ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「支援」から自由になれば、こんなに楽しいことができる
     おもしろい本読みました。浜松にあるレッツというおもしろい事業所の話です。新しい福祉というのか、いや、もう福祉という言葉では語りきれない、もっともっと幅の広い、とんでもなくおもしろいものがここにはあります。  重度障がいの人たちとひたすら一緒に楽しいことをやる。そんな日々を積み重ねると、こんなに楽しいホームページができるのです。 cslets.net  もう見ただけで、なんだかわくわくしてしまいます。一応生活支援の事業所ですが、どこが?という感じ。新しい文化の発信基地ですね、ここは。重度障がいの人たちと一緒に作り出す新しい文化。ダイナミックで、泥臭くて、楽しくて、なによりもめちゃくちゃ元気な文化。  「折々のことば」の鷲田清一さんの言葉を借りると 《ここに来ると、なんだか楽しくなって、「支援」という言葉が窮屈に思えてくる。》  障がいのある人たちとのびっくりするほど自由な関係。だから新しい文化がここから生まれる。  ここでの自由な関係に比べると、「支援」という関係は、なんて不自由なんだろうと思う。窮屈極まりない関係。だから、そこから新しいものなんて生まれない。せっかくいっしょにいるのにもったいないではないか。  にもかかわらずその「支援」という関係から自由になれない福祉の業界。困ったものだと思います。  「支援」から自由になれば、こんなに楽しいことができる、とレッツのホームページは言っている。  人生、楽しいことやらなきゃソン!だと、あらためて思う。  レッツの代表 翠さんの言葉がいい。 《我が子といえども成人したたけしの人生を私は考えたくない。それはたけしのまわりの人たちが同意しながら作っていけばいい。親が考えたところで、所詮、老いていく自分たちと、今までの苦い経験知から発想する生活がおもしろいものになるなんて思えない。もっと言えば、親の安心、安全、気休めにどうしてもなってしまう。それよりも、親からすれば「ちょっとそれは…」と思うことがわくわくおこなわれる方が、たけしの人生は豊かになるだろう。私はそれを、少し遠くから時々眺めるぐらいがいい。》  やまゆり園事件、どうして支援の現場で障がいのある人たちと人として出会えなかったのか、をずっと考えていました。でも本の帯にあった 《「支援」という言葉が窮屈に思えてくる。》 の言葉に出会って、「支援」という言葉の幅の狭さを思いました。障がいのある人たちの自由奔放さを「支援」という言葉は追い切れないのではないか。だから人としても出会えない。あんなにステキな人たちを前に、すごくもったいないことです。  何かやってあげるとか、やってやる、のではなく、レッツみたいに、彼らと一緒に楽しいことをやる。そうやって一日を一緒に過ごす。その気になればすぐにでもできることです。そうすれば彼らのこと、きっと見直します。人として出会えます。なんて楽しい、ステキな人たちなんだ、って。そうやって、ともに生きる社会ができあがっていく。  事件の犯人が、そんな風に目の前の重度障がいの人たちと人として出会っていれば事件は起こりませんでした。「支援」が、その出会いを阻んでいました。だとすると、「支援」という窮屈な関係性の果てに、事件は起こったのではないかと思ったりするのです。  3月6日(土)の福祉関係者を相手の「福祉フォーラム」でも、そんな話をしてこようかなと思っています。 www.pukapuka.or.jp
  • ぷかぷかに行くとホッとします。  笑顔になります。
    やまゆり園事件に関して支援現場の問題、運営法人の問題、県、国の問題、そして人びとの心に巣くう偏見など、要点を短くまとめた記事です。 mainichi.jp  《事件の責任は重層的だ。》 と指摘しています。重層的、というのは私たちみんなに責任があるという意味です。その指摘に私たちはどう答えていくのか、です。新聞を読むだけでは何も変わりません。私たちに関わることをちゃんとやっていく、そうしないと事件を起こした社会は何も変わりません。  《「障害者を人として扱っていない」とも言える福祉の実態》 という指摘がありました。福祉の現場が、どうしてそうなってしまうのか、って思います。  ぷかぷかが大好きな方がこんなことをブログに書いていました。 《ぷかぷかに行くとホッとします。  笑顔になります。  凝り固まった心をマッサージされたようにほぐれていくのがわかります。  