今年最後の日。大掃除のあと、みんなでささやかな打ち上げをしました。ささやかとはいえ、メンバーさん、スタッフを合わせると50人以上もいて、なかなか大変でした。
今年最後の日。大掃除のあと、みんなでささやかな打ち上げをしました。ささやかとはいえ、メンバーさん、スタッフを合わせると50人以上もいて、なかなか大変でした。
楽しい門松ができました。
『 コトノネ』という雑誌の取材がありました。
福祉の業界にあってはすばらしくセンスのいい雑誌です。表紙を開くとこんな言葉がありました。
新しい福祉の世界を切り開いていこう、という熱い志が伝わってくる雑誌です。会社の名前が「はたらくよろこびデザイン室」となっていて、思いがストレートに出ています。
ぷかぷかのホームページを見て、先日取材にきてくれました。私の話だけでなく、瀬谷区役所の外販の様子を取材したあと、障害支援課の係長の話も、外から見たぷかぷかの評価として取材していました。
昨日はカメラマン、アートディレクター、編集者の3名が見え、写真をバチバチ撮っていました。
ちょっと緊張しています。
ようやく気持ちがほぐれました。
二人とも違う方向を向いて、なかなかカメラの方を向いてくれません。
肝心なときに大あくび
自分たちの作ったクッキーを食べながら
2月号に載ります。4ページの取材記事とグラビアに写真が載るそうです。どんなふうに紹介されるのか、楽しみです。
給食の数をチェックするももこさん
この真剣な目が「おひさまの台所」の厨房を支えています。
しょうへいさんは今日もこんないい顔して働いていました。
メランジェにクープを入れるまーさん
緊張感みなぎるこの手元
昨日、養護学校のとびきり楽しい子どもたちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、武蔵野の原っぱまで連れて行った話を書きました。
原っぱはこんな感じです。7万平方メートル。とにかく何にもない、本当に開放感に満ちあふれた原っぱでした。
そこで遊んでいた子どもたちといきなり野球をやりました。4年生のみさえの記録によると、(昔私の書いた『街角のパフォーマンス』より引用)
気がついたら、けんいち君がバットを持って構えているので、ゆるい球を投げていっしょに野球をやることにしました。でも、けんいち君は球をじぃっと見ていて、キャッチャーが球を捕ってからバットを振っていました。だんだんタイミングが合うようになりました。でも、打っても走らないので、お兄さんが手を引いて1塁まで走りました。バットを離さないのでおにいさんたちが「かして」と言ったのですが、離しませんでした。でも私が言うと、かしてくれました。だからけんいち君が打ったら、バットを持って行っちゃうので、私が追いかけていって、バットをかしてもらい、みんなに渡して順番に打ちました。
てき、みかたなし、チームなしの変な野球。アウトなし、打てるまでバットふれる。ほんとうはね、けんいち君が入るまでスコアつけていたんだけど、けんいち君が入ってからは三振なし、てきみかたなし、チームなしになったの。
子どもたちで一生懸命工夫しながらけんいち君といっしょに野球をやったことがとてもよくわかります。ルールをすっかり変えて、とにかくみんなが楽しめるようにしたことが、すごいなぁと思います。
数日後、1年生のクンクンから手紙が来ました。
うれしくてうれしくて、ちょっと涙が出ました。養護学校の子どもたちと恐らく初めて出会った街の子どもたちが、ここまでやってくれたことに、なんか感動してしまったのです。
世の中、希望が持てる、って子どもたちが教えてくれたのでした。
show(auto_rffIRO.png,,画像の説明);
歯を磨きながら「アルゴリズム体操」を歌うツジさんのことを昨日書きましたが、こういう人がいるから世の中楽しいんだと思います。世の中には絶対に必要な人たちだと思います。
昔、養護学校に勤務し、彼らと初めてであった頃、なんて楽しい人たちなんだ、とつくづく思ったことがあります。こちらの言うことを全く聞いてくれなかったり、めちゃくちゃなことをやってくれたり、大変なことはいっぱいありましたが、そんなことをはるかに超える楽しさを彼らは持っていました。
