ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ぷかぷかさんのいる町
     8月4日(土)のぷかぷか上映会では、午後に上智大学新聞学科で映像を専攻している石井さんの作品「ぷかぷかさんのいる町」を上映します。     石井さんのブログ  2016年の夏、相模原で起きた障害者施設殺傷事件。19人の方が亡くなった悲惨な事件。「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、驚きと哀しさの気持ちでいっぱいになった。   それは違うと自分の中で言い切るために、障害者の人たちと関わってみたいという気持ちが沸き起こった。そんな時に見つけた、朝日新聞の記事。「障害者はいた方がいい 一緒に生きるパン屋の日常」。  これは行ってみたいと思った…     そんな思いで石井さんはぷかぷかにやってきました。取材すること2ヶ月。10分ほどの作品にまとめました。  取材しながら、ぷかぷかさん達のと素敵な出会いがたくさんあったようです。それがよく見える映画です。セノーさんの仕事を通して地域とのつながり、そのことの意味も明確に語っています。セノーさんのことを楽しそうに語る近くの郵便局の局長さんの映像からはぷかぷかが地域でやってることが見えます。  自分にとって、あるいは地域社会にとって、ぷかぷかさんいるってどういうことなのか、を映画の後半であたたかく語ります。それはぷかぷかさんの日常を撮る中で見えてきたことです。「ぷかぷかさんのいる町」というタイトルには、そんな思いが込められているように思いました。あたたかさを感じるタイトルです。  そして何よりも、このタイトルを持ってくることで「障害者は不幸を生むことしかできない」という犯人の供述に、それは違うといいきったような作品になったと思います。わずか10分の映像で、それを語った石井さんに拍手!です。     あらためて思います。犯人が石井さんのような出会い(障がいのある人たちとの)をしていれば、事件は起こらなかった。だから、犯人がやまゆり園にいたことの意味は、ものすごく大きいと思います。  石井さんがもし津久井やまゆり園に取材に行ってたら、障がいのある人たちとこんな出会いはなかっただろうし、こんな作品もできなかったと思います。  図らずも、事件の核心部分が見えてくるような作品になった気がします。    事件から2年。「決して忘れない」とあちこちで聞かれた言葉も、どこへ行ってしまったんだろう、と思ってしまう今。若い学生さんがこんなすてきな映画を作ってくれたことは、大きな希望だと思います。    ぜひ見に来て下さい。若い学生さんの熱い思いにふれて下さい。      
  • そのままで行けてるじゃん!
      接客の講習会で、接客マニュアルに合わせると「気色悪い!」ということがわかり、以来、接客マニュアルに合わせることはやめました。それは社会に合わせることをやめることであり、彼らのそのままで行く、ということでした。  でも、彼らのそのままで行く、というのは大きな冒険でした。障がいのある人たちは社会に合わせないとやっていけない、と言われ、社会はそれを要求しているからです。  昔、障がいのある子どもの放課後支援をやっている人が、子ども達が将来うまく社会に適合できるように支援しています、というようなことを言っていましたが、養護学校も、特別支援学校も、福祉施設も、ほとんどがそういう方向で障がいのある人たちを支援しています。本人も親御さんも、そのために大変な努力、苦労をしています。  障がいのある人は、「そのままではだめだ」というわけです。    お店の接客という社会の接点で、そのままの彼らで行く、というのは、そんな社会に対する大きな挑戦であり、問いかけだったと思います。 「そのままの彼らでは、本当にだめなのか」 「社会に適合できるように訓練しないと、この社会では生きられないのか」 という問いです。  彼らは、いわば「素手」で、社会の前に立ったのです。    で、ドキドキしながらやってみたら、思いがけず、そんな彼らが好き!というファンが現れたというわけです。  パンを買いに来たら、食事をしに来たら、お客さんにとっても、心がキュンとなるほどのいいいものに出会ってしまったのだと思います。社会に合わせない、そのままのぷかぷかさん達の魅力に、です。    彼らは社会に合わせるよりも、そのままの方がずっと魅力的なのです。社会に合わせることを強いるのは、彼らの魅力を見えなくするということです。これは社会にとって大変な損失ではないかと思います。  ぷかぷかは彼らの魅力のおかげで、たくさんのファンを作りました。ファンはぷかぷかさん、つまりは障がいのある人たちといい出会いをした人たちです。そういう人が増えることは、社会が豊かになるということです。  そんなふうに考えていくと、障がいのある人たちを社会に合わせようとすることは、社会が豊かになる機会を減らすことになり、これは社会の損失になります。実にもったいない話です。    ぷかぷかはぷかぷかさん達が作り出したファンの方たちに支えられています。経営的にはまだまだ苦しいですが、とりあえずは回るくらいのお金はぷかぷかさん達が稼いでいるのです。社会に合わせる訓練なんかしなくても、そのままで行けてるじゃん!というわけです。        8月4日(土)のぷかぷか上映会で、午前中に上映する第一期演劇ワークショップの記録映画の最後に、ぷかぷかさん達が働くシーンが出てきます。演劇ワークショップという非日常の世界のあとだけに、そのシーンはとても新鮮で、何よりも彼らの働く姿が「カッコいい!」のです。芝居もカッコいいけど、働く姿もカッコいいのです。  そんなカッコいい彼らをぜひ見に来て下さい。      
