ぷかぷか日記

パン屋が始まった頃の話−3

 お金が回らなくなり、就労継続支援A型からB型へ

 「ぷかぷか」のパン屋の構想を練っている頃、福祉事業所を作るという意識はなくて、「障がいのある人たちととにかくいっしょに働く場を作りたい」という思いだけでした。これは「福祉起業家」の発想です。

 福祉制度を使うことについてはいろいろ引っかかりもあり、自力でやるつもりでした。自力でなんとか最低賃金を払おうと思っていました。制度を使うことで、商売に甘さが出てくるような気がしていました。おいしいパンを必死になって作らなくても、制度を使えばなんとかやっていけるというところがずっと引っかかっていました。

 ところがあるとき知り合いから、「事業を安定して長続きさせるにはやはり制度を使った方がいいのではないか」というアドバイスを頂きました。

 「事業は闇雲に突っ走るのではなく、安定して継続させることが大事」という言葉は、私の中に響きました。利用者さんのことを考えれば、経営が安定して、事業が続くことが一番大事なところです。いろんな引っかかりよりも、そちらを優先し、定員が10人から始められる就労継続支援A型で始めることにしました。

 就労継続支援A型は、障がいのある人たちの就労支援を行う事業所。利用者さんと雇用契約を結び、最低賃金を支払います。事業所としては就労支援という福祉サービスの報酬が受け取れます。

 もっとも、最低賃金を支払い続けることがどれくらい大変なことか、始める前はわかっていませんでした。「障がいのある人たちに最低賃金を払いたい」という思いだけが先行し、そのための根拠になる売上高の検討は曖昧なままでした。絶対に売れる(と思っていた)国産小麦・天然酵母のパンで勝負すれば「多分払える」と思っていたあたりが、商売の素人の甘さです。

 その甘さは事業が始まってすぐに露呈しました。

 国産小麦・天然酵母のパンは思っていたほど売れませんでした。それを求めるお客さんがあまりにも少なかったのです。売上げは伸びず、ぷかぷかのパン屋が始まって1年目、資金繰りが限界に来ていました。給料日のたびに自分の貯金を取り崩し、資金を投入しないとやっていけないような状態でした。

 あっぷあっぷしている時に、福祉事業所を長年やっている方と話をする機会がありました。

「そんなに無理することはないのではないか」

「ここでつぶれてしまったら、利用者さんは困ってしまう」

「事業は続けることが大事」

そんなアドバイスをいただきました。

 「障がいのある人たちに最低賃金を払いたい」という思いはあっても、そのために資金繰りが悪化し、事業が続けられなくなるのであれば、本末転倒。ここはいったん最低賃金を取り下げ、ぷかぷかが無理なく払える賃金から再スタートしようと思いました。

 事業を続けることを最優先することにしたのです。利用者さん、保護者の方にもそのことを説明し、なんとか納得していただきました。就労継続支援A型からB型への変更です。スタートして1年3ヶ月目のことでした。

 

★ パンは1個100円とか200円の世界です。作っても作っても、入ってくるお金はたかがしれています。これでもって最低賃金を支払えるだけの売上げを上げるのは、やはりかなり厳しいのではないかと思います。

 ぷかぷかに来ているパン職人の話を聞くと、前に居たパン屋は朝3時から仕事が始まり、夜は8時頃まで仕事をし、土、日も休めなかったそうです。それくらい働かないとパン屋では食べていけないということでしょう。

 ぷかぷかのパン屋が始まる前、私が研修に行ったパン屋の職人も、「一日8時間勤務なんて、夢のまた夢ですよ」などと言っていました。プロの職人ですらこんな状態ですから、障がいのある方がパン屋で働いて最低賃金を稼ぐというのは、相当無理があったのではないかと、今更ながらに思います。

 福祉事業所の集まりで、長く就労継続支援A型をやっている事業所の方が、「最低でも利用者さんが20人いないと事業として成り立たないよ」とおっしゃっていました。20人分の福祉サービスの報酬が入る中で何とかやりくりしているという話でした。「ぷかぷかは10人でやっています」と言うと、「それは無理無理」と言われてしまいました。

