肌寒い日でしたね。皆さん、体調を崩したりしていませんか?
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肌寒い日でしたね。皆さん、体調を崩したりしていませんか?
この日記ではあまり政治的なことは書かないようにしているのですが、7月10日(日)参院選挙を結果を考えると、私たちは何かとんでもない岐路に立たされている気がしています。選挙の結果次第では、私たちが今まで経験したことのない社会になって、しかもそれが後戻りできない状態になります。
改憲派が2/3取ると、すぐにでも改憲の方向へ動きます。
その具体的な中身。自民党憲法改正草案は憲法の三原則が変わります。
日本国憲法の三原則は
①国民主権
②戦争放棄
③基本的人権の尊重
自民党憲法改正草案は
①国民主権の縮小
②戦争放棄の放棄
③基本的人権の制限
自民党の中枢にいる人たちは「国民主権」も「戦争放棄」も「基本的人権」もない方がいいとはっきり言う人もいるくらいですから、怖いです。「縮小」とか「制限」どころではないのです。
稲田朋美自民党政調会長が講演会で
「国民の一人ひとり、みなさん方一人ひとりが、自分の国は自分で守る、そして自分の国を護るためには、血を流す覚悟をしなければならないのです!」
といいました。国を護るためには、血を流す覚悟をしなければならない、とまで言い切っているのです。なんという感覚か、と思います。でもこれが安倍首相はじめ、自民党中枢の考えです。
そして彼らがいちばん狙っているのは災害を理由にした「緊急事態条項」です。
99条 《緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分をおこない、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる》
これは簡単に言えば「内閣は国会を無視して、自由に法律(と同じ効力を持つ政令)を作ることができます、予算も自由に使えます、知事や市長村長に命令も出せます」ということです。
安倍内閣がそんなことを手に入れたら、日本はどうなると思いますか?考えただけでぞっとします。
99条には更に《緊急事態の宣言が発せられた場合には…国その他公の機関の指示に従わねばならない》
人権は制限されるか、停止されます。
法の下の平等、思想良心の自由、信教の自由、学問の自由、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、教育を受ける権利、特に表現の自由、私たちが自分らしく自由に生きる権利が真っ先に制限されます。
《緊急時の活動を妨げる情報やインターネットの情報は規制する》という制令を出せば、情報はすぐに遮断され、私たちは情報にアクセスできなくなります。世界で何が起こっているのか、全くわからなくなります。
98条 《特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態を宣言することができる》
「必要があると認める」のは、総理大臣です。「緊急事態の宣言をしよう」と閣議で決定されれば、いつ、どんなときでも、緊急事態宣言は出せるというわけです。しかも内閣の判断だけで100日まで続けることができ、国会を味方につければ、いつまでも続けることができます。
改憲派が2/3取ることの意味は、ここに集約されます。緊急事態条項が生み出す窒息するような社会が、もう、後戻りできなくなります。
「自民党案では国家緊急権の中に全権委任条項が入っているので、国家緊急権を憲法に創設して発動すれば、直ちに独裁が確立してしまうのです。これは《独裁条項》というべきものです。つまりナチスの場合の国家緊急権よりも危険な内容です」
「国家緊急権は人権を守るためにあるのではなく、国家を守るために人権を制限し、または犠牲にする制度です」
永井幸寿『憲法に緊急事態情報は必要か』(岩波ブックレット)
本当に頭がくらくらしてきます。くらくらしつつも、ここであきらめるわけにはいきません。
の岩上さんはこんなふうに書いています。少し前の記事で、ちょっと長いのですが、そのまま転載します。緊急事態条項で安倍政権が何を狙っているかがよくわかります。
参院選までとうとう3週間を切りました。まだまだ、やれることがある。この選挙の真の争点は間違いなく改憲です。そのことを、1人でも多くの有権者に伝えたい。
自公ら改憲勢力の狙いは緊急事態条項です。それをここへきてごまかし続けている。なぜか、中身がわかって同意する人間は普通はいないからです。
改憲は、一条ごとに、改憲の発議を衆参両院がそれぞれ行い、国民投票にかけられます。だから、9条がかけられ、自衛隊の存在を認めていない形の2項だけ改められても、現行の憲法のすべてが否定されることはありません。国民主権も基本的人権も権力分立も残ります。平和主義も9条だけでなく、憲法の前文にも明記されており、決して自衛隊が合憲的存在になったからといって平和主義まですべて否定されるわけではありません。
