ぷかぷか日記

それでも「いっしょにいると心ぷかぷか」なのです。

 プロモーションビデオの最後に出てくる「いっしょにいると心ぷかぷか」は、カナダでいちばん伝えたいメッセージです。

 日々発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」のメッセージを、インパクトある短い言葉で表現したものです。pvプロボノのコピーライターいなおさんがpvのために作ってくれました。

 何よりもこれは、日本における障がいのある人たちとの関係に対する異議申し立てであり、新しい提案でもあります。

 障がいのある人たちは基本的に「あれができない」「これができない」とマイナス評価ばかりで、結果、彼らは「社会のお荷物」であり、「社会の邪魔者」であり、「なるべく関わりたくない人たち」であり、「いない方がいい人達」ということになります。いろいろできないことが原因なので、できないことをできるように「支援」が必要だと。社会にあわせるべく努力が必要だと。福祉の世界ではこの関係がほとんどです。

 そんな中での「いっしょにいると心ぷかぷか」の提案なのです。

 

 できないことはいっぱいあります。それでも「いっしょにいると心ぷかぷか」なのです。

 理解がむつかしいこともいっぱいあります。それでも「いっしょにいると心ぷかぷか」なのです。

 みんなより遅いこともいっぱいあります。それでも「いっしょにいると心ぷかぷか」なのです。

 ただいっしょにいる、それだけで、心ぷかぷかだよ、っていってるのです。

 無理して社会にあわせることなんかないよ、そのままのあなたがいちばん魅力的、と「いっしょにいると心ぷかぷか」は言っています。

 

 もちろん困っていれば手助けはします。それは人として当然のことです。支援ではありません。手助けすることを「支援」と呼ぶとき、そこでの関係は人と人との関係を離れ、いびつなものになる気がします。

 「いっしょに生きていく」から必要なときは手助けします。「いっしょにいると心ぷかぷか」になるから手助けするのです。

 

 「いっしょにいると心ぷかぷか」は彼らの関係をプラス方向で受け止めています。そういう意味で、今までマイナス評価の多い関係とは全く逆方向です。彼らとの新しい関係の提案です。マイナス評価で彼らを見るのはもったいない、といっているのです。

 

 お店で「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんが増えているのは、「いっしょにいると心ぷかぷか」の雰囲気がお店にあふれているからだと思います。それに共感した人たち、そうだよねって思った人たちが、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファン」になっているのです。

 パン教室が人気なのも、「いっしょにいると心ぷかぷか」の雰囲気がパン教室に充満しているからだと思います。

 そして演劇ワークショップでは彼らとクリエイティブな関係を作り、そこから今までにない新しいお芝居、新しい文化を生み出しています。「支援」ではなく、「いっしょにいると心ぷかぷか」の関係だからこそ、そこから新しいものが生み出せるのだと思います。「支援」という相手を上から目線で見るような関係からは、新しいものは生まれようがありません。

 「いっしょにいると心ぷかぷか」の関係で創りだした新しい文化は、障がいのある人たちを排除しません。みんなが気持ちよく、豊かに生きられる文化です。

 

 こんな発想がカナダでどんなふうに受け止められるのか、とても楽しみにしています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いずれpukapukaがそのまま世界中で通用するといいですね

 カナダで上映するプロモーションビデオの最後に桜の花びらが散るシーンがあって、そこに「いっしょにいると心ぷかぷか」の手描きの文字が重なります。「ぷかぷか」のことを知っている人たちは、「ぷかぷか」という言葉で共有できるものがあるので、ここのシーンにはジ〜ンと来るものがあります。そのジ〜ンと来るものをどうやってカナダの人たちに伝えようか、関係者で悩んでいます。

 「ぷかぷか」は意味があってつけた名前ではありません。宮澤賢治の『やまなし』にでてくる、クランボンはカプカプ笑ったよ、の「カプカプ」を名前にした作業所があります。そこと私はお友だちだったので、少しでも収益にしようと陶芸教室をやったことがありました。会場を借りるのに団体登録の必要があり、「陶芸クラブカプカプ」で登録していいか、一応施設長に聞いたところなぜか、困る、という返事。なんだ、こいつ、と思いながら考えたのが、カプカプをひっくり返した「陶芸クラブぷかぷか」。ほとんど意味のない出発でした。

