ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • グループホーム建設の反対運動は、障がいのある人たちと分けられた歴史がそのまま吹き出したもの
    都筑区で精神障がいの人たちのグループホーム建設に住民から反対運動が起こっているという報道がありました。  神奈川新聞の記事はこちら https://www.kanaloco.jp/article/entry-169984.html?fbclid=IwAR2L3H0PQxk3u7w7kcr_pENR5mjPXfIyz4LzXP6PY0iBwfid1yiwalYHPes  緑区でもグループホーム建設に反対する運動が起こりました。 「住民の安全を守れ」「子どもたちの安全を守れ」「施設を飛び出した入居者が家に入ってくるのではないか」等、全く同じことを反対する人たちはいっています。  都筑区で作ろうとしているのは精神障がいの人たちのグループホーム、緑区で作ろうとしていたのは知的障害の人たちのグループホームです。精神障がいと知的障害は全く違う障がいです。  ところが、反対する人たちの言葉はほとんど同じです。なぜか。  要するに障がいのある人たちと具体的におつきあいした経験がないのです。経験がないところでの偏見、思い込みで不安をいっているだけなのです。  単なる偏見、思い込みであっても、それは建設計画をつぶしてしまうほどの力を持ちます。瀬谷区では何年もかけて準備をしてきたグループホームの建設計画がつぶされました。緑区では行政の指導でとりあえずがスタートしましたが、反対していた住民に丁寧に説明したわけではないので、火種は残ったままです。  建設する側は、障害者差別解消法にはGHなど障害者関連施設の開設に関し、国や自治体が「周辺住民の同意を求めないことを徹底する」との付帯決議があることを説明した、というのですが、そんな説明を反対住民にしてもほとんど意味がありません。こんなことは自分がそういう立場に立って、そんな説明を受けて納得するかどうかを考えれば、すぐにわかることです。  こんなことで今回の問題が解決するほど、簡単なことではないと思います。なぜ簡単なことではないのか。  子どもの時から障がいのある子どもは特別支援学校、もしくは特別支援級へ組み入れられ、そうでない子どもは彼らとおつきあいする機会がほとんどありません。たまに「交流」があっても、「日々のおつきあい」はありません。障がいのある人たちのことをほとんど知らないまま、みんな大人になっていきます。  そういう、障がいのある人たちと分けられた歴史があること。それをまず確認する必要があると思います。  ですから、大人になって、自分の家のすぐそばに障がいのある人たちのグループホームができることになると、相手のことを知らないが故の怖さだけが先行し、今回のような問題が起こります。  怖さが先行している人たちに障害者差別解消法の話をしても、説得できるわけがありません。運営する側の問題の見立てが甘すぎると思いました。  グループホーム建設の反対運動は、障がいのある人たちと分けられた歴史がそのまま吹き出したものです。そこに目を向けない限り、本質的な問題解決はできません。  偏見、思い込みだけでものをいう人に対し、言葉の説得はとてもむつかしいです。子どもの頃から大人になるまで障がいのある人たちとおつきあいした経験がない、という長い歴史は少々の言葉ではひっくり返せないのです。  緑区で反対運動後起こったとき、何度目かの説明会に出席し、ぷかぷかの映画を上映しようとしたことがあります。  『Secret of Pukapuka』という映画で、カナダのバンクーバーで開かれた世界自閉症フェスティバルで上映し、絶賛された映画です。日本各地で上映したときも、とても好評だった映画です。  ところが上映が始まって2,3分で、「こんないいところばかり撮った映画なんか見たくない」とえらい剣幕でいわれ、泣く泣く上映中止に追い込まれました。  言葉がもう届かない、と思いました。  ではどうしたらいいのか。  こんな運動は間違ってるとか、障害者差別だ、といくら批判しても、問題は何も解決しません。  日々の暮らしの中で、障がいのある人とおつきあいする機会、出会う機会をこつこつ作っていくこと、それを一つ一つ丁寧に実践していくしかないと思います。  グループホーム建設の説明会で、ぷかぷかの映画の上映会が中止に追い込まれたあと、少しへこみました。でも、すぐ気を取り直し、グループホーム建設予定地のすぐそばにある学童の子どもたちを対象に、ぷかぷかさんたちといっしょにパン教室をやりました。