昼食メニュー紹介です!
▪︎タンドリーチキン
▪︎パスタサラダ
▪︎小松菜と昆布の和え物
タンドリーチキンだーい好きなセノーさんに「お味はどうでしたか?」と伺ったら、片手を高くあげながら「なかなか美味しかったです!」と元気に応えて下さいました。
ありがとう!
昼食メニュー紹介です!
▪︎タンドリーチキン
▪︎パスタサラダ
▪︎小松菜と昆布の和え物
タンドリーチキンだーい好きなセノーさんに「お味はどうでしたか?」と伺ったら、片手を高くあげながら「なかなか美味しかったです!」と元気に応えて下さいました。
ありがとう!
お休み明け、20日火曜日のメニュー紹介です。
▪︎海老ピラフ
▪︎キャベツとキュウリのマヨネーズ和え
▪︎カボチャとレタスのナッツ入りサラダ
▪︎梨
▪︎コンソメスープ
今月2回目のお誕生日メニューです。
海老ピラフピラフ無理かな〜〜と何度も尋ねてきたのでよほどお好きなのでしょうね。
皆さんのご希望にはなるべく添いたいと思っています。
金曜日のメニュー紹介です!
何を今頃…と、思っているあなた!それでもご紹介をしたいのです♪
▪︎蒸し鶏
▪︎煮物
▪︎小松菜の和え物
ザ、和食と言える様なメニューです。
メンバーの皆さん、お若い方ばかりですが和食好きな方が多いです。
ナオコさんと一緒にお弁当配達へ。
いつもお届けするお客様なので、ナオコさんはしっかりと道順を覚えています。
両手をぶん!ぶん!ぶん!と振って
ぐん!ぐん!ぐん!と大地を踏みしめて
ナオコさんは歩くのが早い、早い。
山登りが好きです。
お相撲好きです。
ニンジン千切り好きです。
玉ねぎみじん切りします。
早歩きのナオコさんとお話しをしながらの配達は
楽しい会話と一緒です。
(ちょっとだけ息はきれますが…)
今度はどこまで配達に行けるかな?なんてちょっとワクワクしながら
いつもご注文をお待ちしています。
以前紹介したtomoさんの新しいブログです。
《難病を発病し、後遺症で障害者になって、 身体は不自由になりました。 でも、驚くくらいに、心は自由になったんです。》とtomoさんは書いています。
「驚くくらいに、心が自由になったんです」 なんて素敵な言葉なんだろうと思いました。人間、心が自由になるって、なかなかできることではありません。それを障害者になることで「心が自由になった」というtomoさん。人が生きていく上でとても大事なことを教えてもらった気がします。
私が自由になれたときの話を書きます。
私は養護学校で障がいのある人たちと出会うことができて、何がいちばんよかったかというと、彼らと出会うことで私自身が自由になれたことです。こういうときはこうすべき、こういうときはこんなことしちゃいけない、といった様々な「規範」に私たちは縛られています。その「規範」が、彼らと毎日おつきあいする中でだんだん取れていったのです。
以前にも書きましたが、一日に何度もお漏らしし、そのたびにパンツを脱いで放り投げる子どもがいました。天気のいい日は芝生の上でふりちんのまま大の字になり、実に気持ちよさそうにニカニカしていました。私はそばで陰気な顔をして、「ふりちんはだめです。パンツはきなさい!」とぶつぶつ言っていました。毎日毎日こういうことを繰り返していたのですが、ある日、彼の幸せそうにニカニカ笑う顔を見ながら、なんだ、彼の方がオレよりもいい時間過ごしてんじゃん、とふと思ったのです。これは大変な気づきでした。毎日陰気な顔してぶつぶつ文句ばかり言っている私よりも、ふりちんで大の字になって気持ちよさそうにニカニカ笑っている彼の方が、はるかにいい人生の時を過ごしているのです。オレは一体何やってんだ、って、そのとき思いましたね。情けないというか、なんてつまらない人生生きてんだ、ってニカニカ上機嫌の彼を見ながら思いましたね。
その気づきは「パンツは誰でもはくもんだ」という思い込みから、「パンツをはかない子がいたっていいんだ」となって、以来、彼のそばにいてもあまり文句を言わなくなりました。いっしょにニカニカしながら大の字になって芝生の上に寝っ転がりました。おひさまのさんさん照る中、二人でほんとうにいい時間を過ごしました。(残念なことに私はふりちんにはなれませんでしたが…)
こういうことが養護学校では数え切れないくらいあって、そんな中で私自身が少しずつ自由になれた気がしています。障がいのある人たちのおかげで自由になれたというわけです。いろんな「規範」が取れて、人生がすごく自由で、楽しくなった気がしています。
ですから彼らを指導したり、訓練したり、あるいは支援したりして、社会に適合できるようにしようとは、ちっとも思わないのです。なんかもったいないというか、社会に適合できるようになったら、彼らの魅力はなくなってしまいます。まわりの人を自由にすることもできなくなってしまいます。
私たちより何倍も自由な彼らを社会に合わせることが、彼らにとってほんとうに幸せなことなのかどうか。私たち自身、いつもまわりの空気を読み、社会に合わせて生きていて、それがほんとうに自由で、自分らしく生きてて、幸せなのか、ってちょっとでも立ち止まって考えれば、すぐにわかることです。
三連休の後ですが、気持ちを切り替え、それぞれの仕事に集中してます。素晴らしいですね。
ラスク隊!
