ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ハラハラ、ドキドキが楽しい
    先週 土曜日の「折々のことば」  私は、養護学校の教員になった時、まごまごというか、毎日想定外のことをやってくれる子ども達を前に、どうしていいかわからず、ヒャ〜、どうしよう、どうしよう、とオロオロしていました。  一緒に芝居を作った時は、私が台本を作って、その通りにやるのではなく、どこまでも一緒に作っていったので、この先どうなるのかなかなか見えてこなくて、途方に暮れてしまうことがしばしば、というより、しょっちゅう。  ま、でも、その途方に暮れるような状態が、なぜか楽しかったですね。着地点がわからないからこそ、この先どうなっちゃうんだろうって、わくわくしながら先へ進めます。  全校生200人くらいと一緒に芝居を作った時も、「これ、どうなっちゃうんだろう」というハラハラ感、わくわく感をみんなで共有できたことがよかったと思います。4月にスタートして11月末の文化祭での発表まで8ヶ月にわたる長期間、200人も引っ張っていけたのは、着地点が見えないことの不安であり、それ故のドキドキ感であっただろうともいます。着地点が見えていたら、8ヶ月もわくわくしながら引っ張っていけなかったと思います。  発表会は体育館のフロアが舞台、全校生、保護者、教員、総勢400人くらいが取り囲む舞台で芝居をやります。緊張感のあまり、主役の女の子が本番で泣き出したこともあります。う〜、困った、と思いましたが、お客さんが取り囲む真ん中で芝居やっているので、助けに行くわけにも行かず、もう役者さんにまかすしかありません。400人くらいがハラハラしながら見守っていましたね。女の子がなんとか頑張って泣き止んだ時は、自然に拍手が起こりました。  みんなすごい経験したと思います。こんなにハラハラ、ドキドキする芝居は初めて。あ、こんな風にしても芝居が作れちゃうんだ、という経験、自信。  あのころ、こんな格好で芝居やってました。このいい加減さ満載の雰囲気が、ハラハラ、ドキドキを生んだのだと思います。こいつ大丈夫か、って。
  • ぷかぷかさんの世界に『論座』が追いついたんですね。
    『論座』に載ったことについて ぷかぷかさんの世界に『論座』が追いついたんですね。 というコメント。なるほど、と思いましたが、ぷかぷかのメッセージをしっかり受け止めてくれる人が現れたことはとてもうれしいことです。  1985年に始めた演劇ワークショップでは、障がいのある人たちといっしょに作り出したものは今までにない新しい文化、あるいは新しい価値、といってもいいんじゃないか、と言っていたのですが、何バカなこといってんだ、みたいな雰囲気で、認める人は皆無でした。  障がいのある人達はあれができないこれができない人達であり、そんな人たちといっしょに作るものに新しい文化だの新しい価値だのというのは言い過ぎだよ、という感じでした。  で、ずっと無視され続けてきたのですが、障がいのある人達への社会の評価が少しずつ変わってきたり、エイブルアートが社会に出てきたり、といった社会変化の中で、2015年「読売福祉文化賞」を受賞。ようやく文化として認められたのです。社会が追いつくのに30年もかかった、ということです。  ま、そんなもんですね。社会に認められなくても、自分の思いを大事にし、コツコツやり続けることが大事ですね。   この舞台こそが新しい文化。
  • 朝日新聞の「論座」に載りました。
    朝日新聞の「論座」にこんな呼びかけがありました。 webronza.asahi.com  で、いつものように、障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がトク!みたいな話を書いてメールを送ったところ、編集長からこんなメールが来ました。  論座にいただいたメールは、一言一言がとても印象的でした。「その(障がいのある人たちといっしょに生きた)方がトク!」だとか、「相手を蔑むところから出発している『支援』という関係の問題性」とか、「社会を救うのはやっぱり障がいのある人達ではないかと思うのです。彼らのそばに謙虚に立つこと。そうすることで、私たちは『人の心』を取り戻すことができるのではないか」とか。簡単なことではないけれど、自分も「人の心」を持てたらいいなあと、改めて思った次第です。  というわけで、私のメールが「論座」に載ることになりました。今まで書いてきたようなことなので、ぷかぷか日記を読んでいる方にとっては特に新しいことはないのですが、「論座」を読んでいる人達にとっては、編集長のメールにもあったように、新鮮な感じで受け止めてくれるのかなと期待しています。ここから新しい「論座」が始まれば、と思います。  下記サイトをクリックしてください。 https://webronza.asahi.com/national/articles/2022070100006.html
