金子さんがきて、2月のカフェの壁に飾る絵を描きました。あんちゃんがいる風景がなんともいいです。ぷかぷかさんたちの中に、当たり前のように小さな子どもがいる風景。
そうしてできあがった絵がこれ。線がなんともダイナミックです。ここから新しいエネルギーが湧きおこるような、新しい何かが起こるような、そんな予感を感じさせます。
まだつぼみですが、3月には花が咲きます。楽しみにしていてください。
金子さんがきて、2月のカフェの壁に飾る絵を描きました。あんちゃんがいる風景がなんともいいです。ぷかぷかさんたちの中に、当たり前のように小さな子どもがいる風景。
そうしてできあがった絵がこれ。線がなんともダイナミックです。ここから新しいエネルギーが湧きおこるような、新しい何かが起こるような、そんな予感を感じさせます。
まだつぼみですが、3月には花が咲きます。楽しみにしていてください。
昨日の神奈川新聞の記事です。「津久井やまゆり園」立て替え問題の公聴会で、障害者団体から批判が出たことに対し、県知事が「心外」であるなどと発言したことに対する波紋の記事です。
批判に謙虚に応えるのではなく、「心外」などといって聞く耳を持たない姿勢こそが、相模原障害者殺傷事件を起こすような社会を、そのまま温存してしまうような気がしています。
「重度障害者の意向確認はできないとはなから思い込んでいる。」という批判がありましたが、その通りだと思います。ちょこっと視察したくらいで、彼らの気持ちはわかりません。重い障がいのある人たちに本気で寄り添っていこうという気持ちがなければ、彼らの気持ちは見えません。当事者を置き去りにしたまま、建物だけが新しくなって、事件は解決したとでもいうのでしょうか?それが事件に「屈しない」ことなのでしょうか?
ぷかぷかしんぶん1月号で、相模原事件について書いた記事を読んで号泣したというお客さんが来ました。人を泣かせるほどのことを書いたつもりはないのですが、相模原事件への思いが、その人の心に響いたのだと思います。
《 今年七月に相模原で障がいのある人十九人が殺されるという悲惨な事件がありました。容疑者は「障害者はいない方がいい」などといいました。
表現の市場は、「それはちがう、障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージを舞台で表現します。単なる言葉の反論ではありません。障がいのある人たちと一緒に作った舞台そのものが、目に見えるメッセージになります。一緒に生きていった方がいい、と思える事実を作ります。
舞台の豊かさは、障がいのある人たちといっしょに生きていくことの豊かさです。障がいのある人たちを排除する文化に対する、新しい文化といっていいと思います。障がいのある人は効率が悪い、役に立たない、社会の負担、といった文化に対して異議申し立てをする文化です。
事件の容疑者を生み出すような社会は病んでいます。新しい文化は、その病んだ社会を救います。 》
号泣したというお客さんは障がいのある弟がいるそうです。そういう立場で事件を受け止め、とても辛い思いをしたとおっしゃっていました。そこへしんぶんの言葉が届いた、ということです。
県知事は「心外」などと言って耳を閉ざすのではなく、「心外」な批判を口にした人たちに届く言葉こそ真剣に探すべきだと思います。そうすることが、知事の心を磨き、事件を超える社会を作っていくことにつながるように思うのです。
お正月!と、思ったらもう中旬です。
毎日毎日過ぎてゆくのが早いですね。
この頃はめっきり冬らしい寒さで朝なんて着ていくものに本当に困ってしまいます。
とりあえず、美味しいお昼をどうぞ!
