ぷかぷか日記

排除される側は、どこまでもやさしい

 Facebookに載ったセノーさんの寝顔を見てファンになり、訪ねてきた方がいました。 

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www.youtube.com

 

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 うれしいですね、こんなふうに訪ねてきてくれるなんて。

 セノーさんは寝ながらファンを増やし、社会を変えているのだと思います。

 私たちがいくら声高に「共生社会を目指そう」とか「共に生きる社会を作ろう」と叫んでも、そういう社会はなかなか実現しません。いろんな活動をしても、思うように前に進みません。

 セノーさんはそんな言葉はひとことも言いません。でもこうやって、みんなが気持ちよくいっしょに生きる社会に向けて確実に一歩を踏み出しているのです。

 しかも、寝ながら、です。ここがセノーさんのえらいところです。そうやって社会を動かすチカラを持っているのだと思います。そこに私たちが気づくかどうかだと思います。

 8年前、広場に一本の柱を立てたのは私ですが、その広場を育てたのはセノーさんをはじめとするぷかぷかさん達だったとあらためて思うのです。ぷかぷかさん達のそのままの魅力が広場を育てたのです。

 

 相模原障害者殺傷事件以降、障がいのある人たちを排除する社会が変わったかといえば、ほとんど変わっていません。障がいのある人たちのグループホームを建てようとすれば、相変わらず反対を声高に叫ぶ人が現れます。そして残念なことに、そういう人たちに届く言葉を私たちは持ち合わせていません。

 差別の問題は、言葉で乗り越えていくのはむつかしい、とグループホ−ムの説明会に参加した時、つくづく思いました。ぷかぷかの映像ですら、「こんないいところばかり撮った映像なんか見たくない」などといわれたのですから。

 そんな中でセノーさんの寝顔を見てファンになりました、という人が現れたことは、大きな希望を見た気がしました。こうやって社会が変えられる、こうやって相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていける、という希望です。喧々がくがくの議論ではなく、彼らのありのままの姿を差し出すことで、社会が少しずつ変わっていくということです。

 これは決して社会から排除される側からの反撃ではありません。反撃は新たな対立を生むだけです。問題解決に向けて、そうではない提案をぷかぷかさん達はしているのだと思います。

 排除される側は、どこまでもやさしいのです。そのやさしさに気づいた人たちがファンになるのかも知れません。

 

 

 

一本の柱を立てたところから始まったぷかぷかが…

 ぷかぷか8周年のイベントがありました。

ツジさんの歌、ゆずの『栄光の架け橋』から始まりました。途中、「ぷかぷか8周年、おめでとう、ワオ!」って叫んでいました。うれしいですね、ツジさんにそんなふうに言われて。ツジさんは創設当初からのメンバーです。ですから、それなりの思いがあったんだと思います。「おめでとう、ワオ!」って。

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高鳥さんのギターで『あの広場の歌』。高鳥さん、ワークショップでこの歌を歌ってすごく気に入って、今回のために練習してきたそうです。

ちょっと調子っぱずれのところもありますが、それでもこの雰囲気、すごくいいです。

www.youtube.com

♪ 昔 広場に 一本の柱

   ここに立てよう 目には見えない柱を

 昔 広場に 一本の柱

   そこで始まったぷかぷか 今、ここで  ♪

 

なんかね、みんなで歌を歌っている間、歌っていることが実感できるような時間でした。

 8年前、「障がいのある人たちといっしょに生きていこう」って一本の柱を立てたところから始まったぷかぷかが、今、ここにあります。歌いながらちょっとうるっときました。

 ここにこうやってみんなが集まる広場ができたのです。みんなが元気になり、物語が生まれる広場です。

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  広場の中心にはぷかぷかさんたちがいます。ぷかぷかさんたちがいるから、みんながホッとできるような雰囲気になりました。みんなが笑顔になり、元気になる広場。たくさんの物語もここから生まれました。