でもそうさせてくれるのは、世の中で障害者と呼ばれているぷかぷかの利用者さんなんですよね。助けてあげると言われる存在に私たちはたくさん救われ、助けてもらっていると言うことを身をもって教えてもらいました。》  ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」と言い続けています。言うだけでなく、そういう雰囲気を作っています。雰囲気を作っているのはスタッフではなく、ぷかぷかで働いている障がいのある人たちです。その雰囲気にふれた人がぷかぷかが大好きになり、上のようなブログを書いたのです。  新聞で指摘された福祉の現場と、何がちがうんだろうと思います。  近くの大学の授業で学生さんとぷかぷかさんが一緒に演劇ワークショップをやりました。  いっしょにいるだけでこんなに楽しい。  こういう関係が福祉の現場でどうしてできないのかと思います。
  • 福祉フォーラムのお知らせ
    3月6日(土)八王子で福祉フォーラムがあります。  映画『Secret of Pukapuka』を見たあと、主催者八障連の代表 杉浦貢さん、認定NPO法人CES事務局長  土居幸仁さん、それに高崎を加えて三人でトークセッションをおこないます。  映画『Secret of Pukapuka』は、まさにぷかぷかのヒミツを語る映画。ぷかぷかにはいったいどんなヒミツが隠されているのか、そのヒミツを知るとどうなっちゃうのか。3年前、カナダバンクーバーで開かれた世界自閉症フェスティバルで上映。大好評を博し(英語圏の人たちにもヒミツが伝わった!)、以降日本全国で絶賛上映中。見なきゃソン!です、この映画は。   「ぷかぷかのヒミツ」とは何か。そのヒミツを解き明かしていく中で、やまゆり園事件の犯人が言ったように「障害者は、ほんまにいない方がいいのか」「いないと世の中すっきりするのかどうか」、「支援というのは、支援者が生み出す価値を1,障がいのある人が生み出す価値を1とすると、1+1が1にしかならない価値しか生みません。ぷかぷかは1+1=5くらいの価値を生み出します。どうしてなのか。ここにぷかぷかのヒミツがあります」「どうせならわくわくするような福祉やった方がトク!」みたいな話ができたらいいなと思っています。  どういう展開になるのかは、ま、当日のお楽しみ。この話どうなっちゃうの、と聞いてる方がドキドキするくらいの方がおもしろい。今までにない新しい福祉、わくわくするような福祉といったものを、みんなでわいわい楽しく考えていければと思っています。  やまゆり園事件について、あーだこーだしんどい、コムツカシイ話をしても何も生まれません。疲れるだけです。それよりも、みんながわくわくするような福祉を私たちの手で作り出すこと、その方がずっと楽しいし、それこそがやまゆり園事件を超えることです。  なんだかおもしろそうって思った方は、ぜひご参加下さい。当日参加が難しい方も、事前に申し込んでおけば後日YouTubeのURLが送られてきます。  そうそう、ぷかぷかはたくさんの物語を生みました。福祉事業所が、今までにない物語=新しい価値を生み出したのです。たとえば障がいのある人たちは、あれができないこれができないとか、社会の重荷であるとかマイナスの評価が圧倒的に多いのですが、そんな中にあってぷかぷかは「障がいのある人たちは社会を耕し、豊かにする存在」という今までにない新しい価値を生み出しました。それを『ぷかぷかな物語』という本にまとめました。ぜひ読んでみて下さい。ぷかぷかのホームページもしくはアマゾンで購入できます。 www.pukapuka.or.jp
  • 彼らの人生を支えるのが福祉
     やまゆり園で見守り困難として1日11時間も拘束され、事件後ほかの施設に移った松田智子さんのその後を取材したすばらしい記事。「やまゆり園事件は終わったか」の挑戦的なテーマで福祉を問い続けています。 mainichi.jp  元気に廃品回収の仕事なども続いているようで、安心しました。ふつうに仕事をしている智子さんの姿から、見守り困難として長時間拘束し続けたやまゆり園の実態をあらためて批判しています。 《事件当時、植松死刑囚は入所者に言葉をかけて満足に応答できない人を選んで殺傷に及んだ。「何もできない意思のない人」という非情な評価は、植松死刑囚だけでなく園で共有されていたのではないか。》  「園で共有されていたのではないか」という指摘は、事件の核心部分とも言えます。これがなければ、植松の犯行もなかったわけですから。そこの部分の更に突っ込んだ取材を期待しています。