ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • たから君の存在が、学校を居心地のいい場所に
    先日神奈川新聞に「共生の学び舎」というタイトルで紹介されたたから君のお母さんのブログです。 ameblo.jp  たから君がいることで、学校が少しずつ変わってきたようです。その変わり様は、まず子ども達だった、というところがキモですね。子ども達はほっとけば、どんどんいい関係を作ります。たから君と会うのが楽しみで、それまであまり学校に行かなかった子どもが喜んで行くようになった話もありました。  たから君の存在が、学校を居心地のいい場所にしているのだと思います。  これって、学校にとってとても大事なことですよね。それをたから君が、黙々とやっている。大人達がやれなかったことを、重度障害のたから君がやっている。  そのことにまわりの大人達に気がついて欲しいですね。  たから君のまわりから、学校が変わっていけば、社会全体がもう少し居心地がよくなります。  たから君、ぷかぷかのワークショップに参加したのですが、全くのマイペース。楽しんでいるのかどうか、よく見えなかったのですが、きのこの帽子をかぶったあたりから、俄然楽しくなったみたいですね。本番は親子三人で舞台にしっかり立ちました。  たから君、真ん中で馬車の白い布をしっかり持っています。その右がお母さん、その隣がお兄さんのそら君
  • 相手を否定するようなことを言ったりしない
     3月4日、朝日新聞朝刊横浜版、津久井やまゆり園事件の被告の裁判での証言が載っていました。  「口調が命令的。人に接するときの口調じゃなかった。」  「人として扱っていないと思った」  「食事は流動食で、職員は流し込むというような状況。人の食事というよりは流し込むだけの作業に見えた」  被告の証言通りであれば、福祉施設としてはひどい現場だったと思います。  障がいのある人たちをほんとうに馬鹿にしています。相手を人として見ていません。こういうことが「支援」の名の下におこなわれているのだと思うと、なんだかぞっとします。  こんなやり方で接すれば、相手はひどく傷つきます。そういうことがどうしてわからないのでしょうか?やまゆり園の人権研修はどうなっているのでしょうか?  いや、人権研修なんかやらなくても、こういうことは普通はしません。普通はしないことを、福祉の現場の人間がどうしてやってしまうのか。支えるべき障がいのある人に対して、どうしてこんな対応をしてしまうのか。    この問題こそ、やまゆり園事件の裁判を機に、もう少し議論されるのかと思っていましたが、全くそういう機会もなく、裁判は終わってしまいそうです。   たまたま昨日の神奈川新聞に、個別支援級の子ども同士のとてもいいおつきあいが紹介されていました。「共生の学び舎(上)笑顔で元気に学校へ」という記事です。 ●●●  みさき君は自閉症で、学習障害があり、授業になかなかついていけず、2年生から不登校気味になったそうです。ストレスがたまり、頭を手でたたくなど自傷行為もあり、集団授業が苦痛になって、4年生から支援級に移ります。  そこで出会ったのが、たから君。自分に自信が持てずに自己肯定感が低いみさき君は、いつも楽しそうで笑顔を絶やさないたから君がクラスにいることで学校に通うのが楽しくなったといいます。元々、年齢が下の子が大好きで世話焼きだが、同級生は大の苦手。同級生とけんかしてイライラしたとき、1学年上のたから君が何も言わずにそばにいただけで気持ちが和らいだといいます。  みさき君のお母さんはこんな風に言います。 「たから君は、みさきに安心感を与えてくれる存在なのだと思う。相手を否定するようなことを言ったりしないので」  ●●●  「相手を否定するようなことを言ったりしない」  人とおつきあいする上で、とても大事なことです。それを重度障害のたから君が、ごく自然にやっていて、それにみさき君が救われているのです。  「支援」の現場の大人が、どうして子どもにもできることができないのでしょう。  9月5日(土)にこの問題を考える集まりをやります。 www.pukapuka.or.jp
  • 人としてのつながりは、大きなチカラ
    「いやぁ〜大変だろうな」って思ってしまうような日々の中で、尚も子ども達と楽しい日々を作り出しているお母さん。 ameblo.jp  「重度障害者は不幸しか生まない」といったやまゆり園事件の被告と、同じく重度障害と言われる子ども達と、こんなにも日々を楽しむお母さんは、一体どこがちがうんだろうと思います。  やっぱりどこかで人として出会っているのだろうと思います。それがあるから、どんなに大変な日々も楽しめたりするのだと思います。  うちの娘は精神障害があって、調子が悪いときはほんとうに「助けて!」って叫びたいくらい大変です。それでもなんとかやっていけるのは、おだやかになったときの人としてのつながりがあるからだと思っています。その一点で、すべて許してしまうというか…。  人としてのつながりは、大きなチカラですね。これはもう理屈じゃないです。共に生きる、なんて屁みたいな言葉は、もうやめた方がいい。甘っちょろい幻想を抱かせるだけです。
  • 甘夏パン!
