ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 度々フタミさんが「一緒にお昼食べよう」と言ってくれていた
    ワークショップに参加した方から、ぷかぷかさんと参加者の関係を語る素晴らしい感想が上がってきました。 ●●●  表現の市場が終わってまだ一ヶ月も経っていないのに、みなさんとあの場にいられた時間がすごく懐かしいです。    演劇ワークショップのお昼時間。  前から度々フタミさんが「一緒にお昼食べよう」と言ってくれていたのですが、いつもうちはお昼ご飯を用意していないので「マルエツにお昼を買いに行って来るから、先に食べててね〜」と言って買いに行っていました。でもフタミさんは、食べずに私達をマルエツまで走って(!)追っかけてきてくれることもあり、お弁当を持って来ているのにマルエツでの買い物に付き合ってくれ、それから戻って一緒に食べたこともありました。   フタミさんも買い物したくなってしまった事もあり、、、ある日からお弁当を作り始めました。   そうしたら、当然フタミさんを待たせなくていいし、一緒にゆっくりお昼も食べられるしで、もっと早くお弁当にしてれば良かったと思いました。   それからはお互い「お昼一緒に食べよう」と言い合わなくても、お昼の時間になったら一緒にお弁当を食べるのが、ワークショップの日の自然な流れになりました。   お弁当を作り始めてからは、フタミさんと一緒に食べる光景や、コンノさんが必ず何かもらいにくる光景(!)を思い浮かべながら、冷凍食品の詰め合わせでしたが、お弁当を作っている時間も楽しい時間となっていました。   朝はバタバタで、お弁当を作る時間なんてない!とかたくなだった私の頭を、フタミさんのストレートな気持ちが打ち砕いてくれました。お陰でお昼の時間も思い出深い時間となりました。     本番一週間前の、どんぐりが自分が一番と言い合う場面の事。 あの日の感想の時、隣に座ったショーヘーさんからは「お互いを認め合い、みんな一緒でいいじゃないか」 「みんなそれぞれ良いところがあるのだから、仲良くすれば良いじゃないか。」という思いの言葉が溢れ出て止まりませんでした。   親である自分は、つい子供に結果を求めてしまいがち。やるからには頑張りなさい、と。 何か目に見える評価でなく、本人が満足してればいいのか、と反省したり…。   ショーヘーさんの中では、相手の存在を認める事がまず先にあり、何が出来るか、なんて関係ない。 自分がとらわれている所から、突き抜けて違う次元でショーヘーさんは生きているんだな〜と思いました。 ショーヘーさんの言葉は、薄っぺらいきれいごとではなく、率直に思っている事だから、どんどん言葉になって溢れ出ていたのだろうと思います。 ●●●  参加者の心をこんなにも揺さぶったフタミンもショーヘーさんもすごいなと思います。
  • 一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係
     3月12日(木)に北海道の岩見沢で、簡単なワークショップ、上映会、トークセッションを予定していましたが、コロナウィルスの関係で延期になりました。  半月ほど前、岩見沢にある「こくわの里」という施設から電話があり、『ぷかぷかな物語』読んで、すごくおもしろかったので、ぜひこちらへ来てお話ししてもらえないか、という依頼があり、今回の企画が立ち上がりました。電話してきたのは80才になるという施設長さんでしたが、シャキシャキして、ものすごい実行力、行動力のある人のようでした。  「こくわの里」は自立支援法成立以前の地域にできた小さな作業所ですが、自立支援法ができてから、それまで思っていたのと違う福祉の方向となり大いに戸惑ったといいます。  どう違っていたのか聞いてみると、 「自立支援法になって一番問題は福祉をサービスにしてしまったこと。利用しているなかまはお客様ではないと思いました。」  それまでやってきた人と人とのおつきあいが、サービスという関係になってしまい、なかなか自分の思いが実現できなくなったのではないかと思います。そういう中で『ぷかぷかな物語」を読み 「ぷかぷかさんの実践読んで自立支援法の下でもこんな実践が可能なんだと嬉しくなりました。」 とメールにありました。  ぷかぷかを立ち上げたときはすでに自立支援法があり、その制度の中でやってきましたが、特に不自由さを感じることもなく、やりたいことをやってきました。  一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係でやってきたことだと思います。サービスを提供するという関係ではなく、どこまでも人としておつきあいし、そこから新しいものを創り出す。