ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てる
    昨日書いたぷかぷか日記に、こんな感想が上がってきました。 ●●● 《「名前のない柱」は、津久井やまゆり園が、強いては社会そのものが、重度障害の人たちの人生にどう向き合っているのかを象徴しているように思います。》  本当にそうですね。この社会のあり方そのものがこの事件を引き起こしたんですよね。 それなのに、NHKの調査で「5人に1人がこの事件を覚えていない」との結果。 元々隠されていたのに、事件そのものもなかったことにされています。誰も本気で怒る人がいない。本当にどうしたらいいのだろう、とむなしい思いになります。 ●●●  あれだけの事件があったにもかかわらず、社会はなかなか変わらなくて、がっかりすることの多い日々です。社会は大きく変えようとしたり、優生思想云々、といった大きな問題を解決しようとすると、何から手をつけていいのかわからなくなって、無力感にさいなまれます。   そうではなく、自分にできる小さなことを積み上げていった方が、社会は確実に変わります。社会の変わりようが目に見えます。  ぷかぷかのスタッフは、ぷかぷかさんたちといっしょに毎日「いい一日」を作り続けています。そしてそのなんでもない「いい一日」をFacebookで発信し続けています。こんなことがあったよ、あんなことがあったよ、っていうただそれだけの平凡な日々。でもそれは、彼らといっしょに生きたかけがえのない一日なのです。彼らといっしょにつくった輝くような一日なのです。  これならスマホがあれば誰でも簡単にできます。もちろん、これで社会が大きく変わるわけではありません。それでもFacebook見て、ちょっと癒やされたり、実際にぷかぷかに遊びに来たりして、ぷかぷかのファンが少しずつ増えたりしていることは、社会がちょっとだけ変わったといっていいと思います。  障害者はなんとなくいや、近寄りたくない、と思っている人がたくさんいる世の中で、「ぷかぷかさんが好き!」というファンが出てきたことは、画期的な社会の変化だと思います。  「障害者はいない方がいい」というのが相模原障害者殺傷事件を象徴する言葉とすれば、「ぷかぷかさんが好き!」という人たちが増えてきたことは、事件を超える社会が密かにぷかぷかのまわりにできつつある、ということです。  ぷかぷかは「ともに生きる社会をつくろう」なんて歯の浮くような言葉は一度も口にしたことがありません。にもかかわらず「ぷかぷかさんが好き!」といい、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人がどんどん増えているのです。  ここにぷかぷかのヒミツがあります。ヒミツを知りたい人は『Secret of Pukapuka』という映画をぜひ見て下さい。問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで  『ぷかぷかな物語』もぜひ読んでみて下さい。「いっしょに生きていった方がトク!」な物語が満載です。 https://shop.pukapuka.or.jp/items/19207891?from=widget  ぷかぷかに遊びに来て、うちの町にもぷかぷかみたいなところがあるといいな、という人は以前から多いのですが、最近は、自分の町にぷかぷかをつくろう、という人が少しずつ現れてきました。北九州市と横浜市の鶴見区の人たちです。  鶴見区ではこんなサイトが立ち上がりました。 https://www.facebook.com/tsurumi.pukapuka/?eid=ARCCkN_XrVSTbcubQAnz1Oggh1-oro-7QNfETySDoXdvb5qlWRmIRRoIy334ErolHX_UDGINsbYFXKFK   「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がトク!」と思ってはじめたぷかぷかですが、そんなぷかぷかを自分の町にも、というのは、「いっしょに生きていった方がトク!」と思う人が増えてきたということです。ここでも相模原障害者殺傷事件を超える社会ができつつあるのです。   11月4日(月)にその第一回目のイベントがあります。