ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 物語を発信するパン屋
     ぷかぷかの本の“前書き”ができました。   物語を発信するパン屋    2010年4月、霧ヶ丘の街に障がいのある人たちの働くパン屋ができました。「カフェベーカリーぷかぷか」というパン屋です。国産小麦、天然酵母を使ったおいしいパンを焼いています。    パン屋は、利用者さんとの楽しい会話がひっきりなしに飛び交い、笑いが絶えません。レジのそばにはいつも一人ごとを言っている人がいます。時々厨房から飛び出してきて、「兄弟いますか?」「弟ですか?妹ですか?」なんて、お客さんに聞く人もいます。とにかくにぎやかで、それでいて、どこかあたたかい雰囲気のパン屋です。    お客さんは、そんなお店にやってきて、おいしいパンと一緒に、心がぽっとあたたまるようなお土産を持って帰ります。ただのパン屋ではこんなことはありません。    もともとこのパン屋は障がいのある人たちに惚れ込んでしまった高崎が、「彼らといっしょに生きていきたい」という思いで、退職金をはたいて作り、「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」「いっしょに生きていった方が“得!”」というメッセージを、パン屋のあらゆるところから発信しています。パン屋はですから、メッセージそのものであり、思いのこもった物語になります。    お客さんはおいしいパンと一緒に、その心あたたまる物語をお土産にします。そうやってパン屋の物語は地域の中に少しずつ広がっていきます。その物語をこの本では書いてみたいと思います。   一個のパンを買うことから始まる素敵な物語です。     障がいのある人たちはいやだ   口にはしないものの、障がいのある人たちのことを何となくいやだな、と思っている人は多いと思います。障害者施設の建設に関して、反対運動が起きることさえあります。とても悲しいことですが、これが障がいのある人たちの置かれた状況だろうと思います。   これは障がいのある人たちに問題があるのではなく、彼らのことを知らないことによって生じる問題だと思います。何となく怖いとか、不気味、といった印象は、彼らのことを知らないことから生まれます。こういう印象が彼らを地域から排除してしまいます。    彼らを排除する意識は、彼らの社会的生きにくさを生みます。彼らの生きにくい社会、他人の痛みを想像できない社会、異質なものを排除してしまう社会は、やはり誰にとっても生きにくい社会だろうと思います。これはお互いにとって不幸なことです。    逆に、彼らが生きやすい社会、社会的弱者が生きやすい社会は、誰にとっても生きやすい社会だろうと思います。そういう社会はどうやったらできるのか。その問いへの一つの答が街の中に障がいのある人たちのパン屋を作ることでした。    パン屋は“出会い”の場     障がいのある人たちのパン屋を街の中に作ることで、街の人たちと彼らがいい“出会い”をしてくれるといいなと思っていました。相手を知ること、そこが始まりです。    パンを買う、という日常に中に、当たり前のように障がいのある人たちがいるということ、このことが大事だと思います。イベントなどの非日常の世界ではなく、毎日の暮らしの中で、当たり前のように彼らがいること。これがいつか、彼らがいて当たり前、というふうにみんなが思えるようになれば、社会は確実に変わって行くと思います。   そんな思いで街の中に障がいのある人たちの働くパン屋を作りました。      養護学校の卒業生がこの10年で2倍に    養護学校に入学する生徒が増え、卒業生はこの10年で約2倍になりました。(横浜市の場合、平成15年度の卒業生は301人、平成25年度は677人)        学校にいる間は人数の減った高校の空き教室を使ったりして何とか対応できますが、卒業後の行き場は、そう簡単に増やすことはできません。特に卒業生の約7割を受け入れる福祉事業所はどこもパンパンにふくれあがっていると思います。行政が何らかの手を打たないと、いずれはどこにも行くところがない卒業生が巷にあふれることになります。   そんな中で彼らが働くパン屋を始めたのでした。