あえて創造の「創」の字を使いましたが、障がいのある人たちと一緒に新しい歴史を創り出す、ということです。  『ぷかぷかな物語』はそういう関係が何を創り出してきたのかがよくわかる本です。         以前、福祉の関係者の集まりでお話ししたとき、質疑応答の中で、ふたこと目には「支援」「支援」という言葉が出てきて、この業界の人たちは、支援という言葉、関係から自由になれないんだと思ったことがあります。自立支援法の中の関係から自由になれない、ということ。そこから自由になれないと、こんな物語は生まれません。1+1が、どこまで行っても1のままです。うまくやれば1+1が5くらいの価値を生み出すのにもったいないです。  そこから自由になるためにはどうしたらいいのか、そんな話を施設長さんとするつもりでしたが、残念ながら延期。  施設長さんはこんなこともメールに書いていました。 「一番心を打たれたことは相模原事件です。職員会議で3回全員で学びました。毎日が歴史を創ります。権利のことでいろいろ書かれたものはありましたが、施設の職員が起こした事件ということがどういう意味を持つのかがぷかぷかな物語でぴったり来ました。」  施設関係者から、こんな反応があったのは初めてです。施設の職員が起こした事件にもかかわらず、施設からの反応は、事件直後はともかく、最近はさっぱりな感じです。裁判に注目が集まりましたが、施設自体が持つ問題は明らかにされないまま終わってしまいそうです。  そういった中で、相模原事件に関する章に心を打たれた、という施設長さんとのトークセッションはすごく楽しみにしていたのですが、残念ながら延期。 「世情が落ち着いたらいち早く再開しましょう」 とメールにありましたので、再開が決まりましたらまたお知らせします。   www.kokuwanosato.jp 『ぷかぷかな物語』はこちらから shop.pukapuka.or.jp アマゾンでも手に入ります。Amazonのレビュー www.amazon.co.jp
  • 全国の支援の現場が、発想を変えれば、今までにない新しい価値がたくさん生まれ、社会はもっともっと豊...
     先ほどブログを書いたあとでふと思ったのは、そもそも支援の現場で障がいのある人たちと豊かなものを作り出そうという発想があるのかどうか、ということ。  「支援」は障がいのある人たちに「何かやってあげる」一方的な関係であり、一緒に何か新しいものを作っていく関係ではありません。そこがぷかぷかとの決定的な違いだと思います。  今まで何度も書きましたが、障がいのある人たちの作り出す価値を1、スタッフの作り出す価値を1とすると、支援という関係の中では1+1が作り出すものは、2ではなく1のままです。「何かやってあげる」ことが目的なので、障がいのある人たちが生み出すものを見つけ出し、それを生かそうという発想が生まれません。そこからはスタッフの幅のものしか生まれません。だから1+1はどこまで行っても1のままなのです。  ぷかぷかでは1+1が5くらいの価値を生むこともあります。なぜならぷかぷかさんが生み出すものをいつもわくわくしながら見ていて、それをなんとか生かそうと思っているからです。そのままにしておくのはもったいないと考えるからです。  この人の描く字は味があるので、ベンチに描いてもらったり、Tシャツに描いてもらったりしています。  そうすると字の価値が何倍にもなります。こうやって新しい価値が生まれます。1+1が5くらいの価値を生み出すのです。  ベンチはお洒落な美容院へ、Tシャツはお客さんの手元へ行き、わくわくするような日々を作り出します。  これが障がいのある人たちと一緒に生きることで生まれる新しい価値であり、一緒に生きる意味です。彼らと一緒に生きることで、社会が豊かになるのです。一緒に生きていった方がトク!なのです。  全国の支援の現場が、こんな風に発想を変えれば、今までにない新しい価値がたくさん生まれ、社会はもっともっと豊かになるような気がするのです。
  • ハッピーになる関係を日々の暮らしの中で作り続ける
