『ぷかぷかさんのおひるごはん、工事してますか?』と、毎日のようにテラちゃんに聞かれています。きっと早くこの場所で働きたいのでしょう。
工事の方も大詰めを迎え、後一息となりました。
毎日みんなのお昼を作りながらの作業でしたので、本当に遅くなってしまいました。
もう少しだけ手を入れたい所があります。
ですのでオープンは7月の下旬となりそうです。
早く、この場所で皆さんとワイワイ過ごしたい気持ちでいっぱいです
『ぷかぷかさんのおひるごはん、工事してますか?』と、毎日のようにテラちゃんに聞かれています。きっと早くこの場所で働きたいのでしょう。
工事の方も大詰めを迎え、後一息となりました。
毎日みんなのお昼を作りながらの作業でしたので、本当に遅くなってしまいました。
もう少しだけ手を入れたい所があります。
ですのでオープンは7月の下旬となりそうです。
早く、この場所で皆さんとワイワイ過ごしたい気持ちでいっぱいです
今朝の朝日新聞の読書欄に「築地市場の価値」と題して築地市場について大きくページを割いて書いていました。その中で「築地市場は単なる市場であることを超えて、世界にも希有な生きた食文化博物館にして、いまや世界中から注目を集めている…」というところが、すごいと思いました。「豊洲市場への移転によって、東京は自分の中の重要な経済的文化的機構の一つを、永遠に失うことになる。日本人は築地市場のような価値ある場所を失ってなならない」と結んでいました。
ぷかぷかも単なる福祉事業所であることを超えて、福祉の枠にもう収まらないほどの「新しい価値」を創り出している気がします。
先日の上映会では朝日新聞、毎日新聞、神奈川新聞、それにNHKが取材にきていました、単なる福祉事業所の映画であれば、こんなに取材はきません。
毎日新聞は一面使ってぷかぷかのことを書くそうで、度々取材にきています。先日は一日メンバーさんと一緒に働く体験取材をしていました。
今週はサービスグラントのキックオフミーティングを取材します。 サービスグラントについては下記サイト。
サービスグラントには企業にアートを売り込む営業資料を作ってもらいます。6ヶ月かけてパワーポイントで20ページ分くらいの営業資料を作ります。
営業資料というのは「ぷかぷかの社会的価値」を企業に伝えるためのものです。そのためにいろんな人にぷかぷかについてヒアリングをしたり、イベントに参加したり、ぷかぷかの日中活動を取材したりして、「ぷかぷかの社会的価値」を掘り起こしていきます。
福祉の業界だけに通用するようなものではなく、社会全体に通用する「ぷかぷかの価値」です。そうでないと、企業には伝わりません。企業を説得できるだけの価値です。企業がお金を出してでも買いたい価値です。
ぷかぷかのアートを企業が採用することにどんな意味があるのか、それを社会における「ぷかぷかの価値」という視点から書いていきます。すごく大変な作業になると予想されますが、大変だからこそ、この作業はおもしろいと思います。
毎日新聞が一面も使ってぷかぷかを紹介したい、というのは、多分一面使って紹介するに値する「ぷかぷかの価値」を見つけたのだろうと思います。一面でそれを書ききるのはすごく大変だと思います。パワーポイント20ページ分の方がまだ楽な気がしますが、いずれにしてもすごく楽しみです。
「ぷかぷかの価値」とは「ぷかぷかさん達が作り出す価値」です。障がいのある人たちが作り出す新しい価値です。彼らと一緒に生きることで生まれた新しい価値です。
先日の映画を見た方の感想です。メンバーさんが地域を耕すことについて書かれています。
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ぷかぷかの映画の自主上映をお願いします。上映をお願いしたいのは以下の3本です。
プロモーションビデオ第1弾(5分)
プロモーションビデオ第2弾(15分)
第3期演劇ワークショップの記録映画(38分) ここに貼り付けてあるのは映画の宣伝ビデオ(3分)
