5月21日(木)、みどりアートパークのホールで映画「ぷかぷか」の上映会と映像作家宮沢あけみさんと「ぷかぷか」代表の高崎のトークがあります。上映会とトークは朝、昼、夜の3回あるのですが、そのすべてに手話通訳がつくことになりました。ですので、お知り合いの「ろう者」の方へ、その旨お知らせください。
5月21日(木)、みどりアートパークのホールで映画「ぷかぷか」の上映会と映像作家宮沢あけみさんと「ぷかぷか」代表の高崎のトークがあります。上映会とトークは朝、昼、夜の3回あるのですが、そのすべてに手話通訳がつくことになりました。ですので、お知り合いの「ろう者」の方へ、その旨お知らせください。
「子どもたちにオペラを・ゆめ基金」の打ち合わせがありました。
現在集まっている寄付金は3万円弱。今回の企画にかかる費用の内訳はオペラの公演が80万円、うたのワークショップの費用が2日で16万円、これに会場費、チラシ、チケットの印刷代を含めると約114万円ほどになります。チケット代収入が3000円×150席(ホールの定員300人の半分は子どもたちにプレゼント)=450,000円。ワークショップ参加費収入1,000円×80人=80,000円 差し引き610,000円となります。つまり61万円の寄付を、あと2ヶ月でなんとしても集める必要がある、というわけです。
え〜!、そんなの無理無理、といってここで引き下がらないのが「ゆめ基金」です。
この企画は地域の子どもたちのために何かをしてやりたいと思う大人たちが集まり、わいわいいろんな話をする、子どもたちへの思いを語る、地域の夢を語る、といったことが大きな目的です。たまたま横浜の北、霧ヶ丘で「ぷかぷか」というパン屋をやっている高崎から「子どもたちにオペラをプレゼントしたい」というとんでもない提案があり、「え?オペラ?」「なんでパン屋がオペラを?」「でも、なんだか夢があっておもしろそう、やろう、やろう」といって大人たちが何人か集まりました。それが「子どもたちにオペラを・ゆめ基金」です。
必要経費61万円に対し、3万円しか集まってないのはかなり大変。これじゃ無理だよ、やめよう、と投げ出してしまうのではおもしろくありません。こういう困難なことを抱え込むところにこそ人生のおもしろさがある、なんていいながら、いや、そんなこといわなくても、いろいろ前向きの意見が出るのが「ゆめ基金」のいいところ。だからこそこの企画は「ゆめ」なのです。私たちを支えてくれる「ゆめ」なのです。で、どういう意見が出たかというと、
・引き続き寄付の呼びかけ。
・呼びかけのチラシは絵の入った楽しいものにする。オペラのチラシといっしょに配布する。配布してくれる人を募る。
・寄付箱にも絵を入れて楽しいものにする。
・寄付箱は外販にも持って行って呼びかける。
・寄付箱を預かってくれる人を募る。
・寄付金付き1,000円コーヒーの宣伝をもっともっとする。ぷかぷかカフェ、パン屋で販売中です。おいしいコーヒーです。子どもたちの笑顔を思い浮かべながら飲むと更においしくなります。
・チケットは5月18日(月)より販売します。大人3,000円ですが、なるべく寄付金付きの4,000円のチケットを購入してもらう。お子さんといっしょに来る方は、できれば子どもの分を寄付してもらう。
・5月21日 みどりアートパークでの映画「ぷかぷか」上映会で宣伝する。寄付も呼びかける。
・手作りのポスターを作って、パン屋、カフェなどに貼る。人がたくさん集まるところに貼らせてもらう。
・ライオンズクラブ、ロータリークラブにお願いに行く。
・アートフォーラム、ラフール、ポポラ、そらまめなど、拠点にポスター、チラシのお願いに行く。
