今朝アップした《障害があっても、なくても、「人」は「人」》 というタイトルのブログにこんなコメントが寄せられました。
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そう・・「障がい者は居た方が良い」って言う言い方?にも何かうっすら違和感と言うか、ちょっと違うな感があったと言うか、、障害のあるなしって言うか・・ぷかぷかメンバーさんに出会い感じたのは「こんな人はいた方が良い」って気持ち。
こんな人イイな、あんな事してる、そういうこと言う、そんな絵を描く、こんないい加減な事してる(笑)あんな所でハナほじってる!!・・人が人に、良いな、キュートだな、素敵だとウキウキする事に障害のある、ない、の看板要ります?看板ありきで好きになります?障害があろうとなかろうと、魅かれる人には魅かれるもんです。
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全くおっしゃるとおりです。障がいの看板なんか、ほんとうはいりません。ただ「ぷかぷか」は「障がいのある人たちの社会的生きにくさを少しでもなくしたい」と思って立ち上げたので、そこを明確にするために「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを発信し続けています。
こんな話があります。
《米IT大手が、インターネット上で人と会話しながら発達する人工知能の実験を中止したというニュースがあった。「ヒトラーは間違っていない」などと発言するようになったためだという。私は相模原の事件の容疑者が「ヒトラーの思想が降りてきた」と話したという報道を見て、差別的な言葉を浴びるうちに「学習」した人工知能と同じことが、人間でも起きたのではないかと感じた。》浦河べてるの家・理事 向谷地生良
http://mainichi.jp/articles/20160823/ddm/012/040/056000c
「障がいのある人はなんとなくいやだ」とか「障がいのある人はなんとなく怖い」とか「障がいのある人は効率が悪い」とか、障がいのある人のマイナス評価の言葉が蔓延する社会に今、私たちは生きています。そして、そういう「文化」が社会の中で形作られています。効率、生産性が最優先で求められる社会にあっては、「障がいのある人たちはいない方がいい、その方が効率が上がり、生産性が上がる」という彼らに対するマイナス評価の文化しか生まれません。(相模原障害者殺傷事件の容疑者と同じ発想です)
そんな中で、「いや、それはちがう」、「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」という言葉をぷかぷかは発信してきました。効率、生産性を良しとする「文化」に対する、もうひとつの「文化」の提案といっていいと思います。彼らと一緒に生きていった方が、効率、生産性を超える豊かさを私たちは得ることができる、というメッセージです。そういった言葉が、今、とても大事な気がします。
相模原障害者殺傷事件以降、そういった言葉が今まで以上に大事になった気がしています。
ですからコメントを寄せてくださった方も、「ぷかぷかさん」たちに出会って生まれた言葉を社会の中にどんどん広げて欲しいと思っています。