一番難しいところだとは思いますが…。でも、ここにこそ、福祉の世界の闇があるような気がしています。  気になったことをひとつ  見守られる中の人生 《由美さんはグループホームに移り、リハビリや専門的な支援を受けるうちに歩き方もしっかりとし、表情も豊かになってきたという。「洗濯物を干したり、靴箱に靴をしまったり、ここの職員さんたちは、根気強く見守りながら本人にやらせて、持っている力を引き出してくれる。可能性のある人間としてみてくれているのです。娘はここに来て、本当に変わりました。悲惨な事件が起きましたが、この子は生き延びることができた。改めて娘が掛けがえのない存在だと感じました。これからは、もっと幸せになってほしい」》  親御さんのうれしい気持ちがとてもよく伝わってきます。ただ一方で、障がいのある人たちは結局見守られる中でしか生きられないのか、とちょっぴり淋しい気もしました。  NHKで見た映像では、由美さんの生き生きとした表情がとても印象に残っています。ここへ来てようやく「自分の人生を生き始めたんだな」と私は思いました。レストランで好きなメニューを選ぶ、廃品回収のリヤカーを押す、そういったことのひとつひとつが、自分の人生を生きることであり、そのうれしさがあの表情を生んだのだと思います。  もちろん職員のフォローがあってできることですが、笑顔を生んだのは由美さんの気持ちです。あ、おもしろい!って思ったのは、どこまでも由美さんです。そこを、由美さんが自分の人生を生きた、と見るのか、見守られながら本人が笑顔を見せた、と見るのか。  どんなに障がいが重くても、その人なりの人生があって、その人生を彼らは生きています。その人生としっかり向き合い、それを支えるのが福祉じゃないかと思います。  やまゆり園はそれをやっていたのだろうか。彼らの人生を支える福祉。それをやっていれば事件は起きませんでした。
  • 支援学校に通う息子のsouが「そしたらボク、働けるやん!」
    北九州の西山さんから『ぷかぷかな物語』の感想が届きました(これは出版直後にFacebookにアップしたそうですが、見落としていました)。西山さんには障がいのある息子さんがいて、子育てに疲れ切っていた頃、私のブログに出会い、救われたといいます。「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいい」というメッセージに目が覚めた思いがして、北九州からわざわざ会いに来られました。しかも一家で。 ●●●  『ぷかぷかな物語』読みました!!! 横浜市緑区にある障害のある人達が働くパン屋さん「ぷかぷか」。ぷかぷかさん達(障害のある人達をぷかぷかではそう呼ぶ)が、ぷかぷかと街に出て、ぷかぷかの種を蒔いて地域の人たちの心を耕していきます。  むっつりに感染しない人たちって表現!すごくわかる!親と同じレベルでヒヤヒヤしたり、ぷかぷかさんと一緒にいい時間を作っている高崎さんの姿がみえるのがいい。  6年前、私も心を耕されたひとり。 子育てにぼろぼろだった頃、高崎さんのブログに出会いました。「60才にして、こんなに楽しい日が来るとは思わなかった」と。障害のある息子と居てこんなに楽しいと言える日が来るのか、という衝撃。  高崎さんってどんな人?ぷかぷかってどんな所?って、そんな思いで出かけていった。  「生きてていいんだ、そのままでいいんだ」と思えたのもぷかぷかさんに出会えたから。  私が「ぷかぷかフェスタ」を始めたのも、ぷかぷかさんのように地域を耕したいとの思いから。ぷかぷかな世界はいくつあってもいいからね。  以前読んだ高崎さんの著書『街かどのパフォーマンス』に、養護学校の子ども達は卒業してもほとんど行くところがないってくだりがあって、そこに出てくる「香蘭」のオヤジの話、「たとえば、自分ちの玄関先をちょっと改造してですね、テーブルを二つぐらい入れますね。台所にもちょっと手を入れて、、お母さんと子どもが二人して働けるラーメン屋くらい、その気になればすぐできるんですよ。ただ、その気になるのがなかなかムズカシイようですね。」  それを読んだ時、退職金をはたいて子ども達の居場所をつくった高崎さんと、たまらない笑顔で働くぷかぷかさんから希望をもらって、私達親が何もしないではいられないでしょう!って。 この『ぷかぷかな物語』は、また誰かの人生を変えちゃうくらいの一冊になるんじゃないかな笑。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  そして今、香蘭のオヤジの言葉に動かされて、自宅を改装して「つなぐmi:ruかふぇ」をつくっちゃいました。 