ぷかぷか日記

1+1=5になる関係

横浜市市民活動支援センターの発行する市民活動情報メディアにNPOと企業との協働についての話が載っていました。

NPOと企業との協働はシナジーを創り出すことだ。1+1を2よりも大きくする創造的な協力体制を目指す。

とありました。全くその通りだと思いました。そうでないと企業と協働する意味がありません。企業にアートを売り込む企画も、ぷかぷかさんたちのアートのチカラと企業のチカラが合わさって、1+1が2よりも大きな価値を生み出すような、そんな協働にしたいと思っています。

それは私たちと障がいのある人たちとのおつきあいについてもいえることです。ぷかぷかは彼らとフェアなおつきあい、フラットなおつきあいをしています。だから1+1が2よりも大きな価値を生み出しています。

 

それは彼らと一緒に創り出しているお店の空気感を見てもらえばすぐにわかります。

以前ぷかぷかさん抜きで私たちだけでお店を開けたとき、ずいぶんと間の抜けた雰囲気になり、やってきたお客さんは

「別のお店に来たみたいで、さびしい」

とおっしゃっていました。

やっぱりぷかぷかさんたちがいてこその「ぷかぷか」なのです。ぷかぷかさんたちだけではお店はできないし、私たちだけでもできません。ぷかぷかさんたちと私たちがいて、そこがフラットな関係の時、ぷかぷかのほっこりあたたかな、ホッとする雰囲気のお店ができるのです。1+1が2よりも大きな価値を生み出しています。

 

演劇ワークショップは、そのことがもっとはっきりわかります。芝居は私たちだけでもできるのですが、ぷかぷかさんたちが加わることで、格段におもしろくなります。1+1が5になるくらいの価値を生み出しています。

来年1月21日(日)みどりアートパークホールで開かれる表現の市場の舞台、ぜひ見てください。1+1=5になる関係が見えます。

これがもし「支援」という上から目線の関係であれば、そこから生まれるものは支援する側の幅のものしか生まれません。ですからそこは1+1は1のものしか生み出さないのです。すごくもったいない関係だと思います。

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だって障子があるもん

 天草から送ってきたミカンの箱に「天草みかん山だより」という手書きの通信が入っていて、中にこんな話がありました。

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影絵遊び

 孫の子守に影絵遊びをした。電灯をつけた障子の向こうの部屋からナベやフライパンやカボチャやピーマンや、そこら辺にあるものを写して、適当にお話を作った。影は不思議だ。ものをより鮮明にし、何かを期待させ迫ってくる。孫(小5のケイタと5才のアヤナ)の二人も喜んだ。

 アヤナが演じる。「タマネギの皮をむきまーす」むかれた皮がひらひらと影に舞う。電灯を消したこちら側の部屋で観客のケイタが「あっ、花びらが舞っている!」と叫ぶ。次々に舞い散る花びら。「うわぁ、ほんとだ、花びらだ!すばらしい!」と私も叫ぶ。障子の向こうでアヤナが主張する。「いいえ、花びらではありません!タマネギの皮です」と。

 そして帰りにアヤナが言う。「ばあちゃんの家はいいなぁ」「えっ、どうして?」「だって障子があるもん」パパとママに影絵を見せてやりたいのに、アパートには障子がないというのだった。

                               川野美和

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 なんて豊かな世界なんだと、ほのぼのとあたたかな気持ちになりました。

 昔子どもを連れて川野さんの家に遊びに行ったことがあって、障子のある部屋を思い出します。

 川野さんとはこの「天草みかん山だより」を読んだことがきっかけでつながり、川野さんを通して障がいのある子どもも一緒に育てる横浜の「土と愛子どものいえ保育園」(川野さんはこの保育園の創設にかかわっています)とつながり、その保育園の食育の影響で子どもは25年後、淡路島で農業を始めました。

takasakiaki.hatenablog.com

 

 川野さんから届いたミカンを使ってお惣菜ではオレンジチキン、ミカンのフルーツサラダ、ミカンゼリーを、パン屋ではミカンタルトを作る予定です。

 2月には甘夏が届きます。甘夏パン、来年は作ります。楽しみにしていて下さい。

 

お互い無理しないで自分の人生を生きること、それがいちばん

 hanaちゃんが保育園に通っていた頃のお母さんの話です。保育園時代のhanaちゃん、かわいい!