  • 「気色悪い!」が発端で生まれた新しい価値
     ぷかぷかを始める前、入賞すれば650万円もの大金をゲットできる空き店舗活性化事業にエントリーしました。説明会には、その道の強者、といった雰囲気の人がわんさと集まっていて、もう見ただけで気後れしてしまいました。それでもなんとか書類審査に通り、なんとかヒアリングに通り、最終審査のプレゼンテーションまで行きました。  そのプレゼンで読んだ原稿に「生産性」とはちがう価値を見つけたい、というふうなことを書いていました。    彼らと一緒に働くことは、生産性の面からみると、極めて厳しいものがあります。彼ら抜きで働いた方が、ずっと効率はいいでしょう。でも、効率のみを追い続ける社会はお互いがとてもしんどくなります。世の中に一つくらいは、効率のよさを追わないところがあってもいいのではないでしょうか。  効率をこえる価値を、彼らと一緒に働くことの中に見つけることができれば、彼らにとっても私たちにとっても、大きな希望になります。彼らと一緒に楽しく働きながらも、パン屋を回していけるだけのお金を稼ぐ、といったことがどこまでできるのか、効率を超える価値は見つけられるのか、ぷかぷかは壮大な実験の場でもあるような気がしています…    こういった思いが審査員に届いたのかどうか、なんだかおもしろいことが始まりそうと期待が集まり、なんと650万円ゲットできたのです。  ま、それはともかく、ぷかぷかを始める前から、そういった「生産性」とはちがう価値を見つけたいと、なんとなく思っていました。ただ、具体的にどうやってその価値を作っていくか、というところは曖昧でした。彼らと一緒に働く中でなんとなく見つかるんじゃないか、と漠然と思っていました。  その新しい価値は、全く思いもよらないことがきっかけで、ぷかぷかさん自身が作りだし、お客さんがそれを見つけたのです。  ぷかぷかを始める前は養護学校の教員をやっていたので、接客というものをどうやってするのか全くわかりませんでした。で、講師をお招きして、ぷかぷかさんとスタッフで、接客の講習会をやりました。  「接客マニュアル」というのがあって、その通りにやれば、それなりに上手と思われるような接客ができます。マニュアルには「いらっしゃいませ」「お待たせいたしました」「かしこまりました」「少々お待ちください」といった決められた言葉があって、両手を前にそろえて、これを繰り返し練習すると、なんとなく上手な接客ができるような気がしました。  ところが実際にぷかぷかさんがやってみると、なんだか「気色悪い!」のです。私は彼らに惚れ込んでぷかぷかを始めたのですが、接客マニュアル通り振る舞うと、もう彼らじゃない、というか、無理に自分でないものになろうとしていて、なんか、気色悪かったのです。自分を押し殺し、接客マニュアルにあわせようとする彼らの姿は、ただただ痛々しくて気色悪かったのです。   この先、毎日気色悪い思いをするなんて、考えただけでぞっとしたので、講師の先生は一日でお断りし、もう自分たちで考えてやることにしました。お客さんに不愉快な思いをさせない、ということだけ守ってもらって、あとは自分で考えてもらうことにしたのです。  接客マニュアルを使わないので、ひょっとしたら、 「え〜!ここは接客の仕方も知らないのか!」 と、お客さんが帰ってしまうかも知れません。うまくいかないリスク99%といっていいくらいでした。でも、あの気色悪さを思うと、もう自分たちでやるしかありませんでした。  ところがふたを開けてみたら、 「ぷかぷかさんが好き!」 というファンが現れたのです。全く想定外のことでした。決してうまくない接客ですが、ぷかぷかさんのあたたかな、楽しい人柄がストレートに伝わったようでした。 「ひとときの幸せをいただきました」 「また笑顔をいただきに行きます」 といったメールをいろんな人からいただいたのです。いやぁ、これは本当にうれしかったですね。    接客マニュアルは、「生産性」の論理から生まれたマニュアルです。その論理に合わせようとすれば、自分を押し殺すしかありません。「自分らしさ」はだめなのです。気持ちがなくても、笑顔を作らなければいけないので、顔が引きつります。  そういうことに「気色悪さ」の中で気がついたのです。だから、もう自分らしく行こう、それを大切にしよう、そう思いました。  ですから、ぷかぷかに来ると本物の笑顔に出会い、本物の笑い声に出会います。あたたかな、ホッとする雰囲気に出会います。自由に生きるぷかぷかさんに出会います。  「ひとときの幸せをいただきました」  「また笑顔をいただきに行きます」 の言葉はお客さんが見つけた新しい「価値」を明確に語っています。「生産性」の論理でははかれない、社会を豊かにする「価値」です。      皮肉にも、生産性の論理そのものである「接客マニュアル」を使おうとしたことが、ぷかぷかで、生産性の価値でははかれない新しい「価値」を作りだしたのです。      8月4日(土)のぷかぷか上映会は、そんな新しい「価値」をあちこちに感じられる上映会です。ぜひお越し下さい。
  • 新しい「価値」を一挙公開!
