ぷかぷかで実習をした方から素敵な感想が届きましたので紹介します。
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ぷかぷかで実習をした方から素敵な感想が届きましたので紹介します。
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おもしろい本見つけたので紹介します。
発達障害の彼女(あお)と、聴覚障害の僕とのドタバタ日記。
あおとおつきあいしてると、なんか変。でもあおのこと好きだから、どうして変なのか、どうすればいいのかを一生懸命考える。そうしてこの本ができあがった。
あおとレストランに行く。メニューがなかなか決められない。自分が何が食べたいのかわからなくて、延々考えちゃう感じ
あおは聴覚過敏症もある。いつものレストランが満席。軽くパニック。ひときわ大きな子どもの声と、それを叱る大声。びっくりしたあおは、叫びだしそうになり、そばにいた僕にかみついた。
「お金を大事に使う」ってどういうこと?
「大事にしろってのは、程度を決めて使うとか…」
「程度ってなに?程度って見えないでしょ?見えないのはないのと同じ。」
財布には小銭がびっしり。不器用と計算苦手のコンビネーションで悲惨な状態に。
「この服どう?」「全然似合わない」と正直に言う。友達はなんとなく離れていく。何がどういけなかったのか、わからない。
あおはなんか変。でも好きで好きでしょうがないから、どうやったらあおと仲良くやっていけるか一生懸命考えた。その格闘がこの本になった。半分マンガで半分はテキスト。2時間くらいで読めて、発達障害の人って、こういうところで困ってるんだ、ということがなんとなくわかる。
普段ぷかぷかさんたちとのおつきあいがあるので、発達障害の人達のことはある程度わかっているつもりでいましたが、それでも尚新しい気づきがこの本にはいっぱいありました。おすすめです。
今朝の東京新聞。名古屋城天守閣の木造復元に伴うバリアフリー化を巡ってあった市民討論会でエレベーターの設置を尋ねる障害者に、ある出席者が「どこまでずうずうしいのか」と一蹴した、という。
障がいのある人達が天守閣に登るにはエレベーターが必要。そういったことの想像ができなかったのだろうか。
にしても、エレベーターを設置するのかどうか聞いた障害者に「どこまでずうずうしいのか」って、よく平気で言えると思う。いったいどういう感覚なのか。
ここはやはり障がいのある人達が
「そういう発言はおかしい」
とはっきり言わないとだめだと思う。そう言い続けることが障がいのある人たちが生きやすい社会に変えていくためにはとても大事だと思う。障がいのある人たちが生きやすい社会は誰にとっても生きやすい社会。
だから、時代を切り開いていくのは障がいのある人達なのだ、とあらためて思う。
今年も8月から第8期の演劇ワークショップを始めます。
今年はレオ・レオニーの『フレデリック』という絵本をベースにお話しをふくらませていきます。
野ネズミたちが主人公です。ネズミたちは冬に備えて、せっせと食べ物を蓄えています。なにもしないフレデリックに
「どうして君は働かないの?」
とみんなが聞きます。フレデリックは
「さむくてくらいふゆのために おひさまのひかりをあつめているんだ」
とか
「ふゆは はいいろだから いろをあつめてるんだ」
とか
「ふゆはながくて はなしのたねもつきてしまうから ことばをあつめてるんだ」
といいます。
そうしてふゆになりました。最初は楽しくやっていましたが、だんだん食べ物もなくなってきます。寒くておしゃべりをする気にもなれません。フレデリックがひかりや いろや ことばを集めていたことを思い出し
「きみがあつめたものは いったい どうなったんだい」
フレデリックが言います。
「めをつぶってごらん きみたちのおひさまをあげよう。ほら かんじるだろう もえるような きんいろのひかり」
ちいさなのねずみたちは だんだんあったかくなります。
フレデリックは更に あおいあさがおや きいろいむぎのなかの あかいけし のはなしをします。
すると、みんなは こころのなかに ぬりえでもしたように はっきりといろんな色を見ます。
「じゃぁ、ことばは? フレデリック」
フレデリックはこんなことをしゃべり始めます。
フレデリックのことばを拡大すると
この詩をオペラシアターこんにゃく座の人達が歌っています。林光さん作曲。
こんな楽しい歌を歌いながらみんなで芝居を作っていきます。さて、どんな芝居になるのでしょう。
「あ、おもしろそう」って思った方はぜひ一緒に芝居を作りましょう。
