ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • そこから「ともに生きる社会」が始まります。
    ご存じの通り、ぷかぷかには  「ぷかぷかさんが好き!」 というたくさんのファンがいます。「ぷかぷかさんが好き!」ということは「障がいのある人が好き!」ということです。  「障がいのある人は、なんとなくいや」「怖い」「近寄りたくない」という人が圧倒的に多い社会にあって、これは全く正反対の評価です。  「ぷかぷかさんが好き!」という評価は、ぷかぷかさんを社会にうまく合わせているから出てきたわけではありません。社会に合わせることをやめたことで、「ぷかぷかさんが好き!」という評価が出てきました。  社会に合わせないことで、社会が受け入れた、という、なんだかややこしい話です。  ここがでも、おもしろいですね。普通は、社会に合わせるから、社会は受け入れてくれます。でも、ぷかぷかの場合は、合わせないことで、ファンができた、つまり、熱烈に受け入れてくれました。  もし、ぷかぷかが、今のような方針ではなく、ぷかぷかさんを社会に合わせようと一生懸命になっていたら、たぶん「ぷかぷかさんが好き!」というファンはできなかったと思います。このことは何を意味するでしょうか?  社会に合わせないことで、ぷかぷかさんたちは、この息苦しい社会の中で、何が大事なのかを、静かに教えてくれています。彼らが自由に振る舞うことで、ホッと一息つける場所を作ってくれているのです。  彼らを社会に合わせようと一生懸命になっていたら、彼らは自由に振る舞えなくなって、この大事なことを教えてくれなくなります。ぷかぷかが、ホッと一息つける場所にならないのです。これではファンなんかできっこありません。   相模原障害者殺傷事件以降、「ともに生きる社会」を作ろうとか、「共生社会」を作ろう、という言葉がやたら飛び交っています。でも、一向にその社会が見えてきません。どこまでも「理想とする社会」「遠い未来に実現する社会」の位置にとどまっています。  どうして「ぷかぷか」のように、自分のまわりに小さな「ともに生きる社会」が実現できないのでしょう。  それは、ひょっとしたら、「ともに生きる社会」あるいは「共生社会」を作ろうという人たちが、障がいのある人たちを社会に合わせる、という気持ちを捨てきれないのではないか、と思います。言い換えれば「支援」という関係性から自由になれない。 「支援」という関係と「ともに生きる関係」は違います。「支援」という上から目線のまま、彼らと「ともに生きる関係」なんてあり得ないのです。  自分自身の彼らとの関係性を問い直さない限り、「ともに生きる社会」も「共生社会」もあり得ないのだと思います。  「ともに生きる社会」を阻んでいるのは、「支援」という関係性を抜け出せないところにあるような気がします。  まずは彼らと「ともに生きる関係」になる。そこから「ともに生きる社会」が始まります。 こんな人とは「支援」ではなく、いっしょに生きていった方が絶対トク!だと思います。
  • なんと 70歳!