養護学校にいる頃は、この生徒増加の問題でいろいろ議論がありました。でもいくら議論しても状況が変わるわけではありません。ああだこうだの議論よりも、具体的に卒業生の働く場を作ることが大事、と退職金を使ってパン屋を立ち上げたのでした。    四つの夢物語が…    パン屋は、障がいのある人たちといっしょに生きていきたい、という思い、卒業生の働く場を作りたい、という思い、街の人たちと彼らが気持ちよく出会って欲しい、という思い、そういった出会いを積み重ね、お互いが気持ちよく生きていける街を作りたいという思い、そういう四つの夢物語を形にする場として街の中に立ち上がったのでした。                        
  • 物語が始まる
    にほんブログ村    「ぷかぷか」の本を書こうと思って、今準備しています。  障がいのある人たちの働く場が街の中にできると、素敵な物語が始まる、といった感じの本です。  「ぷかぷか」は、ただ単に障がいのある人たちの働く場、ではありません。国産小麦、天然酵母のおいしいパンを売るだけのお店でもありません。二つの要素が組み合わさることで、新しい意味と広がりが生まれた気がしています。  パン屋では笑い声が絶えません。利用者さんとの楽しい会話がひっきりなしに飛び交うからです。パン屋のレジのそばにはいつも独り言をぶつぶつ言っている人がいます。厨房から出てきて、いきなり「兄弟はいますか?」なんて、お客さんに聞いたりする人もいます。なんともうるさいパン屋ですが、なんともいえないあたたかな雰囲気があります。  お客さんはおいしいパンと一緒に、そんなあたたかさを持って帰ります。パンを買いに来たはずなのに、心がぽっとあたたかくなって、ちょっといい気分で帰ることになるのです。ただのパン屋ならこんなことはありません。そこに「ぷかぷか」が街の中に存在する意味があります。  ちょっといい気分で帰るお客さんが増えると、地域社会が少しずつ変わってきます。どちらかといえば、障がいのある人たちを地域社会から排除する目線が、多分、少し和らぎます。  物語はまだ始まったばかりです。      
  • 一石三鳥
    にほんブログ村    養護学校の卒業生がこの10年で2倍になったという新聞記事を見ました。そんなに増えたら、卒業生の行き場がなくなってしまいます。  県立の養護学校では生徒数の減った県立高校の空き教室を養護学校の分教室として使い、なんとか生徒の増加をしのいでいますが、卒業後の行き場については、そんなに簡単にはいきません。  卒業生の約7割は福祉事業所が引き受けていて、おそらくどこも満杯状態だろうと思います。行政がこの問題を解決するためにお金を出した、という話も聞きません。  そういった中でのぷかぷかの開設でしたが、街の中に彼らの働くパン屋を作ることは「一石三鳥」の意味があったと今思っています。  一つは彼らの働く場が、わずか10人ではあったのですが(今は20人)、とにかく一つできたこと。もう一つは、彼らと街の人たちがパン屋で出会い、街の人たちが少しずつ変わってきたこと。言い換えれば彼らを受け入れることで、彼らの社会的生きにくさが、ほんの少しですが解消する方向に動いた、ということ。三つ目は、そういう方向に街が変わっていくことで、お互いが、ほんの少しですが、生きやすい街に変わっていった、ということです。  街の中の一軒のパン屋は三つの新しい物語を作ったことになります。まだまだ物語は始まったばかりですが…
  • アート商品
    にほんブログ村    アート商品の試作品ができました。折り紙の得意な利用者さんがいるので、小さな鶴を追ってもらい、それを樹脂で固め、ピアスを作ってみました。なかなかいい感じです。利用者さんの書いた絵を縮小してプラバンに転写し、オーブントースターで焼いて作ったピアスもおもしろい商品になりました。近くに女子大が2校もあるので、そこの生徒たちに売り込む予定です。  
  • ズーラシア