・マスコミに情報を流す。
などなど、いろいろな意見が出ました。ぜひご協力ください。
オペラのチラシは5月18日(月)から配布します。配布に協力してくださる方はパン屋までお越しください。
寄付金は郵便振替口座へお願いします。
口座記号 00260-4 口座番号 97844 加入者名 NPO法人ぷかぷか
郵便局へ足を運ぶのが面倒くさい方はパン屋、カフェ、惣菜屋店頭においてある寄付箱へ。パンの外販に行くところには寄付箱を持って行きますので、そのときに。
問い合わせなどは 045-453-8511 ぷかぷか事務所高崎まで
・
足がこのところ調子が悪く、日によっては歩き始めの一歩は、踏み出せないくらい痛い時があります。だからこそ余計に、66年間、私を支えてくれた足に感謝する気持ちです。
教員になる直前、私は初冬の富士山で滑落事故を起こしました。頂上直下のかちんかちんに凍った雪の急斜面を仲間と登っていて、仲間が滑落し、ザイルで結び合ったまま、凍りついた急斜面を600メートルも滑落しました。幸い尾根が張り出しているようなところで奇跡的に止まりました。
気がついたら、自分は上を向いて横たわっているのに、足は真横を向いていました。近くで雪上訓練をしていた人たちに助けられ、5合目まで運んでもらいました。出血がひどく、たまたま見ていた仲間の看護婦は、ひょっとしたらだめなんじゃないかと思ったそうです。そのときは例年より雪が少なく、5合目まで救急車が入ってきたので、本当にラッキーでした。下まで担がれて降りていたら、多分だめでした。
富士山の麓の病院に入院中、たくさんの山の仲間が見舞いに来ましたが、私の最期を看取りに来たつもりだったようです。「まだ生きてるじゃん!」といいつつ、それでも一週間ほどは絶対安静で、みんな気が気でなかったようです。私だけが事態がうまく飲み込めず、なんで足が動かないんだ、なんで体が動かないんだと、ぶつぶつ言ってました。
一週間ぐらいたって、もう動かしても大丈夫だろうと、ようやく東京の大きな病院にそろりそろりと運ばれ、手術を受けることになりました。氷にアイゼンが引っかかって、足首が回転し、両足首の関節が皮膚を破って外に飛び出してしまうほどのひどい骨折でした。両足首開放性脱臼骨折。こんなひどいのは見たことがない、といいつつ、医者は果敢に手術に挑戦してくれました。普通なら両足首とも固定されてしまうところを主治医はあくまで歩けるように手術してくれたのでした。
9ヶ月も入院しました。その間にまた教員の採用試験があり、入院中でしたが、外出許可を取ってまた受けに行きました。1年前に2次試験まで受かっていたのですが、事故のためにすべてパーになり、あきらめきれずにまた受けに行ったというわけです。
1次の筆記試験が受かり、2次の面接試験の時はまだ足首に体重がかけられない状態で、膝で体重を支える補装具をつけていました。もういかにも歩けません、て感じ。これでは面接ではねられてしまうと、補装具がわからないようにだぶだぶのズボンをはき、松葉杖は駅の大型ロッカーに預け、そろりそろり歩いて試験会場に行きました。たまたま試験官が去年の事故のことを覚えていて、
「あれ、もう大丈夫なんですか?」
「ええ、おかげさまで、もう、全然平気です」
と答えて、面接試験はパスしたのでした。
退院の時、一度外に飛び出した関節は仮死状態になるので、手術で元には戻したが、年取ってくるとだんだんつぶれてくるので、痛みがひどくなります、といわれていました。
