引き出しを整理していたら、昔養護学校でやっていた「しばいごや」の写真が出てきました。文化祭でステージに立つより、プレールームを使った舞台の方がみんなが楽しめる空間ができると,何年かこの「しばいごや」をやりました。
その「しばいごや」で一番盛り上がったのが、この『魔女たちの朝 』でした。出演は子どもたち、そのお母さんたち、教員たち、スクールバスの運転手さん、介助員さん、ゲストのクラリネット奏者、ドラム奏者、たまたまやってきたフィリピン人の役者、その恋人等々。学校の教室とは思えないくらい、熱いエネルギーが渦巻く場が出現したのでした。
子どもたちのために買った絵本『魔女たちの朝』はこんなお話でした。
…森の奥に住む魔女たちは、夜になって月が昇ると目を覚まします。魔女たちの朝が来たのです。こうもりのシチューを食べ、ホウキにまたがってみんなでお出かけ。月のまわりを輪になって踊る。遊び疲れ、夜がしらけ始めると明日の夜までぐっすりおやすみ…
たったこれだけのお話でしたが、何かざわつくものがあって、
「これ、芝居にしたらもっとおもしろいんじゃない」
と口にしたのを、
「おもしろいねぇ、やろうやろう」
といった人がいて、芝居作りがスタートしたのでした。
『赤い月』という歌を最初に作りました。
♪ 大きな大きな赤い月 ゆらゆらゆらゆら登る夜、
気持ちはひりひり、体はざわざわざわざわ
こんな夜は こんな夜は 空を飛ぶしかない!
こんな夜は こんな夜は 空を飛ぶしかない! ない! ない!!
『魔女たちの朝』は赤い月の昇った夜、みんなで熱く空を飛んだ物語だったように思うのです。
お母さんたちはメイクをして怪しい魔女になり、ほうきにまたがって空を飛び、月の周りで踊りまくったのでした。
お母さんたちのこういう姿がいいですね。誰かのお母さんではなく、私自身がそこに立つ、というのが。こんなふうに私自身を差し出すことができるのが『しばいごや』でした。子どもたちはふだん見ないお母さんたちにびっくりでした。でも、こういう出会いができるって、親子にとってとても大事なことだと思います。
後ろの背景画もみんなで描いたものです。ここにもエネルギーが渦巻いています。
子どもたちも魔女になった気分?
スクールバスの運転手さんがカッコイイおじさんで登場。介助員のおばさんも派手なドレスにサングラス。
そしてフィナーレ。こういう開放感をみんなで共有できたのが『しばいごや』でした。
こんな場が学校の中でできたのは、今から思えば奇跡に近いことだったと思います。
こういうことを一緒にやろう、といってくれた仲間がいたことと、こういうことができる学校の雰囲気が大きかったように思います。
「しばいごや」はこのあと2年ほど続いたのですが、その後ほかの学校へ転勤し、10年くらいたって、またこの学校へ戻ってきたのですが、信じがたいくらいガチガチの雰囲気になっていて、とてもこんな自由な「しばいごや」をやる雰囲気ではありませんでした。
時代が後ろ向きに進んでいる気がしました。みんながあれだけ自由になれた場はどこへ行ってしまったのでしょう。学校は何を大事にしているのかと思いました。