ぷかぷか日記

どんな言葉を使えば、自分の思いが届くのか、一生懸命考える

 3月3日に「親子でもっと社会に出て行こう」と日記に書きました。社会に関心を持ち、その社会に向かってもっと出て行って欲しいという思いで書きました。

 2年ほど前、横浜市瀬谷区で「知的障害者ホーム建設 絶対反対」と書かれた手書きの看板が街道沿いに4年間も掲げられたことがありました。結果的にはグループホームの建設計画は潰れてしまいました。

 普通の人ならどこに住もうとこんな問題は起こりません。障がいのある人の場合は、どうしてこんなことが起こってしまうのか、ということです。社会が障がいのある人たちをどう見ているかがとてもよくわかる事件だったと思います。

 相模原障害者殺傷事件の時も「よくやった!」といった声がネット上に飛び交いました。人が殺されたのに「よくやった!」はないだろうと思いましたが、これがでも、現実です。こんなふうに障がいのある人たちのことを見ている人たちがたくさんいるということです。

 こういった問題と私たちはどう向き合うのか。

 相模原障害者殺傷事件の直後は、多くの福祉団体から、こんなことは絶対に許さない、といった声明が出されました。でも、大抵は一回きりです。一回きりの声明で、あの事件であらわになった問題は解決するわけがありません。そもそも声明といった類いのものに、問題を解決する力があるとは思えないし、あれでおしまいにする感覚もわかりません。本気で問題を解決しようと思ったのかどうか、です。

 じゃあどうするのか、ということですが、ぷかぷかは日々「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを発信し、彼らとのいい関係を具体的に作ってきました。彼らとのいい関係の中で「表現の市場」の舞台も作ってきました。

 彼らとのいい関係を広げること、それがぷかぷかが社会に対してやっていることです。

 で、先日から上映会とトークセッションをやってはどうかという提案をし続けています。それは障がいのある人を排除するような社会と、これを機会にきちんと向き合って欲しいという思いからです。こういう具体的な機会があった方が、人は物事について深く考えられます。

 たとえば、すー君やhanaちゃんは、どうして街の宝なのか、を自分の言葉で語るところから上映とトークセッションの準備が始まります。、障がいのある人たちのことを自分の言葉で社会に向けて語るのです。どんな言葉を使えば、障がいのある人はなんとなくいやだなぁ、と思っている人たちの心に、自分の思いが届くのか、一生懸命考えるのです。それが社会と向き合う、ということです。

 この作業は自分を磨き、自分を豊かにします。

 先日hanaちゃんのお父さんのことを書いたら、お母さんからこんなメールが来ました。

《 ありがとうございます😊
  私もヘルプしながら見守りたいと思います。
 
  数年前は私のことを
 
  俺はそういうのは無理ー
 
  と生ぬるい目で見ていた人が、まさか自主的に動くとは!!
 
  ぷかぷか菌、すごいですねーーー笑 》
 

 お父さんの顔がすばらしくいい!hanaちゃんのこと、好きで好きでしょうがいないんだと思います。その好きな気持ちを、どんなふうに書けばたくさんの人に届くのか、一生懸命考えて下さい。それが上映会とトークセッションをやることの意味です。

ぷかぷかさんの時間

 今朝「セノーさんの時間」について書きましたが、セノーさんに限らず、ぷかぷかさんたちはみんないい時間、心地よい時間を作ってくれています。

 お店が始まって間もない頃、こんなメールがたくさん入りました。

 

 「なんかゆったりとした空間で、すごくよかった」

 「ムリに作り出そうとしているものではなく、自然な空間。自然な静かな時間の流れ…自然に伝わってくる空気感。友達との話もゆっくり、じっくり出来ました。」

 「ひさしぶりに、今日はやわらかい時間を過ごさせていただきました。」

 「中で働いているユミさんが「すごいねー、いっぱい食べるねー」と厨房に話しているのが微笑ましく、明るい彼女にひとときの幸せをいただきました。」

 

 開店してすぐの頃なので、まだセノーさんはいません。それでもこういう時間が生まれていたのです。

 「なんかゆったりとした空間」「自然な静かな時間の流れ」「やわらかい時間を過ごさせていただきました」「ひとときの幸せをいただきました」

 表現方法はいろいろですが、ぷかぷかさんたちの作り出す「宝のような豊かな時間」をみなさん味わったのだと思います。

 

 時間がかかるとか、効率が悪いとか、生産性が低いとかで障がいのある人たちは社会から排除され、「時間がかからない」「効率がいい」「生産性が高い」方向を目指して「指導」され、「支援」されます。