スケジュール:時間は9時15分〜16時頃 発表会(表現の市場)は9時15分〜17時頃
8月26日(土)、9月16日(土)、10月14日(土)、11月25日(土)、12月16日(土)、2024年1月20日(土)、1月27日(土)、1月28日(日)表現の市場
会場:みどりアートパークリハーサル室(長津田駅より徒歩5分)
発表会(表現の市場) みどりアートパークホール
みどりアートパークホームページhttps://midori-artpark.jp/overview.php
参加費:大人2000円、子ども1000円
お弁当、お茶、持ってきてください。
参加申し込み info@pukapuka.or.jp
今朝の東京新聞社会面
げんなりするような記事でした。
機会があればぜひ上映会を企画してみて下さい。映画を見ると、心ぷかぷかになります。心ぷかぷかになれば、虐待は起こりません。
昨日、区役所で精神障害の人達の集まりがあり、詩の朗読ワークショップをやりました。
統合失調症の方が多く、なんとなく重い雰囲気。場を盛り上げないと詩の朗読まで持って行けないので、「マルマルマル」と「雨の音楽」を歌いました。
「マルマルマル」はこんな風にして隣の人の膝に触れながら歌います。歌に併せて隣の人の肩に触れたり、自分の鼻と耳を同時にさわったりしているうちに心と体が自然にほぐれてきます。
みるみるこんな笑顔になります。
オペラシアターこんにゃく座の「雨の音楽」も歌いました。歌詞の合間に手拍子を入れ、みんなぐんぐん元気が出たようでした。
体と心が少しほぐれた後、いよいよ詩の朗読。長田弘さんの「ふろふきの食べ方」です。
自分の手で、 自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スが入っていない一日だ。
手に持ってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。
それから 確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて
面取りをして、そして一日の見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。
そうして深い鍋に放り込む。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらいさして、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。
こころさむい時代だからなぁ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。
この詩を模造紙に書いて壁に貼り、まずは全員で一人一行ずつ読みます。そのあと二グループに分かれ、今度は相手グループに向かって読みます。漠然と読むのではなく、目の前に言葉を届ける相手がいると、読む時の気持ちが変わってきます。ここが朗読のおもしろいところです。
「なんか、すっきりした」
と感想を言った方がいました。朗読する、つまり自分を表現することがどういうことなのか、をとてもうまく語っています。
誰かに向かって読む
2回ほどこの朗読を繰り返したあと、
「一人で読んでみたい方がいましたら手を上げて下さい」
というと、なんと4人もの人が手を上げてくれました。一人ずつ堂々とみんなの前で朗読しました。
統合失調症という大変な障害を抱え、週一回のこの集まりに出てくるだけで精一杯という人が多いと聞きました。なのに、ワークショップの最後、みんなの前で朗読する人が現れたのです。ちょっとびっくりでした。
たかが詩の朗読です。でも、それは人の心を揺り動かし、人生を少しだけ前に進めるほどのチカラがあるのだと思いました。
※文中の写真は東洋英和女学院大学と創英大学でのぷかぷかのメンバーさんと学生さんとのワークショップの様子です。
※文中の動画はオプラシアターこんにゃく座さんのものを許可をとり載せています
区役所の精神障害の人達の集まりで詩の朗読ワークショップをします。読むのは長田弘さんの「ふろふきの食べ方」という詩です。
自分の手で、 自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スが入っていない一日だ。
手に持ってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。
それから 確かな包丁で
一日をざっくりと厚く切るんだ。
日の皮はくるりと剥いて
面取りをして、そして一日の見えない部分に隠し刃をする。
火通りをよくしてやるんだ。
そうして深い鍋に放り込む。
