ぷかぷか日記

ツナガルキモチ

ヨコハマプロジェクトのスタッフの方から4月28日ツナガリウォークの参加のご案内をいただいてから、『ツナガル』という言葉が、ずっと頭の中に漂っているような感じがありました。『ツナガル』『ツナガリ』ってなんだろう。

ツナガルツナガリツナガルツナガリツナガルツナガリ・・・・・・・・・・

人は生まれる前からお母さんとつながっていて、そして誕生し、次は家族というツナガリができ、親戚、友達、ご近所、先生・・・ツナガリは続く。

私たちは無意識下でも意識下でも必ず誰かとつながっている。

 

ツナガリウォークはそれを再認識させてくれたイベントであった。

ぷかぷかのブースにはぷかぷかさんの家族が顔を店に来てくれたり、同じ活動をしているチームのみんなが買いに来てくれたり、いつもぷかぷかに買いに来て下るお客様がわざわざ来てくださったりと今までのツナガリをたどって来てくださった。

そしてそこで初めて買ってくださったお客様。新しいツナガリ。

普段あまり販売を担当することのないあるぷかぷかさんが、

「お客様を前にしたら言葉はゆっくりはっきりと。そしてきちんと顔を見ることが大切です。」私にそう言いながら一生懸命丁寧に接客をしていました。

あなたの気持ち、お客様にきっと伝わる・・私はそう心で思いながら、だから人はツナガッていけるのだと感じました。

ツナガリウォーク。今後も新しい展開もあるのでしょうか。

これからもみんなでツナガッていきましょう。

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ツナガリウォーク with ぷかぷかさん

 ぷかぷかさんと一緒に、「ツナガリウォーク in 横浜 2018」へ参加してきました~。

イベント記念Tシャツをぷかぷか風にアレンジして身につけたりして、思いっきり

ぷかぷかの存在をアピール!ぷかぷかさんの笑顔も弾けていました。

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ワークショップでは、段ボールを切って、重ねて、貼り付けて。

作り上げた恐竜たちは、とっても可愛らしい!

ひと箱の段ボールが作り手の思いが加わると、こんな表情が生まれてあんな形になるんだなぁ~なんて側で見ていても楽しかった。

作っているみんなは、もっと楽しかったのだろうな!

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パン、お弁当、焼き菓子、アートグッズも飛ぶように売れていきました。

「クリームパン、もう売り切れちゃった?残念…あんなに美味しいクリームパン初めてでした、今度はお店に行きますね!」なんてお褒めの言葉もいただいたりして…

嬉しいですねぇ~

 

パン教室で出会って以来、ぷかぷかさんのファンになってくれたコウ君も

遊びに来てくれました。

ギューっと抱っこされたコウ君、ちょと恥ずかしかったかな?

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とってもいい天気の中、霧が丘の街を飛び出したぷかぷかさんたちが

多くの方とツナガった一日でした。

ぷかぷかさんと語らい、ぷかぷかさんと作品を作り、ぷかぷかさんと一緒に笑顔に

なっていた皆さんは、きっといい一日を過ごしたと思います。

ぷかぷかさん、ありがとう。

みなさんの力は偉大です!

 

そして出勤日のこの日、いつもとは違う駅集合や現地集合にもしっかりと対応してくれたぷかぷかさんたち!本当にお疲れ様でした。

 

 

 

ツナガリウォーク、気持ちのいい一日でした

 4月28日、ツナガリウォークに参加してきました。

yokohamapj.org

 いいお天気で、気持ちのいい一日でした。障がいのある人もない人もごちゃ混ぜで、のんびり、気持ちよく過ごせた一日でした。

 

 ぷかぷかはお弁当、パン、焼き菓子、アートグッズの販売、それに段ボールを使ったワークショップをやりました。

 ものすごい人出で、お弁当、パン、焼き菓子は1時間ほどで完売。お弁当はなんと160個も作って持って行きました。それが瞬く間に売り切れました。

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 段ボール箱を使って怪獣を作るワークショップをやりました。ワークショップといっても、場所柄、通りかかった人がばらばらに参加するので、家族単位の怪獣作りになり、ワークショップをやることで、新しい関係が生まれるとか、新しいものを発見する、というところまでは行きませんでした。

