ぷかぷか日記

『街かどのパフォーマンス』在庫あり−3

 昨日学校に『芝居小屋』を作ったことを書きました。これは芝居をやる人、見る人、というふうに分けないで、みんなで一緒になって芝居を楽しむ熱い空間を作り出そうという試みでした。

 『海賊ジェイクがゴンゴンすすむ』は『海賊太っちょジェイク』という絵本を元にした、本番までどうなるかわからない、わくわくハラハラする芝居でした。稽古をするたびにお話がどんどん変わり、小道具、大道具を作ると更に変わってしまい、子どもたちが動き回ると、あ、こういう動きがいい、とまた変わってしまう、実に自由な芝居作りでした。

 海賊のお話なので、模造紙を30枚くらいつないで、フィンガーペインティングで海の絵を描きました。その細長い海の絵を『芝居小屋』の壁をぐるっと一回りするように貼り付けました。部屋の真ん中に座ってぐるっと見回すと、もうそれだけで海の真ん中にいる気分になります。耳を澄ますと「ザザザザ〜ン、ザザザザ〜ン」と波の音が聞こえてきそう。

 そんな雰囲気の中でお客さんに波になってもらいました。

 「ザザザザ〜ン、ザザザザ〜ン」

 お客さんの体が気持ちよさそうに揺れます。何度も何度も繰り返します。波が大きくなったり、小さくなったり。それにあわせて声も体の動きも変わります。日がサンサンと照り、海はきらきらとまぶしい、とか何とかいいながら

「あっ! トビウオ! 」

と叫びます。お客さんの誰かを指さし

「はい、あなた、トビウオです。ピョ〜ンと飛びます。さあ、いいですか。せ〜の、ピョ〜ン」

というと、お客さんはほんとうにピョ〜ンと飛んでしまうのです。そういう雰囲気が「芝居小屋」にはあったのです。

「あっ、今度はイルカだ」

っていうと、イルカになって飛ぶ人がいました。

 そんな中、海賊船が登場し、お芝居が始まります。波や魚をやったお客さんは芝居への集中力が違います。途中、風が吹いてくると、お客さんは風になり、嵐が来て雷が鳴ります。

「ビュ〜ン」「ビユ〜ン」「ピカピカッ!」「ぴか!」「ゴロゴロ!」「ゴロゴロゴロ」「ドッカ〜ン!」

なんとこの芝居40分もあって、役者もお客さんもくったくた、汗びっしょりになって楽しんだのでした。私自身は半年分をいっぺんに生きた気がした、と書いていました。

 

 こんなにも熱気むんむんの空間が学校の中にできたこと、それが子どもも大人もみんなが一緒になって創り出したことがすばらしかったと思います。あれはやはり「ポラーノの広場」だったと、今あらためて思います。みんながあれほど自由になれる空間は、そう簡単に創れるものではありません。何ヶ月もかかって、芝居を創ったり、壊したりしながら、自由な雰囲気を創っていったのだと思います。

 来年4月からまたワークショップを再開しようと思っています。こんな自由な空間が、今度は街の中にできれば、と思っています。ホームページにまたお知らせを載せます。時々チェックしてください。

 

 

『街かどのパフォーマンス』在庫あり−2

 昨日『街角のパフォーマンス』の目次の紹介をしましたが、中身の紹介をします。

 ひとことで言うと、障がいのある人たちとの新しいおつきあい、といったことになるでしょうか。養護学校の教員になり、最初の頃は子どもたちのやることなすことすべて想定外で、どう対応していいかわからず、おろおろする毎日でしたが、それでもよ〜くつきあってみると、心がホッとなごむような素敵な人たちでした。こんな素敵な人たちを養護学校へとじこめておくのはもったいないと、半年ほどたった頃、武蔵野の原っぱまで子どもたちを連れて行きました。そこでたくさんの人たちと出会い、それがすべての始まりでした。「あそぼう会」を立ち上げ、近所の公園であそんだり、「あおぞら市」に養護学校の生徒といっしょにうどん屋を出したり、演劇ワークショップをやったりしました。

 演劇ワークショップは当初、彼らのためにやる、やってあげる、といった意識がどこかにあったのですが、やっていく中で、支えられているのは私たちの側なんだということがだんだん見えてきました。社会の中で排除される側にいる彼らと、あなたがいないと困る、あなたが絶対に必要、といった、社会とは逆方向のベクトルを持つ関係がワークショップの中でできたのでした。