ameblo.jp

 障がいのある子どものそのままをなかなか受け入れられないお母さんがそこにいます。そんなお母さんだった花岡さんが、何がきっかけで今の花岡さんになったのか、すごく興味深いところですね。

 たくさんのブログの中で一番印象に残っているのは、花岡さんはなんとかhanaちゃんが一人でごはんが食べられるようにとがんばっていたのですが、なかなか思うようにいきません。

 で、ある日ふと、

 「hanaちゃん自身は一人でごはんが食べられるようになりたいとは思ってないんじゃないか」

 ということに気がつきます。

 一人でごはんが食べられるようになりたいか、別にどうでもいいと思うかは、いわば生き方の選択といっていいと思います。

 花岡さんは自分の一方的な思いよりも、hanaちゃんの生き方を優先したのだと思います。だから一人でごはんが食べられるように、いろいろ訓練するのはやめました。

 やめることで、お互いがすごく楽になったと思います。

 お互い無理しないで自分の人生を生きること、それがいちばんです。

ameblo.jp

 

彼らと共に過ごす時間は今や自分にとってなくてはならぬ貴重な時間

 昨年の「ラジオ深夜便」で私の話を聞いて愛知県からわざわざぷかぷかを訪ねてきた方がいました。どうして障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいいのか、どうしてもわからなくて、そのことを確かめに来たようでした。それがきっかけで演劇ワークショップに毎月参加。最後は舞台に一緒に立ちました。その方からメールが来ました。

 

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私事ですが現在農業の勉強をしながら、障がいのある子供たちの放課後デイサービスの事業所でバイトしています。6才から18才までの様々な個性を持った子供達と接しながらぷかぷかで過ごした時間を思い出しつつ、充実した時間を過ごしています。
 
高崎さんが常々仰っている障がいのある人達といっしょに過ごした方が楽しいということを、もっと頭だけでなく身体を通して理解したい、と思ってこの仕事をすることにしました。
 
子供によっては自傷行為や他害行為をしてしまう子もいます。どう接したら良いか迷う事もあります。それでもやはり彼らは魅力的な存在です。常識やルールにとらわれない、剥き出しの人間としての魅力があるように思います。彼らといっしょにいることで自分自身、とてつもなく大事なことを教わっているような気がするのです。
 
彼らを前にする時、肩書きも建前も意味をなしません。「素」の自分自身が問われているように思うのです。彼らと共に過ごす時間は今や自分にとってなくてはならぬ貴重な時間となっています。
 
今更ながらそのきっかけとなったぷかぷかと出会えた事に感謝しています。

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 ラジオ深夜便では「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」という話をしました。障がいのある人たちとはおつきあいしたこともなく、私のいうことがよくわからなかったそうです。どうして障がいのある人たちといっしょに生きていった方がいいのか、その理由を確かめにぷかぷかまで来た方です。それがきっかけで半年間、ぷかぷかさんと一緒にワークショップをやり、発表会の舞台にいっしょに立ちました。そして今回のメールです。ぷかぷかの種がその人の中でしっかり芽を出したようです。人はこんなふうにして変わっていくんですね。

 

 

 

 

父母が蒔いてくれていたぷかぷかの種に助けられて

 九州の片田舎の話です。 

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10年ほど前、主人の実家をグループホームにしました。

福祉グループに知り合いがいて相談して話を進めました。
目の前に工場、田んぼに囲まれた場所。
築50年以上の家が三軒並んだ一番奥が実家。
 
グループホームへ改築の時、地域の町内会長さんやお隣さんにもご挨拶に行きました。
反対されたらどうしよう、と少なからず心配はありましたが、そうですか、とすんなり。
もちろん、まわりの人たちとの日頃のお付き合いの賜物と思います。
 
お隣さんは奥さんを亡くされておじいさんがひとりで住んでいます。
訪ねた折には、若い人たちが出入りして 賑やかですよ、と笑顔です。
 
今は障がいのある女性の方5人が暮らしておられるそうです。
毎年、町内の草刈り作業や運動会などの行事にもスタッフさんと一緒に参加されています。
私もグループホーム横の畑に行けば作業中にお茶を差し入れていただいたり、交流も。
 
