《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。
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《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。
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11月5日(日)午後1時〜3時、みどりアートパークリハーサル室でカナダ報告会を行います。バンクーバーで上映したプロモーションビデオカナダ版をみんなで見たあと、カナダで見つけたことを様々な立場から報告します。
報告はぷかぷかさん、ぷかぷかさんの保護者、pvプロボノの人たち、映画監督、ぷかぷかスタッフです。
国際自閉症フェスティバルの主催者レオノーラさんがスカイプで参加するかも知れません。いろんな質問ができると思います。楽しみにしていて下さい。
たくさんの人たちとの出会いがありました。その出会いをぷかぷかの活動の中でどんな風に生かしていくのか、それがこれから問われると思います。
ぷかぷかのメッセ−ジがいっぱい詰まったプロモーションビデオは、思いのほかいい反応でした。障がいのある人たちが「街を耕している」とか、「街を豊かにしている」という発想自体が、外国にはないのか、自分の中の障がいのある人たちの概念をひっくり返した、という方もいました。アメリカの方でした。アメリカは日本よりも障がいのある人の受け止め方が進んでいるように聞いていたのですが、その感想を聞く限り、そうでもないのかな、という気がしました。やはり、何かやってあげる対象、と見ているのかも知れません。
「耕す」とか「豊かにする」という言葉の表現がすばらしいといってくれました。こういう評価はうれしいですね。日本でこそ、この言葉が広がって欲しいと思いました。障がいのある人たちは「社会を耕す人」であり、「社会を豊かにする人」という見方を日本でもっともっと広げていこうと思いました。相模原障害者殺傷事件がおきるような社会にあってはなおのこと必要な見方ではないかと思います。
上映の時、たまたまテラちゃんがそのアメリカの人の隣に座り、いつものように腕をさすっていたのですが、その方は、隣の女性が「一緒にいると社会が豊かになる」という言葉を実感させてくれました、といってました。テラちゃんのふるまいを「豊か」と表現した方に拍手!でした。
インドの方は「すごくハッピーな気持ちになれた」とおっしゃっていました。インドは福祉の面ではまだまだ遅れている感じですが、インドの人たちのワークショップをのぞいてみると、とにかく社会を改善したいという思いに溢れているようでした。でもすごくお金がかかって、お金がないと福祉が手に入らない感じがしました。
昔インドを旅した経験からは、その改善が困難を極めることが容易に想像できました。やはり富裕層にしか目が向いていないのかなと思いました。私が旅でウロウロした庶民的な街の人たちにこの改善案が届くには途方もない時間がかかる気がしました。
「ぷかぷか」はいわば庶民的な街の物語です。お金を使って作り出したものではありません。何よりも彼らが目指しているものとはかなりちがうものだったと思います。彼らは自閉症のしっかりした療育プログラムを作っているようでした。ものすごく勉強している感じでしたが、そのプログラムが「ハッピー」をもたらすかというと、そういう感じでもない気がしました。そんな彼らがぷかぷかの映像に「ハッピー」なものを感じてくれたのは、彼らにとってすごい発見だったのではないかと思います。障がいのある人たちとかかわる上で、何が大事か、という意味で…
アメリカの少年はその「ハッピー」な感じの中で涙を流したといってました。自閉症の当事者の方でした。お母さんは「Amazing!」としきりにいってました。お父さんはパントマイムをやられる方で、上映会のあと、どういうわけか私も一緒にやることになり、チョウチョを捕まえるパントマイムをやりました。こういう関係があっという間にできてしまうところがアメリカだなと思いました。パントマイムをみんなの前で即興でやったご褒美に黒いTシャツをもらっちゃいました。
イラク大使がご夫婦で見てくれました。人間が成長する場を、障がいをある人たちの専門機関ではなく、こういうふつうの営みの中で実現していることがすばらしいと奥様はおっしゃていました。奥様は医者として障がいのある人たちにかかわっておられるようでした。「ぷかぷか」の活動を見て、人間が成長する場、というふうに言われたのは初めてでした。人間にはこういう場が必要だ、ということも。それを実現したあなたの手は「神の手だ」とイラクの大使は私の手を両手で握りしめてくれました。「神の手」などという表現は日本ではなかなかないですね。ぷかぷかの映像に、よほど驚いたのだと思います。