ご都合つく方はぜひ!  「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーの出前をやる予定で、現在5カ所で準備中です。 www.pukapuka.or.jp  これはぷかぷかが作り出した新しい価値観です。この価値観はみんなして生きることが楽になるような価値観です。障がいのある人たちといっしょに生きていく中で生まれた、社会を救うような新しい価値観です。  「障害者は不幸しか生まない」のではなく、いっしょに生きていくと、生きることが楽になるような、画期的な価値観を生み出すのです。  ぜひあなたの町でも、このセミナーやってみて下さい。「本当にどうしたらいいんだろう」と悩んでいるよりも、とにかく何かやって、少しでも前に進んだ方がいいと思います。何かやれば、いろんな人との新しい出会いがあります。新しい出会いは新しい物語を生み出します。物語は、町を少しずつ変えていきます。  セミナーのお問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで   8月3日の上映会の時の感想に 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 というのがありました。ぷかぷかのある霧ヶ丘の町に住んでいる人が書きました。ぷかぷかの存在は町の価値を何倍にも上げている、というのです。それを地域住民として実感しているところがすごいと思いました。  あれがだめこれがだめ、とマイナス評価の多い障がいのある人たちですが、ぷかぷかにあっては「町の価値を何倍にも上げている」というびっくりするような評価が出てきているのです。  「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」と相模原障害者殺傷事件の犯人は言い、それを支える社会があって、がっかりすることが多いのですが、それでもぷかぷかの周りを見ていると、世の中捨てたもんじゃない、と思うこともいろいろあって、まだまだ希望が持てるのです。  自分の周りにいる障がいのある人たちといっしょに楽しい日々を作り出すこと。そのことが社会を少しずついい方向に変えています。ぜひやってみて下さい。きっといいことが見つかりますよ。
  • 名前のない柱
     京都アニメーションの放火事件の実名報道を巡って、いろいろ議論が起こっているようです。 news.merumo.ne.jp  実名報道されたその日のテレビで、たまたま犠牲になった石田敦志さんのお父さんがたくさんのマイクの前で自分の思いを語っていました。たくさんの言葉の中で、ひとこと、心の中までまっすぐにとんできた言葉がありました。  「石田敦志がいたことを忘れないでほしい」  もう、すがりつくような思いでお父さんは言ったのだと思います。「石井敦志」、その名前は、石井敦志さんの人生そのもの。だから忘れないでほしい。  「石井敦志」という名前をなぞりながら、「彼がここでアニメをつくりながら一生懸命生きていたことを思い出してほしい」、そうお父さんはいいたかったのだと思います。   名前は、その人を忘れないための、唯一残された手がかりです。  名前がなければ、その人がいなかった、その人の人生がなかった、と同じになります。  津久井やまゆり園の追悼の集まりには、名前のない柱が並んでいたと、参加した方が書き込んでいました。  名前のない柱では、誰が亡くなったのか、誰がどういう人生を送っていたのか、思い出す手がかりが全くありません。  みんな一生懸命自分の人生を生きていたはずなのに、それを思い出す手がかりがないのです。言い方を変えれば、一生懸命生きていたみんなの人生がなかったことにされているのです。  亡くなられた人たちの思いはわかりません。でも、自分がもし亡くなられた人たちの立場であればどう思うのだろう、という想像はできます。一生懸命生きた自分の人生がなかったことにされるなんて、耐えられない気がします。 「名前のない柱」は、津久井やまゆり園が、強いては社会そのものが、重度障害の人たちの人生にどう向き合っているのかを象徴しているように思います。 「これはおかしいじゃないか」「亡くなった彼らに対して、あまりにも失礼じゃないか」 って、どうして誰も言わないのでしょう。  