     杉田水脈 自民党・衆院議員の「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」(『新潮45』8月号)という発言に対する抗議集会。  始まってから5分20秒くらいからの映像がすばらしい。 mainichi.jp  力強いメッセージ。なんかちょっと感動しました。メッセージを発する男性のすぐ後ろにいる女性の泣き笑い顔は、もうそれだけで伝わってくるものがあって、胸が熱くなりました。  杉田議員の貧しい発想をはるかに超える豊かなものがこの場から生まれているような気がしました。  杉田議員の発想の貧しさを批判するだけでは、何も生まれません。  「生産性」で人を価値づける発想を超えるものをみんなで作る。そこにこそ力を注ぐべきだと思います。    ぷかぷかはぷかぷかさん、つまり、障がいのある人たちに支えられているお店です。「生産性」で人を価値づける価値観から見ると、一番下のラインにいる障がいのある人たちにぷかぷかは支えられています。彼らがいなければ、何のおもしろみもないただのパン屋であり、ただのお惣菜屋であり、ただの食堂、ただのアートスタジオです。  ぷかぷかさん達がいるから、こんなにもおもしろいお店ができ、こんなにもおもしろい物語がたくさん生まれました。このおもしろさのおかげでたくさんのファンができ、ファンは売り上げを作りました。  「生産性」という価値観から外れる人たちが、売り上げをしっかり生み出しているのです。  「生産性」ではかるのではない、新しい「価値」がここにはあります。それは売り上げを生むだけでなく、社会の豊かさをも生み出しています。    ぷかぷかが創り出した新しい「価値」を一挙公開するのが8月4日(土)のぷかぷか上映会です。この新しい「価値」は、息苦しい社会を救います。私たちにホッと一息つかせてくれます。ぜひ新しい「価値」に出会いに来て下さい。
  • NHKスペシャルで見えてきたこと
     先日放送された相模原障害者殺傷事件をテーマにしたNHKスペシャルで、やまゆり園の現場が重い障がいのある人にどのように対応していたかがよくわかる映像がありました。  徘徊がひどく、見守りが困難だとして毎日のように「身体拘束」される女性の話がありました。多い日は12時間を超えることもあったそうです。その結果、女性はだんだん意志を示さなくなったといいます。  私は映像を見るだけで辛くなりましたが、現場のスタッフで、こういうやり方はおかしい、こんなことはやめよう、と思う人はいなかったのでしょうか。  12時間を超える「身体拘束」は、どう考えても異常事態であり、明らかに人権侵害です。誰が見ても、これは「支援」ではなく、「虐待」です。  結局のところ、こういうことに心を痛める人がいないような支援の現場だったのではないかと思います。  事件は犯人の特異性によるものとされていますが、現場のこういう雰囲気こそ、犯人の障がいのある人を見る目を養ったのではないかと思います。  『そよ風のように町に出よう』終刊号で相模原障害者殺傷事件についての対談がありました。   「…ボクも植松くんに精神障害っていうレッテルを貼って解決する問題ではないと思っています。ではどうして彼のような人間が生まれたのか。植松くんは施設に勤めている時は非常に腰が低いというか「これから勉強します」っていう、仕事に対して前向きな、いい青年らしい発言をしているわけですよね(正式採用後、「津久井やまゆり園」家族会の機関誌「希望」に記載された彼の挨拶文)。そういう青年が3年間施設にいて、最後の数ヶ月でああいう精神状況に変貌したと思いますけれども、どうしてこういうふうになっちゃうのかなと、そこをボクは一番考えたいなと思ってます。」   「前の家族会の会長もいってましたけど(就労支援施設「シャロームの家」主催の集会(2017年2月27日)での尾野剛志さんの講演)、日頃ごろごろ寝転んでテレビばっかり見てたり、そんな職員が目立ってた。そこに突然彼が行ったらびっくりして飛び上がるって…」    そんな話と、NHKスペシャルの映像が重なってしまうのです。   去年のちょうど今頃書いたブログ    7月26日のやまゆり園事件追悼集会で出会った家族会の方も、NHKクローズアップ現代で取り上げられた植松被告の手紙にあった「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、と書いていることについて  「彼は最初はそれなりの思いを持ってやまゆり園にきたのだと思います。でも、現場がひどすぎた。