 それと平行して、学校の中でもワークショップの手法を使って、彼らといっしょに芝居を作り始めました。教師が台本を作り、その台本通りに子どもを動かす、といった方法ではなく、子どもたちと一緒に作り、子どもたちといっしょに舞台に立つ、という方法です。発表の場も、ステージではなく、教室を使って「芝居小屋」を作り、お客さんたちといっしょに舞台を作る、そんな発表の場でした。そこに集まる人みんなが、なんだかとても自由になって、宮澤賢治の「ポラーノの広場」のような場が出現したのでした。

 『街角のパフォーマンス』はそういったことの記録です。読んでみる価値はあると思います。

 

クリスマス料理教室

 クリスマス料理教室をやりました。きのこのリゾット、エビグラタン、ポテトサラダ、レンコン団子のスープ、チキンの丸焼き、おからケーキの豪華メニュー。メインイベントはなんといっても【チキンの丸焼きリゾット詰め】でした。

f:id:pukapuka-pan:20131208222432j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208222557j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208222730j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208223040j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208223129j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208223233j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131208223328j:plain

 

 

 

『街角のパフォ−マンス』在庫あり

 太郎次郎社エディタスという会社から、昔出した『街角のパフォ−マンス』という本を電子化していいかという問い合わせがありました。もう絶版になって、世の中から忘れられてるんじゃないかと思っていましたので、この問い合わせは嬉しいものでした。

 太郎次郎社エディタスのホームページを見たら『街角のパフォ−マンス』在庫あり、とありましたので、興味のある方はどうぞお買い求めください。

 http://www.tarojiro.co.jp/product/4015/

  養護学校で働いていた頃書いた本です。30代で、いちばんエネルギッシュに働いていた頃の物語です。目次の見出しを書くと

「ある日街かどににぎやかな舞台が…」「海のぬいぐるみとお獅子のうんこ」「本音をどかんと突き出す」「歌がしんしんとしみた」「アンタっていうセンセイはなんなのさ」「ヘビはネコをかみません」「どうにもお尻がムズムズしだして」「この女のヤロウをとじこめちゃおうぜ」「おまえたちはもう死んでいる」「海賊ジェイクがゴンゴンすすむ」「どうなっちゃうんだろうという不安がたまらない」「お客も役者もくったくた」「ちびくろさんぼがわっほいほい」「お父さんと二人でルンギーはいて」「近所のおばさん、舞台に立つ」「ひゃ〜どうしよう、どうしよう」「がっこうでもやきうやてんの」「黒い筆がベター、ペタッ、ペチャッと踊った」「『みちことオーサ』のめっちゃ楽しい上映運動」「べつに結婚しなくたって、子どもは産めるよ」「新聞投稿『身体障害児の乱暴』の波紋」「どうして電車の中でみんな黙っているんだい?」「教師たちの反応はさっぱり」「お母さんたちの話を聞いて、心が耕されているみたいだった」「あおぞら市にうどんや開店」「街の中にホッとする空間ができて」「机ひとつだけのうどんやではあったけれど」

 あっ、おもしろそう、って思われた方は、ぜひ買ってみて下さい。アマゾンでも手に入るようです。

8分間の胸のときめき

 入院中のしんごっち、自宅での外泊から病院に帰るとき、自分で使っていたスケッチブックをカバンに詰め、大好きな看護師さんに絵を描いてあげるんだー!と張り切って病院へ戻ったそうです。

 胸をわくわくさせながらスケッチブックを鞄に詰め込んでいるしんごっちの姿が目に浮かびます。そんな時間が少しでも長く取れるといいなと思っています。

 前にも書きましたが、しんごっちは給料が出ると横浜川崎間のひと駅だけのグリーン車の旅を楽しんでいました。ひと駅だけ乗るのにわざわざ高いグリーン車に乗る人はまずいません。わずか8分の乗車時間ですから、立ったままでも十分行ける距離です。座ったとしても、ゆったりくつろぐような時間はありません。それでも、そこに750円のグリーン車の代金を払って乗るところに、しんごっちの「人生観」「美学」があるように思うのです。

 横浜から博多までのグリーン車の旅よりも、短い分、もっと濃縮された、わくわくするような贅沢な時間がそこにはあるような気がします。8分間の胸のときめきこそ大事にしたい、というしんごっちの素敵な人生がそこにはあります。