自民党の憲法草案はトンデモないシロモノですが、これを全面的に実現しようとしたら、何回も憲法発議を行い、何回も国民投票にかける必要があります。大変手間と時間がかかり、その間に、国民に憲法に関する情報が行き渡って、自民党の改憲草案は酷すぎないか?と理解が進むでしょう。
理解されてしまうと、この国を全面的に改造することは難しくなる。だから一挙にやってしまいたい。そこで、彼らが目論んでいるのが緊急事態条項です。
僕は緊急事態条項を導入しようとする彼ら改憲勢力を、繰り返し、睡眠薬強姦強盗に例えてきました。緊急事態条項が改憲で導入され、実際に発令されると、現行の憲法秩序はまるごと眠らされ、麻痺して、無効化されます。
人権が停止され、圧倒的な力を手にした独裁権力は、政令という名前の実質的な法律を国会にかけることなく好き勝手に乱発し、この国の法体系をまったく別のものに変えていきます。これは、睡眠薬強姦強盗の手口そのものです。
よく考えてみてください。「これ、お試しでのんでみて。そのあと、ボクが何を君にするかはまだ決めてない」と変な男に言われて、女性の方は、それが強力な睡眠薬だとわかっていてのみますか? 緊急事態条項は国民全員の人権をスリープさせる睡眠薬です。眠ってしまって、抵抗できない間に、モノを取られたり収用されても(財産権の侵害)、身体を好きなようにされたり(人権の侵害)、命を奪われたり(生存権の侵害)しても、抵抗しようがありません。司法に訴えても、緊急事態条項には国民は公権力に服従する義務があると刻まれているのですから、異議申し立てする側が違憲になってしまいます。司法による救済も期待できず、言論の自由もなくなるので、声をあげることもできません。
しかも、この独裁条項には、出口も期限もありません。いつまででも期限の延長ができてしまいます。睡眠薬の追加投与ができて、永遠に目覚めることができなくなるのです。我々国民の人権は終わりなき眠りにつかされ、終わりなき独裁がその上に君臨します。こうなれば、どんな意味のない、無謀な戦争の遂行も可能になります。
自衛隊は米軍の指揮下にあり、属国の二軍として動かされますが、そんな馬鹿げた米軍のための戦争に反対しようにも、緊急事態条項によって、終わりのない人権スリープ状態におかれてしまえば、何が起きているのかもろくに知らされないまま、服従を強制され、抵抗できず、隷従するほかなくなります。我々は眠りこけた奴隷と化すのです。
だから、そんなクスリ(改憲の条項)は、のませる前には中身を明かさない。睡眠薬強姦強盗の手口ですね、これは。参院選で議席の3分の2を取り、改憲の発議が可能になるまでは絶対に明かさない。これは犯罪者の手口です。
ちなみに、憲法9条本丸論も、間違いです。緊急事態条項はお試し、とっかかりで、本丸は9条だと、いう言い方は、悪気はないのかもしれませんが、誤解を招きます。民進党の岡田さんはしきりに本丸は9条だ、という言い方をしますが、多くの人に、決戦は今回の参院選ではなく次回だと勘違いさせてしまう可能性があります。一番大切な本丸は9条で、緊急事態条項は出城だから、この前哨戦は負けても次の戦いに勝てばいいなどと、油断を誘ってしまうのです。9条は心臓だとして、何よりも大切に守りたいと思っていても、睡眠薬をのんで、全身が麻痺したあと、心臓を守れますか? 守れません。財布も守れません。操も守れません。脳も守れません。自分の命も守れません。家族も守れません。ほかの国の人々の命も守れません。緊急事態条項をのんだら、もうその時点で終わりなのです。そして卑劣極まりない政治的睡眠薬強姦強盗は、何をのませるかは、ごまかしながら、3分の2確保にひっそりこっそり邁進しています。何が入っているか、国民に教えないでコップに睡眠薬入りのドリンクを注いでいるわけです。自分は立法府の長である、とか、最高権力者である、などと、国会で叫んでいる安倍晋三氏こそ、この卑劣極まりない睡眠薬強姦強盗の首魁なのです。
まだやれることがある、というところで「不思議なクニの憲法」という映画の自主上映をやります。
7月1日(金)午後3時からアート屋わんどです。鑑賞券は1000円です。会場が狭いのでメールで予約してください。 pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
もう梅雨明けですか?という感じの晴れの日ですが、明日からまた雨模様の天気予報です。
月に1度の土曜日はお楽しみメニューです。
朝、セノーさんと郵便局に前日の売り上げを入金しに行きました。セノーさんはぷかぷかのはんこを押すスタンプ台を受付のお姉さんに借ります。
手を振り上げ、目を閉じて「あ〜、あ〜、あ〜…おねーさん、あ〜、あ〜…ちょっと待って…、あ〜、あ〜、スタンプ台貸して下さい」と、用件を伝えるのにものすごく時間がかかります。
