ぷかぷか日記

アートの先に

 ある養護学校にぷかぷかアート部門の説明に行きました。たまたまそこに昔ワークショップを一緒にやっていたイデグチくんを知っている教員がいて、あの人は本当に楽しい人だったね、という話になりました。

 ワークショップの進行役をやっていた黒テントの役者ものけぞるほどの存在感があり、芝居の役者がいくら稽古を積んでも到達できない立ち居振る舞いを、ごく自然にやってのけていて、とにかくなんともいえないおもしろみのある人でした。ワークショップという場にとっては、本当に欠かせない存在でした。

 こういう人とはいっしょに生きていった方が「得!」という気持ちは、彼のような存在が育ててくれたように思います。

 彼が動く、話す、黙る、すべてがそのまま舞台になり、そのままアートだった気がします。そんなすばらしい存在が、実際の世間ではほとんど認められない、というか、彼の存在価値が生かせない現実世界がなんとも寂しい気がしました。

 アート部門の先には、彼のような存在もしっかり認められるような世界を創り出したい、という思いがあります。

 

 

 

物語が生まれそうなアート商品

利用者さんが作った織物を使ってかわいい人形を作しました。ホームページにアップするための写真を公園の草の上で撮ったところ、そこから物語が生まれそうな写真が撮れました。ホームページにも載っていますので、どうぞご覧下さい。

物語を発信するパン屋

 ぷかぷかの本の“前書き”ができました。

 

物語を発信するパン屋

   2010年4月、霧ヶ丘の街に障がいのある人たちの働くパン屋ができました。「カフェベーカリーぷかぷか」というパン屋です。国産小麦、天然酵母を使ったおいしいパンを焼いています。

   パン屋は、利用者さんとの楽しい会話がひっきりなしに飛び交い、笑いが絶えません。レジのそばにはいつも一人ごとを言っている人がいます。時々厨房から飛び出してきて、「兄弟いますか?」「弟ですか?妹ですか?」なんて、お客さんに聞く人もいます。とにかくにぎやかで、それでいて、どこかあたたかい雰囲気のパン屋です。

   お客さんは、そんなお店にやってきて、おいしいパンと一緒に、心がぽっとあたたまるようなお土産を持って帰ります。ただのパン屋ではこんなことはありません。

   もともとこのパン屋は障がいのある人たちに惚れ込んでしまった高崎が、「彼らといっしょに生きていきたい」という思いで、退職金をはたいて作り、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「いっしょに生きていった方が“得!”」というメッセージを、パン屋のあらゆるところから発信しています。パン屋はですから、メッセージそのものであり、思いのこもった物語になります。

   お客さんはおいしいパンと一緒に、その心あたたまる物語をお土産にします。そうやってパン屋の物語は地域の中に少しずつ広がっていきます。その物語をこの本では書いてみたいと思います。

  一個のパンを買うことから始まる素敵な物語です。

 

  障がいのある人たちはいやだ

  口にはしないものの、障がいのある人たちのことを何となくいやだな、と思っている人は多いと思います。障害者施設の建設に関して、反対運動が起きることさえあります。とても悲しいことですが、これが障がいのある人たちの置かれた状況だろうと思います。

  これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題だと思います。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれます。こういう印象が彼らを地域から排除してしまいます。

   彼らを排除する意識は、彼らの社会的生きにくさを生みます。彼らの生きにくい社会、他人の痛みを想像できない社会、異質なものを排除してしまう社会は、やはり誰にとっても生きにくい社会だろうと思います。これはお互いにとって不幸なことです。

   逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会だろうと思います。そういう社会はどうやったらできるのか。その問いへの一つの答が街の中に障がいのある人たちのパン屋を作ることでした。

 

 パン屋は“出会い”の場

 

  障がいのある人たちのパン屋を街の中に作ることで、街の人たちと彼らがいい“出会い”をしてくれるといいなと思っていました。相手を知ること、そこが始まりです。

   パンを買う、という日常に中に、当たり前のように障がいのある人たちがいるということ、このことが大事だと思います。イベントなどの非日常の世界ではなく、毎日の暮らしの中で、当たり前のように彼らがいること。これがいつか、彼らがいて当たり前、というふうにみんなが思えるようになれば、社会は確実に変わって行くと思います。

  そんな思いで街の中に障がいのある人たちの働くパン屋を作りました。

 

 

 養護学校の卒業生がこの10年で2倍に

   養護学校に入学する生徒が増え、卒業生はこの10年で約2倍になりました。(横浜市の場合、平成15年度の卒業生は301人、平成25年度は677人)    

