものだと思う。それぞれなのだから。
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それでも、例えば『運動会3』の場合、正直、『運動会2』を見た時には、『運動会1』を見た時ほどの感動は無かった。『運動会2』は『運動会1』をなぞったような印象を受けたからだ。それが、今回、『運動会3』を見た時は、驚きがあり、新鮮さがあり、刺激があった。

うん、やっぱり、表現というものはそういうものだろうと思う。

わたし自身の中でおかしかったのは、当然、当たり前のことなのだが、酔っ払って見た時の印象と、今日、こうして、素面で見直した時の印象とはずいぶん違う。

酔っ払って見た時は、ぶあ~っと、全体の雰囲気とか印象にからだが包まれていった。それで、今書いたように、そして最初に見た作品だった『運動会3』がとても新鮮だった。とても印象的だった。その映像の印象がどこまでも引きずられていって、『千葉県』『千葉~横浜 湾岸道路』では、漠とした印象は残っていたもののひとつひとつの映像の印象は消えてしまっていた。

ところが、素面で、高崎さんへ感想を送る為に見直した時には、細部にばかり目が向いてしまっていた。細部に目が行くとそれはそれで、とてもおもしろかった。なるほどよくできた映画だなあと感じるところがずいぶんあった。
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一番違った印象を持ったのは、『千葉~横浜 湾岸道路』だった。酔っ払って見た時は。4本目だからということもあったかもしれないが、ただ千葉からの帰り道の映画だなあという印象だった。だが、見直してみるとこれはツンさんの世界だなあと感じた。以前に見た、『大手町』とか、そういうものに通じる世界だった。最初に、パン屋さんの映画を撮った時にも、ずいぶん無機的なものが写り込んできていたが、それに通じる世界だった。きっと帰りのバスの窓から撮った映像なのだが、それだけで一つの世界が構築されているのが凄いなあと感じた。そして、スローの駒伸ばしの映像は、手ぶれなどをカバーし、そして、その手ぶれなどを逆に活用しているようでさえあった。
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バスの窓から見える風景は、火力発電所や貨物船が繋留された岸壁とか、コンテナヤードとか工場なのだが、そういう物しか出てこないというのが凄いのだが、それらが初めはおとなしく、そして、それらが手ぶれを利用してだんだん激しい存在となり、そして最後は荒々しく、ラストはまるでブラインドの逆から強い照明を当てたようなフラッシュの連続で終わった。そこには、なにか現代社会や現代文明へのメッセージがあるように感じられた。ツンさんって、単に無機的な映像が好きなんではなくて、人間の存在と文明や科学技術の関わり合いなんかに興味があるんじゃないかと思った。

『千葉~横浜 湾岸道路』は、ああ、ツンさんの世界なんだなあと共感した。
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 『動物園』も面白かった。印象はジャングルだった。ジャングルに、人間がいて、人間は見物の人たちだ。もちろん、動物園がジャングルではないのだが、ジャングルを感じさせられる。都会のジャングルを含めて。「ぷかぷか」のメンバーで、雨の日で、傘をさしていて、全体は白っぽいハイキーな世界なのに、このメンバーたちの服装と差している傘だけに薄く色彩が残っているのが印象的だった。ジャングルの中には動物たちがいて、彼らは当然檻の中に居るのだが、ところが動物たちの檻はあまり檻は意識されずに、逆に、見物の訪問者たちの方が檻の中に居るような印象さえ感じる。
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 なにしろ雨の中の動物園訪問というのが実に印象的に構成されているのに感心した。雨だから残念だね、詰まらないね、とうのがなかった。いや、皆が格別にはしゃいでいるのではないのだが。なんだか、ここでも現実の社会とか、現実の文明社会を感じさせられた。『動物園』では執拗に、執拗に、送電線が登場する。今は止まっているが、ついこの前までは、あそこを福島からの電気も流れていたんだよなあと強く思わされた。

送電線が見ているわたしに沁みてくる。

『動物園』でもうひとつ印象的なのは、白っぽい画面に、頻繁に、細い黒い縦の線が出てくることだった。16ミリフィルムの映写機のイメージなのかなあと思わせられた。16ミリフィルムを映写機に掛けて上映すると、フィルムに傷がついて、あんな風な線がスクリーンに映し出されるのだ。動物園を訪ねることで、懐かしい時代に思いを馳せるのだろうかと首を捻った。だって、ツンさんの時代では、もう16ミリの映写機は姿を消してしまったのではないかなあと思うからだ。そんなフィルムの映画を見ていたのだろうか? 真相は、真意は分からない。わたしの勝手な想像だ。

 ただ、リアルな映画ではなくて、こういう非日常の映画は、(前にも書いたように日常の世界を撮っていても仕上げられた映画の世界は日常ではないのだから)見る側の勝手な思いで見られるのも、面白いよなあと思う。メリットだよなあと思う。
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 『運動会3』は、家族や大人や子供たちへの目線が印象的だった。もしかしたら、運動会の種目そのものよりも、そうした場というか、人とのつながり方の方にツンさんの興味があったのかもしれない。でも、これはわたしの勝手な想像である。だといいよなあという希望的な観測だ。

 『運動会3』の映画の始まりと終わりに、母親に手を引かれた同じ少年が登場するのが妙に印象的だった。何か意味があるのだろうか。というのも、わたしは今、友人の記録映画監督のインタビューだけの『友よ! 大重潤一郎 魂の旅』という映画を編集していて、長い2時間近くの映画の冒頭とラストを同じシチュエーションの映像でパッケージしてしまったからだ。ツンさんにも同様の意図があったのかなあ、と想像したのだ。
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 『運動会3』で特徴的なのは、前にも触れたが、デジタル効果のワイプの多用である。場面転換でないところまで上から、やや暴力的に被せられていたのが少し意外だった。どういう意図だったのか、わたしには計り知れなかった。

 まあ、好みの問題だが、わたしはあまり好きではなかった。動物園の檻の世界ではないのだが、運動会の世界が向こう側に遠くなっているような気がする。意図的なのかもしれない。以前の『運動会』映画や『ぷかぷか』の映画でも、対象との距離感がツンさんの映画では独特だった。敢えて距離感を取ろうとしているのかもしれない。それは感じられる。それが映画を自立させている場合もある。敢えて向こう側の世界を撮ろうとする意図かもしれない。向こう側の世界とは、それはもしかしたら、ツンさんとリアルな日常の世界との距離感の反映なのかもしれない。ツンさんにとっては、映画による表現は現実世界とのかかわりを得るための手掛かりなのかもしれない。
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でも、今回の『運動会3』では、距離感があり過ぎるようにも感じた。

 この距離感と、ハイキーな白っぽい画面の効果から、暖かさや楽しさや親しみやすさが消えている。いや、むしろ、冷たさや寒ささえ感じる。「ぷかぷか」の現実を支え、「ぷかぷか」の現実を愛し、「ぷかぷか」の現実を大切してきている高崎さんにとっては、それが、物足りなかったり、不満だったりするのかもしれない。そのことは容易に理解できる。そうだろうなあ、と思う。
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 でも、ツンさんにとっては精一杯なのかもしれない、とも思う。『千葉県』で一番印象的なのは、「歓迎! ぷかぷかご一行様」の標識がライティングされた形でさりげなく挿入されていたからだ。『千葉県』では、映画の大きな枠組みの中で、かなり接近した感じで「ぷかぷか」のメンバーたちが登場してくる。