その通りになったのが事故から20年たった50歳頃から。それまでは多少ぎくしゃくした歩き方ではあっても、なんとか歩いていました。ところが50歳を過ぎる頃から急激に痛みがひどくなり、歩くことが本当に苦痛になってきました。クッションの関節がつぶれてしまうと、骨と骨とが直接こすれることになり、そこが強烈に痛むのです。歩くのが辛いと、何するにもおっくうになるというか、ちょっと歩けばできることを、とにかく痛いので、やらなくなります。あれもやめよう、これもやめようと、人生がどんどん縮こまってくる感じがしました。いや、とにかく歩く一歩一歩が痛い、というのは、人生そのものが苦痛になったようでした。
歩くというのは、人生の基本なんだと、その一歩一歩の強烈な痛みの中で思いました。
ネットで足の治療をやってくれるところを必死になって探しました。見つけたのは人工関節の実績のあるなら県立医大。ところがその病院の教授に相談すると人工関節はおとなしい人向けて、あなたのようにいろいろ動き回る人はやはり固定した方がいい。固定しても日常生活にはそれほど支障はない。支障があるとすれば田んぼに足を突っ込むと抜けなくなるとかぐらいですね、という説明が気に入って、手術を即決。
手術後は、それまでの痛みがうそみたいに消え、医者が神さまのように見えました。それが今から10年前。なんだか生まれ変わったような気分でした。痛みなく歩けるというのはこんなに幸せな気分になれるのかと思いました。
その足がここへ来て、歩き始めの一歩がまた痛くなったのです。たいがいは少し我慢して歩くと、痛みは引いてくるのですが、先日の陶芸教室のあった日には、歩いても歩いてもなかなか痛みが引かず、陶芸教室どころではありませんでした。幸いしばらくして痛みは引きましたが、機会見つけてまた病院に行かないとまずいなと思いはじめています。
大けがしながらも私の人生を支えてくれて足には感謝の一言しかありません。事故のあと、足を引きずりながらでしたが、ネパールまでヒマラヤの山を観に行きました。痛そうに歩いていたのか、現地の人が、見るに見かねて俺の背中に乗れ、と峠を担ぎ上げてくれたこともありました。人生40周年記念イベントと称して、組み立て式の自転車を担いでパキスタンまで行き、インダス川の源流地帯を700㎞もサイクリングしたこともあります。フィリピンまで芝居をやりに行ったこともあります。足のおかげで本当に楽しい人生だったと思います。
私の足は十分に働いてくれました。そろそろ休ませてあげてもいいくらいです。でも、私にはまだまだやりたいことがあって、もうちょい、もうちょいと働いてもらっています。大事にしないとな、と時々襲ってくる痛みの中で思っています。
こんにちは、ゆっこです。
くじらのくうちゃんが気持ちよさそうに泳いでいます。
ゆらゆら揺れている海は、わんどオープン日のワークショップで
たくさんのこどもたちと一緒に作ったものです。
長いGWのお休み中もわんどを守ってくれていました。
くうちゃんはとっても軽いのですが、天井への設置は苦労しました!
ぷかぷかのすべての内装を担当してくださっている大工の小林さんが
安心して高い所の作業ができるようにみんなでお手伝い。
実物はなかなかの迫力です。下からも見上げてみてください☆
さて、そんなくうちゃんの下で、今日はワークショップの準備です。
トランスパレントペーパーで花や星の形を作りました。
複雑そうにみえますが、同じ形のパーツを組み合わせてつくるので案外簡単なんです。
今日始めて体験したメンバーさんたちもこの通り出来上がりました。
こんな風に窓辺に飾ると色が透けてとってもきれいです。
母の日のプレゼントにもぴったり☆
『光をあつめるトランスパレントの飾り作り』
5月9日(土)10:00~12:00 参加費300円
まだ少し残席があります!おいしいクッキー付ですよー!