「人間が成長する場」という視点は、初めて聞くものでした。でも、いわれてみれば、すごく大事な視点であって、それを忘れていた私たちこそ反省しなければならないと思いました。
イラクでは戦争をやっています。国が荒廃しています。それでも、本当は困っている人がいれば、みんなで助け合う国なんです、と大使は言ってました。そういう国だからこそ、荒廃の中にあって尚も福祉について何か学ぼうとフェスティバルに参加したのだと思います。そんな国の人に言われた「人間が成長する場」という言葉の重さを思いました。
私は英語が話せないので、いろんな人が話しかけてきても、突っ込んだ話ができませんでした。通訳を鋏んだ会話は、お互いの思いを通じるところまではいきません。これはとても残念なことでした。また行く機会があるかも知れないので、英語をふだんから勉強しておこうと思いました。
カナダから帰ってから外国の方が時々Facebookにアクセスしてきたりしているので、一部英文表記をしようかと考えています。
デフパペットシアターひとみの『森と夜と世界の果てへの旅』の公演が11月25日(土)午後2時からみどりアートパークホールであります。それに先駆けて11月4日(土)午前10時からワークショップをやります。25日の本番舞台に一緒に立ちます。
このワークショップは「人生おもしろいことなんかないから死にたい死にたい」と毎日のように口にし、医者から「死にたい病」の病名をつけられたまーさんが長野まで出かけて参加し、デフパペの舞台に一緒に立った感動的な物語を生み出しました。
今回も25日の本番の舞台の最後のシーンで出演します。すばらしい体験になると思います。
ワークショップの申込は直接みどりアートパークへお願いします。045−986−2441
近所の小学校から毎年子ども達が「街探検」にやってきます。お店のことをいろいろ調べに来るのです。その学校の先生から、子ども達にぷかぷかの話をして欲しい、という依頼がありました。「街探検」では、パンは一日何個くらい焼くのか、何種類くらいのパンを焼くのか、といったことは調べても、どうしてぷかぷか、つまり障がいのある人たちの働く場が街の中にあるのか、といったことまでは調べません。そのあたりの話をして欲しい、ということのようでした。
大人向けに話をする機会は多いのですが、子ども向けは初めてです。どういう言葉でぷかぷかのことを語れば子ども達に届くのか、ということですが、私が一方的にぷかぷかのことを語るより、子ども達自身で街の中にあるぷかぷかのことを語ってもらった方がおもしろい気がしています。
最近注目を浴びている「アーダコーダの子ども哲学」のやり方でやると、きっと今までにない新しいものがでてくるのではないかと思うのです。私がいつも語るようなぷかぷかではない、新しい解釈のぷかぷかです。
何よりも未来は子ども達が作ります。ふだんの暮らしの中で、子ども達は「ぷかぷか」にパンを買いに来たり、ごはんを食べにきたり、お惣菜や弁当を買いに来たりしています。アートのワークショップやパン教室、演劇ワークショップ、運動会に参加した子ども達もいます。表現の市場を見に来た子ども達もいます。「ぷかぷか」をいろんな風に受け止めていると思います。そこから語る言葉には彼らが作る未来が見える気がするのです。
「子ども哲学」というのは、対話という方法で、子ども達自身がテーマを深めていく方法です。「障がい」って何?「ふつう」って何?障がいのある人たちとおつきあいすると何かいいことがあるの?「ぷかぷか」って何?といったことを子ども達自身の言葉で対話して、その意味を探っていくのです。
で、その手がかりをつかもうと、日曜日、立教大学であった「哲学プラクティス」という集まりに参加してきました。様々な形(子ども哲学、哲学カフェ、など)で哲学対話をやっている人たちが集まって、お互いの成果発表、ワークショップなどがありました。22もの講座があったのですが、「哲学ウォーク」、シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」の三つに参加しました。
「哲学ウォーク」というワークショップはすごくおもしろい体験ができました。最初に哲学名言を書いた短冊を引きます。私が引いたのは
「世界の価値は、世界の外側になければならない」
という、なんとなくわかったようなわからないような哲学名言でした。ヴィトゲンシュタインという方の名言だそうです。これを頭に入れて街の中を歩きます。日曜日は雨が降っていたので、立教大学の構内を歩きました。歩いているときは終始無言です。自分の名言を表現している場所に来たと思ったら「ストップ」をかけ、全員を止めます。10人くらいいました。どうしてその場所が名言を表現しているか説明します。ほかの人はその説明に対し、哲学的な質問をします。説明した人は質問の中からひとつ選び、歩きながら答えを考えます。最初の教室に戻り、答えをみんなの前で発表します。