 ま、それでもそれぞれが怪獣作りを楽しんだことはすごくよかったなと思います。特に怪獣の名前を考える、叫び声を考える、得意技を考える、という課題は、意表を突く課題で、子ども達は一生懸命考えていました。

 この課題は怪獣を作るグループの中で考えると、そこでお互いの関係性ができあがってきたりしておもしろいのですが(これがワークショップです)、今回はそれができなくて残念でした。

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www.youtube.com

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つながりウォークの始まり。こんなにたくさんの人が集まりました。これからみんなで歩きます。

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パレードのあと、怪獣はみんなばらしたのですが、この子だけは家に持って帰りました。

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 遠く新潟大学から二人の学生さんがボランティアで駆けつけてくれました。すごくいい体験になったようでした。どうもお疲れさまでした。

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 障がいのある人もない人も、なんの違和感もなく、楽しく過ごせた一日でした。

 社会全体ががいつもこうだといいな、と思いました。そうでない社会をこんな雰囲気に変えるにはどうしたらいいのか、そこのところこそきちんと考えなくては、と思いました。

 いい一日でしたね、ですませないこと。こんな一日をもっとたくさん、もっとあちこちで作り出すのはどうしたらいいのか、をみんなで考えること。それが大事だと思います。

 

 障がいのある人たちのグループホーム建設の問題で、グループホームができても、障害者は誰もが通っている団地の中の道路は使わせない、というひどい話がありました。バス停までの、誰もが使う道路を使うなというのです。障害者は遠回りしろ、と。そんなことをいうのはおかしい、という感覚が地域社会にないことが怖いと思います。

 今日はみんなで海岸縁の道路を気持ちよく歩きました。当たり前のことですが、障害者はここを歩くな、ほかの道を歩け、という話は誰からも出ませんでした。そんな話はおかしいからです。でも社会に中ではそんな話が当たり前のように出て来るところもあります。どう考えても社会がゆがんでいます。

 障がいのある人もない人も、みんなで楽しく歩けば、お互い気持ちのいい一日が過ごせます。障がいのある人たちをを排除すれば、その地域はすっきりして、みんなが気持ちよく過ごせるのでしょうか?

  障がいのある人たちを排除するのではなく、一緒に生きていった方がいい、その方が社会が豊かになる、とぷかぷかは日々言い続け、そんなふうに思える関係を作り続けています。ですからぷかぷかのまわりは、毎日がツナガリウォークのような雰囲気が実現しています。

ぷかぷかさんと「哲学対話」

 立教大学教授の河野哲也さんが学生さんと一緒にぷかぷかさんと「哲学対話」をしに来ます。「哲学対話」といってもむつかしい話をするわけでもなく、対話を通して真理を探っていく方法です。

 文学部教育学科で特別支援教育に関心のある学生さんを連れてくるようです。立教大学の教育学科はなかなかおもしろいことをやっていて、ちょっとのぞいてみたいくらいです。

www.rikkyo.ac.jp

 

 河野さんは『こども哲学で対話力と思考力を育てる』などの本を書かれています。NHKの「こどものための哲学」の番組にもかかわっています。

www.nhk.or.jp

 

 河野さんとは去年、立教大学であった「哲学プラクティス」の集まりでお会いしました。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 河野さんにとって、ぷかぷかは以前から気になっていたようで、いつか見学に行きます、という話を伺っていました。それが5月21日(月)、ようやく実現します。

 ぷかぷかさんと「哲学対話」をしたい、という発想がおもしろいと思います。漠然とおつきあいしたい、というのではなく「哲学対話」をすることで、障がいのある人たちことをより深く知りたいということです。そういうアプローチは今まで聞いたことがないので、きっととんでもなく面白いものが出てくるのではないかと今からわくわくしています。