『つなぐmi:ruかふぇ』 自宅にcafeを作るという話をした時、支援学校に通う息子のsouが「そしたらボク、働けるやん!」と声をあげました。ならば母ちゃんがんばる!と。 mi:ruかふぇのmi:ruはやってみるのミール。これからいろんなmi:ruに出逢いたいと思います。 ●●●  西山さんに呼ばれ、北九州で『Secret of Pukapuka』の上映会をやった時、 「映画、おもしろかったね」 で終わるのではなく、 「北九州にもぷかぷかみたいなところを作ろう」 という声が上がり、 「そうだそうだ」 と何人もの賛成の声が上がって、「ぷかぷかフェスタ」が始まりました。  それだけでなく、西山さんの自宅を改装して、近々『つなぐmi:ruかふぇ』がオープンするそうです。支援学校に通う息子さんが働くとか。       こんな風にぷかぷかと出会ったことがきっかけで人が動き出し、新しい物語がどんどん始まっていくところが素晴らしいですね。西山さん、人生が変わったみたいです。コロナが収まったら『つなぐmi:ruかふぇ』にコーヒーのみに行こうかな。 『ぷかぷかな物語』はこちらから shop.pukapuka.or.jp  アマゾンカスタマーレビュー www.amazon.co.jp ★『ぷかぷかな物語』読まれた方はぜひ感想をお寄せ下さい。takasaki@pukapuka.or.jp宛にメール送って下さい。
  • 人間ていいものだな
     おもしろい本見つけました。『こんな夜更けにバナナかよ』の著者渡辺一史さんの本です。障がいのある人とのおつきあいから、「なぜ人と人は支え合うのか」という今の社会にあって、とても大事なテーマを丁寧に掘り下げて考えています。            本の中に紹介されている海老原宏美さんの言葉がいいです。 《人は「誰かの(何かの)役に立つ」ということを通して自分の存在価値を見いだす生き物なんじゃないか、という気がします。でも、役に立てる対象(困っている人)がいなければ、「誰かの役に立つ」ということ自体ができないので、困っている人の存在というのも、社会には欠かせません。となると、「困ってるよ」ということ自体が、「誰かの役に立っている」ということになりますね。つまり、世の中には「困っている対象者」と「手を貸してあげられる人」の両方が必要なんです。》  なるほど、と思いました。いろんな事ができなくて困っている人の存在が、マイナスの存在ではなく、誰かの役に立っている。目から鱗でしたね。  障がいのある人をそんな風に見ていくと、彼らは社会に欠かせない存在になります。いろんな事ができなくても、もっと堂々と胸を張って生きていっていい。海老原さんは、そう言っている気がします。  海老原さんは24時間介護を受けながら自立生活している重度障がいの人です。いつも誰かの助けを借りながら、そこで負い目を感じるのではなく、助けを借りる存在が社会には必要なんじゃないか、と指摘します。人と人との関係の本質を突いています。人と人が関わる、というのはそういうことじゃないか、と。  そこから社会を見ていくと、何かができるできないで人を評価する社会は、人の大事な役割を見落とすことになることがよくわかります。新しい価値(困っている人の存在の価値)を見いだせないまま、社会はますます閉塞状況になります。逆に、困っている人の存在の価値=意味が見えてくると、この閉塞状況を突破する道が見えてきます。誰もが生きることが楽になります。  海老原さんが街の中で自立生活を始めたり、「自立生活センター東大和」を立ち上げたりすることで、東大和市の福祉の世界だけでなく、経済活動そのものが活性化したといいます。困っている人の存在が、こんなにも社会を動かしている。障がいのある人たちの作り出す新しい可能性を見た気がしました。  海老原宏美さんの言葉をもう一つ 《 すごい綺麗な富士山が見えた時、「ああ、なんか今日はいいことがありそうだ、ラッキー!」とか思う。でも、あれも、ただ地面が盛り上がっているだけ。まぁ、うまい具合に盛り上がってものだとは思いますが、そこに価値を見いだして、感動して利しているのは人間の側なんですよ。  だとしたら、目の前に存在している障がいのある人間に対して、意思疎通ができないからといって、何の価値も見いだせないっておかしくないですか?  それは、障害者に「価値があるか・ないか」ということではなく。「価値がない」と思う人の方に「価値を見いだす能力がない」だけじゃないかって私は思うんです。》  