    にほんブログ村    みんなでズーラシアに行きました。スタッフの子どもも一緒だったので、利用者さんたちは交代で子どもたちの面倒を見ていました。そういうおつきあいがいいなと思います。  以前は余暇支援の時も仕事なので、スタッフの子どもは連れてこないということにしていました。でも、それはやめることにしました。子どもを連れてくることで、子どもたちが障がいのある人たちとおつきあいをしてくれるなら、それは社会にとって、とても意味のあることではないかと考えたからです。  子どもたちは未来を担います。そんな子どもたちが、障がいのある人たちと、ごく当たり前のようにつきあってくれて、そういう感覚を身につけた子どもたちが、未来を作ってくれるなら、これはすばらしことではないかと思うのです。ぷかぷかの思いを子どもたちに託す、というわけです。ぷかぷかのメッセージがこういう形で社会に広がっていくって、考えただけでわくわくします。  ふだんの仕事中もスタッフの子どもたちがしょっちゅうお店に立ち寄ります。いつもいつも大歓迎です。      
  • 仕事が楽しいと…
       養護学校の進路担当者が見学に来ました。  養護学校で働いていた頃、校内実習というのがあって、大概はペットボトルのふたを数えたり、教材のセットを作ったり、の単純作業をやっていました。単純作業なので、大概の人は2,3日やると飽きてしまいます。飽きてもこれは仕事なんだからちゃんとやりなさい、などといっていましたが、今から思うとずいぶん無茶なことをいっていたなと思います。  おもしろくもない仕事を、仕事だからちゃんとやりなさい、というのは考えてみれば、かなり無理があります。恥ずかしい話、当時は私自身が仕事というのはおもしろくなくてもやるものだと思っていました。それが仕事というものだと。  それは違う!と教えてくれたのは「ぷかぷか」の利用者さんでした。「ぷかぷか」を始めて2年くらいたった頃、ミイさんの介護認定調査がありました。ケースワーカーさんが、いろいろ質問し、どの程度の介護が必要か調べます。4年前は何やるにも介護が必要だったそうですが、今回の調査では自分でできることがケースワーカーさんもびっくりするくらい増えていました。ミイさんの言葉を借りると  「以前はいつもうつむいて生きていましたが、今はまっすぐ前を向いて生きています」  ミイさんはクッキー作りを任されています。仕事を任されることは、仕事に対する責任があるということで、その責任故に、仕事を無事終えたときはすばらしい達成感があります。達成感は更にやる気を起こします。どんどん自分で仕事をこなすようになります。自分でできることが自然に増え、介護の度合いが自然に減ったということでしょう。  「ぷかぷか」に来る前は作業所にいたので、仕事に緊張感とか責任といったものもなく、のんびりはしていても、彼女にとっては日々の充実感もなく、うつむいて生きるような毎日だったようです。  「今はまっすぐ前を向いて生きています」の言葉には、本当にびっくりしてしまいました。目が覚めた、といってもいいくらいでした。仕事が楽しくて、毎日が充実すると、こんな素敵な言葉が出てくるのか、と感動してしまいました。  「ぷかぷか」では毎日帰りの会で「いい一日でしたか?」と聞きます。仕事に達成感があれば、いい一日になりますが、仕事がつまらないと、つまらない一日になってしまいます。かけがえのない今日という一日を「いい一日だったね」ってお互い言い合って過ごしたいと思うのです。    そんな話を見学に来た進路担当者に話しました。私自身のかつての貧しい仕事観も話しました。つまらない仕事でも、仕事は我慢してやるものだ、という仕事観で仕事を体験し、仕事ってこういうものだ、と思い込んでしまうとしたら、養護学校を卒業して社会に出て行くとき、仕事に対して何の期待も持てなくて、寂しい社会人になってしまいます。ですから養護学校でやる実習は、生徒が本当に楽しいと思える仕事をやってほしい、仕事って楽しいんだっていう発見をして欲しい、そして卒業して社会に出て行くとき、さぁこれから仕事だ!ってわくわくするような気持ちで飛び込んでいって欲しい、といったことを話しました。  
  • 旅行
