ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • すばらしい応援
    映画「ぷかぷか」の感想と一緒にすばらしい応援のメールが来ましたので紹介します。高崎さん今日は素敵な試写会でしたね!ありがとうございました。河原さんの解釈や人生論的なものがはいっていなくて、高崎さんや利用者さんの姿だけを映してあって、きっとホントにこのままなんだろうなー、あったかいこともご苦労も・・・と思いました。高崎さんのおっしゃっていたように、だんだんと河原さんがぷかぷかに溶け込んでくる感じ、その変化も素敵でした。質問改訂版も拝読しました。私には、高崎さんの気持ちがよくわかる内容です。でも監査の人にとっては、「苦情を言ってきている」という側面だけが伝わって、また表面だけを取り繕うような対応をしてくるかもな、という気がしないでもありません。そもそも、障がいのある人たちの働く場所や居場所というのは、彼ら彼女らの生存にかかわることであり、行政が用意するのが当たり前だと思います。高崎さんのような気持ちのある人たちが、こういう仕事をされているのは、奉仕の側面もあるわけで、そのことに対して税金で補助をするのは当然のことです。その意味で、高崎さんにとって行政は(そして行政にとって高崎さんたちは)、一緒に仕事をしていく良きパートナーとなるべきはずで、今回のような一方的な「指導」とか「横柄な態度」になるというのは、本当に残念としか言いようがありません。「設備投資は長机2本だけ」でも同額の補助がもらえるにも関わらず、彼ら彼女らのより豊かな生活(精神的にも経済的にも)を目指した仕事をされていることに、まずは敬意を示したうえで、現在の制度で、それらの作業所と補助等の差異化が図れないのであれば、そのことを伝えるのが、誇りを持った監査の仕事の仕方だと思います。更に、現在の制度の不備を改善していこうという「気持ち」さえないのであれば、それこそ税金で高い給料をもらいながら、現場を回っていることの意味は全くないと言わざるをえません。口を出さずにお金だけ出す、というような甘い話はないということは分かっていても、高崎さんをここまで怒らせるような態度というのは、どうなのか・・・。さらに1カ月待たせた対応が、ここまで通り一遍のものというのは・・・、却って対応しない方がましなほどではないのか・・・。高崎さんの気持ちの底にあるのは、お金を出せとかいうことではなく、ご自分の仕事に対するリスペクトなのだということを、いや、尊敬までいかなくてもいい、パートナーとしての対等な関係なのだということを、ぜひ理解してほしいと思いました。
  • 監査課へ再度質問
    神奈川県の監査課への再度の質問 1) 苦情申し立てから1ヶ月近くかかったにもかかわらず、何が問題で、問題解決に向けて何をやったのかさっぱり見えない回答でした。それでも監査課が作ったものなので、今後、福祉事業所で利用者さんからスタッフの言葉遣いがあまりにも横柄で不愉快だ、といった苦情が出たとき、苦情解決のモデルとしてぜひ活用させていただきたいと思います。苦情解決のマニュアルに、苦情申し立ての本人宛には、1ヶ月後くらいにこの程度の回答を寄せればいい、と載せておきたいと思います。またあちこち知り合いの福祉事業所にも紹介したいと思います。何か不都合があればお知らせ下さい。    2) 回答ではよくわからない項目についての質問です。今回の苦情に対し、監査課の何が問題だったと考えますか?具体的に挙げて下さい。3) その問題はどうすれば解決できると考えましたか?解決方法を具体的に挙げて下さい。4) 今回はその問題が解決できましたか?何を持って解決したと結論づけましたか?5) その評価は誰が行いましたか?身内の方ですか?それとも第三者ですか?6) 私へのメールは問題が解決したから送られたのでしょうか?それともまだ解決してないのに送られたのでしょうか?はっきりさせてください。7) まだ解決してないのでしたら、これからどんな取り組みをするのか、きちんと書いてください。8) 横浜市の監査課からは、苦情解決のために、第三者委員会を設置するように指導がありましたが、県の監査課は今回のような苦情に対応するために、第三者委員会を設置していますか?9) 苦情は直接相手には言いにくいものです。下手すると報復の嫌がらせがあるかも知れません。今回そのようなことがあった場合は弁護士に相談し、それなりの法的手続きを取る予定でいます。いずれにしても今回のような苦情申し立てをするとき、外部の窓口はないのでしょうか?10) 苦情は、当事者同士で話し合うのではなく、苦情の内容を第三者が評価し、その第三者が間に立って話し合いを進める方が問題がこじれなくていいと思います。