ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 社会にはいろんな人がいた方が…
    地元霧が丘社会福祉協議会の主催で「障がいのある人たちと一緒に生きる意味」と題した講演会をやりました。 以下、話の概要です。  養護学校に勤めて障がいのある子どもたちと初めて出会ったのですが、クレヨンをボリボリかじってしまったり、頭をぼかすかたたいたり、ひたすら泣き叫んだり、すごい子どもたちを前にどう対応していいかわからず、おろおろするばかりでした。でも、よ~くつきあってみると、どこかほっとするような雰囲気を持っていて、めっちゃくちゃ楽しくて、なんともいえない人としての魅力を持っていることがだんだんわかってきました。 いつもふんぞり返っていて、社長と呼ばれる子どもがいました。しょっちゅうお漏らしするせいもありましたが、とにかく気がつくとパンツを脱いで、天気のいい日は芝生の上で大の字になって寝転び、実に気持ちよさそうにしていました。みっともないからパンツくらいはきなさい!等と注意するくらいでいうことを聞くような子どもではありません。でも毎日のようにそんなことを繰り返していると、あたたかな芝生の上でパンツを脱いで大の字になって寝っ転がっている社長の方が、そのときそのときを気持ちよく生きているのではないか、と思えるようになってきたのです。 もちろん社長が正しいわけではありません。でも社長と私とどっちがそのときいい顔をしているかといえば、社長の方が何倍もいい顔をしているのです。このことに気がついたときからです。ふつうはパンツははいているものですが、パンツを脱いでしまう子どもがいたっていいじゃないか、って思えるようになったのは。 そう思えるようになると、自分の中の「人間」の幅が少しずつ広がってきました。人間の見方が変わってきたのです。どんな人でも受け入れることができるというか、そういう人がいてもいいよな、とふんわり相手を受け入れられるようになってきたのです。 「規範」というものにとらわれない生き方もその子どもに教わった気がしています。こういうことはするものじゃないとか、やっちゃあいけないといった「規範」は自分を縛っています。その「規範」から少しずつ私自身が自由になっていったのです。生きることが、なんだかとても楽になりました。肩の力が抜けたというか、そんな感じです。 楽しくて、なんともいえない魅力あふれる彼らと毎日におつきあいしているうちに、人間ていいな、って素直に思えるようになりました。自分の気持ちのままに生きている彼らとつきあっていると、私自身、生きることに力みがなくなって、心も体もなんだかとても楽になっていったのです。 そしてこんな人たちとずっといっしょに生きていきたいな、と思うようになったのでした。 こんな素敵な人たちを養護学校の中に閉じ込めておくのはもったいないと、武蔵野の原っぱまで連れて行っていろんな人たちといっしょに遊んだりしました。子どもたちの中に障がいのある子どもたちが入ることで、子どもたち自身が遊び方を工夫したりして、すばらしい仲間になりました。 遊ぶだけでは物足りなくて、生活クラブのお店の前の駐車場で開かれていた「あおぞら市」に養護学校の生徒たちといっしょに手打ちうどんのお店を出したりしました。ただのうどん屋を出しただけなのに、いろんなことが自由にできる広場になっていました。彼らがそこにいることで生まれる、気持ちがふっと優しくなったりする雰囲気、なんともおかしかったりする雰囲気、お互いのつきあいに無理がない雰囲気。それらが「あおぞら市」全体をほっと安らぐ,自由な広場にしていたように思います。 彼らが街の中にいることの意味を、このあおぞら市のうどん屋は誰もが納得する形で表現していたように思います。養護学校のような閉じた場所に閉じ込めておくのではなく、街の中にどんどん出ていった方がいいと、あらためて思いました。 私たち自身が日常より少し自由になれる演劇ワークショップの場で彼らと出会ってみたいと思い、劇団黒色テントの役者さんたちに手伝ってもらい、地域の人たちといっしょに演劇ワークショップを始めました。 みんなで簡単なお芝居を作るのですが、発想の違う人、強烈な存在感のある人、素直に文句を言う人たちといっしょにやるワークショップは思ってもみないはちゃめちゃな展開を見せてくれました。 自分の好きなぬいぐるみを作り、それを元にお話を立ち上げていくワークショップでは,「海のぬいぐるみ」を作った人がいて、これには本当に驚きました。ぬいぐるみといえば、ほとんどの人は丸いものをイメージするのですが、「海のぬいぐるみ」などというのは、全く思いつかないものでした。