    にほんブログ村    土、日で山梨方面に一泊旅行に行ってきました。  ツンさんは映画を作るためにカメラをしょっちゅう回していました(ツンさんについてはホームページ「ぷかぷかパン」の「ツンさんの映画」のタグをクリックすると詳しく載っています)。昨年の旅行もカメラを回していたので、完成したときどんな映画かとわくわくしながら見たのですが、暗い感じの画面が延々続き、音楽もそれに合った音楽で、利用者さんには「何、この暗い映画は…」ときわめて不評でした。  旅行の記録映画であれば、普通はみんなの楽しかった思い出がいっぱい詰まった映画、というイメージだと思うのですが、ツンさんの作った映画は、そんな楽しい場面はひとつもありませんでした。  といってつまらない映画だったかというと、そうでもなく、「旅行の記録映画」として見なければ、映像の切り取り方といい、音楽の使い方といい、とても心地のいい映画だったと思うのです。お母さんはツンさんの心象風景だと思ってみて下さいとおっしゃっていました。  ツンさんは重症のうつ病を抱えています。ぷかぷかに来る前は何年も家に引きこもっていました。いろいろ思うことはあっても、体と心が思うように動かず、調子が悪いときは壁に頭をがんがんぶつけていたといいます。お母さんはただ背中をさすってやることしかできなかったとおっしゃっていました。  たまたまお父さんがやっているブルーベリーの畑に利用者さんと一緒にブルーベリー狩りに行ったとき、ツンさんのことを聞き、どうしていいかわからなくて困っているという話だったので  「じゃあ、ぷかぷかに来てみたら」 とさそったのがきっかけで、以来週3日、ぷかぷかで働くようになりました。一日2時間ぐらいから始まって、少しずつ働く時間を延ばしていきました。  あるときみんなで「借りぐらしのアリエッティ」というアニメを見たことがありました。その時、ツンさん曰く  「これはカメラアングルがいいですね」  アニメでカメラアングルがいい、というのは、そういうアングルで撮っているように絵を描いているわけですが、そのカメラアングルがいい、とぼそんと言ったのでした。  その感想を皮切りに、レイアウトがすばらしいとか、コマ数がどうとか、振り向いたときの絵はどうなるとか、夢中で語り出したのでした。映像オタクという感じがしないでもなかったのですが、ひょっとしたら天才かも知れないし、ものは試しとアマゾンで一番安いビデオカメラを買い、一週間後にあった運動会を撮ってもらったのでした。  初めてビデオカメラを持った、といっていましたので、カメラの構え方はいかにも素人、という感じで、これはあまり期待できないなと思っていました。  ところが2,3日して、できました、といって持ってきた映像を見てびっくり。どうしようもなくだらだらした運動会が、コンパクトな映画としてまとまっていたのでした。続けて3本くらい作ったのですが、どれもこれもすばらしいできで、知り合いの映画監督に見せたところ、「これは天才の発見だ」と大絶賛。区役所新庁舎のお披露目という退屈きわまりないイベントの記録に吉田拓郎の歌をかぶせ、その時はツンさんの思いがビリビリ伝わってきて、涙が流れてしまったこともありました。   私は今日まで生きてみました   そして今私は思っています   明日からもこうして生きて行くだろうと  自分の思いを表現する方法はこれだ!というツンさんの宣言のようなものを感じたのでした。  知り合いの映画監督の紹介で、東京であった「メイシネマ映画祭」で招待作品として上映されたこともありました。見る人を楽しませようとか、いい映画を作ろう、といった思いが全くなく、ただただ自分の思うままに撮っている、という点が評価された映画祭でした。  だから去年の旅行の記録映画も、みんなを楽しませるつもりは全くなく、自分の思うままに撮った、ということがよくわかる映画だったのです。  今年もだからみんなのいい笑顔とかではなく、空や部屋の間仕切りをしきりに撮っていたので、どんな映画に仕上がるのか、今からものすごく楽しみにしています。        
  • 物語を語り続けること
