今朝の朝日新聞朝刊の天声人語に
《自民党の会合では議員から「女性の社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」という声まで出た》
とあって、びっくりしました。呆れました。社会を見る目の貧しさ、人間を見る目の貧しさを思います。こんな国会議員がいる限り、社会は豊かになっていかないなぁ、と暗澹たる気持ちになります。
「女性」を「障がいのある人たち」と置き換えると、どうでしょう。
「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになっているとは思えない」と思う人は、多分圧倒的多数だと思います。いや、そもそも、彼らが社会に出ていくことで社会が豊かになる、というふうに考える人自体が、あまりいないのではないかと思います。
障害者雇用促進法にも、彼らを雇用することで社会が豊かになる、ということはひとことも書いてありません。障がいのある人が一般に企業に入ることはとても難しいのですが、それを「差別はいかん」ということで無理やり雇用を法律で強制している感じがします。雇用達成率を満たさないと罰金まであります。
なんか寒々しい世界です。
「差別はいかん」よりも「彼らを雇用すると、職場が豊かになるよ」と言った方が、彼らを受け入れやすい気がします。
障がいのある人が職場に入ることで、場合によってはいろんな「問題」が生じることもあります。ペースが合わないとか、指示がうまく伝わらないとか、効率が悪いとか、いろんな「問題」が生じます。でもその一つ一つの問題に丁寧に向き合い、どうやったら解決できるのかを考えることは、人間を豊かにします。「問題は人が豊かになるいい機会」だと受け止めるかどうかだと思います。
たまたまですが、昨日統合失調症を家族に持つ方とお話しする機会がありました。一緒に暮らしていく苦労は、聞いているだけでも辛いものがありました。でもその大変さと真正面から向き合っているご両親をあらためて尊敬しました。その苦労の中にこそ人が豊かになっていくものがあるように思いました。ですからぷかぷかもその苦労を分かち合いたいと思いました。
一緒に生きていく、というのはこの「苦労を一緒に背負い込む」ことでもあると思います。そういうことがあっての豊かさです。
「ぷかぷか」は「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」と言い続けています。その方が社会が豊かになると考えるからです。そして日々の活動の中でその豊かさを実際に作り出してきました。
パン教室では豊かな時間が流れています。演劇ワークショップでは豊かな作品を舞台に上げています。
「差別はいかん」だから「障がいのある人と一緒に生きていかねばならない」ではなく、「一緒に生きていった方が豊かになるよ」「得だよ」と言った方が、気持ちが楽です。
この豊かさは、津久井やまゆり園障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」という主張と真っ向から対立するものです。事件を越える社会を作る、というのは、ですから「障がいのある人たちと一緒に生きることで社会の中に豊かさを作っていく」ことに他なりません。
「障がいのある人たちの社会進出で社会全体が豊かになった」とみんなが思えるような社会を目指して、「ぷかぷか」は明日も頑張ります。いや、がんばりません。頑張る世の中にはしたくないのです。頑張ったりせずに、そんな社会を作りたいと思っています。ぷかぷかの帰りの会はいつ始まって、いつ終わったのかがはっきりしないような、全くしまりのない会です。それでいてどこかホッとするような、居心地がいい場なのです。ですから、別に頑張らなくてもそういう社会はできるんだろうと思っています。
(ぷかぷかの帰りの会、ぜひおいでください。ぷかぷかウィルスに感染しない、という保証はありませんが…)