この点に関してはどうお考えでしょうか?11) 今回監査に来た責任者の名前と肩書きを教えて下さい。記録に残しておきます。12) また、あの方は自立支援法の本を見ながら、一緒に来た監査課の若い職員に「ここのところはこういう解釈だよな」と確認しながら,指導していました。これが「指導」と言えるのでしょうか?本を見ながらでないと指導できないのでは話になりません。監査課の見解をお聞かせ下さい。13) 今回回答が来るまで一ヶ月近くかかりましたが、苦情解決に向けての誠意が全く感じられません。しかも一ヶ月近く何やってたんだと思うくらい内容のないものでした(だからあらためて、2~5の質問をさせていただきました)。監査の事前提出書類の「32 苦情解決」の項目に「苦情に対して、適切に対応していますか。」とありましたが、今回の監査課の対応は「適切な対応」にあたるのでしょうか?14) 今回回答に「監査指導課長」とだけあって、この回答の責任者の名前がありませんでした。ふつう、こういう文書には名前が入ります。どうして責任者の名前が入らないのでしょうか?回答は曖昧な一括回答ではなく、番号順に一つ一つ具体的に答えて下さい。前回、回答をいただくまで一ヶ月近くかかりましたが、時間がかかりすぎです。内容的には2,3日もあれば十分答えられるものです。誠意を持って答えてください。
  • 監査
    11月始めに神奈川県の監査があった。やってきた監査官があまりにも横柄な態度なので、神奈川県に抗議した。(神奈川県のホームページに意見を言うコーナーがあるので、そこに投書した) 「カフェベーカリーぷかぷか」という就労継続支援B型の福祉サービスをやっている事業所の者です。先日11月10日に神奈川県の監査がありました。そのときにやってきた50代の方のものの言い方があまりにもひどいので,意見を言わせていただきます。 端的に言うと、人と何か話をするときの「口の利き方」を知らないのではないか、ということです。上から目線で、横柄な言い方に終始し、とても不愉快な思いをしました。 「だからさ、…これはさ、…そう思うだろ」といった調子で、この人はいったい誰に向かって話をしているのかと思いました。自分は一体何様だと思っているのでしょう。こういういい方が相手に失礼に当たるといったことすらわからなかったのでしょうか? この方の役職は何ですか?年齢からそれなりの責任ある立場だと想像しますが、その責任ある立場の人がこんな感覚では困ります。神奈川県民として厳重に抗議したいと思います。神奈川県としての見解をお願いします。また、県としてこういう感覚の人を監査によこした責任をどう考えますか? この方は確か「安田」という名前だったと思いますが、持ち合わせていなかったのか名刺も出しませんでした。監査に来て名刺も出さないとはひどすぎます。非常識です。名刺を相手に渡すことは一つの大事な自己紹介であり、監査をする相手に対する最低限の「礼儀」だと思います。それもしないで監査をするというのは一体どういう神経を持っているのでしょうか。(次回から名刺を出さない方は監査をお断りします。素性のはっきりしない方に大事な書類を見せるわけには行きません。ほかの方が名刺を出しても、今回のように責任ある方が出さないときはお断りします。「安田」という名前も私の曖昧な記憶にあるだけで、はっきりしないのです。監査という大事な仕事において、こんないい加減な話がありますか?) 神奈川県はこんなことの基本的な指導もしてないのでしょうか?それとも「安田」なる人の資質の問題でしょうか?県としてどのようにお考えなのかはっきり答えて下さい。 おそらくこの方は今までずっとこんな調子で監査をやってきたのだろうと思います。神奈川県の監査の評判の悪さは以前から聞いていましたが,こんな方がやっているのでは当然だろうと思います。評判の悪さはこの方一人の問題なのでしょうか?それとも監査をやっている人たち全員の問題でしょうか?神奈川県としてはどのように考えますか? 少なくとも「安田」なる人が監査に行ったところは,「不愉快な思いをしなかったかどうか」「失礼がなかったかどうか」ぐらいは謙虚に聞いて回った方がいいように思います。あのような非常識な人を監査役として派遣した神奈川県の最低限の責任です。この点に関してどう思いますか? 若い監査官が3人ついてきていました。50代の方の発言を聞き、記録をとっていましたから、あのような失礼なものの言い方も若い3人にしっかり引き継がれるのではないかと思います。3人のうち一人はすでにそういうきわめて不愉快になるようなものの言い方をしていました。