子どもたちは楽しいパン作りの中でぷかぷかさんたちととてもいい出会いをします。そんな子どもたちから、お父さん、お母さんに、「楽しいお兄さん、お姉さんだったよ」「パン作りを丁寧に教えてくれたよ」って話してくれれば、と思って企画したものです。 パン教室の記事はこちら https://www.pukapuka.or.jp/2018/03/26/1060/  「障害者はなんとなくいや」「怖い」「近寄りたくない」といった雰囲気の中で、ぷかぷかでは街の中でお店を運営しながら、「ぷかぷかさんが好き!」というたくさんのファンを作りだしてきました。どうやって、その社会のマイナス要因いっぱいの雰囲気をひっくり返したか、そのヒミツが『ぷかぷかな物語』には書いてあります。反対運動にあって困っている方、ぜひ読んでみてください。 ぷかぷかネットショップはこちら https://shop.pukapuka.or.jp/items/19207891
  • とんでもない本を読んでしまいました
    「とんでもない本を読んでしまいました」という感想が届きました。うれしいですね、こういう感想は。 ●●● ぷかぷかな物語、読ませていただきました! ぷかぷかさんたちへの愛にあふれた物語で、想うだけでなくがむしゃらに行動して進んでいく高崎さんの情熱に、私も私に出来る何かを始めたくなりました。戸塚区にもぷかぷかさんを作らなきゃ!と。 とはいえ、パン屋の知識も貯金も場所もないので、まずは妄想からクラウドファンディングも考えつついつか実現したいです!させます 本に書かれている今のぷかぷかさんが出来るまでの大変なこと、ステキなことは、きっとこうだろうなぁと想像は出来ます。 実際は一頁が何年でもあり、数ページが一日であったり、と想像は追い付きません。 でも、その大変とステキな世界を実際に自分の目で見たくなってしまっていますとんでもない本を読んでしまいました こんなざわざわした気持ちを下さった「ぷかぷかな物語」に感謝していますありがとうございますm(__)m  ●●●  「こんなざわざわした気持ちをくださった」なんて、とてもうれしいです。  6月27日の「福祉にファンができるヒミツ」と題したセミナーの案内に、《読むとたちまち「ぷかぷかウイルス」に感染し、ぷかぷかのファンになってしまう『ぷかぷかな物語』というアブナイ本をまとめたタカサキ》と紹介したのですが、ずばり当たってましたね。人の心をざわつかせるなんて、やっぱりアブナイ本だと思います。  それまで心おだやかにまじめな人生を歩んできた人が、タカサキの本を読んだばっかりに、心がざわつき、火がつき、とんでもない人生が始まる可能性だってあるのですから、このテの本は油断できません。  上映会とトークセッションやると、ぷかぷかみたいな場所をここにも作ろう、といった意見はよく出るのですが、「ざわざわした気持ちになる」というのは、もっと深いところで気持ちがざわめいているのであって、ひょっとしたらとんでもなくおもしろいものが始まるような、そんな予感がします。  クラウドファンディングのサイトには、ざわざわした気持ちから生まれる妄想を、思いっきり書き込んでください。心のざわつきは、言葉よりもはるかに深いものを伝えます。  どんなものがここから生まれるのか、心がざわざわします。  ★心のざわつきのほしい方はこちら shop.pukapuka.or.jp
  • 自分の手で、未来をもっと素敵にできる
    ソーシャルデザインの本に 「未来はもっと素敵だと思いますか?」 あるいは 「自分の手で、未来をもっと素敵にできると思いますか?」 という問いがありました。  なんとなくぼんやりとした未来が、急に手の届く未来になった気がしました。  その問いに 「YES!」 と答え、未来を自分の手の届くところへ持ってきて、 「みんなで未来をもっと素敵にしよう!」 と呼びかけたのか、子どもたちにオペラをプレゼントするためのクラウドファンディングです。  オペラはひとときの夢の世界。そんな時間を子どもたちにプレゼントしようよ。  わくわくしたり、ドキドキしたり、思いっきり笑ったり…そんな時間を経験した子どもたちはきっと素敵な未来を作ってくれる。  そんな思いを込めてのクラウドファンディングのサイト。 それは 「子どもたちに夢のような時間をプレゼントするすることで、未来をもっと素敵にしよう!」 という呼びかけ。 「自分の手で、未来をもっと素敵にできる」 そう思うことが、自分の人生を輝かせます。 ぜひクラウドファンディング、応援してください。最初の三日ぐらいが勝負だと言われています。 子どもたちに楽しいオペラをプレゼントします。 クラウドファンディングのサイト https://motion-gallery.net/projects/pukapuka-robotto2?fbclid=IwAR1d-uZFnvKEVNUTT0CEW9CV9bLrtJw0yw8OBQB9lsOTQamXUP6bDmRvvAU