「海のぬいぐるみ」なんてできるんだろうかと考えるより先に、当たり前のように海の絵をまず描いて、それを2枚貼り合わせて「海のぬいぐるみ」をささっと作ってしまったのです。お芝居の中の海岸のシーン。「海のぬいぐるみ」を抱えて、ザザザ~ン,ザザザ~ン、といいながら行ったり来たりしていました。 このときほど、発想の違う人たちが一緒にいることの楽しさ、おもしろさ、できあがってくるものの幅の広さを思ったことはありませんでした。そういう人たちがいたからこそ、瀬谷のワークショップはすばらしい作品を生み出したのだと思います。 最初の頃は障がいのある人たちを支援するような思いで地域の人たちが集まったのですが、何回かやっていくうちに、彼らがいるからおもしろいワークショップができ、だから地域の人たちが集まってくる、つまり、支えられているのは私たちの側なんだと言うことがはっきりわかってきました。 あれができない、これができない、と切り捨てられてきた彼らと、「あんたがいないと困る」という関係ができたことは実に痛快でした。障がいのある人たちとの新しい関係です。彼らといっしょにやった方が楽しい、彼らといっしょにやった方がおもしろいものが生まれる、といったことをみんなで実感したのでした。これはそのまま「いっしょに生きていった方がいいよ」ということにつながっていきました。 退職後、どうするかを考えたとき、障がいのある人たちといっしょに生きていきたいと思っていたこと、趣味で20年くらい自家製天然酵母でパンを作っていたことをあわせて彼らといっしょにパン屋を始めることにしました。  街の人たちにパン屋で彼らといい出会いをしてほしいと思いました。おいしいパンといっしょに、何かあたたかいものを持って帰るようなパン屋にな れたらいいなと思っていました。そして、彼らが働くパン屋が街の中にあると、なんだかほっとしますね、って思ってくれる人が少しずつ増えてくれれば、と思っていました。  ところが実際に始めて見ると、パン屋の店先での呼び込みの声がうるさいと苦情の電話が入ったり、店の前を行ったり来たりする人がいて落ち着いて食事ができない、と苦情を言われたり、半年くらいは本当に毎日が針のむしろのようでした。 それでも1年たち、2年たちするうちに、少しずつ地域になじみ、今は障がいのある人たちの働くお店として、地域社会にしっかり溶け込んだ感じがしています。あたたかい、ほっとした雰囲気がいいとか、接客の一生懸命さがいいとか、嬉しい声がたくさん寄せられます。 障がいのある人たちといっしょに働くのは、それなりに大変な部分もあります。それでも彼らがいないと、「ぷかぷか」は気の抜けたビールのようになってしまいます。彼らのために立ち上げたお店ですが、今は彼らがいないと困るお店になっています。彼らといっしょの方がいいね、という思いをスタッフみんなで共有できるまでになりました。 「ぷかぷか」は障がいのある人たちの就労支援をやっています。その福祉サービスの報酬とパンの収入で運営しています。変な話ですが、パン屋をやめて、福祉事業所によくあるボールペンの組み立てとか、割り箸の袋詰めなどの仕事をやった方がお金は儲かるのです。そういう仕事なら長机が4,5台あればできます。「ぷかぷか」のような莫大な設備投資のお金はいりません。スタッフも4,5人もいれば十分仕事を回していけます。「ぷかぷか」には現在15人のスタッフがいます。そういったことを考えると、パン屋をやめた方がいいことになります。 でも、パン屋はやめません。利用者さんが仕事を本当に楽しんでやっているからです。仕事が楽しいと毎日は充実し、人生が充実します。日々成長していきます。介護給付の認定調査があったとき、介護の度合いが前回の調査の時よりも大幅に下がり、ケースワーカーさんがびっくりしたこともあります。「以前はいつも下を向いていましたが、今はまっすぐ前を向いて生きています」と本人は言っていましたが、これにはびっくりしました。仕事がここまで人を変えるとは思ってもみませんでした。ボールペンの組み立てやら割り箸の袋詰めでは、こういったことはまずあり得ないでしょう。もうけが少なくても、パン屋はやめられないのです。 瀬谷区役所には毎週木曜日に外販に行っています。最初の頃は5,000円くらいの売り上げでした。それが最近は20,000円から35,000円もあります。パンがおいしいこともありますが、スタッフだけで売っていたのでは、こんなに売り上げは伸びません。やっぱり利用者さんといっしょに売っているから売り上げが伸びたのです。お客さんたちは毎週木曜日をものすごく楽しみにしています。彼らのにぎやかな声が聞こえると「あ!来た来た!」とわくわくするそうです。