 でもこういう方向からは、お客さんの味わった「豊かな時間」は決して生まれません。

 結局のところ、私たち自身がどういう生き方をしたいのか、どういう社会を目指すのか、というところにかかっていると思います。

   昨年暮れに『pukapukaな時間』という冊子を作りました。ぷかぷかさんたちといっしょに生きることで生まれた時間をビジュアルに表現した冊子です。ゆったりとした豊かな時間がそこには流れています。相模原障害者殺傷事件を生むような病んだ社会を救う時間がそこにはあります。

  息苦しい社会に向けた、私たちの精一杯のメッセージです。『pukapukaな時間』はまだたくさん在庫があります。ぜひ手に取ってみて下さい。ホッと救われたような気分になります。

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セノーさんの時間は、大事にしたい宝のような時間

 夕方おひさまの台所に立ち寄ったら、セノーさんが買い物をしていました。これはそのほんの一部。

www.youtube.com

 セノーさんと橋の上であったのが1時間ほど前の4時過ぎ。それから事務所でちょっと仕事をして、おひさまの台所に立ち寄ったのが5時過ぎ。延々こんな場面が続いていたのだと思います。

 ようやく支払いをしようと財布を手にするのですが、そのまま固まってしまいます。口を開けて何か言いたそうにするのですが、なかなか言葉が出てきません。物事をすすめるタイミングを計っているような、いないような。

 長い時間ののち、ようやく計算をしてもらい、合計688円。トレーに50円玉、右手に10円玉三つを持ったまま、また固まってしまいます。何度も何度も10円玉を眺めるものの、なかなか前に進みません。左手には5円玉と1円玉が三つ。ちょうど88円なので、これと1000円札を出せば、すぐにすむのですが、ここから先がなかなか進みません。

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 手のひらの上のお金を何度も何度も眺め、眺めては考え、また眺め、また考え、何か言おうとしたり、腕を伸ばしたり、前に進もうとはしているようですが、なかなか前に進みません。

 そばにいて、これとこれを出したらいいんだよ、なんてアドバイスが、なんだか悪いような、恥ずかしいような、馬鹿馬鹿しいような、そんな雰囲気がそこにはありました。それでいて、この心地よさはなんなんだろうと思いました。 

 なんとも言えずおかしくて、あたたかな時間。自分が浄化されるような時間。いろんなものから開放されるような時間。

 これが、セノーさんの時間です。

 セノーさんと一緒に生きる、というのは、このセノーさんの時間を生きることです。毎日この時間が楽しみでぷかぷかに行っているようなものです。毎日郵便局のお姉さんたちはセノーさんに耕されていますが、私もいっしょに耕されているのです。耕されている時間がなんとも心地いいのです。

 大事にしたい、宝のような時間です。

 支払いが終わったのは5時40分を回っていました。今日もいい時間過ごさせてもらいました。セノーさんに感謝!

今までただ単にhanaちゃんのお父さんであった人が…

 3月1日のぷかぷか日記「すー君の住む街で」を読んだhanaちゃんのお父さんがhanaちゃんの住む街で上映会とトークセッションをぜひやってみたいと動き始めました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 hanaちゃんのお母さんはブログ、Facebookなどで自分の思いをめいっぱい発信していますが、お父さんは初めてです。メールでやりとりしていても、こういうことは初めてなので、いろんなところで新鮮さというか、初々しさが感じられます。そこが今回の上映会、トークセッションのおもしろいところになると思います。慣れた人がやればどんな雰囲気のイベントになるか大体想像できますが、初めての人がやるので、何が飛び出すか全く予想がつきません。障がいのある人たちを語る言葉も、今までにない新しい言葉が出てくるのではないかと思ったりしています。それが新しい歴史を作っていきます。

 お父さんがhanaちゃんとこの先どんなふうに生きていくのか、hanaちゃんのことをどんなふうに受け止めているのか、社会に向けてhanaちゃんのことをどんなふうに伝えていくのか、ぜひ今までにない新鮮な言葉で語って欲しいと思います。

 語ることで、今までなんとなくぼんやり思っていたことが、形になって見えてきます。新しい発見もあります。

 どういう言葉で語れば、自分の思いが人に届くのか、それを一生懸命考えて下さい。その作業が自分を磨きます。 

 上映会をやる、あるいはトークセッションをやる、というのは、自分の思いを映画、あるいはトークセッションを通して、まわりの人に届ける、という大きな目的があるのですが、何よりもまず、こういった活動を通して「自分を磨く」ということがあります。ここがすごく大事だと思っています。

 今までただ単にhanaちゃんのお父さんであった人が、社会性を帯びた、もっと大きな意味を持つ存在になります。上映会、トークセッションも楽しみですが、お父さんがどんなふうに変わっていくのか、ここが一番楽しみです。

 これから本当の意味で、「hanaちゃんといっしょに社会に出て行く」のだと思います。

 

 nahaちゃんの魅力をどう伝えるのか、大きな勝負所です。お父さん、がんばって下さい。

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 あちこちのお父さんたち、hanaちゃんのお父さんに続け!

