ぷかぷか日記

私は毎日イクミのそばにいて、とても幸せです

 カナダ報告会がありました。

 江原さんがこれからコンサート会場に駆けつけるので1時15分までしかいられないと、トップバッターでダイちゃん、辻さんと「さかなはおよぐ」のアラビア語の部分をやってもらいました。

 前日に連絡したら、辻さん、アラビア語のプリントをカナダで捨ててしまったとお母さんが笑いながらおっしゃってて、ちょっと焦りましたが、いろいろこだわりを持ちながらも、終わったらぱっと捨ててしまうあたりが辻さんらしいと思いました。江原さんの持っていたコピーで朗読しました。カナダで朗読してからもう一ヶ月たちますが、つまずくこともなく、すらすら読んでいました。記憶力が半端じゃないですね。

 ダイちゃんとのコラボは、こちらも一ヶ月練習が途絶えたことを全く感じさせない演奏ぶりでした。レクイエムという曲で、途中ダイちゃんがフリーでたたくところは久しぶりのせいか、気合いが入っていました。ただただうまいです。

 

 そのあと、pvプロボノの信田さんが徹夜で作ってくれた資料をスライド上映。まずはANCA自閉症フェスティバルの簡単な説明。

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 いろいろ混乱もあり、運営上の問題は感じましたが、それでも34カ国もの国から人が集まるというのは、やはりこのフェスティバルにそれだけの魅力があるのだろうと思います。レオノーラさんのエネルギッシュな活動にちょっと圧倒されました。

 

ぷかぷかさんとそのご家族、江原さんとそのご家族、記録映像の吉田さん、pvプロボノ関係者、ぷかぷかスタッフなど、総勢18名で参加。気がつけば、参加団体の中で一番大きかったとか。

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9月30日、プロモーションビデオカナダ版を上映しました。

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 障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい、そうすることで社会は豊かになる、というメッセージは言葉の壁を越えて届いた気がしました。

 

9月30日の午後、詩の朗読をしました。

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この朗読の前に上映したプロモーションビデオの中に演劇ワークショップで「生きる」の詩を朗読するシーンが入っていたので、多分伝わるものは伝わったと思います。

 

  9月30日の夜、パレスチナの絵本「さかなはおよぐ」の朗読と演奏をしました。

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 これは文句なしにいい舞台でした。レオノーラさんが絶賛していました。

 

 そして、「ぷかぷかさん カナダをゆく」の記録映像をまとめます。

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vimeo.com

 

 カナダで撮った20分程度の映像を見ました。吉田さんが徹夜で作った映像です。短い映像でしたが、やはり言葉で語るよりもはるかに伝わってくるものがありました。これが映像のチカラだと思います。

 撮りためた映像は100時間くらいあるそうです。見るだけで5日くらいかかるわけで、それをまとめることを考えると、私は気が遠くなりそうでした。

 まだまだ編集の途中なので公開はできませんが、時々短い「特報」をアップする予定です。楽しみにしていて下さい。

 本編の完成は来年4月を予定しています。

 

 テラちゃんのお父さんが、「私は毎日イクミのそばにいて、とても幸せです。社会全般を見れば、経済的に豊かになっても「幸せ」が感じられない社会になっています。そんな中で、彼らの存在とか、彼らと一緒に生きることには、その「幸せ」を感じる社会になっていくヒントがあるような気がします」といったことを話されました。

 レオノーラさんがプロモーションビデオの上映を決めたのは、映像の中にこの「幸せ」を感じたからだと思います。上映会のあと「happy」とか「Amazing」という言葉が聞かれたり、涙した人がいたのも、映像で「幸せ」を感じたからだと思うのです。

 今回ぷかぷかさんがカナダに行くにあたって、ものすごくたくさんの人たちから応援をいただきました。彼らと一緒に生きることで生み出される「幸せ」をどこかで感じ、それを社会に広げていきたいと思っていらっしゃるのではないかと思います。

 pvプロボノの人たち、吉田さん、江原さんの心をわしづかみにしたのも、「そばにいると、なんかいいんだよね」というささやかな「幸せ」ではないかと思うのです。それをうまく映画の中で表現できれば、と思っています。

 

 