 

 

昔ガンになったときの話−5

 どれくらい時間が経ったのだろう。遠くの方で

「高崎さん、手術、終わったよ」

の声がしました。返事をしようにも、口の中にパイプが一杯詰まっていて、息が出来ませんでした。

「ああ、苦しい、なんとかして」

と思うものの、口はきけないし、目も開きません。身体も全く動かせません。

「聞こえてたら手を握ってください」

の声が聞こえたので、もう必死になって手を握りました。誰かの指にかすかに触れた感じがしましたが、それ以上のことは何も出来なくて、

「ああ、もうあかん」

とか思っているうちに、また意識がなくなりました。

 

 目がぼんやり覚めたのは夜。そばで看護婦さんが血圧を測ったり、脈をとったりしていました。口には酸素マスクと青い管、鼻からはチューブ、腕には点滴の針、胸からは細いケーブル。身体を動かそうとすると、お腹が締め付けられるように痛い。

「ああ、そうだ、胃を取ったんだ」

と、ようやく事態を納得。また眠くなって、よくわからなくなりました。

 

 次の日の朝に、ようやく目が覚めました。お腹の真ん中が、何とも重くて痛い。背骨に薬を入れるチューブが入っているようで、そこに痛み止めの薬を入れると、少し楽になりました。右脇腹のガーゼを交換。鮮やかな赤が混じったピンク色に染まっていました。あとでわかったのですが、直径1㎝くらいのプラスチックの管が脇腹から出ていて、そこからお腹の中の汚れた腹液を出すようになっていたようです。やわらかいお腹から、堅いプラスチックの管が出ていることが、何とも違和感がありました。

 目が覚めてからは、時々寝返りを打つように言われました。身体を動かした方が内臓の治りが早いと医者は言うのですが、昨日手術したばかりで、寝返りなんかしたら、塗ったところが開いてしまうんじゃないかと心配になりました。

「しっかり縫ってあるから大丈夫です。どんどん寝返りうってください」

と言われ、おそるおそる寝返りを打ってみました。はらわたがぞろっと動き、何か自分のお腹ではないような感じでした。ビビッと突っ張ったような痛み。右を下にしたときは、脇腹から出ている管が当たって、その管がはらわたをかき回す感じがあって、

「ちょっと、これ、やばいんじゃないの」

と看護婦さんを呼びました。

「平気平気、大丈夫ですから、どんどん寝返りうってください」

と全く相手にされませんでした。

 

 午後になって

「約束ですから」

と医者がガーゼをかぶせたバットを持ってきました。ガーゼを取ると、やや白っぽくなった胃が広げてありました。見た感じ、ホルモン焼きの材料とほとんど変わらなくて、なんだかちょっとガッカリ、でした。

 真ん中当たりに少し色の違うところがあって

「ここが病変部です」

と医者が短く説明。

「ああ、ここがガンなんですね」

「ええ。まあ、そうです」

と、言いにくそうに小声になりました。

「見た感じでは、まだそんなに進行してないみたいですね」

「ええ、そうです」

そうか、そうか、じゃあ、やっぱり大丈夫なんだな、とホッとしながらしげしげ眺めていたら、

「もういいですか」

と一刻も早くこの場を切り上げたい感じで医者が言いました。ドラマチックな「対面」もなかったので

「はい、いいです」

と答えると、バットを持って、そそくさと出て行きました。

 40年間、一日も休まず働いてくれた胃に、もう少し気の利いた感謝の言葉のひとつも言いたかったのですが、それもなく、なんだか寂しい別れでした。

 

 

昔がんになったときの話−4

 2月8日、いよいよ手術の日。6時に起こされ、浣腸。

 いつもならトレーニングで1階から7階まで駆け上がっていたのですが、今日はさすがにそういう気分にはなりませんでした。点滴の始まるまでの2時間半(手術の始まるまで残された貴重な時間)を丁寧に過ごそうと思いました。