事件を考える集まりで、やまゆり園の家族会の会長は、名前が知られると、たとえば親類が飲食店をやっている場合は売り上げが落ちます、だから名前は公表できない、などといっていましたが、彼らの人生よりも、飲食店の売り上げの方が大事なのでしょうか。  親なら誰しも、石田敦志さんのお父さんのように、自分の子どもがここで生きていたこと、ここでこんな人生を送っていたことを忘れないでほしい、と思うのではないでしょうか。  名前のない柱を見ながら、ひょっとしたら、とても寂しい思いをした親御さんもいたんじゃないか、と石井さんのお父さんの言葉を聞きながら思いました。
  • こんな風にうちの町もなっていくといいのになぁ~
    昨日ぷかぷかにはじめてきた人がこんな書き込みをしていました。 ●●● 本日初めてぷかぷかさんに伺いました😊 思った通りの穏やかで明るい場所でした💗 こんな風にうちの町もなっていくといいのになぁ~ ●●●  うちの町もぷかぷかみたいな雰囲気になるといいなぁ、と思う人はたくさんいます。でも、思うだけでは、町は変わりません。  町は誰かがつくってくれるものではありません。私たち自身がつくっていくものです。  ならば、「町にぷかぷかみたいな場所をつくりたい!」っていう思いを発信し、それに向けて具体的に動くのがいいと思います。    つるみにぷかぷかみたいな場所をつくりたい、という人たちがすでに動き始めています。 www.facebook.com  11月4日(月)の午後に、第1回目のイベントをやりますので、ぜひ来てみて下さい。  いろいろ参考になることが見つかると思います。大事なことは、見つけたこと、気づいたことを自分の町で実行することです。小さなことでいいのです。とにかく動き出すこと。これがすごく大事です。動き出せば、また誰かと出会い、そこから新しい動き、物語が生まれます。それを紡いでいくと、いつの間にか自分の町にぷかぷかみたいな雰囲気が生まれています。  11月4日にも上映しますが、『Secret of Pukapuka』は、ぷかぷかがどんなことをやっているかがとてもよくわかる映画です。一昨年、カナダバンクーバーで開かれた世界自閉症フェスティバルで上映した作品。27分です。これをみんなで見て、仲間を増やすのがいいと思います。ご希望の方には映像のデータを送ります。パソコンから、その旨書いたメールを下さい。宛先は info@pukapuka.or.jp   データが重いのでギガファイル便で送ります。ダウンロードして見て下さい。  高崎を呼んでいただければ、ぷかぷかみたいな場所をつくるヒミツ、コツを教えますよ。  『ぷかぷかな物語』も仲間で読むといいですね。霧ヶ丘にどうして「ぷかぷか」が生まれたのか、がいっぺんにわかります。 shop.pukapuka.or.jp  アマゾンのカスタマーレビューにこんな言葉がありました。 「読み終えると不思議に何だか心の角がとれて軽くなる。誰かに話したくなる一冊。」  ぷかぷかさんとおつきあいすると、「心の角」がとれるのです。だからいっしょに生きていった方が絶対にトク!なのです。  ぜひあなたの町にも「ぷかぷか」作って下さい。みんなの心の角が取れて、とても住みやすい町になります。
  • 「いなくてもいいとは言いませんが、いたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。」でも「今...
     先週、「ぷかぷかいい男、いい女写真」の写真を撮りに来た休日フォトグラファー兼偏向素人劇作家の濱隆之介さんが『ぷかぷかな物語』の感想を書いてくれました。 ●●●  私の中でまだ消化しきれていないのでうまく書けるか分からないのですがまず間違いなく言えることは心に響く本である、ということです。    私は先週、実際にぷかぷかにお邪魔させていただいて、ぷかぷかさんたちの写真を撮らせてもらったので尚更なのかもしれませんが、高崎さんたちスタッフや利用者であるぷかぷかさん、そして行政の方々やいろいろな協力者の方たちの苦労と努力が、そしてぷかぷかがいい方向に動き出したときの喜びがとてもリアルに感じることができました。ぷかぷかに関わる人たちの思いを知ると自然と応援したくなるという人は少なくないと思います。    