この映画を見ると、ぷかぷかの自由な空気感がどういうものか、よくわかります。ぷかぷかの空気感は社会を心地よくします。この自由で心地よい空気感こそ、障がいのある人たちと一緒に生きる理由です。
「彼らと一緒に生きていきたい」と思ってぷかぷかを立ち上げたのですが、そういうスタンスが、このなんとも心地よい空気感を自然に生み出したのだと思います。「彼らと一緒に生きる」という関係性、ただそれだけでこの空気感が生まれています。ですからむつかしいことでもなんでもないのです。「彼らと一緒に生きよう」と思うかどうかだけです。
障がいのある人たちの存在を真っ向から否定した相模原障害者殺傷事件。そして、それを生み出した社会。
それに対して、プロモーションビデオ第2弾は「あの事件はけしからん」と議論をふっかけるのではなく、「ぷかぷかの空気感」を黙って差し出しています。演劇ワークショップの記録映画は、彼らと一緒に生きていくことで生まれる楽しさ、豊かさをしっかり見せてくれます。プロモーションビデオ第1弾は「一緒にいると心ぷかぷか」といっています。
みんなが心ぷかぷかになると、社会はそこから少しずつ変わっていきます。みんなが生きやすい社会に変わっていきます。障がいのある人たちを否定しないような社会に変わっていきます。
みんなが心ぷかぷかになるために、ぜひぷかぷかの映画の自主上映(高崎のお話付き)をやってみて下さい。
自主上映というのは、映画館に行ったり、どこかの上映会に行くのではなく、自分で上映会を企画し、会場を借り、宣伝チラシを作り、お客さんを集め、上映することです。お金がかかります。ぷかぷかの映画の場合は上記3本で3万円です。それに会場費、宣伝費などを入れるともう少しかかります。そんなにお金のかかる、面倒くさいことをどうしてやるのか。
ぷかぷかの映画を人に見せたい、ということは、ぷかぷかのことをたくさんの人に知って欲しい、ということです。どうして知って欲しいのか、そのためにはまず、ぷかぷかって自分にとってなんなのか、それを一生懸命考えます。そうするとどうしてたくさんの人に見せたいのかが見えてきます。
どうしてぷかぷかが好きになってしまったのか、何がきっかけだったのか、それを一生懸命思い出して下さい。
ホームページやFacebookページを見ても楽しいよね、心癒やされるよね。どうして楽しいんだろう、どうして心癒やされるんだろう。それを考えてみて下さい。
いろいろ考えたことを、来てほしい人たちにしゃべります。宣伝のチラシに書きます。FacebookやTwitterで発信します。
そうやって考えたり、しゃべったり、書いたりすることが自分を磨き、豊かにします。
社会の中ではなんとなくいやだなぁ、と嫌われている障がいのある人たちが、ぷかぷかで働いていると、「彼らのこと好き!」とか「彼らのファンです」という人が次々に現れます。どうして障がいのある人たちのこと、好きになってしまうんだろう。ここにぷかぷかのヒミツがあります。
社会の多くの人は「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会のお荷物」などと否定的に考えています。でもぷかぷかで働いている障がいのある人たちを見ていると、とてもそんなふうには思えません。どうしてそんなふうに思えないんだろう。ここにもぷかぷかのヒミツがあります。
ぷかぷかのヒミツとは何か。それをぜひ映画を見ながら考えてみて下さい。
ぷかぷかのヒミツは障がいのある人たちと私たちの新しい関係を提案しています。その関係は、多分、私たちを救います。いつも「支援」の対象になっている彼らが、私たちを「救う」のです。
自主上映は、ただ映画を上映して終わるのではありません。上映後、気がついたことをみんなで話し合います。いろんな人が気づいた、様々な異なる気づきをみんなで共有します。気づきの共有です。そうすることで、更に新しい気づきがあります。
上映会後の話し合いには高崎も参加しますので、ぷかぷかのヒミツなど、わからないことはなんでも聞いて下さい。ヒミツの共有ができます。