   学校にいる間は人数の減った高校の空き教室を使ったりして何とか対応できますが、卒業後の行き場は、そう簡単に増やすことはできません。特に卒業生の約7割を受け入れる福祉事業所はどこもパンパンにふくれあがっていると思います。行政が何らかの手を打たないと、いずれはどこにも行くところがない卒業生が巷にあふれることになります。

  そんな中で彼らが働くパン屋を始めたのでした。養護学校にいる頃は、この生徒増加の問題でいろいろ議論がありました。でもいくら議論しても状況が変わるわけではありません。ああだこうだの議論よりも、具体的に卒業生の働く場を作ることが大事、と退職金を使ってパン屋を立ち上げたのでした。

 

 四つの夢物語が…

   パン屋は、障がいのある人たちといっしょに生きていきたい、という思い、卒業生の働く場を作りたい、という思い、街の人たちと彼らが気持ちよく出会って欲しい、という思い、そういった出会いを積み重ね、お互いが気持ちよく生きていける街を作りたいという思い、そういう四つの夢物語を形にする場として街の中に立ち上がったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

物語が始まる

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 「ぷかぷか」の本を書こうと思って、今準備しています。

 障がいのある人たちの働く場が街の中にできると、素敵な物語が始まる、といった感じの本です。

 「ぷかぷか」は、ただ単に障がいのある人たちの働く場、ではありません。国産小麦、天然酵母のおいしいパンを売るだけのお店でもありません。二つの要素が組み合わさることで、新しい意味と広がりが生まれた気がしています。

 パン屋では笑い声が絶えません。利用者さんとの楽しい会話がひっきりなしに飛び交うからです。パン屋のレジのそばにはいつも独り言をぶつぶつ言っている人がいます。厨房から出てきて、いきなり「兄弟はいますか?」なんて、お客さんに聞いたりする人もいます。なんともうるさいパン屋ですが、なんともいえないあたたかな雰囲気があります。

 お客さんはおいしいパンと一緒に、そんなあたたかさを持って帰ります。パンを買いに来たはずなのに、心がぽっとあたたかくなって、ちょっといい気分で帰ることになるのです。ただのパン屋ならこんなことはありません。そこに「ぷかぷか」が街の中に存在する意味があります。

 ちょっといい気分で帰るお客さんが増えると、地域社会が少しずつ変わってきます。どちらかといえば、障がいのある人たちを地域社会から排除する目線が、多分、少し和らぎます。

 物語はまだ始まったばかりです。

 

 

 

一石三鳥

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 養護学校の卒業生がこの10年で2倍になったという新聞記事を見ました。そんなに増えたら、卒業生の行き場がなくなってしまいます。

 県立の養護学校では生徒数の減った県立高校の空き教室を養護学校の分教室として使い、なんとか生徒の増加をしのいでいますが、卒業後の行き場については、そんなに簡単にはいきません。

 卒業生の約7割は福祉事業所が引き受けていて、おそらくどこも満杯状態だろうと思います。行政がこの問題を解決するためにお金を出した、という話も聞きません。

 そういった中でのぷかぷかの開設でしたが、街の中に彼らの働くパン屋を作ることは「一石三鳥」の意味があったと今思っています。

 一つは彼らの働く場が、わずか10人ではあったのですが(今は20人)、とにかく一つできたこと。もう一つは、彼らと街の人たちがパン屋で出会い、街の人たちが少しずつ変わってきたこと。言い換えれば彼らを受け入れることで、彼らの社会的生きにくさが、ほんの少しですが解消する方向に動いた、ということ。三つ目は、そういう方向に街が変わっていくことで、お互いが、ほんの少しですが、生きやすい街に変わっていった、ということです。

 街の中の一軒のパン屋は三つの新しい物語を作ったことになります。まだまだ物語は始まったばかりですが…

アート商品

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 アート商品の試作品ができました。折り紙の得意な利用者さんがいるので、小さな鶴を追ってもらい、それを樹脂で固め、ピアスを作ってみました。なかなかいい感じです。利用者さんの書いた絵を縮小してプラバンに転写し、オーブントースターで焼いて作ったピアスもおもしろい商品になりました。近くに女子大が2校もあるので、そこの生徒たちに売り込む予定です。

 

ズーラシア

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 みんなでズーラシアに行きました。スタッフの子どもも一緒だったので、利用者さんたちは交代で子どもたちの面倒を見ていました。そういうおつきあいがいいなと思います。

 以前は余暇支援の時も仕事なので、スタッフの子どもは連れてこないということにしていました。でも、それはやめることにしました。子どもを連れてくることで、子どもたちが障がいのある人たちとおつきあいをしてくれるなら、それは社会にとって、とても意味のあることではないかと考えたからです。