後に、その実家の近くに放課後等デイサービスを立ち上げた時に感じたのは、今は亡き父母がしっかり地域に信頼の輪を広げてくれていたという事実です。N(父母)さんには良くしてもらったから、と。施設建設を地域の方が温かく迎え入れてくれた裏には父と母の思いがあったからなんじゃないかな、と思います。父母には難病の息子(主人の弟享年17歳)がいました。母は晩年、外に出られない子の為の居場所を作りたかったと話していました。
私達夫婦がグループホームやデイを立ち上げたのも、その母の思いを受け継いだからです。
父母の人に尽くす生き方が、地域の方々の意識を知らず知らずのうちにぷかぷかにしていたんじゃないかな〜なんて、私は思っています。父母が蒔いてくれていたぷかぷかの種に助けられて、グループホームもデイも進んでいけてると感謝しているんですよ。
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 あちこちでグループホーム建設の反対運動が起こっていると聞きます。相模原障害者殺傷事件以降もちっとも変わっていない社会に、いささか落胆しながらも、友人からのメールは、この社会もまだまだ捨てたものじゃない、とあたたかな希望を持たせてくれました。
 

 

彼らといっしょに生きていった方がトク!と相手に思ってもらうには

  「障害のある人の暮らしの場づくりと反対運動について考える」と題した講演会が東京であったようです。「暮らしの場」は「グループホーム」のことです。講師は大阪市立大学の方です。

 こういう集まりが開かれるのは、やはりあちこちで障害のある人のグループホーム建設に対する反対運動があるからだと思います。

 相模原障害者殺傷事件を受けて、世の中、少し変わるのではないかと思っていましたが、全くの幻想でしたね。事件に象徴される、障がいのある人たちが排除される社会が、事件後もずっと続いているということです。そんな社会と私たちはどう向き合うのか、ということです。

 私は養護学校の教員をやっているとき、障がいのある子ども達に出会いました。いろいろできないことがあったり、とんでもないことをやってくれたり、それはそれは大変な子ども達でしたが、それでもよおくつきあってみると、いいやつだなぁ、としみじみ思うことがたくさんあって、ずっとそばにいたいと思うようになりました。最初に受け持ったサト君の話です。

 

 最初に受け持ったサト君は、小学部6年生。まったくおしゃべりのできないサト君は、それでもこちらのいうことや、やることは大体わかっていたのか、何やっても「ゲハハ」「ガハハ」と大笑いで反応してくれました。教員になったばかりで、下手くそな私の授業も「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げ、手をたたいて喜んでくれたのです。

 トイレで大きなうんこが出たと私を大声で呼び(わーわー騒いでいるだけですが…)、サト君の代わりにレバーを押して(サト君はそういうことができませんでした)うんこを流すと、ただそれだけで「ゲハハ」「ガハハ」と豪快に笑っていました。箱根に修学旅行に行ったときは、その大きなうんこが船のトイレに詰まって水が流れなくなり、悪戦苦闘しているうちに船のクルーズは終わってしまったことがありました。でも、サト君は悪びれた様子もなく、大きなうんこと悪戦苦闘している私のそばで、ずっと「ゲハハ」「ガハハ」と笑い転げていました。なんとかうんこを流そうと必死になりながらも、もう一緒に笑うしかなくて、そうこうしているうちに一度も景色を見ないまま箱根の船の旅は終わったのでした。

 

 サト君は、重度の障害児であり、何やるにしても手がかかる人でした。それでも抱きしめたいくらい魅力ある人でした。養護学校で働き始めて、最初に担任し、その魅力で私の心をいっぺんにわしづかみにした子どもだったのです。

 そばにいるだけで心が安らぎ、幸せな気持ちでした。重度の障がい児と言われるサト君のそばにいて味わうこの幸福感は一体何なんだろうと思いました。

 その幸福感の中で「障がいのある彼らは劣っていて、私たちは優れている」という人間を見る価値観がぐらつき始めたのです。今まで、優れているはずの健常者のそばにいて、こんな幸福感は味わったことがありませんでした。そばにいるだけで人を幸せな気持ちにさせる彼らって、本当はすごい人たちじゃないかって、思いました。

 

 こんな出会いが養護学校ではたくさんありました。いつしかこの人たちとはいっしょに生きていかなきゃ損!と思うようになり、定年退職を機に「ぷかぷか」を立ち上げました。

 日々発信している「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」のメッセージは、彼らとの素敵な出会いがあったからです。

 学校と違い、ぷかぷかは日々社会と接しています。社会の中で彼らがやっていることの意味が、学校にいるときよりも鮮明に見えてきました。ぷかぷかをやっていく中で、彼らは社会を耕し、社会を豊かにしていることに気がついたのです。ぷかぷかが作りだしてきたものを見てもらえば、すぐにわかります。最近でいえば『pukapukaな時間』です。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 障がいのある人たちのグループホーム建設計画に反対運動が起こるような社会には、この『pukapukaな時間』こそ必要な気がします。