【お問い合わせ】
TEL:045-923-0282
メール:pukapuka@ked.biglobe.ne.jp (担当:柿澤)
お申し込みお待ちしておりま~す♪
先日「こんなクジラが空を飛んでいたら」どんな言葉をつぶやきますか?って聞きました。
するとこんなつぶやきが聞こえてきました。
「今日もいいクジラ日和だなぁ!」
「新型UFOかも」
5月21日(木) 映画「ぷかぷか」の上映をみどりアートパークホールで行います。ぜひ見に来てください。
この映画はぷかぷかで働いている障がいのある人たちと地域の人たちが6ヶ月に渡ってワークショップをやった記録です。
ワークショップというのは、いろんな人が集まっていっしょに作業をやり、その中で新しい何かを発見したり、今までにない新しいものを創り出したりするものです。
昔、2時間くらいのワークショップをやって欲しいという依頼がよくありました。よくやったのが詩の朗読をするワークショップでした。みんなで詩を読むだけですから、道具も材料もいらないすごーく楽なワークショップです。よく使ったのは長田弘さんの詩集『食卓一期一会』に載っている「ふろふきの食べ方」という詩です。
自分の手で、自分の / 一日をつかむ。
新鮮な一日ををつかむんだ。 / スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い / いい大根のような一日がいい。
それから、確かな包丁で / 一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて、/ 面取りをして、そして一日の
見えない部分に隠し刃をする。/ 火通りをよくしてやるんだ。
そうして、深い鍋に放りこむ。/ 底に夢を敷いておいて
冷たい水をかぶるくらい差して、/ 弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに / 静かに熱く煮込んでゆくんだ。
こころさむい時代だからなあ。/ 自分の手で、自分の
一日をふろふきにして / 熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で / ふうふういって。
私の大好きな詩です。これをみんなで読もう、というワークショップです。
この詩は一人で読んでもおもしろい詩です。一人で読む時はたいてい黙ったまま読みます。でも、これを何人か人が集まって、みんなで声を出して読むと、もっとおもしろい読み方ができます。
詩の朗読ワークショップでどんなことをやったか具体的に書いてみます。
まず読み手と聞き手のふたグループに分かれます。読み手になった人たちは一人一行ずつ順番に声を出して読んでいきます。なんとなく声を出すのではなく、はっきりと聞き手に向かって声を出します。誰かに向かって声を出すことで、声の感じ、言葉の感じが変わることが自分でもわかります。
「自分の手で、自分の / 一日をつかむ。」
これを人に向かって読みます。どんな思いで読みますか?人に向かって読む、という緊張感の中で、この一行の言葉の意味が、ぐっと深まります。聞く側も同じです。読み手の思いのこもった言葉を受け止めます。
「手にもってゆったりと重い / いい大根のような一日がいい。」
いい大根を思い浮かべるといい顔になります。そのいい顔でこの一行を読みます。一人で、黙って読む時よりも、はるかに気持ちよくこの一行が読めます。聞く側も同じです。双方がとてもいい気持ちになれる一行です。
「こころさむい時代だからなあ。」
何を思ってこの一行を読みますか?ここは読み手の思いがいちばんよく見えるところ。聞く側も一番言葉がしみるところです。
読み方を変えてみます。椅子に座って読んだり、読んでる途中で椅子から立ち上がったり、あるいは歩きながら読んだり。読む姿勢、あるいは動きが加わることで、言葉の響き、力が全く違ってきます。
音楽もかけます。よく使ったのはエリックサティの「ジムノベティ」でした。ぐっと雰囲気が出ます。いい音楽に支えられ、詩の言葉が更に光ります。そういったことを読み手も聞き手も体感できるところがワークショップのいいところだと思います。
詩をみんなで読むというワークショップ、ざっと駆け足で説明しましたが、いかがでしたか?一人で黙って読む時とは全く違う発見がたくさんあったと思います。何よりの収穫は、このワークショップを通して、知らない人同士が出会えたことです。新しい自分、新しい世界と出会えたことです。そしていろんな人がいたおかげで、ここでしかできないすばらしい「朗読会」ができたことです。
映画「ぷかぷか」に記録されたワークショップでも、たくさんの出会いがあり、その出会いの中で、すばらしい作品ができあがりました。それをぜひ見て欲しいと思っています。
見ることは、あなたと「ぷかぷか」の新しい出会いですね。どんな出会いになるか、わくわくしますね。