参加者それぞれが自分の希望、夢に向かって歩き始めます。

 デフパペットシアターひとみの公演の舞台に立つためのワークショップをやりました。

 なんでも希望が叶うという魔法の卵を欲の深い人間が取り合っているうちに卵が割れてしまいます。絶望の中で、ジュジュマンはよろよろと、でも自分の足でしっかり前に向かって歩き始めます。希望は自分が前に歩み出すことでしか作り出せません。

 前に向かって歩く。希望に向かって歩く。それが生きるということ。

 参加者はジュジュマンと一緒に歩き始めます。それぞれの希望に向かって…

 

 ジュジュマンの、膝を折り、肩を落とす歩き方がみなさん、結構むつかしかったようです。

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鏡を見ながら歩き方を覚えます。

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久しぶりにまーさんがきました。まーさんは3年前、長野でやっただけあって、いい感じでやっていました。

www.youtube.com

やなせさんの特訓です。

www.youtube.com

 

当日は白い衣装を着て、白いドーランを塗ります。

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ジュジュマンが歩き始めるまで、みんなは後ろで倒れています。

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そしてみんなで歩き始めます。

www.youtube.com

 

11月25日(土)午後2時開演です。

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リズムのある言葉で、ぷかぷかが生みだしているものを端的に表現

 ぷかぷかのアートを企業に売り込むことを考えています。うまくいけば企業の力でぷかぷかのほっこりしたアートが社会に広がっていきます。ホッとする雰囲気が広がり、社会が耕され、豊かになります。おまけに企業がアートを買ってくれれば収益が上がり、そのお金で、非収益事業だけれども、とても大切な事業である演劇ワークショップの運営が楽になります(演劇ワークショップには講師料、会場費、舞台製作費など大変なお金がかかります)。

 そんな夢のような計画が、サービスグラントの人たちによって、具体的に前に進んでいます。

 

 先日、サービスグラントの中間報告がありました。ぷかぷかの関係者のヒアリングをまとめたあと、企業のヒアリングをし、それをまとめた中間報告でした。

  ヒアリングをした企業からはなかなか厳しいことも言われたようですが、こんなうれしいことを言ってくれた企業もあったようです。

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 ぷかぷかのアートを売り込める可能性を見た気がしました。

 

 企業のヒアリングを元に作った「営業提案書」がすばらしい仕上がりでした。

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 「共感」し「応援したい」と思ってもらうための「共感メッセージ」を伝え、「一緒に地域社会を豊かにしたい」という思いを共有するところを入り口にする、という作戦がすばらしいですね。企業に対する営業に、「一緒に地域社会を豊かにしたい」という提案もあったんだ、と目からうろこでした。

 ぷかぷかとおつきあいすることが「社員にプラスになりそう」と思わせる作戦もうまいなぁ、と思いました。社員にプラスになる、ということは社員が豊かになる、ということです。そういうことこそ今の企業には必要な気がします。

 そしてうまくお店に来てもらい、「理解」「共感」を得る。その先に「交流」「提携」「協働」の相談があるといいます。

 

 

 《はじめに》と題したページには

 

 地域と共に生きる企業や、店舗のみなさま。

 

 おとなもこどもも、障がいのある人もない人も

 みんなが気持ちよく暮らしていける

 

 そんなやさしく豊かな地域社会を

 私たち「ぷかぷか」と一緒に作りませんか?

 

 

と、短い言葉が並び、相手の懐に飛び込みます。

何かを売り込むのではなく、「一緒に作りませんか?」という提案がいいですね。

 

ここでぷかぷかの目指す社会的成果を述べます。

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 ぷかぷかがやってきたこと、やっていること、やろうとしていることを、実にうまくまとめています。

 「一緒に出会う場」「一緒に生きる場」「一緒に働く場」「一緒につくる場」とリズムのある言葉で、ぷかぷかが生みだしているものを端的に表現しています。うまいなぁ、と拍手したいくらいです。

 この言葉は、障がいのある人たちとどういう関係にあるのかが、いっぺんに見えてきます。そしてそういう関係にあるから、地域社会を豊かにしたり、新しい文化を生み出したりします。それを企業と一緒にやろう!と。

 なんかね、ウキウキしながら営業に行けそうです。

 