先週はの給食は5日のうち3日がお誕生日メニューでした。
お誕生日メニューはいつものメニューより少しだけ手がかかる事が多いのですが、皆さんが喜んで下さるので嬉しい気持ちの方が大きいです♪
1月29日(日)の表現の市場で、日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんとぷかぷかのダイちゃんがコラボをします。今日は江原さんがぷかぷかに来て、ダイちゃんと練習をしました。
昨年10月のぷかぷかマルシェ以来のコラボでしたが、ダイちゃんは体でしっかり覚えていて、最初からぶれることなく太鼓をたたいていました。
「上を向いて歩こう」
「レクイエム」何度聞いても心にしみる曲です。「表現の市場」ではたくさんの人たちにこの曲を聴いて欲しいと思っています。そして相模原事件で犠牲になった人たちに思いを馳せて欲しいと思っています。目を閉じて聞いて下さい。
福祉事業所でパンを作っているおじさんがパンの研修にきました。57才のとても気さくなおじさんです。話しぶりからして、利用者さんと一緒にパンを作ることが楽しくて楽しくてしょうがない、といった雰囲気でした。利用者さんを指導するとか支援する、といったことが大嫌いで、そうなったら、仕事に行くことがつまらなくなるじゃないですか、とおっしゃっていました。理屈ではなく、感覚的にそういうものはいや、という感じです。利用者さんと楽しく働く関係を壊したくない、という気持ちが強いのだと思います。「支援員」と書いた名札が嫌でねぇ、なんてお話しもされていました。
利用者さんと毎日楽しくやっていると、若い常勤職員から、「そんなに甘やかさないで下さい」とか「きちんと指導して下さい」といわれたこともあり、ゲンナリしたそうです。でも、ま、そういうことをきちんとやっていれば、福祉事業所の中で出世?して、私くらいの年であれば施設長くらいはやっているのですが、利用者さんに対して指導とか支援といった関わりはなんかつまらない気がして、結局は職場を転々とすることになった、とおっしゃっていました。ずっとパートの立場で贅沢はできませんが、毎日利用者さんと楽しく仕事をする、というのがいちばん幸せなことです、とおじさんは目を細めて語っていました。
こういうおじさんのおかげで、福祉事業所の現場が楽しくなっているのだろうと思います。おじさんをぷかぷかにつれてきた保護者の話だと、利用者さんの間では「ジャムおじさん」と慕われ、超人気者だそうです。職場の風景が目に浮かぶようです。
おじさんも利用者さんと一緒に働くのが大好きで、利用者さんも「ジャムおじさん」と働くのが楽しみで、これこそが「障がいのある人たちと一緒に生きること」なのだと思います。
お互い一緒に働くことが楽しいと思える職場こそがいちばんです。指導だの、支援が大事、とスタッフが考えている限り、職場はお互いつまらないものになります。
指導とか支援しか考えられないのは、利用者さんたちと「人として出会っていない」のだと思います。人として出会っていれば、ジャムおじさんのように、彼らと一緒に働くこと自体が楽しくなります。それがないから「指導」とか「支援」という関係に、自分がそこにいる理由を求めるのだと思います。そのことが「一緒に働く職場」をつまらないものにしていることにいい加減気づくべきだと思います。
ぷかぷかでは毎日帰りの会で「いい一日でしたか?」という質問をします。毎日はかけがえのない一日です。それをいい一日とするか、つまらない一日とするのか、とても大事なことだと思います。指導とか支援は、利用者さんのかけがえのない一日をだめにしてしまっているんじゃないか、そんなふうに思います。
以前にも書きましたが、養護学校の教員をやっているとき、毎日のようにフリチンで芝生の上で大の字に寝っ転がって、ニカニカしながらおひさまを仰いでいる子どもがいました。私はそばで「パンツはきなさい」と陰気な顔をして言い続けていました。でも、こういうことを毎日続けていると、ひょっとして彼の方がいい時間を過ごしているんじゃないか、とだんだん思い始めました。ニカニカしながらおひさまを仰いで気持ちよさそうにしている子どもと、陰気な顔をしてグチグチ言っている私とどっちがいい時間を過ごしているか、ということです。そのことに気がついてから、もうグチグチつまらないことをいうのはやめて、その子と一緒に大の字になって寝っ転がってひなたぼっこをすることにしました。