  • 授業を受けて、心が軽くなったような気がした。
     先日看護学校で授業をやりました。 www.pukapuka.or.jp  その時の学生さんたちのアンケートが送られてきました。A4の用紙にびっしり書いたアンケートが80枚もあって読むだけで大変でしたが、学生さんたちも今回の授業でいろいろ考えることがあったようでした。(いろいろやることが多過ぎて、まとめるのが遅くなってしまいました。)  前半の『Secret of Pukapuka』の上映は、ぷかぷかさん達の楽しい表情に心ぷかぷかになった学生さんがたくさんいたようでした。後半の映画『不安の正体』に出てくるグループホーム建設反対にどう向き合うのか、という問題は教科書に載っているようなことではないので、みなさんグループごとの話し合いで相当悩んだようでした。結論は出ないまでも、いい経験をしたと思います。  高崎先生は、障害者と共生しなければいけない、なんて思わなくていい、とおっしゃっていた。でも彼らとつきあうのは人生にとってトクだし楽しいから、ぜひ自分なりのつきあい方を見つけて欲しい、という言葉が印象に残った。私は、障がいを持つ方と距離をとってはいけない、受け入れて共に生きなければいけないと、義務のような感情を抱いていた。しかし高崎先生の言葉で心が軽くなったような気がした。  障がいのある人達と義務でつきあうと、そこからは何も生まれないし、つきあうこと事態がだんだんしんどいものになっていきます。そうではなく、楽しいからつきあう、というふうになれば、そのおつきあいからは豊かなものがたくさん生まれます。ぷかぷかの映画からは、そういったものが伝わってきます。気楽に楽しくおつきあいしましょう。  映画を見て、障害を持っていても一人の人として接し、活動をしていることに気づかされた。障害を持っているから優しくするとか、特別扱いをするのではなく、みんなと同じようにおつきあいすることで、お互いを深く知ることができると考えた。もちろんそこではいろんなトラブルもあるのだが、そのトラブルがあることでお互いのことをもっと知ることができ、何よりも楽しい、とおっしゃってて、深く共感した。  特別扱いするのではなく、ふつうにつきあった方が彼らのことがよくわかります。なによりも彼らからたくさんのことを学べます。そして楽しい!  正直私は障害を持っている方に対してあまりよい印象を持っていなかった。小学校の同級生にも特別支援学級の子がいたが、何を考えているのかよくわからないし、突発的に騒いだり、暴れたり…。接する環境はあったものの、それを避けていた。ぷかぷかの映画を見た時に、今まで自分が心の中で抱えていた固定観念が打ち砕かれたかのように感じた。  すばらしい気づきでしたね。ぜひこれからは障がいのある人達とおつきあいして、自分の人生の幅を広げて下さい。楽しいことがたくさんあります。  障害者に対して医療者としてではなく、一人の人間としてもっと彼らの魅力を知りたい!  一人の人間として彼らの前に立つことが大事です。その時、ようやく彼らと人として出会えるのだと思います。  ぷかぷかのメンバーと開催するイベントの中で「トラブルはつきもので、困ったことがあってもなるべく介入しないようにしている」と高崎さんがおっしゃっていたのが印象的だった。想定外の問題が起きた時、その解決の過程がお互いの関係をより深いものにする。困ることを経験することで、与えられた正解ではなく、自分で導き出した答えにたどり着くことができる。これこそが人と人のつきあいで、お互い人として向き合った結果がそこにはある。自ら動くことで習得したものと、与えられたものでは、得るものが全く違う。これから看護師を目指す中にも生かすべきだと感じた。