  次のページでは「地域社会を豊かにする」とはどういうことか、それを次に具体的に語っています。企業に売り込むためには、その具体性が大切なのだと思います。

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 ヒアリングで拾い上げた言葉から、「豊かにする」ことの意味を具体的に伝えようとしています。ヒアリングがこういうところで生きるとは思ってもみませんでした。アンテナの張り方がちがうんだと思いました。

 

 

 文化については

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 ここは、メッセージが今までに比べ、少し弱い気がしました。これはぷかぷか自身の問題で、文化についての発信が 弱いのだと思います。

 ぷかぷかが創り出している文化は、要するに障がいのある人たちを排除しない文化です。生産性、効率などが優先される社会にあって、そういった物差しでは測れない新しい価値、文化をぷかぷかは障がいのある人たちと一緒に作り出しています。

 障がいのある人たちと一緒に生きていった方がいい、というのは、新しい生き方の提案です。そしてその生き方から生まれるのが、生産性、効率を優先する文化に対する新しい文化だと思います。

 その文化は自分が人間であることを思い出させてくれます。私が私らしくいられる文化です。

 障がいのある人たちは社会にあわせることを求められていますが、ぷかぷかは社会を彼らに合わせた方が、社会そのものがゆるやかになり、お互いが生きやすくなると考えています。そういう新しい文化に企業が共感してくれるかどうかだと思います。

 演劇ワークショップやアートのワークショップでは、彼らとフェアに向き合う関係だからこそ、そこから新しい文化と呼べるものを作り出しています。彼らとは一緒に生きていった方がいい、と新しい生き方を提案する文化です。それは社会を豊かにする文化です。

 そんな文化に企業が共感してくれるかどうか、あるいは、そういう文化を企業と一緒に創り出せるかどうか、が問われます。

 

  

   

「障がいがある」というだけで、「仕事はできるのだろうか」「会話はできるのかな」「私たちのいうことが理解できるのかな」と思っていました。

 近所の小学校が何校か集まって発行した「思いやりの心あふれる街づくり」と題した文集にぷかぷかのことを書いた子どもがいました。

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「いらっしゃいませ〜!」

元気な声が通りまで聞こえてきます。

 先日、私がパンを買いに行ったお店は、他のお店とはちがうところがあります。それは、知的障がい者がたくさん働いているお店なのです。かわいいお店に入ってみると、他のパン屋と同じように、おいしそうなパンがたくさん並んでいます。

 私がパンを選んでレジに持って行くと、うしろから

「860円です」

と、大きな声がしました。暗算が得意な店員さんです。厨房からできたてのパンが運ばれてきたときには、扉の向こうでパンを作っている障がいの者の人たちが見えました。

 最初は、障がい者の人が何人もいることに驚いてしまいました。普通のお店なら、店員が仕事中に大きな声を出したり、関係のないおしゃべりをすると怒られそうですが、ここでは他のお客さん達もこの光景が当たり前のようにパンを選んでいます。

 店員さんがお客さんと楽しそうに話していたり、働いている一人ひとりが、自分ができる仕事を一生懸命やっている姿、お客さんたちも普通に買い物をしているところを見ると、心があたたかくなりました。店員さんと話しているおばあさんが

「ここでは本当に元気をもらえるのよ」

と、しゃべっていて、本当にその通りだと思いました。

 私は今まで「障がいがある」というだけで、「仕事はできるのだろうか」「会話はできるのかな」「私たちのいうことが理解できるのかな」と、イメージだけで障がい者を見てしまい、実際にどんなことができるのか理解せずにいました。ですか、ここで働いている障がい者の生き生きとした姿を見ると、私のイメージは本当にせまいものだったなと反省しました…

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 ぷかぷかを始めた当初

「いらっしゃいませ〜!」

という元気な声に、

「うるさい!」

という苦情の電話が入りました。

 同じ「いらっしゃいませ〜!」に対する受け止め方のなんという落差。でも、この「落差」で見えるものこそが、ぷかぷかが7年かかって耕し、築いてきた地域の豊かさといっていいものだと思います。

 子どもはぷかぷかのことをとてもよく見ています。そしてとても大切なものを感じとっています。子どもの感性ってすごいなぁ、とあらためて思いました。

 こんな子どもがステキな未来を作っていくのだろうと思います。ぷかぷかが街にあることで作り出した「希望」を見ることができた気がしました。

 