 私が私らしくいられる時間、私が自由になれる時間、私が元気になれる時間、私が自由になって、ステキなあなたと出会える時間、ステキな彼らと出会える時間、私が豊かさを感じられる時間、それが『pukapukaな時間』です。

 

 近々開かれるグループホームの説明会には、知らない人ともあっという間にいい関係を作ってしまうテラちゃんを連れて行く予定です。

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 彼らといっしょに生きていった方がトク!と相手に思ってもらうには、このテラちゃんの関係作りのワザこそチカラを発揮する気がしています。私がアーダコーダ話すよりもはるかにいい関係を作ります。テラちゃんは『pukapukaな時間』を作り出す名人なのです。

 

   

 

 

 

障がいのある人たちとおつきあいするいいきっかけになるかも

  グループホームを建てようとしたのだが、地域住民(ごく一部の方だと思いますが)の反対で、にっちもさっちもいかなくなっている、どうしたらいいか、という相談がありました。

 反対の理由は犯罪、特に性犯罪が心配、地価が下がる等、よくあるパターンです。障がいのある人たちとのおつきあいがないところでの不安、勝手な思い込み、という感じがしました。ただそれに答える方も、それを覆すだけの論理が弱いのか、このままいくと負けてしまいそうな感じでした。負けることの社会的な意味の大きさを考えると、ほっとけない感じがしたので助太刀に入ることにし、いくつか提案しました。

 障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい、ということを自分の言葉で語って欲しいと思ったので、ぷかぷかで何日か実習してみたら、と提案しました。ぷかぷかさんたちの魅力を体でしっかり感じとり、彼らは街にいた方がいい、と反対をいう人たちの前でしっかり語って欲しいと思います。

 近々開かれる予定の住民説明会では、プロモーションビデオカナダ版の上映とぷかぷかさんとの話し合いも提案しました。

 映像にはチカラがあります。映像を作ったpvプロボノのホームページにはこんなことが書いてあります。

 《 1本のムービーが、世の中を大きく動かす。 1本のムービーが、悲しみを笑顔に変える。 映像にはそんなとてつもないチカラがあると信じてます。 》

 そのチカラが今回はシビアな場所で本当に試されます。

 グループホームの反対は「障害者はここに住むな」「障害者はここに来るな」ということです。「障害者はいない方がいい」といった相模原障害者殺傷事件の犯人と同じ発想です。

 その発想に対し、《障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい》というメッセージを直接ぶつけることになります。それは自分の生き方を賭けての言わば論争であり、相模原事件を起こしてしまった社会の中で、私たちがどう生きていくのかという問題でもあります。

 

 ただ言葉の論争に終わらせたくないので、ぷかぷかさんを何人か連れて行って、いろいろお話ししてもらい、ぷかぷかさんがどんな人か知ってもらおうと思っています。話だけでなく、本当はいっしょに何か楽しいことがやれたらいいのですが、今回は説明会だけが設定されているので、その枠の中だけでやります。

 それでも反対している人たちにとってぷかぷかさんと直接話をすることは、とても大きな意味があると思っています。反対を叫んでいる人たちのことをいろいろ聞くと、やっぱり障がいのある人たちとのおつきあいがないことをすごく感じます。とにかくちょっと話をするだけでもいい、彼らとおつきあいして欲しいのです。

 本当に性犯罪をするような人たちなのか、ちょっと話をするだけでも、すぐにわかります。ぷかぷかさんたちがくることで地価が下がるのかどうかも、話をした上で想像して欲しい。

 こんなステキな人たちが来ると、本当に地価が下がるのかどうか、想像力を働かせて欲しいと思うのです。

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 彼らを社会から排除するとき、社会は誰にとっても息苦しい、窮屈なものになります。社会の許容する人間の幅が狭まるからです。彼らがいることで社会の幅が広がり、息がしやすい社会になっているのです。

 

 グループホーム反対をいう人たちと勝った、負けたの話をするわけではありません。こんなステキな人たちとは、おつきあいしていった方がトクですよ、っていってくるだけです。多分、今までおつきあいがなかったばっかりに、不安に駆られているのだと思います。ですから今回は障がいのある人たちとおつきあいするいいきっかけになるのではないかと思います。これがきっかけで、障がいのある人たちと一緒に豊かな地域社会が実現できたら、これほど素晴らしいことはないと思っています。