人として向き合ってこそ知ることのできる多くのことがあることに気づかせてもらえた。  トラブルは人を鍛えます。問題としっかり向き合い、悩んで悩んで悩み抜いて欲しい。そうする中で見えてきたものこそ、本物です。  グループワークが授業を受ける前だったら、グループホーム建設反対をいう人たちと同じように考えたかも知れないと思いました。障がいのある人達のことを何も知らないし、関わったこともないので、勝手な偏見を持っていました。でも、ぷかぷかの映画を見て、私も自然に笑顔になりました。  こういう変わりようがうれしいですね。ぷかぷかさん達のおかげです。自然に笑顔になれるような関係をこそ作りたいですね。  元々障がいのある人達に対して怖いといった感情はなかったけど、ぷかぷかさんの映像を見て、こんな素敵で、楽しい人達と関わりたいな、と強く思いました。今まで知らなかったことがもったいないと感じるくらいでした。  とてもうれしい感想です。こんな人達が未来を作るなら、未来に希望が持てます。  小学生の時、一つ上の学年の先輩が授業中に廊下を叫びながら走るのが日常の生活をしていました。今回の授業を通して、障害者と一緒に学校生活を送ることができたのは、とても意味のあることだったと思いました。  生活の中に障がいのある人達との接点があったこと、それが自分の人生の幅を広げてくれたのだと思います。人生の豊かさはそんなところから生まれます。  自分と違うことで、恐ろしいとか、関わりたくないとか、どうしてもマイナスなイメージがあったのですが、ぷかぷかの映画を見てから、自分の考えが凝り固まったよくない考えだと思いました。マンションの中に障害者の方がいるのですが、「こんにちは」と道路の反対側にいても声をかけてくるのがどうしても怖くて、できるだけ避けるようにしていました。でも、よく考えると、あいさつすることは悪いことではないのに、なぜこんなに嫌悪感を抱いているのかと考えた時に、障害者という固定観念で悪く思えてしまうのだと感じました。  ぷかぷかの近くに住んでいるおばあさんは、ぷかぷかさんが道路の反対側から「こんにちは」って元気よく声をかけてくれると、とてもうれしい気持ちになる、といってました。ふだんの暮らしの中でそんな風に親しく声をかけてくれる人なんていないからです。声をかけられて怖いと思う人と、うれしいと思う人。この違いはどこから出てくるのでしょう。やっぱりぷかぷかが作ってきた地域の環境の違いが大きいと思います。  高崎さんの話の中で、医療従事者としてではなく、一人の人間として相手に関わる、という言葉がすごく印象的でした。対等であることを大事にする。何かをしてあげるのではなく、共に何かをする、という関係こそが大事だと学ぶことができました。  相手がこちらに対して心を開くような関係はどうやったらできるのか。それはやはり、一人の人間としてその人の前に立つことだと思います。とりわけ相手が精神を病んだ方の場合は、こういった関係がとても大事です。相手の悩みを自分のこととして一緒に悩むこと。  私は以前霧が丘に住んでいました。上の娘が生後2ヶ月くらいで、お昼寝のタイミングを見計らってベビーカーに乗せ、ぷかぷかのパンを買いに行ったことを思い出しました。映画の冒頭でそのことに気づき、ぷかぷかさん達の変わらぬ様子を見て、タイムマシーンに乗ったような不思議な気持ちになりました。初めての育児で、2時間ごとの授乳や、娘が泣く理由がわからず、戸惑う日々でした。ぷかぷかに行くことで私はすごく救われていました。このご縁に感謝します。  そうでしたか。ぷかぷかに行くことですごく救われた、というところがいいですね。ぷかぷかさん達のおかげですね。  高崎先生の問いに対し、私はうまく言葉が出てきませんでした。精神障害の人のことを知らないからだと思います。建設反対運動を行う人達と私は全く違うと思えませんでした。小学校の時から支援級と普通級に分かれ、「交流」はしても「生活」を共にすることはほぼなかったことが大きく影響しているように思います。いろんな人がいることを知り、お互いを理解しようとすることが大切だなと思いました。人と、ほんとうに出会う、ということを忘れないようにしたいです。  建設の反対を叫ぶ人達と自分があまり変わらないことに気づき、それはどうしてなんだろうと考えたことがすばらしいですね。