 朝の光が薄いだいだい色に輝いていました。その何でもない光が今日はきれいです。とてもゆったりした時間。ぼんやり遠くを眺めたはずが、やっぱりがんのことが気になって、そうなるとまた際限もなく、悪い方向へ気持ちが行ってしまいました。

 「あー、まずい、まずい」と、キャン・マリー(あの頃凝っていた沖縄のロック歌手)のテープをかけました。いつも以上に彼女のエネルギーがキュ〜ンとしみ込んで、少し元気になった気分。

 8時、かみさんが、少し遅れて両親が来ました。お互い緊張しているせいか、会話がぎこちなく、間を持て余しました。

 8時半、移動用の狭いベッドが来て、それに移りました。やたら狭いベッドで、気をつけの姿勢でないと横になれなくて、もうそれだけで緊張してしまいました。点滴が始まりました。

 9時、筋肉注射。軽い麻酔のせいか、意識が少しぼんやり。ガラガラ音を立てて手術室へ運ばれました。ぐんぐん動く天井見ながら、昔よく見た「ベン・ケーシー」っていうテレビドラマは、いつもこんな天井のシーンから始まったよなぁ、なんてふと思ったりしました。

 手術室。真ん中に手術台。その上に大きなライト。ごちゃごちゃ並んだ機械。殺風景な壁。その中で、大きなマスクと帽子、それに青い手術着、といういわばスキのない完全装備、といった感じの人たちが黙々と動き回っていました。

 その真ん中にパンツもはかずにペラペラの布をかけられただけで横たわる、というのは何とも心細い気がしました。おまけに両腕を手術台に縛り付けられて、絶体絶命!という雰囲気。

 そんな中で突然表情の見えない完全装備の一人が

「昨夜はよく眠れましたか?」

と話しかけてきました。

「え?ええ、ええ、わりとぐっすり」

とかいいながらよく見ると、手術の説明をした主治医でした。

「あ、あの、手術のあと、切った胃を自分で見たいんですが…そういうのってアリですか?」(40年も僕のために毎日毎日休みなしに食い物を消化し続けてくれた胃です。黙って別れるのはちょっと寂しい気がしました。それとがんになった自分の胃をしっかり見ておきたいと思ったのです。)

 そんなことを言い出す人なんて、多分今までいなかったんだろうと思います。ちょっと間があって、

「善処します」

という答えがあり、それを聞いてほっとしたあたりで意識がなくなりました 

世界との向き合い方が…

  実習生のGaiさんが自分でイヤリングを作りました。プラバンに絵を描き、オーブントースターで焼き、色づけし、樹脂を塗って質感を高め、商品にしました。

 下の写真のセットで1,200円の商品になりますが、実習のお土産にしました。

 挑戦的な自画像を描いていたので、うまくやっていけるのかどうかわからなかったのですが、こんな素敵な商品を作ってくれたので、ぷかぷかに来て、なにか心境の変化があったのかなと思います。

 以前実習に来られた方で、実習の毎日が楽しくて仕方がなくて、明日が待ち遠しい、とまでおっしゃった方がいましたが、Gaiさんも、自分がふわっと解放されるようなところを見つけたのかも知れません。

 いちばん下に自画像をのせましたが、実習中に作った作品と見比べると、世界との向き合い方がちょっと変わってきたのかな、と思いました。素直に自分を表現できるようになったというか、Gaiさんの中で、ちょっと楽になったところがあるんじゃないかなと思います。

 いろんなものを持っている方で、これからがすごく楽しみです。

 

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男気全快

 今まで見たこともないようなえらく派手な上履きがぬいであって、誰だろうと思ったら、実習中のGaiさんのものでした。

 「男気全快」なんて書いてあって、なんかすごく元気が出る感じがしました。

 今度こんな感じでぷかぷかの車にいろいろ描いてもらおうと思いました。「男気全快」なんて描いた派手な車が街を走るなんて、考えただけで楽しいです。

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昔ガンになった時の話−3

 寝る前に涙をぽろっと流したかみさんに、大丈夫だよ、なんていいながら、その言葉の空疎な響きにげんなりした翌日、しばらくはうまいもの食えないだろうと、昼飯に2,600円もする鰻重を食べてから入院。医者の説明をかみさんと二人で聞きました。今手術すれば90%大丈夫だからという説明に、かみさんは少し安心したようでした。