 しんごっちは重い障がいを抱えた人です。生きていく上でいろいろな困難を抱えた人です。それでもそんなことお構いなく、自分の人生をしっかり生きているしんごっちは、生きることの意味をあらためて教えてくれているように思うのです。

 

グリーン車で自撮りしたもの

f:id:pukapuka-pan:20190203160945j:plain

テーブルの上には慎ましくお茶とおにぎり

f:id:pukapuka-pan:20190203161059j:plain

 

 

  

マックを食べ過ぎると女の子になるかも知れないという話

 ケンちゃんは太っています。90キロを少し超えているかも知れません。マックが大好きで、しょっちゅうマックへ立ち寄って、テリヤキバーガーなど食べたりしています。

 あんまり太ると健康に良くないので、下のまぶたの裏側を見て、

「あ、赤くなっていますねぇ、これは糖尿病の初期症状です。糖尿病になると、足が腐ってぼろっと落ちたりします。これはマックが原因です。健康のためにマックはやめた方がいいです」

と、4年前、まだ養護学校の生徒の頃(私が担任をしていました)、まぶたのチェックをやったことが気に入ったのかどうか、今でも毎日のようにまぶたの裏をめくって見せ、

「これは糖尿病ですか?」

と嬉しそうに聞いてきます。(卒業後は他の作業所で働いていましたが、2年前、ぷかぷかにやってきました。)

「ああ、これはまずい!相当進んでいます。この調子で進行すると、朝、おしっこしたはずみに、大事なところが腐ってぼろっと落ちるかも知れません」

「え?大事なところがぼろっと落ちると、女の子になるんですか?」

「そうです。ケンちゃんは女の子になってしまいます」

「スカートはくんですか?」

「そうです」

「ウエディングドレスですか?」

「そうです」

「ウエディングドレスというのはこれですか?」

とスマホの画面をうれしそうに見せてくれたりします。糖尿病になるからマックはやめた方がいい、といったつもりが、全く違う方向へ話が発展していまいました。

 

 

舗装道路に落ちた紅葉は…

 道路に落ちた紅葉があまりにもきれいなので、写真を撮りました。舗装道路に落ちた紅葉は土に帰ることもなく朽ちてしまい、かわいそうな気がしました。

f:id:pukapuka-pan:20131201155408j:plain

 

f:id:pukapuka-pan:20131201155523j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131201155614j:plain

 

f:id:pukapuka-pan:20131201155724j:plain

 

f:id:pukapuka-pan:20131201155841j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131201155955j:plain

「テレビが、み、た、い!!!」「う〜、でも、が、ま、ん、する〜!!!」

 養護学校に勤めていた頃の話です。

 つう君はよく通る声で一人でおしゃべりします。当時、まだ若い工藤静香が大好きでした。なにかにつけ、工藤静香が登場します。学校であれば、別にどうということはないのですが、バスの中でこんなことを言ったこともありました。

「 くどうしずか、パンツ丸見え。いやらしいこといわない!」

 いやらしいこといわない、と付け加えるあたりが、いかにもつう君らしく、笑いが倍になるのですが、それでも、内容的にはちょっと焦ってしまうものでした。

 そんなつう君を引き連れて箱根の「ひと塾」でワークショップをやったことがあります。相変わらずわめいたりひっくり返ったりでなかなか大変なワークショップでしたが、それでも彼は参加者の中では圧倒的に人気がありました。

 みんなで作った芝居のリハーサルがありました。ところがちょうどその時間につう君の好きなテレビ番組があり、「テレビみたい」「でも、がまんする」「テレビみたい!」「今日はがまんする!」と一人でぶつぶつ言ってました。つう君の気持ちの揺れがそのまま出ていて、楽しい一人漫才を見ているようでした。揺れの巾がどんどん大きくなって「テレビが、見たい!!」「でも、がまんする!!」「テレビが、み、た、い!!!」「う〜、でも、が、ま、ん、する〜!!!」と、このくらいになると、もう顔が苦悩にゆがんで、畳の上をのたうち回っていました。そのうち、とうとう限界を超えたみたいで、「ああ、もう、ダメ!!」と大声で叫んで、ダーッとすごい勢いで部屋を飛び出していきました。

 結局、つう君抜きのリハーサルになりましたが、リハーサルの終わった頃、見たかったテレビを見終わったつう君が、すっきりした顔で帰ってきました。自分の気持ちにこんなにも正直な人はそういないよな、と思いました。

