ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 神奈川県にあらためて質問状送りました。
    神奈川県への質問状、いろんな方からアドバイスをいただき、本日まとめたものを神奈川県のホームページ「私の提案」から送りました。 今まで神奈川県を責めるような感じで書いていましたが、それでは問題の解決につながらないので、神奈川県こそ、事件を乗り越え、未来に向かうべき、という視点で質問を書きました。  このたびは、津久井やまゆり園の事件に関する質問に、回答をいただき、ありがとうございました。  ただ回答を見ると、私の質問の意図が十分伝わっていなかった気がします。そのため、質問の意図と、いただいた回答がかなりずれていました。質問の意図を今一度明確にした上で、再度質問したいと思います。  まず、質問の背景を説明します。  人間の思考は、その人がいる環境に育てられ、その影響を大きく受けます。行動も、その思考から出てきます。重度障害のある人たちと一緒の現場にいる支援者も同じことが言えます。  県としては、今、被告自身に聞き取りはできません。でも、やまゆり園の支援の中身、現場の環境の検証はできます。特に気になるのは一部報道により、身体拘束が日常的に行われていたことがうかがわれることです。  津久井やまゆり園の中で、彼が働いていた現場では、支援者は重度障害の人たちとどのように関わっていたのでしょうか。  被告が手紙に書いた「車いすに一生縛られている気の毒な利用者」というのは、「支援者が利用者を車いすに一生縛る」という実態ではないでしょうか?  こうした実態を見つめ直すことは、事件を乗り越え、未来に向かうための県の役割、責務だと思います。  もし県がその検証を怠るなら、事件の温床が残されたままになります。 以下、質問です。  前回の質問1)の意図は、はやまゆり園の危機管理に関してではありません。 「なぜ、あのような事件が起こったのか」運営法人は施設利用者、家族および県民に対してきちんと説明する責任があります。  今回の事件は、支援する人間が、支援している重度障害のある人たちを惨殺する、という信じられないような事件であり、社会に大変な衝撃を与えました。  やまゆり園で起こった事件であったにもかかわらず、そのやまゆり園の運営法人は謝罪も説明も一切していません。運営法人は社会的責任の大きい社会福祉法人です。 1)ー① 一切の謝罪、説明がなかったことについて、県は指導を入れたのでしょうか? 指導を入れていれば、どのような指導を入れたのか、その結果どうだったのか、をお答えください。  指導をしていないのであれば、なぜ指導を入れなかったのか理由を書いてください。 1)ー② そもそも、県としては、事件に対する津久井やまゆり園の責任は、危機管理の観点のみだと考えているのでしょうか?この点についてお答えください。  質問2)は、主に、雇用主としての職員育成に関する質問です。  2)ー① 回答に 「共同会の人材育成や人権教育に不足があったとは言えない」とありますが、それにもかかわらず事件はおきました。だからこそ、人材育成、人権教育がどのようになされてきたのかの検証が必要だと思います。この点についてどう考えますか?  2)ー② 県や共同会が有効と考えている「人材教育、人権教育」があっても、「長時間の身体拘束が当然とするような」現場の実態がありました。なぜだと思いますか?お答えください。  2)ー③ また、教育よりも、そうした現場実態の方が被告の心に強く影響したと考えます。教育という抽象的なものよりも、実態というリアルなものの方が人の心に大きな影響を与えるからです。このことについて、どう思われますか? 3)回答に「共同会は、第五期中期計画の重点施策の一つに、身体拘束ゼロに向けた取組の推進を掲げています。」とありました。身体拘束ゼロに向けた取り組みですから、事件当時は身体拘束がゼロではなかった。つまり身体拘束があったと解釈できます。身体拘束は条件を満たさなければ、虐待であり、明確な人権侵害です。  そういう職場環境で事件は起こりました。どうしてあのような事件が起こったのか検証するとき、被疑者の働いていた職場環境はとても大きな要因を持っていると考えます。ものの考え方に大きな影響を与えるからです。  3)ー① 身体拘束があったことは日々の日報などで知り得ることです。指定管理先のモニタリングを行う義務は、県にあります。施設設置の責任者として、県は身体拘束の実情を、どう把握していましたか?  身体拘束は明らかに人権侵害です。それに対し、どのような指導を入れましたか?その結果、どのような改善結果がありましたが。お答えください。  3)ー② 共同会のホームページの表現では第五期中期計画は今年の3月にまとめられたものです。それまで不適切な身体拘束が続いていたのでしょうか?お答えください。  3)ー③ 事件検証委員会の報告書は、被疑者の働いていた現場の支援状況について一言も触れていません。現場の支援状況が被疑者に与える影響を考えると、事件を検証する上ではとてもまずいと思います。県としてはどのように考えますか?