 ぷかぷかさんたちがいなければ、ただのパン屋であり、ただのお惣菜屋でした。こんなにおもしろい広場はできなかったのです。そのことの意味をきちんと考えていきたいと思うのです。

 

 栃木からいろいろ米とライ麦の上野さんがやってきました。

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今日は上野さんに送っていただいた栃木のイチゴとぽんせんも販売しました。

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はっぱでバッタ作りを教えてくれました。

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上野さんのうどんで作った天ぷらうどんは大好評でした。

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 今年のぷかぷか一泊旅行はまた上野さんの畑を目指していく予定です。パン屋で好評のライ麦パン、いろいろ米パンの物語が更にふくらみます。コミュニティ食堂「ぷかぷかさんのお昼ごはん」で提供している主食の「いろいろ米」が更においしく感じられます。

 

わんどのワークショップには子ども達がいっぱい

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似顔絵コーナー

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淡路島ビオアグリのコーナー

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近々ビオアグリの代表がぷかぷかにやってきます。コラボの内容が更に充実します。

 

天草の川野さんのミカンコーナー

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5月の末、スタッフの魚住、石神が天草に行きます。みかん山を見て、川野さんの話をいろいろ聞いてくる予定です。川野さんは40年ほど前、おそらく日本で初めて障がいのある子ども達も一緒に保育する保育園を横浜市旭区に立ち上げました。日本全国から建設資金が寄せられたといいます。ミカンへの思いだけでなく、障がいのある子どもも一緒に保育する保育園を立ち上げた熱い思いなども聞いてくる予定です。

 

ぷかぷかめがね美人

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ぷかぷかには美人が多い、という噂の震源地f:id:pukapuka-pan:20180414132120j:plain

 

お客さんの感想

今日のマルシェ、お天気に恵まれて本当によかったです。

うどんに、シリアルバー、セノーさんの好きなベシャメルなんとかパン、カレーパン、植木に、ポテト&唐揚げ、おいなりさん、メンチカツ、肉だんごのポテト衣、あれこれ。まんまとぷかぷかの作戦に引っかかってしまい、散財してしまいましたよ!

でも、楽しかったなぁ。折田さんに小さい誕生日のプレゼント渡せたし、コウキくんのお姉さんとも話せたし、上野さんの奥さんとカメの話もできたし、夏の旅行も、プレミアム会員になって、なんとか潜り込めそうだし…

とにかくお疲れさまでした。

 

 

みなさま 本当にありがとうございました。 

4万円からはじまった物語

  区役所の区政推進課の職員Kさんが、異動になりますと挨拶に来ました。Kさんは採用1年目でぷかぷかを相手に仕事をやったので、ま、いろいろ大変だったようです。

 区政推進課とのおつきあいは、地場の野菜を使う地産地消を通した関係でした。Kさんが来たときも秋の区民まつりでぷかぷかのおからを出す費用の打ち合わせでした。おからの費用が6万円で、区役所が用意している予算が10万円でした。差し引き4万円が残ります。それはもったいないと、その4万円で地産地消ブースのデザインをやらせてくれませんか、とその場の思いつきで提案しました。この時の思いつきが、アートを通したおつきあいの始まりでした。

 突然の提案でKさんも係長も即答はできず、区役所に帰ってから課長と相談したようで、2日ほどたってOKの返事。ぷかぷかが日々やっていることをみての判断だったと思います。多分おもしろいものを作ってくれるんじゃないか、と。下の写真のような。

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 さてどういうデザインにしようかと考えながらぶらぶら歩いているときに、ヨッシーの描いた歯医者に行って虫歯だらけの口をガバッと開けている絵を見つけました。あっ、これをブースの入り口にしたら絶対おもしろい、と思いました。で、その絵をアート屋わんどの職員コンドーに見せ、段ボールで入り口をデザインしてもらいました。