     なんとタカサキは今日70歳になりました。  ヨコハマアートサイトのヒアリングの時、代表の小川さんが 「え?70歳ですか、もうおじいさんじゃないですか。」 と、びっくりしていましたが、私もびっくりしています。  おじいさんという自覚がない、というか、やりたいことが多すぎて、とてもおじいさんののんびりした雰囲気にはなりません。  毎朝、乾布摩擦、たわしマッサージから始まって、腕立て伏せ30回、腹筋30回、スクワット30回、もも上げ30回、太極拳のシュワイソー100回やったあと、マンションの10階までの階段登りをこなします。  このあと、天気のいい日はランドナーと呼ばれるドロップハンドルのサイクリング車で通勤。アップダウンが多いので、結構大変ですが、自転車は気持ちがいいです。  というわけで健康です。健康でないと「ぷかぷか」は立ち上げられませんでした。たまたま今日、日本財団の山田泰久さんが『ぷかぷかな物語』を読んだ感想をFacebookにあげていましたが、その中で 「本の前半で綴られている、ぷかぷか創業秘話が実にすごい。よく福祉施設として立ち上がることが出来たなあ~というのが正直な感想です。」 と語っていましたが、私自身読み返しても、よくやったよなぁ、とびっくりするほどです。  ぷかぷかを始める前、福祉事業の大先輩おむすび長屋の田中さんに 「60歳で新規事業を立ち上げるなんて無理無理。絶対やめた方がいい」 といわれていました。事実、にっちもさっちもいかない中で、田中さんの言ったとおりだよなぁ、としみじみ思いました。思いながらも、とにかく前に進むしかない、本当に厳しい状況でした。  人生60歳にして、本当に鍛えられましたね。大変でしたが、本当にいい経験したと思っています。  あの頃の頑張りがきいて、ぷかぷかもどうにか軌道に乗り、最近は少しのんびりできるようになりました。のんびりしすぎてぼけないようにしないと、と思っています。  ぷかぷかの活動も『ぷかぷかな物語』という本にまとめることができました。ぷかぷかさんのおかげで生まれた物語です。先ほど紹介した日本財団の山田泰久さんはNPOを支援するセミナーの企画、運営をやっている方ですが、その経験豊かな山田さんの目で見ても、『ぷかぷかな物語』から見えるぷかぷかの活動は、もう予想外もいいとこで、びっくりするほどのものだったようです。 「高崎さんには、なんどかCANAPNのセミナーにも足を運んでいただき、その活動はFacebookやブログ等を通じて拝見しておりましたが、その何十倍も何百倍もある奥行きの活動と実践を知ることができました。」 「NPO法人ぷかぷかは、いわゆる福祉施設を運営していますが、予想以上の活動でした。」 「働くということを通じてノーマライゼーションを実現するだけではく、アートや演劇も含めての取り組みが実に面白いなあと思いました。」  この山田さんとはCANPANセミナーで 「ともに生きる社会を本気で作る戦略をみんなで練る」 と題したトークセッションをやろうかと相談しています。山田さんの私に対するスルドイ突っ込みの中で、遠い未来にある「ともに生きる社会」を漠然と語るのではなく、今、すぐそばに作るための戦略を参加者といっしょに考えるようなカゲキなセミナーです。日時などが決まりましたらまたお知らせします。  というわけで、70歳を迎えて、まだまだやりたいことがあってわくわくしています。  40歳になったときは「人生40周年記念イベント」と称して、自転車担いでパキスタンのインダス川の源流地帯を走ってきました。はるか下の方をインダス川がごうごうと流れ、目もくらむような崖っぷちの道で、しかもすさまじいアップダウンが続いて、本当に厳しい旅でした。からからに乾いた世界で、パンクすると水がないので、チューブにつばをつけて穴を探したりしました。ローカルバス(ハイエースを改造したようなおんぼろバス)を乗り継いで旅したかみさんとは、出発2日目ではぐれてしまい、携帯のない時代、探し出すのに1週間くらいかかりました。中国の国境近く、氷河の迫る山小屋で熱出して寝込んでいるのを見つけ、村でジープを借りて病院のある村までおろしたりしましたが、いやぁ、楽しい旅でしたね。  「70周年記念イベント」は何しようかと思案中。70歳らしいばかばかしいことにチャレンジしたいと思っています。イベント内容が決まりましたら、またお知らせします。  と、ここまで書いたところで、今、午前2時。そろそろ寝ます。気が向いたら続き書きます。