     2月29日(土)福岡・大名クロスガーデンで簡単なワークショップ、『Secret of Pukapuka』の上映会、トークセッションをやる予定でしたが、コロナウィルスが広がっているため延期になりました。ちょっと残念ですが、ま、しょうがないですね。  津久井やまゆり園事件の裁判もあり、事件に絡めてぷかぷかがやっていることの意味を話そうかなと思っていたのですが、次の機会ですね。  被告は控訴しないようなので、多分死刑の判決が下り、裁判は終わってしまいます。どうして障害者支援の現場でこんな事件が起こってしまったのかは明らかにならないまま裁判が終わることになります。  私は事件が起こって以来、悲しくて、悔しくて、事件についてのブログを書いて書いて書きまくりました。100本を超えています。抽象的な事件批判ではなく、どこまでもぷかぷかの現場から見た事件についての思いです。そうやってある日気づいたことは  「障害者は不幸しか生まない」 という言葉は、被告自身が障がいのある人とそういう関係しか築いてなかったのではないか、ということです。不幸としか思えないような関係です。  ぷかぷかは障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ、と言い続けています。それは彼らとのおつきあいがとてもハッピーだからです。ハッピーと思えるような関係を作っているからです。  下の写真はぷかぷかさん、地域の人たち、スタッフが一緒になってケヤキの木を相手にワークショップをやったときの写真です。こんな風にみんなが楽しくなるような関係を被告が経験していれば、あんな事件は起こりませんでした。事件の現場がこういう関係を作っていなかったのではないか、ということです。  いや、こんな関係は支援ではない、という反論が来るかも知れません。では支援という関係が、どれだけ豊かなものを作り出したのでしょう。たとえばぷかぷかが創り出した『表現の市場』を超えるものを支援の現場は作り出していますか?  そこを問い直さない限り、事件を生み出した温床は温存されたままで、またどこかで同じような事件が起きます。事件後も虐待が起こっていることは何を物語るのでしょう。  上の写真のような関係を日々の暮らしの中で作り続けること、それがすごく大事な気がします。そういった関係を作るコツが『Secret of Pukapuka』という映画には描かれています。  興味のある方は連絡下さい、  www.pukapuka.or.jp
  • 本気で寄り添ってくれる人を見抜いているのだと思います。
     『道草』上映会、無事終わりました。お客さん、ずいぶん入っていました。200人くらいはいたでしょうか。とてもうれしかったです。  ツジさんが映画の宣伝映像で、映画の何がいいですか?と聞くと、「たぁー!」がいい、と言ってましたが、上映中、映画の中でヒロムさんが「たぁー!」と叫ぶと、ツジさんも合いの手を入れるように「たぁー!」と叫んでいました。こういう反応は私たちにはできませんね。ツジさんのおかげで、上映会のとてもいい雰囲気ができたと思っています。ツジさんに感謝!です。  お母さんはこんな書き込みをしていました。 《 カツヒロは本当にこの上映会を楽しみにしていました。ターッ‼️と合いの手を入れたのは彼の心に響くものがあったからなんでしょうね。作り物っぽかったり、偽善が透けて見えていたら、あんな反応はなかったと思います。いい1日でした。》  彼の心に響くものがあった、というのがいいですね。映画の素晴らしい評価です。  久しぶりの『道草』、4回目でしたが、あらためて新鮮な気持ちで見ました。こういう人たちが街の中で暮らしているということが、何を差し置いてもいいですね。「共に生きる社会を作ろう」だの「共生社会を作ろう」だの、キャッチコピーのような言葉を言うだけでは社会は何も変わりません。『道草』に見える、こういう風景こそ具体的に作り出すべきだと思います。  自立生活センターグッドライフの人たちが、重度障害の人たちの自立生活を支えているのですが、支え方がすごくいいですね。  映画に登場するリョースケさんのお父さん岡部耕典さんは、介護者は当事者が選んでいるんですよ、とおっしゃっていました。介護者と相性が合う、あわないは、当事者の側が決めているそうです。リョウースケさんの介護者はリョースケさんが決めているのです。  ここでの介護は、人と人とのおつきあいなんだと、岡部さんの言葉を聞きながら思いました。相性が合う、あわないを大事にする、というのは、そこに人と人とのおつきあいがあるからです。だから映画があたたかいのだと思います。  映画に登場するユウイチローさんは行動障害があって、ものを投げたり、壊したりでなかなか大変な人。津久井やまゆり園なら多分拘束されています。2年前の7月の放送されたNHKスペシャルでは徘徊するという理由で1日13時間もバンドで拘束された女性が紹介されていましたが、多分ああいう感じになると思います。  ところが「自立生活センターグッドライフ」の人たちは、対応のすさまじく困難なユウイチロウさんに果敢に素手で向かっていきます。どこまでも相手に寄り添う、向き合っていくのです。  一緒に電車に乗って出かけます。 《 何かあったらどうするんだっていった時には、責任は裕一朗くんにもあるし私たちにもある。