私が二週続けてお邪魔したのも、私なりに何かできないかと考えてのことです。大勢で何かをワイワイやるのは非常に苦手なので自分は蚊帳の外にいて文章を書くことで応援できたらなと思います。たまに伺って美味しいパンを食べて、ぷかぷかの空気に触れるぐらいがちょうどいいのかなと思っています。  話が逸れました。  本の中で一番印象に残ったのは、昼間も言いましたが相模原の事件のことです。植松被告が3年間の間にあんな考えに至ったのは施設のせい(それだけとは言いませんが)なんだな、初めにぷかぷかのような暖かい場所に出会っていたら結果は違っていたのだろうなと私も思いました。    正直、私の店のお客さんにも「障がい者は親が全て面倒をみれるならいいけど税金を使うならいなくてもいい」といった考えの方もいます。別に悪い人でもなく普通の方です。私もいなくてもいいとは言いませんがいたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。今、少しづつですが私の中に変化が起きています。ただやはり書いてありましたフリちんの話などはまだ受け入れられません。私のような障がい者の方たちと接点がなく暮らしてきた者は「わからない」「知らない」「なんか恐い」というのがまだまだ本音ではないでしょうか。    高崎さんの本を読むとぷかぷかがどういう場所なのか気になるようになると思います。ただ知識がなさすぎて想像しづらいところもあったのも事実です。やはり読むだけではなくて実際に足を運ばないと、縁のなかった者には伝わらないのではないでしょうか。当たり前ですが小冊子のようなビジュアルが全面に出ているほうがガツンときます。    話があちこち飛んで申し訳ありません。  まとめます。  これは高崎さんの狙いとは違うのかもしれませんが今の私が読んだ感想は、  「高崎さんという強い信念を持った男が業界の常識に立ち向かい、ぷかぷかさんたちの居場所を作り上げた話であると同時にぷかぷかさんたちと暮らすことの良さ、素晴らしさがグッと詰まった一冊」なんだと思います。ぷかぷかさんって何だろう?という興味は絶対に引くと思います。    高崎さんが一番ご存知だと思いますが、ぷかぷかさんたちの魅力はやはり彼らと触れ合うのが一番分かるんだと思います。 ●●●  ぷかぷかさんの雰囲気がとても気に入ったので、時々ぷかぷかに来て、写真撮って、パン屋の前にあるテーブルでパンをかじりながらフォトエッセイを書くそうです。ちょうどこんな感じです。  前回来て撮ったこんな写真が文章になります。  「いなくてもいいとは言いませんが、いたほうがいい、と思ったことは一度もありませんでした。」でも「今、少しづつですが私の中に変化が起きています。」と感想にあります。私の中に起きた変化が、どんなぷかぷかさんを書くのか、すっごく楽しみです。多分今まで誰も書かなかったようなぷかぷかさんが立ち現れるのではいないかとわくわくしています。フォトエッセイのサイトが決まりましたらまたお知らせしますね。  ★『ぷかぷかな物語』はこちらからどうぞ shop.pukapuka.or.jp
  • 「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば
     誰かが困っていれば、助けてあげるのが人間の社会です。そこが人間の社会のいいところだと思います。困っている人がいても助けないのは、人間の社会としてはまだ未熟、と言っていいと思います。  障がいのある人が子どもを持てば、いろいろ困りごとが出てきます。でも、そんなの「みんなで支えるよ」「みんなで引き受けるよ」「だから大丈夫!」という社会があれば、なんの問題も起こりません。  そもそも、子どもは社会の財産です。みんなで支える存在だろうと思います。  ニュージーランドの国会では赤ちゃんをつれて登院した議員がいたそうです。議会の審議中に、議長が議長席でベビーシッターを買って出たそうで、それがこの写真  国民みんなが赤ちゃんを支えているから、こういったことができるのだと思います。  日本の国会では、残念ながらあり得ない光景です。社会の成熟度が見える気がします。  「障害者は子どもを産むべきではない」という言葉は、社会の悲しい現実を表しています。