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 ブースの入り口の装飾だけでなく、テントの屋根に段ボールで作った直径1メートルくらいのカボチャ(地産地消のシンボル)をのせたいと言い出したので、Kさんは

「え〜〜!」

とびっくり。心配になって総務課に相談したら、

「そんなあぶないことはいかん!」

といわれたそうで、すぐ私に「だめみたいです」と電話がありました。

「絶対に落っこちないようにするから」

と、絵を描いて説得しました。

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 実際屋根にのせてからは落ちなかったのですが、のせる途中で落っこちてきてちょっと大変でした。下の写真の直後、真っ逆さまになって落っこちたのです。

 

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 区民まつりで配るチラシもデザインすることになり、地産地消をやっているお店の情報を入れてくれるように頼まれました。Kさんから送られてきたお店のデータはお店の名前、営業時間、電話番号などのテキストデータで、新人のKさんとしては一生懸命作ったデータでした。それを

「あの〜、こんなの見ても、誰もお店に行こうって思わないんじゃないですか。」

って、私が正直に言ったので、えらくめげたみたいでした。

「テキストじゃなくて、楽しい絵地図で行きましょう。ぷかぷかさんが描くと、絶対楽しい絵地図になります。お店のシェフの似顔絵も入れると、あっ、こんな人がつくるんだ、ってわくわくしてお客さんはいっぱい来ますよ」

と丁寧に説明し、Kさんは納得したようでした。

 ここから絵地図の物語がはじまります。

 似顔絵も入れるとなると、チラシには入りきらないので、もっと大きなスペースが欲しいと言い、KさんはA1サイズの大きなパネルを用意してくれたのですが、似顔絵は原寸大で入れたい、とまたわがままを言い、結局テントの横の壁いっぱいに貼り出すことにしました。 

 シェフの似顔絵を描きに行きました。

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そうやってできあがった絵地図がこれ

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 予想をはるかに超えた楽しい絵地図ができあがりました。

 区民まつりの朝、通りかかった区政推進課の課長に

「これ、一日で捨てちゃうの、もったいないですよ。一週間くらい区役所のロビーに貼り出しませんか?」

という提案をしました。

 しばらくして課長から連絡があり、絵がヨレヨレになっているので、きれいにパネル張りにして展示したい、見積もりを取って欲しい、ということでした。

 知り合いの額縁屋さんに連絡。見積もりを取ったところ10万円。そんなお金出してくれるのかなぁ、と思いながら課長に電話。これがあっさりOK.

 ヨレヨレになった絵地図をパネル張りにしました。

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 できあがったパネルを区役所に持って行ったら、Kさんと係長は「ひゃ〜すごい!」とびっくり。せっかくなのでロビーに飾る前に除幕式をやりましょう、ということになりました。

 区長が出席しての除幕式でしたが、途中でぷかぷかさんが踊り出し、はずみでパネルにかぶせてあった白い幕が落っこちてしまうというハプニングがありましたが、ま、ぷかぷからしくていい、とみんな大笑い。

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 この一連の仕事でできた信頼関係の中で、区役所で行われる人権研修会の講師を依頼されました。私一人で行ってもなんかつまらない感じがしたので、人権問題の当事者であるぷかぷかさんを三人ほど連れて行って講師をやってもらいました。ぷかぷかさんが行けば、今までにないおもしろい人権研修会になるという確信がありました。まとまった話はむつかしいので、いろいろ質問してもらいました。「給料は何に使いますか?」「仕事で何が一番楽しいですか?」「休みの日は何をしていますか?」といった質問に答えました。それでもみんな新鮮な印象を持ったようで、たくさんの人がアンケートを書きました。人権研修会はいつも硬い話でアンケートはほとんど書かないそうです。こんなにたくさんアンケートが集まったのは初めてです、と担当の方はびっくりしていました。

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 これが4万円からはじまった物語です。そもそも地産地消の打ち合わせに私は出たことがなかったのですが、たまたまあの日時間が空いていて、打ち合わせにでて、思いつきで4万円でブースのデザインやらせてくれませんか、と提案したのです。そこからこんなにもいろいろな物語がはじまったのです。

 これがきっかけで区役所とのおつきあいの幅がグンと広がりました。区民まつりの地産地消ブースのデザインは毎年のように依頼されます。

 新人のKさんにとっては本当に大変な1年だったと思います。でも大変だったからこそ、人生の幅がグンと広がったのではないでしょうか。その広がりを新しい職場でも生かしてもらえたら、と思っています。本当にお疲れさまでした!