      にほんブログ村    朝日新聞に木皿泉さんのインタビューが載っていました。損得超えた物語を描く力が私たちにも必要なんじゃないか、という話、とても共感しました。  ぷかぷかは「障がいのある人たちといっしょに生きていこうよ」「いっしょに生きていった方が絶対に得!」というところから出発し、街の真ん中にパン屋とカフェを作り、街の人たちと障がいのある人たちとの出会いを作ってきました。  障がいのある人もない人もお互いが気持ちよく生きていける社会。それは、まだまだ「物語」かも知れないなと思うようなことがつい最近ありました。ぷかぷかは近々商店街の空き店舗2軒を借りて「アート作品」と「お総菜」を売るお店をはじめます。その計画を聞いて、障害者施設がアメーバーのように広がっていくことが不気味だ、と言った方がいました。がっかりしましたが、こんな風に考えている人はまだまだ多いんじゃないかとも思いました。  だからこそ、その物語をお店を通して語り続けることが大事だとあらためて思いました。障がいのある人たちと一緒に働き続けること、そのことでさまざまな物語をもっともっと語っていきたいと考えています。  つい先日、利用者さんの一人が買い物に行く途中、手にもった5000円札を風に飛ばしてしまったときは、八百屋さん夫婦、お掃除のおばさんが一生懸命さがして下さり、その時は見つからなかったものの、あとで交番に誰かが届けてくれていました。そのことを「ぷかぷかしんぶん」(毎月お店のまわりの住宅に2500部配布している。パンの宣伝だけでなく、利用者さんのちょっとしたエピソードも載せ、しんぶんを楽しみにしている人が多い)に書いたら、「感動しました!」という電話がかかってきたりしました。  いっしょに生きていった方がいいよ、という思い、「物語」は、少しずつですが、地域の中で共感する人が増えているようです。  
  • 『三周年』『絵』『線』
                                       四宮鉄男(映画監督) 養護学校の教師を定年退職して、知的な障碍があったり、自閉症だったり、そのほか様々なハンディキャップを持った人たちと一緒に「ぷかぷか」というパン屋さんをやっている高崎明さんから、ツンさんこと、塚谷陽一さんの新しい作品が送られてきた。ツンさんは、そこのメンバーの一人である。  ツンさんの作品のことは、この「映像赤兵衛」でも何回も紹介している。 ・12.04,20、『塚谷陽一作品選』へのご招待 ・12.08.11.『はたけ』ツンさんの新しい作品 ・13,02.13.2013年2月 ツンさんの新しい作品 ・13.03.13.ツンさんとの話し合い 今回送られてきたのは、『三周年』『絵』『線』の三つの作品。それぞれ18分、7分、2分の作品である。それぞれの、そっけないタイトルがいかにもツンさんの作品らしくておかしい。たのしい。おもしろい。 「ぷかぷか」は、いろいろな障碍を持った人たちに就労の機会を提供するための場所としてよりも、障碍を持った人たちが街の中で街の人たちと一緒に暮らす場所としてイメージされている。『三周年』は、そんなパン屋さんの「ぷかぷか」が誕生してから3年経って、その記念のイベントを撮影したものだった。 『絵』は、やはり「ぷかぷか」で催された絵画のワークショップを撮影したもの。『線』は映像を線というか、物の輪郭線で表現する特別なソフトを使って仕上げた作品らしい。そのテクニックの詳細は分からない。 高崎さんから送られてきたDVDには短い手紙が添えられていた。その手紙には、「ゆったりしたいい雰囲気の映画になっていますが、ゲストに招いたオペラ歌手や、元黒テントの役者の声が全く入ってなくて、ま、気の向くままに作っているので、しょうがないと言えばしょうがないのですが、結局、あのときのすばらしい歌も演技も塚谷さんの中に入ってなかったんだと思いました。」と書いてあったので、わたしは、フフフと笑った。その通りの映画なのだ。 推察だが、多分、『線』は気まぐれとか遊び心とか、ちょっとしたノリで作られたのだろうか、『三周年』と『絵』は、高崎さんから今度こんなことをやるんだけど撮ってみない? なんて誘われて撮られたんじゃないだろうか。 そして、わたしにしても高崎さんにしても、それぞれに、それぞれ違ってはいるのだけれど、それぞれに「記録映画」というものへのイメージがある。そして、それは、それぞれに異なるのだが、共通の基盤がある。共通する世界がある。だから、高崎さんはいつも、これを撮ってみない? と誘っておいてはいつも裏切られているのだが、それがおもしろい。 わたしにしても高崎さんにしても、撮影したり編集したりしても、その事柄がどんなことだったのかが分かるように記録しておこうとか、或いは、その事柄がどんなことだったのかを人に分かるように伝えようという意識がある。