 メイクをして本番。つう君は閻魔大王の役で、芝居の最後を締める主役です。その主役が肝心なところで、舞台の真ん中でわーわー叫びながらひっくり返ってしまい、ハラハラしましたが、それはそれで迫力ある閻魔大王になってしまうあたりが、つう君のすばらしい才能だと思いました。

 何日か後に、ワークショップの参加者の一人から電話がありました。

「今度東京でワークショップやります。ぜひつう君はじめ、養護学校の生徒たちを連れてきて下さい。今までいろんなワークショップやりましたが、彼らといっしょにやったワークショップがいちばんおもしろいと思いました。ぜひ来て下さい」

 ワークショップをやる時間が夜なので、

 「彼らを誘っていくのは無理です」

といったのですが、彼らを送り迎えする車を出してもいい、とまでいいました。

 彼らといっしょにワークショップをやって、そこまで惚れ込んだ人が現れたことに、感動してしまいました。ワークショップの場というのは、つう君はじめ、養護学校の生徒たちの魅力が、日常の世界よりも、もっとよく感じ取れるのだろうと思います。

 来年はぜひそんな楽しいワークショップをやってみたいと思っています。ホームページにお知らせを載せますので、時々チェックして下さい。ホームページは「ぷかぷかパン」→「検索」

 

 

 

しんごっちのように生きていければ 世界はもっと幸せに

お客さんのひとりが 

「今まで、ぷかぷかの人たちって、なにかをやってあげる対象でしか考えていなかったんだけど、しんごっちのお話読んでいるうちに、そうじゃないことに気がついたんだよね」

 っていいました。

「どうしてそんなふうに思うようになったんですか?」

と聞くと、

 その方からメールが来ました。

 

《 ぷかぷかさんの色々な活動に参加していくことを通して

 私は、ぷかぷかのメンバーさんたちの中にいる居心地の良さみたいなものを感じて

どんどんぷかぷかさんが大好きになっていきました。

この人達がいる世界って素敵だなと感じるようになってきました。

私たちが少し手助けをするだけで、この人達がこの街で楽しく過ごして行けるなら

みんなが、この人達を手助けしてくれるなら

すごく素敵な世界になるのになぁなんて思っていました。

 

その気持ちは今でも変わらないのですけれど。

 

しんごっちについてのブログを読んでいるうちに

私の中でしんごっちはいつの間にか、私たちがただ手助けをするだけの人では

なくなっていました。

 

病院に付きそうお母さんを心配して「もう帰っていいよ。」と言うしんごっち。

子どもに電車の展開図を書いてあげるしんごっち。

頭にかぶっているネットを顔全体に引き伸ばして看護婦さんを笑わせるしんごっち。

大好きな電車の模型をもらってVサインをするしんごっち。

お給料をもらって短いグリーン車の旅を楽しむしんごっち。

 

そんなしんごっちの話を読んでいるうちに

いつの間にかしんごっちは、ごく普通の青年になって

すっくと私の中で立ち上がったのです。

いきいきと自分の世界を持ち、人生を誰よりも楽しんでいる一人の青年です。

障害があったって、そんなこと関係ない。

手助けが必要だって、そんなこと関係ない。

そんな風に感じたのです。

 

例え障害があったとしても、無かったとしても

手助けが必要だって、必要じゃあなくたって

そんなことなぁんにも関係なく生きていければ

しんごっちのように生きていければ

世界はもっと幸せになれるのに!

そう思ったと言うことです。 》

 

 

 

 

 

 

 

カフェで馬頭琴の演奏

 知り合いが、馬頭琴を弾くモンゴルの方をカフェに連れてきました。近くの小学校で会った演奏会のあと、食事に立ち寄ったのでした。せっかくなので馬頭琴を演奏していただきました。チンゲルトさんという、馬頭琴の演奏の世界では有名な方だそうです。

 メンバーさんたちにプレゼントということで4曲も弾いてもらいました。モンゴルの広い草原を吹き抜けるさわやかな風を感じました。たくさんの馬たちが草原を疾走する風景が目に浮かぶ曲もあって、昔、養護学校でやった《スーホーの白い馬》の舞台を思い出しました。あのときはスーホーが馬の死を嘆き悲しむ場面で、馬頭琴の演奏を流し、そのもの悲しい響きが心にしみました。f:id:pukapuka-pan:20131129233306j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131129233401j:plain

f:id:pukapuka-pan:20131129233501j:plain

最近の日記
カテゴリ
タグ
月別アーカイブ