 手術まで10日ぐらいあって、その間にギンギンまつりのことであちこち狂ったように電話しました。テレフォンカードで数万円使いましたね。それくらいやらないとギンギンまつりの引き継ぎができなかったこともあるのですが、後から考えると、なんだかんだいいながらも、一人しんと静まりかえると、やっぱり揺れ動いてしまう自分があって、電話をかけまくることでなんとか自分を保っていたような気がします。

 胃がんの手術をした人は周りに結構いて、今は胃がんで死ぬことはないから大丈夫だよ、と慰めてくれました。そうでなくては困るのですが、単なる気休めではなく、もう少し自分でもきちんと納得しようと、検査の合間を縫って本屋に行き、ガンについての本を買いました。知識としてではなく、自分の中にガンを抱えながら読むと、文字の一つ一つが体にしんしんと痛いほどしみました。

 手術の2日前、外科の医者から手術についての説明を聞きました。胃カメラの写真見せながら丁寧に説明してくれました。ここに潰瘍があって、そこの細胞を顕微鏡で調べたところ、非常にカオの悪い細胞が見つかったので、手術で切り取ります、という説明でした。

「そのカオの悪い細胞というのはガンのことではないんですか?」

と聞いたところ、

「ええ、まあ、そんなふうに言う人もいます」

と、ずいぶん苦しそうな答え。

 あとでかみさんに聞いたところ、家族への説明でははっきりガンといったそうで、その時、

「私は患者さんにははっきり言わないことにしているんです」

ということも言ったそうです。

 最初に

「あなたはガンにかかってます」

とはっきり言った内科の医者は、

「普通はこんなふうに患者さんにはっきり言わないのですが、患者さんが若くて、ガンがまだ初期の段階では、はっきり言わないと入院なんかしてこないでしょ」

なんてあとで笑いながら言ってましたが、それもそうだと思いました。

 

少し気分が変わったのかも

 Gaiさん、実習二日目。かなり挑戦的な自画像を描いていたので、ちょっと心配はしていたのですが、今日、

「花の絵を描いてみたら」

とすすめてみたら、女の子の横顔と組み合わせた素敵な絵を描いてくれました。

 たまたま実習の様子を見に来ていた担任の先生も、花の絵を描いたのは初めてだ、とおっしゃっていました。

 実習に来て、少し気分が変わったのかも知れませんね。これからが楽しみです。

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日経ソーシャルイニシアチブ大賞

  • 日経新聞が主催している「ソーシャルイニシアチブ大賞」にエントリーすることにしました。以下の3点を満たすことがエントリーの条件です。

 

  • 1. 社会性  社会的課題の解決を事業のミッションとしている
  • 2. 事業性  ビジネス的手法を用いて継続的に事業活動を進めている
  • 3. 革新性  新しい事業モデルや社会的価値を創出している

 

で、以下の原稿を書きました。こういうお話はわくわくしながら書くことができるので、昨日一日楽しみながら書かせてもらいました。

 

1.社会性について (事業の目的、ミッション、解決を目指す課題など)

事業の目的:障がいのある人たちの就労を支援する。(就労継続支援B型事業所)

ミッション

①障がいのある人たちといっしょに、お互い気持ちよく生きていける社会を実現する。

②健康な「命」を未来に引き継いでいく。

そのために、

①障害のある人たちと街の人たちの出会いの場として、パン屋とカフェを街の中に開く。

②「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージをさまざまな形で発信する。ホームページ、「ぷかぷかしんぶん」(毎月5,000部発行)

③生産の効率が落ちても、彼らといっしょに働いた方がいい、という新しい価値観を生み出す。

④「仕事っておもしろい!」と思えるような楽しい仕事を利用者さんに提供する。

⑤安心、安全なおいしいパン、食事を提供する。安心、安全な素材を厳選する。材料費が高くなるが、健康な「命」を未来に引き継いでいく、ということを最優先に考える。

 