「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろう

 神奈川新聞「時代の正体」に、相模原障害者殺傷事件の犯人に面会に行った話が載っていました。

www.kanaloco.jp

 《 事件からまもなく2年。社会は変わったか。そんな問いは無意味の思えるほど風化が進み、事件直後にあちこちで耳にした「決して忘れない」という言葉がむなしく感じられる。 》と、記事にありました。そういえばあれだけみんな口にしていた「決して忘れない」という言葉はどこへ行ってしまったんだろうと思います。

 「決して忘れない」をいうだけでは、差別や偏見を許容する社会は、何も変わりません。

 障がいのある人たちのグループホーム反対を叫ぶ人たちがいます。「障がい者はこの地域に来るな」「ここに住むな」といってるのです。「障がい者はいない方がいい」といった犯人と全く同じ発想です。障がいのある人たちを社会から排除する、という動きは、こんなふうにあちこちにあって、あれだけの事件がありながら、社会は何も変わっていないことになります。

 事件を忘れない、というところにとどまるのではなく、日々の暮らしの中で立ち現れる差別や偏見とどう向き合うのか、それに対して何をするのか、ということこそ大事な気がします。

 

 こんな関係を作り続けること、これこそがぷかぷかが日々やっていることです。

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100年先を見据える

 昨夜、井土ヶ谷アーバンデザインセンターで開かれた「よこはまYYラボ」のイベントに行ってきました。ぷかぷかも15分ほどプレゼンやらせていただきました。「街の人を巻き込むための仕掛けは?」ということも話題に上がっていたので、ぷかぷかがやってきたことをいろいろお話ししてきました。

 

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太陽住建社長の河原さんは、会社の説明のあと、ゆるいつながりが思ってもみない価値を生んだ、というようなお話をされました。

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クジラの大きな絵は、街の人たちを巻き込んで描いた絵。絵を一緒に描くことで、障がいのある人たちとのいい関係をたくさん作りました。

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ぷかぷかのアートを紹介

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ぷかぷかのおいしいお惣菜を紹介

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おひさまの台所のごちそうが並びました。

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 太陽住建会長の河原さんが100年企業を目指す意味を語られていました。今いろんな節目節目で経営の判断をしているのですが、100年先の人の評価に耐えられるような判断をしたい、とお話しされ、いやぁすごいなぁ、と思いました。

  100年の歴史を見据えながら会社を経営していくってすごいですね。目の前にぶら下がる人参で判断するのではなく、100年先を見据えての判断をしたい、というお話でした。

www.taiyojyuken.jp

  

 ぷかぷかにとって100年先を見据えるってどういうことなのかと思いました。福祉事業所であっても、そういう歴史視点は必要だと思います。100年先の人が振り返ったとき、納得できるような価値をぷかぷかは創り出しているのかどうか、です。

 ぷかぷかはタカサキが障がいのある人たちの惚れ込んだところから出発しました。惚れ込む、というのは個人的なものです。でも彼らのそばにいて感じる「ほっこりするようなあたたかさ」は一人で味わうにはもったいないと、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「その方がトクだよ」というメッセージをたくさんの人に向けて発信し続けてきました。メッセージだけではなく、リアルにそのことを感じられる、障がいのある人たちとのいい関係、いい出会いを作ってきました。