やまゆり園事件の植松死刑囚は、不幸にもそういった価値が見いだせなかったのだろうと思います。それは彼だけの問題ではなく、彼が働いていたやまゆり園の障がいのある人たちへの向き合い方の問題が大きく影響していると思います。いつも書くことですが、「支援」という上から目線は相手の存在の価値を見いだす目を曇らせてしまう気がします。  本の最後の方にいい言葉がありました。  「人間ていいものだな」  そんな風に思わせてくれた筋ジストロフィーの鹿野さんとの出会いが、『こんな夜更けにバナナかよ』の本と映画を生み出し、著者渡辺さんのその後の人生の大きな転機をもたらしたといいます。  私も養護学校教員になって最初に受け持った重度障がいの子どもたちとの嵐のような日々の中で、それでも心あたたまるひとときがあって  「人間ていいものだな」 としみじみ思い、彼らのことが好きになってしまいました。それが今のぷかぷかにつながっています。  ぷかぷかさんと出会い、ぷかぷかのファンになったたくさんの人たちも、みんなどこかで  「人間ていいものだな」 って気がついたのだと思います。海老原さんの言う、おつきあいの中で相手の存在の価値を見つけたということです。その気づきが新しい関係を生み、新しい物語を生み出しています。  本の題名「なぜ人と人は支え合うのか」。それは支え合う関係の中で「人間ていいものだな」って、お互いが感じあえるからだと思います。  
  • その人なりに満足して毎日暮らしているんだから、それでいいんじゃないのかなぁ
    14年前の「子どもとゆく」の日記にこんなこと書いていました。           《 昨年から養護学校卒業後の「個別支援計画」ができて、障がいのある人にどういう支援が必要かを書いた書類が、在学中だけでなく、卒業後もずっとついて回ることになった。  長野県の山あいでもう20年以上も障がいのある人たちと一緒に味噌を作って生活を立てている「おむすび長屋」の田中さんに電話した時、その個別支援計画が話題になり、「40,50になった人たちに支援計画なんてのはないんじゃないの」 「もちろんいろいろ問題抱えている人はいるし、40.50になってもいろいろできないことはあるよ。でも、その人なりに満足して毎日暮らしているんだから、それでいいんじゃないのかなぁ。お節介というか、相手を馬鹿にしてる感じだね。」 「ただ書類上、支援計画を出さないと行政からお金が下りてこないので、そこが辛いところだけど…」》  おむすび長屋ができてすぐの頃(もう30年以上前)、泊まりがけで遊びに行ったことがあります。コーイチローさんというすごく楽しいおっちゃんがいました。近々ボーナスが出るとかでウキウキしていました。 「ボーナスが出たら、何買うんですか?」 「スナックいって、サイダーのむんだよ、ガハハハハ」  無精ひげを生やした豪快な笑顔がステキでした。なんて幸せな人生なんだろうと思いました。ちょっとうらやましいくらいでした。こんな幸せな人生を送っているおっちゃんに、今更何を支援するんだろうと思いましたね。  田中さんが言うように、ほんとこれは、余計なお節介であり、相手を馬鹿にしています。  幸せな人生を送っているおっちゃんに、こんなふうに介入してくる福祉って、何なんだろうと思います。   コーイチローさんは何かができるようになりたいとは、多分思っていません。おむすび長屋の慎ましい暮らしに、それなりに満足して暮らしています。そんなコーイチローさんの日々こそ応援したいと思うのです。いっしょにスナック行って「かんぱ〜い!」って一緒にサイダー飲んで楽しむような応援。  そんな応援にこそ、行政はお金を出すべきです。そして福祉の現場の人には、支援という上から目線ではなく、相手とフラットな関係でそういう応援こそやって欲しいと思うのです。
  • 彼らのそばにいることが人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって作られる福祉