  • 穴の開いた靴下の話と、遅さとしての文化
     『スロー・イズ・ビューティフル』という本に「もっと多く、もっと遠く、もっと早く、もっと豊かに」といった経済至上主義に対し、「時間をどんどん換金するようなこれまでの生き方をやめにして、金を減らしてでもゆったりとして人間らしい時間を取り戻そう。」「人間らしい時間、ペースというものがあるはずだ。それは本来ゆったりとしたもののはず。そんな時間のことを文化というのではないだろうか」。そして、本来の「文化」に備わっているはずの「小ささ」と「遅さ」に固執しよう、という。  してみれば、ぷかぷかさんたちと過ごすゆったりとした時間、「遅さ」に固執しなくても自然に遅くなってしまう時間こそ文化であり、経済至上主義から社会を救うものではないか、と思ったりしました。  先日のブログで紹介しましたが、帰りの会の「連絡事項」として、穴の開いた靴下をみんなに見せ「これを友達とかがりたいと思います」と大まじめに発表したイクミンと、その発表をおおらかに楽しんでいたぷかぷかの雰囲気は、「遅さとしての文化」を象徴していると思いました。  そんなつまらないことを「連絡事項」でいうな、時間がもったいない、というのが、経済至上主義です。その経済至上主義が地球環境を壊滅的に破壊し、地球温暖化をもたらしています。最近の異常気象は、地球環境が再生の限界を超えていることを実感させます。トランプ大統領は、それをフェイクだといい、日本の首相はその大統領をノーベル平和賞に推薦したといいます。恥ずかしい限りです。  そんなことを考えると、連絡事項として発表した穴の開いた靴下の話とそれをおおらかに受け止めたぷかぷかの帰りの会は、人間らしい時間を取り戻すすばらしい時間だったとあらためて思うのです。  ぷかぷかにはこんなふうに「穏やかに過ぎていく心地よい時間」があります。この時間こそが、いつも時間に追われているような私たちを救ってくれるように思うのです。だからこそ、彼らを大事にしたいし、一緒に生きていきたいと思うのです。  穏やかに過ぎていく心地よい時間からは、こんな絵が生まれます。
  • 神奈川県に再度質問状を送ります。
    津久井やまゆり園障害者殺傷事件について、9月はじめ神奈川県に対し、質問状を送りました。 www.pukapuka.or.jp これに対し神奈川県から回答が来ました。  ●●●  このたびいただきました、津久井やまゆり園で起きた事件に関するご質 問については、以下のとおりお答えします。  県としては、このような事件が二度と繰り返されないよう、徹底した再 発防止に取り組んでいきます。 (1)について  事件発生後、県は津久井やまゆり園の設置管理者として、指定管理者であ る(福)かながわ共同会(以下、「共同会」という。)に対して、危機管理の観 点から是正すべき業務があり、誠実に対応すべきとして改善勧告を行い、危 機管理対策本部の設置、緊急時の報告連絡体制の再構築などを含んだ改善計 画が提出され、県ではその進捗状況について改善を確認しました。 (2)について  津久井やまゆり園事件検証報告書では、「採用時の面接等で本人が偏った 思想を持っていても見抜くことは困難であり、共同会の人材育成や人権教育 に不足があったとは言えない」との見解が示されています。  なお、県は、共同会が、平成29 年度に人事企画部を新たに設置し、職員 の採用後の勤務状況等について、一人一人丁寧にフォローし、人事管理の徹 底を継続していることを確認しております。 (3)及び(4)について  県は、事件の動機や犯行態様を把握できる立場にありません。なぜこのよ うな事件が起こったのかという点につきましては、今後の刑事裁判の中で、 明らかになっていくものと考えております。 (5)について  共同会は、第五期中期計画の重点施策の一つに、身体拘束ゼロに向けた取 組の推進を掲げています。県としては、こうした取組が継続して実施される よう、引き続きしっかりと指導してまいります。  なお、個別の事案についてのお答えは差し控えさせていただきます。  