 お店、パン教室、演劇ワークショップ、アートワークショップ、ぷかぷかマルシェ、運動会などで、「いっしょにいるといいよね」って思えるようなすばらしい出会い、関係をたくさん作ってきました。

 「いっしょにいると心ぷかぷか」というプロモーションビデオも作りました。これは障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを映像化したものです。

 そういう中で、少しずつぷかぷかのメッセージに共感する人が増え、たくさんのファンができました。社会の中で排除されることの多い障がいのある人たちですが、彼らを排除しないどころか、彼らのファンだと言う人たちを作ったことの意味は大きいと思います。

 彼らのファンになることは、人間としての幅が広がることであり、豊かになるということです。そしてそんなファンが増えるということは、社会が少しずつ豊かになる、ということです。そういう歴史を少しずつ作っている、といっていいと思います。

 あのおぞましい相模原障害者殺傷事件は「障害者はいない方がいい」という強烈なメッセージであり、障がいのある人たちを排除する社会を象徴する事件でした。でも、それにひるむことなく、ぷかぷかは「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と言い続け、その「リアル」を作り続けてきました。

 それは理屈っぽい話ではなく、彼らに惚れてしまった私自身の生き方の問題だったと思います。どこまでも彼らといっしょに生きていきたい、という生き方。

 100年先を見据えての判断というのはなかなかむつかしいですが、日々、自分の生き方としてやっていくことはできます。100年先の人が見ても恥ずかしくない生き方です。

 

 

 

私は?よくわかりません状態でした。

 セノーさん、今日はお父さんと一緒に映画を見に行ったようで、お父さんのFacebookに、本人はおもしろかったそうですが、私はよくわかりません状態でした、と書いてあって、笑ってしまいました。

www.facebook.com

 この謙虚さがいい!と思いました。本当にいいお父さんです。

 セノーさんに限らず、どのぷかぷかさんもわからないこと、感心することがたくさんあります。そのわからなさに私達がどこまで謙虚に向き合えるか、というところで、そこから豊かなものが生まれるかどうかが決まるのだと思います。

 

 セノーさんが選んだ映画のホームページです。

servamp-movie.jp

 私はこの映画のストーリーを読んでも、ついていけないというか、どういう映画なのかよくわかりませんでした。でもセノーさんは「あっ、これはおもしろい!」と思って、お父さんを誘ったのだと思います。セノーさんて、ああ見えて、実はすごい人なんだとあらためて思いました。そういうことを感じさせないところがいいですね。人間ができているというか…。タカサキとえらい違いです。

 

 養護学校でセノーさんを担任をしている頃、私の誕生日に、その日(1949年4月30日)に発行された新聞のコピーをプレゼントしてくれたことがあります。活字がずいぶん古めかしい新聞でした。あとで聞いた話によると新宿のヨドバシカメラでそういうサービスをやっていたそうで、そこまで取りに行ったみたいでした。どこでそういうサービスを調べたのかわかりませんが、本当にびっくりしました。誕生日に発行された新聞をプレゼントするという発想がすばらしいし、それを実行する力がすばらしいと思いました。

 

 そんなセノーさん達とおつきあいしていると、どう考えても彼らは障害者であり、私たち健常者の支援が必要な人たち、とは思えないのです。思えない、という謙虚なところでおつきあいしていると、毎日いろんな新しい発見があって、いい勉強させてもらっています。そして何よりもそんな彼らとのおつきあいが楽しいのです。

 

 

 

注文の多い料理店・序ー手話による表現

 1月の表現の市場では、『注文の多い料理店・ぷかぷか版』の「序」の部分をデフパペットシアターひとみのみなさんにやっていただきました。pvプロボノの信田さん、高橋さん、藤木さんに記録を撮ってもらい、その編集が終わりました。最初カメラ6台も使って撮る意味がよくわからなかったのですが、この映像を見て納得できました。6台で撮った映像を編集することで、こんなすばらしい映画ができあがるんですね。なんとなくぼんやり見ていたあのシーンが、一つの作品=映画になっていることにおどろきました。映像クリエイターの人たちのチカラですね。pvプロボノの人たちに感謝!です。