そうそう、忘れてました。上映会の日、ホールのロビーで、ぷかぷかのパン、お弁当を販売します。持って行く数が限られていますので、絶対に欲しい!と思われる方は事前にメールで注文してください。
メールアドレスは pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
久しぶりに陶芸教室をやりました。陶芸教室はぷかぷかを始める7,8年前からやっていました。陶芸の作品を通してのメッセージの発信でもありました。こんなすてきな作品を作る人とはいっしょに生きていった方がいいよ、というメッセージです。あの頃は毎月やっていたので、作品も結構たまり、中山駅前の花屋さんの一角を借りて、展示即売をやっていました。1週間に一回くらい作品を入れ替えていました。そんなに売れませんでしたが、それでも作品を楽しみにしている人は結構いて、時々「楽しみにしていますよ」と声をかけてくれる方もいました。
中山まつりでは商店会の方で一番いい席を用意してくれ、障がいのある人たちへの商店会の姿勢を感じました。そういうおつきあいがあったので、パン屋を始める時も、「ああ、あの人たちとはじめるんだね」と、すぐにイメージが伝わったのでした。
そんな陶芸教室ですが、パン屋が始まってからはさすがに毎月とは行かず、年に3,4回です。陶芸教室は陶芸をする場所と道具や材料を仕舞っている部屋が離れているため、準備と後片付けがものすごく大変。年のせいかだんだんおっくうになり、いかんなぁ、と思っているのですが、いっしょにやってくれる人もいないので、先細りの感じです。いつまで続けられるかなぁ、と思っています。
まずはお地蔵さんつくり。ぎゅっと握って胴体を作り、頭と手をつけます。
全く適当に作っても、なんだか盆踊りでもやってるような楽しいお地蔵さんたちができました。
続いてコーヒーカップを作ります。空き缶の回りに板状に伸ばした粘土を巻き付けて形を作ります。
続いて花瓶作り。ペットボトルを芯にして作ります。
花瓶に目鼻をつけると「花瓶さん」になります。
ね! 表情のある花瓶さんでしょ。
この2人は手びねりの湯飲みを作りました。
陶芸教室のあと、パン屋で使うコーヒーカップを作る予定でしたが、力尽きました。明日と明後日でやる予定です。
クジラのくうちゃん(仮称)の写真を、床に寝っ転がって下から見上げるように撮っていたら、「こんなクジラが、ある日空を飛んでいたら、その日はあちこちで歓声が上がって、お祭りのような楽しい一日になるだろな」という気がしました。
そこで問題です。
朝、ベランダで洗濯物を干していたお母さんが、ふと見上げると、こんなカラフルなクジラが空を飛んでいました。さて、お母さんは、なんていったでしょう。
今日も満員電車でうんざりしていたお父さんがふと窓の外を見ると、空にこんなクジラが浮かんでいました。さて、お父さんは、なんていったでしょう。
小学校の校庭で鬼ごっこをしていた子どもたちが、空にこんなクジラが飛んでいるのを見つけました。さて、子どもたちは、なんていったでしょう。
庭で花の手入れをしていたおじいさんとおばあさんが、「いやぁ、疲れた疲れた」といいながら腰を伸ばした時、空にこんなクジラが飛んでいるのを見つけました。さて、おじいさんとおばあさんは、なんていったでしょう。
ちょっとびっくりしながらも、それでもわくわくするようなみんなのつぶやきを集めて、ファンタジックなお話を作り、それを元に楽しいお芝居ができたらいいな、なんて考えています。
よく晴れたある朝、ゆったりと空を飛ぶカラフルなクジラを見て、お母さん、お父さん、子どもたち、おじいさん、おばあさんは、さて、なんていったでしょう。
メールに書いておくってください。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
もしくは、紙に書いて「わんど」「パン屋」「カフェ」「おひさまの台所」に持ってきてください。
みなさんから集まったわくわくするようなつぶやきを見ながら、また次に進めるようなお話を考えようかなと思っています。
ネットのつながりで、こんな楽しいことができたらすごいことだと思います。
楽しいつぶやき、お待ちしています。
オペラ『ロはロボットのロ』の稽古場見学に行ってきました。ファンクラブのサービスの一つで、公演の前に稽古の様子を見せてくれます。
昔はこんなに立派な稽古場はなく、世田谷の小さなマンションの一室でやってたことを覚えています。『セロ弾きのゴーシュ』の初演の頃ですから、もう30年くらい前のことですね。あの頃小学生だった子どもが、今はこんにゃく座の制作のチーフをやっているのですから、時代が進むというのはこういうことなんだとつくづく思います。