  • そのヒミツが、実は『ぷかぷかな物語』には書いてあるのです
    pvプロボノの宮原さんが『ぷかぷかな物語』を読んで、こんなこと書いてくれました。 *************************** 「あなたが好きだから♪」 これが理由なの。最高じゃないかなー? ***************************  「好きだから♪」会いに行きたくなる。 「好きだから♪」会うたび元気をもらう。 「好きだから♪」笑顔が続くことを願う。 ・・・そういうことなんだよね。 読んだら会いたくなっちゃったよーん。ぷかぷかさん。  「あなたが好きだから」という理由で始めた「ぷかぷか」が、こんなおもしろい物語を生み出したよ、って書いた本が『ぷかぷかな物語』。  そしてそれを読んだ人が 「読んだら会いたくなっちゃったよーん」 っていいながらぷかぷかにやってくる。なんかすごくいいじゃん、て思うのです。  本を読んで  「福祉の、すごくいい勉強になりました」 ではなく、  「読んだら会いたくなっちゃったよーん」 て気持ちになる、この感覚がいい! 「好きだから♪」会いに行きたくなる。 「好きだから♪」会うたび元気をもらう。 「好きだから♪」笑顔が続くことを願う。 って、お客さんが思うような関係が、ぷかぷかでは自然にできます。  「ともに生きる社会」を作ろうとか、「共生社会」を作ろうなんてがんばっていわなくても、一緒に生きる社会は生まれるのです。  相模原障害者殺傷事件以降、その手の言葉がはやっていますが、言葉ばかりで、そんな社会は一向に実現できていません。実際にそういう社会を作っていく、ということでは、ぷかぷかは最先端を走っていると思います。ま、自慢するほどのことではありませんが…  「ともに生きる社会」「共生社会」はどうやったらできるのか、といったあーだこーだの議論を一切しないまま、そう思える社会がぷかぷかのまわりには自然にできてしまいました。なぜか。   一番のポイントは、地域の人たちが彼らに向かって 「あなたが好き!」 って思っている、というところだと思います。そしてそう思える関係を「ぷかぷか」は、どうやってつくってきたか。  そのヒミツが、実は『ぷかぷかな物語』には書いてあるのです。ここが実はすごく大事です。  1,836円で、そのヒミツをあなただけにこっそり教えてあげよう、という本です。   1,836円で、あなたのまわりに小さな「ともに生きる社会」が実現するなら、安いものです。  1,836円で、あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件を超える社会が、あなたのまわりに実現するのです。障がいのある人たちに向かって「あなたが好き!だからあなたにいてほしい」「あなたが私たちの社会には必要」って思える関係が、さしたる苦労もなくできあがるのです。そして何よりも、そうやってあなたのまわりの社会が豊かに変わっていくのです。  そのヒミツを手に入れれば、あなたは今まで経験したことのない新しい幸せを手に入れることができます。ぷかぷかさんが好きになる、という幸せです。  福祉事業所でお店をやっている方なら、お客さんがぐんぐん増えて商売繁盛します。  ★本の注文はぷかぷかのオンラインショップでどうぞ。送料180円がかかりますが、著者のサイン本と特製絵はがきが送られてきますので、アマゾンで頼むよりは「トク!」です。 shop.pukapuka.or.jp こんなすてきな絵はがきがおまけにつきます。
  • 「つながりウォーク」が、本気で考える場になれば