自主上映の準備をしていく中で、たくさんの人たちと出会います。同じ地域にこんなすてきな人がいた、こんなおもしろいことをやっている人がいた…地域がこんなにも豊かだったことの発見。地域で生きることが楽しくなります。たくさんの出会いは、自分の幅を広げ、豊かにします。そうして何よりも、誰かと出会うところから新しい物語がはじまります。
映画見て、高崎の話を聞いて、ああよかったよかった、では何も変わりません。みんなのエネルギーを注ぎ込んだ上映会が、もったいないです。
大事なことは、上映会をきっかけに社会が少しでも心地よくなるよう、障がいのある人もない人も、お互いが少しでも生きやすい社会になるよう「みんなで動き出す」ことです。
自主上映の中でいろんな人たちと出会い、今度はこれをいっしょにやってみよう、となれば、そこから新しい物語がはじまります。みんなが動き出せば、物語はどんどんふくらんでいきます。
物語を紡ぐこと、それは自由で、心地よい社会を作り出すための最初の一歩をみんなで踏み出すことです。
どんなわくわくが待っているか、さぁ、新しい物語の始まりです!
上映するための経費は3万円です。このお金は演劇ワークショップの運営費と記録映画製作の経費になります。高崎はボランティアで話をしにいきます。もちろんお金に余裕のあるところは講演料を払っていただけるとうれしいです。遠いところは交通費をお願いします。
NPO法人ぷかぷか事務所 045-453-8511 pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎まで
先日の上映会のチラシ。これを元に、近々自主上映で使えるチラシ作ります。日時、場所、チケットの値段、問合せ先などは空白にし、自主上映する人たちが自由に書き込めるようにします。チラシの裏は自分たちの思いをめいっぱい書いて下さい。
土曜日の上映会で杉浦さんとお話ししました。杉浦さんは有名(?)な二ツ橋大学の副学長さんです。本人は雑用係といっていましたが…
杉浦さんは、この二ツ橋大学で、相模原障害者殺傷事件をテーマにした集まりを何度かやっていて、私も参加した縁で、上映会のあとのトークセッションに出ていただきました。相模原障害者殺傷事件という重いテーマを、決して逃げることなく、正面から向き合おうとする杉浦さんの姿勢こそ私たちは見習いたいと思い、ゲストにお呼びしました。
杉浦さんは昔、有機野菜を扱う小さな八百屋をやっていました。その八百屋に、私が養護学校の教員をやっている頃、てっちゃんというダウン症の男性を雇ってもらいました。進路担当の教員はてっちゃんに一般就労は絶対無理!無理!といっていました。でも、私はてっちゃんのような人こそ、街で働いて欲しいと思っていたので、てっちゃんを雇うと絶対にいいことがある、としつこくお願いしました。その思いが杉浦さんに届いて、てっちゃんは八百屋で働くことになりました。もう30年くらい前の話です。
ぷかぷかの映画を見たあと、その頃の話を杉浦さんはしてくれました。八百屋はものすごく忙しい職場で、お昼ごはんを取れるのが夕方の4時頃になることが日常茶飯事であったといいます。そんな中でてっちゃんは黙々とマイペースで働いていました。てっちゃんの働く姿は、そのまま杉浦さん達の働き方に大事な問いかけをしていたといいます。有機野菜を売るというミッションと、杉浦さん達の働き方があまりにもかけ離れているんじゃないか、と。杉浦さんたちは考え込んでしまったそうです。人としてのまっとうな働き方をいそがしさの中で忘れてしまっていた、それをてっちゃんが引き戻してくれた、というのです。てっちゃんは、あーだ、こーだ、とややこしいことはいいません。ただ黙々と働く姿で、その大事なことを教えてくれた、と杉浦さんは話してくれました。それが障がいのある人と一緒に働く意味ではないかと。
相模原障害者殺傷事件の犯人は「障害者はいない方がいい」などといいました。でも、てっちゃんは杉浦さん達にとって、「障害者はいない方がいい」どころか、てっちゃんが八百屋で働くことで、とても大事なことを教えてくれた人なのです。