    天草から届いた甘夏を使った甘夏パンができました。フランスパンの生地で作っています。  甘夏を作っているのは、もう30年近いおつきあいのある川野美和さん。少し前ですが「あめつうしん」に載っていた「耕す日々」と題した日記にステキな話があったので紹介します。  円(まどか 小2)が夏休みで悲しかったことは子牛が死んだことだよ、という。そうだった。8月20日の夜、私たちがバンビと呼んでいる母牛が予定より二日早く産気づいた(川野さんは牛を育てています)。彼女は今まで二度とも安産だったが、様子がおかしいので見ると、子牛の尻尾が出かかっている。逆子だ。これは大変とすぐTさんを呼ぶ。Tさんは以前にも、逆子を難なく胎内でひっくり返し、無事産ませてくれた受精師、博労、30才。90キロのTさん。大きな手をすぐに胎内に入れて 「う〜ん、これは難しい。破水して水がなくなっとる。ひっくり返らんぞ。もう少しだ、しんぼうしろよ」 とバンビに声をかける間も、水や血が吹き出てくる。バンビもTさんも必死の形相であった。彼の体力と技がなければできないことであった。ようやくのことで引っ張り出す。ぐったりしている。Tさんがすぐに逆さづりにする。息をしているように見える。藁の上に横にして、 「藁で全身をこすれ!」 とTさんが言う。子どもら全員、藁をつかみ、たわしにして頭からお腹、背中、手足、全身をこする。やわらかく、ほかほかと暖かく、つい今まで胎内で動いていた命のぬくもりが切ない。目や口が鼻が足が、今にもピクリと動きそうな気がして、みんな一心にこする。  しかし、ついに動かなかった。その時母牛についていたTさんが、疲れた声を振り絞って 「もう一頭、はいっとる」 という。えっ、双子。悲しみと光がぶつかり合う。今度は引っ張り出して元気だ。逆子の子は小屋の外に出す。子らはこすり続ける。バンビは元気な子をなめ始めている。Tさんが逆子の舌を引っぱる。だらんと伸びて口の中に返らない。 「だめ、親に見せんようにして。資料袋に入れて」 と、厳しい声のTさん。子どもらはバンビに見えないように背で垣を作る。円もそうっと頭を入れる手伝いをする。  黒く大きく立派で目にはまだ光が残っているいのちを袋に入れる。やわらかな黒い毛のあたたかさが手のひらに残る。翌日、元(げん)と畑の隅のもちの木の下に穴を掘り埋葬した。  むき出しのいのちが、ここにはあります。子ども達(三人います)は、ものすごくいい経験したなと思います。  川野さんの作った甘夏がたっぷり入った甘夏パンです。ぜひお試し下さい。川野さんの優しい日々が伝わってきます。
  • 『Pukapukaな時間』Vol.3ができました。
    『Pukapukaな時間』Vol.3ができました。全体的にアートのセンスが格段にアップしました。アートだけでなく、ぷかぷか全体がいろんな意味でバージョンアップ,進化したのだと思います。  アートディレクターにアーダコーダいわれながら悪戦苦闘し,仕上げた若い編集者に拍手!です。  障がいのある人たちと一緒に生きていく中で生まれたアートです。ぷかぷかさん達と一緒に生きていくことで生まれる豊かな時間をビジュアルに表現したものです。まさに『Pukapukaな時間』。  一緒に生きていくと何が生まれるのかがよく見えます。こういったものは社会を豊かにします。そのことが見ただけでわかります。  一緒に生きていった方がいい理由が、ストレートに見えるのです。  これは「障害者はいない方がいい」の言葉に象徴される「津久井やまゆり園事件」に対するぷかぷかのメッセージでもあります。優生思想云々の抽象的な話ではなく、日々の営みが生み出す手ざわり感のあるあたたかなメッセージです。   こんな感じです。  きゅっと抱きしめたくなります。こんな人たちとは一緒に生きていった方が絶対トク!  こんなメッセージが広がっていけば、体がゆるっとゆるみます。社会は、お互いがもっと生きやすくなります。窮屈なものが取れて,息がしやすくなります。  さぁ、この愛おしいアート達を見ながら、思いっきり深呼吸しましょう。  お求めはアート屋わんど、もしくはこのサイトから shop.pukapuka.or.jp
  • やまゆり園の支援の実態を今あらためて調べることはとても大事なことだと思います。