     つながりウォーク、雨が降ってさんざんでした。  雨の中こんなかわいい娘さんがやってきました。そばにいるだけで幸せな気分でした。毎朝1時間もお化粧するそうです。カフェで働いています。好きな彼氏もいるそうで、すてきな青春やってるみたいです。  ぷかぷかさんたちもいい顔していました。 こんなかわいい子どもが凧を作りに来ました。  一生懸命走り、ほんの少し凧が飛びました。懸命に走る後ろ姿がすごくいい!あたたかな気持ちになりました。  雨にもかかわらず、たくさんの人が集まり、いっしょにウォークして、いろんなつながりができたのではないかと思います。 「無償の愛の渦で、家に帰って一息ついたらホロリ涙出ちゃいました。」 と、メッセンジャーで送ってきた当事者の家族の方もいました。ですから、それなりの意義はあったとは思います。  それでも、この種のイベントには、どこか違和感をいつも感じてしまいます。  一日だけのイベントなので、障害のある人たちとつながりができたような気分になって、みんな優しい気持ちになれます。でも、イベントのない明日はどうなのでしょう。明後日は?  社会全体はどうなのでしょう。イベントで共有できた彼らに対する優しい気持ちを、日々の暮らしの中でどれくらい共有できているでしょうか?  どうして相模原障害者殺傷事件が起きたのでしょう。どうして犯人のやったことに対して「よくやった」等という意見がネット上にあふれたのでしょう。こんな社会に対して、つながりウォークで生まれたあたたかな雰囲気は、何ができるのでしょうか?  そこのところこそ本気でみんなで考えていかないと、いつまでたっても単なるイベントだけで終わってしまします。当事者の人たちの社会的な生きにくさは結局何も変わらないことになります。  こんな字を大書した旗を持ち歩いている人がいました。 「なんだかなぁ」という気分です。  旗を持ち歩いても「ともに生きる社会」なんて実現できるわけがないし、じゃあどうしたら実現できるかをみんなで本気で考えていくしかないのだと思います。  「つながりウォーク」が、そういう場になれば、と思っています。
  • これは彼らへの「壮大なラブレター」といっていいのかも
    福岡の重田さんが『ぷかぷかな物語』のすばらしい感想書いてくれました。 indigohorizon.info  彼らに惚れ込んだところから始まった『ぷかぷかな物語』、それをこんなふうに書いていただいて、なんだかこそばゆい感じです。「惚れ込む」というのは、惚れた相手に、こんなにもエネルギーを注ぎ込めるんだと、とあらためて思います。  昔、20代の初めの頃、惚れた女の子に毎日ラブレターを書き続けたことがあります。3ヶ月くらいたった頃、「もうすぐ100通超えます」って、はげましの手紙が来たことを思えています。惚れた相手とは言え、100通書くのは、結構大変です。メール百通ではなく、手書きのラブレター100通です。若かったとは言え、すごいエネルギーだったと思います。  『ぷかぷかな物語』も、いってしまえば「好いた惚れたのけだものごっこ」から始まった物語。下手すると犬も食わない物語になってしまうところですが、こうやって絶賛してくれる方がいるということは、やっぱり20代の頃より少しは成長したのだと思います。  いずれにしても、これは彼らへの「壮大なラブレター」といっていいのかもしれません。「あなたが好き!」っていう。  惚れた相手にとことんエネルギーを注ぎ込む、というところは、20代初めの頃と、あんまり変わってないのかな、と、ふと思ったり…  まだお読みでない方はぜひ!  ★本の注文はぷかぷかのオンラインショップでどうぞ。送料180円がかかりますが、著者のサイン本と特製絵はがきが送られてきますので、アマゾンで頼むよりは「トク!」です。 shop.pukapuka.or.jp こんなすてきな絵はがきがおまけにつきます。
  • その足はぷかぷかにとって、とても大事な足