だからそんなふうに思ってしまったんだと思いますよ」    相手を殺すところまで行ってしまったのは、やはり犯人の特異性が大きな部分を占めるのだろうと思います。でも、事件の動機となる障がいのある人を見る目線は、やはり現場の雰囲気で養われたのではないかと思います。やまゆり園で勤務する前は、障がいのある人にほとんど関わってないのですから。  彼が働いた現場が障がいのある人たちとどのように関わっていたのかの検証はとても大事だと思うのですが、、神奈川県の検証委員会では全くやっていません。どうしてこの一番大事な、核心部分ともいえるところを検証しなかったのか。福祉施設の安全管理体制が問題だった、と書くことで、何かすごく大事な問題をすり替えている気がします。  たまたまNHKスペシャルで明らかになった「重い障がいを持った人を12時間も身体拘束をする」といった異常な事態が支援の現場でどうして起こったのか、保護者の方が言っていた「現場がひどすぎた」とは具体的にどういう事態だったのか、「障がい者が不幸の元」という考え方に確信を持ったのはやまゆり園で勤務した3年間だった、という犯人の言葉の検証等々、津久井やまゆり園という支援の現場が障がいのある人たちとどのような関わりを持っていたのか、という問題です。  どうしてそこにこだわるのか。  今まで何度も書いていますが、犯人が下の写真のような 「いい一日を一緒に創り出すような関係」 を障がいのある人たちと作っていたら、事件は起きなかった、と思うからです。19名の命は奪われることはなかったと思うのです。だとすれば、事件の責任はどこにあるのか、犯人一人の責任にすればすむ話なのかどうか、です。 ★NHKスペシャルを見られた方、ぜひ感想をお寄せ下さい。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp   ★8月4日(土)のぷかぷか上映会にはNHKスペシャルの制作に関わった方が何人か参加します。ここしか聞けない、いろいろおもしろい話が飛び出すかも知れません。これはもう来なきゃソン!ですよ、絶対に。 pukapuka-pan.hatenablog.com                     
  • 福祉を腐らせないために、私たちはどうしたらいいのか。
     「第3回ともに生きる社会を考える神奈川集会2018」に参加した小林律子さんのFacebookにすばらしい報告が載っていました。その中のやまゆり園の入所者の生活についての話   シンポジウムの最後の方で、フロアからやまゆり園の元入所者で、地域のGHに移った息子さんをもつお父さんが発言された。 「やまゆり園の事件でいろいろ報道され、語られ、論じられているけれど、あの事件で殺された人たちがやまゆり園の中でどういう生活をしていたのか、まったく報じられていない」と。  7/21のNHKスペシャルで、端なくも、やまゆり園の支援の質と移転した先のてらん広場の支援の質の違いがくっきり出ていたけれど、やまゆり園では1日2時間の活動しかなく、土日はなにもない。一日ボーと過ごすだけ。そんな生活を「亡くなった利用者さんたちはみな、園で穏やかに暮らしていた」と法人側はいうけれど、こんな生活を50年も続けていたら、誰だって生きる目的、意欲を失い、自分の意思や願いを表出することを諦めてしまう、と。    利用者さんだけでなく、スタッフもそういう環境の中でものを考えなくなります。    その人たちを「コミュニケーションがとれない」「生きていても仕方がない」人と植松容疑者は線引きして殺したわけだけれど、そこで自分たちの支援のあり方を顧みたり、望んで施設で暮らしているわけではない、家族や社会の都合でそうせざるを得ないというそれぞれの人が背負う背景、事情に一片の理解を寄せることもなく援助の仕事をしていた自分を顧みることはない。それを利用者家族から、あるいは職員間で問われることも、閉ざされた施設の中ではなかったのだろう。    そして津久井やまゆり園を運営する社会福祉法人かながわ共同会のホームページでは事件に関する検証が全くありません。 かながわ共同会 事件から1年目に再開したホームページ ごあいさつ ~ホームページ再開について~    あれだけの事件があり、元ここの職員が起こした事件にもかかわらず、この無責任さにはあきれました。  この法人は神奈川県の職員の天下り先として有名なところだそうです。だから県の検証委員会は施設に不都合なことは書かなかった、いや、「書かせなかった」のかも知れません。そして不都合な部分は法人としても検証しない。  福祉が、こういうところで腐っていきます。    