 ぷかぷかさんと「哲学対話」をするというのは、どこまでもフェアな関係での対話です。この姿勢がいいなと思います。相手が障がいのある人だと、対話も上から目線のものになりがちですが、「哲学対話」には相手に対する敬意が感じられます。相手ときちんと対話しよう、対話を通して一緒に真理を探っていこう、という姿勢です。

 特別支援教育は、障がいのある人たちは「あれができないこれができない」「こういう問題を抱えている」、だからこういう教育が必要、といった発想ですが、「哲学対話」は全く違う発想でぷかぷかさんに迫ります。一人の人間として相手と向き合う姿勢がなければ「哲学対話」は成り立ちません。

 中身を掘り下げていく対話には、ただ漠然と対話するのではなく、それなりのテクニックというのか、対話が深まっていくような言葉が必要です。適当に話をしていたのでは、対話はいつまでたっても深まっていきません。どういう言葉を投げかければ対話が深まっていくのか、そのあたりのことをいつも考えながら対話をすすめていく必要があります。

 そういう意味で「哲学対話」の専門家である河野さんや、その門下生によるぷかぷかさんとの「哲学対話」には、ものすごく期待するものがあります。うまくすれば今までにない新しい「障害者観」が出てくるかも知れません。彼らと一緒に生きていくことの新しい価値みたいなものも見つかるかも知れません。

 

 「哲学対話」の相手をするぷかぷかさんは、アマノさん、ショーへーさん、ナカタクさん、セノーさんを一応考えています。みなさんなんともおもしろい話ができる方たちなので、深い哲学対話ができるのではないかと期待しています。

 ★とても貴重な機会なので映像の記録を撮りたいと思っています。どなたか手をあげていただけるとうれしいです。

子どもの将来を自分で作り出す

 ケヤキの木を相手にワークショップをやったとき、目の見えない子どもが参加しました。

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 目が見えなくても、みんなと同じように大きなケヤキの木にさわり、耳をあて、こうやって木の中を流れる水を描きました。

 この子どもの通っている盲学校の保護者がぷかぷかに見学に来ます。目の見えない人たちにとってぷかぷかに参考になることがあるのかどうか私はよくわからなかったのですが、問い合わせてきたお母さんはぷかぷかの大ファンのようで、お店に来るだけでなく、上の写真のようにワークショップに参加したりしています。とにかくぷかぷかのこの雰囲気を盲学校のお母さんたちに伝えたい、とおっしゃってました。

 子ども達の将来のことをみんな心配していて、いろんなところを見学しているようでした。いろいろ見学しても、子どもにぴったり合ったところなんてないし、だったら子どもと二人で働けるような仕事を自分で作りだした方がいいですよ、という話をしました。

 子どもの将来はどこかにあずけるものと考えていて、自分で作り出す、なんてことは全く考えもしなかったので、なんだか背中を押された気がしました、とすごく元気な声が帰ってきました。

 

 先日利用者さんの首に「私はうそつき」などと描いた札をぶら下げたひどい施設の話を書きましたが

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 選ぶ施設によって本人の人生が全くちがうものになってしまうという理不尽な現実があります。障がいのある子ども達は自分で人生を選ぶことがとてもむつかしいと思います。だったら親御さんが子どもと一緒にどういう人生を生きたいのかを考え、自分で一緒に働く場所を作ることはひとつの選択肢としてあってもいいような気がします。

彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。

 上から目線の関係が、どういうことを招くかよくわかる記事です。

mainichi.jp

 ひどいというか、恥ずかしいというか、よくこんなことをするな、ともうあきれてしまいます。上から目線の関係は、結局のところこんなふうに、もう相手に何やってもいいような錯覚に陥ってしまうのではないかと思います。

 相手に何やってもいいという錯覚は、相手を人として見られなくします。相手を人としてみられなくなるとき、自分もまた人でなくなります。つまり、相手に何やってもいいという感覚は、自分の中から人間を奪ってしまうのです。