令和元年9月27 日 高崎 明 様  神奈川県福祉子どもみらい局福祉部障害サービス課長 大澤 靖史                                             問合せ先                   施設指導グループ 岩下                   電話 045-210-4724(直通) ●●●  このたびは、質問に対する回答をいただき、ありがとうございました。  ただ回答を見ると、私の質問の意図が十分伝わっていなかった気がします。そのため、質問の意図と、いただいた回答がかなりずれていました。質問の意図を今一度明確にした上で、再度質問したいと思います。  まず、質問の背景を説明します。  人間の思考は、その人がいる環境に育てられ、その影響を大きく受けます。行動も、その思考から出てきます。重度障害のある人たちと一緒の現場にいる支援者も同じことが言えます。  県としては、今、被告自身に聞き取りはできません。でも、やまゆり園の支援の中身、現場の環境の検証はできます。特に気になるのは一部報道により、身体拘束が日常的に行われていたことがうかがわれることです。  津久井やまゆり園の中で、彼が働いていた現場では、支援者は重度障害の人たちとどのように関わっていたのでしょうか。  被告が手紙に書いた「車いすに一生縛られている気の毒な利用者」というのは、「支援者が利用者を車いすに一生縛る」という実態ではないでしょうか?  こうした実態を見つめ直すことは、事件を乗り越え、未来に向かうための県の役割、責務だと思います。  もし県がその検証を怠るなら、事件の温床が残されたままになります。 以下、質問です。  前回の質問1)の意図は、はやまゆり園の危機管理に関してではありません。 「なぜ、あのような事件が起こったのか」運営法人は施設利用者、家族および県民に対してきちんと説明する責任があります。  今回の事件は、支援する人間が、支援している重度障害のある人たちを惨殺する、という信じられないような事件であり、社会に大変な衝撃を与えました。  やまゆり園で起こった事件であったにもかかわらず、そのやまゆり園の運営法人は謝罪も説明も一切していません。運営法人は社会的責任の大きい社会福祉法人です。  一切の謝罪、説明がなかったことについて、県は指導を入れたのでしょうか? 指導を入れていれば、どのような指導を入れたのか、その結果どうだったのか、をお答えください。  指導をしていないのであれば、なぜ指導を入れなかったのか理由を書いてください。  そもそも、県としては、事件に対する津久井やまゆり園の責任は、危機管理の観点のみだと考えているのでしょうか?この点についてお答えください。  質問2)は、主に、雇用主としての職員育成に関する質問です。  2)ー① 回答に 「共同会の人材育成や人権教育に不足があったとは言えない」とありますが、それにもかかわらず事件を起こしました。だからこそ、人材育成、人権教育がどのようになされてきたのかの検証が必要だと思います。この点についてどう考えますか?  2)ー② 県や共同会が有効と考えている「人材教育、人権教育」があっても、「長時間の身体拘束が当然とするような」現場の実態がありました。なぜだと思いますか?お答えください。  2)ー③ また、教育よりも、そうした現場実態の方が被告の心に強く影響したと考えます。教育という抽象的なものよりも、実態というリアルなものの方が人の心に大きな影響を与えるからです。このことについて、どう思われますか? 3)回答に「共同会は、第五期中期計画の重点施策の一つに、身体拘束ゼロに向けた取組の推進を掲げています。」とありました。身体拘束ゼロに向けた取り組みですから、事件当時は身体拘束がゼロではなかった。つまり身体拘束があったと解釈できます。身体拘束は条件を満たさなければ、虐待であり、明確な人権侵害です。  そういう職場環境で事件は起こりました。どうしてあのような事件が起こったのか検証するとき、被疑者の働いていた職場環境はとても大きな要因を持っていると考えます。ものの考え方に大きな影響を与えるからです。  