「世界の価値は、世界の外側になければならない」は、言葉でその意味を追求し始めると、もう言葉の迷路に入り込んでしまって、にっちもさっちもいかなくなります。
でも、その名言を表現している場所を探す、というのはどこまでも直感で探すので、なんかわくわくしながら探しました。
私は構内から出る門のところで、「ストップ」をかけました。門が世界の内側と外側を表現しているように思ったからです。大学の門の内側では、アーダこーだと真理を探究しています。でも本当は門の外側にこそ、世界の価値があるのではないかと「勝手に」思ったのです。
「勝手に」ですから、ひょっとしたら間違った解釈かも知れません。でも、そのことを問いただすわけでもなく、自分の思ったことを自由に話せる雰囲気がとてもいいと思いました。何よりも仕事や生活に追われて、ふだん考える機会のない
「世界の価値は、世界の外側になければならない」
なんていうむつかしい言葉について、楽しく考えられたことがよかったなと思います。久しぶりに頭を使ったなという気がしました。頭の、いい体操でした。
シネマ哲学カフェ「子ども哲 学〜アーダコーダの時間 〜」のワークショップは映画を見て、そこで感じたことを語り合う集まりでした。
映画は子ども達がいろんなことをテーマにあーだこーだとひたすら対話している映画でした。ただそれだけの映画なのに、妙に心が洗われるというか、見終わったあと、とてもいい気持ちになれました。子ども達の世界へのふれ方がとても新鮮で、言葉を聞いているだけで、新鮮な気持ちでもう一度世界を生き直すような、そんな楽しさがありました。こうやって子ども達はわくわくしながら世界と出会っていくのだと思いました。そのわくわく感がとてもよく伝わってくる映画でした。
「地域で子ども哲学をしようー なんでわたしが子ども哲 学?ー」は子ども哲学をやっている六つのグループの実践発表でした。女性は全員が自分の子どもから出発していました。学校に任せていたらとんでもないことになる、といった危機感は、みんなが共有できる危機感でした。
子ども哲学をやったからって、学校のどうしようもない状況が変わるわけではありません。でも、それを超える新しい世界ができあがってくる予感はありました。
「障がいのある人たちのこと」「ぷかぷかのこと」をアーダコーダの子ども哲学で語ると、どんなことが見えてくるのだろうと、とても楽しみになりました。
クラウドファンディングの記事を読んで、わざわざ神戸から来て下さった方のブログです。
高崎さんの、心にじんわりと、
また、時にはガツンと響く
言葉の選び方・考え方に
私はすっかり惚れ込んでしまい、
即、会いに行くことに決めたのでした。
思ったらすぐに動く、こういう行動力がすばらしいですね。こういう人が未来を切り開いていくのだと思います。
ぷかぷかを立ち上げる前、横浜市の空き店舗活性化事業に応募しました。書類審査が通り、ヒアリングも通り、最後のプレゼンテーションをしたときの原稿を、たまたま読み返していて、「彼らのおかげで、人として立つことができる」という言葉が妙にしみました。
昔、私がまだ学生の頃、胎児性水俣病の子どもを抱きながら、『この子は宝子ばい』と言っていたお母さんがいました。でも、その『宝子』の意味がどうしてもわかりませんでした。重い障がいをもった子が、どうして『宝子』なのか、よくわからなかったのです。
でも、障がいのある子どもたちと30年付き合ってきた今、『宝子』という言葉に込めたお母さんの思いが痛いほどわかります。ぎすぎすした息苦しい今の世の中にあって、ただそこにいるだけで心安らぐような雰囲気を作ってくれる彼らの存在は、やはり『宝』といっていい存在だと思うのです。彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができるのだと思います。
かつてあったおおらかさがなくなり、どんどん息苦しくなっていく今の社会には、そういう『宝』こそが必要なんじゃないか、私はそんな風に思います。
街の人たちに、そんな『宝』のような存在に出会ってほしい。彼らと一緒に街の中でパン屋を始める理由のいちばん根っこにはそんな思いがあります。
「彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができる」
という言葉はぷかぷかの立ち位置を明確に示していると思いました。「支援」などという薄っぺらなものではなく、彼らのおかげで人として立つことができる、という豊かな関係性。
ぷかぷかアートディレクター金子さんのアートワークショップがありました。今日は大きな紙に自作の筆で自由な模様を描き、そこにマーカーで色を塗り込んでいきます。いろんな人の、いろんな思いが塗り重なって、気がつくとすばらしいアートができあがっていました。
筆を作ります。
完成のイメージ
作業開始!