 まっとうな人間であれば、人の首に「私はうそつき」などと書いたカードをぶら下げたりはしません。そのまっとうな人間がどうしてこの施設にはいなかったのか。それはこの施設だけの問題なのかどうか。そこを考えることこそ大事な気がします。

 

 ぷかぷかは障がいのある人たちとどこまでもフラットな関係を作っています。フラットな関係を築くことで、私たち自身が彼らの前に人として立つことができると考えています。

 ぷかぷかを立ち上げる前、横浜市空き店舗活性化事業に応募し、書類審査が通ったあと最後のプレゼンテーションでこの「彼らのおかげで私たちは人として立つことができる」と語っています。

pukapuka-pan.hatenablog.com

 

 彼らの前でどういう立ち方をするか、そのことが一番の問題なんだと思います。

 

 

  

 

 

 

 

セノーさんのおかげで、いい人生。

先日セノーさんのお父さんの誕生日に朝一番

「誕生日おめでとうございます。ケンスケくんのおかげでいい人生、生きていますね。」

ってメッセージ送ったら、

「ありがとうございます。今、ケンスケが幸せなのは高崎さんのおかげです。」

と返ってきたので

「いやいや、私も彼のおかげでいい人生送らせていただいています。」

と返しました。

 これは正直な私の気持ちです。人の心をこんなにも癒やしてくれる人は、そうそういません。

 心を癒やされているのは私だけではありません。たくさんの人が癒やされているから、あんなにもFacebookに記事が上がるのだと思います。

 そのFacebookを見て、先日はわざわざセノーさんに会いに来た方がいました。そのことをFacebookにアップしたら、仙台の方が

「私も会いに行きたい」

と書き込みをしていました。セノーさんて、日本中の人の心を癒やしてるんだと思いました。

 

 セノーさんとの出会いはもう10年ほど前。彼が養護学校高等部2年生で私が担任をやったときです。当時毎日のようにマックに行き、ぶくぶくに太っていました。なんとかやせて欲しいと思い、思い立ったのがこれ。

 ある日一緒に給食食べながら

「あれっ!セノーさん、目がすごく赤いよ、これはまずいよ、糖尿病だよ」

「糖尿病って?」

「糖尿病はマックのハンバーガーのような脂っこいものを食べる人がかかる病気ですよ。」

「ふ〜ん、それで」

「糖尿病になると、体のあちこちが腐って、ボロッと落ちます。」

「ボロッと落ちる?」

「そう、たとえば朝おしっこするときに、大事なところが腐ってボロッと落ちるのです」

「そうすると女の子になってスカートはいてくるの?」

「!」

この辺のセンスが昔からすばらしい。

「こんなに赤いのは、もう末期的症状だよ」

「マッキドナルドですか」

「!」

頭の回転とセンスのよさ。

今もやっている目のチェックは、ですからもう10年以上やっているのです。うれしかったのは、卒業後しばらくほかの作業所に行ってて、何年ぶりかに会ったとき、真っ先にやったのはこの目の検査と落ちなかった検査。ちゃんと憶えててくれたんですね。タカサキといえば目の検査、というふうに。

「ちょっと目見せて、あっ!赤いよ、これまずいよ」と「今朝はおしっこしたときボロッと落ちなかった?」はセノーさんと私の合い言葉です。

 結局目の検査は糖尿病対策にはなんの役にも立たなかったのですが、セノーさんとの関係はすごくいいものになった気がします。

彼のおかげで本当にいい人生生きています。毎日のように下の写真のようなことやってます。いい人生というのは、こういうことを言うのだと思います。

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ぷかぷかさんとおつきあいすることは、人間であることを取り戻すこと

 今朝の朝日新聞天声人語。

 スターバックスで飲み物を買わずに居続けた黒人二人が逮捕されるという信じがたい事件が起こりました。「私たち白人が同じことをしても、こういうことがおきないのはなぜか」との投稿がSNSにあり、抗議が広がりました。それに対してスターバックスは謝罪し、5月29日午後、全米8000を超す店舗を一斉に閉じ、差別を防ぐための研修を従業員にするといいます。

digital.asahi.com

 差別に対してSNSで抗議が広がり、それに対するお店の対応。すごい国だなとあらためて思いました。

 