  • セミナーは魔女系おねーさん二人と、あそばれ系おじさん
    6月27日(木)のぷかぷか×CANPANセミナー『福祉にファンができるヒミツ』のゲストに、藤木和人さんが加わることになりました。 pukapukacanpan.peatix.com  藤木さんもぷかぷかのファンの一人ですが、 「ぼくはぷかぷかさんにあそばれに来るんですよ」 という言い方をします。  「支援」とか「何かやってあげる」という上から目線の関係の多い福祉の世界にあって、「あそばれに来る」という関係は、とても新鮮で、何よりもぷかぷかさんに対してとても謙虚です。この謙虚な姿勢から生まれる関係は、そこから今までにない新しいものを生み出す気がしています。  藤木さんは、 「ぷかぷかさんの歌をCDに焼き付けて世界に向けて発信しよう」 なんていいます。 「CDにするなんて、ぷかぷかさんの歌はそんなレベルじゃないですよ」 というと、藤木さん 「ぷかぷかさんの歌はこんなの聴いたことない感に溢れているからお客さんも音楽家もフタッフもおいみんな集まれ、これやっべーぞ、って感じになります」 といいます。 「こんなの聞いたことない感にあふれている」 「おいみんな集まれ、これやっべーぞ」 という言葉は、一般的に彼らを見る社会の評価を、今までと全く違う発想でひっくり返します。 「こんなの聞いたことない感にあふれている」  それは新しい価値なんだと藤木さんは言うのです。  目からウロコ、でしたね。  藤木さんは「ぷかぷかはアミューズメントパークだ」といいます。 「楽しいや、びっくりや、ほっこりがあって、おいしいものがあって、アートショップやお土産もある。スピードものんびりもある。似顔絵を常時やったら、アミューズメントパークにありそうなものが全部そろってしまいます」と。  こんなこという人ははじめてです。藤木さんの目で見ると、世界が違って見えるのだと思いますね。  「あそばれ系おじさん」がぷかぷかさんと何をしでかすか、目を離せません。  セミナーは魔女系おねーさん二人と、あそばれ系おじさん、それにちょっとアブナイタカサキのクロストーク。前代未聞の福祉がぽんぽん飛び出して、おもしろくなること間違いなし。新しい福祉を模索している人は、もう来なきゃ絶対ソン!です。 藤木さんとテラちゃん。なぜか通り過ぎる人が。  藤木さんは音楽家です。ぷかぷかさんたちの活動に共感し、ぷかぷかさんのすごろくワークショップに音楽を入れてくれました。 https://www.youtube.com/watch?v=4DTwbSHpSLc
  • 人生がね、きっと変わりますよ
    『ぷかぷかな物語』を訓練会のお母さんたちが回し読みしている、という話を聞きました。  おもしろいですね。訓練会は障がいのある人たちを社会に合わせるべく、いろいろ訓練をやっているグループです。社会に合わせることをしないぷかぷかとは、ベクトルの向きが正反対です。  どうしてそこのお母さんたちが回し読みをしているのかよくわからないのですが、ま、やっぱりいろいろ思うところがあったのじゃないかと思います。  以前、障がいのある子どもは社会に合わせなきゃいけないと訓練だのなんだのといろいろ追い込まれているお母さんたちがぷかぷかに見学に来たことがあります。  ツジさんのお母さんが、今まで息子を社会に合わせようと一生懸命やってきたけれど、ぷかぷかに来ると、そのままでいいよ、といわれ、実際そのままの姿でしっかり働き、ファンまで作っている姿を見ると、今まで息子といっしょにやってきたのはなんだったんだろう、「見当違いの努力」だったんじゃないか、と思いました、と話されたことがあります。その話をしたところ、お母さんたちが何人か涙をぽろぽろこぼし始め、ちょっとびっくりしたことがあります。  「今までやってきたのは見当違いの努力だったんじゃないか」の言葉が響いたようでした。お母さんたちが今やっている努力と重なったのだろうと思います。 「そうか、こんなことはしなくても社会でやっていけるんだ」という気づき。この気づきは、人が生きていく上で、とても大きな気づきではなかったかと思います。お母さんたちの大きな大きな開放感をぽろぽろこぼれた涙に感じました。  障がいのある人だって、自分の人生を自由に生きていい。社会に合わせるために苦労することなんかない。そんなことで自分の人生をすり減らすなんて、ばかばかしい。やめた方がいい。  彼らが自由なとき、私たちもまた自由になれます。だからお客さんにとってもぷかぷかは居心地がいいのです。  歌が生まれ、人は踊り出し、物語が生まれる…「広場」にぷかぷかはなっています。  それはどこまでも彼らが自由だから…  その物語を集めたのが『ぷかぷかな物語』  障がいのある人たちは社会に合わせなきゃいけないと、自分自身も追い込まれている親御さんたちにぜひ読んでほしいです。  人生がね、きっと変わりますよ。 shop.pukapuka.or.jp
