ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 緊張が解けて笑ってしまいました
     近くの女子大から実習に来た人がいて、感想が届きました。 ●●●  はじめて就労継続支援施設で実習をして、障害のある人の支援をするのではなく、一緒に仕事をして一緒に生きていくという考え方に変わりました。障害のある人と関わる機会はなかなかなくて、電車やバスで見かけるとなんとなく目をそらしたりしている自分がいました。施設に興味があるけど実際に行くとなると、大丈夫かなと少し不安な部分もありました。  ですが上映会や実習初日にてらちゃんが凄い勢いで話しかけてくれて、緊張が解けて笑ってしまいました。  メンバーさんは1人1人が自分の個性を存分に出せているのが伝わってきて、それぞれが得意な事、苦手な事を周りのメンバーさんも理解している環境が良いなと思いました。職員さんはそんな個性豊かなメンバーさんが自由に、少しずつ成長していけるような職場を作っているのが凄いと感じました。素直に素敵だなと思う仕事場で、新しい価値観が作られた感じがしました。2週間ありがとうございました。 ●●●  障がいのある人を支援する、というのは多くの人が考えていることです。その「支援する」という発想が、ぷかぷかで実習することで、「一緒に仕事をする」「いっしょに生きていく」方がいい、と気づいたというのです。私がいろいろ話したわけではなく、実習の日々の中で気づいた、というところがいいなと思います。  ぷかぷかに来る前はすごく不安だったようですね。その不安を一瞬で取り除いたのは、テラちゃんの勢いのあるあいさつだったそうです。  テラちゃんは初めての人にも臆することなく、早口でぶぁ〜っとしゃべりかけてきて、初めての人はたいていびっくりしてしまいます。でもその一撃は妙に人の心をやわらかくしてくれます。ガチガチに緊張していた実習生の心も一瞬で解きほぐしてくれたのです。  「緊張が解けて笑ってしまいました」と感想にありますが、こういうことは私が「大丈夫大丈夫」と言ってできることではありません。「電車やバスで見かけるとなんとなく目をそらしたりしている自分がいました」と書かれているような、その人の中にある思い込み、偏見は、言葉ではなかなかなくせません。そういうものからくる緊張感をテラちゃんの一撃は一瞬で溶かし、つい笑ってしまうまでにしてしまったのです。  それがきっかけで、すごく楽な気持ちで実習ができたといいます。そうして2週間の実習で「支援」という関係がおかしいと気づき、「一緒に仕事をする」「いっしょに生きていく」方がいい、と思うに至ったというのですから、テラちゃんの持つチカラってすごい!とあらためて思いました。
  • 「無理して社会に合わせるのはもうやめようよ、もっと自分らしく生きよう」セミナー
     10月12日(土)は地下鉄中川にある「シェアリーカフェ」で、12月8日(日)は「あざみ野駅」にある「スペースナナ」で、「無理して社会に合わせるのはやめようよ、もっと自分らしく生きようよ」セミナーをやります。  これは障がいのある人たち、その親御さん、関係者に呼びかけたものですが、障がいのない人も同じだと思います。  無理して社会に合わせようとして、登校拒否になった人、引きこもりになった人、精神を病んだ人など、まっとうな感覚を持った人たちがたくさん、社会から外れたところで自分の人生を生きています。  「社会に合わせなきゃだめ」と言いながら、合わせる社会がまっとうな社会ではない、ということです。それぞれが本当にこの社会で幸せを感じているかどうかを自分に問うてみれば、すぐにわかる話です。  障がいのある人たちは、社会的に弱い立場であるが故に、社会に合わせないとやっていけない、といわれると、従わざるを得ないのだと思います。あの聡明なツジさんですらそうでした。だからこそ、社会に合わせようとがんばってきた努力が、息子さんがぷかぷかに来てから、見当違いの努力であることに気づき、そのときの開放感は未だに忘れられないといいます。  私自身、教員をやっていた頃は、養護学校に子どもたちは社会に合わせないとやっていけないと思っていました。卒業生たちが、仕事が辛いと話しに来ても、お金もらってるんだから、辛いのは当たり前だよ、なんてひどい答えをしていました。  社会に合わせるのはおかしい、と感じたのは、ぷかぷかをはじめてからです。