解決を目指す課題

①口にはしないものの、障がいのある人たちのことを「何となくいやだな」と思っている人は多い。障害者施設を建てようとすると、地元市民から反対運動が起きることさえある。これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じている。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれる。“知らない”ということが彼らを地域から排除してしまうことになる。

 彼らの生きにくい社会、異質なものを排除してしまう社会、他人の痛みを想像できない社会は、誰にとっても生きにくい社会になる。誰かを排除する意識は、許容できる人間の巾を減らすことにつながる。社会の中で許容できる人間の巾が減ると、お互い、生きることが窮屈になる。これは同じ地域に暮らす人たちにとって、とても不幸なことだと思う。逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会になる。そういう社会はどうやったらできるのか。その問いへの一つの答が、街の中に障がいのある人たちの働くパン屋を作ることだった。

 

②障がいのある人は生産の効率を落とすというイメージが強いため、就職することがきわめて困難。生産の効率が落ちても彼らといっしょに働いた方がいい、という新しい価値観を「ぷかぷか」は創り出している。

 

③知的障がいの人には単純作業が向いている、と思っている人がいまだに多い。そのため、障がいのある方は、そういうむなしくなるような仕事を与えられることが多い。仕事がつまらないと、毎日がつまらない。仕事がおもしろいと、毎日がおもしろくなり、人生が充実する。

 

③添加物だらけの食べ物が多い中にあって、みんなの大切な命が深く傷ついている。そんな中で「安心して食べられるおいしいパン」「安心して食べられる食事」の提供は、未来に向けて健康な命を引き継いでいく、というとても大事な仕事だと思う

 

 

2.事業性について (事業の実績、規模、収支状況、今後の計画)

事業の実績:2010年4月パン屋、カフェ、開店。当初は利用者さん(障害のある人たち)の声がうるさいとか、うろうろして目障りだとか、色々苦情もあったが、時間が経つにつれ、地域の人たちも障害のある人たちに慣れてきて、苦情も無くなった。

 ホームページを立ち上げ、《障害のある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ》というメッセージを様々な形で発信している。現在アクセス数は38,000人を超えている。『ぷかぷかしんぶん』(毎月5000部発行。お店の周辺の家に配布)はパン屋、カフェの宣伝だけでなく、利用者さんの色んなエピソードも紹介し、毎月楽しみにしている人が多い。

 パン屋、外販の売上げも少しずつ増え、最近はカフェも含め一日の売上げが10万円を超えることもある。初めて1年目の頃は3万円くらいしかない日が続いていた。カフェは4年目に入り、毎日ほぼ満席状態で、入れないお客さんも多い。利用者さんの心のこもった接客に心打たれたというお客さんも多く、つい先日は子どもの誕生会をカフェでやったあと、利用者さんと一緒に写真を撮らせて欲しいというお客さんも現れた。始めた当初、苦情の電話に頭を悩ませていた日々を思うと、この時に撮った写真は、本当にこの1枚の写真を撮るためにこの4年頑張ってきた、という気がする。ホームページ(「ぷかぷかパン」で検索するとすぐに出てきます)の「ぷかぷか日記」1月19日を見て欲しい。

 この写真こそが、数字では表せない「ぷかぷか」の4年間の実績を、目に見える形で表現している。ミッションで掲げたものがほんの少し実現したように思う。 

 

規模利用者(知的障害、精神障害)25名、スタッフ17名。パン屋、カフェ、工房(クッキー、ラスク作り、給食、休憩室)の3カ所で仕事を行っている。外販先は区役所、養護学校子育て支援拠点など16カ所、配達先は保育園、病院など12カ所。近くのレストランへはランチに出すパンを毎日配達している。

 

収支状況:24年度の収益はパン、カフェの売上げが14,630,861円、福祉サービス報酬が44,889,698円、寄付が350,000円、イベント収益が125,498円、雑収入が2,564,463円、収入合計62,560,762円。支出は人件費が31,728,484円、経費が25,094,721、管理費1,972,460円、支出合計58,795,665円、収支差額3,765,097円            23年度の収入合計54,327,326円、支出合計53,173,830円、収支差額1,153,496円   22年度の収入合計35,621,466円、支出合計36,892,736円、収支差額△1,271,270円 