親子でもっと社会に出て行こう

 表現の市場でロビーコンサートをやった実方さんが4月15日(日)午後1時から千歳船橋駅前広場で「やまゆり園事件」を風化させないライブパフォーマンスをおこないます。

www.facebook.com

 風化させない、という思いが今すごく大事な気がします。それはいつも事件について語るとか、思い出すといったことではなく、障がいのある人たちといつもいい関係でいるとか、障がいのある人たちとのいい関係を日々広げていく、といったことではないかと思います。ぷかぷかは事件のはるか前から、そういったことをやり続けています。

 先日のぷかぷか日記に「すー君の住む街で」を書きました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 これを障がいのある子どもをお持ちの親御さんたちにすすめています。あちこちで「あの子は街の宝だよね」っといった議論が巻き起こると、社会は少しずつ変わっていきます。相模原障害者殺傷事件を超える社会が、そこから始まります。

 事件後、障がいのある人たちを守る、といった方向での動きが顕著ですが、今こそ親子で社会に出て行くことが大事な気がします。ぷかぷかの映画の上映会と「街の宝」をテーマにしたトークセッション、ぜひやってみて下さい。「あの子は街の宝だよね」っていうたくさんの仲間ができます。自分の世界がグ〜ンと広がります。人生がはずんできます。

 障がいのある子どものお父さん、お母さん、「宝子」といっしょにもっともっと社会に出て行きましょう。

 

 

 

彼らといっしょにどういう人生を送るか、ということだと思います。 

 精神障がいを持っている方たちの支援をやっている人たちの研修会でぷかぷかの映画の上映とお話をさせていただきました。

 「管理」のことが話題になりました。本当は利用者さんを管理なんかしたくないんだけれど、いろいろ考えるとやっぱり管理する方向に行ってしまうという意見がありました。

 もっともな意見だと思います。問題は障がいのある人たちとどういう関係で事業を展開していくのか、ということだろうと思います。ぷかぷかでは、ぷかぷかさんとスタッフの関係はどこまでもいっしょに生きていく関係であり、フラットな関係です。ですから彼らを「管理」するという発想がありません。

 お店で「接客マニュアル」に従うという「管理」は、ぷかぷかさんがやってみたら気色悪かったのでやめました。彼らといっしょに生きていきたいと思っていた私にとって、無理にマニュアルに合わせようとする彼らの姿は、ただただ気色悪かったのです。マニュアルによって「管理」することはその人らしさを失うことでした。そのことに「気色悪い!」という感覚で気がついたのです。

 ぷかぷかの自由な雰囲気は、この「気色悪い!」という感覚から始まった、といってもいいくらいです。で、マニュアルに寄らず、ぷかぷかさんのありのままでやっていこう、とその時決めたのです。それが今のぷかぷかの雰囲気を作っている大きな要因です。

 

 彼らといっしょに生きていく関係、フラットな関係からはいろいろ新しいことが生まれます。

 ほかの福祉事業所がやっているパン屋やカフェに行ったお客さんが

「ぷかぷかに来るとホッとする」

といいます。同じような障がいのある人が働いているお店ですが、お客さんの印象はこんなにもちがいます。ここが管理する関係から生まれる場と、フラットな関係から生まれる場の違いだと思います。

 「ぷかぷかに来るとホッとする」

ところから、たくさんのぷかぷかのファンが生まれました。なんとなく近寄りたくないと思われている障がいのある人たちにファンができるなんて、今の社会状況を考えるとほとんど奇跡に近いように思います。これも彼らとのフラットな関係が生みだしたものです。

 彼らとのフラットな関係はこんなふうに社会を豊かにしていきます。

 1+1=5になるくらいの新しい価値を生み出しているのです。

 彼らを管理する関係からは1+1=1でしかありません。管理すればいろいろな間違いは起こりにくくなります。でも、そこからは新しいものも生まれません。あんなにもステキな魅力を持っている彼らといっしょにいながら1+1=1でしかないのは、なんだかもったいない気がします。

 私は彼らといっしょに生きていった方がトク!だと思っています。それは1+1=5になるくらいの価値を生み出すからです。

 一回きりの人生です。彼らといっしょにどういう人生を送るか、ということだと思います。 

 