     明日の「つながりウォーク」で、こんな格好してうろうろします。 って、Facebookに載せたら、ぷかぷかのファンの方が、こんなコメントくれました。 ……それにしても、後ろに見える 足が気になる‥😅  スルドイ指摘ですね。もちろんこれは、言わずと知れたセノーさんの足。写真を見てもわかるように、この寝っぷりがすごくいい!  この写真撮ったのは12時半頃だったと思うので、多分昼休みで爆睡してるときだったと思います。でも、この、セノーさんが爆睡できる環境、というのが大事なんだろうと思います。  ご存じのように、セノーさんは「仕事をしない」という理由で、前にいた作業所で居場所を失い、ぷかぷかに来ました。ぷかぷかに来ても寝てることが多いのですが、それでも  セノーさんがいる というところに、大きな意味をみんなで見つけています。  「セノーさんがいる」と、なんだかんだいいながら、寝てても、おきてても、みんなが安らげるのです。癒やされるのです。そういうことの価値、意味をぷかぷかではみんなで共有できているのだと思います。  働くとか、働かない、といったことの評価の前に、その人がいること自体に価値を見つけたのです。みんなありのままにいていい、ということ。  それが、先日書いたブログのように、みんなが勝手に成長できるおおらかな環境につながっていったのだと思います。 www.pukapuka.or.jp  たかが、気になる足、です。でも、その足はぷかぷかにとって、とても大事な足なのです。
  • お客さんの作った『ぷかぷかな物語』
    ぷかぷかでは、お客さんが『ぷかぷかな物語』を作ったりします。  オーやさんは子どもの小さい頃、毎日のように子どもと一緒にクリームパンを買いに来ていました。毎日の散歩コースに入っていたようです。2012年、キヨちゃんが生まれた年で、ベビーカーに乗せて毎日パン屋に来ました。毎日来るので、自然、ぷかぷかさんと親しくなります。  その2年後、ただパンを買いに来るだけでは物足りなくて、わんどでやっていたクリスマスツリーを作るワークショップに一家で参加しました。2014年12月です。  これがきっかけで眞由美さんとおつきあいが始まりました。今までにない、濃いおつきあいだったようです。  ところが、翌年の8月、眞由美さんは突然天国に旅立ってしまいました。眞由美さんとのすばらしいおつきあいを書いたメールがオーヤさんから来ました。 ●●● 昨年12月の「クリスマスツリーを作ろう」ワークショップ参加をきっかけに 眞由美さんと急接近しました。 森に向かう道のりで、何処に住んでいて何時に出勤して等、普段の生活を話してくれて、メンバーさん達の日常を初めて知った瞬間でした。   それ以来、ぷかぷか三軒長屋で私達家族に会うと必ずといっていい程、声をかけてくれて、バスの中で偶然会うと挨拶するようになりました。 「このまえ、バスでパパに会ったよ」なんて、私に言ってきてくれることも。   でも、眞由美さんから娘達にアタックしてくれるものの、なかなか自分の殻をやぶれない娘たちとは、まだ眞由美さんと距離があるなと思っていた今年の6月頃だったか、貴代子が「まゆみさん、まゆみさん」と初めてメンバーさんの名前を口にするようになりました。凄く嬉しかった〜。 そして、ワークショップでは絵を書いてる眞由美さんに話しかけ、一枚の壁が取り払われたようで、すごく私自身喜んだことを覚えています。 「これから、もっともっと近づいていけるといいな」と思っていました。   出しゃばりだとは思ったのですが、写真を撮った当初から「いい笑顔だな」と思っていた眞由美さんの写真があるので高崎さんに送ります。実は貴代子が撮ったものなんです。貴代子のカメラだったからこんないい笑顔してくれたのかな。なんて勝手思ってます。    絵を描いている眞由美さんと貴代子が会話している動画もあって後日お渡しします。 眞由美さんと自然に会話ができていて、私達の大好きな動画で、高崎さんにもみてもらいたいと思ってます。    いつもみたいに「今日もメロンパン食べてるの!」「ごまっこパン全部食べたの!凄いね〜」とか言いながら、旅立った天国からも、笑いながら私達家族の事を眺めてくれていたら嬉しいなと思うばかりです。  ●●●    眞由美さんと、こんな濃厚なおつきあいをしてたんだ、とメールを見てうれしくなりました。よくある、障がいのある人とおつきあいしました、というのではなく、どこまでも、眞由美さんとおつきあいした、というのがいいですね。  