ぷかぷか日記

自分の思い込みが息子さんの権利を狭めていた、という気づき

今朝の朝日新聞「声」の欄に、重度の知的障がいを持つ方のお母さんの投稿がありました。

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 「少しでもできることを増やし、人に迷惑をかけないよう育てるのが親の務めだと、昔は本気で思い込んでいました。」と投書のお母さんは書きます。

 ぷかぷかで働くツジさんのお母さんのいう「見当違いの努力」をこのお母さんもしていたようです。ツジさんのお母さんはツジさんがぷかぷかで働く中で、いままでやってきた「少しでもできることを増やし、人に迷惑をかけないよう育てる努力」が「見当違いの努力」であったことに気がつきました。

 障がいのある人たちは社会にあわせないと生きていけない、と多くの人は思い、私自身も養護学校の教員をやっている頃は思っていました。ぷかぷかを始めたとき、接客の講習会をやりました。受講してみると、接客マニュアルにあわせなさい、という講習会でした。で、実際にぷかぷかさんがその接客マニュアルに合わせてやってみると、なんだか気色悪かったのです。私は彼らに惚れ込んでぷかぷかを始めました。その惚れ込んだ彼らが自分を押し殺して、接客マニュアルに合わせる姿は、もう痛々しくて見てられなかったのです。それで接客マニュアルはやめ、彼らのそのままの姿でやっていくことにしました。

 ありのままの彼らにこそ魅力がある、という思いが社会の中で通用するのか、単なる私一人の思いなのか、大きな勝負所でした。

 ドキドキしながらのスタートでしたが、なんと、ありのままの彼らで働く姿に、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンになりました!」というお客さんが現れたのです。

 以来、ぷかぷかは、ありのままの彼らの魅力に支えられて今日まで来ています。彼らのおかげで商売が繁盛〈?〉しているのです。

 

 投書のお母さんは「愚行権」ということばと「自立とは依存先を増やすこと」という考え方で自分の思い込みが変わったと書きます。誰でも少しくらいバカなことをやってもいいし、誰にも頼らず自立している人はいない、ということに気づいたといいます。「親である自分自身が息子の権利を狭めていたことに、やっと気がつきました」と。

 自分の思い込みが息子さんの権利を狭めていた、という気づき。すごいなぁ、と思いました。

 

 

 

 

津久井やまゆり園のホームページが再開されました。

 事件以来閉鎖されていた津久井やまゆり園のホームページが、7月26日再開されました。

 この1年間、何のメッセージも出さなかったので、当然事件についていろいろ書いてあるのだろうと思っていました。ところが…

 

ごあいさつ
 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。
 今年度に入り、仮移転先であります「津久井やまゆり園芹が谷園舎」での生活がスタートいたしました。去る7月22日には、芹が谷園舎の体育館で家族会・後援会のお力もいただき「追悼のつどい」をしめやかに行なったところでございます。
 まだまだ利用者の皆様・ご家族の皆様、そして職員、それぞれ不安な気持ちが拭えない日々ではありますが、津久井やまゆり園本来の動きを取り戻すべく、この時期にホームページの再開に踏み切ることにいたしました。
 今後の津久井やまゆり園再生への道のりは、長く険しいものと覚悟しております。今後とも皆々様からのご教示をよろしくお願いいたします。

平成29年7月26日   社会福祉法人かながわ共同会津久井やまゆり園園長  

 

 

 事件はまるで他人事、といった感じです。

 事件の犯人は元ここの職員ですよ。どんな組織でも、その組織の人間が不祥事を起こせば、たとえ過去の人間であっても、まずは謝罪します。その謝罪のことばがひとこともありません。あれだけの事件を起こしながら、謝罪のことばがひとこともない。この組織は一体どういう感覚なのかと思いました。

 福祉施設を四つも運営する社会福祉法人です。社会的信用の高い社会福祉法人が、一体何を考えているのかと思います。

 

これがホームページです。

http://www.kyoudoukai.jp/2017/07/0725_1.html

 

  ホームページの中の「今後の取り組み方向」のページにも、事件についてはひとこともありません。ふつうならこんな大事件を受けて、今後法人はどうするのか、という書き方になると思います。法人にとって、事件はなかったも同然なのでしょうか?

