周りにたくさんいる子どもたちと、ふつうにつきあう。たったそれだけのことなのに
「あの空気感はどうして生まれたんですか?」と題したブログをシェアした人が 《 そんな空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にいてますます思う今日この頃 》 と書いていました。この方は福岡で私の話を聞いた特別支援学校の先生です。 ぷかぷかさんがたくさんいるのに、あの空気感が生まれないなんて、すごくもったいない話だと思いました。 どうして生まれないのか。それは学校というところが、何するにしても「指導」「指導」の上から目線のつきあいだからだと思います。私は教員を30年やりながら、この「指導」というものについになじめませんでした。 重度障害の子どもたちに出会ってから、なんか自分の方がえらいとか思えなくなりました。そんな風に彼らと比較して思うこと自体が、おかしいというか、ばかばかしくなったのです。この人たちのそばにずっといたいと思うような気持ちで彼らを見ていたので、そんな彼らを「指導」するなんて、全く思えなかったのです。 もちろんいろいろ教えたりはしました。でもそれを「指導」という上から目線の言葉で表現することには引っかかりがありました。だって、相手が知らないから、あるいはできないから教えているだけで、そういう当たり前のことはふつう、「指導」とはいいません。ただ黙々と服の着方を教えたり、うんこの拭き方を教えるだけなのです。こちらがえらいわけでも何でもありません。うんこの拭き方教えたくらいでえらそうにするな、というわけです。 自分の方がえらいと思わなければ、相手との関係は自然にフラットなものになります。そうするとお互い居心地がいいのです。居心地のいい空気感はここから生まれたのだと思います。 《 そんな空気感に少しでも近づけるといいな、と特別支援学校にいてますます思う今日この頃 》 「ますます思う」ほどに、困難な状況なんだと思います。 周りにたくさんいる子どもたちと、ふつうにつきあう。たったそれだけのことなのに、と思います。 ふつうにつきあうと、こんな楽しいことができちゃうのです。 こんなの、やらなきゃソン!です。 昔、私が教員をやってた頃の「芝居小屋」。サングラスかけた怪しい男が私です。