底に夢を敷いておいて、
冷たい水をかぶるくらいさして、
弱火でコトコト煮込んでゆく。
自分の一日をやわらかに
静かに熱く煮込んでゆくんだ。
こころさむい時代だからなぁ。
自分の手で、自分の
一日をふろふきにして
熱く香ばしくして食べたいんだ。
熱い器でゆず味噌で
ふうふういって。
(長田弘詩集 『食卓一期一会』より)
詩は一人で黙って読んでもいいのですが、誰かに向かって声を出して読むと、詩が全く違ったものになります。詩がムクムクと動き始めます。そういったことをリアルに感じるワークショップです。
参加者は2グループに分かれ、BGMをかけながら相手のグループに向かって詩を読みます。誰かに向かって言葉を発すると、言葉に思いがこもります。受け止めた側にその思いが伝わります。詩が単なる言葉ではなく、生き生きと生きたものになります。
そういったことを感じて欲しいなと思っています。
(詩を朗読する)
あ、なんだかおもしろそう、って思われた方は機会見つけてぜひ一緒に詩の朗読会やりましょう。問い合わせはぷかぷかの高崎まで info@pukapuka.or.jp
※文中の写真はぷかぷかの「演劇ワークショップ」の際のものです
毎日新聞の上東さんとやまゆり園事件の話をしていて、
「犯人がもしぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」
という話になりました。全く同感で、以前そういったことをブログにも書いています。
やまゆり園の利用者さんたちがスタッフと下の写真のような関係だったら事件は起きませんでした。
スタッフがやめる時は、抱き合って泣くぷかぷかさんもいました。
これが「いっしょに生きていく」ということです。
要するに相手と人として対等につきあっているからこそ、こういうことが日常的に起こります。支援という上から目線の関係では、こういったことは多分起こりません。
やめていくスタッフがぼそっとこんなことを言ったことがあります。
「ぷかぷかさんて障害者だったのね。ずっと忘れてたわ」
ちょっと笑ってしまいましたが、けだし名言です。
こういう言葉がぽろっと出てくるのも、人として対等につきあっているからです。だから一緒に楽しいことがたくさんできた。下の写真はみんなでケヤキの木になるワークショップ。
犯人がこんな環境にいれば、あのような事件は起こりませんでした。ふつうに考えればすぐにわかることです。にもかかわらず、やまゆり園の環境はほとんど問われないまま、犯人に死刑を宣告することで事件は終わったように受け止められています。
でも、冒頭で書いた
「犯人がぷかぷかにいたら、あんな事件は起こらなかったよね」
の問いは、この事件の本質を突いているように思うのです。支援という関係性と事件について、もっともっと検証せねばと思うのです。
毎日新聞上東さんの記事
久しぶりに「でんぱたさん」たち(ぷかぷかの生活支援事業所「でんぱた」で働く人達)に会いに行ってきました。
働いている人がいて、倉庫で休んでいる人がいて、こういうたたずまいがいい。
たい肥の切り返しをしようと思って、何かを思い出した?
落ち葉を集めようとして固まってしまって…
こういう感じ、いいなぁ。
何を思ったのか、畑で気をつけをしたりして…
竹の大きなちりとりを持って…
ものすごく熱心
たい肥を切り返す
たい肥を運ぶ
玉ねぎを乾かすためにひもで縛る。
君の見つめる先には…
君は何を思う?
みんながそれぞれのやり方で今日というかけがえのない一日を作りだしている。
ぷかぷかにパンを買いに来て、パン屋の前のテーブルで食事されたお客さんが、自分のFacebookに
「ほっこりした、いい時間をありがとう」
と写真と一緒にアップしてくれました。
障がいのある人達の働く場所が、ほっこりしたいい時間を提供しています。彼らが社会にいることの意味を端的に語っているように思います。
彼らが社会にいることの意味がそんな風に変わってくれば、彼らにとってはもちろん、誰にとっても社会はもっと居心地のいいものになります。それを阻んでいるのはなんなんだろう、と思います。
以前ほかの福祉事業所に行ったお客さんが、
「やっぱり、ぷかぷかに来るとホッとします」
とおっしゃってましたが、要はそういうことなんだろうと思います。
彼らとどういう関係を作っているのか、という私たち自身の問題であり、そここそが問われているように思うのです。
支援ではなく、いっしょに生きる。そういう関係の時、彼らの働く場がほっこりしたいい時間を提供することになるのだと思います。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。