    神奈川県が津久井やまゆり園の支援について情報提供を受け付ける窓口を設置したようです。 www.pref.kanagawa.jp  これ自体はいいことだと思うのですが、こういったことをどうして事件直後にやらなかったのかと思います。  事件の検証委員会が出した報告書では、防犯上の問題だけが書かれ、やまゆり園における支援の実態には全くふれていません。  全く調べなかったのか、調べたのだが、横やりが入って削除させられたのか、よくわかりません。いずれにしても支援の現場で起こった事件の報告書としては、不自然極まりないものだったと思います。  津久井やまゆり園は社会福祉法人が運営しています。社会福祉法人はNPO法人よりも社会的な責任がはるかに大きいはずです。ところが法人のホームページは事件について一切語ることなく閉鎖されたままでした。一年後に再開されたホームページに書かれていたのは 《 昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。》  という他人事のような言葉だけでした。  事件の説明も、元従業員が起こした事件に対する謝罪も一切ありませんでした。  ところが神奈川県は、この無責任極まる法人にその後の運営を任せました。県職員の天下り先として有名な共同会を庇っているのではないかと思いました。  今回、検証委員会のメンバーが替わったと聞きますので、その部分の問い直しこそ、ぜひやっていただきたいと思います。事件当時の支援の実態、それへの県の管理責任、事件後の検証報告書、事件後も運営を任せた理由等の検証を期待したいと思います。  事件の裁判は現場の実態が明らかにならないまま、被告を死刑にすることで終わってしまいそうです。事件の温床はそのまま残ることになります。そういうことを考えるならば、やまゆり園の支援の実態を今あらためて調べることはとても大事なことだと思います。
  • ぷかぷかおじさん タカサキがゆく
     ぷかぷかしんぶん3月号に「ぷかぷかのおじさん タカサキがゆく」と題して、この  1年間の活動を振り返るページがあります。ちょっとくたびれた感じの似顔絵がいい雰囲気。                  茅野のイベントは参加された方の感想が素晴らしかったです。 www.pukapuka.or.jp  ぷかぷか上映会も、見に来た方の感想がよかったです。会場の空気感をよく伝えています。そしてこの空気感こそ、やまゆり園事件を超えるために必要だ、と。 www.pukapuka.or.jp 『表現の市場』が終わっても、毎日お風呂で「ゆっくりゆきちゃん」を歌っているひよりちゃんの話がすごくいい www.pukapuka.or.jp  しんぶんには載っていませんでしたが、青葉区役所でのワークショップを使った人権研修会は素晴らしかったと思います。こういう人権研修会、もっともっとやって欲しいですね。お近くの区役所、市役所に働きかけて下さい。 www.pukapuka.or.jp  福岡、岩見沢(北海道)で簡単なワークショップ、上映会、トークセッションをやる予定でしたが、コロナウィルスの騒ぎで延期になりました。八王子の集会も延期が決まりました、と先ほど連絡がありました。ま、いろいろ困難なことはありますが、タカサキは困難なことが大好きなので(冬山は晴れた日よりも猛吹雪になると大コーフンする)、これからも前へ前へ進んでいきます。  ワークショップ、上映会、トークセッションなどの問合せはこちら。 www.pukapuka.or.jp
  • 支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのか、この先どうすればいいのかを考えたい
     支援の現場の人間がどうしてあのような悲惨極まる事件を起こしたのか、結局わからないままやまゆり園事件の裁判は終わってしまいそうです。このままでは事件の温床は、何も問われないまま残ることになります。  せめて我々で支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのか、この先どうすればいいのかを考えたいと思うのです。 ★コロナウィルスの問題で9月5日(土)に変更されました。  