ぷかぷかの本の“前書き”ができました。
物語を発信するパン屋
2010年4月、霧ヶ丘の街に障がいのある人たちの働くパン屋ができました。「カフェベーカリーぷかぷか」というパン屋です。国産小麦、天然酵母を使ったおいしいパンを焼いています。
パン屋は、利用者さんとの楽しい会話がひっきりなしに飛び交い、笑いが絶えません。レジのそばにはいつも一人ごとを言っている人がいます。時々厨房から飛び出してきて、「兄弟いますか?」「弟ですか?妹ですか?」なんて、お客さんに聞く人もいます。とにかくにぎやかで、それでいて、どこかあたたかい雰囲気のパン屋です。
お客さんは、そんなお店にやってきて、おいしいパンと一緒に、心がぽっとあたたまるようなお土産を持って帰ります。ただのパン屋ではこんなことはありません。
もともとこのパン屋は障がいのある人たちに惚れ込んでしまった高崎が、「彼らといっしょに生きていきたい」という思いで、退職金をはたいて作り、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「いっしょに生きていった方が“得!”」というメッセージを、パン屋のあらゆるところから発信しています。パン屋はですから、メッセージそのものであり、思いのこもった物語になります。
お客さんはおいしいパンと一緒に、その心あたたまる物語をお土産にします。そうやってパン屋の物語は地域の中に少しずつ広がっていきます。その物語をこの本では書いてみたいと思います。
一個のパンを買うことから始まる素敵な物語です。
障がいのある人たちはいやだ
口にはしないものの、障がいのある人たちのことを何となくいやだな、と思っている人は多いと思います。障害者施設の建設に関して、反対運動が起きることさえあります。とても悲しいことですが、これが障がいのある人たちの置かれた状況だろうと思います。
これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題だと思います。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれます。こういう印象が彼らを地域から排除してしまいます。
彼らを排除する意識は、彼らの社会的生きにくさを生みます。彼らの生きにくい社会、他人の痛みを想像できない社会、異質なものを排除してしまう社会は、やはり誰にとっても生きにくい社会だろうと思います。これはお互いにとって不幸なことです。
逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会だろうと思います。そういう社会はどうやったらできるのか。その問いへの一つの答が街の中に障がいのある人たちのパン屋を作ることでした。
パン屋は“出会い”の場
障がいのある人たちのパン屋を街の中に作ることで、街の人たちと彼らがいい“出会い”をしてくれるといいなと思っていました。相手を知ること、そこが始まりです。
パンを買う、という日常に中に、当たり前のように障がいのある人たちがいるということ、このことが大事だと思います。イベントなどの非日常の世界ではなく、毎日の暮らしの中で、当たり前のように彼らがいること。これがいつか、彼らがいて当たり前、というふうにみんなが思えるようになれば、社会は確実に変わって行くと思います。
そんな思いで街の中に障がいのある人たちの働くパン屋を作りました。
養護学校の卒業生がこの10年で2倍に
養護学校に入学する生徒が増え、卒業生はこの10年で約2倍になりました。(横浜市の場合、平成15年度の卒業生は301人、平成25年度は677人)
学校にいる間は人数の減った高校の空き教室を使ったりして何とか対応できますが、卒業後の行き場は、そう簡単に増やすことはできません。特に卒業生の約7割を受け入れる福祉事業所はどこもパンパンにふくれあがっていると思います。行政が何らかの手を打たないと、いずれはどこにも行くところがない卒業生が巷にあふれることになります。
そんな中で彼らが働くパン屋を始めたのでした。養護学校にいる頃は、この生徒増加の問題でいろいろ議論がありました。でもいくら議論しても状況が変わるわけではありません。ああだこうだの議論よりも、具体的に卒業生の働く場を作ることが大事、と退職金を使ってパン屋を立ち上げたのでした。
四つの夢物語が…
パン屋は、障がいのある人たちといっしょに生きていきたい、という思い、卒業生の働く場を作りたい、という思い、街の人たちと彼らが気持ちよく出会って欲しい、という思い、そういった出会いを積み重ね、お互いが気持ちよく生きていける街を作りたいという思い、そういう四つの夢物語を形にする場として街の中に立ち上がったのでした。