楽しい、癒やされる、優しい気持ちになれる… 区役所との打ち合わせではパンの外販だけのつもりでしたが、それをはるかに超えるものがうまれたのです。彼らとの出会いから生まれたわくわくするような関係こそ、地域の中でもっともっと広げていきたいと思うのです。 障がいのある人たちの社会的生きにくさは、彼ら自身の問題というより、「できる」「できない」で人の価値を決めてしまう。私たち自身の価値観の問題であるように思います。そういう価値観では計りきれない魅力を人間は持っていることを彼らは教えてくれました。その魅力を見落としてしまうのは、社会にとって大きな損失であるように思います。 私たち自身、そういった価値観から自由になれば、もっと楽に生きられる気がします。養護学校の子どもたちと出会って、一番大きく変わったのは、自分を縛っていた価値観から自由になり、生きることが楽になったことです。人生が楽しくなった、そんな気がしました。 障がいのある人たちが生きにくい社会は、私たちもまた生きにくい社会だと思います。自分たちと違う人間を排除するのではなくて、違った人たちがいた方が社会の幅が広がり、豊かになる、という視点を持ちたいと思うのです。 地域社会にはいろんな人たちがいた方が,社会が豊かになる、そんなふうに私は思います。
  • 生クリームてんこ盛りケーキ
     クリスマスパン教室で、生クリームてんこ盛りのゴージャスなクリスマスケーキを作りました。ベーコンエピも作ってみました。  
  • みんなで盛り上がっています
     今年の「ぷかぷか」,大きな事故もなく、無事1年を過ごすことができ、ほっとしています。 大きな出来事としては11月に初めてみんなで旅行に行ったことでしょうか。1泊2日で千葉の「鴨川シーワールド」と「マザー牧場」に行きました。きわめてオーソドックスなコースですが、それでも利用者さんにとってはわくわくする楽しい旅行だったようです。一番よかったことは旅行に行ったことで、「ぷかぷか」のみんながひとつにまとまった、と感じられるようになったことです。仕事も含め、「ぷかぷか」が楽しい、とみんなが感じてくれていることです。 帰りのバスの中で一人一人感想を聞いたとき、何人もの利用者さんが「来週からまた仕事がんばりたいと思います」と元気よくいってくれました。私なんかは旅行が終わるとまた仕事だ、と何となく気が重くなったりするのですが、彼らのこの元気の良さはなんなんだろうと思ったりしました。 実際、旅行から帰ったあとは、旅行に行く前より、もっと気持ちが前向きになっているように思います。外販に行ってパンが全部売れたときの喜びようは、今まで以上のものがあります。しかもその喜びを外販に行かなかった人たちも共有しています。 カレーパンにしてもカルツォーネにしても、その具材作りはたくさんの利用者さんが関わっています。「ぷかぷか工房」で野菜を刻む人、肉を細かく切る人、それを「ぷかぷかカフェ」まで運ぶ人、フライパンで炒める人、冷ました具材を50g単位でラップに包む人、それをパン厨房に運ぶ人、カレーパンを揚げる人、できあがったパンを袋に入れる人、ラベルを出す人、ラベルを貼る人、数を数えて外販に持って行くばんじゅうにならべる人、ばんじゅうを車に積む人、外販先で、パンのおすすめをする人、計算する人、おつりを渡す人、袋に詰める人などなど、とにかくみんなで作ったパンをみんなで売り切ったときの喜びが最近はすごいなと感じるのです。 それはそのまま仕事の喜びであり、毎日が充実している、ということでしょう。そういう仕事を利用者さんに提供できたこと、そのことが今年の大きな成果ではなかったかと思います。 以前、ぷかぷかで仕事をすることで介護の度合いがぐんと減って、聞き取りをしたケースワーカーさんをびっくりさせた話を書きましたが、そういったことが利用者さんみんなに起こっているのではないかと思います。これから利用者さんがどんなふうに変わっていくのか、楽しみなところです。 ホームページはhttp://pukapuka-pan.xsrv.jp/
  • 半年ぶりに再開のパン教室
    計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。 「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。  
  • 新しいポタージュスープ2種
    ぷかぷかカフェのメニューで新しいポタージュスープが2種登場しました。カボチャを使ったスープとほうれん草を使ったスープです。それぞれちょっとしゃれた名前をつけてみました。カボチャ侯爵の素敵な散歩道ミセスグリーンの優雅な休日ホームページはhttp://pukapuka-pan.xsrv.jp/
  • ごちそうさまでした!