 子どもたちは未来を担います。そんな子どもたちが、障がいのある人たちと、ごく当たり前のようにつきあってくれて、そういう感覚を身につけた子どもたちが、未来を作ってくれるなら、これはすばらしことではないかと思うのです。ぷかぷかの思いを子どもたちに託す、というわけです。ぷかぷかのメッセージがこういう形で社会に広がっていくって、考えただけでわくわくします。

 ふだんの仕事中もスタッフの子どもたちがしょっちゅうお店に立ち寄ります。いつもいつも大歓迎です。

 

 

 

仕事が楽しいと…

 

 養護学校の進路担当者が見学に来ました。

 養護学校で働いていた頃、校内実習というのがあって、大概はペットボトルのふたを数えたり、教材のセットを作ったり、の単純作業をやっていました。単純作業なので、大概の人は2,3日やると飽きてしまいます。飽きてもこれは仕事なんだからちゃんとやりなさい、などといっていましたが、今から思うとずいぶん無茶なことをいっていたなと思います。

 おもしろくもない仕事を、仕事だからちゃんとやりなさい、というのは考えてみれば、かなり無理があります。恥ずかしい話、当時は私自身が仕事というのはおもしろくなくてもやるものだと思っていました。それが仕事というものだと。

 それは違う!と教えてくれたのは「ぷかぷか」の利用者さんでした。「ぷかぷか」を始めて2年くらいたった頃、ミイさんの介護認定調査がありました。ケースワーカーさんが、いろいろ質問し、どの程度の介護が必要か調べます。4年前は何やるにも介護が必要だったそうですが、今回の調査では自分でできることがケースワーカーさんもびっくりするくらい増えていました。ミイさんの言葉を借りると

 「以前はいつもうつむいて生きていましたが、今はまっすぐ前を向いて生きています」

 ミイさんはクッキー作りを任されています。仕事を任されることは、仕事に対する責任があるということで、その責任故に、仕事を無事終えたときはすばらしい達成感があります。達成感は更にやる気を起こします。どんどん自分で仕事をこなすようになります。自分でできることが自然に増え、介護の度合いが自然に減ったということでしょう。

 「ぷかぷか」に来る前は作業所にいたので、仕事に緊張感とか責任といったものもなく、のんびりはしていても、彼女にとっては日々の充実感もなく、うつむいて生きるような毎日だったようです。

 「今はまっすぐ前を向いて生きています」の言葉には、本当にびっくりしてしまいました。目が覚めた、といってもいいくらいでした。仕事が楽しくて、毎日が充実すると、こんな素敵な言葉が出てくるのか、と感動してしまいました。

 「ぷかぷか」では毎日帰りの会で「いい一日でしたか?」と聞きます。仕事に達成感があれば、いい一日になりますが、仕事がつまらないと、つまらない一日になってしまいます。かけがえのない今日という一日を「いい一日だったね」ってお互い言い合って過ごしたいと思うのです。

 

 そんな話を見学に来た進路担当者に話しました。私自身のかつての貧しい仕事観も話しました。つまらない仕事でも、仕事は我慢してやるものだ、という仕事観で仕事を体験し、仕事ってこういうものだ、と思い込んでしまうとしたら、養護学校を卒業して社会に出て行くとき、仕事に対して何の期待も持てなくて、寂しい社会人になってしまいます。ですから養護学校でやる実習は、生徒が本当に楽しいと思える仕事をやってほしい、仕事って楽しいんだっていう発見をして欲しい、そして卒業して社会に出て行くとき、さぁこれから仕事だ!ってわくわくするような気持ちで飛び込んでいって欲しい、といったことを話しました。

 

旅行

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 土、日で山梨方面に一泊旅行に行ってきました。

 ツンさんは映画を作るためにカメラをしょっちゅう回していました(ツンさんについてはホームページ「ぷかぷかパン」の「ツンさんの映画」のタグをクリックすると詳しく載っています)。昨年の旅行もカメラを回していたので、完成したときどんな映画かとわくわくしながら見たのですが、暗い感じの画面が延々続き、音楽もそれに合った音楽で、利用者さんには「何、この暗い映画は…」ときわめて不評でした。

 旅行の記録映画であれば、普通はみんなの楽しかった思い出がいっぱい詰まった映画、というイメージだと思うのですが、ツンさんの作った映画は、そんな楽しい場面はひとつもありませんでした。

 といってつまらない映画だったかというと、そうでもなく、「旅行の記録映画」として見なければ、映像の切り取り方といい、音楽の使い方といい、とても心地のいい映画だったと思うのです。お母さんはツンさんの心象風景だと思ってみて下さいとおっしゃっていました。