いろんな人と、たくさんの出会いを作っていって下さい。  授業で見たぷかぷかの映画は、私の中にある障がいのある人達のイメージを大きく変えるものでした。グループで考えた問いは、とてもむつかしくすごく考えさせられるものでした。今まで生活してきた中で障がいのある人と接したり、長い時間一緒にいたりすることがありませんでした。小学校も中学校も同じクラスの一員としてクラスに席はあるものの、ほとんど姿を見ることはありませんでした。その後は学校内に障がいのある人はいなく、外ですれ違い際に見かけるくらいでした。今回の問いを考えることで、私たちは今まで全くといっていいほど障がいのある人達のことを知ろうとしてこなかったのだと気づきました。  すばらしい気づきでしたね。障がいのある人達とはどんどんおつきあいしてみて下さい。最初はいろいろ戸惑うこともあります。でもその戸惑うことこそが大事です。戸惑いの中での気づき。こんなおもしろい人達がいたんだっていう気づき。その気づきは人生を豊かにします。  私は小学校1年生の時に一人の女性に救われたことがあります。その時は男の人が何かガミガミ言ってきて、そこの道を通してくれませんでした。私はどうしたらいいかわからず、その場で固まってしまいました。その時に助けてくれたのが障害を持っている女性です。その女性が救ってくれたおかげで、私はその道を通ることができ、家に帰ることができました。これをきっかけに、私は、障害を持っている人も私たちと何も変わらない同じ人間であると思うようになったのだと思います。この一件がなかったら、私は今でも自分と違う人に対し偏見を持って生活していたと思います。  いい出会いがあったのですね。人との出会いは人生の幅を広げてくれます。世界がずっと広く、楽しくなります。  「私たちが障がいのある人達を支えていかなければならない」と思っていましたが、授業を受けて「私たちが支えられている」ことに気がつきました。     障がいのある人達を支える、支援する、という考えが一般的ですが、ぷかぷかをやっていく中で気がついたことは、彼らにぷかぷかが支えられている、ということでした。彼らがいなければ、どこにでもあるおもしろくもなんともないただのパン屋であり、お惣菜屋であり、アートスタジオです。彼らがいるからこそ、こんなにおもしろいぷかぷかができました。  『ぷかぷかな物語』も、彼らがいるからこそ書けた本です。 www.pukapuka.or.jp  彼らって、新しい文化を作り出しているんじゃないかと思います。  ぷかぷかの映画を見るまで、障がいのある方との接し方や、障がいのある方ってどんな人なんだろうと、わからないことがたくさんありました。でも、ぷかぷかの人たちはみんな明るく、笑顔で、いっしょにいる人はみんな楽しくなれるなと感じました。先生も話していたとおり、この人たちは障がい者と呼ばないでいいと思いました。  いいことに気がつきましたね。「障害者」という言葉には、あれができないこれができない、こんな問題がある、等々マイナスのイメージがつきまといます。でも、ぷかぷかさん達とつきあっていると、そんなイメージはひっくり返ってしまいます。彼らのこと、「障がい者」と呼ばないでいい、という気づきはとても大切です。  高崎さんがおっしゃったように、教科書に載っていないことは、出会って大変だと困惑することが大事…  大変だと困惑するような出会いこそ、自分をほんとうの意味で鍛え、磨いてくれます。それこそがほんとうの勉強だと思います。教科書は自分を鍛えたり、磨いてくれたりしません。  ふだん生活する中で、精神障害者と接することは少なく、たまに目にするニュースでは精神障害者により凶悪犯罪が行われている、というイメージが作られている。学生生活においても健常者のクラスと障害者の特別学級にわけられ、それが当たり前であった。幼い頃から差別することを教わってきたのかと思ってしまう。   とてもいい気づきですね。そこからどうするか、ということが大事です。身近にいる障がいのある人達といい関係、楽しい関係を作りましょう。一緒に楽しいことをやってみましょう。そしてその中で気づいたことを様々な形で発信しましょう。きっと共感する人が出てきます。差別することはおかしい、と気づく人が少しずつ増えていきます。そういったことを続けていけば、あなたのまわりの社会が、誰にとっても生きやすい社会に少しずつ変わっていきます。  映画の最後に、ぷかぷかさんがバームクーヘンをすぐそばにいた方に分けてあげる場面がありました。相手を思いやる気持ちがあり、すごく素敵で、心があたたかくなりました。  私たちは今、人を思いやる心がだんだん失われているように思います。そんな中で、ぷかぷかさん達がやっていることは、本来人間が持っていることであり、今、私たちが思い出さないといけないことだと思います。