すー君の住む街で

 先日ぷかぷかにやってきたかわいいお客さん・すー君のお母さんにぷかぷかの映画の上映会と「街の宝」をテーマにしたトークセッションやりませんか?と呼びかけています。

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お母さんは[ツナガリウォークinヨコハマ]を主宰するヨコハマプロジェクトという団体で活動なさっているので、

yokohamapj.org

 

そこでやりましょうか、という話もあったのですが、大きな団体でやればそれなりに人はたくさん集まりますが、大事なことは、すー君を「街の宝」と思ってくれる人を増やすことなので、やはりすー君の住む街でやるのがいいと思います、といいました。

 すー君の住む街で、すー君のこと「街の宝だよね」って思ってくれる人を増やすにはどうしたらいいか、それをみんなで考える集まりにしたいのです。どうして障がいのある人が「街の宝」なのか、それは街の人にとってどういう意味があるのか、みたいなことをみんなで話し合います。私が彼らのことを「街の宝」と呼ぶようになった理由などもお話します。

 

 学生の頃、胎児性水俣病の上村智子さんのお母さんが(下の写真)

 「この子は宝子ばい」

というのを聞いて、その「宝子」の意味がどうしてもわかりませんでした。

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 その意味が納得できたのは養護学校の教員になって障がいのある子ども達に出会ってからです。あれができない、これができない、とマイナス評価ばかり多い子ども達でしたが、それでもよ〜くつきあってみると、

「こいつ、いいやつじゃん!」

て思うことがいっぱいあって、いっぺんに惚れ込んでしまったのです。その時からです。

「この人たちは街の宝だ」

って思うようになったのは。

 

 すー君の住む街にも、そんなふうにすー君のこと思ってくれてる人はいっぱいいると思います。そんな人たちが集まって、「宝談義」ができたらいいなと思います。

 そして何よりも、そう思ってくれる人を増やすにはどうしたらいいのか、といったことも。

 そう思ってくれる人が増えると、まず、すー君が住みやすい街になります。すー君が住みやすいと、だれにとっても住みやすい街になります。

 すー君のこと、街の宝だ、と思えるようになるのは、人として豊かになることだと思います。そう思う人が増えることは、そのまま街が豊かになっていくことだと思います。

 

 「すー君て街の宝だよね」って思ってくれる人を増やすことは、相模原障害者殺傷事件を超える社会を作ることにつながってきます。頭が痛くなるような重い議論ではなく、楽しい「宝談義」で相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていきたいと思っています。

 

pukapuka-pan.hatenablog.com

天草から…こころを込めて

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天草の川野さん、ご縁があって、毎年この季節になると新鮮な甘夏を送っていただいています。箱を開けたとたんに目に飛び込んでくる、初々しい黄色いミカンたち。

そして、毎回必ず同封される川野さんからのお便り。

川野さんからのお便りが読みたくて、ワクワクしながら今日も箱を開けました。

素敵なお便りを紹介させて下さい。

こんな素敵なみかん山で育ったみかんたち…美味しくないはずがない!!!

 

・・・・・・・

夏、みかん山で。

木を被ったツル草を鎌で切り払っていた時、ブーンとあのスズメバチの鋭い羽音、一匹の見張り蜂が藪から飛び出し、一直線に私の額をめがけ、小さな弾丸となってやってくる。大きなギョロリとした目。1mもない。ヒヤァーとすっとんで逃げる。手に持った鎌を高く上げて、ぐるんぐるん回しながら走る。一目散。と言っても草の畑の中、長靴がもつれる。いつもなら3~4mも離れると蜂は追跡をやめてくれるのだが、ブーンという音がいつまでも消えない。超スピードで私の周囲を旋回しているようなのだが姿が見えない。一瞬、音が消えやれやれと足を止めると、また近くでブーンである。

姿が見えない恐怖が湧いてくる。しつっこいな、こんなしつっこい蜂は初めてだ。虻かな?虻は叩き殺されるまで、うるさくまとわりつくが蚊と同じ位のぶんぶんだ。威嚇はしない。怖くなって農道に止めた車に逃げ込む。ほっとする間もなく車の中からまたブーンが聞こえる。えっ、そんな事があるか?不気味さに車から飛び出し、車の窓を開け放ち様子を見る。