てっちゃんは気がつくと街の中でたくさんのつながりを作っていた、と杉浦さんは話していました。朝夕乗り降りする駅の人たちはみんなてっちゃんのことを知っていたそうです。てっちゃんは人なつっこくて、誰にでも愛されるような人でした。こういう人は街の中にいた方がいい、と杉浦さんのお店に入れてもらったのですが、予想通り、てっちゃんのキャラクターで街を耕していたようです。こういう街はてっちゃんが歩くことでホッとした雰囲気が漂います。誰もが生きやすい街になります。
ぷかぷかさん達も毎日街を耕しています。映画はそれを伝えていました。
彼らが街にいること。そのことがすごく大事なのだと思います。
あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか、と杉浦さんは話していました。ここに事件の本質があると思いました。
障がいのある人たちとおつきあいする機会がふだんの暮らしの中でもっともっとあれば、あの事件は多分起こらなかったのだろうと思います。
学校の時から障がいのある子どもとない子どもが分けられることが当たり前になっています。何かの機会がなければ、障がいのある人たちとおつきあいすることはありません。おつきあいがなければ、彼らのことは全くわかりません。なんとなくいやだね、とか、近寄りたくないな、といったマイナスイメージだけが一人歩きします。犯人もそういう社会の中で生き、育ってきました。何かのきっかけで、そのマイナスイメージが犯人の中で爆発的に大きくなり、事件に至ったのだと思います。
事件が大きすぎで、私たちの手に負えない感じですが、杉浦さんの
「あの犯人の暮らした街に「ぷかぷか」があって、どこかで「ぷかぷか」と出会っていたら、多分あんな事件は起こさなかったんじゃないか」
という発言は、そうだ、そういうことだよな、と事件の一番の原因が見えた気がしました。
そしてあたし達にできることは、街の中で障がいのある人たちと楽しくおつきあいできる機会をたくさん作ること、そこから豊かなものをたくさん作り出すことだとあらためて思いました。
「ぷかぷか」では障がいのある人たちが働いています。社会の中ではどちらかというとなんとなく嫌われている人たちです。ところが彼らが「ぷかぷか」で働いていると、嫌われるどころか、「彼らのこと好き!」とか「彼らのファンです」という人が増えたりしています。
社会と全く反対の反応です。彼らのこと好きになるなんて、そんなことがあり得るの?と思ってしまうのですが、ここにこそぷかぷかのヒミツがあります。
そのヒミツとは何か。
それは別にたいしたことではなく、障がいのある人たちを社会にあわせたりせず、彼らのそのままの姿を差し出しているだけです。そうすると彼らのファンが次々に生まれたのです。彼らのそのままの姿には魅力があり、それにお客さんが気がついたのです。
そしてこのぷかぷかのヒミツこそが、相模原障害者殺傷事件を生むような病んだ社会を救う手がかりを提案している気がするのです。
犯人が、ぷかぷかのカフェに来て、たとえばテラちゃんの機関銃のように威勢のいい言葉がぽんぽん飛び出してくるような元気で楽しい接客に出会っていれば、事件は絶対に起きなかったのではないか、と思うのです。
テラちゃんはこうやってぷかぷかのファンをどんどん増やしています。
映画を見た人のすばらしい感想が届きました。
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今まで何度か書いた「フリチン少年」の話を書きます。
養護学校の子ども達と出会って、いちばんよかったのは私自身が自由になれたことです。人間はこういうときはこうしなきゃいかんとか、こういうときはこんなことしちゃいけないとか、いろんな規範があって、それに縛られています。でも、彼らとおつきあいしているうちに、そういった規範が少しずつ取れてきました。
お漏らしをしょっちゅうする子がいて、10分おきくらいにパンツをぱぁっと脱いでいました。私は
「みっともないからパンツくらいはけ」
ってパンツをはかすのですが、10分ほどしたらまたぱぁっと脱ぐのです。