 

相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました

 毎日新聞で先日紹介した兵庫県立子ども病院のことが報道されました。

mainichi.jp

 

 抗議文に名を連ねた立岩真也・立命館大大学院教授(社会学)は「この『生まれない運動』の中心は医療でもなんでもなく、障害児の選択的中絶を進めようという運動だった。当該の文章はそのことにまったく触れていない」と批判したうえで、「鈍感と無知を知らせるためにも記念誌はそのままに、説明と釈明を加えることを望む」という。

 

 とありました。社会は何も変わっていないし、そもそも何が問題なのかもわからない、という情けない状況。

 相模原障害者殺傷事件の根っこを見た気がしました。

ぷかぷかのメッセージは、世界中を幸せにするのかも知れません

 レオノーラさんご夫妻との対談の一部です。とても大事なことを語っています。

 障がいのある人たちが日々笑顔でいることの大事さをあらためて思います。笑顔で働ける環境があること、笑顔でいられる関係があること、そしてそのことが社会を耕し、社会を豊かにしていること、そのことをレオノーラさんご夫妻と共有できたことで、フェスティバルでの上映会が実現できたのだと思います。

 フェスティバルの上映会で涙がこぼれたという方やハッピーな気持ちになりましたという方がいました。「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージは、世界中を幸せにするのかも知れません。昔、養護学校で彼らと出会った頃、彼らのそばにいて、今まで経験したことのない「幸せな気持ち」を感じていました。そのときの気持ちをたくさんの人と共有したくて「ぷかぷか」をはじめたのですが、それがこういう形で世界に広がって本当にうれしいです。

 

(吉田さんが作られた映像です)

www.youtube.com

 

 カナダに一緒に行ったpvプロボノの信田さんが作られた映画のプロモーションビデオです。

vimeo.com

 

 なんか、すごく楽しい映画になりそうです。

 

 クラウドファンディング、今日が最終日です。ぜひ応援して下さい。

motion-gallery.net

「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ

知り合いから賛同人になってください、というメールがありました。

兵庫県立子ども病院の移転を記念した『兵庫県立こども病院移転記念誌』に、「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ、称賛した文章が掲載されていることがわかった、というのです。

 こんな運動を兵庫県がやっていたことを初めて知り、本当にびっくりしました。1970年のことですが、それをあらためて「ユニークな運動」などと無批判に紹介する県立病院の感覚を疑ってしまいます。

 抗議文に賛同する旨、メールで送ってあげてください。10月31日中にお願いします。

「わたしたちの内なる優生思想を考える会」
連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方
TEL:06-6652-6398
E-Mail:fwka2024@nifty.com

 

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From:     Toshimitsu Keiko <fwka2024@nifty.com>
Reply-To: tanpopo_net@freeml.com
To:       tanpopo_net@freeml.com
Subject:  [tanpopo_net:4042] 賛同のお願い:「不幸な子どもの生まれない運
         動」を称賛する兵庫県立こども病院への抗議文


たんぽぽネットのみなさま
利光惠子(大阪)です。

お願いがあり、メールしております。
1960年代半ばから、兵庫県を筆頭に、障害児の「出生防止」を目的として「不幸な子どもの生まれない運動」が行われたのは御存知かと思います。
昨年、兵庫県立こども病院がポートアイランドへ移転したのを記念して、『兵庫県立こども病院移転記念誌』が出版されたのですが、その中に、あろうことか、その「不幸な子どもの生まれない運動」を無批判に取り上げ、称賛した文章が掲載されていることがわかりました。
問題の文章をPDFで添付します。

記載の削除と訂正を求めるために、添付の「抗議および要請文」を兵庫県や子ども病院宛てに提出する予定です。
10月末をめどに賛同団体・個人を募っております。
よろしくお願いいたします。

団体あるいは個人で、添付の「抗議及び要請文」に賛同して下さるようでしたら、下記連絡先までご連絡ください。

なお、『記念誌』の全体は、以下で見ることができます。
http://www.hyogo-kodomo-hosp.com/overview/magazine/pdf/kinenshi.pdf


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「わたしたちの内なる優生思想を考える会」
連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方
TEL:06-6652-6398
E-Mail:fwka2024@nifty.com
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2017年10月31日

 