 「ぷかぷか」を立ち上げる前、7,8年くらいこの名前で陶芸教室をやり、たくさんの作品を生み出しました。中山駅前の大きな花屋さんの一角を借りて陶芸作品の展示即売もやりました。中山まつりの時は、いつも一番いい場所を商店会から提供してもらい、たくさんの人が買いに来てくれました。花屋さんに置いてある作品、いつも楽しみにしてます、と言うお客さんが何人もいました。

 「ぷかぷか」をいよいよ立ち上げるとき、あちこち、こんな人たちの働くお店を今度始めます、とあいさつに回ると、「ああ、あのぷかぷかね」と受け止めてくれるくらい「ぷかぷか」は地域に定着していました。味のある陶器を作る人たち、として地域ではちょっと知られた人たちだったのです。

 この時点で「ぷかぷか」は、単なる擬音語を超えて、意味のある言葉になっていたのです。味のある陶器を作る人たち、彼らの作品の生み出すほっこり、あたたかな、心のなごむ雰囲気…

 

 そして今「ぷかぷか」という言葉にはますます磨きがかかったように思います。

 ぷかぷかに関わるたくさんの人たちが、たくさんの意味を「ぷかぷか」という言葉に注ぎ込んでくれました。ホッと一息つけます、あたたかな気持ちになれます、心がなごみます、やさしい気持ちになれます、ちょっと自由になれます、自分を取り戻すことができます…。「ぷかぷか」という言葉が、たくさんの人たちとの関わりの中で、ちょっとずつ、ちょっとずつ豊かになってきたのです。

 この、たくさんの人たちとの関わりの中で、「ぷかぷか」という言葉が豊かになった、というところが大事だと思います。

 

 そして「いっしょにいると心ぷかぷか」をどう英語で表現するか。

 ぷかぷかはpukapukaになります。「ぷかぷか」に意味はあっても、pukapukaには意味はありません。やはりそこは最初に説明しておいた方がいい、と翻訳を担当する辻さんはいいます。

 彼らといっしょにいるとどうなのか。あたたかな気持ちになる、楽しい、なんだか自由になる、おおらかな気持ちになれる、やさしい気持ちになれる…そんなことを最初に説明する。その上で映像を見ていただくと、pukapukaという言葉が見る人の中で意味を持ってくるのではないか、というわけです。

 pukapukaという言葉が、映像を見る人の中で生き生きと立ち上がってきます。映像のチカラがここで本領を発揮します。

 そして辻さんのメールにあったひとことがすばらしいと思いました。

 

 《 いずれpukapukaがそのまま世界中で通用するといいですね。》

 

 カナダ上映会は「pukapukaがそのまま世界中で通用する」その一歩なのだと思います。

 

植松青年は「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね

 障がい者問題総合誌『そよ風に街に出よう』が終刊になり、大阪の毎日新聞に記事が載りました。 

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 「明日に向かって語れ」と題した対談の中で、かなりの部分、相模原障害者殺傷事件について語られていました。その中にこんな発言がありました。

 

 「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」

 

 「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」

 

7月26日のやまゆり園事件追悼集会で出会った家族会の方も、NHKクローズアップ現代で取り上げられた植松被告の手紙にあった「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、と書いていることについて

 「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」

とおっしゃってました。それくらい現場が荒廃していた、と。前の家族会の会長と同じことを言っています。

 

 植松被告が事件前、衆議院議長に宛てて書いた手紙に

「施設で働いている職員の生気の欠けた顔」

という言葉がありましたが、「これから勉強します」っていう謙虚な姿勢で入ってきて、「日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」職場に本当にガッカリしたのじゃないかと思います。それが手紙にあった言葉だと思います。荒廃した職場の極めて的確な指摘です。もし間違っているのなら、そんなことはない、って、どうしてやまゆり園は反論しないのでしょう。

 

「植松青年も3年ちょっと、あの施設の中で、ある意味では障がい者とかかわったわけですよね。もちろん他の職員ともかかわった。その彼がああいう考え方を持つようになったということは、単に関わればいいっていうことじゃなくて、関わりの中身、関わる姿勢っているのが問題ですよね。」