いい時間を過ごすこと、いい一日を過ごすこと、そしてそれを何よりも大事にすることは、そのフリチン少年に教わった気がします。人生のとても大事なことを教わったと今でも思っています。それが帰りの会の「いい一日でしたか?」につながっています。はじめの頃は手を上げる人はほとんどいませんでしたが、だんだん質問の意味をわかってもらえて、今では何人もの人が手を上げて、私のいい一日を発表してくれます。
ジャムおじさんは毎日そんないい一日を利用者さんと作っているんだろうなと思います。
ゆうたくんという重度の知的障がいの子どもがいます。そのお母さんのFacebookでゆうたくんがタブレットを使ってゲームを楽しんでいる動画が紹介されていました。私はタブレットが使えないので、なんてすごい子どもなんだと、ただただ感心しました。重度の知的障がいといわれている子どもが、どうしてこんなことができるのか、全く理解できません。
nahaちゃんも同じく重度の知的障がいの子どもです。hanaちゃんは一人でご飯が食べられません。いつもお母さんが口に運んでいます。口にいくらでも入れてしまうからです。なのにスマホでゲームを楽しんでいます。私はスマホも苦手で、電話が鳴っても、いまだにスムーズに出られません。文字を打つのにものすごく時間がかかるので、メールはしません。いつも使うのは目覚まし時計とマンションの10階まで階段を上るときのストップウオッチです。要するにほとんど使っていないというか、使えない、と言った方がいいくらいです。そのスマホでhanaちゃんがゲームをやるのです。指の動きを見ると、実になめらかで、どうしてこんなに使いこなせるのか、私には全く理解できないのです。
一人でご飯を食べられない人が、どうしてスマホを使いこなせることができるのでしょう。スマホが使えるなら、ご飯くらいは一人で食べられそうなものなのに、それができないところが人間のおもしろいところかも知れません。
ゆうたくんのお母さんは「ゆくゆくは会話のアプリ使ってコミュニケーション深められたらいいなと思ってます」とFacebookに書いていました。なんかもう、ついて行けない感じがしました。
機会があればゆうたくんにはタブレットの使い方を、hanaちゃんにはスマホの使い方を教わろうと思っています。いつも「何かやってあげる」ではなく、そうやってお互い助け合って生きていけばいいじゃないかと思うのです。相模原事件を超える社会は、むつかしい話ではなく、案外こういったところに手がかりがあるんじゃないか、と思ったりするのです。
愛しのhanaちゃん。どこでも寝られる特技があります。
やまゆり園の立て替えをめぐっての公聴会で、たくさんの批判が出ました。批判が出たにもかかわらず、県の方針は変えるつもりはないようです。公聴会も一回で終わりで、やる気のなさが露骨です。
県知事も意義に耳を傾ける気はないようです。
事件のあと、県が掲げた「ともに生きる社会かながわ憲章」はどこへ行ってしまったのでしょう。
ともに生きる社会かながわ憲章
~この悲しみを力に、ともに生きる社会を実現します~
平成28年7月26日、障害者支援施設である県立「津久井やまゆり園」において19人が死亡し、27人が負傷するという、大変痛ましい事件が発生しました。
この事件は、障がい者に対する偏見や差別的思考から引き起こされたと伝えられ、障がい者やそのご家族のみならず、多くの方々に、言いようもない衝撃と不安を与えました。
私たちは、これまでも「ともに生きる社会かながわ」の実現をめざしてきました。
そうした中でこのような事件が発生したことは、大きな悲しみであり、強い怒りを感じています。
このような事件が二度と繰り返されないよう、私たちはこの悲しみを力に、断固とした決意をもって、ともに生きる社会の実現をめざし、ここに「ともに生きる社会かながわ憲章」を定めます。
一 私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします
一 私たちは、誰もがその人らしく暮らすことのできる地域社会を実現します
一 私たちは、障がい者の社会への参加を妨げるあらゆる壁、いかなる偏見や差別も排除します
一 私たちは、この憲章の実現に向けて、県民総ぐるみで取り組みます
平成28年10月14日
神 奈 川 県