 障がいのある人たちのグループホーム建設に対する反対運動のことをまた書きます。

 反対運動は「障害者はここに住むな」ということです。ならば「私たち健常者が同じこと、つまり、ここに住みたい、といっても、こういうことがおきないのはなぜか」といった抗議が出ても良かったのですが、そういった声は残念ながら一切ありませんでした。私も含め、こちら側の情けないほどの力不足です。

 「障害者はここに住むな」と言って当然、という雰囲気が現場にはありました。どうして相手が障害者なら、そんなことが許されるのか。もし自分が「ここに住みたい」と言って、そんなふうに言われたらどんな気持ちになるか、といった想像力が、ここには一切ありません。

 想像力の欠如は人の心を貧しくします。

 「人の痛みが想像できる」ということが人であることのすばらしさだと思います。

 ぷかぷかさんとおつきあいがあれば、「障害者はここに住むな」といった言葉は絶対に出てきません。彼らとおつきあいすることで、私たちは人間であることを取り戻し、心が豊かになっているのだと思います。

 

 

 

 少し前、こんな記事がFacebookに上がっていました。

 

*「フリーダム・ライダーズ – 人種隔離バスへの抵抗」

… 1960年代の黒人公民権運動に参加した女子大生たち。

アメリカの南部地域では、20世紀の中頃になっても、人種隔離法によって、学校もレストランもトイレや乗合バスの座席も、はては救急車までもが白人用と非白人用に分けられていた。

これに抗議するボイコットや座り込みが広がり、連邦最高裁判所は1960年末に、南部の人種隔離法は憲法違反であるとする判決を出した。

しかし南部の人々の多くは、これに従わず、連邦政府も強制措置はとらず、差別の実態はなにも変わらなかった。

その半年後、10人あまりの黒人と白人のグループが南部行きの長距離バスに一緒に乗り込み、人種による座席の区別を公然と破り、彼らは自分たちを「フリーダム・ライダーズ」と呼び、身の危険を賭して連邦政府の姿勢を批判した。

◆ 迫害を恐れぬ勇気ある女子大生たち

その中心になったのは、驚くべきことに、ナッシュヴィルの若い女子大生たちだった。

幼い頃から近所に住みいっしょに遊んでいた子供たちが、学齢になるにつれて差別され、まともな職業にもつけず、社会の除け者にされるのを見た彼女たちは、その悲惨な差別に憤り、公然と黒人が乗るバスに乗って隣に座って、黒人公民権運動を鼓舞した。

彼女たちは、白人至上主義者たちに襲撃され、殴られ、つばを吐きかけられ、警察に逮捕されたが、警察署でも公然と胸を張り、実名を名乗り、釈放されると、「黒人を差別するのは間違っている。彼らもまた、私たちと同じ人間だ」と声を挙げ、ついに多くのクラスメートたちの共感を得ていった。

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これからどんな風に物語が広がっていくのか、すごく楽しみ

 淡路島で自然農法をやっているビオアグリの代表柏木さんが来ました。ぷかぷかとコラボをするためにぷかぷかを見たいということと、20日に東京の目黒にアンテナショップをオープンするので、その打ち合わせできました。

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 お店にはビオアグリメンバーの似顔絵も飾ろうと思っています。段ボールの素朴な額に入れる予定です。

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 アンテナショップではビオアグリの商品と並んで、ぷかぷかのパン、焼き菓子なども販売します。ビオアグリの豆を3種類練り込んだぷかぷかのパンのほか、ハード系のパン、焼き菓子などです。焼き菓子はいずれビオアグリで育てているハーブを入れたものを作りたいと考えています。まさしくコラボ商品です。

 ビオアグリの商品に使うラベルはぷかぷかが作りました。

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 自然食品を扱うお店は多いので、よほど特色ある商品でないと売れない。そういう意味でぷかぷかとコラボした商品には、ここにしかない物語があって、絶対に売れます、と柏木さん。なかなかの戦略家です。