 でも、訪ねた水族館では美しい色彩の熱帯魚が泳いでいる。目を奪うような美しさだろうと想像できる。でも、モノクロにして、その美しい色彩を消し去ろうとしたツンさんの心境はなになのだろうかと思う。リアルな世界に対する拒否感情か。わたしには想像がつかない。きっと理由があるのだろうと思う。でも、それはツンさんの世界の問題だ。
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 その一方で、『千葉県』は枠組みのしっかりした映画になっている。その意味では分かりやすい。ただし、分かりやすいというのは、プラスの面とマイナスの面がある。分かりやすいというのは、込められたものが滲みやすく感じられる。マイナスは見ていて、イメージが飛躍しないことだ。映画を見ていて、イメージが飛翔しないなんて、哀しい。

 『千葉県』は、表現手法がずいぶん前衛的であっても、内実はずいぶん古臭いなあという感じがした。表現の展開が古臭いのだ。常套なのだ。当事者がそこに居ないのだ。映画が、デジタル技術に負けているのかもしれない。
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 反面、素面になって『千葉県』を見直して、驚いたというか、感心したことは、実に丁寧に構成されているということだった。ショーに登場するイルカだかシャチと、それを見る人たちと、ショーを演出する施設や環境と、海と、四つの要素が実に巧みに構成されている。後半も同様で、広い野外の山々の風景と、そこで遊ぶ人と、迎える施設と、そしてそれを演出する人たちが、これまた前半に対応するように四つの要素が実に巧みに構成されている。

素面で見直して改めて認識した。「ぷかぷか」のメンバーたちの姿もしっかりと写し込まれている。けっして、ツンさんが、なおざりに、或いはいい加減に撮った映画ではないんだということが分かってくる。かなりの近くの距離感からの撮影だった。前にも同じ表現をしたが、それは、ツンさんにとっては精一杯だったのかもしれない。
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もう一つ、ワンカットワンカットが実に的確に撮られているのにも感心した。ツンさんの撮影行為は、感覚的にパッパッと撮っていっているよう感じる、それでいて、実に的確なカメラアングルとかフレームなのだ。感心する。『動物園』でも俯瞰のショットとか、よくも上手に計算して撮ったものだと思わせられた。それでいて、実際には、考えることなく感覚的にパッパッと撮っていっているのだと思う。それが凄い。

『千葉県』では、ワンカットワンカットの構図が実に的確なのだ。絵が出来上がっている。出来上がり過ぎだと感じるものさえある。広い山の風景とその前を過ぎる人。広い空の雲の風景と地上で戯れるアヒルたち。その対比が見事だ。

そして,いちばん感心したのは、『千葉県』のラストに登場する観覧車のシーンだ。もうそれは確実に映画の世界だった。そして、ラストカットの観光施設の小屋や、その傍の大きな樹木と、そこに集う人たちと、そしてゆったりと回る観覧車のロングショットか見事だった。ああ、映画だなあ! と感じた。感嘆した。
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 さて、これから、ツンさんの映画がどのように変貌していくのかが楽しみだ。
 ただ、音楽が、今のようなら、著作権のことで永遠に一般公開は出来ない。
どうクリアするのか。

もしかしてというか、多分、ツンさんにとっては一般公開する必要はないのだろうと思う。今の段階では。きっと、自分の世界が表現できればそれで満足なのだろうと思う。

そこが、高崎さんとツンさんの乖離なのだろうと推測する。
それが、なにを伝えようとしているのか、なにも伝わってこない、という高崎さんの感想になってくるのだろうと思う

 表現者としては、次のステップとして、自ら表現したものを、自ら表現した世界を、別の人に、見てくれる人に、関心を持ってくれる人の許に届けることが大切になってくる。
 ツンさんが、そうしたステップに踏み込んでいくのかどうか。
 そこが問題だ。
そうした時に初めて、記録するとか、表現するとか、伝えるとか、メッセージするということが湧き立ってくるのだろうと思う。
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新聞を読んでいると、自己表現について三つのタイプがあると書かれていた。自分のことだけを考える「攻撃型」と、他人を優先して自分を後回しにする「非主張型」と、そして三つ目のタイプとして、自分のことを考えるが他人も配慮するというのがあるのだそうだ。

ツンさんの場合も、もっともっと他人のことがツンさんの世界に入り込んでくると、作り上げられる作品世界も大きく変わってくるのだろうなあと想像する。そうした時に初めて、「記録映画」とか[ドキュメンタリー]ということが意識されてくるのだろうなあ、と思う。

          2013年2月17日  しのみや てつお

なんともいえないあたたかい雰囲気のパン教室

ぷかぷかパン教室に、はじめて子どもたちと一緒に参加しました。

私が以前通っていたパン教室は、材料の分量もほぼ事前に測ってあり、
生徒の私は先生の指示通りに、一つ一つの工程を進めていき、
ちょっとでも間違っていないかドキドキしながら、出来上がりの写真そっくりのパン作ることを目標に、ただただ黙々とパンを作っていました。

でも、ぷかぷかのパン教室は違います。
参加者全員で、協力して責任もって作り上げるのです!
もちろん、店長の高崎さんやスタッフのみなさんがポイントを教えてくれるので、心配はないのですが、とにかくみんなで、力を合わせて、工夫しながら作ることが、本当に楽しいのです。
ちょっとくらい間違ったって、大丈夫!はじめの緊張なんかどこかへ吹っ飛び、一緒に作り上げていく醍醐味をたくさん味わいました。

わが子たちは、ぷかぷかのみなさんともすぐに仲良くなり、いつもは私にばっちり監視(笑)されている中でしか使った事のない包丁を、持っている集中力をフル回転させながら、たくましく扱い、目を輝かせてパンの生地をこね、皆さんと一緒に張り切って作っていました。

わが子たちのいきいきした姿を見て、ぷかぷかのみなさんがふんわりとわが子たちを受け入れてくださる何とも言えないあたたかい雰囲気と魅力をとても嬉しく感じました。

そして、自分たちで作ったパンは本当においしくて、お腹いっぱい!
パン作りをただ体験するだけではない、楽しくて、豊かな気持ちになる空間がぷかぷかパン教室にはありました。     (s.o)


★★★


調理室に入ると、他の参加者は常連の様子。
一方、私は初めての参加で道具の場所も、使い勝手も分からず少し緊張していました。
また、普段と違う「よそもの」が入ってきたことにより、調和を崩したりしてしまうのではと少し心配したりもしていました。

最初は周りを見ながらなんとかついて行こうとしていると、ぷかぷかの皆さんはやさしく声をかけてくれてすぐに緊張が解けました。カフェでのお仕事のお話をしてくれたり、玉ねぎの皮を簡単にむく方法を教えてくれたりと、本当に楽しいひと時を過ごせました。

後から考えると、最初の緊張は無意識の中でこちらが身構えていたのかもしれません。ぷかぷかの皆さんが私達を受け入れてくれる心の余裕・広さを強く感じた一日となりました。

さて、5歳になったばかりの息子は最初は意欲的にこねたりしていましたが、ちょっと長丁場で途中でエネルギーが切れてしまったようで心配しましたが楽しかったようです。みんなと一緒に美味しいパンをたくさん食べた後に「またパン作りたい?」と尋ねてみると、頷いていました。

パン教室に参加して一番印象に残っていることは、とにかく皆さんが明るく生き生きしていることです。とても気持ちのよい雰囲気の中、みんなで協力してパン作りができました。ありがとうございました。 (g.t)


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一個のパンを買うことから始まる素敵な物語

 「ぷかぷか」のホームページのトップにこんなことを書いています。

「カフェベーカリーぷかぷか」では、障がいのある方達が働いています。
彼らと一緒に生きていきたいと思い、お店を立ち上げました。
一緒に働いていると、心がなごみます。
楽しいです。
元気になります。
お店をやり始めてから、彼らとはやっぱり一緒に生きていった方がいいな
って素直に思えるようになりました。
そういった思いを地域の人たちとも共有できたら、と思っています。
そうして、たくさんの人たちが
「彼らとはいっしょに生きていった方がいいね」
って、素直に思えるようになったら、
お互いが、もっと生きやすい地域社会が実現するように思うのです。

