十六穀を練り込んだ食パンを1月から販売します。昨日試食したのですが、すばらしくおいしいです。ようやくぷかぷからしいパンができたかな、という思いです。
十六穀は「発芽玄米、もち玄米、丸麦、胚芽押麦、もち麦、青大豆、もち黒米、もちきび、もち赤米、もちあわ、黄大豆、小豆、ひえ、ハト麦、黒大豆、とうもろこし」で、健康にいいものがたくさん入っています。
食感もいいです。ぜひお試しください。
1月6日(火)から販売をします。
十六穀がしっかり入っています。
十六穀を練り込んだ食パンを1月から販売します。昨日試食したのですが、すばらしくおいしいです。ようやくぷかぷからしいパンができたかな、という思いです。
十六穀は「発芽玄米、もち玄米、丸麦、胚芽押麦、もち麦、青大豆、もち黒米、もちきび、もち赤米、もちあわ、黄大豆、小豆、ひえ、ハト麦、黒大豆、とうもろこし」で、健康にいいものがたくさん入っています。
食感もいいです。ぜひお試しください。
1月6日(火)から販売をします。
十六穀がしっかり入っています。
ももこさんがすばらしいバッグを作ってくれました。
この誇らしげな顔。仕事に誇りが持てるっていいですね。
まーさんの死にたい病がまたぶり返したのか、先週、突然
「今度アメリカに行きます」
といい出しました。なんで?と聞くと、
「アメリカに行って安楽死します」
アメリカは安楽死が認められているからだそうです。
「表現の市場でマッキーといっしょに舞台に立ったときのあの熱い時間はどこへ行っちゃったの?」
「あれは楽しかったけど、やっぱり死にます」
落差を埋める言葉が一切ないので、説得の言葉が見つかりません。
自分のホームページには最近明るい話ばかりだったのですが、どうしたのかなぁとちょっと心配しています。
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?まーさんのページ
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?まーさんの物語
金曜日、おひさまの台所のショーウインドウにこんな絵が貼ってあって、思わず笑ってしまいました。
「よく食べました」って、どういう意味?って考えること自体がなんだか恥ずかしいというか、そんな気がするすばらしいコピーだと思いました。
こんな絵が勝手にどんどん貼られるのがぷかぷかのお店のいいところです。
「ぷかぷか」は利用者さんたちが支えていることがよくわかります。彼らがいることが「ぷかぷか」の魅力です。その魅力は「彼らとはいっしょに生きていた方がいいよ」というメッセージそのものだと思います。
今日はお店がお休みで、みんなでカラオケに行きました。25人も参加し、二部屋に分かれて歌いました。いつもと全く違う顔で歌いまくっていて、こういう本音の顔をする彼らって素敵だなと思います。歌詞に託したそれぞれの思いが見えて、ああ、こんなこと考えてたんだ、こんな思いでいたんだ、といつもと違う彼らと出会った気がしました。
にしても、元気ですね、こういうときの彼らは。ほれぼれするくらい生き生きとしています。ミニ「表現の市場」だなと思いましたね。 みんな自分の思いを表現したがっているんだと思いました。
おいしい肉まんが毎日12時に蒸し上がります。平田牧場三元豚を使ったジューシーな肉まんです。長ネギのぶつ切りが、いい感じの食感を生み出しています。限定10個なので、すぐに売り切れます。
写真よりも利用者さんの描いた絵の方が何倍もいいですね。
ぷかぷかのFacebookページを開設しました。
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今まで個人のFacebookで情報発信してきましたが、ぷかぷかが日々、何をやっているのかをもっともっと情報発信していきたいとFacebookページを開くことにしました。
ぷかぷかは単なる「就労支援」の施設ではなく、地域社会を障がいのある人はもちろん、ない人もお互いが気持ちよく暮らしていける、豊かな社会に変えていこうとしています。先日、予想をはるかに超えたエネルギーが300人のホールを熱くした「表現の市場」はそのいい例です。