 この味のある手書きのラベルを見れば、絶対に買いたくなりますよ、とおっしゃってました。どこかホッとするようなこの雰囲気こそ、ここにしかないオリジナルなもの。このホッとする雰囲気の中で、おいしくて健康的なビオアグリの商品が街の中に出ていきます。

 これがビオアグリとぷかぷかがコラボすることで生まれる新しい価値です。ビオアグリの人たちの思いと、ぷかぷかさん達の思いがコラボしたのです。

 こんなすてきなラベルは誰が作ったの?という話が多分出ると思うので、時々ぷかぷかさんに店頭に立ってもらおうかと考えています。福祉事業所のお店ではなく、ふつうのお店の店頭にぷかぷかさんが立つことの意味はものすごく大きいと思います。「ぷかぷかしんぶん」も置いてもらい、新しい情報発信基地になります。 

 車で40分ちょっとなので、週に一回くらいはお惣菜も運んで販売する方向で検討することになりました。

 今日の「ぷかぷかさんのお昼ごはん」にはビオアグリの青大豆がでました。 

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 ビオアグリで作ったハーブを入れた焼き菓子、フォカッチャ、ビオアグリの野菜を使ったピクルスなど、コラボ商品がどんどんできあがってきます。

 淡路島では近々カフェを開くそうなので、そこで使うコーヒーカップ、お皿なども作ろうかと思っています。

 

 二人の画伯が柏木さんの似顔絵を描きました。

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 これからどんな風に物語が広がっていくのか、すごく楽しみです。

 

pukapuka-pan.hatenablog.com

bioagri.jp

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排除される側は、どこまでもやさしい

 Facebookに載ったセノーさんの寝顔を見てファンになり、訪ねてきた方がいました。 

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www.youtube.com

 

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 うれしいですね、こんなふうに訪ねてきてくれるなんて。

 セノーさんは寝ながらファンを増やし、社会を変えているのだと思います。

 私たちがいくら声高に「共生社会を目指そう」とか「共に生きる社会を作ろう」と叫んでも、そういう社会はなかなか実現しません。いろんな活動をしても、思うように前に進みません。

 セノーさんはそんな言葉はひとことも言いません。でもこうやって、みんなが気持ちよくいっしょに生きる社会に向けて確実に一歩を踏み出しているのです。

 しかも、寝ながら、です。ここがセノーさんのえらいところです。そうやって社会を動かすチカラを持っているのだと思います。そこに私たちが気づくかどうかだと思います。

 8年前、広場に一本の柱を立てたのは私ですが、その広場を育てたのはセノーさんをはじめとするぷかぷかさん達だったとあらためて思うのです。ぷかぷかさん達のそのままの魅力が広場を育てたのです。

 

 相模原障害者殺傷事件以降、障がいのある人たちを排除する社会が変わったかといえば、ほとんど変わっていません。障がいのある人たちのグループホームを建てようとすれば、相変わらず反対を声高に叫ぶ人が現れます。そして残念なことに、そういう人たちに届く言葉を私たちは持ち合わせていません。

 差別の問題は、言葉で乗り越えていくのはむつかしい、とグループホ−ムの説明会に参加した時、つくづく思いました。ぷかぷかの映像ですら、「こんないいところばかり撮った映像なんか見たくない」などといわれたのですから。

 そんな中でセノーさんの寝顔を見てファンになりました、という人が現れたことは、大きな希望を見た気がしました。こうやって社会が変えられる、こうやって相模原障害者殺傷事件を超える社会を作っていける、という希望です。喧々がくがくの議論ではなく、彼らのありのままの姿を差し出すことで、社会が少しずつ変わっていくということです。

 これは決して社会から排除される側からの反撃ではありません。反撃は新たな対立を生むだけです。問題解決に向けて、そうではない提案をぷかぷかさん達はしているのだと思います。

 排除される側は、どこまでもやさしいのです。そのやさしさに気づいた人たちがファンになるのかも知れません。

 

 

 

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