  • 世界はもっとおおらかな気持ちで見たいものです
     やまゆり園事件を考える集まりに行ってきました。  映画は前半、植松容疑者の言葉をひたすら追いかけていて、ちょっとしんどい感じがしましたが、最後のエピソードには救われました。  車いすの女の子がお姉さんの結婚式に出るのを楽しみにしていました。ところが、まわりの目を気にして母親が出ないでくれ、と要請します。あの家族には障害者がいるので、ひょっとしたらお姉さんにも障害者が生まれるのではないか、と思う人がいるかも知れない、と。女の子はがっかりして泣き出します。  担任がいっしょにお姉さんの浴衣を縫おう、と提案。女の子は不自由な手で一生懸命お姉さんのために浴衣を縫います。完成した浴衣をお姉さんに送ると、お姉さんから結婚式の招待状が来ます。結婚式に出た車いすの女の子は、まわりのお客さんから冷たい目で見られます。でも、お色直しの時、お姉さんは妹の縫った浴衣を着て登場。 「妹は手が不自由ですが、その不自由な手で一生懸命この浴衣を載ってくれました」 と紹介。会場はあたたかい拍手で包まれます。  とてもいいエピソードで、私は涙が流れました。  「障害者はいない方がいい」という植松容疑者の言葉とそれに共感する社会に向けての映画を製作した方の精一杯のメッセージだったと思いました。「障害者はいた方がいい。彼らはこんなふうにみんながあたたかい気持ちになれる時間を作ってくれるのだから」と。  ところが、終わったあとのトークセッション。  あの場面は、できることはいいことだ、みたいなメッセージで優生思想そのものじゃないか、どういうつもりであのシーンを入れたんですか?といった意見が出ました。そうだそうだ、と何人かが言ってました。  みんながあたたかな気持ちになるメッセージにそんな感想がぶつけられ、なんだかがっかりでした。そこまで言うか、とちょっと悲しい気持ちになりました。  障がいのある子どもがすごくがんばって、結果的に結婚式場での障害者に対する冷たい目線をひっくり返し、みんなをあたたかい気持ちにした、というすごくいい話です。できることはいいことだ、みたいなメッセージではなかったと思います。  優生思想の批判は大事です。でもいつもそういう目で物事を見てしまうと、ちょっとしたことまでそれはおかしい、となって、大事なことまでも見えなくなってしまいます。  世界はもっとおおらかな気持ちで見たいものです。
  • 子どもたちに、わくわくドキドキのとびっきり楽しいオペラをプレゼント
     オペラシアターこんにゃく座のオペラ『ロはロボットのロ』を7月15日(月・祝)、みどりアートパークホールでやります。  子どもたちに、わくわくドキドキのとびっきり楽しいオペラをプレゼントしよう!と思っています。小学生500円、小学生以下はなんと300円!です。プレゼントの分、大人たちが汗をかきます。ひとときの夢のような時間を子どもたちに味わってほしくて、そのために大人たちが汗をかこうよ、っていう企画です。クラウドファンディングでそのお金を集めます。クラウドファンディングのサイトは来週公開します。  今日は「チラシ」と「プロモーションビデオ」と「チケット販売」の公開です。大人は寄付金付きなので、少し高めです。でもぷかぷか特製のお土産がつきます。何よりも、あなたの寄付のおかげで、子どもたちのたくさんの笑顔が見られます。ですからこれは『子どもの笑顔つきチケット』なのです。 オペラ『ロはロボットのロ』はこんな舞台です。プロモーションビデオのアドレス貼り付けました。クリックしてください。 https://www.youtube.com/watch?v=__xxHxCIpz8 オペラのあとは、歌役者さんたちとの握手会があります。 チケットはこちらから pukapukaopera.peatix.com
  • それは《いっしょに生きる関係》が生み出すもの