 ツンさんは重症のうつ病を抱えています。ぷかぷかに来る前は何年も家に引きこもっていました。いろいろ思うことはあっても、体と心が思うように動かず、調子が悪いときは壁に頭をがんがんぶつけていたといいます。お母さんはただ背中をさすってやることしかできなかったとおっしゃっていました。

 たまたまお父さんがやっているブルーベリーの畑に利用者さんと一緒にブルーベリー狩りに行ったとき、ツンさんのことを聞き、どうしていいかわからなくて困っているという話だったので

 「じゃあ、ぷかぷかに来てみたら」

とさそったのがきっかけで、以来週3日、ぷかぷかで働くようになりました。一日2時間ぐらいから始まって、少しずつ働く時間を延ばしていきました。

 あるときみんなで「借りぐらしのアリエッティ」というアニメを見たことがありました。その時、ツンさん曰く

 「これはカメラアングルがいいですね」

 アニメでカメラアングルがいい、というのは、そういうアングルで撮っているように絵を描いているわけですが、そのカメラアングルがいい、とぼそんと言ったのでした。

 その感想を皮切りに、レイアウトがすばらしいとか、コマ数がどうとか、振り向いたときの絵はどうなるとか、夢中で語り出したのでした。映像オタクという感じがしないでもなかったのですが、ひょっとしたら天才かも知れないし、ものは試しとアマゾンで一番安いビデオカメラを買い、一週間後にあった運動会を撮ってもらったのでした。

 初めてビデオカメラを持った、といっていましたので、カメラの構え方はいかにも素人、という感じで、これはあまり期待できないなと思っていました。

 ところが2,3日して、できました、といって持ってきた映像を見てびっくり。どうしようもなくだらだらした運動会が、コンパクトな映画としてまとまっていたのでした。続けて3本くらい作ったのですが、どれもこれもすばらしいできで、知り合いの映画監督に見せたところ、「これは天才の発見だ」と大絶賛。区役所新庁舎のお披露目という退屈きわまりないイベントの記録に吉田拓郎の歌をかぶせ、その時はツンさんの思いがビリビリ伝わってきて、涙が流れてしまったこともありました。

  私は今日まで生きてみました

  そして今私は思っています

  明日からもこうして生きて行くだろうと

 自分の思いを表現する方法はこれだ!というツンさんの宣言のようなものを感じたのでした。

 知り合いの映画監督の紹介で、東京であった「メイシネマ映画祭」で招待作品として上映されたこともありました。見る人を楽しませようとか、いい映画を作ろう、といった思いが全くなく、ただただ自分の思うままに撮っている、という点が評価された映画祭でした。

 だから去年の旅行の記録映画も、みんなを楽しませるつもりは全くなく、自分の思うままに撮った、ということがよくわかる映画だったのです。

 今年もだからみんなのいい笑顔とかではなく、空や部屋の間仕切りをしきりに撮っていたので、どんな映画に仕上がるのか、今からものすごく楽しみにしています。

 

 

 

 

物語を語り続けること

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 朝日新聞に木皿泉さんのインタビューが載っていました。損得超えた物語を描く力が私たちにも必要なんじゃないか、という話、とても共感しました。

 ぷかぷかは「障がいのある人たちといっしょに生きていこうよ」「いっしょに生きていった方が絶対に得!」というところから出発し、街の真ん中にパン屋とカフェを作り、街の人たちと障がいのある人たちとの出会いを作ってきました。

 障がいのある人もない人もお互いが気持ちよく生きていける社会。それは、まだまだ「物語」かも知れないなと思うようなことがつい最近ありました。ぷかぷかは近々商店街の空き店舗2軒を借りて「アート作品」と「お総菜」を売るお店をはじめます。その計画を聞いて、障害者施設がアメーバーのように広がっていくことが不気味だ、と言った方がいました。がっかりしましたが、こんな風に考えている人はまだまだ多いんじゃないかとも思いました。

 だからこそ、その物語をお店を通して語り続けることが大事だとあらためて思いました。障がいのある人たちと一緒に働き続けること、そのことでさまざまな物語をもっともっと語っていきたいと考えています。

 つい先日、利用者さんの一人が買い物に行く途中、手にもった5000円札を風に飛ばしてしまったときは、八百屋さん夫婦、お掃除のおばさんが一生懸命さがして下さり、その時は見つからなかったものの、あとで交番に誰かが届けてくれていました。そのことを「ぷかぷかしんぶん」(毎月お店のまわりの住宅に2500部配布している。パンの宣伝だけでなく、利用者さんのちょっとしたエピソードも載せ、しんぶんを楽しみにしている人が多い)に書いたら、「感動しました!」という電話がかかってきたりしました。

 いっしょに生きていった方がいいよ、という思い、「物語」は、少しずつですが、地域の中で共感する人が増えているようです。

 

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