それがベーシックな「記録映画」のイメージなのだ。 ツンさんには、そういう意識はない。ツンさんにはそもそも記録映画を撮ろうなんて意識がない。ツンさんにとっては、撮影したり編集したりするのは、自分の作品づくりや自分の表現でしかない。 ツンさんにとって、対象をどのように捉え、どのように表現しても、それはツンさんの勝手だ。表現の自由であり、自由な表現である。なにも、「表現の自由」なんて政治的な事柄やメッセージに限ってのことではない。自分の心の中にあるものを自由に吐き出すという表現の自由なのだ。 だから、オペラ歌手を撮ったのに音が無くても、役者を撮ったのに台詞が無くてもちっとも構うことではない。不思議でもない。考えるまでもなく、例えば、仮にオペラ歌手の存在を一枚のスチール写真に収めた場合には音はない。音は無くても、写真の中でオペラ歌手は存在し躍動することは出来る。役者の場合だって同じだ。 ツンさんの場合、「ぷかぷか」の「3周年」には関心があっても、オペラ歌手や役者には関心がなかった。いや、『三周年』の中ではそうしたゲストの姿があれこれ写っているので、関心がなかった訳ではない。ただし、わざわざ「3周年」のイベントに足を運んでくださってありがとうございます、なんて主催者側としてのもてなしや配慮がなかっただけである。きっとわたしや高崎さんだったら、そうしたもてなしや配慮から、一所懸命にオペラ歌手や役者にカメラを向けて、一所懸命に音を付けるのだろうなあ。多分。 作品や表現だから作り手の勝手である。自由である。ということは、逆に、その作品や表現を受け入れるかどうかは、見る側の勝手である。見る側の自由である。義理やもてなしや配慮から、拍手を送る必要は毛頭もない。見る人の心に沁みてくる時にだけ受け入れれば良い。見る人の心が揺すぶられた時だけ受け入れれば良い。 実際、『三周年』を最初に見た時、その時のわたしの体調や心のコンディションのせいもあるのだが、全然わたしのからだが受け付けなかった。心には全然受け入ってこなかった。18分くらいの作品なのだが、退屈した。わずらわしかった。早く終わらないかなあ、なんて感じていた。 3周年のイベントの行われるお店の前に集まって、イベントがあって、オペラ歌手の歌やジャズバンドだかブラスバンドの演奏があって、役者さんのパフォーマンスがあって紙芝居があって、イベントが終わってという、なんとはなしの流れはあるのだが、何がどのように行われているのかが分からないので退屈したのだ。見ていて、事柄が展開していかないのだ。変化したり発展したりしていかないのだ。集まって来ている人たちが、そこで演じられたり行われたりしていることをどう受け止めているのかもわからないので、おもしろくないのだ。 ただ、そこに集まっている人たちがいて、そこに、ただ時間が流れていく感じだった。だから、わたしは見ていられなかった。見ていてつらくなってきていた。 しかし、しばらく時間を置いて、2回、3回、4回と見ていくうちに、わたしの印象は変わってきた。 えっ、これが、あの時、最初に見た作品と同じものかと思ったりもした。実は、とても心地良い作品だった。心が和んでくる作品だった。そうか、これは「記録映画」ではなくて、ツンさんの世界を表現した作品なんだ、ということにわたしが気付いたからだった。 前にも書いたように、わたしや高崎さんは、そのイベントの当事者として、そのイベントと正面から向き合って撮ったり編集したりする。誰が、どんな人が集まって来てくれたの、誰がゲストで来てくれたの、そして何をやってくれたの。そして、それを見ていた人たちの反応はどうだったの、ということなどを気にしながら撮影し編集していく。 しかし、ツンさんは、そんなことはしない。ツンさんにとって、「3周年」のイベントは、自分が今生きている世界の向こう側にある世界なのだ。イベントに人が集まってきて、ゲストがパフォーマンスして、プログラムが進行していってという時間は、ツンさんの世界の外側にある時間だった。向こう側の世界を管理し規制している外側の時間なのだ。そんな時間の流れには、ツンさんは興味がなかった。ツンさんにとっては、今を生きている自分の世界の時間が大切だった。