社会に問題があるのに、障害者に問題があるように語られるこの言葉は、社会の現状を如実に物語っています。ニュージーランドに比べると、本当に寂しい社会だと思います。  養護学校の卒業生で、結婚して子どもを持った人がいました。ぷかぷかを始める前、生徒たちと陶芸教室をやり、作品を商店街のお祭りで販売していました。毎年のようにその卒業生が挨拶に来ました。「先生、私、結婚しました!」「先生、私、子どもができました!」「先生、私、40歳になりました!」と、毎年、大きな声でいろいろ報告しに来ました。旦那さんも連れてきました。ちょっと頼りない感じもしましたが、それでもめいっぱい幸せそうな夫婦でした。子どもができました、って報告があったときは、支えてくれる人がたくさん見つかったんだろうと思いました。卒業生のお母さんもがんばっていたようですが、やはりお母さん一人では支えきれないものがあります。そういう支えが見つかったから、お母さんは子どもの結婚を気持ちよく祝福できたのだと思います。  そういう社会が少しずつ広がっていくといいなと思います。子どもを支えられる社会こそが、豊かな社会だと思います。  いつの日にか、国会の議長席でベビーシッターをするような議長が現れたら、日本は本当にすばらしい国になれると思います。その時はもう「障害者は子どもを産むべきではない」なんて言葉もなくなっていると思います。 abematimes.com
  • 社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した。
    土曜日の朝日新聞「be」に建物、町、人を再生する建築家の話が載っていて、とても興味深く読みました。こんなことが書かれていました。 「僕らの役割は、埋もれている地域の日常の中から、その地域の人々が気づいていない価値を見つけ出し、見える形に編集し直すことです」 「たばこ屋のおばあちゃんが街の宝かもしれないのです。  宝物のない街などありません。どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っているということだけなんです。僕らはこうして発見した宝の一つ一つを「物語」として紡ぎ直します。人々がそれを自分ごととして咀嚼(そしゃく)できるように。」  8月3日(土)の上映会の感想に 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 というのがあって、そのことと、新聞の記事が妙に重なって見えたのです。  いつも書いていることですが、障がいのある人たちは、あれができないこれができない、社会の重荷、生産性がない、というふうに、マイナス評価が圧倒的に多いです。ぷかぷかは、そうじゃない、彼らは街を耕し、町を豊かにする「価値ある存在」なんだと、様々な実践をし、彼らの価値を目に見える形で発信してきました。  言い換えれば、社会が気づいていない価値を見つけ出し、誰にも見える形に編集し直した、ということなのだと思います。  結果、たくさんのファンができました。また 「この町にぷかぷかのパン屋があることが、この町の価値を何倍にも上げています。」 という感想が出てきたのも、その結果だろうと思います。  ぷかぷかさんのそばにいると心が和みます。それを私は、彼らのそばにいると「人として立つことができる」と表現します。「人になれる」といってもいいと思います。だから彼らは「街の宝」なんだと思います。  「どの地域も問題はそれらの宝が関係性を失っている」 と記事にありましたが、ぷかぷかは地域でたくさんの関係を作ってきました。その関係の中でたくさんの人たちがぷかぷかさんに出会いました。発見した宝を物語として紡ぎ直してきました。『ぷかぷかな物語』は、そういう作業の中で生まれました。  それを自分ごととして咀嚼し始めたのが、「ぷかぷかをつるみに」という動きになったのだろうと思います。  先日大阪大学の建築科で都市デザインをやっている先生が見学に来ました。都市をデザインするとき、福祉施設をその中に入れるべきだと考えている先生のようでした。  都市のデザインの段階で、宝を組み込み、今までにない物語を作っていこうとしているのだと思いました。  いずれにしても、町の再生、社会の再生、という視点で、ぷかぷかの活動を見ていくと、またいろんな新しいものが見つかるような気がして、記事を見ながらちょっとわくわくしました。  digital.asahi.com digital.asahi.com