 

 別のページにはこんなことばもあります。

 《 地域福祉力を高めるために地域に向けての研修や情報発信にも力を入れています。》

 事件に関する情報発信、メッセージの発信は一切なかったのに「情報発信にも力を入れています」って、一体どういうことでしょう。意味がわかりません。社会福祉法人がこんなデタラメなことやってていいのかと思います。監督庁の神奈川県は何をやっているのでしょうか?

 

 やまゆり園は事件の現場になったからこそ、現場からの情報発信はとても大事だったはずです。現場は事件をどう受け止め、今後どうしようとしているのか、といった情報発信です。もちろん当事者として安易に語れない難しさはあったと思います。それでも、その難しさに向き合うことこそが、事件はなんだったのか、今後どうすればいいのか、を掘り下げていく出発点だと思います。

 

  7月25日のNHKクローズアップ現代では、事件の犯人が「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したのはやまゆり園で勤務していたときです、と手紙に書いているのを紹介していました。

 もし本当にそうだとしたら、現場には大変な責任があります。犯人が確信を持った現場の雰囲気というのはどうして生まれたのか、その雰囲気を改善するにはどうしたらいいのか、といったことは現場の人でないと語れません。現場の人が黙ったままでは、結局困るのは、その現場にいる障がいのある人たちです。

 犯人のいうことが間違っていれば、それは間違っている、と現場のことばで言えばいいのです。どうしてまちがえたのかを考え、現場の人のことばでそれを語る。それがとても大事な気がします。

 

 

 犠牲になった人たちがすべて「匿名」になったことを受けて、NHKが「19のいのち」というサイトを作っています。19人、一人ひとりのエピソードが書かれています。「箝口令」が敷かれる中での取材は大変だったと思います。それでも19人の人となりが少しずつ見えてきます。ああ、こういう人生を生きてたんだ、と。

www.nhk.or.jp

 

 中に一人、エピソードが一行だけ、という方がいて、私はそれを見るたびに悲しくなります。

 

「 短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔で人気者でした。」 

 

 その人の人生を語ることばが、たった一行しかないのです。たった一行でも、その人の人生を掘り起こしたことはすばらしいことだったとは思います。それでも、たった一行なる故に、私は悲しいです。こんな語られ方の人生があっていいのかと。殺されて尚も、たったの一行で語られる人生。

 19才の女性です。19年生きてきた、その女性だけの豊かな物語があったはずなのです。それを思うと本当に悔しいです。

 

 そこで津久井やまゆり園の人たちに提案です。犠牲になった19人の人生を語って欲しいのです。このサイトに書き込んで欲しいのです。現場の人で、彼らとおつきあいした人ならいくらで書けるはずです。彼ら一人ひとりが、すばらしい人生を生きていたことを書いて欲しいのです。

 彼ら一人ひとりのすばらしい人生が見えてくれば、「障がい者はいない方がいい」などと勝手な論理で彼らを殺してしまったことが、いかに間違ったことだったかがわかります。

 

 今からでも遅くはありません。ぜひやってみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

明日の朝NHK「おはよう日本」でぷかぷかの活動が取り上げられます。

 明日の朝、NHK「おはよう日本」でぷかぷかが紹介されます。

 昨年8月、朝日新聞に相模原障害者殺傷事件に関する匿名報道 について意見を書いたことがきっかけでNHKとつながりができ、「障がい者はいた方がいい」という映像作りを中心に何度も取材に来ました。そのまとめの放送です。

 相模原障害者殺傷事件から1年、様々な角度から事件に向き合う、ということでぷかぷかの取り組みが取り上げられます。昨日は朝日新聞がいい感じで取り上げてくれました。明日はどういう感じでぷかぷかを語ってくれるのか楽しみです。

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やまゆり園が「ぷかぷか」みたいな雰囲気だったら

 今夜のNHKクローズアップ現代は、津久井やまゆり園事件の犯人が手紙の中で、やまゆり園で勤務していたときに「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したと書いていたことを取り上げていました。

 やまゆり園のスタッフが、そこで生活する障がいのある人たちとどんなおつきあいをしているのか、私は知りません。でも、犯人の「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したのは、やまゆり園で勤務していたときです、と手紙に書いていたと知って、私はちょっとびっくりしました。