 パン屋に入ると、コンノさんは、いきなり厨房から出てきて「お名前は?」「兄弟いますか?」「お兄さんですか?お姉さんですか?」「お父さんはネクタイしていますか?」と矢継ぎ早に聞いて来ます。初めての方はどぎまぎしてしまうのですが、コンノさんの言葉は不思議とそのどぎまぎした心をほぐし、心をあたたかいもので満たしてくれます。機関銃のように次から次に飛び出す質問に答えているうちに、コンノさんとのやりとりがだんだん楽しくなってきて、パンを買いに来たことも忘れるほどです。
 
 パンを買いに来たついでに、ぷかぷかで働く障がいのある人たちと、こんな素敵な出会いをしてほしいと思っています。心がぽっとあたたかくなるような出会いを重ねる中で、彼らとは一緒に生きていった方がいいね、って思ってくれる人が少しずつ増えてくれれば、と思っています。

 そうしてたくさんの人たちがそんなふうに思ってくれるようになったら、障がいのある人たちだけでなく、お互いがもっと生きやすい方向へ、地域社会が少しずつ変わりはじめるのではないかと思うのです。

 障がいのある人たちの社会的生きにくさは、彼ら自身の問題と言うより、私たちの彼らを見る「まなざし」の問題だろうと思います。こんな人たちはいやだな、とか、うるさいとか、どこかほかのところへ行ってほしい、と思う私たちの「まなざし」は、そのまま彼らの生きにくさにつながります。

 その「まなざし」に「一緒に生きていこうよ」という思いが宿るなら、彼らの生きにくさは大幅に改善されます。社会的弱者である彼らが生きやすくなる社会は、誰にとっても生きやすい社会だろうと思います。

 そういったことが一個のパンを買うことで始まるとすれば、なんだか素敵な物語だなと思うのです。

 パンを買いに来たつもりが、ふと気がつくと、帰りに心がちょっとだけあたたかくなっているような、そんなパン屋を目指しています。おいしいパンといっしょに、何か心あたたまるものをお持ち帰りください。そして一個のパンから始まる物語の続きをぜひ作ってみて下さい。

         
 

映画「うまれる」の霧が丘上映会

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人がうまれるというのは、こんなにも感動的だったのかと、あらためて思う映画でした。自分の子どもが生まれたとき以上の感動がこの映画にはありました。それは自分自身の60数年の生きてきた人生の重みが重なっていたせいかと思います。子どもが生まれたときよりも、多少人生のなんたるかが見えてきた今、あらためて「うまれてきてくれて、ありがとう」って、素直な気持ちで子どもにいいたくなるような、そんなすばらしい映画でした。

 命のすばらしさ、尊さ、そして私たち一人一人の人生、家族の絆、人と人のつながり、そのことの大切さを、この映画はすばらしい感動を通してあらためて教えてくれます。

 そんな感動をみんなで共有したくて、映画『うまれる』の上映を霧が丘ですることにしました。たくさんの人たちとの出会いを期待しています。

日時:5月12日(日)   10時~  1時~

場所:バオバブ保育園

主催:映画「うまれる」をみんなで見る会

&color(,yellow){”第1回打ち合わせをやります。”};
 3月10日(日) 午後2時 カフェベーカリーぷかぷかのお店(その日は営業していませんが、シャッターを半分だけ開けておきます。)興味のある方、いっしょにやってみたい方、この映画が好きで、とにかく協力したい方、ぜひおいで下さい。パンはありませんが、おいしいコーヒーくらいは出せます。あ、ラスク、クッキーならあります。お子様連れ、OKですよ。天気がよければ、外にテーブル出して打ち合わせしましょう。

問い合わせ:090-5492-7354 高崎

      takasakiaki@a09.itscom.net

★ 宣伝用DVDあります。見たい方は連絡ください。

★映画『うまれる』のホームページは http://www.umareru.jp/

★映画の中の虎ちゃん、応援します。 
          http://www.umareru.jp/blog/2009/08/18.html

おいしいパンといっしょに

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 地元の社会福祉協議会から通信に乗せる原稿を頼まれた。

 「カフェベーカリーぷかぷか」のホームページ(「ぷかぷかパン」で検索して下さい)にこんなことを書いています。

「カフェベーカリーぷかぷか」では、障がいのある方達が働いています。
彼らと一緒に生きていきたいと思い、お店を立ち上げました。
一緒に働いていると、心がなごみます。
楽しいです。
元気になります。
お店をやり始めてから、彼らとはやっぱり一緒に生きていった方がいいな
って素直に思えるようになりました。
そういった思いを地域の人たちとも共有できたら、と思っています。
そうして、たくさんの人たちが
「彼らとはいっしょに生きていった方がいいね」
って、素直に思えるようになったら、
お互いが、もっと生きやすい地域社会が実現するように思うのです。

 パン屋に入ると、コンノさんは、いきなり厨房から出てきて「お名前は?」「兄弟いますか?」「お兄さんですか?お姉さんですか?」「お父さんはネクタイしていますか?」と矢継ぎ早に聞いて来ます。初めての方はどぎまぎしてしまうのですが、コンノさんの言葉は不思議とそのどぎまぎした心をほぐし、心をあたたかいもので満たしてくれます。コンノさんとのやりとりがだんだん楽しくなってきて、パンを買いに来たことも忘れるほどです。
 
 パンを買いに来たついでに、ぷかぷかで働く障がいのある人たちと、こんな素敵な出会いをしてほしいと思っています。出会いを重ねる中で、彼らとは一緒に生きていった方がいいね、って思ってくれる人が少しずつ増えてくれれば、と思っています。
 そうしてたくさんの人たちがそんなふうに思ってくれるようになったら、お互いがもっと生きやすい方向へ、地域社会が少しずつ変わりはじめるのではないかと思うのです。

 おいしいパンといっしょに、何か心あたたまるものをお持ち帰り下さい。

神奈川県監査課とのやりとり

神奈川県監査課とのやりとり  Edit

昨年11月10日に神奈川県の監査がありました。その際、監査に来た職員の口に効き方があまりにもひどいので、神奈川県のホームページを通して抗議の質問状を出しました。



そこから出発した神奈川県監査課とのしんどいやりとりをまとめました。ひょっとしたら監査課からの嫌がらせがあるかも知れないことを覚悟でのやりとりです。おそらく監査を受けたところは多かれ少なかれ、このような不愉快な思いをしてるのではないかと思います。でも、みんな黙っています。文句を言えば目をつけられ、ただでさえ大変な監査が、更に大変になることが予想されるからです。


 
 でも誰かが声を上げないと、やりとりにもあげたように、監査課が「不愉快」をばらまいている現状は、いつまでたっても変わりません。監査課と事業所がこういう関係にあることはお互いにとって不幸なことだと思います。もう少し前向きの関係,新しいものを生み出すような関係ができれば,福祉の世界にとってもすばらしいことだと思います。



 このやりとりが、そういう関係を作っていくきっかけになれば、と思います。
 ご意見いただければ幸いです。




質問状の内容  Edit

カフェベーカリーぷかぷか」という就労継続支援B型の福祉サービスをやっている事業所の者です。先日11月10日に神奈川県の監査がありました。そのときにやってきた50代の方のものの言い方があまりにもひどいので,意見を言わせていただきます。



 端的に言うと、人と何か話をするときの「口の利き方」を知らないのではないか、ということです。上から目線で、横柄な言い方に終始し、とても不愉快な思いをしました。
 「だからさ、…これはさ、…そう思うだろ」といった調子で、この人はいったい誰に向かって話をしているのかと思いました。自分は一体何様だと思っているのでしょう。こういういい方が相手に失礼に当たるといったことすらわからなかったのでしょうか?