  • 第7期演劇ワークショップが始まったよ
    2年ぶりの演劇ワークショップ。新しい人も加わり、かなりの人数。舞台に乗り切れるのかどうか心配になるほど。  新しい人も加わったので、お互いの関係作りと心と体のウォーミングアップでギブミーシェイプ(何人かのグループで体を使って形を作る)。パン、楽器、動物などをグループで作りました。                  楽器を作った www.youtube.com   キリンの鳴き声をスマホで調べながら歩く www.youtube.com 一緒にやった方は    動物の身体表現する場面では、フタミンさんと同じグループになったのですが、フタミンさんがキリンの独特な鳴き声をして、その他の4人がブリッヂをして、足を表現しました。実際にやっていると、あまりにおかしくて面白いんです。そして、とても楽しい。  練習ではうまく行っていたのですが、本番になるとフタミンさんはなかなか始めようとしませんでした。  なぜなら、フタミンさんがキリンの鳴き声を携帯で調べている最中に、私たちの発表がきてしまったからです。  発表中、フタミンさんは練習通りの鳴き声を出さずに、携帯を見て調べ続けていて、その間私達がひたすらブリッジをし続けるという予想できない結果になりました。それが一番印象深くて楽しかったです。   銀河鉄道のイメージをふくらませるために、ぷかぷか旅行で行った四国の「四国まんなか 千年ものがたり」の電車の写真をみんなで見ました。  列車に乗っているシーンを作りました。    『銀河鉄道の夜』に出てくる場面 ジョバンニは、せわしくいろいろのことを考えながら、さまざまの灯や木の枝で、すっかりきれいに飾られた街を通って行きました。時計屋の店には明るくネオン燈がついて、一秒ごとに石でこさえたふくろうの赤い眼が、くるっくるっとうごいたり、いろいろな宝石が海のような色をした厚い硝子の盤に載って星のようにゆっくり循ったり、また向う側から、銅の人馬かゆっくりこっちへまわって来たりするのでした。そのまん中に円い黒い星座早見が青いアスパラガスの葉で飾ってありました。 それをやってみました。 町は星祭りでとても賑やか。いろんなお店が出ています。ダンスがなかなか始まらないところがいい。 www.youtube.com   このシーンに参加した人の感想 ぷかぷかさんのような個性を持った人たちとあれだけ密に関わったのは初めてだったので、発見の連続でした。 本当、色々な個性なのでひとまとめにはできませんが、やっぱり彼らのピュアさに自分も巻き込まれていった感じです。 はじめましてなのに、とても信頼して寄ってくる彼らと対峙して、自分が普段色々考えていることがバカらしくなったりとか、お互いの個性を尊重し合ってる感じとか、とても居心地が良かったです。   「35億年のサーカス」を歌いました。とても元気の出る歌です。 www.youtube.com  ぷかぷかさん達と一緒にやる芝居作りは、やっぱり楽しいなとあらためて思いました。思ってもみないアイデアが出てきたり、なかなか話が進まなかったり、戸惑ってしまったり…そういうことを全部含めて楽しいなと思うし、いっしょに生きていった方がトク!と思うのです。今年は宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』をベースに、そこに何人かの方の物語を載せていく予定ですが、どんな風にまとまっていくのか、いつものようにドキドキ、ハラハラしながらの展開になりそうです。どんなお芝居ができ上がるのか、楽しみにしていて下さい。11月27日(日)の午後、みどりアートパークのホールで発表します。
  • かなわね