 

 「施設で障害者に関わる職員の接し方しか見えないわけですよね。…自分と同じようにその人の人生があるっていうことを一回も教えていない…」

 

 

 やまゆり園では障がいのある人たちにどのように関わっていたのか、とあらためて思います。「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしている青年に、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた」やまゆり園が、障がいのある人たちとの関わり方について、一体どんなことを教えたのだろう、と思うのです。自分と同じように、障がいのある人たちにもその人の人生がある、といったことを職員が彼に教えたことがあるのでしょうか?いや、そもそもそういうおつきあいをやまゆり園の職員は障がいのある人たちとやっていたのでしょうか?

 

 聞くところによると、津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会は神奈川県の職員の天下り先で有名なんだそうですね。「津久井やまゆり園」のホームページ見てください。事件への姿勢がよく見えます。

 神奈川県の検証委員会も、この一番大事な、事件の核心部分ともいえる職場の雰囲気については全く検証していません。多分ここを検証すると県の責任が見えてくるからじゃないでしょうか?だから外したのだとすれば犯罪的です。今からでもきちんと検証するべきです。

 

 

 津久井やまゆり園自体の問題がまた見えてきたのですが、あらためて思うのは、植松青年が「これから勉強します」って、やまゆり園ではなく、ぷかぷかに入ってきてたら、あの事件は絶対起きなかった、ということです。ここにこそ事件の核心があるように思うのです。

 植松青年が、障がいのある人たちとこんな楽しいことやっていたら、彼は事件を起こしたりなんか絶対にしなかったと思います。

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プロモーションビデオ・カナダ版を試写しました。

 カナダで上映するプロモーションビデオの再編集したもの(まだ日本語です。これから辻さんの協力を得て英訳します)を朝ごはんの前に見ました。(今、入院中なので、ごはんの前は特にやることもなく、なんとも贅沢な時間なのです)

 一度作った映像をばらすことはとてもむつかしく、結局2本のプロモーションビデオをそのままつなげたそうです。順番は今年できたものを最初に、昨年作ったものをそのあとに持ってきています。

 冒頭には、日本の障がい者の置かれている状況を非常にコンパクトにまとめた言葉が入っています。この言葉がとても大事な役割を果たしています。カナダの人たちに日本の状況を伝えるために入れたものですが、その役割以上に、映像そのものの意味をも浮かび上がらせています。

 この言葉があるおかげで、映画全体がピシッと引き締まった感じになっています。映画の背景、ぷかぷかの活動の背景がくっきりと見えるからです。

 

 ●●●

日本の障がい者の数は、約860万人。これは人口の約6.7%にあたる。※

2016年4月、彼らへの差別を解消するための法律が、日本でもようやく施行された。

しかし、この法律があってもなお、

多くの日本人は障がい者を無意識に区別し、彼らと関わろうとはしない。

                        ※2011~2014 厚生労働省調べ

そんな静かな差別の一部が、おぞましい形に姿を変えた。

この法の施行からわずか4ヶ月後、

相模原という町の障がい者施設で19人の障がい者が殺害され、

27人が重軽傷を負わされたのだ。

「障がい者は不幸しか作れない。いない方がいい。」と犯人は言った。

 

これほどの凶悪な事件にまで至らなくても、

自分とは異なる特性がある人の存在を否定したり、無視する風潮もある社会。

それは、幸せな社会と言えるだろうか?

ぷかぷかは、この事件現場から34キロほど離れた場所にある。

40人ほどの知的障がい者がここで働き、地域の人たちはごく自然に彼らと出会う。

 

障がいの有無に関わらず、誰もがお互いの違いを認め合うこの場所で、

地域の人たちは彼らと知り合い、友達になり、彼らのファンになっている。

●●●

 

 この冒頭の言葉を読んだあと、プロモーションビデオの映像を、あらためて見てください。

 

プロモーションビデオ第2弾(15分)

www.youtube.com

 

プロモーションビデオ第1弾(5分)

www.youtube.com

 

 あらためて映像見て、どうでしたか?