(一緒に来た横浜市の女性職員です。) あの「安田」なる人物が監査役をやっている限り、こういう不愉快極まる感覚の再生産は続きます。このことについて神奈川県としてどのように考えますか?どういうふうに対処しますか? 監査は税金が適正に使われているかどうかのチェックです。監査をする人はそのチェックをする単なる「係」のはずです。にもかかわらず、まるで自分がお金を出しているような感覚でものをいいます。不愉快極まる言葉,横柄な言葉、感覚はそこから来ています。神奈川県は監査をする人たちのこういう感覚についてどのように考えますか? 今回のような苦情申し立ての意見は第三者委員会の目にも触れますか?あるいはチェックを受けますか?神奈川県として、その第三者委員会の意見を聞きますか?  1ヶ月近くたってようやく来た返事がこれ。 平成23年11月10日に実施いたしました実地指導におきまして、非常に不愉快な思いをさせてしまいましたことをまずお詫び申し上げます。当課では、障害福祉サービス事業を営む事業者の皆様に対しまして、障害者自立支援法第11条第2項に基づく実地指導を実施しております。実地指導におきましては、提出資料を中心に事業所の運営や請求事務等に関するヒアリングや書類の確認を行い、その中で改善が必要な点についてはその内容をお伝えするとともに、後日文書にて実地指導の結果を通知しております。御存知のとおり、障害者自立支援法は細かくわかりにくい規定等が多いため、実地指導の場において事業者の皆様に十分御理解いただけるよう努めているところでございます。この度、このように詳細な説明を行うことに努めている中で、御不快な思いをさせてしまったものですが、当該職員を含め監査業務に従事する職員一同、今回の件を重く受け止めまして、今後このようなことがないよう十分に留意いたします。また監査の際には、これまで以上に名札等の身分提示をしっかり行うととともに、丁寧な対応を心掛け、事業者の皆様への指導・説明に努めてまいりたいと思います。 平成23年12月7日高崎 明 様           神奈川県保健福祉局地域保健福祉部福祉監査指導課長 この答えをどう受け止めるか、みなさんの感想をお聞かせください。
  • 単純作業では人は成長しない
    福祉の世界を長年歩いてきた人が「毎日同じことの繰り返しの単純作業では人は成長しないんだよね」といっていました。全く同感です。自分がそういう仕事をすることを、ちょっとでも想像すれば、すぐに納得できます。 にもかかわらず、知的障がいの人は単純作業が向いている、と昔からよく言われます。でも、ほんとうにそうか?と思います。単純作業の繰り返しは、あまり頭を使わない、だから知的障がいの人にはこういう仕事があっている、といわれるのだろうと思います。でも自分でそういう仕事をやってみると、同じことの繰り返しはすぐに飽きてしまうし、それを続けることはとても辛い毎日になります。そういう気持ちは知的障がいの人たちも同じだろうと思います。ただ彼らが黙っているだけではないかと思うのです。ボールペンの組み立て、割り箸の袋入れ等は福祉事業所でよくやっている仕事ですが、少し想像力を働かせれば、毎日そういった仕事を続けるつまらなさはすぐにわかります。毎日毎日何の変化もありません。変化がなければ面白くも何ともないし、自分の成長もありません。 彼らだっておもしろい仕事を提供すれば、毎日が楽しくなるし、充実した時間を毎日過ごすことができます。ぷかぷかで働く知的障がいの人たちに活気があるのは,そういう毎日を送っているせいだと思います。 ぷかぷかの外販部長をやっているツジさんは、入った当初は大声出して外へ飛び出したり、よその家に飛び込んだり、ほんとうに大変でした。でも今はすばらしい「外販部長」をやっています。 ツジさんは「ぷかぷか」に来る前、授産施設にいたのですが、そこの職員は誰も今のツジさんの力を知らなかったといいます。その授産施設は、いわゆる「軽作業」と呼ばれる、単純作業の繰り返しをやっていました。ですから彼の力を発揮する機会がなかったのだと思います。彼が「ぷかぷか」に来なければ、今のすばらしい「力」を発揮する機会はなかったわけで、力を発揮できなければ,人は成長しません。 ツジさんの成長は、知的障がいのある人だって、おもしろい仕事をやれば、ほんとうにすばらしい成長が期待できることを私たちに教えてくれています。 
  • しんごっちと「猫も秋思の中に入る」