       カフェに来たお客さんからこんな嬉しいメールが来ました。ごちそうさまでした。とても、おいしかったです。器いっぱいに盛られたサラダ。籠いっぱいに盛られたパン。 おとぎ話のように、ひとつひとつが飛び出して踊りだしそうな・・そんな、印象を受けました。 丁寧に、慎重にコーヒーをテーブルにおいてくれたお店の方。こころがこもっていて、一生懸命なのがすごく伝わりました。 また、行きますネ!あんまりにも、美味しかったので、パン屋さんのほうでもたくさん買っちゃいました(*^_^*)お店でおかわりいっぱいしたのにね♡ では、ぷかぷかのみなさんお風邪などひかないように気をつけてくださいませ。  嬉しいですね。お店を始めて良かったとしみじみ思えるメールです。今までの苦労が吹っ飛んだ感じです。 利用者さんの一生懸命さに心動かされた様子もよくわかりました。こういう「出会い」こそ大事にしたいと思います。そして「心を込めて一生懸命接客した」利用者さんのお父さんに、こんなメール来ましたよ、って連絡したら、こんな返事がありました。 なんとお礼を言っていいか分かりません。全て、ぷかぷかの皆さまのお蔭です。今、ゆき子に見せたところ、「そんなぁ」って喜んでいました。ありがとうございました。ぷかぷかにお世話になるようになって、本当に前向きになり、家族からも頼りにされる存在になりました。 保護者の方のこんな声も本当に嬉しいですね。ぷかぷかがやってきたことは本当に間違っていなかった、とあらためて思いました。  ホームページは http://pukapuka-pan.xsrv.jphttp://pukapuka-pan.xsrv.jp  
  • 旅行
    にほんブログ村  11月23日、24日と千葉方面に一泊二日の旅行に行ってきた。利用者さん22名、スタッフ6名が参加。23日は雨の中、鴨川シーワールドを見学。寒くて本当に参ったが、それでもみんなとても楽しかったようだ。翔平さんはシャチのショーを絵日記に書いてくれた。トップページにその絵を載せたが、前に座っている人の頭が二つ大きく描いてあって、その間に泳ぐシャチに乗ったダイバーが手を上げている絵が小さく描かれている。 雨にもかかわらず大混雑で、掌握が大変だったが、それでも迷ってしまう人もなく、ほっとした。 ホテルはかなりいいリゾートホテルで、4人ずつの部屋で、のんびり、まったりのいい時間を過ごした。仕事の仲間でこんな時間を過ごすのは初めてだったので、本当にいい時間だったように思う。 夕食が超豪華なメニューで、大満足。味もすばらしかった。 風呂は露天風呂が1時間ほど貸し切りになり、ゆったりと楽しんだ。男性はスタッフが二人に対して利用者さんが10人もいて、一般のお客さんと一緒だったら本当に大変だったと思う。 24日は晴れの予報だったが、朝から冷たい雨。それでもマザー牧場に着く頃から雨が上がり、シープショー、アヒルの大行進などを楽しんだ。ジンギスカンの昼食のあとはわくわくランドで乗り物を楽しんだ。  有名な観光地を回っただけの旅行だったが、利用者さんは行く前から旅行をものすごく楽しみにしていて、これは私なんかが思う旅行のイメージをはるかに超えて、利用者さんに豊かな時間を提供したようだった。旅行前の胸のどきどき、わくわくこそ、人が生きていく上で一番大事なことだと思う。それがあるから明日が楽しみになる。 旅を終えて、あらためて「ぷかぷか」という集団のメンバーとしての一体感が強まった気がする。帰りのバスの中で一人ずつ感想を発表したが、「すごく楽しい旅行でした」「来年もまた行きたいです」「そのために、来週からの仕事がんばりたいと思います」といってくれた利用者さんが何人もいた。仕事へ向かう気持ちがみんな前向きになっていて、なんだか嬉しくなった。  ぷかぷかが始まって2年半。利用者さんとスタッフがこんなにも一つになって前に進むなんて、全く予想できなかった。 ぷかぷかは形の上では就労支援をする事業所ではある。でもそんな枠組みをはるかに超えて、人と人とが思いを共有できる「場」になっているんだと、今回の旅行を終えて強く思った。 近々引っ越しします、とわざわざ挨拶に来てくれたお客さんがいたり、お客さんとのいい関係も徐々に増えつつある。ぷかぷかの中の関係も、外との関係も目に見えて良くなって、これからが本当に楽しみだ。
  • 霧が丘に来てくれてありがとう! その2