  • 「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナー
     「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにセミナーをやろうかなと思っています。  ぷかぷかは開店当初、接客の講習会をやったとき、接客マニュアル通りにやるぷかぷかさんが気色悪くて、接客マニュアルはやめました。接客マニュアルに合わせる、というのは社会のルールに合わせることです。ですから、接客マニュアルをやめたというのは、社会に合わせることをやめた、ということです。  「なんだ、このお店は接客の仕方も知らんのか」 というクレームが来るリスク99%を背負い込む中でのスタートでしたが、ふたを開けてみれば、クレームどころか、 「ぷかぷかさんが好きになりました!」 というファンが次々に現れるという想定外の展開。  要するに、社会に合わせない、そのままのぷかぷかさんの魅力に、みんなが気がついたのだと思います。   「なんだ、そのままでいいじゃん!」 という気づき。 (くわしくは『ぷかぷかな物語』をご覧下さい。ぷかぷかのホームページで販売中)  この気づきは、ぷかぷかの生み出した大事な価値観だったと思います。  障がいのある人たちは社会に合わせなければならない、そうしないと社会の中で生きていけない、と一般的には思われています。そして多くの方が社会に合わせようと大変な努力をしています。  ぷかぷかにいるツジさんのお母さんもそうでした。養護学校にいるときも、卒業して勤めた福祉事業所でも、おしゃべりはだめです、といわれ、おしゃべりをやめさせようと大変な努力をしてきました。  でも、ぷかぷかに来てから、 「別に気にしませんから、おしゃべりしてもいいですよ」 といわれ、しかも、そのおしゃべりが売り上げを生み出してる、と聞き、 「今までやってきたのはなんだったんだ。見当違いの努力だったんじゃないか」 ということに気づきます。 「なんだ、そのままでいいじゃん!」 というわけです。  しかも、そのままで、ちゃんと商売が成り立っている、ということ。  「障害者は社会に合わせなければいけない」 のではなく、  「社会に合わせなくても、やっていけるよ」  ということです。  「無理して社会に合わせなくても、ありのままのあなたでいいんだよ」  「ありのままのあなたこそ、一番魅力的」 は、ぷかぷかが作り出した大事な価値観だと思っています。  そういったことをテーマにしたセミナーをやろう、と思うのです。日時、場所など決まりましたらお知らせします。  生きることがふっと楽になるようなセミナーです。ぜひ来て下さい。
  • ぷかぷかいい男、いい女写真展
     「ぷかぷかいい男、いい女写真展をやりま〜す。自分でいい男、いい女だと思う人は写真撮りますから来て下さ〜い」と呼びかけたら、ばらばらっと何人かの方が出てきて、写真撮りました。 で、撮れた写真がこれ  チャッチャッと撮った割には、なかなかいい写真です。  初対面で、しかも、これだけ短時間で撮ったのですから、腕もいいのですが、なによりも一瞬を切り取るセンスがいいですね。  写真はこの一瞬が勝負です。一瞬を見極める集中力とセンス。これがすばらしい写真を生み出します。  カメラマンは休日フォトグラファー、偏向素人劇作家 濱隆之介さん。  十日市場でSherpaというマンツーマンの美容室をやっているそうです。スタッフのナガセさんの髪をいつも切ってるそうで、その関係で、今日写真を撮りに来ました。 sherpa-hair.net  「みどりアートパーク委託カメラマン」という札を首に提げていました。  10月12日(土)にみどりアートパークで、緑区の若者写真展をやるそうです。今日撮った写真の何枚かをモノクロにして飾るそうです。また近くなったらお知らせします。  に、してもいい青年たちですね。みんなそれなりに様になっていて、まさに輝く「いい男、いい女」です。また撮ろうかなと思いました。
  • ワークショップ一回目からこんなに楽しくて、これからどーなっちゃうんでしょうか!