    今朝の朝日新聞「折々のことば」  ぷかぷかは代表のタカサキが障がいのある子どもに惚れ込み、彼らといっしょに生きていきたいと思ったところが出発点です。彼らに「心動かされた自分」がぷかぷかの中心にあります。たくさんの人に彼らに出会って欲しいと思い、街の中に彼らと出会えるお店を作りました。目指したのは福祉のお店ではなく、彼らといい出会いのできるお店です。結果、たくさんの人が彼らと出会い、たくさんのファンができました。ファンができることで、ぷかぷかのまわりの社会が変わってきました。障がいのある人もない人も、みんなにとって生きやすい社会ができつつあるのです。  彼らと出会うという体験が、人を動かし、社会を変えつつあるのです。  「薄暗いレコード屋で何時間も飽くことなく時間を過ごせる」人、それを人生の何よりもおもしろいと思っている人たちに音楽は支えられているように、ぷかぷかさんのそばにいて何時間も飽くことなき時間を過ごせる人、それを人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって、ぷかぷかの福祉は支えられています。  いつも「支援」という関係が前に出てくる福祉の世界にあって、彼らのそばにいることが人生の何よりもおもしろいと思える人たちによって作られる福祉は、なんだかとても泥臭く、お互いにとってとても居心地のいいものになっています。
  • 創英大学 詩のワークショップ
    2021年1月14日、創英大学の統合保育の授業、詩のワークショップで9月からの振り返りをやりました。  どうして統合保育なのか、子どもの保育の前に、自分自身が障がいのある人たちといっしょに生きていくことの意味をきちんと押さえておくことが大事です。言葉だけでなく、いっしょに生きていく方がいい、と実感すること。そういう意味でぷかぷかさん達と一緒にワークショップをやったり、ぷかぷかで体験実習をしたことは、それぞれの中にあった障がいのある人へのイメージをひっくり返すほどの意味があったと思います。      授業でやったことは、映画『Secret of Pukapuka』とEテレの共生社会に関する映像の鑑賞、ぷかぷかさん達と一緒にすごろくワークショップ、簡単な演劇ワークショップ、やまゆり園事件をテーマにした上映会では演劇ワークショップの記録映画の鑑賞、討論会の参加、それぞれ二日ずつぷかぷかで体験実習、毎日新聞で『やまゆり園事件は終わったのか』の特集を書き続けている上東記者も参加してのやまゆり園事件についての話し合い等。そういった活動の振り返りをただ感想言うだけではほとんど意味がないので、それぞれの気づきを自分の中でしっかり記憶にとどめることと、お互いの気づきを共有するために「詩のワークショップ」をやりました。以下がその記録です。 活動の中での気づきをそれぞれ短い詩にまとめます。  それぞれ書いた詩をグループの中で発表します。  それぞれが書いた詩を一行ずつ切り離し、グループの中でシャッフルします。言葉たちを並べ直し、グループとしての詩を作ります。どの言葉をどの場所に持ってくるかの話し合いの中で、お互いの気づき、思いを共有していきます。その作業が、グループとしての詩を作っていきます。  できあがった詩を壁に貼りだし、それを読みます。  黙って詩を読むのではなく、誰かに向かって声を出して読む。言葉に、丁寧にふれていきます。自分の思いを言葉にふれながら、丁寧に伝えるのです。それが「朗読」。  一度しか練習していないので、決してうまいとは言えない朗読ですが、それでもこうして自分たちの気持ちを言葉にして、友人達の前で朗読したことは素晴らしい体験だったと思います。学生さんにとってはとても新鮮な体験であり、意味のあるいい振り返りになったと思います。ぷかぷかさんとの出会いが、学生さん達のこれからの人生の中で、どんな風に生きてくるんだろう、と思います。なんか、考えただけでわくわくします。ぷかぷかさんといっしょに生きる素晴らしい未来をみなさんの手で作って下さい。 www.youtube.com ★学生さん達の感想、すごくいいです。ぜひお読み下さい。 ●個人で書いた詩をグループで発表し、それぞれの感じたことや感想を組み合わせて詩をつくることで、より深くて伝わりやすいと思った。それぞれの詩に個性があり「こんなことを思っているんだな」と自分とは違う部分を見つけることができた。もう1つのグループの詩を聞いて、自分のグループとは全然違うと思った。伝えたい部分も違って面白い経験だった。 ●個人個人が詩で書いた思いや感情を1つにまとめるとまた変わった一面をみることができた。まとめた詩の1つひとつの言葉を見ると優しそうであったり、強いようであったりを感じ、その詩を読むことで言葉に力がでてくるようであった。 ●グループで5つの詩を1つにまとめることは初めての試みでとても難しかったが、終わってみると自分では表現できなかったことが表現できて新しい発見があって面白かった。詩の中に美帆ちゃんへの気持ちを伝えることができてよかった。 ●一人ひとりが書いた詩をグループで組み合わせてみたら思ったよりもきれいにまとまってよかった。