 今まで見たのと少しでも違う感じに見えていれば、多分冒頭の言葉があなたに届いたのだと思います。冒頭の言葉はpvプロボノのコピーライターいなおさんが、映像を制作した中島さん、信田さんの協力で書いたそうです。

 言葉のチカラと映像のチカラが協力し合って、すごくいい作品になったと思いました。映像の中の「いっしょにいると心ぷかぷか」の言葉も、今回冒頭の言葉が加わったことで、より光っています。

 

 ただ最初、冒頭の言葉を見たとき

「多くの日本人は障がい者を無意識に区別し、彼らと関わろうとはしない。」

とあったので、「区別し」ではなく「差別し」ではないか、とpvプロボノの人たちにメールで問合せしました。

 

 信田さんからはこんなメッセージが届きました。

《「多くの日本人は障がい者を無意識に差別し」とすると
差別している意識のない人は「オレは差別してないから関係ない」と思う気がします。

「多くの日本人は障がい者を無意識に区別し」とすると
差別している意識のない人も「そうだな確かに区別はしているな」と思う気がします。

つまり「あなたも例外ではなく当事者ですよ」というメッセージは
後者の方が伝わると思うのですが如何でしょうか。》

 

 

コピーライターいなおさんからはこんなメッセージが届きました。

《 「区別」と「差別」について、

多くの日本人が障がい者に対する無意識の区別を「差別」だと認識していないことが、今起きているいろんな問題につながっているのではないかという気がします。

私自身も、決して差別主義者ではないですが、
ぷかぷかに出会うまで無意識に障がい者の方を区別していたように思います。
そして、多くの日本人が同じように

「自分は差別はしていない。でも区別はしているかも。」
と思っているのではないかと。

その現実を指摘した上で、それは「静かな差別」なんですよ、と。
ひどい待遇をしたり、ヘイトスピーチなどだけが差別なのではなく、
区別して彼らと関わらろうとしないことも差別なんですよ、と訴えたいと思い、
それを次の段落で「静かな差別」と言い換えていました。

こういう現状が日本だけのものなのか、
海外にも「自分は差別はしていないけど、区別はしているかも」と思う人が多いのかは、ぜひ知りたいところです。》

 

 冒頭の言葉にある「静かな差別」はここから生まれたんですね。とてもいい言葉だと思いました。

 いずれにしてもお二人のメッセージで、冒頭のあの部分に《差別》ではなく《区別》という言葉を使った理由がよくわかりました。

 

 

 相模原障害者殺傷事件は障がいのある人たちにかかわる私たちにとっては信じがたい事件でした。怒り狂うよりも、こんな事件を生んでしまった日本の社会にガッカリしました。悲しくて涙が出てきました。今までやってきたことはなんだったのか、という気がしました。

 そんな中で、映像の中の「いっしょにいると心ぷかぷか」の言葉は、自分の支えになりました。今まで通り、ぷかぷかさんといっしょにやっていけばいいんだ、と勇気づけてくれた気がします。もちろんこの言葉はぷかぷかが日々発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージが元になっているのですが、映像の中で使われることで、よりチカラのある言葉になっています。

 プロモーションビデオを制作し始めた頃、プロジェクトチームにどうしてコピーライターの方がいるんですか?なんて間抜けな質問をしたことがあります。中島さんが丁寧に説明してくれたのですが、その段階ではなんとなくすっきりしませんでした。中島さんは、「まーまー、そのうちわかってくるから」といってましたが、本当にその通りになりました。

 コピーライターの存在が大事だとわかったのは映像が完成してからでした。5分の映像は「いっしょにいると心ぷかぷか」の言葉に向かってぐんぐん集約されていきます。その勢いがすごいなと思いました。

 さらに相模原障害者殺傷事件後、落ち込んでいた私を支えてくれたのは、コピーライターの方が作ってくれたこの言葉でした。事件後、悲しくて、悔しくて、pvを何度も見ました。最後の桜の花びらの散るシーンで出てくる「いっしょにいると心ぷかぷか」は、今までやってきたことは間違ってないし、これからもその通りにやっていけばいいんだよ、っていってくれてる気がしました。