パンツをはかす、彼は脱ぐ、またはかす、彼は脱ぐ、といったことを一日何回も繰り返すわけです。で、天気のいい日は中庭に出てパンツ脱いだまま大の字になって気持ちよさそうにおひさまを仰いでいるのです。そのそばで私は陰気な顔して
「パンツはけよ」
と言い続けている。おひさまのさんさんと照る中、彼は気持ちよさそうにいい顔をしている、そのそばで私は陰気な顔をしてぶつぶつ文句ばかり言っている。
そういうことを毎日繰り返していると、私は一体何をやってるんだ、ひょっとして彼の方がいい人生を送っているんじゃないかって思い始めたのです。彼の方が明らかにいい時間を過ごしているわけですから。私はなんてつまらない時間を過ごしてるんだと。そして結果的には、パンツをはかない子がいてもいいかって気持ちになってきたのです。
そうすると彼との関係が楽になってきたのです。彼が大の字になって寝てる、それをおだやかな目で見られる。
「ま、いいか」
って。
「この時間、彼のいい時間だし、大事にしよう、オレも横になるからね」
って思えるようになった。そんなふうに自分の中にあったつまらない規範が少しずつ取れていった。そうすると私自身、生きることがすごく楽になってきたのです。
養護学校に勤めて、そこで障がいのある子ども達に出会って、何がいちばんよかったかというと、この、自分自身が自由になった、そしてそのおかげで生きることが楽になった、ということです。
この「フリチン少年」に教わった自由な感覚が、ぷかぷかをスタートするにあたって、とても大事な判断をしたのです。ああもうこの気色悪い接客マニュアルはやめようって。
感想の最後にあった言葉、
他人に迷惑をかけないように、他人に後ろ指をさされないように、失
とてもいい言葉だと思います。「お互いさま」と迷惑をかけあえる世の中を、みんなで目指したいですね。
昨日の夜中の1時前に長い長いメールが来ました。今年になってからぷかぷかに来るようになったお客さんです。
「今日、上映会には最後のトークセッションだけ参加させて頂いて、本当は思わずその場で手を挙げてでも伝えようかと思ったのですが、話すと涙が出そうで、話せずに終わってしまいました。」という書き出しではじまる、ぷかぷかに出会う前と出会ってからの長い物語が書いてありました。
一人の人間が自分の人生を生き始めた物語といっていいと思います。その生き始めるきっかけをぷかぷかさん達が作ったところがおもしろいというか、もう赤字で特筆すべきことだと思いました。「障害者に生きている価値はない」どころか、こんなすてきな物語を作るお手伝いを、飄々とやってのけたのです。あのセノーさんも含めて…。これこそ「彼らが生きている価値」であり「意味」だと思います。
ぷかぷかさん達は、また一人救ったのかな、と思いました。
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上映会で第一期演劇ワークショップの記録映画、久しぶりに見ました。
ワークショップの場の豊かさがとてもよく伝わってきます。最後の発表会の舞台がどんな風にできあがってきたのかを、とても丁寧に追いかけていて、あらためていい映画だと思いました。
「障がいのある人たちとフェアにつきあう」つまり「一緒に生きる」ということがどういうことか、それが何を生み出すかがよく伝わってきます。映画は「一緒に生きる」ことの意味をとてもわかりやすく伝えています。
芝居の最後のシーン、冬のさなかに春に咲くマツユキソウが欲しい、などととんでもないことを考えた勝手きわまる人間達をどうしようか、と神さまたちが考えるところがあります。ここはワークショップの中でどういう結末にするか一番もめたところです。いろんな意見が出て、すごく大変でした。
結局「一緒に歌おう」というセリフで、人間達と一緒に「森は生きている」を歌うことになりました。ぷかぷかのメッセージでもあります。
映画の中、子どもが人間達に
「いっしょにうたお」
って、呼びかけたとき、なぜか涙が出てしまいました。何度も見ている映画なのですが、
「いっしょにうたお」
っていう短い呼びかけが、心にジ〜ンと響いたのです。