3)ー① 身体拘束があったことは日々の日報などで知り得ることです。指定管理先のモニタリングを行う義務は、県にあります。施設設置の責任者として、県は身体拘束の実情を、どう把握していましたか?  身体拘束は明らかに人権侵害です。それに対し、どのような指導を入れましたか?その結果、どのような改善結果がありましたが。お答えください。  3)ー② 共同会のホームページの表現では第五期中期計画は今年の3月にまとめられたものです。それまで不適切な身体拘束が続いていたのでしょうか?お答えください。  3)ー③ 事件検証委員会の報告書は、被疑者の働いていた現場の支援状況について一言も触れていません。現場の支援状況が被疑者に与える影響を考えると、事件を検証する上ではとてもまずいと思います。県としてはどのように考えますか? ★来年1月には裁判が始まります。多分、容疑者の特異性が前面に出てきて、やまゆり園自体の問題、それを監督する神奈川県の問題は問われないままになる可能性があります。それはまずいのではないか、というところでの質問です。みなさまからのご意見お寄せください。takasaki@pukapuka.or.jp までお願いします。
  • やりたいことがあっても、我慢するのが人生にとって一番ソン!
     ぷかぷかさんといて楽しいのは、やっぱり私たちと発想が違ってて、その違いがあるから楽しいのだと思います。  今日の帰りの会、 「何か連絡ありますか?」 と聞いたところ、フタミンが手を上げ、おもむろに靴下を脱いで、みんなに見せ、 「ここに穴が開いています。これをユースケさんといっしょに縫いたいです」 と、まじめな顔して言いました。  何でこれがみんなへの連絡事項なの? と思いながらも、なんだか大笑い。もう抱きしめたくなるくらいの連絡事項です。  こういうことが帰りの会の「連絡事項」として出てくるところがぷかぷかのおもしろいところ。  障害者は社会に合わせないとだめ、といわれます。社会に合わせ、私たちと同じになったら、穴の開いた靴下の話が連絡事項として上がることは絶対にありません。  なんかね、社会が寂しくなる気がするのです。  一回きりの人生、お互い言いたいことを言い合って、やりたいことをやり合って、毎日笑いながら過ごすのが一番。言いたいこと、やりたいことがあっても、我慢するのが人生にとって一番ソン!です。  「無理して社会に合わせるのは、もうやめよう」セミナー、ぜひお越しください。まだ空席あります。
  • 昔話してたトトロの話、よく覚えているよ
     シンちゃんがお母さんといっしょにご飯食べに来ました。今日は運動会の代休だそうです。  シンちゃんは保育園に行ってる頃、毎日のように夕方保育園の帰りにお母さんといっしょにパンを買いに来ました。  トトロが大好きな子どもでした。なので、パン屋に来ると、いっしょに外へ出て、通りの大きなケヤキの木を見ました。  ちょっと薄暗くなり始めた頃なので、声をひそめ、 「もうすぐあの大きな木の上に、トトロが傘さして現れるんだよ。ほら、見える?」 と、二人して目をこらしたのでした。  「そうそう、もうちょっと暗くなると、ネコバスもやってくるんだよ。ちょうどあの木の下に止まるから、待ってると乗れるかも」  なんて話を目をキラキラさせながら聞いてくれました。  そのシンちゃんが、今は6年生だそうです。 「ぷかぷかのパンで育ててもらいました」 って、お母さんが言ってましたが、ぷかぷかといっしょに大きくなったんだと思いました。  シンちゃん、昔話してたトトロの話、よく覚えているよ、っていってくれて、ちょっとうれしかったですね。
  • そらくん、床屋を耕す