この集まりの中心になっている方は昨年10月に県に対してやまゆり園事件のことで質問状を出したとき、 www.pukapuka.or.jp 「高崎さんの問いは、根源的で、共同会に留まらず、今の入所はもちろんボクたち通所の施設にとっても、答えに窮するものだと思います でも、そこから逃げていては、改善はないので、この問いは重要ですし、これは全ての事業所に向けられたものだと思います」  という感想が来ました。それに対し、 「神奈川県への質問を、多くの福祉事業所でも、自分の問題として考えてほしいと思っています。どこが重要なのか、どこがすべての事業所に向けられたものなのか、簡単で結構ですので書いてください。そういうものがあれば、より多くの事業所で「問い」を共有できると思います。」 と書き送りました。それに対し 「現在の障害者施設は、基本できない人たちの面倒をみるところだと考えられていると思います 。共に生きる、共に支えあう人たちとは考えられていないのだと思います 。そして、以前高崎さんが書かれていたように、今の障害者施設では、仕事として障害のある人たちと出会っているけれど、人としては出会っていないのではないかと思います。 そして、それはやまゆり園に限らず、障害者施設全般に言えることではないかと思います。 もちろん、仕事として向き合うことが悪いわけではありません 問題はその仕事の中身です。 障害のある人たちをどう認識し、どういう施設やどういう社会を目指すか、その具体化として日々障害のある人たちとどう向き合っていくのかということが重要であり、そういう意味で、高崎さんの問いは、すべての障害者施設にとって、根本的な問いだと思います。」  というやりとりがあって、じゃあ、こういったことをテーマに集まりをやろうということで今回の企画が決まりました。  支援の現場にとって、社会にとってあの事件は何だったのかを考えたいと思うのです。ただ考えるだけでなく、具体的に何をすればいいのか、といったところまで話し込めれば、と思っています。 ★コロナウィルスの関係で、延期になる可能性もありますが、その時はまたお知らせします。
  • 度々フタミさんが「一緒にお昼食べよう」と言ってくれていた
    ワークショップに参加した方から、ぷかぷかさんと参加者の関係を語る素晴らしい感想が上がってきました。 ●●●  表現の市場が終わってまだ一ヶ月も経っていないのに、みなさんとあの場にいられた時間がすごく懐かしいです。    演劇ワークショップのお昼時間。  前から度々フタミさんが「一緒にお昼食べよう」と言ってくれていたのですが、いつもうちはお昼ご飯を用意していないので「マルエツにお昼を買いに行って来るから、先に食べててね〜」と言って買いに行っていました。でもフタミさんは、食べずに私達をマルエツまで走って(!)追っかけてきてくれることもあり、お弁当を持って来ているのにマルエツでの買い物に付き合ってくれ、それから戻って一緒に食べたこともありました。   フタミさんも買い物したくなってしまった事もあり、、、ある日からお弁当を作り始めました。   そうしたら、当然フタミさんを待たせなくていいし、一緒にゆっくりお昼も食べられるしで、もっと早くお弁当にしてれば良かったと思いました。   それからはお互い「お昼一緒に食べよう」と言い合わなくても、お昼の時間になったら一緒にお弁当を食べるのが、ワークショップの日の自然な流れになりました。   お弁当を作り始めてからは、フタミさんと一緒に食べる光景や、コンノさんが必ず何かもらいにくる光景(!)を思い浮かべながら、冷凍食品の詰め合わせでしたが、お弁当を作っている時間も楽しい時間となっていました。   朝はバタバタで、お弁当を作る時間なんてない!とかたくなだった私の頭を、フタミさんのストレートな気持ちが打ち砕いてくれました。お陰でお昼の時間も思い出深い時間となりました。     本番一週間前の、どんぐりが自分が一番と言い合う場面の事。 あの日の感想の時、隣に座ったショーヘーさんからは「お互いを認め合い、みんな一緒でいいじゃないか」 「みんなそれぞれ良いところがあるのだから、仲良くすれば良いじゃないか。」という思いの言葉が溢れ出て止まりませんでした。   親である自分は、つい子供に結果を求めてしまいがち。やるからには頑張りなさい、と。 何か目に見える評価でなく、本人が満足してればいいのか、と反省したり…。   ショーヘーさんの中では、相手の存在を認める事がまず先にあり、何が出来るか、なんて関係ない。 自分がとらわれている所から、突き抜けて違う次元でショーヘーさんは生きているんだな〜と思いました。 ショーヘーさんの言葉は、薄っぺらいきれいごとではなく、率直に思っている事だから、どんどん言葉になって溢れ出ていたのだろうと思います。 ●●●  参加者の心をこんなにも揺さぶったフタミンもショーヘーさんもすごいなと思います。