    8月17日(土)第六期演劇ワークショップが始まりました。今回は地域の人たちの参加が多く、ぷかぷかさんを入れて全部で40人ほど。リハーサル室がいっぱいの感じでした。  参加希望者が多いのは、ワークショップの魅力が伝わっていることで、とてもうれしいのですが、それでも会場のキャパシティがあるので、芝居を作っていく上では、なかなか厳しいところがあります。特に本番の舞台を考えると、相当工夫しないと、みんなで舞台に立てない感じがあります。  こんなに人が…  まずはギブミーシェイプで心と体をほぐしながら、お互いの関係を作ります。体を使っていろんなものを表現します。撮影用のカメラが目に入り、そのカメラを支える「三脚」を作ることにしました。7,8人のグループの中で、どうやったら三脚が表現できるか話し合います。話がまとまったら、すぐに体で表現してみます。  なんとなくそれっぽいものができればいいのです。大事なことは、これを作っていく過程で、仲間と話し合いをすること、表現することを通して、心と体を自由にすること、お互い親しくなることです。  朝、通りかかった公園で見た「ベンチ」が2番目の問題。ベンチを作るだけではつまらないので、「朝のベンチ」「昼のベンチ」「夜のベンチ」の短いお話を作ります。形を作るだけでなく、そこから物語を起こしていく作業はとても楽しいです。  午後、「ドングリと山猫」のお話を朗読しました。絵本を見せながら朗読すると、子どもたちも集中して聞いていました。  朗読を聞いたあと、山猫の待つ草原に行くまでの森の風景をシェイプで表現しました。  初めての人が多いのに、みんなどんどん表現していきます。ふだんこういうことはあまりやらないから、心も体も、みるみる自由になります。ここがワークショップのすばらしいところです、  初めて参加のひよりちゃん アイドルのボルトさん かわいくてかわいくて…押しつぶさないかとハラハラ かわいいナナちゃんと 地域の人とこんな笑顔で 《 先日はステキな一日をありがとうございました。親子三人(四人?)で参加させていただき、とっても自由な時間を体験しました。   てらちゃんが、「ひっつきむし~」って言ってくっついて歓迎してくれたおかげで、遅れての参加だったにも関わらず、親子共々、リラックスして楽しむことができました。ホント、てらちゃんには、かないません!どっぷり、宮沢賢治ワールドのこのお話を、ぷかぷかさんたちがどのように導いてくれるのか。。!それを、こんなに近くで見ることができるとは!ワークショップ一回目からこんなに楽しくて、これからどーなっちゃうんでしょうか!楽しみでしかありません 》  (みか)   朗読を聞く親子三人、いい時間を過ごしていました。      次回はドングリの帽子をみんなで作り、その帽子をかぶってドングリになってみようと思っています。そうして誰が一番えらいかの言い合いをします。 「なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」 「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」 「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」 といった具合に。ただ言葉で言ったのではおもしろくないので、これをダンスで表現するとか、おもしろい形でできたら、と思っています。  どんな風に芝居ができあがっていくのか、楽しみにしていてください。  お金の話をします。演劇ワークショップを6ヶ月続け、最後にホールの舞台で発表すると進行役、ピアニスト、舞台監督などの人件費、リハーサル室、ホールなどの会場費、音響設備、照明設備など付帯設備使用料、舞台制作のための材料費など、全部で200万円を超えるお金が必要です。横浜アートサイトの審査を受け、100万円はもらえることになりましたが、あと130万円ほど足りません。  演劇ワークショップは、収益を生まない事業ですが、社会的にとても大事な事業なので、収益を生まなくても続けていかなければならないと思っています。  ぷかぷかがいっぱい儲かっていれば、そのもうけからお金が出せるのですが、残念ながら、かつかつの経営で、はっきり言ってとても貧乏です。いい仕事をしようと、国の基準の5倍もスタッフがいるので、運営がすごく大変なのです。それでもオペラをやったり、上映会をやったり、演劇ワークショップをやったりで、社会を豊かにするための活動は、腹を減らしてでも、しっかり続けていこうと思っています。   演劇ワークショップが生み出す文化は   「障がいのある人たちを排除しない文化」   「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいい、という文化」   「〈生産性〉とはちがう評価軸を持った文化」 今、社会にとって、とても大事な文化だと思います。だからこそ、続ける必要があります。  ぜひ応援してください。具体的には事業を行うための寄付をお願いします。   寄付は、お互いが気持ちよく暮らせる社会への〈投資〉です。自分が目指す社会を実現するために汗を流す一つの方法です。  ぷかぷかは「横浜夢ファンド」(市民活動推進基金)の登録団体になっています。夢ファンドに寄付をしていただくとぷかぷかにお金が入ります(寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください)。