接客の講習会で、接客マニュアルに合わせようとしているぷかぷかさんの姿が気色悪い、と思ったときです。  惚れ込んだぷかぷかさんたちが接客マニュアルに合わせようと無理して自分を押し殺す姿が痛々しかったのです。教員やっている頃は、この姿を想像できなかったのだと思います。だから、社会に合わせることをよしとしていたのだと思います。  社会に合わせなくてもやっていける、と思ったのはぷかぷかの日々の仕事を通してです。社会に合わせないことで、たくさんのファンができました。そのファンの人たちが売り上げを作りだしています。社会に合わせないことで、区役所では行列ができるほどのお店になりました。区役所に出している福祉事業所のお店の中では、多分一番売り上げを上げています。  社会に合わせないことで、こんな張り紙をみんな楽しみながら張り出したりしています。  以前、こういう字は汚い、もっときれいな字を書かせた方がいい、というスタッフがいました。でも何年かぷかぷかで働く中で、だんだんこの字の良さがわかってきて、今はこの字の大ファンになっています。  社会に合わせない彼らのそのままが一番魅力的なのです。  そして何よりも、こういった張り紙が自由にできるぷかぷかの自由さ。  セミナーではぷかぷかの実践をたたき台に、障がいのある人たちも含め、私たちみんなが自分らしく生きられる社会を作っていくにはどうしたらいいか、といったことをみんなで考えていきたいと思っています。  ★会場が狭いので、参加希望の方はメールでお申し込みください。info@pukapuka.or.jp
  • hanaちゃんはぷかぷかさんよりも生産性が低いのかどうか
    花岡さんのブログ  ameblo.jp  hanaちゃんはぷかぷかさんよりも生産性が低いのかどうか、というとても大事な問題を花岡さんは取り上げています。あなたはどう思いますか?  「何かができる、できない」の評価は、魔物のように私たちにとりついています。その魔物にどう向き合うのか、ということ。  「何かができる、できない」という評価を超える価値が人間にはあることを教えてくれたのは、養護学校の教員になって最初に受け持ったアンジェルマン症候群の重度障害を持ったサト君でした。サト君はおしゃべりもうんこの後始末も、本当にいろんなことができない子どもでした。でも、そのできないことを超える人間の魅力を、サト君はてんやわんやの日々の中で教えてくれたのです。サト君との楽しい日々があったから、「ああ、この人たちといっしょに生きていった方がトク!」と素直に思えたし、「ぷかぷか」の理念でもある「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」という言葉を生んだのも、サト君との楽しい日々でした。  サト君が教えてくれた深い哲学を考えると、「何かができる、できない」の価値基準なんて、人間のごく一部を見ているだけの、薄っぺらな価値観のように思います。  hanaちゃんも人間のすばらしい価値をまわりに振りまいています。だからあんなにたくさんのファンがついているのだと思います。  ぷかぷかさんとは少し違う価値です。だから「ぷかぷかさんよりも生産性が低い」なんて「評価」を出してしまうと少し違う気がします。むしろ「hanaちゃんが創り出す価値こそ、深いところで社会を救う」のではないかと私は思っています。  少し前にhanaちゃんが走っているところの動画がアップしてあって、なぜかその走る姿に癒やされました。たくさんの人が癒やされていました。こうやって、hanaちゃんは社会を救っているのだと思いますよ。
  • 新しい文化は、彼らといっしょに生きる中で生まれた。
     演劇ワークショップ、100万円以上のお金が不足するので、読売福祉文化賞にもう一度トライすることにしました。読売福祉文化賞は4年前、演劇ワークショップが受賞しています。なので、今回はお店で勝負しようと思いました。審査に通れば100万円ゲット!です。  文化賞なので、やはり文化に触れるところでの勝負です。ぷかぷかはどういう文化を生み出してきたか。   簡単に言えば「障害者はあかん」「役に立たない」「効率を落とす」「社会の邪魔」といったマイナス評価の文化に対して、それはちがう、「いっしょに生きていった方がいい」と思える文化です。  それは彼らといっしょに生きていく中で生まれました。  パン屋の前には食パンの焼き上がり時間をお知らせする看板があります。