眞由美さんの人柄がとてもよく伝わってくるあたたかな文章です。オーヤさんの眞由美さんに向けられた視線のあたたかさなんだろうと思います。障がいのある人に向けられた上からの視線ではありません。どこまでも眞由美さんという人に向けられた優しいフラットな視線です。  人と人のふつうのおつきあいです。ふつうのおつきあいは、障がいがあるとか、ないとかの関係を、こんなふうに簡単に超えてしまいます。    キヨちゃんの撮った写真。キヨちゃんと眞由美さんの関係がすごくよくわかります。眞由美さんの笑顔を見ていると、キヨちゃんとの関係の豊かさが見えます。  笑顔は、相手に心を開いている、ということです。はじめの頃、眞由美さんがいくら話しかけても黙ったままだったキヨちゃんが、あるときから「まゆみさん、まゆみさん」と語りかけます。語りかけられた眞由美さんの笑顔が目に浮かびます。お互いの心がだんだん開いてきます。ほっこり心あたたまる『ぷかぷかな物語』が少しずつ展開していったのですね。  こういうおつきあいが自然に生まれるのが「ぷかぷか」です。  「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」っていうぷかぷかのメッセージを、そのまま子どもも一緒に実践したようです。    『Secret of Pukapuka』という映像の中でオーやさんが語っています。 「以前は上から目線で見てたこともありましたが、ぷかぷかさんとおつきあいするようになってから、自分の方がえらいと思わなくなりました」  『ぷかぷかな物語』の中で、お客さん自身が心を開き、世界が広がり、人生が豊かになっていることが見えます。  一緒に生きる豊かさです。
  • 転がりながら、私だけのぷかぷかな物語を紡ぎ始めます。
     花岡さんが『ぷかぷかな物語』のことをブログに書いてくれました。 ameblo.jp  「ぷかぷかな物語」を作れるのは、タカサキやぷかぷかだけじゃなくて、みんななんだよ、っていうエールです。  障がいのある子どもを育てるのは大変な苦労があります。でも、苦労は苦しみだけでなく、人間を磨きます。人生を深めます。そのことに気づいたとき、人生は子どもと一緒に前向きに転がり始めます。転がりながら、私だけのぷかぷかな物語を紡ぎ始めます。  花岡さんはhanaちゃんと一緒にたくさんの「ぷかぷかな物語」を紡いできました。私が最初に出会ったのは《世界が「hana基準」になったら》という物語。   目から鱗、でしたね。hanaちゃんと一緒に生きていく中での、ちょっとした気づきが人生をすばらしく豊かにしていきます。   hanaは   人をことばで傷つけることもない   人に嫉妬したり、恨んだり、   悪口だって言わない   人と比較して見下したり、   卑下したりすることもない    hanaちゃんて、人間の生き方の見本みたいなことを実践している人なんだって思いましたね。  障がいのある子どもと一緒に生きることで生まれる、こういう気づきが、社会全体を豊かにします。「支援」あるいは「指導」などという上から目線の関係からは、こういう気づきは生まれてきません。  こんなすてきな《ぷかぷかな物語》が、nahaちゃんと一緒に生きていく中でたくさん生まれました。   ameblo.jp    別に障がいのある子どもがいなくても《ぷかぷかな物語》は作ることができます。  fujikiさんは、「ぷかぷかさんにあそばれにきます」といって、ぷかぷかにやってきます。先日は「ぷかぷかさんと一緒にビートルズの〈ヘイジュード〉を歌いたいなぁ」なんていってました。「それをYouTubeにアップしたら、世界が注目しますよ」なんていってましたが、そんなわくわくするようなすごい物語をfujikiさんは作ろうとしています。    ちょっとした気づき、ちょっとした思いつきが、思ってもみない物語を生みます。  さぁ、みんなでわくわくするような『ぷかぷかな物語』を作りましょう。自分で作るのが一番楽しいです。あなたもぜひ!  