 そして今回カナダ版ができ、その試写をやって、今の息苦しい社会の中で「いっしょにいると心ぷかぷか」の言葉のチカラをあらためて思いました。時代が息苦しくなった分、言葉がいっそう輝いています。

 

 私は映像についてもコピーについても全くの素人です。でも、今回コピーが映像全体にこんなにも影響を及ぼすんだと思いました。言葉が映像よりも強いわけではありません。言葉が映像とうまくマッチングしたのだと思います。コピーの持つチカラをしみじみ感じた映像でした。

 言葉がチカラを失っていないこと、それは政治が腐りきった、この困難な時代にあって、大きな希望だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

いい一日を一緒に作り、いっしょに楽しめるような関係を作ることが大事

 昨日の神奈川新聞に、高崎のインタビュー記事が載っていました。津久井やまゆり園の事件に関連してです。

www.kanaloco.jp

 

 やまゆり園の事件については、必ず出てくるのが「優生思想」の問題であり、精神障がいを持った人の「措置入院」の話です。それぞれ大事な話ですが、自分の暮らしの中で考えていくと、話が大きすぎて接点がはっきりしません。

 それよりも、自分の暮らしの中で事件との接点を見つけ、そこをきちんとやっていくことが大事だと思っています。

 事件の犯人は「障がい者はいない方がいい」とか「障がい者は生きている意味がない」とか「障がい者は不幸しか生まない」といった発言をしていました。これは明らかに間違っています。でも、「それはちがう」とことばで否定するよりも、そう思える具体的な関係を作ることが大事だと思いました。それはぷかぷかが事件の前からずっとやってきた、「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよね」と思えるような関係作りです。

 それはよくある「支援」するとか、「何かやってあげる」とか、「福祉事業所を応援する」といった関係ではなく、もっとふつうにおつきあいする関係です。いい一日を一緒に作り、いっしょに楽しめるような関係です。

 パン教室がいい例です。楽しかったね、って思えるいい一日をみんなで作り、みんなで楽しんでいます。誰も彼らを支援しようとか、何かをやってあげるなんて考えていません。そこがすごくいいと思っています。

 ぷかぷかさん達と一緒に染め物をするワークショップをやってことがあります。そのときに染めた布が気に入って、それでスカートを作ってきた人がいました。「見て見て」って感じでやってきました。

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バンダナを作ってきた人がいました。

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 障がいのある人たちと人生を一緒に楽しんでいる関係です。こういう関係が、事件を起こすような社会を少しずつ変えていくのだと思います。

 そういった話を神奈川新聞は「やまゆり園の事件 1年」と題したシリーズで取り上げてくれました。ぷかぷかがやっていることをすごくよく理解して書いてくれています。

 

 

 

 

生まれた時、幸せを願ってつけられた名前があります。

昨日の朝日デジタル版に脳性麻痺の高校生の作った詩が紹介されていました。

digital.asahi.com

 

 私たちは、ひとりひとり違います。

 生まれた時、幸せを願ってつけられた名前があります。

 好きな食べ物、嫌いな食べ物があります。

 好きな色があります。

 好きな香りがあります。

 好きな音楽があります。

 好きな人、苦手な人、がいます。そして、大好きな人もいます。

 時々、わけもなく嬉(うれ)しくなったり、少し、寂しくなったりもします。

 今日は、疲れたなー、と、思う時もあります。

 楽しい!楽しい!と、思う時があります。

 悲しくて、泣き叫びたい時も、あります。

 ……

 

 

  相模原障害者殺傷事件で犠牲になった人たちはすべて匿名にされました。やまゆり園の家族会の会長の話によれば、親戚に食堂をやっている人がいれば、親族に障がい者がいることがわかれば商売に差し支える、だから匿名はしょうがない、といった話をしていました。

 でも、そのために詩に書かれたような一人ひとりのかけがえのない人生がなかったことにされました。そんなことが許されていいのか、とあらためて思います。

 詩のなかの、

 「生まれたとき、幸せを願ってつけられた名前があります」

 という言葉は心にしみました。匿名にすることで、幸せを願ってつけられた名前をも消してしまったのです。

 