ほうじ茶スノーボール隊!
NHKのパラリンピック報道で、
「パラリンピックの報道は障害者のイメージを変えますよねぇ」
なんてこと言ってましたが、確かに障害者もこんなすごいことができる(いろんなことができないというマイナスイメージを象徴する《障害者》という言葉を見事にひっくり返しています)という意味では、障害者のイメージは変わると思います。
でも、そういう意味で障害者のイメージが変わっても、障がいのある人たちの社会的生きにくさが変わるか、というと、多分変わりません。ハード面でのバリアフリーは進んでも、ソフト面でのバリアフリーはなかなか進まないからです。
できないことをできるようにがんばってがんばって、すごいことができるようになる人もいれば、できないことを全く気にしないで、がんばらない障がいのある人たちもたくさんいます。むしろこっちの方が多い気がします。
いつも話題にするセノーさんなんかはそのがんばらない人の代表です。
できることを極限まで追求する人たちのパラリンピックがあるなら、できないことをできるようにがんばらない人たちのパラリンピックがあっても面白いんじゃないかと思いました。そこでは、がんばらない人たちが作り出す、今までにない新しい価値で勝負します。新しい価値は、がんばらない人たちに寄り添う人たちが言葉や映像、その他で表現します。
新しい価値を評価することは、そのまま「できないことをできるようにがんばらない人たち」の評価につながります。評価することを超えたところで生きている彼らを評価するなんて、彼らから見れば全く意味のないことです。それでも今の社会にはない新しい価値を見いだすという意味で、そしてそのことで社会をより豊かにする、という意味で、私たちは目をこらして、必死になって評価することはものすごく意味があると思います。
「できないことをできるようにがんばらない人たち」の作り出す今までにない新しい価値で勝負するパラリンピック、考えただけでも楽しいと思います。いや、そういう新しい価値を掘り起こす作業が、今すごく必要なんじゃないかと思います。そういうことこそが相模原障害者殺傷事件を乗り越えるために必要だと思います。
たとえばセノーさんは「ああああ…」と言いながら、郵便局のお姉さんたちの心を耕しました。
これは彼にしかできない《新しい価値》の創造と言っていいと思います。
彼らが生み出しているそんな《新しい価値》をみんなで探そう。そしてその《新しい価値》で勝負するパラリンピックをやろうじゃないか、という提案です。
2016年9月17日、第3期みんなでワークショップの第二回目がありました。今期は『セロ弾きのゴーシュ』がテーマです。どうやって『セロ弾きのゴーシュ』の物語をみんなの中に降ろすかが今回のテーマでした。
『セロ弾きのゴーシュ』は金星音楽団が練習しているとき、いつもゴーシュのセロが遅れ、楽長がだめ出しをするところから物語が始まります。
《 にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。
「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」 》
という具合です。そこで、この楽長がだめ出しするところの言葉をみんなで言い合う「だめ出し合戦」をやりました。人間、大きな声を出すと、自然にテンションが上がります。相手に向かって大声を出し、相手はそれに負けずに更に大声を出します。相手がいる、ということはすごく大事です。
手をパン!パン!パン!と三つたたき、この台詞を相手に向かって大声で言います。相手は同じ台詞を更に大きな声で投げ返します。
こうやって体が熱くなったところで、三つのグループに分かれて、練習中にゴーシュがだめ出しをされるシーン、叱られたゴーシュが壁に向かって涙をこぼしながら一人静かに練習をするシーン、夜、川端にあるこわれた水車小屋の家に帰り、椅子に座って練習するシーンを作りました。
オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』で歌われている歌を使ってシーンを作っていきます。
だめ出しの言葉を言ったあと、みんなが歌で支えます。
ゴーシュをのぞく楽団員が退場したあと、ゴーシュは一人残って練習します。
ここはゴーシュ役のサイトウさんが、すばらしい演技を見せてくれました。後ろ姿がすごくよかったですね。みんなが歌で支えます。