 

 

おしゃれで粋な障害者雇用

 12月7日、青葉公会堂で「障がいのある人々と共に働く社会」と題した講演会がありました。「チームえんちか、ぷかぷかの事例から」とあって、ぷかぷかのプロモーションビデオカナダ版の上映と話をしてきました。(チラシの写真、講師高崎明とあるのにまちがえてセノーさんの写真を載せてしまい、印刷がすんでから気がつくというドジでした)

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 「チームえんちか」の松田さんの話は障がいのある人たちを雇用する側の話として素晴らしいものがありました。

 民間企業には障害者の法定雇用率2.0%が義務づけられていて、達成しないと罰金が課せられます。月一人5万円で年間60万円です。60万円の利益を上げるのは、中小企業にとっては大変な負担です。まさに暴力的に障害者雇用を押しつけている感じです。こんなことで現場がうまくいくのかなぁと思います。障がいのある人と一緒に働くといいよね、っていう雰囲気とはほど遠い感じです。それでも、そのきつさの中で素晴らしい関係を作っている人がいた、というのが今日の松田さんの話でした。

 「チームえんちか」は百貨店の売り場で誰かがやらなければならない小さいけれども大事な仕事を引き受けてやっています。たとえば入り口の案内所でお客さんに渡す袋を小さくたたむ仕事。これは「チームえんちか」がやらないと、案内所のお姉さんが案内をしながら下を向いてやることになるそうです。

 小さな箱を折ったり、シールを貼ったり、緩衝材を商品の大きさに合わせて切ったり、福袋の袋詰めをやったり、目立たないけれど、売り場で欠かせない大事な仕事を引き受けてやっています。縁の下の力持ち、だそうです。略して「えんちか」。

 売り場の仕事を引き受けることで、そこの人たちとのおつきあいも自然にできてきます。信頼され、頼られる存在になります。障がいのある人たちが、仕事を通して現場の人たちに信頼され、頼られる存在になるって、すごいことだと思います。

 笑顔のステキな女性は、子ども達にプレゼントを渡すような仕事もするそうです。お客さんとのステキな出会いがたくさんあるようです。

 松田さんは「チームえんちか」をすごく楽しんでやっている感じでした。現場が百貨店なので「おしゃれで粋な障害者雇用」を目指したいとおっしゃっていました。無理矢理法定雇用率を押しつけられる状況の中で、こんな言葉で切り返す松田さんのセンスには目からうろこでした。みんながハッピーになるような障害者雇用、ともおっしゃっていました。

 松田さんは雇用した障がいのある人たちと人として出会っているんだなと思いました。社員として雇用する前に養護学校から実習に来ます。その実習生の一人に七夕の短冊にねがいを書いてもらったことがあるそうです。その時に書いた言葉が写真に撮ってあって、スライドで見せてくれました。

「一家の柱になりたい」

 この言葉に衝撃を受けたそうです。その方は母子家庭で、男はその方一人だけ。学生の身でありながら、その状況を受け止めての言葉だったようです。

 半端な気持ちでこの仕事はできない、とその時思ったそうです。その方が背負い込む生活の重みみたいなものを松田さんは感じてしまったのだろうと思います。障がいのある人を雇用することの意味の広がりを思いました。

 障がいのある人たちと、こういう人としての出会いが「チームえんちか」の出発点になっているようでした。

 法定雇用率が押しつけられる現場は、人が疎外されている気がしていたのですが、今日の話は、そんな中にあって尚も人と人との出会いがあり、それが希望を作り出している気がしました。

 

 「チームえんちか」のあと「ぷかぷか」の話をしたのですが、持ち時間1時間のうち約半分を映画の上映に当ててしまったので、話す時間は約30分。だらだら話をしていてはすぐに終わってしまうので、映画のタイトル「The Secret of Puka-Puka」に絞り込みました。なんとなく嫌われている障がいのある人たちが、どうしてぷかぷかでは「ファン」を作りだしたのか、といった話です。

 ひとことでいえば、それは彼らの魅力が作りだしたものであり、彼らの魅力が発揮しやすい環境を作った、ということだと思います。

 

 「チームえんちか」と「ぷかぷか」では、やっている中身が全くちがいます。雰囲気もちがいます。共通点は障がいのある人たちと人としての出会いが出発点にある、ということです。その両者を結びつけた青葉区社会福祉協議会の見識の高さに感謝。