 

今後の計画:お弁当、お総菜事業、アート事業を2014年4月よりスタートさせる。お弁当お総菜の売上げは1日あたり22,100円、月に442,000円、年間で5,304,000円を目標にしている。アート事業は年間480,000円、パンは18,000,000円、カフェは2,870,000円、合計で26,650,000円を目標にしている。 また利用者さんの定員を2014年4月より20名から40名に増やす。

 

 

3.革新性について (事業の特徴、新しさ、優れている点など)        

事業の特徴:「障がいのある人たちと一緒に生きていきたい」という創業者の思いから「ぷかぷか」は始まった。だから「ぷかぷか」はまず障がいのある人たちとスタッフが一緒に生きていく場、一緒に働く場としてある。

 「ぷかぷか」は街の中にお店を構え、障がいのある人たちと街の人たちのいい出会いの場としても機能している。パンを買いに来たついでに、あるいは食事をしに来たついでに、なにかあたたかいものをお土産に持って帰るような、そんなお店だ。そのお土産には「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」といったメッセージも入っている。このメッセージは「ホームページ」や「ぷかぷかしんぶん」でも発信しているが、あたたかなお土産に勝るものはないと考えている。言い換えれば、直接ふれあい、出会うことが一番大事、と言うことだ。

    

優れている点:①「ぷかぷか」は就労継続支援B型の福祉事業所として、県の指定を受けている。従って利用者さんがいる限り、毎月福祉サービスの報酬が確実に入る。パン、カフェの収入の倍以上あって、これが事業の安定を生んでいる。障がいのある人たちと一緒に生きる、一緒に仕事をする、ということが、そのまま「就労支援」になり、それが福祉サービスの報酬として入ってくるので、事業が安定して継続できる。福祉事業所として安定した収入を得ながらミッションを実現していく、というのは事業の継続性を考えれば、ひとつの優れた方法だと思う。

 

②「ぷかぷか」では利用者さんは仕事を楽しんでいる。介護認定調査でケースワーカーさんの聞き取り調査の時「前にいた事業所ではいつもうつむいていましたが、今はまっすぐ前を向いて生きています」と言った利用者さんがいたが、それくらい毎日が充実している、ということだと思う。仕事が楽しいと感じ、そのことで毎日が充実していないと、なかなかこんな言葉は口に出来ない。

 

新しさ:この4月から始めるお弁当事業は地域のお年寄りの方を対象にした配達に力を入れたいと考えている。配達のついでに、お話好きの利用者さんがお年寄りの話し相手になってくる。利用者さんとの楽しい会話は、お年寄りの方を元気にするような、とてもいい時間になると思う。おいしいお弁当と一緒に、そんなふうに、なにかホッとするような、あたたかいものが届けられれば、と思う。

 こういう仕事は、利用者さん(=障がいのある人)でないとできない仕事だと思う。こういう仕事を積み重ねていって、「障がいのある人とはいっしょに生きていった方がいいね」と思う人が増えてくるなら、地域社会は少しずつ変わってくる。こんなふうに考えていくと、お弁当の配達は、お互いが気持ちよく生きる社会に向けて、地域社会をデザインしなおすような、そんなダイナミックなものが含まれているように思う。 お弁当の配達だけでなく、彼らの働くパン屋やカフェが街の中にあること自体、地域社会をデザインし直しているのだと思う。そんな風な視点からパン屋やカフェを見直していくと、地域社会の中でとても大事な役割を果たしていることが見えてくる。

 

 

4.事業者について (事業団体・会社の概要、沿革、代表者略歴など)

 

事業団体:運営主体は「NPO法人ぷかぷか」。2009年9月16日神奈川県より法人として認証。2009年9月30日法務局に設立登記。2010年4月1日神奈川県より福祉サービス事業所として指定。 

 