《 その晩遅くゴーシュは何か巨きな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋…
ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない、あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床の上にそっと置くと、いきなり棚からコップをとってバケツの水をごくごくのみました。
それから頭を一つふって椅子へかけるとまるで虎みたいな勢でひるの譜を弾きはじめました。》
体でゴーシュの家を作ります。そこへゴーシュがセロを担いで帰ってきます。先日日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんもリュックのようにチェロを背中に担いでやってきました。
セロを床に置き、棚からコップを採ってバケツの水を飲みます。それから頭を一つ振って、椅子にかけるとまるで虎みたいな勢いでセロを弾き始めます。
サイトウさんのこの熱演ぶり。♪譜をめくりながら 弾いては考え、考えては弾き…
ほかの二グル−プとも、こんなふうにして最初のシーンを作りました。デフパペットシアターひとみの役者エノモトさんが作った水車がすばらしかったですね。エノモトさんは聴覚障害者。言葉を使わずに体だけで様々なものを表現する活動をやっています。一声かけただけで、すばらしい水車を作ってくれました。
歌の力は大きかったですね。こんにゃく座のオペラの歌は原作の言葉をそのまま使っています。ですからオペラの歌を歌うと自然にそこのシーンが頭に浮かびます。『セロ弾きのゴーシュ』をみんなの中に降ろすのにとてもいい方法だと思いました。
終わってからの反省会、しょうへいさんはずっと黙ったままなので、今日は何も言わないのかと思っていたら
「実は小さな子どもが僕を好いてくれました。それがとてもよかったです」
と、ぼそっと言い、みんな笑ってしまいました。コミュニケーションゲームの中で、ピアノの役をやり、その中で子ども達がしょうへいさんのこと、とても気に入ったようでした。しょうへいさんは積極的に子ども達に関わるタイプではないのですが、内心すごくうれしかったんですね。
とりあえず最初のシーンができました。このあと動物たちが登場するシーンを作っていきます。どんなお芝居になるか、楽しみにしていてください。
できあがった芝居の発表は来年1月19日(日)の午後、みどりアートパークホールで予定している《表現の市場》でおこないます。
昼食メニュー紹介です♩♪♫♬
15日木曜日
ジャガイモとベーコンのオーブン焼き
厚揚げとこんにゃくのきんぴら風
キャベツとワカメのマヨ和え
メニューの最後に良く付いているナニナニ風、この風〔ふう〕を自宅でも家族に今日のメニューは?と、聞かれるたびにボルシチ風…などと便利に使っていたのですが、あまりに酷使していた為かある日、「その風〔ふう〕っていうのを付ければ何でもOKだと思っているでしょう」と言われてしまいました。
ですが、ほぼ毎日調理をする者にとって確実にコレはナニナニです!と言い切れない日も有るのです。でも、それでもココロを込めて作っている事に変わりはありません。
お召し上がりになる皆様、ナニナニ風も立派なお料理なのです!
ともかく今回はこんにゃくと厚揚げのきんぴら風、作りました♪
帰りがけ、セノーさんは行きつけのゲオのお姉さんに電話していました。
顔を見ながらの話ならともかく、電話でセノーさんの話に対応するのは大変です。この電話、10分くらい続いたのですが、ゲオのお姉さんはよく頑張ったと思います。普通なら電話を切ってしまうところですが、根気よく対応してくれました。お詫びと感謝の電話を入れようかとも思いましたが、セノーさんの電話をお詫びしたり感謝するのも何か変だと思い、やめました(お父さんは時々お詫びと感謝の電話を入れているようです)。
セノーさんがゲオに電話し、ゲオのお姉さんがそれに対応するのはごく当たり前のことだと思ったからです。私がそれをお詫びしたり、感謝したりすると、そのやりとりがなにか特別なものになってしまいます。セノーさんは当たり前のようにゲオに電話しています。私たちもそれを当たり前のこととして受け止めていかないと社会は変わっていかないなと思いました。
セノーさんはこうやって電話で街を耕しているんだと、あらためて思いました。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。