そこにつながる日々の小さな出来事を少しずつアップしていきたいと思っています。今日はカフェの入り口横の壁に登場した新しいタペストリーの写真をアップしました。こんな絵が壁に掛かっていると、通りかかった人は、ちょっと心があたたまります。これがぷかぷかのメッセージです。
おひさまの台所の前に干してあった白菜の写真もアップしました。ぷかぷかはお客さまに安心して召し上がっていただけるお惣菜、食事、パンを提供しています。お客様の命を大事にしたいからです。健康な命を未来に引き継ぎたいからです。白菜の写真は、そういう思いの表現です。
ぷかぷかカフェの前にすばらしいケヤキの木があります。あまりにすばらしいので、目が合うたびに(?)、ちょっとあいさつします。
昔、石原吉郎という詩人が好きでした。「木のあいさつ」という詩があります。カフェの前のケヤキを見るたびにこの詩を思い出します。
ある日 木があいさつした
といっても
おじぎしたのでは
ありません
ある日 木が立っていた
というのが
木のあいさつです
そして 木がついに
いっぽんの木であるとき
木はあいさつ
そのものです
ですから 木が
とっくに死んで
枯れてしまっても
木は
あいさつしている
ことになるのです
近くの小学校の子どもたちが「街探検」で取材に来ました。
「お店で一番大事にしているものはなんですか?」
という質問が出ましたので、
「お客様が安心して食べられる、ということを大事にしています」
「どうしてですか?」
「みなさんの命を大事にしたいからです」
「そして、健康な命を未来に引き継ぎたいからです」
「みなさんは大きくなって、やがて社会を担うようになりますよね。その未来の社会にみなさんを通して健康な命を引き継いでいきたいと思っています」
なんてことをべらべらしゃべったのですが、ふと気がつくと、相手は小学2年生。伝わったのかなぁ、と心配になりました。
子どもにも伝わる言葉を考えておく必要があると痛感しました。
「表現の市場」に対して28万円もの助成金を出してくれた団体の方が4名、ぷかぷかの見学に来ました。「表現の市場」当日に取材に来られたのですが、ゆっくり話をするゆとりがなくて、あらためて今日、出直していただいたというわけです。
ぷかぷかのいろんな話をしたあと、助成金の話をしました。日本財団の助成金の担当した方のセミナーを受けたことがあるのですが、
「助成金を出すかどうかの判断は、助成した金額以上の新しい価値をその団体が生み出すかどうかで決めます」
という言葉がとても印象に残りました。で、今回28万円の助成金をいただいたので、それ以上の新しい価値を「表現の市場」は生み出したと思いますか?と質問しました。
「もう感動しました」「元気をいただきました」「本当にすばらしい舞台でした」「司会の方のアドリブの言葉がすばらしかったです」云々とべたほめだったこともあって、即座に「28万円以上の価値は十分ありました」の言葉をいただきました。
ま、お金で換算できるものでもないので、そのあたりの判断はむつかしいのですが、印象としては助成した額以上の価値はあった、ということだと思います。
そもそも「表現の市場」といった今までにない新しい事業に対して助成金を出したこと自体、奇跡に近いことだったと思います。パソコンを買うとか、改修工事をする、といったことは具体的で、わかりやすいのですが、「表現の市場」などというのは、そういったものに比べると、普通の人にとってはきわめてわかりにくいものだったと思います。でも、パン屋がこういうことをやる、とか、福祉事業所がこんなことをやることに、何か新しい可能性を感じた、といった話をされていました。
新しい価値、ということについては、障がいのある人たちの表現というものの持つすさまじい力を、まるでぶちのめされたような思いで受け止めた、ということでしょうか。
障がいのある人たちは「支援」の対象だと考えている人がたくさんいます。でも「表現の市場」の舞台に上がった彼らの表現を前にすると、「支援」などという言葉は、口にするのが恥ずかしいくらいです。いかに相手のことを知らず、思い上がっていたか、ということです。
「表現の市場」で提示された「新しい価値」を謙虚に受け止めるところから、もう一度彼らとの新しい関係を切り結びたいと思うのです。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。