だんだん模様が増えます。
息を吹きかけて墨を乾かします。
ちょっと深呼吸
色を塗ります。
完成! お疲れ様でした。
映画『ぷかぷかさん カナダをゆく』について、pvプロボノの方がメッセージを寄せてくれました。
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ひょんなことから、私たちがつくった「ぷかぷか」の映像が、ANCA世界自閉症フェスティバルで上映されることになった。
このとき、私たちがもっとも悩んだのは、映像の中で使われていた
「いっしょにいると、心ぷかぷか」
という言葉の扱いだった。
これは英訳して伝わる言葉なのか?そもそも「ぷかぷか」という言葉自体が英語には無い言葉なので、意味をなさないのではないだろうか?
試行錯誤の上、英訳をしてみたが、何が伝わるのかの確証はなかった。
カナダに一緒に行ってパフォーマンスをしてくれた、ぷかぷかメンバーのツジくん、ダイくん、テラちゃん、セノーさん。
彼らのおかげで、映像の中の「いっしょにいると、心ぷかぷか」という言葉は
世界の人々に、確実に意味を持つことになった。
「ぷかぷかさん、カナダをいく」はそんなことをリアルに伝える映画だと思う。
PVプロボノ プロデューサー 中島晃紀
本映画制作とのご縁は、私自身がずっと待ち望んでいた夢を引き寄せた、直観のつながりであったと心より感謝しています。
皆のエネルギーがかみ合っていると、ほおっておいても盛り上がるようになっている・・カナダの大自然の中、障がいや共通言語は色も意味も成さないことを、今回ご一緒させて頂いたNPO法人ぷかぷか使節団に気づかせてもらいました。
想いへ道すじをつけ、それぞれが自由に表現しながら、一歩一歩を大切に前に進んでいくと、そこに待ち受けるのは、素晴らしいパフォーマンスで一瞬にして皆を魅了した才能、それぞれの個性が際立つ人間力、大胆かつチャームを兼ね備えた抜群の社交性、そして礼儀正しく責任感がとっても強いぷかぷかさんと仲間たちの光り輝く勇姿でした。
奇想天外なエピソードも、心洗われるストーリーも、我々制作スタッフの感動秘話も、全部ぎゅっと詰まった宝箱のようなドキュメンタリー映画「ぷかぷかさん、カナダをいく」は、心を寄せて下さっている方々への贈り物と言っても過言ではありません。
”いっしょにいると心ぷかぷかinバンクーバー”を、ぜひ本作品より体得して頂けましたら光栄です。
皆様ひとりひとりが、愛と笑顔が溢れる、心ぷかぷかな日々を過ごせますように。
NPO法人PVプロボノ
ソーシャルクリエイティブプロデューサー
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映画『ぷかぷかさん カナダをゆく』が、ますます楽しみになってきました。福祉の外の世界にいる、こういう人たちの言葉こそ、新しい未来、新しい福祉を作り出すのではないかとあらためて思いましたね。希望を感じます。わくわくします。
障がいのある人たちとの新しい関係、その関係が創り出す社会の豊かさ。それはすでに「ぷかぷか」がやっていることですが、映画『ぷかぷかさん カナダをゆく』は、それに更に磨きをかけます。どんな磨きがかかるか楽しみにしていて下さい。
クラウドファンディング進行中です。目標額150万円に対し、現在351,000円と、かなり厳しい状況です。それでも私たちは前に進みます。ぜひご協力下さい。
クラウドファンディングはどうも、という方は郵便振替など、直接ぷかぷかに寄付を送る方法もあります。
特典などは同じです。特典を送りますので、住所をメールで知らせてください。
pukapuka@ked.biglobe.ne.jp 担当:高崎
寄付の振込先は
●郵便振替口座 口座記号 00260-4 口座番号 97844
加入者名 NPO法人ぷかぷか
●ゆうちょ銀行 NPO法人ぷかぷか 記号:10230 番号:19645501