団体の概要,沿革:2010年4月「カフェベーカリーぷかぷか」と「ぷかぷかカフェ」のお店を開く。就労継続支援A型として利用者さん10名、スタッフ7名でスタート。場所は横浜市緑区霧が丘にあるUR都市機構の霧が丘グリーンタウンの商店街の一角。  2011年7月、就労継続支援B型に変更、利用者さん17名、スタッフ12名。 新たに店舗付き住宅を借り、「工房」としてクッキー、ラスクの製造、給食、休憩スペースを作った。 2014年1月現在、利用者さん25名、

 

スタッフ代表者略歴養護学校勤務30年の中で、障がいのある人たちに惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと、退職金をはたいて障ある人たちと一緒に働く場「カフェベーカリーぷかぷか」「ぷかぷかカフェ」を立ち上げた。

商売は全く未経験だったので、1年目は本当に悪戦苦闘の毎日。経営的にもかなり危ない状態だったが、幸いすばらしい経営アドバイザーと出会い、3年目にしてようやく黒字に転換した。

お金がないのでホームページも自分で作り、毎日自分の思いを書き続け、現在アクセス数は38,000人を超える。ブログは毎日更新し、こちらは開設5ヶ月でアクセス数が10,000を超えた。昨年2月には地元の社会福祉協議会主催の講演会に呼ばれ、「障がいのある人たちと一緒に生きる意味」というテーマで講演を行った。その講演を聴いた方が二人、理念に共感したと「ぷかぷか」のスタッフになってくれた。

 

5.直近1年間のトピックについて

(事業・団体の拡大・成長、新しい事業の追加などここ1年間の話題) 

 

事業の成長:①「ぷかぷか」は就労継続支援B型の福祉事業所として県の指定を受けていて、毎月福祉サービスの報酬が入るのだが、それに寄りかかることなく、パン、カフェの売上げを伸ばす努力をみんなでやっている。昨年と一昨年の12月の売上げを比較するとパンは47%、カフェは25%も増えている。これは現場スタッフ、利用者さんの努力であり、この売上げ増加がみんなのモチベーションを更に高めている。

 

②毎週パンの外販に行っている区役所では、始めた当初はお昼休み1時間くらいで5,000円ほどの売上げだったが、4年経った今、50,000円を超えることもある。売上げが10倍になるというのは驚異的な伸びだが、これはパンが美味しいこともあるが、スタッフだけで売りに行ったのでは、これほどののびはない。外販のある木曜日に利用者さんと会うのを楽しみにしているお客さんが多い。会ってなにかするわけではないが、他愛ない会話をするだけで、元気がもらえるようだ。やはり利用者さんの魅力が売上げを伸ばしている。 

 

③障がいのある人がいると効率が落ちる、と生産の現場からは疎外されることが多いが、区役所での外販を見る限り、彼らのおかげで売上げが驚異的に伸びているのであり、要は彼らの魅力を仕事における「力」としてどんなふうに生かすか、ということだと思う。 

        

④「ぷかぷか」も、スタッフだけで働いた方が、ひょっとしたらパンの生産量は増えるかも知れない。しかし、彼らのいない「ぷかぷか」は、なにかつまらないし、彼らといっしょに働いてこその「ぷかぷか」だと、スタッフたちは思っている。これはまぎれもなく「彼らといっしょに働いた方がいい」という新しい価値観ではないかと思う。効率を超える価値といっていいのかもしれない。 

                 

⑤他の事業所での実習がうまくいかなかった方が「ぷかぷか」に見学に来て、利用者さんが笑顔で働いているのを見て、ここで実習させてください、と言ってきたことがあった。そしてその方自身、毎日笑顔で実習し、明日が待ち遠しくて仕方がない、とまで言っていた。そんな風に利用者さんが毎日笑顔で働くことが出来るというのは、福祉事業所として、すばらしいことだと思う。   

                  

⑥この4月からアート事業を始める。障がいのある人たちの独特の表現を商品化し、彼らのメッセージとして社会に発信していきたい。それは彼らと社会を結ぶ新しいパイプであり、今までとは違う新しい「価値」がそのパイプには詰まっている。そういう「価値」を生み出す人とはいっしょに生きていった方がいい、とたくさんの人たちが思ってくれれば、と思う。