 そういうことを確信するような職場の雰囲気を想像してしまったからです。

 犯人特有の思考回路があったにせよ、職場の雰囲気というのは、犯人の思考に大きな影響を与えていたと思います。

 

 ぷかぷかは、私が養護学校の教員をしているときに、障がいのある子ども達に惚れ込んだところからはじまっています。私は彼らとおつきあいすることが楽しくてしょうがないです。そしてそういう雰囲気が「ぷかぷか」にはみなぎっています。

 スタッフみんながぷかぷかさん達とのおつきあいを楽しんでいます。Facebookを見れば、その楽しんでいる様子が目に浮かびます。Facebookはスタッフがそれぞれ楽しいと思ったことを勝手にアップしています。ぷかぷかのFacebookの楽しい雰囲気は、そのままスタッフとぷかぷかさん達とのおつきあいです。

 それが私の中では当たり前だったので、今日のクローズアップ現代で、《犯人が「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したのは、やまゆり園で勤務していたとき》と知って、

 「え〜!、何、それ!」

って思いました。やまゆり園が「ぷかぷか」みたいな雰囲気だったら、犯人は「障がい者は不幸を生む元だ」なんてことは、多分思わなかったと思います。

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朝日新聞に「ぷかぷか」の取り組みが紹介されました。

今朝の朝日新聞に、「やまゆり園事件が残したもの」という特集の中で「ぷかぷか」の取り組みが紹介されました。とてもいい感じの紹介です。

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 「一見、パン職人風のユースケさん(35)は、注目されると「見るなよ」と照れて隠れるシャイな性格。でも、子どもたちが大好きだったり、店の前に並ぶ花の手入れを毎日したり。ぶっきらぼうだが、心優しい。」と紹介されたユースケさん、去年はNHKのカメラマンを怒鳴りつけたりしていましたが、根は優しい、シャイな青年で、朝日新聞の若い女性記者は、そこをしっかり見抜いていました。「一見、パン職人風」もいいところみてるなぁ、と思いました。

 

 帰りがけ、ユースケさんに

「朝日新聞にいい男の写真載ったし、街を歩くと、え?あの人新聞に載ってた人だよね、きっと有名人よ、なんてひそひそ噂されて、ひょっとしたらサイン求められるかも」

っていうと、うるさい!とかいいながら、うれしそうにニタニタして、まんざらでもない様子でした。こういう人とおつきあいできるって、本当に幸せなことだと思います。

 

 

 やまゆり園事件はなんの罪もない重い障がいのある人たちが犯人の身勝手な論理で19人も殺される、という悲惨極まりない事件でした。ここからどう抜け出せばいいのか、本当に気の重くなる事件でした。

 事件直後は事件への批判がたくさん出ました。事件への批判は大事です。一つ一つうなずきながらも、批判だけでは、私たちは前に進めません。

 黙っていても、新しい朝はやって来ます。どんなに悲惨なことがあろうとも、すがすがしい朝の光りの中で、私たちは前に進みます。

 前に進むこと、それが、生きている、ということだと思います。

 その、前に進む手がかりを昨日、今日の記事は提供していると思います。

 あの事件の1年後にこういう記事が出たことに、私は希望を感じることができます。

 

 私の古くからの友人〈ずっと障がいのある人たちにかかわってきた人です〉は、何かにつけ、障がいのある人の側について、ひとこと言いたい人ですが、珍しく今日の記事は絶賛していました。いい感覚で書いてるって。どこかで希望を感じたのだと思います。

 

明日の朝日新聞にやまゆり園事件に関連して《ぷかぷか》の取り組みが紹介されます。

 今朝の朝日新聞に津久井やまゆり園事件に関連して、各地で取り組んでいることの紹介が載っていました。一つは施設がこの事件をきっかけに作った絵本を保育園や小学校で子ども達に朗読しているお話、もう一つは大学での連続講座の話です。

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 大きな話の言いっぱなし、聞きっぱなしではなく、こういう聞き手にちゃんと届くような具体的な取り組みこそが社会を少しずつ確実に変えていくのだと思います。子ども達と学生さんが今後どのような人生を歩むのか、楽しみです。こんなふうに未来に希望の持てる取り組みがいいですね。