     いい本を見つけました。  ほんとうなら、かな「は」ね、となるはずのこの絵本のタイトル。  小学校の頃に「は」と「わ」の区別がつけられなくて、うまく書けなかった著者の思いが詰まっています。  と本の帯にあって、これは読まねば、と思いました。  私の娘は精神障害と発達障害を併せ持っています。鬱の検査で大学病院に入院した時、発達障害であることがわかり、その検査結果を見た娘が、 「そうだったのか」 と、妙に納得したことを鮮明に覚えています。  大学まで、なんとなく順調にいったように思っていたのですが、多分まわりとの関係の中でいろんな苦労があったのだと思います。       かなちゃんのように泣くことも         苦労の原因がわからないことの漠然とした不安。悲しく思うこともあって、かなちゃんのようにたくさん、たくさん泣いたんだと思います。(私はこの絵を見た時、娘の思いに直に触れた気がして涙が止まりませんでした。)  そんな中で「発達障害」と診断され、今までモヤモヤと自分の中にたまっていたものが、ようやくわかった、という感じでした。  もちろん、そう診断されたことで問題が解決したわけではありません。生きる苦労は相変わらずです。大学に入ってから鬱がひどくなり、ほとんど学校に行けないまま泣く泣く退学しました。鬱はただ単に気分が鬱状態になるのではなく、娘の場合、体が動かなくなりました。  自分の人生が思うようにならなくて、荒れに荒れました。手がつけられなくなり、警察に来てもらったことも何度かあります。今はかなり落ち着きましたが、それでも一日中伏せっている日がたくさんあります。ほんとうに苦労の日々です。  でも、苦労は人間を磨きます。苦労したことで、人生の厚みが増し、それはそのまま自分の財産となります。そんな風に考えながら娘の苦労とつきあっています。  『かなわね』は、かなちゃんの苦労が生み出した社会の財産と言えます。たくさんの人に読んで欲しいです。かなちゃんのような苦労、悲しみを抱えた人はたくさんいます。そんな人達の心を想像できる人が少しずつ増えていって欲しいです。社会は、そんなふうにして少しずつ豊かになっていきます。
  • いつもそばにいてくれて、ありがとう!
    しみじみ幸せな気持ちになる自画像です。  なんなんでしょうね、この幸せ感は。  この幸せ観こそが、彼らといっしょに生きる意味。  だから、いっしょに生きていった方がいい。  その方がトク!  テラちゃんもリエさんも大好きだよ。  いつもそばにいてくれて、ありがとう!  こんな幸せな人生はなかなかないと思うよ。
  • 県の管理する障害者施設での虐待事件について、神奈川県から回答
     県の管理する障害者施設での虐待事件について ①これは明らかに犯罪。どうして犯罪として告発しないのか。 ②「ともに生きるかながわ憲章」を率先して実践すべく神奈川県立の施設で、どうしてこのような虐待が起こるのか。 の2点について神奈川県のホームページ、「私の提案」を通して質問し、その回答が来ました。 ①については以下のような回答 日頃から県政に御理解と御協力をいただき、厚くお礼申し上げます。 このたびは、「わたしの提案」に御意見をお寄せいただき、ありがとうござい ました。中井やまゆり園の利用者への虐待が疑われる事案に関する報道では、利 用者やその御家族はもとより、県民の皆さまに御心配をおかけし申し訳ありま せん。 県は、県立中井やまゆり園における利用者支援外部調査委員会の調査結果(第 一次)で、虐待通報すべきと判断された事案について、速やかに関係市町村への 虐待通報を行うとともに、警察に相談しており、厳正に対応していきたいと考え ていますので、御理解いただきますようお願いします。 あの虐待はもう犯罪ではないか、という指摘に対し、この回答。質問をちゃんと読んだのかと思います。言葉がまともに通じてない気がします。救いがない気がします。  ②については以下の回答 日頃から県の福祉行政に御理解と御協力いただき、厚く御礼申し上げます。 このたびは、「わたしの提案」に御意見をお寄せいただき、ありがとうございました。憲 章の理念を率先して実践するはずの県立障害者支援施設において、虐待通報に至る不適切 な対応が起きていたことについては、御心配おかけして申し訳ありません。 いただきましたご質問につきまして、回答いたします。 中井やまゆり園において不適切な対応が起きた背景として、これまで民間施設では対応 が困難という理由で、重度の障がいをお持ちの利用者を県立直営の同園で受け入れてきま したが、園の利用者支援について「人権意識の大きな欠如が生じている。」