●横浜銀行 NPO法人ぷかぷか 理事長高崎明
支店名 中山 口座番号 1866298
国際自閉症フェスティバルで谷川俊太郎の「生きる」の詩を朗読しました。ツジさん、ダイちゃんは江原さんとのリサイタルの舞台があったのですが、セノーさん、テラちゃんにはそういった舞台がなかったので、詩の朗読の舞台をやりました。
セノーさんは8年前、養護学校高等部3年生の時に文化祭の舞台で、この詩を朗読しました。谷川俊太郎の詩を元に「みんなの生きる」という詩をみんなで作り、そこから芝居を起こしました。セノーさんはそれをしっかり覚えていて、今回の企画にはすぐにのってきました。
テラちゃんは第二期演劇ワークショップで同じ詩を取り上げたので、よく覚えていました。
ホテルの部屋で稽古したときは、久しぶりに学校の先生をやってる気分で、懐かしい気がしました。「木洩れ日がまぶしい」という箇所、学校でやったときもほとんどの生徒がイメージできませんでした。その生徒達と、後日山登りに出かけたとき、稜線の林の中を歩きながら、生徒の一人が「そうか、木洩れ日がまぶしいって、こういうことか」って大発見したようにいいました。そこは本当に木洩れ日がまぶしい林が続いていて、こんな発見は人生を豊かにします。
本番は、ツジさんがまず英語で朗読し、そのあとテラちゃん、ダイちゃん、セノーさんが日本語で朗読しました。
日本語での朗読は、多分外国の人たちには伝わりません。でも、こういう舞台に立ち、詩を読むこと自体に意味があると思っています。ふだんの暮らしの中では、人の前に立って詩を読むことなんて、ほとんどないのですから。緊張感の中で、言葉にしっかりふれるのです。
バンクーバーで通訳ボランティアできてくれた方の中に大阪弁でしゃべりまくる元気なお母さんがいて、子どもが自閉症だそうです。そのお母さんのプロモーションビデオカナダ版を見た感想です。
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映画観ましたよ。
いいですね!
一人一人の短編小説が書けそうです。
ぷかぷかさんたちはひじょうに日本人的で温かいですね。和を尊ぶ心が映像と笑顔に現れています。
また、カメラマン、監督も素晴らしい眼福を持っていらっしゃることに感服いたしました。
こういった方達と出会えて創作できるというのは高崎さんが生まれた時から決まっていたんでしょうね。すごいことです。
私の目線と高崎さんの目線は近未来と私たちがいなくなった後の未来を見据えていると思います。
障がい者が生活の歯車の一つであることを関係者以外の人たちが普通に知る世界。
高崎さんは一歩先んじていますね。
私も別口で動いています。
ただ私の場合、仲間はいますが今はまだ一人で試行錯誤している段階です。でももう少し楽にやれるかもしれないと映像を観ておもいました。
息子に診断が降りた時、「自閉症=天才」と直ぐに思いました。
「どないしょ私、天才産んでもうたわ!」
とワクワクしましたね。
自閉症療育にもノリノリでした。そして今も。
私には自閉症の子を育てる母としての使命感が不思議とあり、なんでもできる自信もあります。
地球を見守る月のように、私は自閉症の衛星だと考えるようになりました。
今回お会いできたのも何かのご縁ですね。バンクーバーまで来てくださってありがとうございました。
お会いできたことで私にとって大きな収穫となりました。
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「どないしょ私、天才産んでもうたわ!」という受け止め方、すばらしいですね。こんな受け止め方をされた子どもは幸せです。いや、親子とも幸せです。チカさんといいます。これから時々登場します。
障がいがある人と一緒に暮らす社会について掘り下げて考えるためのトピックス集です。