私たちは出来るだけそうしないように、悪い言い方で言えば監視役でもあり、ガードマンなのかもしれない。けどそれはあくまでも、彼の自由を担保するために居るっていうことなんですね 》  「彼の自由を担保するために居る」とか言っても、ユウイチローさんのような人だと、本気で相手に寄り添うには、それなりの度胸がないとなかなか難しいと思いました。  そのユウイチローさん、外出の途中で調子が悪くなり、コンビニのガラスを割ってしまいます。コンビニのガラスは相当分厚いです。それを割るくらいなので、ものすごいエネルギーです。パトカーが出動したそうですから、多分大騒ぎになったのでしょう。  やってきた警官が心配して 「パトカーで送っていきましょうか?」 と聞くのですが、ユウイチローさん、 「いや、大丈夫です」 と、断ってしまいます。こういうところ、ユウイチローさんは覚めていますね。わかっていながら、ついやってしまうところにユウイチローさんの悩み、苦しみがあります。  そばにいた監督は、心配で、パトカー乗ればいいのに、と思ったそうですが、ユウイチローさんと介護者は何事もなかったかのように歩いて帰ったといいます。ふつうなら、もう怖くて、今日の外出はここで終わり!と多分なります。  うちへついてから介護の人がこういったそうです。 「今日は外へ行けてよかったね。」  監督は、パトカーに乗ればいいのに、と思った自分と比べ、なんて肝が据わった人なんだ、と感心したそうです。  肝が据わる、というのは、仕事ではなく、その人の生き方です。映画見ながら、介護に入っている人たちの「生き方」をすごく感じました。  そういうものがあるから、ユウイチローさんのこの笑顔が生まれるのだと思います。本気で寄り添ってくれる人を見抜いているのだと思います。  やまゆり園は本気で寄り添っていたのか、と思います。  
  • 『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。
     明日の『道草』上映のあと、シンポジウムをやります。  出演は『道草』の監督・宍戸大裕さん、映画に出てくる岡部亮佑さんのお父さんであり、早稲田大学教授の岡部耕典さん、Cafeゆうじ屋オーナー、ラブ・エロ・ピース ボーカリストの実方祐二さん、NPO法人ぷかぷか理事長の高崎明です。  どんな話になるか、その場になってみないとわからないのですが、つい先日津久井やまゆり園事件の被告に死刑が求刑されたこともあり、やはりどこかで事件にはふれたいと思っています。  裁判では、どうしてこんな事件が起こってしまったのか、という一番大事なところが全く解明されませんでした。社会全体の問題と、支援の現場が抱える問題の二つがあると思います。  そのことを私たちは考え続け、どうしたらいいのかを語り続ける、表現し続ける、新しい事実を作り続けることが大事な気がしています。アーダコーダの話で終わるのではなく、具体的なものを作ることです。  ラブ・エロ・ピースの映像です。祐二さんの絶唱がカッコイイ! https://www.youtube.com/watch?v=yM2cVWa5gbg  これに負けないものをみんなで創り出せたら、と思っています。 チケットはこちらから peatix.com
  • 障がいのある子どもがいることで、日常世界がこんなにも楽しく、豊かになる
     障がいのある子ども達は、とんでもなく自由です。それに引き換え、私たちはとんでもなく不自由です。だから彼らとのおつきあいに苦労します。  浅川素子さんもずいぶん苦労されたようです。それでもあるとき、ふっと発想を変えてみた。そうするとこんなにも楽しい空間、時間が生まれました。  お風呂の写真が感動的に素晴らしいです。障がいのある子どもがいることで、日常世界がこんなにも楽しく、豊かになることが、この一枚の写真から伝わってきます。うちには子どもが3人いましたが、こんなにも楽しいお風呂はありませんでした。  何よりも障がいのある子ども達のおかげで、お母さんが自由になれたことが素晴らしい。 ameblo.jp
  • 2月22日(土)は、たくさん、たくさん、人を浴びに来て下さい。