「不幸な子どもの生まれない運動」への称賛を公言してはばからない兵庫県立こども病院と、それを容認する兵庫県に抗議し、記載の削除・訂正を求めます。

 

兵庫県立こども病院院長 中尾秀人殿

兵庫県立こども病院名誉院長 小川恭一殿

『兵庫県立こども病院移転記念誌』編集委員会各位殿

兵庫県知事 井戸敏三殿

 

「わたしたちの内なる優生思想を考える会」

連絡先:〒557-0041 大阪市西成区岸里3丁目7-1-904古井方

TEL:06-6652-6398

E-Mail:fwka2024@nifty.com

 

〈賛同団体・個人 2017.10.24現在〉

脳性まひ者の生活と健康を考える会、グループ生殖医療と差別、

日本脳性マヒ者協会(全国青い芝の会、兵庫青い芝の会、広島青い芝の会)

障害者の生活保障を求め行動する会、新空港反対東灘区住民の会

古井正代、斉藤日出治、古井透、後藤由美子、利光惠子、古賀稔章、南守

 

 

 この度、兵庫県立こども病院が、ポートアイランドへの移転を機に出版した『兵庫県立こども病院移転記念誌』(2016年3月発行)の中で、兵庫県が過去に実施した「不幸な子どもの生まれない運動」を「本邦では初めてのユニークな県民運動」と称賛し、開院に際して「このこども病院は、未来を築いていく子供達への贈り物として建設したもので、不幸な子供の生まれない県民運動の一翼を担うもの」であり「兵庫県の大きな誇り」と金井知事(当時)が語ったことを無批判に取り上げている(小川恭一名誉院長による「兵庫県立こども病院誕生当時のこと」『記念誌』p.17)ことを知り、驚くとともに強い怒りを禁じ得ません。当時、「不幸な子どもの生まれない運動」に対して、「青い芝の会」はじめ障害者運動から強い批判が投げかけられ、「運動」自体を見直さざるを得なかった歴史的経緯を一切忘れてしまわれたのでしょうか?

 

 思い返せば、兵庫県衛生部が中心になって「不幸な子どもの生まれない運動」をスタートさせたのは1966年のことです。1970年には「不幸な子どもの生まれない対策室」(以下、「対策室」)を設置し、障害児は「不幸な状態を背負った児」(兵庫県『不幸な子どもの生まれない施策―5か年のあゆみ』より)であるとして、その「出生予防」のために様々な施策が実施されました。1967年からは、優生保護法12条による精神障害者や知的障害者への強制不妊手術の費用を県で負担して普及をはかりました。1972年には、「先天性異常児出産防止事業」として、胎児の障害チェックのための羊水検査を県費で実施することを決めました。「対策室」設置とほぼ同時期に開院した「兵庫県立こども病院」は、院内に「不幸な子どもの生まれないための指導教室」を開設し、前述の羊水検査を実際に行うなど、まさに、「不幸な子どもの生まれない運動」の中枢を担ったのです。

 これに対して、「青い芝の会」の障害者達は激しい抗議行動を展開しました。そして、(1)「不幸な子どもの生まれない運動」は、障害者の生を胎児の段階から不幸であると決めつけたものであり、今、生きている障害者達をも「あってはならない存在」とみなすものである、(2)「障害者がかわいそう、気の毒」「五体満足で生まれてほしい」などといった考えは健常者の発想であり、障害者差別の具体的な表れである、(3)行政による羊水チェックの推進は、障害者の生存権を否定するものであると主張して、「対策室」廃止、羊水チェックの中止、障害者差別に充ちた県行政の姿勢を改めるよう求めたのです。この反対運動によって、1974年4月に「対策室」は廃止され、「不幸な子どもの生まれない運動」も「良い子を産み健やかに育てる運動」に名称変更しました。県費による羊水検査も、同年10月に中止されました。

 以上のような歴史的事実を隠蔽したばかりか、『記念誌』の記述を見る限り、「不幸な子どもの生まれない運動」が著しい障害者差別であったとの反省もなされていないと感じざるを得ません。

 

 私たち障害者は、1974年に障害者を不幸と決めつけたことに対して抗議をしましたが、40年近くたった今も、どんな人も生きていけるような社会に変わっていないということがはっきりしています。それは、いまだに障害者の収容施設があり、インクルーシブ教育でなく支援学校があるなど、障害者を地域から隔離するシステムがしっかりとあるということです。