そして、その時間の流れの中で、今を生きているままにカメラを回し編集していくことが大切だった。それがツンさんの「生きる」だった。 だからツンさんの作品には、この作品に限らず、後ろからのショットが多い。『三周年』でも、手前に地面が大きくあって、その上部にイベントに参加している人たちの背中が写っているショットが印象的である。そうしたカットが何カットも出てくる。見ている人たちを正面から撮る時も、ひと塊の観衆、即ちマスとしての引きの絵で撮っていく。寄った絵でさえ、いわゆるアップショットではなく、マスで撮った引きの絵の一部分でしかない。『三周年』には、いわゆる「記録映画」で言うアップショットは存在しない。つまり、観客の中に分け入っていって、だれ?だれ? とか、どう?どう? という撮り方をしない。階段状になった観客席に座っているイベントの参加者たちもまた向こう側の世界なのだ。 だから観客席に座って見ている人たちを撮って、次のカットで、何を見ているの? とカメラを切り替えて演者たちのパフォーマンスをアップで見せたりもしない。ゲストのパフォーマーも、単に「3周年」のイベントに参加している人に過ぎなくて、何をやっているの? とその前に立ちはだかって演目の内容を見せたりはしない。今過ぎていく時間、ツンさんが今を生きている時間をたんたんと記録してたんたんと編集していくだけである。その意味では、ツンさんの作品はこれもまた、紛れもなく「記録映画」なのであろう。ただ、外側の世界に管理・規制されたり、外側の時間にコントロールされたりしていないだけなのである。 外側の世界に管理されたり、外側の時間に縛られたりしないだけに、ツンさんの作品の世界には評価が存在しない。誰が来たの? 何をやったの? という以外にも、そのイベントが、おもしろかった? たのしかった? もりあがった? とか、或いは、たいくつだった? つまらなかった? とかの評価が一切ない。ただそこに流れている時間が存在するだけだった。 そういうことが分かってくると、つまり、ツンさんが作品の中で過ごしている時間に寄り添いながら、ツンさんの作品を見る人もツンさんの作品の中の時間を生きていけば、とても気持ちがよく、とてもたのしく、とても元気になって、とてもおもしろい時間を過ごせる。 ツンさんの世界にある時間に潜り込んでツンさんの世界を見ていけば、ツンさんの視線を自然に辿ることができる。小さな女の子とお母さんに向けられる視線、乳母車を押すお母さんと小さな女の子に向けられる視線、風に揺れる街路樹に向けられる視線、通りの向こうの突き当たりの山腹で揺れる樹木に向けられる視線、自転車を止めて見ている女性に向けられる視線、周囲の団地の建物に向けられる視線、休業の締まっている店舗に向けられた視線、地面に写った陰に向けられる視線・・・ツンさんの向けた視線の存在が自然に感じられてくる。そして、その視線を通してツンさんの世界が広がっていく。つまり、外の世界や外の時間からの解放なのだ。 『三周年』の世界は、とてもゆったりした、とても豊かな、とても優しい、とても居心地の良い世界だった。それは、「ぷかぷか」そのものが体現している世界だった。そして「3周年のイベント」もその実現の一つの表出だった。それを、ツンさんの『三周年』は見事に捕らえ、表現していた。 それでも、わたしにとっても気になることがあった。幾つものカットで、カット尻をぐしゃっと揺らしたり、ガクッと動かしたり、白味がカットカット間にごく短く、ほんの2~3コマ挟まれたりしている。いわゆる、カット尻が残っているという状態なのだ。意図的なのだろうか。意図的だとして、どんな意図があるのだろうか。 ワンカット、ワンカットを際立たせたいのだろうか。ワンカット、ワンカットを目立たせたいのだろうか。カットからカットへの流れを切断したいのだろうか。わたしにはよく理解できていない。そういうテクニックは必要なのだろうか。もしかしてそれは、ツンさんの屈折の気分なのだろうか。 それともう一つ、それは単にわたしの好みの問題でもあるのだが。『三周年』では、全編に薄めのスローが掛けられていたり、或いは逆に、コマ抜きがされていたりする。(そのテクニックの詳細は分からないのだが。)確かにその映像的な効果はあるのだが、そしてバックに流れている音楽とマッチして、奇妙な時間の感覚が生まれてきているのだが。