福祉を腐らせないために、私たちはどうしたらいいのか。  それは何度も書いているように、 「障がいのある人たちと一緒にいい一日を作り続ける」 こと、その中から、 「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい」と思える確かな「文化」を創り出すこと、 そして「それに共感する人を増やすこと」 だと思います。  障がいのある人たちを排除する「文化」に対して、彼らを排除しない「文化」を彼らと一緒に創り出すのです。その文化は、息苦しい思いをしている私たちをも救います。ぷかぷかに来るとホッとする、というお客さんが多いのは、そのことを語っています。    その「文化」がどういうものか、8月4日(土)みどりアートパークで行われるぷかぷか上映会に来ていただければわかります。  特に10時から上映される第一期演劇ワークショップの記録映画は、彼らとクリエイティブな関係で創り上げるワークショップの空間がいかに豊かな世界か、ということがストレートに伝わってきます。  徐々に見えてきたやまゆり園の世界とは正反対の世界です。  そういったものを私たちがどこまで創り上げることができるか、ということが、今、問われているのだと思います。やまゆり園のあり方を批判するだけでは前に進まないのです。    相模原障害者殺傷事件を超える社会を作る、というのは、やまゆり園の世界とは正反対の世界を私たちが作り出せるかどうか、ということだと思います。アーダコーダの議論も大切ですが、それよりも大切なのは、正反対の世界を実際に作ることだと思います。  午後に上映する「第四期演劇ワークショップの記録」「プロモーションビデオカナダ版Secret of PukaPuka」「ぷかぷかさんがいる町」はいずれも、その正反対の世界が実際にできている記録映像です。午前の映画とあわせて見ていただけると、ぷかぷかが創り出してきた世界の全貌が見えます。     チケットをぷかぷかの「アート屋わんど」に申し込んでいただくとオリジナルクリアーファイルがもらえます。045−923−0282。絶対トク!ですよ。      
  • お互い「いい一日だったね」って、笑顔で言いあえる関係をあちこちで作る
     昨日の朝日新聞夕刊コラム「素粒子」    みずからに問う。障害者への思いはどう変わったのか。社会を見つめる。障害者は暮らしやすくなったのか。やまゆり園事件から2年目の朝に。    事件は、そういう機会を作ってくれたのかとも思います。それぞれが障がいのある人との関係について「みずからに問う」機会です。  私自身は事件を「みずからに問う」つもりで、つたないブログを書いて書いて書きまくりました。書いても書いても、怒りや悲しみややりきれなさが収まらなくて、気がついたら85本ものブログを書いていました。 pukapuka-pan.xsrv.jp    犠牲になった人たちは 「何もしていない私たちが、どうして殺されなければならないの?」 と、やりきれない思いで死んでいったのだと思います。それは犯人だけではなく、この社会に生きる私たちみんなに向けられた重い問いだったと思います。  簡単に答えの出るものではありません。でも、この問いは、この社会において彼らと私たちの関係を端的に表すものとして、私たちに突きつけられた気がしています。 「生産性のないものは、じゃまだよ」 と、多くの人がなんとなく思っているこの社会。生産性がいつも評価の中心にある社会。障がいのある人たちが、生産性がない、と評価の最底辺に位置づけされる社会。そんな社会への重い問いだったと思います。    重い、しんどい問いです。  でも、理屈っぽい話ではなく。 「何もしていない私たちが、どうして殺されなければならないの?」 そう思う人を二度と出さないためにはどうしたらいいのか、というふうに考えてみれば、 〈 彼らとの楽しくてしょうがないようなステキな関係を作ることこそが大事 〉 であることが見えてきます。  お互い 「いい一日だったね」 って、笑顔で言いあえる関係。そういう関係をあちこちで作ること、それを広げていくこと、何よりも彼らとのそういう笑顔の一日を毎日毎日積み上げること、それがすごく大事なことであることにあらためて気がつきました。    8月4日(土)のぷかぷか上映会では、相模原障害者殺傷事件をテーマにしながら、ぷかぷかさんとの握手会をやります。 pukapuka-pan.hatenablog.com    「やわらかい手だね」「あたたかい手だね」 そこから始まる障がいのある人たちとのおつきあいを大事にしたいからです。  人は、やわらかい手の人、あたたかい手の人を殺したりなんかしません。そういうことを感じないところで事件は起きたのだと思います。犯人は、重い障がいのある人たちも、私たちと同じように、やわらかい手をしていること、あたたかな手をしていることを知らなかったのではないかと思いました。    彼らと人としておつきあいすること。たったそれだけのことを私たちはやりきれてなかったのではないか。そんなことを思う事件2年目でした。       