例えば、日本では、今も車いすでは生活できないようなスタイルの建物があふれています。米国等では、アパートを建てる時は、戸数の何割かは車いす用の部屋を作らなければなりません。アトランタでは家を建てる時は、玄関は段差なし、幅は車いすが楽に通れる82cm以上、1階のバスルームは車いすの入れるスペースを確保、この3つの条件を満たしていなかったら建築許可が出ません。この法律は2007年の段階で、世界中で58の国や自治体で施行させています。アトランタでは既存の家でも、希望すれば改修工事に補助金が出るそうです。ところが、日本ではユニバーサルデザインどころかバリアフリーさえ浸透していないために、阪神淡路大震災の時に家が壊れて新しく建て替えた人たちが、前と同じようなバリアだらけの家を建てたものの、その後に脳梗塞になられた方が、せっかく建てた自宅に戻れず、ケアマンションや施設に入らざるをえない現実をたくさん見てきました。未だに「施設」が増えるのは、一生暮らし続けられる安全な建物を「特別視」して(そのほうが儲かることもあり)、一般に普及させようとしないからです。

身体の機能や見た目で「不幸な人」と決めつけ仲間はずれにするのではなく、その人がそのままで生きていく方向を示唆できるような施策を作り、みんなが一生安心して住み続けられるような地域社会を構築しなければならないのではないでしょうか。

 

私たち障害者は、生まれた時から不幸だと決めつけられることも多々あります。でも、人はだれでも皆、年をとれば障害者になるのではないでしょうか。老いるということは、機能の低下や認知症の症状が表れたりして、今、「あってはならない」と思われているそのものになっていきます。「あってはならない」と思うその価値観は、自分に戻ってくると思います。私たちが、今、しなければならないのは、「障害」や病気のある人々を切り捨てるのではなくて、どんな人でも一緒に生きていける価値観を共有し、具体的な仕組みを一刻も早く構築することではないでしょうか。それなのに、兵庫県の「不幸な子どもの生まれない対策室」は、40年たっても、ひとりひとりの心の中に立派に存在しています。それが「年をとりたくない」「あんな姿になるぐらいなら死にたい」という、人生の最期に情けない気持ちを作ることになると考えます。

 

この『記念誌』の中では、「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニーク」と表現していますが、「ユニーク」では終わらない問題です。今からでも、私たち障害者が抗議したことを、しっかりと心に刻みつけ、歴史は歴史としてきちんと残していただきたいと思います。「従軍慰安婦はいなかった」「戦争での虐殺もなかった」「福島の原発事故の放射能被害はない」など、都合の悪いことはなかったことにする傾向がありますが、反省しないままでは、次の時代は、又、間違いを起こすのではないでしょうか。歴史の中に、本当のことを取り入れて、これから未来の子ども達に、間違いは間違いとして認め、謝るべきことは謝るということを見せなければならないと思います。

そのうえ、福島の原発事故では、いまだに放射能は漏れていて、健康被害もこれからますますでてくることでしょう。それを母体血検査(母体血胎児染色体検査)のような出生前検査で、生まれる前から選別し、世に出さないようにする価値観がここに至っても表れるのではないかと危惧されます。現在、インターネット上では、「低価格で簡単に受けられる」といった母体血検査の売り込みも、既に始まっています。時代が変わっても、兵庫県が先頭をきって「不幸な子どもの生まれない対策室」を作った発想と何ら変わっていません。

人を選別することは差別をつくることです。私たちの時代には、差別をなくさなければなりません。この「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現することこそが、反省もなく、未来もないことにつながります。

2012年には「障害者虐待防止法」が施行され、2014年には「障害者権利条約」を批准、2016年には「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)が施行されました。「障害者差別解消法」では、障害を理由に差別的な取り扱いをすることを禁止し、障害に対する合理的配慮の提供を求めています。障害者差別解消に向けて先頭に立って施策を進めるべき公的機関において、今回の記述にみられるように、差別を助長させることなどあってはならないはずです。

以下の項目について、12月末日までに、文書にて回答くださいますようお願いします。

 

(1)兵庫県が過去に行った「不幸な子どもの生まれない運動」について、現在、どのように考えておられますか?