「利用者を人とし て支援することに欠如し、行動特性を適切に把握できずに、放置に近い対応をしていた。利 用者本人が望む生活を組み立てていくという点が欠如している。」と外部調査委員会から指 摘をされました。また、園のマネジメントについては、「支援や対応が難しい利用者が入所 する寮では、利用者支援について、職員同士で話し合う環境になく、職員間での対立や風通 しの悪さなど、人間関係の問題があった。また、こうした実態を把握していた幹部職員は、 適切に対応ができておらず、現場の把握をせずにマネジメント機能が失われていた」と指摘 されました。 県としては、こうした指摘を重く受け止め、令和4年3月から本庁職員が園に常駐し、指 導を行うとともに、4月からは民間のスペシャリストを雇用し、外部アドバイザーとして直 接、支援について指導を行っていただくなど、園の支援及びマネジメントについて改善の取 組を進めているところです。 また、今後も、県が把握している、事実であれば不適切な支援と思われる情報を外部調査 委員会で徹底的に調査し、課題を洗い出すとともに、支援の改善に取り組んでまいります。  人が人でなくなっている現場が、こんな対応で変わるとは思えません。予想された回答とは言え、なんとも気が重いです。  東京では虐待を受けた利用者さんが亡くなる事件が発生しています。 www.asahi.com 神奈川県でもこういうことになる可能性は十分にあったと思います。これを防ぐにはどうしたらいいのか、みんなが真剣に考えていかないとほんとうにまずいです。
  • 35億年のサーカス
    6月18日から始まる演劇ワークショップで歌う歌です。第1回目には『35億年のサーカス』と『ブルッキーのひつじ』を歌います。『35億年のサーカス』はとても元気の出る歌です。 www.youtube.com 『ブルッキーのひつじ』は絵本があります。                                    歌っているのは先日ぷかぷかまで歌い聞き手くれた歌役者飯野薫さんです。 www.youtube.com    
  • 神奈川県に質問状
    中井やまゆり園の虐待事件について、神奈川県の「私の提案」を使って質問状を出しました。 ●●●  先日新聞報道で、中井やまゆり園の虐待事件で「虐待通報すべし」とした5事案として次のようなものが揚げられていました。  ・服薬用の水などに塩や砂糖が入れられた(身体的虐待)  ・利用者の肛門(こうもん)にナットが入っていた(身体的虐待)  ・利用者に数百回のスクワットをさせた(身体的・心理的虐待)  ・職員の粗暴行為で、利用者が頭を打ち失神した(身体的虐待)  ・利用者の食事に多量のシロップをかけて食べさせた(身体的・経済的虐待) 神奈川県は「ともに生きる社会かながわ憲章」を掲げています。 その中に「私たちは、あたたかい心をもって、すべての人のいのちを大切にします」とあります。 この憲章を率先して実践するはずの神奈川県立の施設でどうしてこのような非常識極まる虐待が起こるのですか?説明して下さい。 ●●●  2,3週間後くらいに回答が来ると思いますが、ま、役人の考える回答なので、問題を解決することには、多分何の役にも立たないと思います。だからとてもむなしい気がするのですが、それでも、神奈川県に対し、こういった質問を出し続けることは大事だと思っています。  回答を書く人は、いろいろ悩みます。かながわ憲章でうたっていることの真逆のことを県立の施設がやってるのですから。本来なら説明のしようのない出来事です。それでも「私の提案」で上がってきた質問なので、こたえないわけにはいきません。だから悩みます。  その悩みの中で、神奈川県がやってることの問題に少しでも気づけばいいと思っています。少しの気づきが積み重なれば、何かが変わっていきます。  ま、勝手な期待かも知れませんが、やらなければ何も変わりません。 利用者の肛門(こうもん)に入っていたナット(共同通信の47ニュース)。手術で取り出した。これはもう犯罪じゃないか、と神奈川県に質問状を出しています。
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