このほっこり心あたたまる看板こそ、彼らといっしょに生きていく中で生まれた心あたたまる文化です。  こういう文化の中では「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」などといって、彼らを殺してしまうような事件は絶対に起きません。津久井やまゆり園障害者殺傷事件は「障害者はあかん」「役に立たない」「効率を落とす」「社会の邪魔」といったマイナス評価の文化の果てに起こったのだと思います。そのことをきちんと見ていく必要があると思います。そして大事なことは、そういったマイナス評価の文化を越えるものをどうやって創り出していくのか、ということです。  「淡路島のたまねぎ」こんな字を見ると、ただそれだけで楽しくなります。  クッキー食べながら、心がはずんで来ます。この字にはそういうチカラがあります。これが彼らといっしょに生きることで生まれる文化です。「障害者はあかん」でも「役に立たない」でもないのです。まして「社会の邪魔」では決してないのです。    この張り紙、誰かが張ったみたいですが、見ただけで心がキュンとあたたかくなります。  この張り紙を見て「障害者はあかん」「役に立たない」「効率を落とす」「社会の邪魔」という人は、多分いません。そういうものの見方が恥ずかしくなるようなものを、この張り紙は持っています。一枚も二枚も上なのです。  彼らといっしょに生きているとこんなシャツが生まれます。  こんなすてきなシャツを見ていると、彼らといっしょに生きなきゃソン!て思います。   そして何よりも彼ら自身の魅力。ぷかぷかでは、彼らは無理して社会に合わせたりせず、そのまんまの彼らで働いています。  そのまんまの彼らの魅力に気がついたたくさんの人が 「ぷかぷかさんが好き!」 と、彼らのファンになりました。  「障害者はなんとなくいや」「怖い」「近寄りたくない」という人が多い世の中で、彼らのことが好き!というファンが現れたことは画期的なことだと思います。  社会に合わせていない、そのまんまの彼らの魅力がたくさんのファンを作り出したのです。障害者は社会に合わせないとだめ、という文化は、こんなふうにファンを作り出したでしょうか?  彼らはファンを作っていくことで、「障害者はあかん」「役に立たない」「効率を落とす」「社会の邪魔」と思っている社会を耕し、豊かにしているのです。  この豊かさ、それが彼らといっしょに生きることで生まれた文化です。
  • 彼らといっしょに生きてることの幸せを感じます。
     「おひさまの台所」の怪しい扉の内っ側に貼ってある張り紙にいつも癒やされます。   心がきゅんとなります。彼らといっしょに生きてることの幸せを感じます。  松田智子さんが13時間も拘束されていたという津久井やまゆり園では、こんなあたたかな言葉のやりとりはなかったんだろうな、と思います。 お互いにとって、それはとても不幸なことです。  そういう環境だから「障害者は不幸しか生まない」という言葉が生まれたのだろうと思います。  不幸は障害者が生んだのではありません。こういう環境をつくった健常者ですよ。健常者が不幸を生んだんですよ。そこをきちんと見ていかないとだめだと思います。だから現場の検証が必要なのです。  写真にあるような張り紙がある環境では「障害者は不幸しか生まない」なんて、誰も思いません。みんな彼らといっしょに生きてる幸せを感じています。
  • 夏斗くん、まわりの人たちをいっぱいハッピーにしてほしいな。
    gab.shimaさんのインスタグラム 夏斗3歳の誕生日おめでとう🎉✨ これからも素敵な笑顔で家族を照らしておくれ🥳✨ 先天性の病気なんかに負けるな🤪 #アンジェルマン症候群 #指定難病 #エンジェルマン #天使の病気 #歩くのが苦手 #話すのが苦手 #笑うのがすごく得意 #どんな病気や #人に愛される才能しか持ってない #最高じゃないか #頑張れ夏斗 #いつか話せるといいね #いつか一緒にサッカーできるといいね #いつか乾杯したいね #お医者さん達よ #研究頑張れ #オレは営業頑張るw  アンジェルマン症候群はかなり重度の障害です。でもいつもにこにこしていて、まわりをハッピーな気持ちにさせてくれます。  「笑うのがすごく得意」  「人に愛される才能しか持ってない」  なんてステキな表現だろうと思います。この表現のまま、夏斗くんの話が話が広がっていくといいなと思いました。