 この方の役職は何ですか?年齢からそれなりの責任ある立場だと想像しますが、その責任ある立場の人がこんな感覚では困ります。神奈川県民として厳重に抗議したいと思います。神奈川県としての見解をお願いします。また、県としてこういう感覚の人を監査によこした責任をどう考えますか?



 この方は確か「安田」という名前だったと思いますが、持ち合わせていなかったのか名刺も出しませんでした。監査に来て名刺も出さないとはひどすぎます。非常識です。名刺を相手に渡すことは一つの大事な自己紹介であり、監査をする相手に対する最低限の「礼儀」だと思います。それもしないで監査をするというのは一体どういう神経を持っているのでしょうか。



次回から名刺を出さない方は監査をお断りします。素性のはっきりしない方に大事な書類を見せるわけには行きません。ほかの方が名刺を出しても、今回のように責任ある方が出さないときはお断りします。「安田」という名前も私の曖昧な記憶にあるだけで、はっきりしないのです。監査という大事な仕事において、こんないい加減な話がありますか?



 神奈川県はこんなことの基本的な指導もしてないのでしょうか?それとも「安田」なる人の資質の問題でしょうか?県としてどのようにお考えなのかはっきり答えて下さい。



 おそらくこの方は今までずっとこんな調子で監査をやってきたのだろうと思います。神奈川県の監査の評判の悪さは以前から聞いていましたが,こんな方がやっているのでは当然だろうと思います。評判の悪さはこの方一人の問題なのでしょうか?それとも監査をやっている人たち全員の問題でしょうか?神奈川県としてはどのように考えますか?



 少なくとも「安田」なる人が監査に行ったところは,「不愉快な思いをしなかったかどうか」「失礼がなかったかどうか」ぐらいは謙虚に聞いて回った方がいいように思います。あのような非常識な人を監査役として派遣した神奈川県の最低限の責任です。この点に関してどう思いますか?



 若い監査官が3人ついてきていました。50代の方の発言を聞き、記録をとっていましたから、あのような失礼なものの言い方も若い3人にしっかり引き継がれるのではないかと思います。3人のうち一人はすでにそういうきわめて不愉快になるようなものの言い方をしていました。(一緒に来た横浜市の女性職員です。)



 あの「安田」なる人物が監査役をやっている限り、こういう不愉快極まる感覚の再生産は続きます。このことについて神奈川県としてどのように考えますか?どういうふうに対処しますか?



 監査は税金が適正に使われているかどうかのチェックです。監査をする人はそのチェックをする単なる「係」のはずです。にもかかわらず、まるで自分がお金を出しているような感覚でものをいいます。不愉快極まる言葉,横柄な言葉、感覚はそこから来ています。神奈川県は監査をする人たちのこういう感覚についてどのように考えますか?



 今回のような苦情申し立ての意見は第三者委員会の目にも触れますか?あるいはチェックを受けますか?神奈川県として、その第三者委員会の意見を聞きますか?





一ヶ月近くたって回答が来た  Edit

平成23年11月15日にいただきました「監査についての苦情」の件につきまして、下記のとおり回答いたします。

平成23年11月10日に実施いたしました実地指導におきまして、非常に不愉快な思いをさせてしまいましたことをまずお詫び申し上げます。
当課では、障害福祉サービス事業を営む事業者の皆様に対しまして、障害者自立支援法第11条第2項に基づく実地指導を実施しております。
実地指導におきましては、提出資料を中心に事業所の運営や請求事務等に関するヒアリングや書類の確認を行い、その中で改善が必要な点についてはその内容をお伝えするとともに、後日文書にて実地指導の結果を通知しております。
御存知のとおり、障害者自立支援法は細かくわかりにくい規定等が多いため、実地指導の場において事業者の皆様に十分御理解いただけるよう努めているところでございます。
この度、このように詳細な説明を行うことに努めている中で、御不快な思いをさせてしまったものですが、当該職員を含め監査業務に従事する職員一同、今回の件を重く受け止めまして、今後このようなことがないよう十分に留意いたします。また監査の際には、これまで以上に名札等の身分提示をしっかり行うととともに、丁寧な対応を心掛け、事業者の皆様への指導・説明に努めてまいりたいと思います。

平成23年12月7日



あまりに中身のなさに、再度質問 Edit

 質問は、監査の時どんなことがあり、何を感じたかを具体的に書きました。当然その一つ一つに具体的な回答があるものと思っていました。ところが1ヶ月近くたってきた回答がこれです。一ヶ月もかかってこの程度しか書けないのかと情けなくなりました。
 あらためて質問状を出しました。



質問状第2弾  Edit

 回答、ありがとうございました。あらためていくつか質問します。

1) 苦情申し立てから1ヶ月近くかかったにもかかわらず、何が問題で、問題解決に向けて何をやったのかさっぱり見えない回答でした。それでも監査課が作ったものなので、今後、福祉事業所で利用者さんからスタッフの言葉遣いがあまりにも横柄で不愉快だ、といった苦情が出たとき、苦情解決のモデルとしてぜひ活用させていただきたいと思います。苦情解決のマニュアルに、苦情申し立ての本人宛には、1ヶ月後くらいにこの程度の回答を寄せればいい、と載せておきたいと思います。またあちこち知り合いの福祉事業所にも紹介したいと思います。何か不都合があれば連絡下さい。 


  
2) 回答ではよくわからない項目についての質問です。今回の苦情に対し、監査課の何が問題だったと考えますか?具体的に挙げて下さい。


3) その問題はどうすれば解決できると考えましたか?解決方法を具体的に挙げて下さい。



4) 今回はその問題が解決できましたか?何を持って解決したと結論づけましたか?



5) その評価は誰が行いましたか?身内の方ですか?それとも第三者ですか?



6) 私へのメールは問題が解決したから送られたのでしょうか?それともまだ解決してないのに送られたのでしょうか?はっきりさせてください。



7) まだ解決してないのでしたら、これからどんな取り組みをするのか、きちんと書いてください。



8) 横浜市の監査課からは、苦情解決のために、第三者委員会を設置するように指導がありましたが、県の監査課は今回のような苦情に対応するために、第三者委員会を設置していますか?



9) 苦情は直接相手には言いにくいものです。下手すると報復の嫌がらせがあるかも知れません。今回そのようなことがあった場合は弁護士に相談し、それなりの法的手続きを取る予定でいます。いずれにしても今回のような苦情申し立てをするとき、外部の窓口はないのでしょうか?



10) 苦情は、当事者同士で話し合うのではなく、苦情の内容を第三者が評価し、その第三者が間に立って話し合いを進める方が問題がこじれなくていいと思います。この点に関してはどうお考えでしょうか?



11) 今回監査に来た責任者の名前と肩書きを教えて下さい。記録に残しておきます。



12) また、あの方は自立支援法の本を見ながら、一緒に来た監査課の若い職員に「ここのところはこういう解釈だよな」と確認しながら,指導していました。これが「指導」と言えるのでしょうか?本を見ながらでないと指導できないのでは話になりません。監査課の見解をお聞かせ下さい。



13) 今回回答が来るまで一ヶ月近くかかりましたが、苦情解決に向けての誠意が全く感じられません。しかも一ヶ月近く何やってたんだと思うくらい内容のないものでした(だからあらためて、2〜5の質問をさせていただきました)。監査の事前提出書類の「32 苦情解決」の項目に「苦情に対して、適切に対応していますか。」とありましたが、今回の監査課の対応は「適切な対応」にあたるのでしょうか?