    先日「わんど」でやった「分身くんを作ろう」のワークショップ、NHKのディレクターがFacebookの記事 www.pukapuka.or.jp を見てこんな感想を送ってくれました。 ●● 「分身くんを作ろう」のワークショップ、やはりとてつもなく力がある企画ですね。 分身と一緒の写真をみるだけで、日々の生活で忘れてしまう温もりを感じます。 ●●  先日《「文化」とは「共に創り出すもの」》と題した日記を書きましたが www.pukapuka.or.jp  今回の「分身君を作ろう」のワークショップは、まさにそれでした。  日記にも書いてありますが、ぷかぷかさんの一人フタミンがある日、大きな紙の上に寝っ転がり、スタッフに自分の体をなぞるように言って自分の分身くんを描いたのがそもそもの始まりです。  それを見て、「あ、おもしろいおもしろい、今度はみんなでやろう」となるのがぷかぷか。ここから《共に創る文化》が生まれます。その文化は 「分身と一緒の写真をみるだけで、日々の生活で忘れてしまう温もりを感じます。」 と、見る人を癒やします。  彼らといっしょに生きていくと、こういうものが日々の暮らしの中で生まれてくるのです。彼らといっしょに生きていくと、社会が豊かになる、というのはこういうことです。だから、彼らとは、いっしょに生きていった方がトク!なのです。  「支援」という上から目線の関係では、こういうものは生まれてきません。「町の宝」のような人たちがすぐそばにいるのに、もったいない話です。  《ともに生きる社会》《共生社会》を推し進める人たちも、その社会が何を生み出すか、といったことを明確に語り切れていない気がします。それは多分「支援」という関係を捨てきれない人たちが《ともに生きる社会》だの《共生社会》だのと言ってるからだと思います。上から目線のまま、《ともに生きる》関係なんてあり得ないじゃないですか。上から目線で見られる側から考えると、そのおかしさがすぐにわかります。  《文化》とは《共に創り出すもの》、それは《いっしょに生きる関係》が生み出すものです。
  • しゅん君がこんな顔して毎日街を歩いていれば
    花巻の牛崎さんから本の感想いただきました。 ●●● 「ぷかぷかな物語」読ませていただきました。 とても、心がほっこりする内容でした(^○^) 長年、養護学校の教員として知的しょうがいのある児童生徒と関わってきた中で、当事者たちが醸し出す、なんとも言えない幸福感に惚れ込んで、退職後にパン屋さんを始められたとのこと。 今もしょうがいのある方々と一緒に歩み、せっせと街を耕しているという表現がステキでした。 家族にしょうがいのある人がいるわけでもないのに、この世知辛い世の中にあって、高崎さんは本当に神様のような方だと思いました。 3年前の陰惨な相模原殺傷事件もこの本を書くきっかけになったのは間違いないと思います。「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」という、犯人の主張に対して、「いいえ、しょうがいのある人と一緒に生きていったほうがトク」という、共生社会よりも一歩先を行った考え方だと思います。生産性がなくても、手がかかっても、そのままでいい。世の中をほっこりさせる必要な存在なんだよ!ということが、もっと広がって行けば良いと、心から思いました(^o^) ●●●  牛崎さんのお子さんは、重い「しょうがい」を持っています。牛崎さんは文章に「しょうがい」と、あえてひらがなを使っています。その一言に、どれだけの思いを込めたのだろうと想像すると、胸が熱くなります。  相模原障害者殺傷事件の犯人の言葉には「障害者」を使っています。この違いに込められた思いを想像したいと思うのです。  そしてこれは重いしょうがいを持った二人のお子さんを抱えながら、すべてのしょうがいを持った人への、いや、社会のすべての人への熱い、やさしいメッセージ。 《生産性がなくても、手がかかっても、そのままでいい。世の中をほっこりさせる必要な存在なんだよ!》 牛崎さんとの出会いはこのFacebookの記事でした。 ●●● 長文失礼いたします。 突然ですが、私の息子が不審者に間違えられて、今日警察に出頭しました。出頭というのはうそです。でも警察に呼ばれて謝罪文を書いて来ました。土曜に朝、突然2人の警察官が我が家を訪ねて来ました。容疑は「とあるスーパーの駐車場で女性が不審者に声を掛けられて、腕を掴まれて怖い思いをした。その男は股間に手をやっていたようにも見えた」というものです。よくよく聞いてみると、明らかにうちの長男しゅんのようなのです。でも、こんな重度のしょうがい者を本気で不審者だと思ったのでしょうか?。第一、不審者に声を掛けられたということですが、うちの息子は言葉が喋れないのに、いったい何て声を掛けたのでしょうか?? 被害者からの一方的な話だけしか聞かされず、きっと本人なりに理由はあったのだと思いますが、聞いても喋れないし、、、 最初は?