重度障害の夏斗くんじゃなくて。  gab.shimaさんは元湘南ベルマーレの選手。たくさんのファンの人たちがフォローしています。福祉ではなく、サッカー選手のファンのネットワークで、こういう話が広がっていくのがいいですね。  「病気なんかに負けるな」なんて感じではなく、夏斗くんとの日々をめいっぱい愉しんでほしいな。そしてめいっぱい愉しんでいる日々を写真でどんどんアップしてほしいですね。  私が養護学校の教員になって最初に受け持ったサト君がまさにこのアンジェルマン症候群でした。新米教員の私の下手くそな授業も、ガッハッハ、ガッハッハと笑いながら拍手してくれました。「や〜、よくできました!」って感じで。  このサト君との楽しい日々があったから、  「いっしょに生きていった方がトク!」 という言葉が生まれ、今、ぷかぷかがあります。  「人に愛される才能しか持ってない」人に最初に出会ったこと、それが私のハッピーな人生の始まりでした。そして今、みんながハッピーになるぷかぷかがあります。ハッピーが広がっているのです。あらためてサト君に感謝!です。  夏斗くん、まわりの人たちをいっぱいハッピーにしてほしいな。あのhanaちゃんみたいに。  「障害者は不幸しか生まない」のではなく、「障害者はまわりの人たちをハッピーにする」と、夏斗くんやhanaちゃんは新しい時代をつくっていくのだと思います。
  • 人としてちゃんとつきあっていれば
    昨年7月に放送されたNHKスペシャルで紹介された松田智子さんの1年後の様子が「おはよう日本」で放送されたそうです。録画を見たのですが、智子さんの生き生きとした表情にびっくりしました。   生活環境が変わるとこんなにも表情が変わるんだと思いました。津久井やまゆり園にいたときは徘徊がひどく、見守りが困難だとして毎日のように「身体拘束」されていました。多い日は13時間を超えることもあったそうで、その結果、智子さんはだんだん意志を示さなくなったといいます。  やまゆり園から別の施設へ移った智子さんの今の表情を見ると、やまゆり園が、いかに非人間的な支援施設であったかがよくわかります。相手が重度の障がいを持っていても、人としてちゃんとつきあっていれば、13時間も拘束するなんてことはあり得ません。  人として相手とちゃんとつきあう。その当たり前のことをやっていなかったから、あの凄惨な事件は起こったのではないか。あらためて、そう思います。  裁判が始まって、多分犯人の異常さがいろいろ出てくるのだろうと思います。その異常さ故に、あの事件が起こった、ということで済まされたら、智子さんを13時間も拘束するようなやまゆり園自体の問題は見えなくなります。多くの方が智子さんのような扱いを受けていたのではないか、ということは容易に想像できます。本当は、この問題こそ解明すべきだと思います。  神奈川県がつくった事件の検証委員会の報告書には、現場がどうだったのか、という一番肝心な部分が全く書かれていません。どう考えてもこれは不自然です。利用者さんが13時間も拘束されるようなひどい現場を全く調査していないなんて、あり得ないと思います。  先日神奈川県に出した質問状にもこのことを書きました。 ④神奈川県の作成した事件報告書には、津久井やまゆり園はどのような現場であったのか、犯人は障がいのある人たちとどのように関わっていたのか、という報告が一切なされていません。なぜですか? ⑤昨年7月のNHKスペシャルで12時間も拘束された女性の話が出てきました。人権侵害も甚だしいです。そういう現場の調査はしなかったのでしょうか。現場の調査なしで、事件の検証ができたのでしょうか。   どんな答えが返ってくるのか楽しみにしています。  智子さん、週2回ですが、資源回収の仕事もやっているそうです。事件を乗り越えて、ここまで来たんだなと思います。智子さんの顔がステキです。事件後の大きな希望ですね。
  • 人権研修会