     運動会に参加した地域の方が感想に「霧が丘に来てくれてありがとう!」と書いてくれていました。   障がいのある人たちの施設の建設には地域住民の反対がつきものの中で「霧が丘に来てくれてありがとう!」は滅多にない反応です。  もちろんはじめからそういう反応があったわけではありません。  お店を作る前、商店会の集まりでいろいろ説明しましたが、どうして障がいのある人たちのお店を霧が丘に作るんだ、という歓迎しない雰囲気はどうしようもありませんでした。とにかくつきあってもらうしかありませんでした。  お店ができた当初は、パン屋の前で利用者さんが一生懸命声を張り上げて「おいしいパンいかがですか」という声がうるさいと苦情の電話が入ったり、飲食店の前を行ったり来たりする利用者さんがいると、落ち着いて食事ができないと苦情を言われたり、間違えてほかのお店に飛び込んで、ものすごい剣幕で叱られたり、とにかく半年くらいは針のむしろ状態でした。  それが1年たち、2年たちしているうちに、少しずつ地域になじみ、今は霧が丘の風景の一つとして定着した感があります。クッキー、ラスクの工房から、オーブンのあるパンの厨房まで5,6分の距離ですが、そこを毎日できあがったクッキー、ラスクを天板に載せて利用者さんが運んでいます。利用者さんはとにかくみんな一生懸命です。その一生懸命さが、天板を運ぶ姿からはビリビリと伝わってきます。その姿を地域の人たちはしっかり見ています。  そういう中での「霧が丘に来てくれてありがとう!」の言葉。嬉しくてちょっと涙が出てしまいました。
  • 霧が丘に来てくれてありがとう!
    テキトーきわまりない「ぷかぷか」の運動会に参加した地域の方の感想。   先日はぷかぷかのパン屋さんの運動会に参加させていただいてありがとうございました。 久々に運動をしたので翌日は筋肉痛かしら と思っていたのに、そうでもない。 そんな、運動会でした。  ちょっと遅れて行って輪の中に入ったのに、誰も何にも言わない。 4チームに分かれて競争して、1等、2等・・って決めるのに、チームの人数が多少違っていても、誰も何にも言わない。玉入れのかごが傾いていて、絶対こっちのチームの玉が入りにくくて負けてしまっても、誰も何にも言わない。種目が途中で増えても、誰も何にも言わない。  こんな運動会、初めてでした。そして、こんなに楽しい運動会、初めてでした。今までで一番最高に最高に楽しい運動会でした。 「○○ちゃんのお母さん?」って聞かれて「違うよ。お客さんだよ。」って答えたら、 「いつもありがとうございます。またお店に来てね。」と言ってくれた男の子。  リレーの時に、私が「走るの苦手だから、代わりに走ってくれる?」と一人の女の子に頼んだら 「そんなに走ったことなくて、自信がないから一緒に走ってくれますか?」と言われました。手を繋いで走り終わった時、「走れたね~。」と言って、二人で手を取り合って喜び合いました。  こちらから何回か話しかけても、うつむいて黙っていた子は、急にギュッて手を握ってくれました。  ゆるゆるしているのだけれど、でもみんな頑張っている。 そんな運動会でした。  私たちが、普段暮らしている世界は、厳しい競争があってみんな人に負けないように競い合っています。 そんな世界ももちろん大事なのですけれど、そうでない、けれど頑張っている、そんな世界があってもいいじゃない。そんなことを思いました。  そういえば、これはぷかぷかのパンの味ですね。 そんな事を感じました。  霧が丘にこんな素敵なパン屋さんが来てくれたのだから、 ぷかぷかのパン屋さんにも、「霧が丘に来て良かった。」と言ってもらえる様な素敵な街にしたいな。 霧が丘に来てくれて、ありがとうございます。    翌日から、私はまた混んだ横浜線でぎゅうぎゅうになりながら出勤したのですが、 ギスギスの車内でも、運動会のことを思い出して、にやにやしてしまいました。 ぷかぷか効果ですね。   霧が丘のもっともっと多くの人が、私のぷかぷか効果に感染して ぷかぷか病になれば、みんなもっと幸せになれるのにな~。  
  • 半年ぶりに再開のパン教室
    計画停電のため休んでいたパン教室を半年ぶりに再開。今回作ったのはシンプルな丸パン、子どもたちの大好きな動物パン、新治市民の森の畑で前日にとってきたブルーベリーを使ったブルーベリークリームパン、ネパールカレー、カスタードクリーム。 「ぷかぷか」の外販部長ツジさんが近所の子どもとすばらしい関係を作ってくれました。「ぷかぷか日記」をご覧ください。  
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