(2)「不幸な子どもの生まれない運動」を「ユニークな県民運動」と表現した意図は何ですか?上述の抗議文の中でのべたような「不幸な子どもの生まれない運動」への批判やそれをめぐる経緯を知らなかったのですか。あるいは、知っていたのに無視したのですか?

(3)『記念誌』の中の、「不幸な子どもの生まれない運動」を称賛する記述を削除し、訂正して下さい。

 

 

みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。

 バンクーバーにいながら大阪弁でまくし立てるサカベンさんに、カナダにおける障がいのある人たちの置かれている状況について聞きました。

 

 

 状況という意味ではカナダの方がずっと日本よりいいと思いますよ。もっとオープンで受け入れられています。
 インクルーシブという言葉があって、みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。
 そして制度や補助金もしっかりしています。
 こちらは高校まで義務教育なので、19歳まで無料で学校に通え、教室ではエデュケーションアシスタント(以下EA)という担任とは別の先生がついて、勉強を手伝ってくれます。
 どこの国も同じですが教育費が足りなくて、一人のEAが二人の障がい児を見るといった状態も稀ではありません。

 学童期に入るまでは自閉症に限り月$1600の補助金が出ます。
 そのお金でコンサルタントを雇って、その人にビヘイバーインターベーショニスト(以下BI)という介護療法士を教育してもらいます。

 簡単に説明すると、コンサルタントが3週間毎に自閉症児に会いにきてその子に合ったプログラムを作ります。作ったプログラム通りにBIが週5日2時間ずつ療育します。内容は一人一々全く違った内容になります。
 うちの場合は問題行動を治すこと、文字を読めるようにすることなどを本人に合ったスピードで進めていきます。だんだん算数ができるようになり、人を噛まなくなりと成長していくので、それに合わせてプログラムを常に変えていきます。
 BIが毎回ノート1ページ分ほどの経過や出来事を書き、どれだけできたかを全て表に残し、3週間毎にミーティングを開きます。これからやらなければいけないこと、やめること、続けて様子を見るものなどを話し合います。
 コンサルタントは学校、家庭との連携も手伝ってくれます。

 ひじょうに簡単な説明で、ほんの一部分しか話せていませんが、ざっと家庭系はこんな感じです。

 学校や卒業後はまた次回に続く。

 

 

 サカベンさんとは最初の打ち合わせの際に、いろいろ話しただけで、あとはなかなか話をする時間が取れなくて、今回もメールによる質問に答えてくれたものです。

 「みんなと同じように同じ教室で同じ授業を受けます。」というのも、全員がそうなのか、個別支援級や養護学校はあるのかどうかはわかりません。個別支援級や養護学校がなくて、すべてが同じ教室で同じ授業を受けているとしたら、すごいことだと思います。

ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここに

 10月21日(土)、第四期の第三回目のワークショップ。私の熱いリクエストで歌うことになった「あの広場のうた」、みんなすごくのって歌っています。原曲よりもかなりゆっくりで、音も下げ、とても歌いやすくなっています。むつかしい手拍子も、あみちゃんの手にかかると、みんなできるようになりました。シャキシャキした手拍子がみんな気に入っています。

www.youtube.com

 

♪ いまはいつだろう  いつもの朝

  ここはどこだろう   いつも場所

 

 いまはいつだろう  いつもの夜

 ここはどこだろう  いつもの場所

 

 でもどこかちがう

 ここはどこかに似ている

 

 おとなもこどもも  犬も鳥たちも

 虫たちも集まる   あの広場みたい

 

 耳をすませば見えてくる

 目をみはれば聞こえてくる

 少しずつ 少しずつ

 

 歌が生まれ  人は踊り出し

 物語がはじまる  あの広場がここに

 

 昔 広場に一本の柱

 ここに立てよう  目には見えない柱を

 

 昔 広場に一本の柱

 ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪

 

 

安見ちゃんが最後の「ここではじまったオペラを」のところを「ここではじまったぷかぷか」に変えてくれました。私のこの歌に込める思いをくみ取ってくれたのだと思います。

 ぷかぷかは単なる福祉事業所の枠を超えて、みんなにとって、とても大切な場所になっています。ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。

 