ホームページの改善提案をしてくれたママボノの打ち上げがカフェでありました。ママボノの活動は、先日NHKのニュース番組でも紹介されていましたが、育休中のママたちの職場復帰トレーニングとして位置づけられています。参加するママさんたちの表情に仕事への緊張感がみなぎっていて、すごいなと思いました。ぷかぷかのホームページ改善提案をしてくれたママさんたちも、職場復帰トレーニングといったものを超えた仕事ぶりでした。
その成果の象徴がこのトップページのデザインです。
もう少し鮮明な画像は下のサイトの中のダウンロードボタンをクリックすると出てきます。
ぷかぷかのホームページには、中小企業以上の情報量が蓄積されているとママボノの方はおっしゃっていましたが、それに全部目を通して改善提案を出してくれました。その努力に頭が下がりました。もちろんこれはすべてボランティアです。ボランティアだからこそ、こんなにすばらしい仕事ができたのだと思います。昨年pvプロボノにつくっていただいたプロモーションビデオも、ボランティアでした。
会社に頼んでも、それなりの改善提案は出てきたと思うのですが、ママボノの改善提案には取り組んでくれたママさんたちの気持ちがこもっていました。日本財団の会議室で成果物の説明を受けながら、そんなママさんたちの気持ちをびりびり感じ、ちょっとうるっときてしまいました。
人はお金をもらわないときこそ、本物のいい仕事ができるのかも知れませんね。
pvプロボノはプロの映像クリエイターたちがやっているスキルボランティアなのですが、自分のスキルを生かして、とにかくいい仕事をしたい、という気持ちが、打ち合わせをやっていてもよく伝わってきます。撮影も自分の有給休暇を使ってきてくれます。
生産性という視点で量ることのできない新しい価値を作り出そうとしているだと思います。お金ではかれない価値です。お金にかかわらないからこそ生み出せる価値。それは今ぷかぷかが作り出そうとしている価値と重なるところがあります。
障がいのある人たちは、生産性という視点で見ると、かなり厳しい面があります。でも、それでいながら「ぷかぷかさん」たちはしっかり稼いでいます。接客マニュアルは、生産性の視点から作られています。その接客マニュアルで接客する「ぷかぷかさん」の姿が気色悪かったので、それはもうやめて、「ぷかぷかさん」たちのそのままで勝負しました。結果的にはそれがお客さんに受け、収益を生むようになりました。
お客さんが受け止めたのは、お金でははかれない価値だったのではないかと思うのです。ママボノの成果物の説明の時に私がちょっとうるっとしながら感じた成果物にこめられたママさんたちの思いのようなものを、お客さんたちは感じたのではないかと思うのです。お金を出して手に入れるサービスを超える価値です。
そしてそういう価値こそが、お金によって失われつつある、人が生きていく上で大切なものを、回り道しながらも取り戻すのではないかと思うのです。
ママボノも、pvプロボノも、そしてぷかぷかも、今の社会を救うような新しい価値を生み出しているのではないかと思います。
打ち上げが終わって画伯に似顔絵を描いてもらいました。
「ただそこにいるだけでいい」 なんて素敵な言葉なんだろうと思います。
「ただそこにいるだけでいい」、みんながそう思えば、社会に合わせることも、できないことをできるようにすることもない。みんながゆったりした世界に生きることができます。
欲がない、という俗っぽい感覚でもなく、ただそこにいるだけで、その人の存在価値を認める、という人間観。
重い障がいのある息子さんのことを「ビリケンさんみたいになれればいい」とおっしゃったお父さんは、
「彼ら彼女らには、僕らを集めるお祭りの中心みたいな可能性を感じてます ♪みんなで一緒にそれを証明出来たらいいな♪」
ともおっしゃっていて、支援だなんだと偉そうなこと言っている人たちよりもはるかに人間ができている気がします。
そういえば、殴られ蹴られの30年を過ごした養護学校教員時代、一度も彼らを「支援する」なんて考えたことがなかったことを今思い出しました。ただただ彼らのこと、「そこにいるだけで好きだった」だけです。
多分このお父さんも息子さんのこと、好きで好きでしょうがないんだろうなと思いました。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。