 これは家族会の問題ではなく、家族会にそういう圧力をかけてしまっている私たち社会全体が問われている問題です。

 

 こういう社会にあって、昨日紹介した

「hanaちゃんとおつきあいしないなんて、もったいない」

という発想は光っています。社会の多くの人がこういう発想で障がいのある人たちを見るようになれば、社会はきっと変わっていくと思うのです。

 

「もったいない」っていうくらいの感覚でおつきあいした方が…

 ぷかぷかの取材に時々来ている毎日新聞の記者はFacebookでこんなことを書いていました。

 

最近、障害のあるお子さんを育てるお母さんにお話を聞く機会が多い。
どのお母さんも、
「ああ、このお母さんを選んで生まれてきたんだなあ」
って感じます。

花岡さんもその1人。
娘のhanaちゃんは、みんなで共有しないともったいない存在

「みんなで共有しないともったいない存在」という書き方がすばらしくいい、と思いました。

 30数年前、養護学校の教員になってすぐ、

「こんなすてきな人たちを養護学校に閉じ込めておくのはもったいない」

と思い、休みの日に子ども達を公園に連れ出して、地域の人たちに紹介しました。

 「もったいない」という感覚はこの時からです。「共に生きよう」とか「共生社会」とか「インクルージョン」とかじゃなくて、どこまでも「つきあわないともったいない」という感覚。

 

 社会のみんなが

「障がいのある人たちとおつきあいしないともったいない」

って、思うようになれば、社会は多分大きく変わります。

 「共に生きよう」とか「共生社会」とか「インクルージョン」とかいうと、障がいのある人たちとのおつきあいが、なんだか面倒くさくなります。

 それよりも「もったいない」っていうくらいの感覚でおつきあいした方が、楽です。楽しくなります。

 「もったいない」は、「おつきあいすることに価値がある」ことを、生活の感覚で語っています。さらっと泥臭くいっているようで、実は彼らとのおつきあいに価値がある、と画期的なことをいっているのです。

 歴史ある福祉の世界だってこんなことは言ってきませんでした。

 だからこそ、「もったいない」という感覚は、障がいのある人たちとのおつきあいの歴史を塗り替えるほどの意味を持っているのだと思います。

 

こういう人たちとはおつきあいしないともったいないです。

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この写真のようなこと、植松被告がやっていたら、あんな事件起こしたと思いますか?

 7月26日に横浜市瀬谷区であったやまゆり園事件追悼の集いに参加しました。

 この集まりの最初の方でやまゆり園の宣伝ビデオが流されたようです(私は遅れていったので見られませんでしたが)。みんな笑顔で、楽しい雰囲気の施設、というメッセージだったようで、報道の方が、こういう生活ぶりを知らなかったので、ぜひみんなが見られるように流して欲しい、と発言しました。

 それに対してやまゆり園に子どもをあずけている保護者の方が、

「あれはうそですよ。あんなのは流さないで下さい」

と目の覚めるような発言をしました。施設の実態とあまりにもかけ離れている、というのです。

 日中活動は週二日くらいで、あとはやることがなくてその方の息子さんは一日中テレビを見ていたり、本を破ったりしている、という話でした。

  職員が足りなくて、回らないんだそうです。この問題については神奈川新聞が事件を考えるシリーズの中で、指定管理者に変わってから県から支給されるお金が減らされて、職場環境がとても悪くなっている、と指摘していました。

 だから笑顔満載のビデオは「うそだ」と。

 家族会の会長の話よりもはるかにリアリティがありました。やまゆり園というところはそういうところなんだと、初めて知りました。

 

植松被告が事件前、衆議院議長に宛てて書いた手紙に

「施設で働いている職員の生気の欠けた顔」

ということばがありました。植松被告はあれだけめちゃくちゃなことをやりながら、妙に冷めた目で職場を見てたんだ、と手紙を読んだとき思いました。

 笑顔満載のビデオに、「あれはうそですよ」という指摘と、植松被告の指摘した部分が重なってくるのです。

 

 目も覚めるような発言をされた保護者の方にNHKクローズアップ現代で紹介された植松被告の手紙のことを聞いてみました。(障がい者は不幸の元だ、と確信を持ったのは施設で働いた3年だった、と手紙に書いています)