  • 生産性のない人が社会に必要な理由
      社会は男ばっかりでは気色悪いし、女ばっかりでも同じです。年寄りばかりでは元気が出ないし、若者ばかりでは経験の蓄積がありません。生産性のある人ばかりだったり、何事もスピーディにこなす人ばっかりだと、これもなんかすごく疲れる感じがします。  やっぱり社会には男がいて女がいて、年寄りも若者もいて、生産性のある人もいて、ない人もいて、スピーディに物事をこなす人もいれば、なかなかこなせない人もいる、つまり、いろんな人がいた方がいい。このいろんな人がいること、それが社会の豊かさではないかと思います。  自分とちがう人たちと、どうやったらお互い気持ちよく暮らせるのか、そのことを考えることが人を豊かにします。  ぷかぷかのある町にはインド人がたくさん住んでいます。彼らはゴミを出すマナーがなっていないとか、集会室を使うマナーがひどいとか、いろいろ文句を言う人がいます。でも、そもそも生活習慣が違う上に、言葉がわからなければ、トラブルが起こるのは当然です。ゴミ出しのルールを英語で書き、きちんと説明する、集会室を使うルールも英語で書き、きちんと説明する、といったことを実際にやる中で、ずいぶんトラブルは減りました。  地域に外国の人がいる、ということは、それだけで地域が豊かになります。ぷかぷかではインドの方をお呼びして料理教室をやろうと思っています。本物のインドカレーを作り、おいしいナンを焼いて食べます。  みんながそんなふうに、自分たちとちがう人がいることを楽しめれば、お互い気持ちよく暮らせるだけでなく、社会そのものが豊かになります。  ぷかぷかに来るとホッとする、という人が多いのは、社会に欠けてるものがぷかぷかにはあるからだと思います。あれができない、これができない、ああいう問題がある、こういう問題がある、と社会から排除されている障がいのある人たちが、ぷかぷかでは元気に、笑顔で働いています。そこに来てホッとする、というのは、排除してしまったものが、実は社会には本当は欠かせないものだった、ということではないかと思います。  ぷかぷかにあるホッとするような空気感は、社会が排除した人たちが作り出したものです。社会が排除したものに、社会が癒やされる、というこの大いなる皮肉。  今まで何度も話題にしているセノーさんの話を例に、この問題を考えてみます。  セノーさんは、働かない、を理由に作業所で居場所を失い、ぷかぷかに来ました。働かない、つまり生産性がないことを理由に、そこから排除されたのです。障がいのある人が働く作業所でありながら、生産性を第一とする社会の論理がそのまままかり通っていたようです。ですからセノーさんは、社会から排除された、といってもいいでしょう。  その社会から排除された人が今どうしているか。  セノーさんは毎日郵便局に前日の売り上げの入金に行きます。セノーさんは入金伝票にぷかぷかのはんこを押し、金額を書き込む仕事をします。はんこを押すために窓口のお姉さんにスタンプ台を借ります。セノーさんはふだんから言葉がなかなか出てこない人です。「あ〜〜〜」というばかりで、なかなか言いたい言葉が出てきません。郵便局でも「スタンプ台かして下さい」という言葉がなかなか出てこなくて、でも、窓口のお姉さん達は、言葉が出てくるのを毎日待っていてくれました。毎日待っているうちに、その待つ時間がとても楽しくなって、セノーさんが来るのを楽しみにするようになりました。「今日もおもしろかったね」「今日はこんなこと言ったよ」「今日はまだ来ないね、どうしたのかしら」と、郵便局のお姉さん達の話題になっていると局長さんが話してくれました。  セノーさんは「あ〜〜〜」といいながら、郵便局を耕していたのです。郵便局のお姉さん達の心を癒やしていたのです。  郵便局のお姉さん達と障がいのある人との素敵な出会いをセノーさんは作ってくれたのです。セノーさんと出会うことで、郵便局のお姉さん達の、人としての幅がグ〜ンと広がった気がしています。  仕事をバリバリやる人、言い換えれば、生産性の高い人が郵便局に行っても、こんなすてきな出会いは作れません。ただ入金の仕事をそつなくこなしてくるだけです。  セノーさんは入金の仕事をそつなくこなすことはできませんでした。でもそれ故に、人を豊かにする素敵な出会いを作りました。  これが、「セノーさんという仕事」です。社会から排除された生産性のない人が社会に必要な理由です。  下の写真、桜美林大学での授業の一コマ。セノーさんは「あ〜〜〜」といいながら、なかなか言葉が出てきません。学生さんたちは何を言い出すのだろうとずっと待っています。この待っている時間がお互いの関係を作る豊かな時間になります。郵便局のお姉さんたちとの素敵な関係はこうやって生まれました。