 

 明日はこの欄で《ぷかぷか》の取り組みが紹介されます。若い女性記者が書きます。ぷかぷかをどんな風に受け止めてくれたのかなぁ、とすごく楽しみにしています。

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ブルーベリー狩りに行ってきました。

 久しぶりにブルーベリー狩りに行きました。

 入り口から入ってすぐのこの道が好きです。いつもは木洩れ日がきれいなのですが、今日は残念ながら薄曇り。

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右側にゆるやかな谷が広がったこのあたりの風景もすばらしいです。

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トーテムポールのおじさん、今日も元気に立っていました。

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この渋い顔がいい!

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峠を超えたこのあたりの森がすごくいいです。

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道を下っていくと右側にブルーベリーの畑。

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ブル-ベリーを使ったパンです。

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え?100円払うと、ぷかぷかさんと一緒に食器洗えるんだって?ラッキー!

 ぷかぷかは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを日々発信しています。なぜいいのか。それは、一緒に生きていった方が、人生トクすると思うからです。一緒に生きていった方が、私たち自身の人生が豊かになるからです。楽しくなるからです。

 7月25日にオープンする「ぷかぷかさんのおひるごはん」は、「750円払うと、ぷかぷかさん達といっしょにお昼ごはん食べられるよ」というお店です。750円は、お昼ごはんの値段ではなく、ぷかぷかさん達といっしょにお昼ごはんを食べることの値段です。ぷかぷかさん達といっしょにごはんを食べることに、価値を見いだしているのです。

 言い換えれば、ぷかぷかさん達と一緒に生きることに価値を見いだし、そこを今まで以上に積極的に評価していこうというわけです。

 ぷかぷかのパン教室が、すっごく楽しいのは、ぷかぷかさん達と一緒にパンを作るからです。パンを作る楽しさに、彼らと一緒に作る楽しさが加わって、こんなに楽しいパン教室は、多分ほかにないと思います。

  生地の発酵を待っている間に下の写真のように突然「人間知恵の輪」がはじまったりします。ぷかぷかさん達がいるからこそできることです。そのことの意味をもっともっと私たちは考えていいように思います。彼らといっしょにいること自体に価値を見いだそう、というのはこういうことのたくさんの経験の上に出てきたものです。

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  ぷかぷかの演劇ワークショップも、芝居作りの楽しさに、ぷかぷかさん達と一緒に作る楽しさが加わって、もう本当にやみつきになります。ぷかぷかさん達と一緒にやる演劇ワークショップは今までにない新しい芝居を創り出します。ぷかぷかさん達が一緒だからこそ創り出せる新しい「文化」といっていいほどのものです。いっしょにいると豊かなものが創り出せるということが、誰の目にも見えます。

 一緒に生きた方がいい理由を、ワークショップに参加した人は体全部で感じとることができます。芝居を見に来た人も目と耳と、体の全部で感じとることができます。「一緒に生きると、こんなに楽しいことができるんだ」「一緒に生きていった方がいいね」って、理屈抜きに思えるのです。

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 話を「ぷかぷかさんのおひるごはん」に戻しましょう。

 「ぷかぷかさんのおひるごはん」には様々なおいしいティを用意しています。

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 ぷかぷかさんと一緒に食べるお昼ごはんのお金750円に250円追加すると、このおいしいティが飲めます。250円はおいしいティの価値です。

 まだタカサキの頭の中だけの構想ですが、厨房がもう少し落ち着いたら、お客さんも自分が使った食器をぷかぷかさんと一緒に洗えるような仕組みができたらいいなと思っています。ぷかぷかさんと、ほんのちょっとですが、一緒に仕事をするのです。

 少し前は、自分の使った食器を自分で洗えば10円引きにしようかなと思っていました。でも今は、100円追加料金払うとぷかぷかさんと一緒に食器が洗える、というふうにしようかなと考えています。つまり、ぷかぷかさんと一緒に仕事をすること自体が、一つのかけがえのない価値を持っている、と考えるのです。