14) 今回回答に「監査指導課長」とだけあって、この回答の責任者の名前がありませんでした。ふつう、こういう文書には名前が入ります。どうして責任者の名前が入らないのでしょうか?

回答は曖昧な一括回答ではなく、番号順に一つ一つ具体的に答えて下さい。
前回、回答をいただくまで一ヶ月近くかかりましたが、時間がかかりすぎです。内容的には2,3日もあれば十分答えられるものです。誠意を持って答えてください。



2週間以上たってようやく回答が  Edit




平成23年12月11日にいただきました「監査課からの回答に対する質問」でございますが、質問項目別に下記のとおり回答いたします。



【質問】 今回の苦情に対し、監査課の何が問題だったと考えますか?具体的に挙げて下さい。



(回答)
  実地指導を行う職員の対応に関するご指摘と受けとめております。



【質問】 その問題はどうすれば解決できると考えましたか?解決方法を具体的に挙げて下さい。



(回答)
  実地指導においては、指導や説明を行う際に、対応いただいた各法人・施設・事業者の方々には不愉快な思いを与えないよう丁寧な対応を行うとともに、簡潔で明快な説明を行うよう心掛けておりますが、改めて実地指導における対応について、課員に十分注意するよう指導いたしました。


 
【質問】 今回はその問題が解決できましたか?何を持って解決したと結論づけましたか?その評価は誰が行いましたか?身内の方ですか?それとも第三者ですか?私へのメールは問題が解決したから送られたのでしょうか?それともまだ解決してないのに送られたのでしょうか?まだ解決してないのでしたら、これからどんな取り組みをするのか、きちんと書いてください。



(回答)
  平成23年12月7日付けの回答は、まずは、非常に不愉快な思いをさせてしまったことに対するお詫びをするとともに、こうした対応が起きてしまったことを重く受け止め、再発することがないよう取り組んでいくことをお伝えさせていただきました。
  今後、こうした問題が生じないようにするためには、日ごろからの注意喚起が重要と考えておりますので、適切な対応を行うよう、引き続き指導してまいります。



【質問】 横浜市の監査課からは、苦情解決のために、第三者委員会を設置するよう指導がありましたが、県の監査課は今回のような苦情に対応するために、第三者委員会を設置していますか?今回のような苦情申し立てをするとき、外部の窓口はないのでしょうか?苦情は、当事者同士で話し合うのではなく、苦情の内容を第三者が評価し、その第三者が間に立って話し合いを進める方が問題がこじれなくいいと思います。この点に関してはどうお考えでしょうか?



(回答)
  苦情申立てに関する第三者委員会等の設置についてですが、神奈川県職員に対する苦情申立ては、県民課に送信していただいております「わたしの提案」フォームメールや県政総合センター内に設置している「県民相談室」、あるいは行政事務監察課の職員考査グループへの情報提供などがございますが、第三者委員会など外部の独立した機関は現在設置されておりません。



【質問】 今回監査に来た責任者の名前と肩書きを教えて下さい。



(回答)
  今回実地指導に従事した職員ですが、安田秀二主任専門員及び越阪部貴史主事の2名でございます。



【質問】 あの方は自立支援法の本を見ながら、一緒に来た監査課の若い職員に「ここのところはこういう解釈だよな」と確認しながら、指導していました。これが「指導」と言えるのでしょうか?本を見ながらでないと指導をできないのでは話になりません。監査課の見解をお聞かせ下さい。



(回答)
  前回の回答とも重複いたしますが、障害者自立支援法は詳細な規定が多く、改正等も頻繁に行われることから、皆様に正確な指導・情報提供を行うため、関係法令集やハンドブック等を現場に携行し、必要に応じて確認しておりますことを御理解いただければと思います。



【質問】 監査の事前提出資料の「32 苦情解決」の項目に「苦情に対して、適切に対応していますか。」とありましたが、今回の監査課の対応は「適切な対応」にあたるのでしょうか?今回回答に「監査指導課長」とだけあって、この回答の責任者の名前がありませんでした。ふつう、こういう文書には名前が入ります。どうして責任者の名前が入らないのでしょうか?回答は曖昧な一括回答ではなく、番号順に一つ一つ具体的に答えて下さい。前回、回答をいただくまで一ヶ月近くかかりましたが、時間がかかりすぎです。内容的には2,3日もあれば十分答えられるものです。誠意を持って答えてください。



(回答)
  前回の回答に時間がかかりましたことをまずお詫び申し上げますとともに、氏名につきましては、責任者氏名を明確にしないという趣旨ではございませんので、今回は明示させていただきます。

以上

平成23年12月28日

 高崎 明 様
神奈川県保健福祉局地域保健福祉部福祉監査指導課長
村松  隆




肝心なところをはぐらかしたような回答なので、またまた質問  Edit




 監査課職員の心ない行為により、とても不愉快な思いをしたので、このコーナーで苦情を申し立てました。苦情に関しては当事者ではない第三者が苦情を評価し、監査課との間に立って苦情を解決するものと思って,このコーナーに投書しましたが、投書は直接監査課に届けられ、監査課から返事が来ました。その後二回ほどやりとりがありましたが、やはり第三者的な部署が間に立った方がいいように思います。



 12月28日にいただいた監査課からの回答はそれなりに評価したいと思いますが、よく見ると12月11日の質問の(1)(13)にあげた項目についての回答がありませんでした。
以下、あらためての質問です。これは監査課だけでなく、監査課を監督する部署へも質問します。



(1)相手に不愉快な思いをさせるような問題を起こした場合は、ふつうは、すぐさま上司が問題を起こした部下を連れて相手先に謝罪に行くものです。メールで謝罪するなど、とんでもないと思います。

 この点に関して監査課および監査課を監督する部署はどのようにお考えですか?



(2)監査の事前提出書類の「32 苦情解決」の項目に「苦情に対して、適切に対応していますか。」とありますが、今回の監査課の対応(当事者にすぐに謝罪をしない。1ヶ月近くたって月並みな謝罪の言葉を並べただけのメールを送る。)は苦情に対して「適切な対応」にあたるのでしょうか?

   YESかNOか、はっきりお答えください。監査課および監査課を監督する部署の回答をお願いします。

    NOの場合はその理由を書いてください。



(3)YESの場合、今回の対応を福祉事業所において、たとえばスタッフの横柄な口の利き方に対して利用者さんから苦情が出た場合の、苦情解決のモデルにしてよろしいでしょうか?



(4)NOの場合、「適切な対応」のできない監査課が,福祉施設の「苦情解決」に関して「指導」などといったことをする資格があると思いますか?