一人ひとり思っていること、考えていることが違うのにまとめてみると、みんなで1つの考えを持っているような詩ができて面白かった。さらにその詩を声に出して読むことで言葉1つひとつにしっかり意味があるように感じられた。 ●それぞれの意見を1つにまとめてみんなで作品をつくりあげるのは、とても難しかったけれどもその分、達成感があった。詩という表現方法をこの授業で体験できてよかった。 ●一人ひとり詩の表現方法が違っておもしろかったです。1つまとめると大きな詩になって驚きました。みんなそれぞれ感じたことは違うけれども思っていることは似ているのだと感じました。 ●一人ひとりの詩を合わせることで自分だけでは気がつけなかった感情をみつけることができた。詩をつくり言葉を丁寧に伝える活動を他にもに活かしていきたい。 ●一人ひとりの詩を1行ずつバラバラに分けて、グループ全員の詩を編集し、くっつけてみると、まとまった詩になるんだなぁと思いました。詩を書くだけではなく、みんなで作った詩を声に出して読むことで言葉1つ1つの重みや意味が他の人にも自分にもより伝わると思いました。 ●人それぞれの考えが1つにまとまると言葉の重みが変わる。似たような表現も違った表現もいろいろあった。魂の重さが21グラムなのを初めて知った。
  • 相模原事件 裁判傍聴記
    図書館でこの本見つけました。重い内容の本ですが、一気に読めます。                  裁判で明らかになったことを忠実にたどり、相模原事件の核心に迫ろうとした素晴らしい本です。植松被告のわからなさに戸惑いながらも、それでもきちんとそのわからなさに向き合い、これは何なんだと思い悩み、格闘しながら書いていて、著者雨宮さんのやさしさがよく伝わってきます。  雨宮さんの植松被告への丁寧な向き合い方を見ながら、あらためてやまゆり園は、スタッフだった植松とどこまで真剣に向き合ったのだろうかと思いました。  《軽い調子で障害者に対して「やばいですよね」「いらないですよね」というようになった時期、もしかしたら彼は深い葛藤の中にいたのではないだろうか。重度障害者を目の当たりにして、自分では処理できないほどの戸惑いの中にいたのではないだろうか》  《「この人は幸せなのか」「生きる意味はあるのか」といった根源的な問いについて、誰かと語りたかったのではないか。「やばいですよね」とあえて軽い感じで同僚に言ったのは、「目の前の現実をどう受け止めればいいかわからない」というSOSではなかったか》  という指摘は、植松被告のわからなさと格闘したが故に見えてきたすごく大事な視点だと思います。  経験の不足した若い職員の、そんな葛藤に、やまゆり園は本気で向き合ったのだろうか。  事件の1年後再開されたやまゆり園のホームページにあった言葉。 《昨年7月26日、津久井やまゆり園で起きました事件から一年になります。今まで多くの皆様にご迷惑やご心配をおかけしてきたところでございます。この一年の間、様々なところでご配慮いただき、厚く御礼申し上げます。》  事件を他人事のように書くこの挨拶文。事件のこと、何も考えていないことがよくわかります。こんな感覚では、植松被告の葛藤にも、多分気がつきもしなかったのだろうと思います。  重度障害者を前に《「この人は幸せなのか」「生きる意味はあるのか」といった根源的な問い》について、植松被告と深い話ができるような雰囲気がやまゆり園にあれば、多分事件は起きなかったと思うのです。  植松被告が小学校2,3年生の時に 「戦争をするなら障害者に爆弾をつけて突っ込ませればいい」 と作文に書いたといいます。  ひどいなと思いましたが、 《この国では70数年前「特攻隊」という形で人間を「自爆攻撃」に使ってきた歴史があるのだった》 という指摘は、そういう歴史の上に生きている私たちを問います。 《植松被告の「おかしさ」を否定しようと思えば思うほど、「実は国を挙げてやっていた」みたいなことが出てくるのもこの事件の特徴である。ナチスの障害者虐殺はいうまでもないが、この国は90年代まで障害者に対して強制不妊手術をしたいたという歴史も持っている。》  その恥ずかしい歴史とどう向き合うのか。だからやまゆり園事件を問うことは、私たち自身を問うことになります。  事件から新たに見えてくるものがたくさんありました。ぜひ読んでみて下さい。図書館では借り手がいないせいか、予約するとすぐに手に入りました。
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