    「人は、人を浴びて人になる」  人を浴びる。人を浴びることで、人は人になる。  教員になって最初の年、たまたま重い障がいを持った子ども達を受け持つことになりました。彼らとの日々は確かに大変なことがたくさんありましたが、それでも彼らのそばにいると、ふっと心安らぐことがたびたびありました。月並みですが、「人間ていいな」って、しみじみ思いました。障がいのある子ども達に出会って、初めてその言葉を実感することができたのです。  優秀と言われる人のそばではなく、あれができないこれができないといわれている人たちのそばにいて、人間を感じたのです。これは何なんでしょうね。そのわからなさに、人間の奥深さを感じます。  そんな彼らとの日々は、まさにこの「人を浴びる」ことだったのではないかと思います。毎日毎日人を浴びることで、わたしは人になれたのかなと思います。  だから、彼らに感謝!なのです。  今週土曜日、2月22日、重い障がいのある人たちの自立生活を追いかけた『道草』を青葉公会堂で上映します。  彼らとの日々は、やっぱりいろいろ大変なことがあるのだろうと思います。それでも尚、彼らと一緒に「道草」を食いながら歩いて行く人たちがいます。彼らから、人を浴びながら。だからこの映画はあたたかい。あたたかいから、私たちは人になれる。 2月22日(土)は、たくさん、たくさん、人を浴びに来て下さい。 チケットはこちらから peatix.com
  • 楽しい、インパクトある人権研修
     区役所の課長、係長クラスの方の人権研修をやりました。  ぷかぷかを一通り見学し、『Secret of Pukapuka』を見て、いつもなら感想を言い合ったり、私が話をしたり、質疑応答があったりなのですが、なんとなくもう少しインパクトのある研修にしたいと思い、詩を作るワークショップをしました。  見学と映画を見ての気づきを10行くらいの詩にまとめ、個人の詩を、集団の詩に編集し直し、それを相手に向かって朗読します。  感想をただ言うのではなく、詩にまとめる、という作業の中で、自分の体験したことに集中し、それをうまくまとめられたと思います。自分の詩の言葉をいったんばらし、ほかの人の詩の言葉とシャッフルし、並べ直します。別の新しい詩が立ち上がります。それを朗読します。  たったそれだけの作業ですが、それ自体が新しい気づきを生み、何よりもとても新鮮な体験になりました。  言葉をシャッフルし、並べ替える。 朗読します。  研修報告として、区役所に飾りませんか?と提案したら、いいですねぇ、ぜひ!と持って帰りました。それくらい楽しい、インパクトのある研修でした。  新型肺炎のこともあって、参加者が予定の半分くらいでしたが、それでも予想以上に盛り上がり、単なる人権研修を超えたおもしろい研修になったと思います。  あ、おもしろそう、うちでもやってみたい、と思った方はこちらへお問い合わせ下さい。 www.pukapuka.or.jp
  • 「重度障害者ですが、なにか?」
    「重度障害者」というと、知らない人にとっては、何もできない人たちで、その生活もすごく大変だろう、と思ってしまいます。  でも、そこにはあたたかな人の暮らしがあります。 yomidr.yomiuri.co.jp   ブログに  《 初公判前に、犠牲になった娘の実名を公表した遺族の手記を読むと、障害のある子を家族が支えてきたというのは、ただの一面でしかなく、その子の存在によって家族の人生が支えられてもいたのだと改めて思う。人間の価値を、何か単純な指標で輪切りにすることはナンセンスなのだ。》  と、ありますが、ほんとうにその通りだと思います。重度障害者だから何もできない、ではなく、家族の人たちも、まわりの人たちも、その人に支えられています。  何よりも、その人のいるまわりがあたたかい。上記のブログもなんともあたたかい家庭が見えてきます。もちろんいろいろ大変なことはあります。それでも尚、そういったことを超えるあたたかさがあります。  映画『道草』を見て感じるのは、この「あたたかさ」です。重度障害者といわれる人たちが作り出すなんともいえない「あたたかさ」がこの映画にはあります。この「あたたかさ」こそが、彼らが社会に必要な理由だと思います。  黙々と自分たちの生き方を貫き、それを受け入れる人たちがいます。そこにはホッとするような「あたたかさ」が生まれます。息苦しさが増すばかりの社会にあって、ここには希望を感じるのです。  「重度障害者ですが、なにか?」  それを背中に貼り付け、彼らと一緒に黙々と歩いて行こう。パンツの絆でつながる父と子のように。  これが私の生き方。なんて書くとかっこいいですが、何のことはない、こっちの方が「トク!」って思うだけ。昔、殴られても蹴られてもしのちゃんが大好きだったように。しのちゃんは強度行動障害でしたね。「でも、それが何か?」って感じ。好きなものは好きなんだから。「だって、しょうがないじゃない」  2月22日(土)午後1時から青葉公会堂で『道草』上映します。  チケットはこちらから peatix.com 道草ホームページ https://michikusa-movie.com
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