 「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」

とおっしゃってました。現場が荒廃していた、という保護者の目です。

 となると現場の荒廃が、事件の一因となります。

 

 植松被告のいう「生気の欠けた顔」で、どうやって障がいのある人たちとおつきあいしていたのでしょう。神奈川新聞は職場の荒廃の原因としてお金が減らされたことを指摘していましたが、ぷかぷかは多分もっとお金がありません。パートさんは全員最低賃金で働いています。それでもみんな楽しい雰囲気の中で働いています。ぷかぷかさん達といい関係にあるからだと思います。

 ポイントは多分そこだと思います。障がいのある人たちといい関係にあるかどうか、です。植松被告がもしぷかぷかで働いていたら、絶対にあのようなことは起こらなかったとあらためて思います。

  ね、この写真のようなこと、植松被告がやっていたら、あんな事件起こしたと思いますか? ここに事件の本質があるように思うのです。

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自分の思い込みが息子さんの権利を狭めていた、という気づき

今朝の朝日新聞「声」の欄に、重度の知的障がいを持つ方のお母さんの投稿がありました。

digital.asahi.com

 

 「少しでもできることを増やし、人に迷惑をかけないよう育てるのが親の務めだと、昔は本気で思い込んでいました。」と投書のお母さんは書きます。

 ぷかぷかで働くツジさんのお母さんのいう「見当違いの努力」をこのお母さんもしていたようです。ツジさんのお母さんはツジさんがぷかぷかで働く中で、いままでやってきた「少しでもできることを増やし、人に迷惑をかけないよう育てる努力」が「見当違いの努力」であったことに気がつきました。

 障がいのある人たちは社会にあわせないと生きていけない、と多くの人は思い、私自身も養護学校の教員をやっている頃は思っていました。ぷかぷかを始めたとき、接客の講習会をやりました。受講してみると、接客マニュアルにあわせなさい、という講習会でした。で、実際にぷかぷかさんがその接客マニュアルに合わせてやってみると、なんだか気色悪かったのです。私は彼らに惚れ込んでぷかぷかを始めました。その惚れ込んだ彼らが自分を押し殺して、接客マニュアルに合わせる姿は、もう痛々しくて見てられなかったのです。それで接客マニュアルはやめ、彼らのそのままの姿でやっていくことにしました。

 ありのままの彼らにこそ魅力がある、という思いが社会の中で通用するのか、単なる私一人の思いなのか、大きな勝負所でした。

 ドキドキしながらのスタートでしたが、なんと、ありのままの彼らで働く姿に、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンになりました!」というお客さんが現れたのです。

 以来、ぷかぷかは、ありのままの彼らの魅力に支えられて今日まで来ています。彼らのおかげで商売が繁盛〈?〉しているのです。

 

 投書のお母さんは「愚行権」ということばと「自立とは依存先を増やすこと」という考え方で自分の思い込みが変わったと書きます。誰でも少しくらいバカなことをやってもいいし、誰にも頼らず自立している人はいない、ということに気づいたといいます。「親である自分自身が息子の権利を狭めていたことに、やっと気がつきました」と。

 自分の思い込みが息子さんの権利を狭めていた、という気づき。すごいなぁ、と思いました。

 

 

 

 

津久井やまゆり園のホームページが再開されました。

 事件以来閉鎖されていた津久井やまゆり園のホームページが、7月26日再開されました。

 この1年間、何のメッセージも出さなかったので、当然事件についていろいろ書いてあるのだろうと思っていました。ところが…

 

ごあいさつ
 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。
 今年度に入り、仮移転先であります「津久井やまゆり園芹が谷園舎」での生活がスタートいたしました。去る7月22日には、芹が谷園舎の体育館で家族会・後援会のお力もいただき「追悼のつどい」をしめやかに行なったところでございます。
 まだまだ利用者の皆様・ご家族の皆様、そして職員、それぞれ不安な気持ちが拭えない日々ではありますが、津久井やまゆり園本来の動きを取り戻すべく、この時期にホームページの再開に踏み切ることにいたしました。
 今後の津久井やまゆり園再生への道のりは、長く険しいものと覚悟しております。今後とも皆々様からのご教示をよろしくお願いいたします。