     「しんごっち」は利用者さんの愛称です。言葉によるコミュニケーションはなかなか難しい方です。ところが絵を描くとすばらしい作品を描いてくれます。「ぷかぷか」のホームページ(「ぷかぷかパン」で検索するとすぐに出てきます。)のトップにしんごっちの描いた猫の絵を載せているのですが、たまたま朝日歌壇にのっていた句を見たとき、真っ先に浮かんだのがしんごっちの描いたこの絵だったのです。  窓に来て猫も秋思の中に入る 物思いにふける、といったことをしんごっちが考えたのかどうかわかりません。でもしんごっちの描いた猫は物思いにふけっています。物思いにふける,なんて言葉はとても曖昧な言葉です。その曖昧な言葉のイメージを猫の表情で表したしんごっちはやっぱりただ者ではないなと私は思ってしまうのです。 そのあたりと、言葉がどう説明しても通じないしんごっちと、どうなっているのか私にはよくわからないのです。言えることは、しんごっちのような人は、やはり大事にしたいし、私たちの世界の「宝」だなと思うのです。
  • 誕生日プレゼント
    「ぷかぷか」では利用者さんの誕生日に「ぷかぷかカフェ」でのスイーツセットをプレゼントすることにしている。しかも好きな人とのペアセットだ。 ツジさんの誕生日。朝の会で「誰と一緒にお茶飲みますか?」「ユミさん!」 年配の女性スタッフが選んでほしくて手を上げていたのだが、迷うことなく大好きな彼女の名をあげた。 人とのおつきあいがまるっきりへたくそなツジさんがどんなデートをするのかと思ったが、ここは本人に好きなようにさせた。 さて、午後になり、たまたま彼らが来る前にカフェで打ち合わせがあった。すぐ隣にツジさんが席を取り、彼女を呼んだ。これからデートが始まるというのに、いつもと同じようにわけのわからないことをべちゃくちゃしゃべりまくっている。全く困ったやつだと思うすぐそばで、「少し静かにしなさい」とツジさんの唇に手を当てて,ユミさんは優しく諭している。「うん、わかった」と普段とは別人のように素直に言うことを聞くツジさん。“おー、やるじゃん”と、そそくさと席を立ったのでした。
  • 映画「ぷかぷか」
    10月23日 映画「ぷかぷか」の試写会。「ぷかぷか」の設立前から1年半ほどを追いかけたドキュメンタリー。経営的に本当に苦しい時期もあって、それがそのまま映像になっていて、あの頃のつらい思いがあらためてよみがえった。あの時、カメラの前で何かしゃべろうとしても言葉が出てこなかった。カメラを回している河原さんも、あの苦しい状況を超えるような言葉を期待していたんだろうと思う。私もそれを必死で探しながらも、あの時はどうしていいのかわからず、ただただ深いため息が出てくるばかりだった。カメラの視線がとても辛かったことを覚えている。それがそのまま映像になっていた。 その沈黙のシーンの前に、思いを共有できなかったスタッフをぼやく場面があり、そこはカットしたほうがいいのではないか、という意見も出た。経営者としてはほんとはいうべきではない、という意見もあった。 でも、あの苦しい時があったからこそ、今のぷかぷかがある。「夢」を実現するには、当たり前の話だが、楽しいことばかりではない。いろんな浮き沈みがあってこそ、みんなが鍛えられ、そのなかで「夢」が少しずつ実現していくのだと思う。そういう意味で、あのシーンは「ぷかぷか」にとってとても大切なシーンだと思う。 とてもみっともない、恥ずかしい場面だが、それはそれでぷかぷからしいと思う。 苦しくてもつらくても、明日のパンを作るために、利用者さんの明日の仕事を作るために、とにかく動いていくしかないところが、本当にきつかったが、そういう中でしっかり支えてくれる人もいて、なんとかやって来れた。何よりもそんなことはお構いなく、しっかり働き続け、「ぷかぷか」をしっかり支えてくれた利用者さんたちに、あらためて感謝したいと思う。 映画の中で彼らは本当によく働いている。そして働いていく中で、大きく変わった。それが映像を見ているとよくわかる。彼らだけでなく、彼らを映像として追いかけてきた河原さんも変わった。カメラの向け方が最初の頃とずいぶん変わっている。 河原さんをぷかぷかの映像作りに夢中にさせたものは何だったんだろうとあらためて思う。 試写会の後、参加者の一人から「素敵な夢をプレゼントされた気がいたします。」といったメールが来た。そういったものが映画「ぷかぷか」にはあるのだろう。私には辛かったときのシーンだけが印象に残っているのだが、見た人に夢をプレゼントできるなら、こんなすばらしいことはないと思う。最後のシーンで外販を終えて帰って行く利用者さんの後ろ姿に私はちょっと涙が出そうになった。ぷかぷかが始まる前のパン教室での姿と、外販を終えて帰って行く自信に満ちた後ろ姿。ぷかぷかを初めて1年半の意味がその後ろ姿に凝縮されていると思った。 映画は若干の手直しを入れて、今年の末には完成予定です。またお知らせを載せますので楽しみにしていてください。  