    青葉区役所から今年も人権研修会を依頼されました。昨年はすごろくワークショップをやりました。 www.pukapuka.or.jp  すごくおもしろかったのですが、同じのをやるのもなんだかつまらないので、今年はぷかぷかさんといっしょに簡単な演劇ワークショップをやってみようかと思っています。時間にして1時間ほどなので、ちょっとだけいっしょに表現活動をやってみるだけですが、それでも、昨年よりは踏み込んだ関係がぷかぷかさんとできるのではないかと思っています。いっしょに新しいものを創り出すような関係です。  あれができないこれができないといわれている障がいのある人たちと、新しいものをいっしょに創り出すのです。それだけでも、なんか痛快で、おもしろいじゃないですか。  目に見えるもの以上に、彼らといっしょにワークショップをやることで、参加者の中に生まれる新しいものに期待しています。  どんな期待ができるのか。  事前に参加者の方にこんな質問をしてもらいます。 「あなたの家のすぐ隣に障害者のグループホームの建設の話が持ち上がりました。どうしますか?そんなのいやだ!って反対しますか?それとも、ま、いいんじゃないの、と賛成しますか?あるいは大歓迎しますか?いずれにしても、その理由を書いてください。人権研修会にふさわしいような、かっこいいことは書かないで、正直な気持ちを書いてください。紙にメモして、人権研修会の日に持ってきてください。」  さて当日、演劇ワークショップではぷかぷかさんと楽しい出会いがたくさんあります。そういった出会いを経験したあとのふり返りで、事前に質問した障害者のグループホーム建設に反対か賛成かの理由を、もういっぺん見てみます。  人権研修会の前は、障がいのある人たちとおつきあいの経験のない人であれば、多分気持ちのずれが生じます。そのずれをそれぞれ発表し、みんなで共有する中で、グループホーム建設に対する反対運動は何が問題なのか、どうすれば解決に向かうのかをみんなで考えます。  その上で、相模原障害者殺傷事件の犯人が言った「障害者はいない方がいい」「障害者は不幸しか生まない」といった言葉を、あらためて考えてみます。殺傷事件そのものについては「許せない」と思う人は多いのですが、言葉については、「そうだろうな」と思ってしまう人は多いと思います。ほんとうに「障害者はいない方がいい」のか、「障害者は不幸しか生まない」のか、みんなで考えたいと思うのです。そうしてあの事件は私たちにとってなんだったのか、も。  今年の5月、青葉区の隣の都筑区で実際にグループホーム建設反対運動が起こりました。神奈川新聞でそのことを知り、ブログを書きました。 www.pukapuka.or.jp  私たちはどこに住もうと誰かにとやかく言われることはありません。でも、障がいのある人がどこかに住もうとすると、こうやって反対運動まで起こったりします。障がいのある人たちの人権はどこにあるのだろうと思います。  区役所での人権研修会は、地域社会でこういった問題が起こったときにこそ役に立つものを身につけてほしいと思っています。
  • 自分らしく、自分の人生を堂々と生きませんか?
    「社会に合わせなくても、やっていけるよ」をテーマにしたセミナーをあちこちでやる予定です。 こんなセミナーです。  以前ダウン症の子どものお母さんたちが10人ほど見学に来られたことがあって、その時に、ツジさんが気づいた「見当違いの努力」の話をしたら、何人かのお母さんが涙を流していました。それくらいみんな社会に合わせるために、毎日毎日大変な努力をして、追い込まれているのだと思いました。  「社会に合わせなきゃだめ」とまわりからの圧力で、自分らしさを押し殺すなんて、もうやめませんか?本当はみんな苦しいんでしょ。苦しいからお母さんたちは、見当違いの努力の話に涙がこぼれてしまったのだと思います。  もう我慢するのはやめて、自分らしく、自分の人生を堂々と生きませんか?自分の人生を大事にしませんか?  我慢して生きるより、こんないい顔して生きた方がトク!です。毎日が楽しいです。だからぷかぷかには笑顔が多いのです。  こんないい顔して働く人たちのお店にこんなに行列ができるのです。  ね、だから社会に合わせなくても、こうやってちゃんとやっていけるのです。  自分らしく、自分の人生を堂々と生きましょう。  というわけで、ぜひチラシに書いたセミナーに来て下さい。  ちょっと遠いなぁ、って思う方は、あなたのところでもこのセミナー考えてみて下さい。自分でセミナーやれば、いろいろ苦労もあって、すごくおもしろいです。自分が磨かれます。いろんな人と話をしていく中で、自分を追い込んでいたものが、「あ、なあんだ、たいしたことじゃないんだ」って気づいたりもします。  すでに会場探したり、仲間を探したりで動き出している人が何人かいます。たくさんの人が、もう無理して社会に合わせるのはやめようよ、と思い始めたのだと思います。場所、日時が決まり次第、Facebookでお知らせします。  セミナーの問い合わせはinfo@pukapuka.or.jp 高崎まで