 「注文の多い料理店・序」はとても美しい日本語です。それを手話で表現するのは、本当に大変だったと思います。デフパペットシアターひとみの人たちの底力を見た気がしました。

 味のある文字はぷかぷかさんです。存在感のある文字です。

 

www.youtube.com

 

 演劇ワークショップ、表現の市場の映像は現在編集中です。8月4日(土)みどりアートパークホールで上映する予定です。近くなりましたらお知らせします。

8年前 一本の柱を立てた。

 4月14日(土)のぷかぷか8周年のイベントで、演劇ワークショップで歌った「あの広場のうた」を歌う予定で、今、毎日みんなで練習しています。歌いながら、あらためて、ぷかぷかって、みんなにとってとても大切な広場だったんだなという感じがしています。

 

 ぷかぷかにはいつもの朝、いつもの夜がやってくる。

 あれ、ここはどこだっけ、とふと思うことがあっても、ここはいつもの場所。

 でも、どこかちがう。ここはどこかに似ている。

 大人も子どもも、犬や鳥たちも、虫たちも集まる、あの広場みたい。

 耳をすませば見えてくる。(ここの言葉の使い方がすばらしい。この歌を作った萩京子さんのセンスです。)

 目をみはれば聞こえてくる。

 耳をすます、目をみはる。

 そうすると、少しずつ、少しずつ、

 見えてくるものがある、聞こえてくるものがある。

 

 歌が生まれ  人は踊り出し

 物語がはじまる  あの広場がここに

 

 広場から たくさんの物語が生まれた。

 みんなの広場だったから ステキな物語が

 次々に生まれた。

 

 障害者は性犯罪を起こすかも知れない、などとグループホームに反対する大人がいる社会は悲しい。

 その一方で、ぷかぷかに来る子ども達はこんな物語を作った。

 

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 この子ども達が大きくなって、社会を担う頃、どんな社会を作るのだろうと思う。

 三枚の写真から見える物語には希望がある。

 前に向かって、私たちの背中を押してくれる。

 

 1000を超えるぷかぷか日記にはたくさんの物語が詰まっている。

 障がいのある人たちは、あれができないこれができない人たちじゃない。

 社会の負担でもなく、社会のお荷物でもない。

 社会を耕し、社会を豊かにする存在なんだ、という物語は、

 たくさんの人に希望をもたらした。

(そんな物語たちを本にまとめようと思っています。楽しみにしていて下さい)

 

 障がいのある人たちに惚れ込み、

 彼らと一緒に生きていこうと

 8年前

 一本の柱を立てた。

 柱のまわりに

 少しずつ

 少しずつ

 人が集まり

 歌が生まれ

 人は踊り出し

 物語がはじまった。

 

 

 昔 広場に一本の柱

 ここに立てよう  目には見えない柱を

 

 昔 広場に一本の柱

 ここではじまったぷかぷか  いまここで 

 

 

www.youtube.com

 

♪ いまはいつだろう  いつもの朝

  ここはどこだろう   いつも場所

 

 いまはいつだろう  いつもの夜

 ここはどこだろう  いつもの場所

 

 でもどこかちがう

 ここはどこかに似ている

 

 おとなもこどもも  犬も鳥たちも

 虫たちも集まる   あの広場みたい

 

 耳をすませば見えてくる

 目をみはれば聞こえてくる

 少しずつ 少しずつ

 

 歌が生まれ  人は踊り出し

 物語がはじまる  あの広場がここに

 

 昔 広場に一本の柱

 ここに立てよう  目には見えない柱を

 

 昔 広場に一本の柱

 ここではじまったぷかぷか  いまここで ♪

みかん山から

読むとその景色が浮かんでくるような素敵な「みかん山だより」と共に届けられた「パール柑」

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意外と知らない方も多いみたいで「パール柑って何?」なんて質問も多いのです。