マークだらけでしたが、写真を撮られ、被害者からそれが息子と確認されたということで、警察に呼ばれて生活安全課に行って来ました。どうせ、謝罪文を書かなければならないなら、正しく分かってほしいと思い、少しでも相手に伝わればと、自分なりに謝罪文を考えて持って行きました。これは、全く詳細が分からない中で書いたものですが、全文を載せます。→ 被害に遭われた方へ  この度は私の息子がご迷惑をおかけしたそうで、大変申し訳ありませんでした。 私の息子はアンジェルマン症候群という、15番目の染色体に起因する重度の障害児として生まれました。30歳になった今でも知的レベルは1歳半くらいで、言葉も喋ることができません。体の大きな赤ちゃんみたいなものですが、毎日元気に地域の通所施設に通っています。  5月24日(木)は、たまたま3ヶ月に1回の通院日で、盛岡の中央病院に行った日でした。午後4時半に病院を出て、5時半ごろに花巻に着き、いつも買い物に行っている○○○○○○○の駐車場に車を停めて、クリーニングを頼んで、その後買い物をしました。雑草のカモガヤアレルギーがある息子は、特にこの時期は外に出ると目が痒くて腫れてしまうので、基本的に車の中で待っています。 ただ、いつもではないのですが、時々車の外に出て車の前で待っていることがあります。この日も私が戻って来た時には車の前に立っていました。おそらく、何かがあったのはこの間5分から10分くらいの間の出来事だったのだと思います。私は直接見ていないのでなんとも言えませんが、普段は自分から見ず知らずの方に何かをするということはありません。本人は言葉で伝えることができないので、直接、相手の手を持って指し示したり、トイレに行きたい時も軽く股間を叩いたりして教えてくれます。もしかしたら、ご親切にかかわって下さった方に直接「おしっこが出たい!」と訴えたのかもしれません。そういえば、いつも病院を出る前にトイレに連れて行くのですが、珍しくこの日は出ませんでした。帰宅後、すぐにトイレに駆け込んだのできっとおしっこが溜まっていたのかもしれません。怖い思いをされたと思いますが、決して誰かに危害を加えようとしたのではないということだけは分かっていただきたいと思います。  いつも利用しているスーパーですので、また見かけることがあるかもしれません。こちらも気を付けますが、もしもまた見かけた際には、勝手なお願いですが、遠くからそっと見守っていただけるとありがたいです。障害があっても、多くの人たちのお世話になりながらこれからも地域で生活して行きたいので、どうかよろしくお願いいたします。  (以上) 警察の担当者の方はこれを読んで、わかりやすくてよくわかりました。と言ってくださいました。元々事件にはするつもりはないということで、警察からも被害者の方に伝えてくださるそうです。 事の詳細は、そのスーパーの女性従業員の方が夕方帰ろうとして、駐車場に行ったら、私の車の前に立っていたしゅんがいきなり腕を掴んだようで、驚ろかれたようです。知的障害者だとは全然分からなかったそうです。その人が何て喋っていたかも覚えていないし、薄暗かったので顔もよく覚えていないと、、、  きっと、突然のことに驚いて気が動転したのだと思います。 そのスーパーには本人を連れて夕方謝って来ました。とりあえずは、不審者ではないと言う誤解が解けて安心しました。 しかし、改めて感じたのは親や支援者が側にいればこそ、その場で説明ができますが、やはり、重度の知的障害者は単体でいると不審者にしか見えないかもしれません( ; ; )通報されるところまではいかなくても、きっと、ちょっとしたことで不審者に間違われていることもあると思います。日頃から啓発活動をやっているつもりですが、しょうがい理解という面ではまだまだだな〜と感じました。共生社会と言われていますが現実はほど遠いです。 でも、この機会に生活安全課の職員と様々な話ができたし、自立支援協議会などで花巻市における触法障害者の状況などについて勉強会ができると良いと思っていたので、依頼があれば可能です!と言ってくださり、今後に繋がるかなと思っています。さすがは、転んでもタダでは起きない私です(笑) 本当に今回のことはいろいろな面で勉強になりました。 写真のしゅんは「カッチカチやぞ〜」に似ています。本人は喋れませんが、私が代わりに「悔しいです!」(笑)  物言えぬ我が子を守ってやれるのは親しかいません。権利擁護という、手をつなぐ育成会の役割はまだまだ残っていますね〜❣️ ●●●  この写真見たとき、なんて味のある、いい顔した青年なんだ、って思いましたね。しゅん君の幸せそうな顔見ているだけで、こっちまで幸せな気持ちになります。