     浅川さんちのそらくんが床屋に行きました。そらくんが街を耕している様子がよくわかります。 ameblo.jp  床屋に限らず、どこでも人はみんなばらばらです。でも、そらくんがいることで、そこで知らない人通しで自然に会話が生まれたことがすばらしいですね。  『福祉労働』という雑誌に 「ぷかぷかさんといることで、周囲の人間の心がまるくなる」 という言葉がありましたが、そらくんがいたおかげで床屋さんにいたお客さんたちの心がまるくなったんですね。だから全く知らない人とも自然に会話が生まれたのだろうと思います。  社会全体がなんとなく息苦しくなる中で、みんな心がとがってしまっています。知らない人に向かう心がとがっていて、社会がどんどんばらばらになっていってる気がしています。ツイッターに飛び交うきつい言葉を見ていると、社会のばらばらがどんどん進んで収拾がつかなくなっている気がします。  そんな中で、そらくんが床屋に行っただけで、そのまわりでほんわかした空気が生まれ、知らない人通しで会話が始まったという話は、なんかホッとして、ここにこそ社会の希望があるように思います。  床屋さんのような出来事があちこちで起これば、社会全体がまるくなる気がします。だからどんどん街へ出て行きましょう。そよ風のように。
  • つるみぷかぷか作り隊 第一回イベント
    ぷかぷか作り隊が11月4日のイベントのチラシを作りました。 大事なところを大きくすると    鶴見にぷかぷかのような場所、みんなが思いっきり自分らしくいることができて、みんなが笑顔で過ごせて、障がいのある人もない人もごちゃ混ぜでフラットな関係でいられて、ほっこり心あたたまるような場所をつくります。  その第一回目の集まりです。とりあえず高崎、辻さんから、ぷかぷかってどんなところか、この9年で何を生み出したのか、読売福祉文化賞にエントリーしたそうだが、どんな文化を生み出したのか、あれができない、これができないといわれている障害者が、どうして文化を生み出したりするのか、ぷかぷかは貧乏なのに毎年200万円を超えるお金をつぎ込んで芝居作りをやっているが、いったい何のためなのか、ぷかぷかさんの保護者から見てどうなのか、どうして障がいのある人たちといっしょに生きていくのがトクなのか、つきあわないとどうしてソン!なのか、接客マニュアル通りにやることが何で気色悪いのか、『ぷかぷかな物語』に登場するフリチン少年は社会をうまく渡っていけるのか、何でうんこの始末も自分でできない重度障害の子どもたちに惚れ込んだりするのか、等々、根掘り葉掘り聞きまくります。  で、今後、何を目指して、具体的にどんなことをやっていくのか、といった話になると思います。  興味のある方、自分のところにもぷかぷかみたいな場所があるといいなと思っている方、ぜひご参加ください。 ぷかぷかつくり隊についてはこちらのサイト pukapuka-pan.xsrv.jp
  • とがった心がまるくなる
     現代書館から出ている『福祉労働』という季刊のちょっと堅い雑誌に8月3日の上映会の話が載っていました。現代書館の若い編集者が書いたのですが、上映会でやろうとしたこと、伝えようとしたことを、すごくうまくまとめていると思いました。  「相模原障害者殺傷事件についての集会ーーではあるが、会場のあちこちで笑い声が聞こえ、障がいのある人と子どもが一緒になって走り回っている。そこには、明るさと希望が満ちていた。」と書いてあります。  特にそういったことを計算していたわけではないのですが、ぷかぷかさんといっしょにいると、自然にそういう雰囲気になります。明るさと希望は、彼らが作り出すものです。  相模原障害者殺傷事件以降、社会に必要なのは、この「明るさと希望」だと思います。ぷかぷかさんがいると、ただそれだけでそういったものが生まれるというのは、やはり彼らを軸にした社会を作ってこそ、事件を乗り越えられるのだと思います。  「ぷかぷかさんといることで、周囲の人間の心がまるくなる」 とも書かれていて、すごくいい表現だと思いました。まわりの人に対し、とがった心を持ちがちな現代社会にあって、ぷかぷかさんが社会にいることの大事さをあらためて思いました。上映会の会場全体が、ほっこりあたたかな雰囲気に包まれたのも、ぷかぷかさんのおかげですね。  たまたま今回の『福祉労働』に載っていた相模原障害者殺傷事件をテーマにした『生きるのに理由がいるの?』というドキュメンタリー映画の上映会で、ちょっとした意見の違いで険悪な雰囲気になり、げんなりしたことがありました。お互い、つい心がとがってしまうんですね。本当はそういったものを乗り越えるための上映会なのに、私たち自身が自分の中のとがった心をうまく収められないんですね。「まぁまぁ、そこまでにしましょう」で無理矢理収めてしまいましたが、後味の悪い上映会でした。  それを思うと、8月3日の上映会は話し合いも気持ちよくでき、「明るさと希望」も感じられる本当にいい上映会だったと思います。あらためてぷかぷかさんに感謝!です。