天草の川野さんが育てた柑橘で、甘夏と比べると苦みが少なく、文旦と似たお味。

さわやか酸味とみずみずしさが特徴。

このパール柑、ジャムにも最適です。

苦みも少ないので、煮こぼすことなく刻んで茹でて、甘味を加えるだけで写真のような

ジャムの出来上がり!おススメは、ヨーグルトのトッピング。

もちろん、パンにのせて召し上がっていただいても美味しいです。

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タカサキ理事長の昔からのご縁で、天草の川野さんから毎年のように柑橘類を送っていただいていて・・・

http://pukapuka-pan.hatenablog.com/entry/2014/05/10/115518

そんなご縁でこんなに美味しい柑橘類をみなさんにもお届けしたい!とぷかぷかでの販売をすることになりました。

顔の見える付き合い、その上をいく、こころの繋がるお付き合い

川野さんの想いをぷかぷかの想いにのせて、今日もおひさまの台所で販売しています。

 

 

筑豊の「虫の家」で上映会とお話

 7月21日(土)13:30〜16:00 福岡県の筑豊にある筑豊共学舎「虫の家」(福岡県鞍手郡小竹町大字御徳167番地の30)で「相模原障害者殺傷事件2周年・追悼の集い」があります。そこでぷかぷかのプロモーションビデオカナダ版の上映と相模原障害者殺傷事件についてトークセッションします。問合せは09496−2−6003 

gujinan@utopia.ocn.ne.jp

 

 「虫の家」のホームページです。私たちの「障害」観は、短い文章ですが、本質的なところをズバッと書いています。

mushinoie.webnode.jp

 ここの代表の高石さんが去年の11月、北九州市で行った上映会とトークセッションに参加したことがきっかけで、今回の企画が立ち上がりました。その高石さんの思いは

 

  みんな“ぷかぷか”になれたら素晴らしい

                                 髙石 伸人

 高崎明さんが最初に「虫の家」に来られたのは1999年の夏でした。その際にエアコンを設置したので覚えています。当時、養護学校のセンセイであった高崎さんは、既に「全国ボランティア研究集会」などでワークショップのファシリテーターとして活躍し、全国区の名の知れた人でした。「虫の家」に来られたその時も、水俣で胎児性の若い患者の皆さんとワークショップをやった後、横浜に帰る途中で立ち寄ってくれたのだったと記憶しています。

 「虫の家」は1986年にポリオや脳性マヒの青年たちを中心に「街に出よう、街を変えよう!」をテーマに、「自立生活センター」をモデルにして始めた、いわば地域活動拠点(たまり場)でした。ボクは当初からソーシャルワーカーとして、会の事務局的な役割を担ってきたことから、たまたま条件が上手く転んで、自宅敷地を拠点建設の用地として提供する羽目になりました。それから32年、今では半数以上が代替わりして、8人の知的障害のメンバーを中心に、法律上の「地域活動支援センターⅢ型」の運営を柱に、ハンセン病資料室の開設や人権問題の学習会を開くなど、筑豊ではちょっと知られたNPO団体です。

 そんなボクたちにとっても、一昨年に起きた「相模原障害者殺傷事件」は衝撃的でした。これまで自分たちが問いかけてきたことが何だったのか、改めて、考えさせられる出来事でした。深い霧の中にいるような気分が続いているある朝、某テレビ局のニュース番組に横浜の「ぷかぷか」の日々が映し出されていて、あの飄々とした、自身が「ぷかぷか」そのものの高崎さんの、当時よりちょっと老けた懐かしい顔が何度も画面に登場したのでした。その前後に、朝日新聞の全国版でも紹介され、昨年は北九州での「映画と講演のつどい」で話を聴く機会をいただきました。「障害者を街の宝に」という願いの詰まった「ぷかぷか」の実践にこそ、相模原事件に対抗する、あるいは根っ子にあるものを溶解させるヒントがてんこ盛りなのだと気づかされたことです。生の高崎さんから届けられる「ぷかぷか」なメッセージを近隣の皆さんとも分かち合って、事件の本質にどのように向き合うかを考えていきたいと思います。是非、ご参加ください。