しゅん君が、こんないい顔して歩いている街は、みんなも居心地がいい街なんだと思います。  「共生社会」とか「ともに生きる社会」は、あーだこーだむつかしい話をするのじゃなくて、しゅん君がこんな顔して毎日街を歩いていれば、自然にできてくるものです。「お、今日もいい顔してるね」「今日もご機嫌だね」って、みんな声をかけたくなります。それが街を耕す、ということです。そういう声を引き出すチカラをしゅん君のいい顔は持っています。  ぷかぷかのまわりにみんなが居心地のいい小さな「共生社会」ができているのは、ぷかぷかさんたちみんなが毎日しゅん君みたいないい顔して働いているからです。彼らのこと理解してもらうとか、啓発活動とか、そういったことはやったわけではありません。そのままの彼らを黙って差し出しただけです。  社会に合わせた彼らより、そのままの彼らの方がずっと魅力的なのです。その魅力に気がついた人たちが、自然に彼らのファンになりました。  ぷかぷかさんが好き!というファンです。彼らの魅力は、ファンを作ってしまうチカラがあるのです。これは大変なことです。  啓発活動をやって、ファンができますか? 彼らのこと理解した人たちが、ファンになりますか? 福祉関係の人たちがよくやる「啓発活動」とか「理解推進活動」は、どうがんばっても「ファン」は作り出せないのです。  そういったことを考えると、彼らの魅力がどれだけすごいチカラを持っているかがよくわかります。  しゅん君がぷかぷかにいれば、まちがいなくファンができます。ぷかぷかでできるのであれば、花巻だってできます。  小さなテーブルが二つか三つあって、ちょっとお茶が飲めて、おしゃべりできるような場所作って、しゅん君が毎日そこでにこにこいい顔振りまいていれば、それだけですてきなお店ができます。しゅん君は写真のような顔して座っていればいいのです。それがしゅん君の接客です。誰にもできない、しゅん君にしかできない接客です。しゅん君の、あの笑顔に会いたいと、いっぱいお客さんが集まってきます。  おいしいお茶と、おいしいお菓子、それにしゅん君のおいしい笑顔。お母さんは料理が上手そうなので、おいしいご飯も出しましょう。それだけで、居心地のいい、みんながホッとできる場所ができます。  名前はもちろん「しゅん君のお店」です。あの写真を看板にしましょう。あの写真には、人を引きつける魅力があります。  ぜひやってみてください。今の作業場の一角に、ちょっと手を加えて、おしゃれなスペースを作るだけです。  Try hard and you shall succeed!  ひょっとしたら、ここから新しい歴史が始まるかも知れません。  やらなければ、何も始まりません。やれば、何かが始まります。わくわくするような何か、です。
  • 「文化」とは「共に創り出すもの」
     桜美林大学の林先生が感想書いてくれました。林先生とは「NPOと企業、大学を結ぶマッチングのミーティングでお会いしました。そのとき私が言っていた「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がトク!」の「トク!」の意味がよくわからないと、まずお店にやってきました。お店に来ても、まだいまいち腑に落ちないと、今度は演劇ワークショップに参加。6ヶ月、ぷかぷかさんたちに揉みに揉まれ、最後は舞台にいっしょに立ち、ようやく「これはトクだ!」と納得したようでした。 ●●● 大好きなぷかぷかさんが本になりました! ぷかぷかの代表高崎さんが本を出版!これはわたしの新たなバイブルになりそうです! わたしの第一の感想は「勇気をもらえる」! 自分の生き様を本に書けるほど素敵な人生を送っている人って世の中にどれくらいいるのでしょうか。 先日70歳になったという高崎さん。わたしが70歳になったとき、「本にしたい!」と思える人生を送れているかなと自分をふりかえってしまいました。 養護教諭を退職してからNPO法人ぷかぷかを立ち上げた高崎さん。その道中は無計画、試行錯誤の連続と言ってもいい。 でも、その核にはぶれない強い信念が見えます。 自分の直観を信じて、まっすぐに目標を目指す高崎さん。その目標とは「障がいのある人と一緒に生きていった方がいいね。」「一緒に生きていった方がトク!」というもの。 とにかく「やりたいからやる!!!」(このことば、すごくいい!!!) 世の中を動かす人たちに共通していることって、この「やりたいからやる!!!」っていう自分の直観を信じる強い気持ちと行動力だと思います。 そういう人たちを見てると、不思議なことにご縁が向こうからやってくる~!!! ご縁を呼び寄せてしまうほどの「やりたい!!!」