  • 『街角のパフォーマンス』オンデマンドで100部限定印刷
      養護学校の教員をやっていた頃書いた『街角のパフォーマンス』をオンデマンドで100部限定で印刷しました。1988年に発行したものですが、中身は全く古くありません。というか、障がいのある子どもたちとこんなにおもしろい場をいろいろつくってきたことは、時代のはるか先を行っていたような気がします。いや、今の時代だって、こんな場はつくり切れていない気がします。  副題の《「障害」のある子たちからのやさしい反撃》は、彼らといっしょに作り出した柔らかなやさしい文化による、彼らを排除する文化への反撃、といった意味です。当時、私が彼らといっしょに作り出しているのは新しい「文化」だ、と主張していたのですが、振り向く人はゼロでした。何を寝ぼけたこといってんだ、という雰囲気。演劇ワークショップが読売福祉文化賞を受賞したのは、それから30年もたってからです。時代は何を見ていたのか、と思います。  ですから、今読んでも、新しいものがたくさん見つかります。ぜひ読んでみて下さい。 どんな内容なのか。目次を見ただけでわくわくします。  よく晴れた日曜日の昼下がり、街角の小さな駐車場に「カントト、チントト、カンカン、ジャーン」と鍋のふたやら空き缶やらのにぎやかな音が響き渡ると、プラスチックの野菜ケースを積み上げた舞台で人形劇が始まります。 「やあやあ、おまえはだれだ」 「おれか、おれはバナナから生まれたバナナ太郎だ。さあ、かかってこい」 と台所のスポンジでつくった小さな人形が右に左に舞台を動き回ります。街角にとつぜん出現した、なんとも楽しい雰囲気に、通りがかりの人たちも「お、なんだなんだ」と、つい足を止め、見入っていきます。  養護学校の子どもたち、生徒たちが地域に出て行く手がかりをつかもうと、月一回、街角の小さな駐車場で開かれている「あおぞら市」に手打ちうどんのお店を出していました。たまには何かおもしろいことやろうよ、って「うどんや」の終わったあと、そこにあつまった近所の子どもたち、大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで即興の人形劇をやったことがありました。  地域の子どもたちと大人たち、養護学校の生徒たち、子どもたちで、街角の駐車場で即興の人形劇をやるなんて、今、この時代でもなかなかないと思います。即興で芝居をつくってしまうようなことができたのは、いっしょに演劇ワークショップをやり始めて2年目くらいで、みんな芝居つくりにかなり慣れていたからです。  即興で芝居をつくってしまうこともすごいのですが、その前にこういうことができてしまう関係があったことがすごい重要です。今のぷかぷかでも、地域の子どもたち、あるいは大人たちと、ここまでの関係はつくり切れていません。それを30年以上も前にやっていたのです。「ともに生きる社会」だの「共生社会」だのの言葉すらなかった頃の話です。  どうしてこんなことができたのか、ぜひ『街角のパフォーマンス』読んでみて下さい。抽象的な話ではなく、具体的な手がかりがいっぱい見つかるはずです。  学校の中ではプレイルームを占拠し、役者もお客さんもクッタクタになるほどの熱気あふれる場「芝居小屋」をつくったりしていました。役者だけでなく、お客さんも一緒になって芝居をつくり、一緒になって楽しめるような場をつくりたいと、「海賊ジェイク」という芝居をまさに「芝居小屋」という雰囲気の中で、役者もお客さんも汗だくになってつくりました。     ビューン ビューン     ザザザザ ザッブーン     ピカピカッ ドッカーン    風をやる人、波をやる人、雷をやる人、全部やる人、なんだかわからないけど    めちゃくちゃにコーフンしてる人、「芝居小屋」はもう熱気むんむんの大嵐。  こういうことは事前に説明できません。その場で即興で進行していきます。説明するとつまらなくなります。何が始まるんだろう、どうなっちゃうんだろう、というわくわく感が、なくなってしまいます。予定通り進める、という予定調和は、場と向き合う、という緊張感をそいでしまいます。 《 当時はほんとに必死だった。お客さんはもちろん、いっしょにやる教員も「ほんまこいつ何やるんだろう」って感じだったから、もうとにかくここで勝負するしかないと思ったね。