                (NPO法人ちくほう共学舎「虫の家」事務局長)

 

 というわけで、「虫の家」でぷかぷかの映画とお話をします。できれば高石さんと相模原事件をテーマにトークセッションができたらと思っています。あまり硬い話にならず、ゆるっとゆるむような話になれば、と思っています。

 先日ぷかぷかの近くで障がいのある人たちのグループホームの反対運動がありました。「障害者はここに住むな」「障害者はここにはいない方がいい」といってるわけで、これは「障害者はいない方がいい」と言っていた相模原障害者殺傷事件の犯人の考えと全く同じです。障害者がここに住むと犯罪、特に性犯罪が心配、といった声もありました。説明会に私も参加しましたが、もう話し合いでどうこうなる雰囲気ではありませんでした。

 「障がいのある人たちのことを知らない」「おつきあいがない」というだけなのですが、たったそれだけのことがここまで人と人を分断してしまうのです。相手の話を聞きながら正直悲しくなりました。

 で、思いついたのが、その地元の子ども達を相手にぷかぷかさん達と一緒にパン教室をやることでした。パン教室は単純に楽しいです。子ども達は大喜びでした。そこに当たり前のようにぷかぷかさん達がいました。

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  相模原事件を超える社会は、優生思想云々のむつかしい話をするのではなく、こうやってお互いが楽しいねって思えるような関係をコツコツ作っていくことだと思います。

 

 

 ぷかぷかはできて8年目になります。その間、たくさんのファンを作ってきました。「ぷかぷかさんが好き!」というファンは、「障害者はいない方がいい」という相模原障害者殺傷事件の犯人と正反対の位置にいます。正反対の位置するような人をどうやって作り出したか。

 ファンを作るコツは障がいのある人たちを社会にあわせたりせず、そのままでいてもらうことです。ぷかぷかはできた当初、接客の仕方がわからず、講師を呼んで接客の講習会をやったことがあります。何のことはない「接客マニュアル」通りやりなさい、ということだったのですが、マニュアル通り振る舞うぷかぷかさんの姿が気色悪くて、もう一日でやめました。で、どうしたかというと、もうマニュアルなんか使わず、ぷかぷかさんそのままで行こう、ということにしたのです。

 決して接客がうまいわけではないのですが、ぷかぷかに来るとなんかホッとする、と言うお客さんがたくさん現れました。接客マニュアル通りやるとか、社会にあわせるとかしなくて、彼らのそのままの姿にファンがついたのです。

 「障害者はいない方がいい」といわれた彼ら自身が、彼らのそのままの姿でファンを作り、相模原障害者殺傷事件を超える社会をコツコツ作っているのです。ともすれば「優生思想」云々と硬い話に終始する私たちよりも、はるかに確実に社会を変えているのです。そのことに私たちは気がついた方がいいと思います。

 

 

 事件後「障害者を守る」という動きが活発になりました。「守る」というのは「囲い込む」ことであり、「生かさず、殺さず」になってしまいます。

 「ぷかぷか8周年」にも書いているように、ぷかぷかは外部とのコラボを通して、ぷかぷかさん達と一緒にどんどん前に進みます。守るどころか、垣根をどんどん取っ払って、新しい価値を創り出そうとしています。彼らがいてこそ、社会は豊かになる。そういったことをたくさんの人たちと共有したいのです。

 こういったことをやり続けることが相模原障害者殺傷事件を超える社会をダイナミックに作っていくのだと思います。

  ダイナミックに作っていく、いい言葉ですね。それくらい元気にやりましょう!

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