そうして蜂の姿を再度確認することなく、仕事をやめ家へ帰ったのだった。

 夏が終わり、秋も過ぎ冬。蜂の巣がかかっているだろうその木を被っていた草々も枯れてしまった。その枯れ草のぼうぼうを切り払っていくと、あった!スズメ蜂の巣が。

大きく完成し、主の居なくなった焦げ茶と白の波模様の巣。いつもは、芸術作品だなあ、美しいなあと両手に抱えてながめているのだが、夏のあの恐怖がかえってくる。

茂みの中で、からからと空虚に鳴る音さえ不気味だ。巣がかかっている枝を切る。

地に落ちた巣がまたカラカラと鳴る。冬の枯れ草原にころがっている様も異様に大きく見えて、その音は地の底から響いてくるように聞こえるのだった。

 みかん山を長靴でのしのし歩く。冬草が毎日の霜にめげずやわらかく、やわらかく萌えている。

・・・・・

 

川野さんの甘夏を使った商品をパン屋さん、ぷかぷかさんのおひるごはん、おひさまの台所、焼き菓子工房のそれぞれのお店で、ただ今考案中。

楽しみにしていてくださいね。

そして!!!川野さんの作った新鮮そのもののミカンたちを皆様にもお届けしようと思います!

おひさまの台所前で、甘夏、清見、パール柑を販売いたします。

大地の恵み、川野さんの愛情のこもったミカンたちを召し上がってください!

これは、食べなきゃソン!です。

 

 

 

こうやってテラちゃんは未来を耕しているんだと思います

 テラちゃんはだれとでもすぐに友達になってしまいます。今日は小さな子どもが相手でした。

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 テラちゃんに手を伸ばした赤ちゃんは、何を感じているのかなと思います。今はもちろん何も言わないけれど、こういう体験は赤ちゃんの中にしっかり刻み込まれ、赤ちゃんが社会を担うようになったとき、この体験が生きてきます。

 赤ちゃんを抱っこするお母さんの表情もすごくいいですね。テラちゃんを信頼している感じがとてもよくわかります。

 障害者は怖い、近寄りたくない、と多くの人が思っている社会にあって、こんなふうに安心しきって赤ちゃんを差し出せる関係ってすごいなと思います。テラちゃんの人徳ですね。

 

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 こうやってテラちゃんは未来を耕しているんだと思います。

 テラちゃんのお姉さんっぽい表情がいいですね。テラちゃんに頭をくっつけた赤ちゃん、テラちゃんのぬくもりを感じているんだと思います。

 

 

 

 

ぷかぷかさんの絵はそのまま使えそうですね

 「ぷかぷかとアートでコラボ」の集まりに行ってきました。10社くらい集まっていただき、ぷかぷかのアートを使うことの意味などをお話ししてきました。

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 企業とのコラボは1+1=5になるような価値を生み出すこと。それをどう伝えるかが大きな勝負所でした。たまたま何かに使おうと思って持って行っていた大きなクジラの絵が目に入り、それを使ってお話ししました。

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 この絵はぷかぷかさんと地域の子ども達、大人たちがアートのワークショップで描いたものです。

 この大きな絵は完成までどれくらいかかったと思いますか?という質問をしました。3ヶ月くらい、3日くらい、といった意見が出ました。

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 正解は1時間です。小さなマス目に自由に絵を描くところから始まりました。ぷかぷかさんも子ども達もどんどん描いていきます。みるみるマス目が埋まり、こんなすごい絵になりました。これがワークショップという場の持つエネルギーです。

 大人はこういうとき、なかなか筆が進みません。自由に描いていいといわれたものの、何を描いていいかわからなくなります。自分の不自由さに気がつきます。それに引きかえ、ぷかぷかさんと子ども達のなんと自由なことか。

 こういう気づきがとても大事です。

 自分よりできないと思っていた障がいのある人たちがどんどん描いていきます。彼らに注いでいた《上から目線》が見事にひっくり返されます。いわゆる《健常者》と《障害者》の関係がひっくり返ることになります。これは大変なことです。「障害者は社会にお荷物」であるとか「社会の負担」といった、多くの人が思っていることがひっくり返ります。

 あれができない、これができないと思っていた障がいのある人たちが、実は私たちよりも自由で、表現力豊かであることに気がつくこと、それは私たちの中の人間のイメージを大きく塗り替えます。人間が豊かになります。

 ぷかぷかとアートでコラボすることは、ただ商品が売れる、といったことに終わるのではなく、こうやって1+1=5になるような価値を生み出すのです。

 

 自動販売機を作っている会社の方が参加されていて、最近子どもの絵を販売機のデザインに採用したそうです。ただそのときは最終仕上げにプロのデザイナーに入ってもらったそうですが、ぷかぷかさんの絵はそのまま使えそうですね、とおっしゃっていました。その会社とうまくコラボができれば、と思っています。

 

 

 

 

 

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