「え?100円払うと、ぷかぷかさんと一緒に食器洗えるんだって?ラッキー!」

なんて受け止め方をしてもらうといいなと思っているのです。

 「あれができない」とか「これができない」とか「社会の負担」とか「社会のお荷物」とか「効率が落ちる」とか「いない方がいい」とか「生きてる意味がない」とか、とにかくマイナス方向での評価が圧倒的に多い社会にあって、

「彼らと一緒に生きること自体に価値がある」

という考え方は、障がいのある人たちの受け止め方、彼らとの関係に大きな変化をもたらす気がします。

 「ぷかぷかさんのおひるごはん」は、そういう考え方の具体的な試みでもあるのです。

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「いっしょにいるといいよね」と自然に思える関係

 NHKが取材に来ました。相模原障害者殺傷事件の犯人が「障がい者はいない方がいい」といったことに対して、「障がい者はいた方がいい」という映像を作ります、とブログに書いたことがきっかけで何度か取材に来ました。今日はお店の雰囲気を撮りに来ました。

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セノーさん、今日はちゃんと仕事をやっていました。

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ユースケさんは花の手入れをしているところを撮られていました。記者の笑顔がいいですね。

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お客さんにもインタビュー

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 相模原障害者殺傷事件からそろそろ1年がたちます。事件に対して私たちは何をしてきたのか、障がいのある人たちを排除してしまう社会はどれだけ変わったのか、が問われていると思います。

 ぷかぷかは事件前も、事件後も「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを日々発信し続けてきました。Facebookを見るお客さんがずいぶん増えました。お店に来るお客さんも増えました。ここに来ると癒やされる、と言うお客さんもずいぶんいます。カオスのような帰りの会に参加するお客さんもいます。

 

 パン教室に来ていた小さな子どもが小学校に上がり、人に優しい言葉は《ふかふかことば》と習い、家に帰ってお母さんに

「人に優しい言葉は《ぷかぷかことば》っていうんだって」

と報告したそうです。ちょっとまちがえたとはいえ、《人に優しい》と《ぷかぷか》を結びつけたことが、私はすごくうれしかったです。

 子ども達がそんなふうにぷかぷかを受け止めてくれていたこと、未来に希望が持てると思いました。

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 事件に対して優生思想云々の話も必要です。でもそれを語ったからって、「そうだそうだ、あれはナンセンスだ、けしからん」といって社会が変わるかといえば、多分変わりません。

 そういった大きな話よりもぷかぷかに出入りしていた子どもが《人に優しい言葉》は《ぷかぷかことば》っていってくれた変わり様の方が未来に希望が持てます。子どもがそんなふうに変わっていく環境を作ることが大事だと思います。

 

 地域の方が、わんどの染め物ワークショップに参加して、そのとき染めた布でバンダナやスカートを作ってきました。

「見て見て」

っていう感じできたのがすごくいいと思いました。福祉事業所を応援するとかではなく、ぷかぷかさん達といっしょに染めた布でこんなの作りました!って、来るような関係です。こういうふつうの関係が広がっていくことが社会を変えていくのだと思います。

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 NHKの記者さんは帰りがけ、テラちゃんとリエさんにつかまりました。記者さんの取材ノートに自分の連絡先を書き、暑中見舞い下さいとか、Facebookやってお友達になりましょう、とかいっぱい書き込んでいました。そのやりとりが記者さんの心をなごませたようでした。

 相模原障害者殺傷事件を超えるのは、障がいのある人たちと、こういう心がなごむような関係をどれくらい私たちが作り出せるか、ということだと思います。「いっしょにいるといいよね」と自然に思える関係です。こういう関係はぷかぷかに来るとすぐに作れます。

 全国の福祉事業所が地域に対してもっとオープンな環境になれば、こんな関係が全国で広がっていきます。そうなると社会はどんどん変わっていくと思います。

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 緑区役所は人権研修会でぷかぷかさん達の話を聞き、そのあとプロモーションビデオを見て私の話を聞くという企画を立てています。ぷかぷかさん達の話を聞く人権研修会は一昨年の12月にやったのですが、とても好評で、ぜひまた、ということで来年1月にやることになりました。

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 こういう企画をあちこちの区役所や市役所などでやっていただけるとうれしいです。 

プロモーションビデオ第2弾(15分)

www.youtube.com

 