稽古場に入ると、『ロはロボットのロ』の原作者であり、演出家の鄭義信(ちょんういしん)さんがいました。鄭さんは昔養護学校の生徒と地域の人たちでワークショップをやっていた時、ファシリテーター(進行役)として黒テントから来ていました。その後劇作家、演出家として独立し、こんにゃく座の作品もいくつか手がけています。
なんとも優しい心の持ち主で、『ロはロボットのロ』でもほろっとしてしまうところがあります。
オペラの曲を書いた萩京子さんもいらっしゃいました。萩さんも昔ワークショップに来ていただき、みんなで歌作りをしたことがあります。海老名でオペラの公演をした際、お客さんの中に、昔私がやっていたワークショップに参加した人がいて、その時の記録写真集を持ってきてくれたそうで、その中には私が写っていたんですよ、と萩さんがお話ししてくれました。30年も前にやっていたことが、今、こうやって人と人を結びつけていることに、なんだか感動してしまいました。
ココの家が火事になるシーンの稽古をしていました。金貸しのマニーがお金を返せなくなったココのお父さんのパン工場に火をつけたのです。燃えさかる火の中にロボットのテトが飛び込んでいく、ものすごくエキサイトするシーンです。
この燃えさかる炎をピアノ一つで表現するこんにゃく座のオペラを「すごいなぁ」と昔感心したことを今でも覚えています。こんにゃく座のオペラと出会った頃ですね。
炎の中でテトがココを見つけ出すシーンを何度も何度も繰り返し練習していました。プロの役者とは言え、演技を途中で止め、演出家の指示を聞き、また途中から演技をはじめる、というのは、いきなりテンションを自分で上げるわけですから、すごい大変だろうな、と思いました。
金貸しのマニーは火事の中で足をひねり、テトに助けを求めます。
「自分で火をつけたんだから、巻き込まれてしまえばいい」
と、テトは突き放します。そのとき、テトの背中に負ぶわれていたココは
「助けてあげて!」
と叫びます。
演出家が
「だめ、もっと力強く」
と、だめ出しをします。またマニーが助けを求めるところからやり直し。
「助けてあげて!」
力強い叫びに変わりました。
「こいつは悪いやつだけど、ここで助けないと、私たちはもっと悪いやつになる」
ここが作者鄭さんの優しいところです。
ココの言葉に促され、テトはココといっしょに金貸しのマニーもいっしょに助け出します。
炎が収まり、テトがココとマニーを抱えてよろよろと階段を降りてきます。
ここで歌われる歌が私は好きです。つい先ほどまでの燃えさかる火事の歌から、がらっと変わって、心からホッとするような歌です。
♪…雨が上がると、空には七色の虹がかかり、
街の人たちは、もう一度抱き合った
希望が失われていないことを
確かめ合った ♪
こういうシーンを歌で表現するところがオペラの一番すばらしいところだと思います。
7月19日(日) 午後2時からみどりアートパークで『ロはロボットのロ』の公演をやります。ぜひ見に来てください。
チラシはホームページの「横浜公演のチラシができました」のお知らせの下にあるダウンロードボタンをクリックしていただけると鮮明なものがご覧になれます。
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?FrontPage
公演に向けての寄付をぜひお願いします。
ケーブルテレビのイッツコムが取材に来ました。イッツコムは5年前、まだお店が開店する前に取材に来たのですが、あの頃はまだ思いをしゃべるだけで、お店が具体的にどうなっていくのか、何をぷかぷかは作り出すことができるのか、といったことは全くしゃべることができませんでした。
そのときと同じ担当者が来たのですが、5年間の変わりようにびっくりしているようでした。お店が三軒並んだだけでなく、利用者さんたちが楽しそうに働いていることや、ぷかぷか全体に漂う活気がすばらしいとおっしゃっていました。
こんなふうに発展した一番の要因はなんですか?と聞かれました。それはやはり、障がいのある人が作ったパンだから買う、のではなく、おいしいから買うパンを作り続けたことだと思います、と答えました。街の中で勝負できるくらいのパン、ほかのパン屋に負けないくらいおいしいパンをぷかぷかは目指してきました。おいしいパンは売れます。売り上げが増えれば、利用者さんのモチベーションが上がり、みんな笑顔で働きます。その笑顔を見てお客さんが増えます。その好循環が、ぷかぷかの活気を生んでいると思います、という話をしました。
パン屋の厨房を丁寧に撮り、利用者さんにもインタビューしていました。
放送は5月11日(月)イッツコムチャンネル(地デジ11ch)6:30〜/18:00/20:00
イッツコムチャンネル(地デジ10ch)7:00〜/19:00〜/22:00〜
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。