(5)今回いただいた回答の内容がほんとうに実施されたのかどうか確認するために、次回の監査の際にはビデオおよびテープレコーダーによる記録を取らせていただきます。先日の監査の際に同行していた横浜市の職員も横柄な不愉快極まる口の利き方をしていたので、横浜市の監査も同様です。先日の監査の責任者として、どういうことがあってこういうことになったのか、横浜市の方にお伝えください。

  再度不愉快になるような対応をした場合は,記録を元に、今回の回答にあるような指導を行ってなかったものとして、単なる謝罪ではなく、 当事者および責任者の処分を要求します。

 参考までに、日本国憲法第15条第1項では「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。とあります。あらゆる公務員の終局的任免権」が国民にあると、いうわけです。

  ビデオおよびテープレコーダーによる記録を取ることについて、不都合がありましたらその理由を書いてください。



(6)県民に不愉快な思いをさせておきながら,まともに謝りもしない監査課というところは一体どういう感覚を持っているのでしょうか?県民に奉仕するのが仕事のはずの公務員として失格だと思います。
 監査課を監督する部署の見解をお聞かせください。




ぷかぷか日記に今の思いを書きました。(1月9日)  Edit




目から鱗のような意見が来ました。  Edit

事業所からすれば、こんなことをしても、メリットよりも
デメリットの方が多いと考える場合がほとんどと思います。

ですので、今回の高崎さんの行動は大変貴重であり、見習う
べきものと思いました。

私たちも苦情を受けることがありますが、苦情は、単に自分
たちに対する非難ということではなく、改善のアドバイスと
してとらえるべきものと考えています。

神奈川県においても、ここで敢えて高崎さんがモノ申して
いるのは、単なる事業所の損得ではないということをきちん
と認識してくれるといいのですが…。

そして、自分たちに対する単なる非難としてかわすのではなく、
真摯に受け止め、改善の機会としてくださることを切に願います。
自戒の念を込めて。

★苦情を自分たちの「改善のアドバイス」と受け止めるなんて、すばらしい発想だと思いました。こういう発想こそが物事を前に進めるのだと思います。



行政は一緒に仕事をしていく良きパートナーとなるべき…  Edit

質問改訂版も拝読しました。
私には、高崎さんの気持ちがよくわかる内容です。
でも監査の人にとっては、「苦情を言ってきている」という側面だけが伝わって、また表面だけを取り繕うような対応をしてくるかもな、という気がしないでもありません。

そもそも、障がいのある人たちの働く場所や居場所というのは、
彼ら彼女らの生存にかかわることであり、行政が用意するのが当たり前だと思います。
高崎さんのような気持ちのある人たちが、こういう仕事をされているのは、奉仕の側面もあるわけで、そのことに対して税金で補助をするのは当然のことです。
その意味で、高崎さんにとって行政は(そして行政にとって高崎さんたちは)、一緒に仕事をしていく良きパートナーとなるべきはずで、今回のような一方的な「指導」とか「横柄な態度」になるというのは、本当に残念としか言いようがありません。

「設備投資は長机2本だけ」でも同額の補助がもらえるにも関わらず、
彼ら彼女らのより豊かな生活(精神的にも経済的にも)を目指した仕事をされていることに、まずは敬意を示したうえで、現在の制度で、それらの作業所と補助等の差異化が図れないのであれば、そのことを伝えるのが、誇りを持った監査の仕事の仕方だと思います。
更に、現在の制度の不備を改善していこうという「気持ち」さえないのであれば、それこそ税金で高い給料をもらいながら、現場を回っていることの意味は全くないと言わざるをえません。

口を出さずにお金だけ出す、というような甘い話はないということは分かっていても、
高崎さんをここまで怒らせるような態度というのは、どうなのか・・・。
さらに1カ月待たせた対応が、ここまで通り一遍のものというのは・・・、
却って対応しない方がましなほどではないのか・・・。

高崎さんの気持ちの底にあるのは、お金を出せとかいうことではなく、
ご自分の仕事に対するリスペクトなのだということを、
いや、尊敬までいかなくてもいい、パートナーとしての対等な関係なのだということを、
ぜひ理解してほしいと思いました。




心強い応援も  Edit

話がこじれたら県会議員紹介しますよ。




じっと我慢してきた  Edit

監査を受けられた事業所の方々は、監査の権限をもつ
職員に対し、不愉快な思いをしながら、声をあげるこ
とで、仕返しをうけることを恐れて、じっと我慢をさ
れていたのだと思います。




民間なら淘汰  Edit

この問題は、行政という独占的に事業を行う組織の持つ
本質的な問題だと思います。特に監査課という事業者の
命運を握っている立場の権力誇示です。
このため、1ヶ月も放っておいて、しかも通り一遍の回
答を平然と送ってくるという横柄なことが出来る訳です。
民間なら、こんな不愉快な思いをさせられたら、2度と
その会社を選ばないということで、そのような組織は淘
汰されます。




過去の遺物?  Edit

私は、そんな人間に出会うと、
直に、君は人間失格ですね!といってただちにお引き取り願うか、もしくは、即行で胸倉つかんでますね!
そうしてきました!多分、これからも、

最近では、この手は、余り見なくなったんですがね、まだ過去の遺物が生きてましたか!



人権の基礎を体にたたき込む  Edit

 この種のひとたちには、まずは「ぷかぷか」に出向して、高崎さんやメンバーさんに謝罪していただく。そのうえで、しばらく実習生として働いて、人としての基本の振る舞い(作法)について学んでいただくということが必要です。でも、そんな暇はないし、みなさんのほうが疲れますものね。せめて、役所の肩書の誰誰ではなく、「ごめんなさい」と、きちんと詫びをいれること。このことをきっかけに、人としてちゃんと出遇うこと。人を人として尊重するという人権の基礎をカラダに叩きこむこと。そんなことが話し合えたらいいですね。



監査課の課長が謝罪に来ました。  Edit

 1月26日、神奈川県監査課の課長が謝罪に来ました。

 課長から謝罪に伺いたい旨、電話があったとき、問題が起こってから2ヶ月もたって何?という思いもありましたが、それでもこの機会にちゃんと話をした方がいいと思い、受けることにしました。課長自ら謝罪に伺いたいと言ってきたのは、メールによる謝罪だけで済ませようとした2ヶ月前を思えば、すばらしい変わり様だと思いました。もちろん謝罪したからすべて終わり、とされたのでは困ると思いましたが…。

 この機会に話し合うにしても、メールによる課長からの返信は、いかにも役人が書いた、決まり文句を並べただけの文章で、こういう人を相手に話し合いをしても、こちらの言葉はなかなか伝わらないだろうなと、あまり期待していませんでした。

 ところが実際に会って話してみると、私の指摘、提案を謙虚に受け止めてくれ、とても好感の持てる方でした。やはり人は実際に会って話をしてみないとわからないものだと思いました。

 監査を受ける人たちに監査課がどんなふうに受け止められているかをほとんど知らなかった、だから今回の指摘はほんとうにショックだった、と正直に語り、この正直さがいいと思いました。こういう感覚の方が監査課のトップにいるのであれば、監査課にも希望はあると思いました。

 1月9日に書いた「ぷかぷか日記」には、正直なところ、何を書いても伝わらない監査課へのあきらめのようなものがありました。99%あきらめながらも、ここであきらめては何も変わらない、と残り1%に希望を込めて「提案」を書いたのです。

 その提案をこの課長はきちんと聞いてくれ、前向きに検討してくれるようでした。やはり最後まで希望を持って言ってみるものだと思いました。

 課長から訪問の電話があったとき、ホームページのやりとりの記録を苦々しく思って、ひょっとしたら削除を求めてくるのではないかとさえ思っていました。ところが、削除どころか、あれはすばらしい提案として受け止めました、と言い、役人も捨てたもんじゃないと思いました。こういう人が役人の中に入ることは、大きな希望だと思います。

 話し合いのあと、ツンさんの作った20分映画も見てもらいました。「ぷかぷか」のメンバーさん達がいきいきと働いている姿を見てほしいと思ったからです。課長というのは滅多に現場に出ないそうで、現場に出るのはたいてい何か問題が起こったときで、あまり楽しいものではないようですが、今回は「ぷかぷか」の映画で、思ってもみない楽しい時間を過ごさせていただきました、とお礼まで言われてしまいました。