NHKの放送は来週26日前後の「おはよう日本」だそうです。ぜひ見てください。

高崎さんの「支援しない」姿勢がとても好きです。

 第4期演劇ワークショップの参加者を募集したところ、うれしくなってしまうような申し込みがありました。

 

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ご縁があって高崎さんのブログに辿り着きまして、
楽しく温かく、そしていつも「そうそう!」と
思わず膝を叩きたくなるような気持ちで、
高崎さんの綴られることばに触れさせて頂いています。
 
ぷかぷかさんたちの生き生きとした躍動をことばや写真で感じるたびに、
ベーカリーやイベントで実際にぷかぷかさんたちと触れ合いたい。
図々しくも…友達になってみたい、とそんな思いを抱えておりました。
 
スケジュール的になかなか都合がつかなかったり、
なかなか実現できずに残念な気持ちで過ごしていたところに
この演劇ワークショップ参加者募集の告知。
 
第4期演劇ワークショップ、
ぜひ参加させて頂きたい!と思い立ち、ご連絡させて頂きました。
 
障がい者と健常者。
大人と子ども、男と女、外国人と自国民。
 
弱者へ手を差し伸べる。という社会的に認知されている構図。
 
子どもの頃から、
″境界″があること、と、″弱者″というポジションを作り上げてそこに囲い込む、
システマティックなコミュニケーションに違和感を感じ続けてきました。
 
高崎さんの「支援しない」姿勢がとても好きです。
共にお互いの表現を楽しむ仲間。
困ったことも嬉しいことも、どちらも同じように愛おしむ。
という空気がそこには流れているのを感じ、とても嬉しくなってしまうのです。
社会的な位置づけや枠組みから自由になって存在そのものに触れていたい。
 
この演劇ワークショップでは、
″境界を溶かすこと″
″存在そのもので触れ合うことの喜び″
そういったことをぷかぷかさんやぷかぷかさんを愛するひとびとと
共に感じてみたい。そんな気持ちを胸に抱いています。
 
そして、その舞台を観た方のこころの深い部分に何かを残せるような、
そこから各々の新しい世界がまた拡がっていくような時間になれば
最高なことだとおもいます。
 
実は中学校時代に演劇部だったこともあり。
その経験もフル動員して、みなさんと創り上げる時間と空間を楽しみたい!
そんな思いで手をあげさせて頂きました。
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 演劇ワークショップは障がいのある人たちを支援するためにやっているのではありません。どこまでも彼らといっしょに、彼らとフェアな関係の中で、新しいものをわくわくしながら作っていく、ただそれだけです。
 支援どころか、ワークショップの場は、彼らに支えられています。あれができない、これができないと蔑まされている障がいのある人たちに私たちは支えられているのです。こういう関係がおもしろいなと私は思います。今までにない新しいものというのは、こういうところから生まれます。
 どうして彼らがワークショップの場を支えているのか。それは彼らが私たちの何倍も自由だからです。その自由さがワークショップという表現の場では何よりも大事です。その自由さをワークショップの場では存分に生かすことができます。
 だからこそ、彼らに向かって「あなたにここにいて欲しい」「ここではあなたが必要」と素直にいえるようになります。障がいのある人たちに向かってそんなふうに素直に思える場って、多分なかなかないと思います。
 理屈で障がいのある人たちと共に生きていこう、ではないのです。いっしょにワークショップをやっているうちに、自然にそう思ってしまうのです。そうして何よりも、この人たちとは一緒に生きていった方が絶対にトク!って自然に思ってしまいます。そこがワークショップという場のすごいところだと思います。
 
 
 真ん中でダンスを踊っているイクちゃんは、リハーサルの時、彼が勝手に踊り出し、いい感じだったので、本番もそれで行こうと、こういう舞台になりました。そういう自由さがワークショップの舞台では生きるのです。そういう自由さがワークショップの舞台を支えているのです。

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 相模原障害者殺傷事件の植松被告が、もしワークショップに参加し、そこで障がいのある人たちに出会っていたら、事件は絶対に起こらなかったと思います。彼は「支援」の現場にいた経験がありました。そこではどういう関係を障がいのある人たちと作っていたのかと思います。ここのところこそ、もっともっと掘り下げて考えていく必要があると思っています。
 
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