 さてその広場で今回もいろんな物語が生まれました。どんな物語が生まれたか、写真を見ながら想像してみて下さい。

 『注文の多い料理店』は森にある大きなかしわの木からはじまります。

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西洋料理店『山猫軒』にやってきた紳士のひげを作りました。

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紙袋を使って動物のお面を作りました。

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手につけるお面です。

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紳士が西洋料理店『山猫軒』を見つけたシーンをやってみました。セノーさんがなかなかいい雰囲気を出しています。そこに立っているだけで、物語が生まれます。

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 ひげとお面を作るだけで、これだけの物語が生まれました。これが「ぷかぷか」です。

 ここに来ると、歌が生まれ、人は踊り出し、物語がはじまる、あの広場がここにあるのです。

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ぷかぷかさん達や″障がい″について 子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?

《「あーだこーだの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると… 》というブログに対し、こんな感想が寄せられました。

 

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今日のぷかぷか日記、「アーダコーダの子ども哲学」で「ぷかぷか」を語ると…
とてもタイムリーにこころに届きました。

 

「なんで?」「どうして?」
目の前にひろがるすべてを哲学することで新しく生まれるものがある。
というか、隠されていた世界が顔をみせるのではないか?
 
そんな確信めいた予感があるのです。
 
 
すべての現象は意図することから始まっている。
凝り固まって縺れた現象をじっと見つめていくと解き方がわかってくるのでは?
深く深く見つめたことをお互いに語り合う場があればいいと思っていました。
 
 
ブックマーク登録している「教養と看護」というブログで以前に、
子ども哲学おとな哲学 アーダコーダが紹介されていたんです。
哲学する場がどんどんひらかれてゆく様がとても嬉しかったんです。
 
 
高崎さんのブログでそのことを思い出したり、たまたま目にとまった言葉が
いまの自分のこころとシンクロしていて、
「それで正解だよ」と太鼓判を押されたようで嬉しくなってしまいました!
 
 
 
ぷかぷかさん達や″障がい″について
子どもたちはどんな風にアーダコーダ哲学するのでしょうか?
とっても楽しみですね。
小さな哲学者たちのことをぜひブログにのせて欲しいです。
 
  
すごくどうでもいいことかもですが…
シネマカフェの予告編動画で、「お金は要る?」の問いに「いらな〜い」が
いっぱいでなんだかやけに嬉しかったです。わたしもそう思うので。
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 あちこちでぷかぷかの話をする機会が多いのですが、みんな共感しながらも、本当に自分のものになっているかどうかはよくわかりません。
 12月2日(土)に予定している北九州の集まりでは、私の一方的な話で終わるのではなく、ぷかぷかが創り出してきたものを北九州でも実践するためにはどうしたらいいのか、といったところに焦点を当てたトークセッションをやろう、ということになっています。たとえば街を耕す、といったことを映像の中で語っているのですが、それを北九州でやるのはどうしたらいいのか、といったことを地元の人たちと一緒に話をしようと思っています。そういうことがあって、具体的な一歩が踏み出せるのだともいます。ただ話を聞いて、いい話だった、で終わっていたのでは、こういう具体的な一歩は出てきません。具体的な一歩をふみだして、ようやくぷかぷかの話が生きるのだと思います。
 
 トークセッションはアーダコーダの対話の一つだと思います。とにかく黙って聞くだけでなく、対話をすることで、自分の思考を磨き、前へ進む何かを見つけることができればすばらしいと思います。
  
 子ども達が日々の暮らしの中で、あるいはイベントで受け取っている「ぷかぷか」をアーダコーダの対話の中で取り上げたら、どんな風に語られるんだろう、と思います。
 一人ひとりの子どもの中に、なんとなくあった《ぷかぷか》が、人との対話の中で取り上げられると、イメージがくっきりするというか、《ぷかぷかって何?》というところがだんだんはっきりしてくるように思います。「なんとなくあったもの」が言葉にすることではっきりしたものになります。子どもが自分で考え、自分の中で深めていきます。
 私から《ぷかぷか》の説明を聞くのとは、子どもの中で起こることが全くちがいます。だからこそ「あーだこーだの子ども哲学」から見えてくる《ぷかぷか》がすごく楽しみなのです。子ども達の中で《ぷかぷか》がどんな風に生きているのかが見えてきます。
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