 監査課とのやりとりは半分以上はむなしい思いで書いていましたが、でもそれをきちんと受け止めてくれていた人がいて、こんなにいい話し合いができました。監査課とのやりとりの最初に、「お互い、もう少し前向きの関係、新しいものを生み出すような関係ができれば、福祉の世界にとってもすばらしいことだと思います。」と書いていますが、そんな思いがここへ来てようやく実現した感じがしています。

 課長さん、ほんとうにありがとうございました!これからもいいおつきあいができれば、と思っています。近いうちにツンさんの作った映画のDVD送ります。ぜひみなさんで見てください。




監査は事業所の良さや、ビジョンを評価するものに  Edit

いい結果でよかったですね。
高崎さんの指摘以降、監査をうけた事業所は
聞いていたほどひどい監査でなかったと言ってました。
監査は、粗探しでなく、事業所の良さや、ビジョンを評価するものに
なるべきだと思います。
その意味では、行政の姿勢は根本的には変わっていないのだろうけれども
いつか、行政と事業所が真の意味での協働が出来るよう
僕自身も勉強しようと思っています。




現場の声を真摯に聞いてくれた  Edit

彼ら自身が実際の現場の声を真摯に聞いてくれたこと、
素直に評価したいと思います。
今後も良き関係でいたいですね。



障害のある人たちの(ひいては障害のない人たちの)豊かな地域生活を実現するために  Edit

監査課の課長さんが謝罪に来られ、有意義な話し合いができたようで
ほんとうに良かったですね。

今回のような結果が生まれたのは、まずは高崎さんが単なる非難・中傷
ではなく、相手に対して質問という形で粘り強く呼びかけられたからだ
と思います。

そして、いくらこちらが呼びかけても、相手が聞く耳や姿勢をもっていなければその声は届きませんので、今回監査課の方が、その呼びかけに
呼応してくださったことは、大袈裟かもしれませんが奇跡と思います。

基本、人間のすることですので、お互い完全ということはありません。
不完全な者同士が、補いあい助け合うことが大切だと思います。

これからも、どちらか一方が正しくて、どちらかが一方的に指導するのではなく、障害のある人たちの(ひいては障害のない人たちの)豊かな地域生活を実現するために、私達市民と行政が、協働していく必要があると思います。

もちろん、今回のことは、これでめでたしめでたしではなく、むしろ、先ほど書いた地域生活を実現するという長い道のり・旅路のスタートなんだと思います。

長い道のりですので、たくさんの人とともに歩み、助け合っていくことが大切ですね。

これから、さらに素敵な旅路のご報告を期待しております。




ご意見下さい。メール  Edit

社会にはいろんな人がいた方が…

地元霧が丘社会福祉協議会の主催で「障がいのある人たちと一緒に生きる意味」と題した講演会をやりました。
 以下、話の概要です。
 
 養護学校に勤めて障がいのある子どもたちと初めて出会ったのですが、クレヨンをボリボリかじってしまったり、頭をぼかすかたたいたり、ひたすら泣き叫んだり、すごい子どもたちを前にどう対応していいかわからず、おろおろするばかりでした。でも、よ~くつきあってみると、どこかほっとするような雰囲気を持っていて、めっちゃくちゃ楽しくて、なんともいえない人としての魅力を持っていることがだんだんわかってきました。

 いつもふんぞり返っていて、社長と呼ばれる子どもがいました。しょっちゅうお漏らしするせいもありましたが、とにかく気がつくとパンツを脱いで、天気のいい日は芝生の上で大の字になって寝転び、実に気持ちよさそうにしていました。みっともないからパンツくらいはきなさい!等と注意するくらいでいうことを聞くような子どもではありません。でも毎日のようにそんなことを繰り返していると、あたたかな芝生の上でパンツを脱いで大の字になって寝っ転がっている社長の方が、そのときそのときを気持ちよく生きているのではないか、と思えるようになってきたのです。

 もちろん社長が正しいわけではありません。でも社長と私とどっちがそのときいい顔をしているかといえば、社長の方が何倍もいい顔をしているのです。このことに気がついたときからです。ふつうはパンツははいているものですが、パンツを脱いでしまう子どもがいたっていいじゃないか、って思えるようになったのは。

 そう思えるようになると、自分の中の「人間」の幅が少しずつ広がってきました。人間の見方が変わってきたのです。どんな人でも受け入れることができるというか、そういう人がいてもいいよな、とふんわり相手を受け入れられるようになってきたのです。

 「規範」というものにとらわれない生き方もその子どもに教わった気がしています。こういうことはするものじゃないとか、やっちゃあいけないといった「規範」は自分を縛っています。その「規範」から少しずつ私自身が自由になっていったのです。生きることが、なんだかとても楽になりました。肩の力が抜けたというか、そんな感じです。

 楽しくて、なんともいえない魅力あふれる彼らと毎日におつきあいしているうちに、人間ていいな、って素直に思えるようになりました。自分の気持ちのままに生きている彼らとつきあっていると、私自身、生きることに力みがなくなって、心も体もなんだかとても楽になっていったのです。

 そしてこんな人たちとずっといっしょに生きていきたいな、と思うようになったのでした。

 こんな素敵な人たちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、武蔵野の原っぱまで連れて行っていろんな人たちといっしょに遊んだりしました。子どもたちの中に障がいのある子どもたちが入ることで、子どもたち自身が遊び方を工夫したりして、すばらしい仲間になりました。

 遊ぶだけでは物足りなくて、生活クラブのお店の前の駐車場で開かれていた「あおぞら市」に養護学校の生徒たちといっしょに手打ちうどんのお店を出したりしました。ただのうどん屋を出しただけなのに、いろんなことが自由にできる広場になっていました。彼らがそこにいることで生まれる、気持ちがふっと優しくなったりする雰囲気、なんともおかしかったりする雰囲気、お互いのつきあいに無理がない雰囲気。それらが「あおぞら市」全体をほっと安らぐ,自由な広場にしていたように思います。

 彼らが街の中にいることの意味を、このあおぞら市のうどん屋は誰もが納得する形で表現していたように思います。養護学校のような閉じた場所に閉じ込めておくのではなく、街の中にどんどん出ていった方がいいと、あらためて思いました。

 私たち自身が日常より少し自由になれる演劇ワークショップの場で彼らと出会ってみたいと思い、劇団黒色テントの役者さんたちに手伝ってもらい、地域の人たちといっしょに演劇ワークショップを始めました。
 みんなで簡単なお芝居を作るのですが、発想の違う人、強烈な存在感のある人、素直に文句を言う人たちといっしょにやるワークショップは思ってもみないはちゃめちゃな展開を見せてくれました。

 自分の好きなぬいぐるみを作り、それを元にお話を立ち上げていくワークショップでは,「海のぬいぐるみ」を作った人がいて、これには本当に驚きました。
ぬいぐるみといえば、ほとんどの人は丸いものをイメージするのですが、「海のぬいぐるみ」などというのは、全く思いつかないものでした。「海のぬいぐるみ」なんてできるんだろうかと考えるより先に、当たり前のように海の絵をまず描いて、それを2枚貼り合わせて「海のぬいぐるみ」をささっと作ってしまったのです。お芝居の中の海岸のシーン。「海のぬいぐるみ」を抱えて、ザザザ~ン,ザザザ~ン、といいながら行ったり来たりしていました。
 このときほど、発想の違う人たちが一緒にいることの楽しさ、おもしろさ、できあがってくるものの幅の広さを思ったことはありませんでした。そういう人たちがいたからこそ、瀬谷のワークショップはすばらしい作品を生み出したのだと思います。