たった一人であの場と向き合ったときの緊張感は、今思い出してもたまらない感じ 》  いろんなことができるようになったのは、このときの経験が大きかったと思います。表現することの自由をこのとき手にしたように思います。その後転勤した養護学校では全校生を相手に体育館でこの「芝居小屋」をやりました。  今の学校に、これだけ熱気、エネルギーの渦巻く場があるでしょうか?管理ばかりやたらうるさくなって、みんなが生き生きする場がほとんどありません。これは管理する側の問題だけでなく、管理を超えるくらいのすばらしいものを作り出そう、という熱い思いのない教員の側の問題が多いと思います。  それを取り戻すにはどうしたらいいのか。この本には多分ヒントがいっぱいあります。  ベテランの教師と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやったことがあります。その教師が芝居の終わったあとの感想に「自分のために何かするなんて、はじめて」と書いていて、その言葉が妙に気になって、後日二人で話をしました。その時の記録が第3章(3)の二人でトーク「子どもと出会い、自分と出会う」です。ベテランですから、いつも子どものために授業をやってきました。レールを敷き、その上を授業案通りに走らせるような授業。そんなガチガチだった教師が、私と組んで「ちびくろサンボ」の芝居をやる中で、はじめて子どもと出会い、自分に出会います。そして「自分のために何かするなんて、はじめて」と感想に書きます。私も含め、自由になるってどういうことかについて深く語り合った貴重な記録です。ぜひ読んでみて下さい。  養護学校でステキな子どもたちに出会い、こんな子どもたちを学校に閉じ込めておくのはもったいない、と街へ連れ出しました。  原っぱで野球をやっていた子どもたちの中へ、重度障害の子どもが知らない間に入っていて、子どもたちはその子のためにルールを変えたりして楽しく遊んでいました。大人がお膳立てしたりする必要は全くありませんでした。  6年生のみーちゃんはこんなふうに書いていました。 《 私たちが野球をしていると、気がついたときにいたというか、あとから考えても、いつきたのかわかんないけど、けんいち君がはいっていて、バットを持ってかまえているので、おにいさんのあきら君にゆっくりかるい球をなげてもらい、いっしょに野球をやることにしたんです。  けんいち君は、最初のうちは球がくると、じーっと球を見ていて打たなかったんです。球の行く方をじっと見ていて、後ろをふりかえって、キャッチャーが球をとってからバットを振るのです。 》  いっしょに遊んだ1年生のくんくんはけんいち君にお手紙を書きました。 障がいのある子を一人で電車に乗せないでください、という新聞投書がありました。     この投書をテーマにした集まりを地域の中でやりました。養護学校へ子どもをやっているお母さんたち、地域のいろんな人たちが集まりました。その中でこんなすてきな意見が出ました。 《今は人とつきあうおもしろさが実感としてなくなってきたんじゃないのかな。僕はお母さんたちの話を聞くのははじめてで、すごくいいなぁって思って、心が耕されているみたいです。そういうおもしろさみたいなのをうまい手段で伝え、みんなと結びつきができるようになれば、100年後には、もうちょっといい世界ができるんじゃないかな》  30年前はみんなそんな風に世界は少しずつよくなるものと考えていました。そんな思いでたくさんの方が投書を巡っていろんな意見を出してくれました。みんな、世界を少しでもよくしたい、と思ってのことです。こんなふうにすれば世界は少しずつよくなると思っていたからです。  でも、30年後、相模原障害者殺傷事件が起き、「障害者はいない方がいい」という犯人の言葉に賛同する人たちまで現れています。社会の分断は30年前よりも更に進んでいます。  結局、この30年、私たちは何をやっていたのか、ということです。  そんな中で、私たちはどう生きていくのかが問われていると思います。  『街角のパフォーマンス』ぷかぷかで販売しています。info@pukapuka.or.jp 魚住までお問い合わせ下さい。電話は045−923−0282 アート屋わんど
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