でも、この間合いの取り方が実に微妙で、なんともいえないおかしさを生みます。受付のお姉さんは、その微妙な間合いがだんだんわかってきて、笑いながらずっとセノーさんの言葉を待っています。スタンプ台を借りることがわかっていても、セノーさんの言葉をずっと待っているのです。この、文句ひとついわずに、ずっと待っているところがすごくいいなと思うのです。
帰りがけは、今日はお姉さんたち全員に手を振り上げて「あ〜、あ〜、あ〜…おねーさん、あ〜、あ〜…ありがとうございました」といい、お姉さんたちみんなが笑いながら「ありがとうございました」なんていってました。
セノーさんは、どちらかといえばあまり仕事をしません。でも、郵便局のこんなあたたかな雰囲気を自然に作ってくれます。私が一人で郵便局に行っても、こんな雰囲気は絶対にできません。
お姉さんたちをほんのひととき、あたたかな気持ちにさせるなんて、誰にでもできることではありません。これはですから、セノーさんの立派な仕事なのです。あたたかな気持ちの中で、セノーさんがいることの意味、ぷかぷかが街の中にあることの意味をしっかり伝えています。セノーさんはこうやって街を耕しているのです。
郵便局に行くたびに、こんなポーズで「あ〜、あ〜、あ〜…おねーさん、あ〜、あ〜……」といいながら、街を耕し、街を、みんなの心を、豊かにしているのです。セノーさんはだから、ああ見えて、実はすばらしい仕事人なのです。社会を変える仕事人、ソーシャルイノベーターなのです。
いろんなことがみんなと同じようにできなくても、こんなすばらしい仕事をやっているのです。そんなふうにみんなが思えるようになれば、社会はもう少し楽になるように思うのです。
カフェおすすめのオリジナルスイーツ。
玉子と牛乳で作ったシンプルだけどクセになるIKUMIさんのプリン。
シフォンケーキはまいまいが心を込めて丁寧に焼き上げています。
味はその日の楽しみで。
ドリンクはコーヒー、紅茶(ホット、アイス)
みかんジュースからのえらんでいただいて500円です。
ティータイムは10:00〜16:00です。
ラストオーダーは15:30です。
お待ちしております。
今日のメニューは
週の真ん中、、、と言いたいところですが、今週は土曜日までです。
昨日、NHKの「あさいち」で「発達障害児」のことを話題にしていました。2歳、3歳になっても言葉が出ないとか、目が合わないとか、いろいろ悩みを抱えている若いお父さんお母さん向けの内容でした。こういうトレーニングをするといいとか、何かできたときは必ずほめてあげるとか、障がいのある子どもを抱えてどうしていいかいろいろ悩んでいるお父さんお母さんにとっては、支えになる情報だったと思います。
ただ、いろいろできなくても、いっしょにいるといいこともいっぱいありますよ、という、発想の違う支えがあっても良かったかなと思いました。できないことをできるようにするという方向での支えではなく、そのままでもいいんだよ、いっしょにいるといいことはいっぱいあるよ、という支え方。子どもへの目線が多分変わります。できないことはだめだ、という思いから解放され、気持ちがものすごく楽になります。子どもといっしょにいることが、もっと楽しくなります。
ぷかぷかは「彼らとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを日々ホームページ、Facebookページなどで発信しています。
ぷかぷかは彼らのできないことをできるようにする、という方向ではなく、そのままの彼らがいい、そのままがいちばん魅力的、と、そのままの魅力で勝負するお店を街の中に作り、結果、地域社会で「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」という人を増やしてきました。
そのままの彼らが地域を耕し、地域を豊かにしてきたのです。
「はじめは上から目線で彼らのことを見ていましたが、彼らに耕されたおかげで、今は彼らのことを普通に見られる(フェアに見られる)ようになりました」と言うお客さんがいます。お客さんの視線を変えたのは、彼ら自身です。何かができるようになった彼らではなく、そのままの彼らです。
上から目線で見ていた人を、フェアな目線で見られる人に変えるって、すごいことじゃないかって思います。しかもああだこうだと説明したのではなく、彼らのありのままのふるまいが人を変えたってことが。
人が豊かになるって、こんなふうに変わることだと思います。「そのままの彼らが地域を耕し、地域を豊かにしてきた」というのは、そういう人を地域の中で増やしてきたということです。
ありのままの彼らが、社会に貢献しているのです。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。