  • いっしょに笑顔になれる方法探してみたら、新しい道が見つかるかも
    「うちのぷかぷかさん」を書いている浅川さんの最新ブログ ameblo.jp  そらくんの子育てを楽しんでいる日々がよく見えます。  ふつうなら、あれができない、これが遅れている、といろいろ悩むところですが、そんなことよりも、そらくんとの日々が楽しくて楽しくてしかたがなかった、と書く浅川さん。  これは浅川さんが特別なのではなく、「社会に合わせなきゃ」というところから自由なだけ。だから子どもとの日々を楽しめる。  多くの人は、そこのところに縛られ、せっかくの子どもとの楽しい日々が楽しめなくなっているのだと思います。もったいない話です。  どうして「社会に合わせなきゃ」というところから自由じゃないんだろう、そこから自由になるにはどうしたらいいんだろう、と思います。  ぷかぷかはぷかぷかさんを社会に合わせようとしたとき、ぷかぷかさんの無理して社会に合わせようとする姿が気色悪くて、ああ、こんなんではやっていけないと思い、社会に合わせるのはやめました。結果、ぷかぷかさんたちは日々笑顔で働いています。社会に合わせなくても、ちゃんと稼いでいます。社会に合わせないことで、ファンまでついています。社会に合わせたおかげでファンがついたという話は聞きません。  「無理して社会に合わせなくてもいいじゃん」「自分の人生を楽しもうよ」「子どもたちとの日々、楽しもうよ」と思っています。  11月4日(月)の下記のイベントに参加すれば、 「子どもたちとの日々を楽しむコツ」 を浅川さんが教えてくれますよ、きっと。これはもう、参加しなきゃソン!です。 www.facebook.com
  • それではだめなんだと気がつきました。
     今日紹介した実習生の感想にはなかったのですが、実習の終わり頃、学生さんといろいろお話ししたときに相模原障害者殺傷事件の話をしていました。  授業で聞いたときは、大変な事件だけど、どこか人ごとという感じで聞いていました。でもぷかぷかで実習し、『ぷかぷかな物語』の最後の章を読んでからは、それではだめなんだと気がつきました、とうれしいことを言ってくれました。  人ごとではなく、自分のこととして考えなければいけないんだ、と。その気づきが、ぷかぷかさんとのおつきあいから生まれた、ということがうれしいですね。  テラちゃんをはじめ、実習で出会ったぷかぷかさんたちと自分の、いっしょに生きていった方がいいと思える関係の中で、犯人の言った「障害者はいない方がいい」とか「障害者は不幸しか生まない」と言った言葉がいかに間違ったものであるか、リアルに気がついたのではないかと思います。人ごとのようにすましていい事件ではないことも。  『ぷかぷかな物語』の最後の章はぷかぷかさんとの関係の中で見えてきた事件への思いです。ですからぷかぷかさんたちといい関係を作っていれば、あの章で書いたことはすごくよくわかるはずです。たとえば「面倒のかかる人たちを排除すると社会はすっきりするのかどうか」とストレートな問いを立てます。ぷかぷかさんたちとの関係の中でその問いを考えていくと、事件が問いかけたものがリアルにわかります。  優生思想云々の大きな話ではなく、ぷかぷかさんとのおつきあい、という等身大の目線で相模原障害者殺傷事件のことを自分のこととした考えられたことがすばらしかったと思います。  そういう意味では、今回の実習は想定外の収穫のあった、本当にいい実習だったと思います。
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