  • パン屋を辞めた方が儲かる
     経営アドバイザーの方と話をしていて、「パン屋を辞めたら儲かるんだよなぁ」という話になった。 おいしいパンを作ろうとすれば、当然人手がかかり、ぷかぷかでは現在障がいのある人たち20人に対して13人ものスタッフがいる。パンをやめて、たとえば簡単な組み立て作業(ボールペンの組み立て、電機部品の組み立て、段ボール箱の組み立て、割り箸の袋入れなど)をするなら、スタッフは半分以下に減る。設備投資も長机くらいですむから、パン屋の10分の一以下ですむだろう。それでも、障がいのある人たち対する福祉サービス(就労訓練)の報酬は同じだ。だから「パン屋を辞めた方が儲かる」というわけだ。運営は格段に楽になるだろう。 では、どうして儲からないパン屋を辞めないか。それは障がいのある人たちに面白いと思える仕事を提供できるからだ。パンは結果が見えるので、仕事として楽しいし、やりがいがある。結果を見届けることのできる外販は、だから大人気で、毎週自分が外販に出かける日をみんなとても楽しみにしている。 簡単な組み立て作業は、ほとんどの場合、大量に品物が来るから、やってもやっても終わりがない。終わりのない仕事は、結果が見えないので、辛いものがある。同じことの繰り返しの仕事は、やはり飽きが来る。 仕事が楽しいこと、それを大事にしたいから、儲からなくても、運営がいつも苦しくても、パン屋は辞めたくないなと思う。 
  • かっこいい!
     精神障がいの人が実習をしている。実習前の面接では、何を言っても全く笑顔が出なくて、笑顔という反応がないと、会話がぎくしゃくして、なんともやりにくい感じがした。いろいろ相手に気を遣ってもこんな調子では、知的障がいのあるメンバーさんとうまくやっていけるのかどうか、いささか不安だった。メンバーさんといい関係ができれば、ぷかぷかはすごく楽しい場になるが、そうでないと、ちょっと辛い場になるのではないかと心配した。 カフェで実習。包丁を使って野菜を切るとき、決してうまいのではないが、ただ左手で包丁を持って切った、というただそのことが「かっこいい!」と女の子達が拍手したりした。右利きの彼女たちにとって、左手で包丁を使うこと自体が、すごいことに見え、思わず「かっこいい!」と言ってしまったのだろうと思うのだが、そのひと言が実習生と彼女たちの距離を一挙に縮め、精神障がいのある実習生から「かっこいいお兄さん」に変わった。 この思ってもみない展開がすごく楽しいと思う。私の心配を押しのけるように「かっこいい!」なんて言ってくれた彼女たちに拍手! 
  • いい一日だったね
     べらべらおしゃべりばかりで仕事が進まないのは困りものだが、黙りこくったままの仕事場、というのもなんだか気詰まりな気がする。適度におしゃべりもし、笑いの絶えない職場がいいと思う。 先週から来ている実習生は、仕事中、一言も喋らなかった。仕事中は喋らない、という決まりを忠実に守っているようだった。でも「ぷかぷか」では、みんなして、あーだ、こーだ、おしゃべりしながら仕事をやっている。それでいて仕事はしっかり進める。何よりも仕事場が楽しい雰囲気だ。 実習生はふだん検品の仕事をしていて、これはやってもやっても終わりのない仕事だ。「そういう仕事って、辛くない?」って聞くと「仕事ですから」と見事な答え。若いのに“仕事は辛いもの”と割り切っているのだろう。それはしかし、寂しい“仕事観”だと思う。仕事は時間を仮に一日8時間とすると、単純計算で人生の三分の一を占める。この時間が辛いものだとすると、なんだかもったいないではないかと思う。 ま、でも、考えてみれば、養護学校で働いている頃は、そういうイメージで生徒たちに仕事の厳しさを教えていたなぁ、と思う。でも、自分で仕事場を立ち上げてみると、仕事が辛いのではやっていけないなと思う。辛い顔して焼いたパンなんておいしくないと思う。パンはいい顔して焼きたい。パンの味は焼く人のそんな思いをしっかり反映する。 仕事は楽しい!って心から思えること。それが一番大事なことだと思う。それを特に意識したわけではなかったが、「ぷかぷか」は自然にそういう雰囲気になっていた。 一日の終わりに「いい一日だったね」ってお互いがいえるような仕事をしたいと思う。 2週間目に入った実習生の顔がずいぶんやわらかくなり、仕事中もみんなと一緒に笑っている。仕事って楽しいんだ、って思ってくれたかな?
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