 

 

 

みんながほっこり心をあたたかくし、元気になれる場所を作ろう

 来年1月7日(日)午後1時半から港北公会堂ホールでプロモーションビデオカナダ版『The Secret of Puka-Puka』(38分)と第3期演劇ワークショップ記録映画『ぷかぷか』(27分)の上映、それとトークセッションがあります。

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 トークセッションのテーマは「福祉の世界をぷかぷか化する」です。

 「ぷかぷか化」するとはどういうことか。障がいのある人たちとフェアにおつきあいしよう、ということです。フェアにおつきあいすると、私たち自身が豊かになります。彼らに教わることが多いからです。彼らも、そういうフェアな関係の中で豊かになります。社会全体が豊かになります。

 福祉の世界には「支援」が満ち溢れています。「支援」は上から目線の関係です。相手を見下す関係からは何も新しいものは生まれません。そこをフェアな関係に変え、いっしょに新しい文化(障がいのある人たちを排除しない、お互いが気持ちよく生きていける文化です)を作っていこうというわけです。

 よく言われる「共生社会」は文字通り「共に生きる社会」です。上から目線のまま、共に生きる、なんてことはあり得ません。「共に」は、どこまでもお互いフェアな関係、フラットな関係を指します。「支援」の関係にどっぷりつかっていると、そんな当たり前のことにも気がつかなくなります。

 支援の関係からは、支援する側の人間の幅のものしか生まれません。でも、フェアな関係だと、お互いの人間の幅以上のものが生まれます。

 第3期演劇ワークショップ記録映画を見れば、そのことはすぐに納得できます。演劇ワークショップの場は、人が自由になれる場です。私を取り戻すことができる場です。だから元気になれます。だから、そこからは力強い物語が生まれます。

 

 先日上映会とトークセッションをおこなった北九州市では、街に「ぷかぷか」を作ろう、という提案まで飛び出しました。みんながほっこり心をあたたかくし、元気になれる場所を作ろう、という提案です。従来の福祉では実現できなかった、みんなの新しい居場所です。

すっかり子ども達の人気者になり

 霧小にパン教室をやりに行きました。スタッフは私を入れて3名、ぷかぷかさんはセノーさん、コーキさん、ユミさん、タカノブさん、ショーへーさんの5名です。霧小の子どもは30人くらいで、適当に混じってやりましたが、時間の関係で生地をこねていったので、分割するとあまりやることがありません。ですから地区センターの調理室でやっているパン教室のような濃厚なおつきあいはなくて、ちょっと淋しい雰囲気。

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 2次発酵、待っている間にプロモーションビデオを見せて「障がいってなんだろう」をテーマに、アーダコーダの対話をしました。

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 人数が少なかったので対話をするにはちょうどよかったのですが、こちら側の進行がまずかったのか、あまり対話がはずみませんでした。

 「障がいのある人でもいろんなことができることがわかりました」

という発言があって、できる、できないの対話が少し続いたのですが、できるできないで判断してもらっても困るなと思ったので、何かができるできないに関係なく、

「その人といっしょにいると心ぷかぷかになった経験はありませんか?」

と話題を変えました。いとこにそういう人がいて、そういう経験がある、と話してくれた子どもがいました。

「どうしてそのいとこといっしょにいると心ぷかぷかになるんだろうね」

と聞いてみたのですが、実際に心ぷかぷかになることを経験していても、どうしてそうなるのか説明するのはむつかしいようでした。

 心ぷかぷかは、心があったかくなること、とか何人か発言していましたが、そのことと、障がいのある人といっしょにいることのつながりが今ひとつはっきりしないようでした。

 言葉で説明できなくても、障がいのある人といっしょにいると心ぷかぷかになることが経験的にわかればいいだけの話なのですが、あえて「どうして?」って聞くことで、子ども達に障がいのある人たちとのおつきあいについて考えて欲しいなと思っています。何かの答えを求めているのではなく、どこまでも子ども自身が考えるきっかけです。

 

 なんとなく会話が途切れてしまったので、ぷかぷかさんたちに自己紹介してもらいました。ショーへーさんはポケモンのいわば研究者みたいな人で、あらゆるポケモンの声の出演者がわかります。子ども達は次々に質問し、パッパッと答えるので、みんなびっくりしていました。アーダコーダの子ども哲学よりもはるかに盛り上がりました。

 すっかり子ども達の人気者になり、ショーへーさんもうれしそうでした。

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