平成29年7月26日   社会福祉法人かながわ共同会津久井やまゆり園園長  

 

 

 事件はまるで他人事、といった感じです。

 事件の犯人は元ここの職員ですよ。どんな組織でも、その組織の人間が不祥事を起こせば、たとえ過去の人間であっても、まずは謝罪します。その謝罪のことばがひとこともありません。あれだけの事件を起こしながら、謝罪のことばがひとこともない。この組織は一体どういう感覚なのかと思いました。

 福祉施設を四つも運営する社会福祉法人です。社会的信用の高い社会福祉法人が、一体何を考えているのかと思います。

 

これがホームページです。

http://www.kyoudoukai.jp/2017/07/0725_1.html

 

  ホームページの中の「今後の取り組み方向」のページにも、事件についてはひとこともありません。ふつうならこんな大事件を受けて、今後法人はどうするのか、という書き方になると思います。法人にとって、事件はなかったも同然なのでしょうか?

 

 別のページにはこんなことばもあります。

 《 地域福祉力を高めるために地域に向けての研修や情報発信にも力を入れています。》

 事件に関する情報発信、メッセージの発信は一切なかったのに「情報発信にも力を入れています」って、一体どういうことでしょう。意味がわかりません。社会福祉法人がこんなデタラメなことやってていいのかと思います。監督庁の神奈川県は何をやっているのでしょうか?

 

 やまゆり園は事件の現場になったからこそ、現場からの情報発信はとても大事だったはずです。現場は事件をどう受け止め、今後どうしようとしているのか、といった情報発信です。もちろん当事者として安易に語れない難しさはあったと思います。それでも、その難しさに向き合うことこそが、事件はなんだったのか、今後どうすればいいのか、を掘り下げていく出発点だと思います。

 

  7月25日のNHKクローズアップ現代では、事件の犯人が「障がい者は不幸を生む元だ」と確信したのはやまゆり園で勤務していたときです、と手紙に書いているのを紹介していました。

 もし本当にそうだとしたら、現場には大変な責任があります。犯人が確信を持った現場の雰囲気というのはどうして生まれたのか、その雰囲気を改善するにはどうしたらいいのか、といったことは現場の人でないと語れません。現場の人が黙ったままでは、結局困るのは、その現場にいる障がいのある人たちです。

 犯人のいうことが間違っていれば、それは間違っている、と現場のことばで言えばいいのです。どうしてまちがえたのかを考え、現場の人のことばでそれを語る。それがとても大事な気がします。

 

 

 犠牲になった人たちがすべて「匿名」になったことを受けて、NHKが「19のいのち」というサイトを作っています。19人、一人ひとりのエピソードが書かれています。「箝口令」が敷かれる中での取材は大変だったと思います。それでも19人の人となりが少しずつ見えてきます。ああ、こういう人生を生きてたんだ、と。

www.nhk.or.jp

 

 中に一人、エピソードが一行だけ、という方がいて、私はそれを見るたびに悲しくなります。

 

「 短期で施設を利用していたころから、かわいらしい笑顔で人気者でした。」 

 

 その人の人生を語ることばが、たった一行しかないのです。たった一行でも、その人の人生を掘り起こしたことはすばらしいことだったとは思います。それでも、たった一行なる故に、私は悲しいです。こんな語られ方の人生があっていいのかと。殺されて尚も、たったの一行で語られる人生。

 19才の女性です。19年生きてきた、その女性だけの豊かな物語があったはずなのです。それを思うと本当に悔しいです。

 

 そこで津久井やまゆり園の人たちに提案です。犠牲になった19人の人生を語って欲しいのです。このサイトに書き込んで欲しいのです。現場の人で、彼らとおつきあいした人ならいくらで書けるはずです。彼ら一人ひとりが、すばらしい人生を生きていたことを書いて欲しいのです。

 彼ら一人ひとりのすばらしい人生が見えてくれば、「障がい者はいない方がいい」などと勝手な論理で彼らを殺してしまったことが、いかに間違ったことだったかがわかります。

 

 今からでも遅くはありません。ぜひやってみて下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

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