 最初の頃は障がいのある人たちを支援するような思いで地域の人たちが集まったのですが、何回かやっていくうちに、彼らがいるからおもしろいワークショップができ、だから地域の人たちが集まってくる、つまり、支えられているのは私たちの側なんだと言うことがはっきりわかってきました。

 あれができない、これができない、と切り捨てられてきた彼らと、「あんたがいないと困る」という関係ができたことは実に痛快でした。障がいのある人たちとの新しい関係です。彼らといっしょにやった方が楽しい、彼らといっしょにやった方がおもしろいものが生まれる、といったことをみんなで実感したのでした。これはそのまま「いっしょに生きていった方がいいよ」ということにつながっていきました。

 退職後、どうするかを考えたとき、障がいのある人たちといっしょに生きていきたいと思っていたこと、趣味で20年くらい自家製天然酵母でパンを作っていたことをあわせて彼らといっしょにパン屋を始めることにしました。
 
 街の人たちにパン屋で彼らといい出会いをしてほしいと思いました。おいしいパンといっしょに、何かあたたかいものを持って帰るようなパン屋にな
れたらいいなと思っていました。そして、彼らが働くパン屋が街の中にあると、なんだかほっとしますね、って思ってくれる人が少しずつ増えてくれれば、と思っていました。
 
 ところが実際に始めて見ると、パン屋の店先での呼び込みの声がうるさいと苦情の電話が入ったり、店の前を行ったり来たりする人がいて落ち着いて食事ができない、と苦情を言われたり、半年くらいは本当に毎日が針のむしろのようでした。

 それでも1年たち、2年たちするうちに、少しずつ地域になじみ、今は障がいのある人たちの働くお店として、地域社会にしっかり溶け込んだ感じがしています。あたたかい、ほっとした雰囲気がいいとか、接客の一生懸命さがいいとか、嬉しい声がたくさん寄せられます。

 障がいのある人たちといっしょに働くのは、それなりに大変な部分もあります。それでも彼らがいないと、「ぷかぷか」は気の抜けたビールのようになってしまいます。彼らのために立ち上げたお店ですが、今は彼らがいないと困るお店になっています。彼らといっしょの方がいいね、という思いをスタッフみんなで共有できるまでになりました。

 「ぷかぷか」は障がいのある人たちの就労支援をやっています。その福祉サービスの報酬とパンの収入で運営しています。変な話ですが、パン屋をやめて、福祉事業所によくあるボールペンの組み立てとか、割り箸の袋詰めなどの仕事をやった方がお金は儲かるのです。そういう仕事なら長机が4,5台あればできます。「ぷかぷか」のような莫大な設備投資のお金はいりません。スタッフも4,5人もいれば十分仕事を回していけます。「ぷかぷか」には現在15人のスタッフがいます。そういったことを考えると、パン屋をやめた方がいいことになります。

 でも、パン屋はやめません。利用者さんが仕事を本当に楽しんでやっているからです。仕事が楽しいと毎日は充実し、人生が充実します。日々成長していきます。介護給付の認定調査があったとき、介護の度合いが前回の調査の時よりも大幅に下がり、ケースワーカーさんがびっくりしたこともあります。「以前はいつも下を向いていましたが、今はまっすぐ前を向いて生きています」と本人は言っていましたが、これにはびっくりしました。仕事がここまで人を変えるとは思ってもみませんでした。ボールペンの組み立てやら割り箸の袋詰めでは、こういったことはまずあり得ないでしょう。もうけが少なくても、パン屋はやめられないのです。

 瀬谷区役所には毎週木曜日に外販に行っています。最初の頃は5,000円くらいの売り上げでした。それが最近は20,000円から35,000円もあります。パンがおいしいこともありますが、スタッフだけで売っていたのでは、こんなに売り上げは伸びません。やっぱり利用者さんといっしょに売っているから売り上げが伸びたのです。お客さんたちは毎週木曜日をものすごく楽しみにしています。彼らのにぎやかな声が聞こえると「あ!来た来た!」とわくわくするそうです。楽しい、癒やされる、優しい気持ちになれる…
 区役所との打ち合わせではパンの外販だけのつもりでしたが、それをはるかに超えるものがうまれたのです。彼らとの出会いから生まれたわくわくするような関係こそ、地域の中でもっともっと広げていきたいと思うのです。

 障がいのある人たちの社会的生きにくさは、彼ら自身の問題というより、「できる」「できない」で人の価値を決めてしまう。私たち自身の価値観の問題であるように思います。そういう価値観では計りきれない魅力を人間は持っていることを彼らは教えてくれました。その魅力を見落としてしまうのは、社会にとって大きな損失であるように思います。

 私たち自身、そういった価値観から自由になれば、もっと楽に生きられる気がします。養護学校の子どもたちと出会って、一番大きく変わったのは、自分を縛っていた価値観から自由になり、生きることが楽になったことです。人生が楽しくなった、そんな気がしました。

 障がいのある人たちが生きにくい社会は、私たちもまた生きにくい社会だと思います。自分たちと違う人間を排除するのではなくて、違った人たちがいた方が社会の幅が広がり、豊かになる、という視点を持ちたいと思うのです。

 地域社会にはいろんな人たちがいた方が,社会が豊かになる、そんなふうに私は思います。

みんなで盛り上がっています

 今年の「ぷかぷか」,大きな事故もなく、無事1年を過ごすことができ、ほっとしています。
 大きな出来事としては11月に初めてみんなで旅行に行ったことでしょうか。1泊2日で千葉の「鴨川シーワールド」と「マザー牧場」に行きました。きわめてオーソドックスなコースですが、それでも利用者さんにとってはわくわくする楽しい旅行だったようです。一番よかったことは旅行に行ったことで、「ぷかぷか」のみんながひとつにまとまった、と感じられるようになったことです。仕事も含め、「ぷかぷか」が楽しい、とみんなが感じてくれていることです。

 帰りのバスの中で一人一人感想を聞いたとき、何人もの利用者さんが「来週からまた仕事がんばりたいと思います」と元気よくいってくれました。私なんかは旅行が終わるとまた仕事だ、と何となく気が重くなったりするのですが、彼らのこの元気の良さはなんなんだろうと思ったりしました。

 実際、旅行から帰ったあとは、旅行に行く前より、もっと気持ちが前向きになっているように思います。外販に行ってパンが全部売れたときの喜びようは、今まで以上のものがあります。しかもその喜びを外販に行かなかった人たちも共有しています。

 カレーパンにしてもカルツォーネにしても、その具材作りはたくさんの利用者さんが関わっています。「ぷかぷか工房」で野菜を刻む人、肉を細かく切る人、それを「ぷかぷかカフェ」まで運ぶ人、フライパンで炒める人、冷ました具材を50g単位でラップに包む人、それをパン厨房に運ぶ人、カレーパンを揚げる人、できあがったパンを袋に入れる人、ラベルを出す人、ラベルを貼る人、数を数えて外販に持って行くばんじゅうにならべる人、ばんじゅうを車に積む人、外販先で、パンのおすすめをする人、計算する人、おつりを渡す人、袋に詰める人などなど、とにかくみんなで作ったパンをみんなで売り切ったときの喜びが最近はすごいなと感じるのです。

 それはそのまま仕事の喜びであり、毎日が充実している、ということでしょう。そういう仕事を利用者さんに提供できたこと、そのことが今年の大きな成果ではなかったかと思います。

 以前、ぷかぷかで仕事をすることで介護の度合いがぐんと減って、聞き取りをしたケースワーカーさんをびっくりさせた話を書きましたが、そういったことが利用者さんみんなに起こっているのではないかと思います。これから利用者さんがどんなふうに変わっていくのか、楽しみなところです。

 ホームページは
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/

半年ぶりに再開のパン教室

計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。
 「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。

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