プロの仕事

 台所の換気扇と風呂場の掃除をプロに頼みました。換気扇は毎年年末に掃除していましたが、中の羽を取りだして、強力な洗剤で洗っても、なかなか綺麗にはなりませんでした。羽だけでなく、周りもだんだん油汚れが目立つようになり、やむなくプロにお願いしました。お風呂場もカビが取れなくて、換気扇と一緒に掃除してもらいました。 

 プロの方二人が格闘すること4時間、もう、びっくりするくらい綺麗になりました。プロの仕事だなと思いました。

 ひるがえって「ぷかぷか」はプロの仕事をしているんだろうかと、突然思ったりしました。福祉事業所で「プロの仕事」と思えるのはどんなときだろうと考えてみました。

 障がいのある人の支援をきちんとやる、とか言っても、曖昧すぎて、評価が難しいです。監査の時に一番厳しく見られる「個別支援計画」も、何とでも書けるものなので、これが出来ているから「プロの仕事」とは、とても言えません。利用者さんが満足しているか、という点は、本人に聞いても、はっきりした答えはなかなか返ってきません。

 そのことに繋がることだと思いますが、昨年実習した方が、見学に来たとき、みんなが笑顔で働いているのを見て、ここで実習したいと言ったことがあります。ぷかぷかに見学に来る前、他の事業所で実習がうまくいかなかったので、少し自信をなくしていたようですが、利用者さんが笑顔で働いているのを見て、ここなら安心して実習できると思ったそうです。

 笑顔で働いているのは、ぷかぷかの仕事が楽しいからであり、ぷかぷかの雰囲気がいいんだろうと思います。

 これが「プロの仕事」だというのは気恥ずかしい気がしますが、ま、それでもかなりいい線行ってるのではないかと思います。換気扇や風呂場を掃除した方の足下にも及びませんが…

昔ガンになったときの話−2

 「精密検査の結果、悪性のガン細胞が見つかりました。」と医者に言われ、その日の午後、学校に行き、教頭に「胃にガンが見つかったので、明日入院して手術することになりました」と報告。「え〜っ」って感じで顔が引きつっていました。同僚たちにも事情を説明。みんな深刻な顔をして聞いていて、なんだか突然悲劇の主人公になったような気分でした。

 かみさんから電話。「結果はどうだったの?」「え〜と、あの〜、まぁ、たいしたことないんだけど、その、ガンなんだって」「え〜っ!ガン?どうしてそんな大事なこと早く電話してくれないの」「いや、その、あの、すんません、でも、まだ初期だから、手術すれば、すぐに治るみたいだし、それで、あの、明日から入院するんで、今日は、あの、まっすぐ帰りますから、まっすぐ帰ってきてください」と、なんだかしどろもどろ。かみさんは妊娠7ヶ月くらいだったので、あまり心配かけるとまずいと思ったのですが、といって、黙っているわけにもいかなくて、こんな話になったのでした。

 学校ではまだ会議がありましたが、もうどうでもいいという感じで、さっさと自転車に乗って家に帰りました。「ギンギンまつり」(障がいのある人たちの表現を軸にしながら、みんなでギンギンと元気になろうぜ、というまつりを中心になって準備していました)の関係者に電話しまくりました。(今なら一斉メールですむのですが、当時はそんなものはなくて、一人一人電話していました)

 かみさんが新しいパジャマやパンツを買って帰ってきました。入院に必要なものの準備で頭がいっぱいらしく、それほどめげてるふうでもなかったので、ひと安心。晩ご飯は好物のコロッケをいっぱい作ってもらいました。コロッケ食べながら、ガン保険の保険金100万円が入ったら、また海外旅行でもするか、なんて嬉しそうに話していたら、馬鹿なこといわないで、と叱られてしまいました。全くの冗談でもなかったので、ちょっとがっかりしました。

 夜、寝る前に、かみさんが涙をぽろりとこぼし、困りました。こんなに元気なんだから大丈夫だよ、といいながら、やっぱり涙をこぼされる事態なのかと、笑いながら顔が何となくこわばってしまいました。

                                   (続く)

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