「いっしょにうたお」は、一緒に生きていこうよ、という呼びかけです。わがままきわまる人間達に、言いたいことはいっぱいあるし、腹の立つこともいっぱいあるけれど、それでも「いっしょにうたお」と呼びかける子どもの優しい声についほろっとしてしまったのです。
人間達は社会です。その社会に対して
「いっしょにうたお」
って、呼びかけているのです。一緒に歌うと、こんなに楽しいよ、こんなにステキなものが生まれるよ、って舞台で言っているのです。
第一期演劇ワークショップの記録映画は2時間11分もの長編記録映画です。長いですが、見る価値はあります。ぷかぷかが創り出そうとしているものがとてもよくわかります。費用などはご相談下さい。045-453-8511 pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 高崎まで。
第一期演劇ワークショップの記録映画のダイジェスト版はこちら
プロモーションビデオ第2弾です。
映像の内容についてはこちら
プロモーションビデオは一人で見るよりも、たくさんの人たちと見て、いろいろ気がついたことを話し合うのがいいと思います。いろんな新しい発見があります。お互いが深まります。できればプロモーションビデオ第1弾、第3期演劇ワークショップの記録映画とあわせて見ると、ぷかぷかの空気感がよく伝わります。高崎を呼んでいただくと、ぷかぷかについていろんなお話ができると思います。
ぷかぷかの空気感があちこち広がっていくと、社会がもう少しゆったりします。みんなが生きやすい社会になります。
自主上映についてはこちら
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?自主上映のすすめと申込書
第3期演劇ワークショップの記録映画(38分)、とプロモーションビデオ2本(5分と15分の作品)あわせての上映会です。
自主上映というのは、映画館に行ったり、どこかの上映会に行くのではなく、自分で企画し、上映します。
お金がかかります。ぷかぷかの映画の場合は上記3本で3万円です。それに会場費、宣伝費などを入れると4万円くらいかかるかも知れません。そんなにお金のかかることをどうしてやるのか。
ぷかぷかの映画を人に見せたい、ということは、ぷかぷかのことをたくさんの人に知って欲しい、ということです。どうして知って欲しいのか、それを一生懸命考えます。
そのためには、ぷかぷかって自分にとってなんなのか。その意味を考えます。
どうしてぷかぷかが好きになってしまったのか、何がきっかけだったのか、それを一生懸命思い出して下さい。
楽しいよね、心癒やされるよね。それはどうしてなのか。
ぷかぷかは障がいのある人たちが働いています。社会の中ではどちらかというとなんとなく嫌われている人たちです。ところが「ぷかぷか」だと嫌われるどころか、彼らのファンが増えたりします。どうしてなのか。
相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者はいない方がいい」「生きている意味がない」などと言い、社会の多くは「障害者はいろんなことができない」「役に立たない」「社会の負担」などと考えています。
でも、「ぷかぷか」で働く障がいのある人たちを見ていて、そんなふうに思えないのはどうしてなんだろう、何がちがうんだろう。
しかもその作業をなんとなくやるのではなく、上映料、経費をペイするという「負荷」の中でやるので、緊張感のある作業になります。それが更に自分を磨きます。
自主上映は、準備をしていく中でいろんな人を新しい出会いがあります。上映会のあと、いろんな人と話し合いをする中で、自分の中が更に深まります。そして場合によっては新しい動きなどが出てくるかも知れません。
★自主上映の申込書はこちら
http://pukapuka-pan.xsrv.jp/index.php?自主上映のすすめと申込書
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。