  • 一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係
     3月12日(木)に北海道の岩見沢で、簡単なワークショップ、上映会、トークセッションを予定していましたが、コロナウィルスの関係で延期になりました。  半月ほど前、岩見沢にある「こくわの里」という施設から電話があり、『ぷかぷかな物語』読んで、すごくおもしろかったので、ぜひこちらへ来てお話ししてもらえないか、という依頼があり、今回の企画が立ち上がりました。電話してきたのは80才になるという施設長さんでしたが、シャキシャキして、ものすごい実行力、行動力のある人のようでした。  「こくわの里」は自立支援法成立以前の地域にできた小さな作業所ですが、自立支援法ができてから、それまで思っていたのと違う福祉の方向となり大いに戸惑ったといいます。  どう違っていたのか聞いてみると、 「自立支援法になって一番問題は福祉をサービスにしてしまったこと。利用しているなかまはお客様ではないと思いました。」  それまでやってきた人と人とのおつきあいが、サービスという関係になってしまい、なかなか自分の思いが実現できなくなったのではないかと思います。そういう中で『ぷかぷかな物語」を読み 「ぷかぷかさんの実践読んで自立支援法の下でもこんな実践が可能なんだと嬉しくなりました。」 とメールにありました。  ぷかぷかを立ち上げたときはすでに自立支援法があり、その制度の中でやってきましたが、特に不自由さを感じることもなく、やりたいことをやってきました。  一番のキモは、障がいのある人たちと一緒に生きていく、という関係でやってきたことだと思います。サービスを提供するという関係ではなく、どこまでも人としておつきあいし、そこから新しいものを創り出す。あえて創造の「創」の字を使いましたが、障がいのある人たちと一緒に新しい歴史を創り出す、ということです。  『ぷかぷかな物語』はそういう関係が何を創り出してきたのかがよくわかる本です。         以前、福祉の関係者の集まりでお話ししたとき、質疑応答の中で、ふたこと目には「支援」「支援」という言葉が出てきて、この業界の人たちは、支援という言葉、関係から自由になれないんだと思ったことがあります。自立支援法の中の関係から自由になれない、ということ。そこから自由になれないと、こんな物語は生まれません。1+1が、どこまで行っても1のままです。うまくやれば1+1が5くらいの価値を生み出すのにもったいないです。  そこから自由になるためにはどうしたらいいのか、そんな話を施設長さんとするつもりでしたが、残念ながら延期。  施設長さんはこんなこともメールに書いていました。 「一番心を打たれたことは相模原事件です。職員会議で3回全員で学びました。毎日が歴史を創ります。権利のことでいろいろ書かれたものはありましたが、施設の職員が起こした事件ということがどういう意味を持つのかがぷかぷかな物語でぴったり来ました。」  施設関係者から、こんな反応があったのは初めてです。施設の職員が起こした事件にもかかわらず、施設からの反応は、事件直後はともかく、最近はさっぱりな感じです。裁判に注目が集まりましたが、施設自体が持つ問題は明らかにされないまま終わってしまいそうです。  そういった中で、相模原事件に関する章に心を打たれた、という施設長さんとのトークセッションはすごく楽しみにしていたのですが、残念ながら延期。 「世情が落ち着いたらいち早く再開しましょう」 とメールにありましたので、再開が決まりましたらまたお知らせします。   www.kokuwanosato.jp 『ぷかぷかな物語』はこちらから shop.pukapuka.or.jp アマゾンでも手に入ります。Amazonのレビュー www.amazon.co.jp
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