  • 「なんでもいいから 一番にな〜れ」を超える社会をぷかぷかさんと一緒に見つける
     8月18日(土)から第五期の演劇ワークショップが始まります。今期は宮澤賢治の『ほらクマ学校を卒業した三人』に取り組む予定です。ほらクマ学校を卒業した「赤い手の長い蜘蛛」と「銀色のナメクジ」それに「顔を洗ったことのないタヌキ」の三人が卒業後、どのような人生(?)を送ったのか、というお話です。  冒頭のほらクマ学校の校歌は(オペラシアターこんにゃく座による挿入歌ですが)この物語のテーマといっていいくらいです。   ♪ カメはのろまに 歩いて見せた ウサギだまされ昼寝した   早いはえらい 大きいはえらい 勝てばそれまで だまされたが悪い  なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ   なんでもいいから 一番にな〜れ なんでもいいから 一番になれ     今の競争社会を象徴しているような歌で、この競争故に、みんなどこかで追い詰められ、自分をすり減らし、息苦しい思いをしたりしています。(今朝の朝日新聞には自殺急増」に関する大きな記事が載っていました)  そもそもこれに乗っかれない人たちもいます。自分のペースで自分の人生を生きている人たちです。  でも社会は「生産できない人」として排除してしまいます。競争からこぼれてしまった人たちを蔑む視線は、広く社会を覆い、社会全体を息苦しいものにしています。  相模原障害者殺傷事件は、その排除がもっとも悲惨な形で起こったものだと思います。     ほらクマ学校の校歌をぷかぷかさん達が歌うと、どんな感じになるのだろうと思います。ぷかぷかさん達とは正反対の世界なので、多分違和感というか、「なんか変」という感じがあると思います。  その違和感、「なんか変」はどこから来るのか、といったところから芝居ができないかと思っています。ぷかぷかさん達と一緒に作れば、この歌を超える世界が見えてくるのではないかと思います。    第二期演劇ワークショップで『みんなの〈生きる〉』という芝居を作りました。谷川俊太郎の詩『生きる』を元に『みんなの〈生きる〉』という詩を書き、『みんなの〈生きる〉』世界を壊してしまう『むっつり大王』を考えました。社会の不満がどんどん高まってコントロール不能に陥った社会を象徴する存在です。  その『むっつり大王』をどうやってやっつけるか、が芝居の大きなテーマでした。『むっつり大王』は、実は私たちの中にある、ということがワークショップをやっていく中で見えてきました。その『むっつり大王』は「もっと働け」なんて叫んだりしていました。ほらクマ学校の校歌と同じ発想です。  「むっつり」がどうやって広がっていくかのゲームをしたとき、「むっつり」に感染しない人たちがいることがわかりました。ぷかぷかさん達のことです。  ぷかぷかさん達こそ、この「むっつり大王」を超えるものを持っていることが見えてきたのです。  芝居の中では、社会全体が「むっつり」の仮面に覆われる中で、ツジさんが一人おしゃべりをしたり、ショーへーさんが〈おひさまキラキラ〉を歌ったり、コンノさんが地域のおじさんとへんてこ会話をやったりして、なんだか楽しい雰囲気を作ります。  その楽しさの中で、「むっつり大王」は退散していく、という芝居でした。「むっつり」が支配する息苦しい社会をぷかぷかさん達が救うというお話でした。障がいのある子どものお母さんで、この芝居を見て泣いてしまったという人がいました。  ぷかぷかさん達といっしょにやったワークショップだからこそ見つけることのできた解決方法だったと思います。 pukapuka-pan.xsrv.jp    さて今回の『ほらクマ学校を卒業した三人・ぷかぷか版』でも、ぷかぷかさんと一緒にワークショップをやることで、校歌に象徴される社会を超えるものを見つけられるような気がしています。   いっしょにそれを見つけたい人募集します。