NHKのあさイチで 発達障害のことを考えるシリーズをやっています。今朝は「自分の《苦手》とどうつき合う」というテーマで話し合っていました。自閉症の人で感覚的に食べられないものを「わがまま」だと決めつけられたりしてみんな苦労しているのですが、そこをいろいろ工夫して乗り越えていった実例が紹介されていました。
いろんな実例が紹介されて、すごくいい内容だったのですが、司会の柳沢さんが、苦手を克服するには
「障がいのある人もやっぱり努力が必要なんでしょうか?」
とゲストの大学教授に聞いたとき
「障がいのある人も努力は必要ですね。自分でできないときは誰かの助けを借りればいいんです」
と言っていました。
それ自体は間違ってはいないと思うのですが、努力しようと思わない人たちはどうなんだろうと思いました。
努力しようと思わない人を、まわりの人が努力した方がいいと判断し、無理に努力させようとすると、努力させられる側は苦痛になります。
「努力しようと思わない」のは「怠けている」のか、というと決してそうではありません。
hanaちゃんという重度の障がいを持った子どもがいます。hanaちゃんのお母さんは昔《療育ママ》だったと自分で言っています。療育することで「hanaちゃんにいろんなことができるようにしよう」と努力してきたそうです。ところがいろいろ努力してもhanaちゃんはなかなか思うようにできることが増えません。そんな中であるとき
hanaちゃん自身は、いろんなことができるようになることを望んでいないのではないか、ということに気がついたというのです。
hanaちゃんは一人で箸やスプーンを使ってご飯を食べられません。以前は一人でご飯が食べられるように、いろいろ訓練みたいなことをやったようです。でもよくよく考えてみたら、自分がそう思っていただけで、hanaちゃん自身は「一人でご飯が食べられるようになりたい」とはちっとも思っていないことに気がついた、というのです。
hanaちゃんにはhanaちゃんの人生があり、お母さんにはお母さんの人生があります。お母さんの人生の《基準》でnahaちゃんの人生を決めるのはやめようと思った、といいます。そこで出てきたのが《hana基準》です。
お母さんは《hana基準》というものを見つけて以来、自分の生きることが楽になったといいます。
努力することは人間を成長させます。でもそれは、ある集団の中だけで通用することだということを私たちはいつも確認した方がいいように思います。(あさイチに出演していた大学教授も重い障がいを持った人とあまりおつきあいしていないのではないかと思いました。)
世の中には「努力しよう、とか、がんばろうと思わない人」がいっぱいいて、その人達の生き方も大事にしたいと思うのです。彼らの生き方こそ、努力することやがんばることに疲れてしまった私たちを救ってくれる気がします。
それと努力する方向も考えた方がいいですね。障がいのある人たちは「社会に合わせる努力」を求められることが多いのですが、ぷかぷかで働くツジさんのお母さんは、それが《見当違いの努力》だった、とぷかぷかに来てから気がついたといいます。社会に合わせることが、本当にその人の幸福につながるのかどうか、といったことです。そういった《呪縛》のようなものから自由になることこそ大事な気がしています。