彼らとおつきあいする毎日が楽しくて楽しくて、人生がそれまでの何倍も楽しくなった気がしました。こんな楽しい人たちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、せっせと外へ連れ出しました。学校の外の人に彼らと出会って欲しいと思ったのです。
知り合いが武蔵野の原っぱで子どもたちといっしょに「あそぼう会」というのをやっていて、日曜日に電車に乗って出かけたりしました。ここには養護学校の子どもたちをそのまま受け止めてくれる人たち、彼らとおつきあいする楽しさを共有できる人たちがたくさんいました。そういう人たちと出会えたことが、私にはとても大きな出来事でした。彼らといっしょに街へ出ることの意味を最初に教えてくれたのが武蔵野の原っぱの人たちだったように思います。
養護学校の子どもたちとただあそぶだけでは物足りなくなって、この楽しい関係をもっとクリエイティブなものに生かそうと、その2年後に彼らと地域の人たちで演劇ワークショップを始めました。プロの役者たちがたじたじになるほどの彼らの楽しい存在感は、ワークショップの場で、あるいは舞台の上で、本当に光っていました。
生活クラブのお店の前の駐車場で開かれていた「あおぞら市」には、彼らといっしょに手打ちうどんのお店を出したりしました。うどんもおいしかったのですが、やはり彼らがそこにいることで、うどん屋の周りが、なぜかホッと一息つける空間になったことが大きかったと思います。彼らがいると、そこがなんだか楽しくなる、ということです。宮澤賢治の「ポラーノの広場」のような雰囲気。
これは今のぷかぷかのお店と同じですね。
三ツ境養護学校で、全校生を巻き込んだ芝居作りを10年も続けられたのも、彼らが創り出すなんともいえない楽しさのおかげだったと思います。そこでやった芝居作りは、私がシナリオを書いて、その通りにみんなが動く、といったものではなく、みんなとの楽しいやりとりの中で、みんなで物語を少しずつ創っていく、というまさにワークショップのやり方でした。
三ツ境養護学校の30周年を任されたときのことです。養護学校の子どもたちが素直にお祝いできる30周年てなんだろうって、結構必死に考えました。そのとき思いついたのが、30周年というのは要するに学校の30歳の誕生日ではないのか、ならば「みつきょうようこ」さんの30歳の誕生会をやろう、ということになって、さっそく子どもたちに「みつきょうようこ」さんの絵を描いてもらいました。
楽しい絵がいっぱい出てきて、廊下に張り出したら、廊下を歩くのが本当に楽しくなりました。下はその当時書いていた「子どもとゆく」という雑誌のコピーですが、左下のような絵が廊下いっぱいにワンワンと張り出されたのでした。
こんな楽しい絵を元にお話を創っていくのですから、本当に楽しい1年でした。記念式典(?)に参加した地域の長老がのけぞるほどの楽しい30周年ができたのは、楽しさの塊のような子どもたちのおかげでした。
彼らの醸し出す楽しさはみんなの「宝」だと思います。
ツジさんは歯を磨きながらなぜか「アルゴリズム体操」を歌います。歯ブラシでがしがし磨きながら歌いますから、すごく大変です。誰かに言われてやっているのでもなく、自分ではじめたわけですから、なんとも不思議な人です。しかも家でもこれをやっているそうで、もう、尊敬してしまいます。
何がきっかけでこんなことをはじめたのかよくわかりません。気がつくと、食事のあと、いつも洗面所から歌が聞こえ、のぞいてみるとツジさんが歯を磨きながら歌っていた、というわけです。
こんなオリジナリティあふれるパフォーマンスをやる人は、そういません。多分世界中に一人しかいないと思います。本当に貴重な方だと思います。こういう人がいるから、世界が豊かになっていくんだと思います。
今日、たまたま歯を磨いているところをビデオに撮りました。何遍見てもかわいくて、笑ってしまいます。
[http://]
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。