芝居の経験は全く不要です。必要なのはぷかぷかさん達と一緒に、この息苦しい競争社会を超えるものを見つけたい、という思いだけです。彼らと一緒にワークショップをやると、もういろんな発見があって、あなたの人生の幅がグ〜ンと広がります。絶対にトク!です。  お子さん連れOKです。募集は10名くらい。10名になり次第締め切ります。なので、なるべく早く連絡下さい。やってみようかな、どうしようかな、と迷っている方、お問い合わせ下さい。    オペラシアターこんにゃく座の『ほらクマ学校を卒業した三人』で歌われている楽しい歌を何曲か歌います。  目くらのかげろうが蜘蛛の糸に引っかかり、食い殺されそうになったとき  「あはれやむすめちゝおやが、旅ではてたと聞いたなら、ちさいあの手に白手甲、いとし巡礼じゅんれの雨とかぜ…」 と言うセリフが出てくるのですが、これをこんにゃく座の作曲家林光さんは浄瑠璃で歌わせます。ここがすごくおもしろいので、ぜひみんなで歌いたいと思っています。    今期のワークショップは8月18日(土)、9月22日(土)、10月20日(土)、11月17日(土)、12月15日(土)、2019年1月19日(土)、1月26日(土)、発表会は1月27日(日)の表現の市場です。  時間は毎回9時15分から夕方4時まで。発表会前日と、当日は少し遅くなります。  参加費1000円とお弁当、飲み物持って来て下さい。  参加申込、問合せはpukapuka@ked.biglobe.ne.jp                045−453−8511 (ぷかぷか事務所 高崎)         
  • 子どもと一緒にどんな人生を作っていこうか、って考える方が…
     先日、ダウン症の子どもの親の会の集まりで、映画の上映とお話をしてきました。そのときの私の話を聞いて、今日ぷかぷかに見学に来た方がいました。    お店を巡る中、霧が丘商店街の遊歩道をぷかぷかさん達が気ままに歩いて各お店を行き来したり、お昼休憩で私たちお客さんといっしょにランチをとっていたりする姿がありました。皆、すごく自然体だし、街に馴染んでいるし、その風景が正直よい意味で驚きでした。ダウン症のある子を産んでまだ2ヶ月ちょっとの私は自分の中にいわゆる障害をもつ人への勝手なイメージ(偏見)がありました。障害者が働く場所や生きる世界は自分のそれとは違っていて、できることも限られていて、しかも閉鎖的で・・・。本当に勝手なイメージでした。よい意味で福祉という感覚はなくて、一つの世界観に包まれたぷかぷかワールド、とても心地よい空間でまた行きたくなりました。こちらからしゃべりかけなくても、しゃべりかけてくれるぷかぷかさんに人見知りの私も気持ちが和みました。    「できることも限られていて、しかも閉鎖的で・・・」とありますが、私自身、教員をやっていた頃、見学に行った福祉施設の多くがそんな雰囲気でした。担任をしていた頃は、すごく明るい楽しい生徒だった人が、卒業して何年かたった作業所では暗い顔をして作業をしていて、ちょっとびっくりしました。作業所の暗い雰囲気が、その元生徒を飲み込んでいるようでした。その気になれば、楽しい雰囲気はいくらでもできるのに、とても残念に思います。  多分そこを運営している人の働くことのイメージがそういう雰囲気なのだと思います。働く、というのは人生の多くの部分を占めます。働くことがつまらなければ、人生もつまらなくなります。  ぷかぷかでは毎日帰りの会で 「いい一日でしたか?」 という質問をします。いい一日積み重ねが、いい人生を作っていくと考えるからです。  「できることも限られていて、しかも閉鎖的で・・・」 といった雰囲気の仕事では、いい人生は作れません。   ま、しかし、そんなところへの不満をいくら言っても、多分何も変わらないので、自分たちで彼らと生きる楽しい場を作った方がいいですね。    子どもをどこかの福祉事業所に預ける、というのは、子どもの人生をそこに任してしまうことです。昔私が担任していた生徒は、福祉事業所で働き始めてから、そこでの顔を見る限り、人生が暗くなったようでした。あんなにひょうきんで明るかった生徒がどうして?って、いたたまれない気持ちでした。  それよりも、子どもと一緒にどんな人生を作っていこうか、って考える方がいい人生が生まれる気がします。何よりも、子どもの人生だけでなく、親の人生が楽しくなります。子どもと一緒に、新しい物語を作るのです。わくわくしながら…  
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