という気持ち。 社会や教育について研究をしながらも、現実では色々なものに絡めとられて身動きができなくなっているわたし。 この本を読んだらそんな自分を相対化することができて、なんだか人生って本当はもっとおもしろいものなんじゃないかと思えてきました。 「人生」というものに希望が見えてきて、勇気が出てきました! わたしも自分の直観を信じたい!!! 二つの目の感想は、この本のテーマである「障害のある人と一緒に生きていった方がいいね」について。 2015年にNPO法人ぷかぷかを知って、高崎さんの言う「トク」の意味が分からなかったわたしは、その年の演劇ワークショップに参加。 昔から自分で体感しないと理解できないタイプ。 ぷかぷかさんと演劇ワークショップを通す中で、「人間」という存在、一人ひとりの違い、一緒に何かを創り出すことのおもしろさと難しさ、「障がい」と社会、身体と学び、歌の力、などなどたくさんのことを考えました。 でも頭だけで考えるのではなく、ぷかぷかさんと演劇ワークショップで触れていたら、すーっと「トク」の意味が文字通り腹に落ちた。 そこからは身体丸ごとぷかぷかさんのファンに!!! これはいくちゃんことてらちゃんが毎回「いい子いい子~♡」って「ギュっ」てハグしてくれることがきっかけになったのだと思う(多分、いくちゃんはわたしのことを猫ちゃんか何かに近いものだと思っているのだと思う)! この「あたたかさ」「包容力」「自然さ」「居心地の良さ」って何なんだろう?って思った。 今考えると、本来「人間」って一人ひとりがそういう存在なんじゃないかと思う。 人間存在を自然体でCelebrateしてしまういくちゃん恐るべし! こんな風に自然体で生きているぷかぷかさんと一緒に生きていく道を切り開いてきた高崎さん。 そこにあるのは同じく「自然体」で生きる高崎さんの姿なのだと思う。 「自然体で生きる」という、人間が本来持っている姿を引き出してくれたのが障がいを持っている人たちとの出会いだったのだと思う。 「障がいがあるから支援しよう。」「障がいがあるから共に生きよう。」ではない<障がいのある人と一緒に生きていく姿>。 これこそが高崎さんのいう「新しい文化」。 うちの師匠が言っている。 「文化」とは、「固定的なものではなく、可変的で動的なもの。」 だからこそ、「文化」とは「共に創り出すもの」。 人間は「文化づくりに参加」することができる存在なのだ。 「文化」とは、「人間社会を取り囲むさまざまな問題に対して、伝え、採用し、あるいは新たに創造する解決策の全体。」(ベルギーの社会学者:ティエリ・ベルヘルスト)なのだ。 高崎さんを見ていると、<文化づくり>ってこういうことなのだと思う。 感染した人々と一緒に新しい文化を創り続けているぷかぷかさん。 「障がい」に関心のある人にもそうでない人にもぜひ読んでいただきたい一冊です! ●●●  「文化」とは「共に創り出すもの」。本当にそうだと思います。  私が「文化」を口にし始めたのは、30年くらい前に養護学校の子どもたちと地域の人たちでいっしょにワークショップをやり始めた頃でした。  「ここで創り出しているのは、新しい文化じゃないか」 って。でも、当時は何を言ってんだ、そんなの言い過ぎだよ、という雰囲気で、誰も振り向きませんでした。  振り向いてくれたのは、それから30年以上もたった2015年のことでした。 《「福祉」という言葉から抱きがちな「施し」のようなイメージを打破し、本来はそこから新しいトレンドやカルチャーを生み出し得る創造的作業だと思うからあえて「福祉文化」と表現しました…》  と、読売福祉文化賞を受賞したのでした。なんと100万円ゲット!です。やったぁ!って感じ。  30年たって、ようやく時代が追いついた、と言っていいのかも知れません。  林先生がいいこと書いています。 《「文化」とは、「人間社会を取り囲むさまざまな問題に対して、伝え、採用し、あるいは新たに創造する解決策の全体。」》  ぷかぷかが創り出しているのは、「新たに創造する解決策の全体」なのだと思います。  彼らの声に静かに耳を傾けてほしい。いろんなところで行き詰まりを見せる今の社会にあって、その解決策をぷかぷかは提案していると思います。障がいのある人たちの社会的生きにくさの問題だけではなく、社会全体が抱えている息苦しさに象徴される問題です。  「文化」とは「共に創り出すもの」なのです。彼らといっしょに生きていくことで生まれるもの、それが「新しい文化」です。ひょっとしたら、みんなを救うような「文化」です。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