  • ぷかぷかさんたちが勝手に成長するようなおおらかな環境
     今朝の朝日新聞「折々のことば」  《 教え育てることよりも、そこにいれば子どもが勝手に育つようなおおらかな場所を用意しておくことが先だろう 》   本当にその通りだと思います。学校が果たしてそんな場所を用意しているのかどうか。  養護学校教員をこの春退職した方が勉強のために昨日からぷかぷかに実習に入られています。現場に入られての一番の感想は、  ぷかぷかさんたちがとにかく生き生きと働いていることにあらためてすごいなぁ、と思いました。  その要因として仕事がおもしろいことと同時に、「折々のことば」にあった《そこにいれば子どもが勝手に育つようなおおらかな場所》言い換えれば、  ぷかぷかさんたちが勝手に成長するようなおおらかな環境 が、ぷかぷかにはあるのだろうと思いました。  「おおらかな場所」「おおらかな環境」とても大切なことですが、社会全体が「おおらかさ」を失っている中で、そういった場所、環境を作ることはなかなか大変です。  『ぷかぷかな物語』の第3章「なんだ、そのままでいいじゃん」と第5章「まっすぐ前を向いて生きています」に、その環境がどうして生まれたか、のヒントが書いてあります。ぜひ読んでみてください。 ★本の注文はぷかぷかのオンラインショップでどうぞ。送料180円がかかりますが、著者のサイン本と特製絵はがきが送られてきますので、アマゾンで頼むよりは「トク!」です。 shop.pukapuka.or.jp こんなすてきな絵はがきがおまけにつきます。
  • 「の」ではなく、「な」
      『ぷかぷかな物語』はぷかぷかの作ってきた物語なのですが、あえて『ぷかぷかの物語』ではなく『ぷかぷかな物語』にしました。  「の」ではなく「な」なのです。  「ぷかぷかの物語」で終わるのではなく、「ぷかぷかな物語」が、この本をきっかけに、あちこちで始まればいいな、という思いがあるからです。  「ぷかぷかな物語」はまわりにぷかぷかさんがいて、ぷかぷかさんと一緒に生きていきたいという思いがあれば、どこにでも生まれる物語です。誰にでもはじめられる物語です。その物語は、みんなをほっこりあたたかな気持ちにさせます。誰にとっても居心地のいい場所が生まれます。そこではみんなを自由にします。  何よりも、あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件を超える社会を自分のまわり作ることができます。「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいね」ってみんなが思える社会です。  「ぷかぷかな物語」を作るきっかけとして、ぷかぷかの映画(『Secret of Pukapuka』)の上映会と、タカサキを呼んでのトークセッションを企画してみてください。  「いい映画だったね」「いいお話だったね」で終わらせないことが大事です。そこで終わらせたら物語は始まりません。  自分のいるところで「ぷかぷかな物語」を始めるためのヒントを得るための上映会であり、トークセッションです。  一昨年、長崎、福岡、北九州で上映会やったとき、北九州だけは「いい映画だったね」「いいお話だったね」で終わらず、「ぷかぷかみたいな場所を北九州にも作ろうよ」と誰かがいい、何人もの人が「そうだ、そうだ」といい、人が動き始めました。  こんなふうに動き始めるきっかけを作ることが上映会とトークセッションの企画の目的です。はじめの一歩を踏み出すことが大事です。「いつかやりたい」「いつかやろう」って思っている限り、その「いつか」はいつまでたっても来ません。  もう一つ大事なこと。それは障がいのある人たちの関係者だけでやらないことです。関係者ではない、いろんな人がいること、それがすごく大事です。いろんな人がいることで、お互いの視野が広がります。議論の幅が広がります。そこが小さな社会になります。その小さな社会で「ぷかぷかな物語」を作り始めるのです。  物語作りに、関係者だけではない、誰もが参加できる、ということ。それができあがってくる物語の幅を広げてくれます。  「ぷかぷかな物語」は、地域のみんなで作っていくのです。そのことに意味があります。  ぷかぷかの映画を見て、タカサキとのトークセッションに参加して、『ぷかぷかな物語』『pukapukaな時間』を読んで、あなたがその気になれば、もうすぐにでも物語は始まります。  あなたの「ぷかぷかな物語」です。  ぜひ!  ★上映会、トークセッションのお問い合わせは、下記サイトの「その他のお問い合わせ」をクリックしてください。必要項目を書き込んで送信ボタンを押してください。後日お返事します。 www.pukapuka.or.jp
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