税制上の優遇措置があります。詳しくは下記サイトをご覧下さい。 横浜夢ファンド http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/gaiyou.html 寄付をお考えの方へ http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/kifu.html ★寄付の申込書の希望する団体の欄に「NPO法人ぷかぷか」とお書きください。 横浜市 基金の活用 http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/katuyou.html 横浜市 税制上の優遇措置 http://archive.city.yokohama.lg.jp/shimin/tishin/shiminkatsudou/fund/tax.html 障がいのある人もない人もお互いが気持ちよく暮らせる社会を、一緒に作っていきましょう。
  • 「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。
    「共同通信が全国の障害者を対象にアンケートを実施したところ、「大会が障害の理解につながる」との回答が62%に上った。選手の活躍や大会の盛り上がりによって障害への関心が高まり、差別や偏見が解消されるとの期待が大きい。」 と神奈川新聞にありましたが、なんか違うんじゃないかと思いました。 www.kanaloco.jp  すごくわかりやすい例があったので紹介します。  大和市で「車いすバスケット体験講座」というのがあったそうです。 「車いすバスケットボールの体験や選手の体験談を通じて、社会福祉への理解を深めるとともに関心を高めてもらおうと、毎年市内の公立小学校・中学校で実施しています。」と体験講座のサイトにあります。   大和市福祉推進委員会の委員である校長は「子どもたちの目がキラキラしているので意味がある」とコメントしたそうですが、  「娘が在学中も通学する学校でも実施されました。目の前にいる車いすの子どもには目を向けず、です。娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」とお父さんの平岡さんは書いています。  つまり、車いすバスケットを、目をキラキラさせながら体験しても、その体験が、車いすの当事者と関係を作ることにつながっていないのです。たくさんの人がパラリンピックのテレビを目をキラキラさせながら見ても、多分車いすを押す人が増えたりはしません。当事者との関係を作るということにならないのであれば、「差別と偏見」の解消にはなりません。  車いすバスケットは、体験すると、それ自体がおもしろいのだと思います。だから目をキラキラさせた。ただそれだけのことです。それを「社会福祉への理解を深める」ことと安易に結びつけたりするから、話が薄っぺらになるのだと思います。  「娘の車いすを押してくれる級友は増えたりすることはありませんでした。」の言葉は、この手のイベントの本質を鋭く指摘していると思います。イベントの企画者、担当者は、どうしてこういう結果になるのか、謙虚に考えるべきだと思います。  この手のイベントと、当事者と関係を持つことがなぜ結びつかないのか、結びつけるにはどういう仕掛けが必要なのかを、当事者、あるいは関係者の側からの提案も必要なのだと思います。批判するだけでなく、新しい仕掛けの提案こそ必要な気がします。  そもそも「理解する」ことと、「差別や偏見が解消される」こととは、あまり結びついていない気がします。  ぷかぷかにはたくさんのファンがいます。ファンの人たちにはこの「差別も偏見」もありません。ファンの人たちはぷかぷかさんのことを理解して「差別や偏見」をなくしたわけではありません。ぷかぷかのお店に来たり、ぷかぷかのFacebookや、ホームページを見て「ぷかぷかさんが好き!」とファンになっただけです。  お店にもFacebookにもホームページにも、理解を求めるような言葉は一つもありません。あるのは「障がいのある人たちとはおつきあいした方がいいよ」「その方がトク!」という言葉と、なんとなく「そうだよね」って納得してしまうような「雰囲気」「空気感」です。  区役所でぷかぷかのパンやお弁当の販売をするとき、こんな行列ができます。パンがおいしいことはもちろんあるのですが、スタッフだけで販売に行ったのでは、こんな行列はできません。やはりぷかぷかさんたちが販売しているから、こんなにお客さんが集まるのです。  ここには「差別も偏見」もありません。あるのは「おいしいパンがほしい」「ぷかぷかさんに会いたい」の二つです。  行列ができるような仕掛けをしたわけではありません。ぷかぷかさんたちにお店を任せていたら自然にこうなっただけです。ぷかぷかさんたちが区役所を耕した結果なのです。(詳しくは『ぷかぷかな物語』(現代書館)に書いていますので、ぜひ読んでみてください。)  ぷかぷかさん自身が、彼らの魅力で「差別、偏見」をなくしているのです。それが上の写真です。  これは何を物語っているのか、ということです。写真が問いかけているもの、それは社会が持っている「福祉」というものへの根源的な問いではないかと思います。「福祉」は「障害者を理解する」ことでよくなるのか、という問いです。
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