日常を流れている非日常的な時間を感じさせられるのだが。でも、そういうデジタルのテクニックを多用しなくても、ツンさんの時間と世界は充分に表現されているような気がするのだが。 ただし、これは、デジタルのことに知識が疎く、デジタルへの興味や関心や好奇心の薄い旧世代というか、生きた化石世代による発言だから、現代的に言うと、ツンさんのようにデジタルを駆使して効果を上げた方がいいのかも知れないが。これはもう好みの問題に過ぎないのだが、わたしには気になった。 ただ、デジタルテクニックそのもののような表現でも。『線』はおもしろかった。特別なソフトで、映像を輪郭線だけを残して、線の世界で表現していくのだが、日常の映像で捉えられて世界がたちまちにして別物に変貌していくのがおもしろかった。それでも、線の世界に変身しても、なお日常性を残している映像もあった。それはそれで、二重の意味でおもしろかった。日常の奥深さを感じさせてくれたからだ。自在なのだ。 でも、これは製作にそうとうの手間や時間を食うのかもしれない。今回の『線』は僅か1分半か2分程度の作品だった。 『絵』も、基本の感想は『三周年』と同じである。デジタル効果の多用も、これはこれで、簡明で分かりやすくて納得できた。納得できると言うのは、「絵」だからそれをデジタル映像で光や色に変化させてしていくのは、無理のない発想のかも知れない。そういう意味で、「分かりやすい」と評したのだ。 『絵』では、わたしには、映像の質感が興味深かった。思い切りハイキーに処理して、具象の色のついた部分を色を濃く、重くして、白く飛んだところと、対比的に、対照的に構成していくところが実に巧みだった。そこから、リズムや流れが自然に湧き上がっていっていた。そこから世界が噴き上がっていっていた。 でも、こちらの『絵』でも、映像と映像の間に極く短く白味が挿入されているのが気になった。年寄りのわたしには眼がチカチカしてきて、不快感さえ湧き出してきていた。サブリミナル効果みたいで、刺激が強過ぎて不快に感じるのだ。これも生きた化石世代だからなのかもしれないが。若い人には刺激的で快適なのかもしれないが。 それに関連して、ワンカットワンカットが、狙いなのだろうが、短か過ぎて、わたしの感覚や体力では受け止めきれなかった。付いていけなかった。その上、カットが極端に短いので、サブリミナル効果がいっそう強調されてしまうから余計そう感じた。 まあ、カットは素材に過ぎないのだから、ワンカットワンカット自体にはあまり意味はない、とう考え方も、そういう映像処理も分からないことはない。でも、あそこまで切り刻まれると豊かさを失って、闇鍋みたいに処理されてしまって、言葉を変えると、映像自体がデジタル化されてしまって、無機的になって、勿体ない感じはした。写っているワンカットワンカットは相当におもしろいのに、豊かなのに、という思いである。 まあ、年代や世代の問題かもしれないが、あそこまで一方的に決めつけていかないほうが、世界は深まり、世界は広がっていくような気もするのですが。決め付け過ぎると、見る人の世界の可能性が枠に嵌められ、狭まっていくような気がして仕方がないのですが。 そこのところは置いておいて、『絵』では、絵のワークショップの世界がおもしろく展開され、奇妙に展開していく。そこがおもしろかった。絵を描く、表現するという以上に、わたし的には参加した人たちと水道との関わりが、とてもおもしろかった。参加者と水道の関わりが執拗に様々なパターンで繰り返して見せられていく。そういう具合に、奇妙に展開していく世界が、見る側の勝手な、自由な世界を生み出していくのだろうと思う。そこがおもしろい。 そういう自由な刺激を与えられないような作品は詰まらない。外側の世界を描いた「記録映画」はおうおうそうなりがちだ。内側の世界を描いた「記録映画」のおもしろさだと思う。           2013年7月30日  しのみや てつお
  • 養護学校で営業?
    にほんブログ村 アート部門募集のすばらしいポスター、チラシができあがり、それを持って養護学校へ営業?に行った。 余暇活動ではなく、仕事としてアートをやりたい。仕事でやる、ということは、たとえば作品を「いいね」って言ってもらえて、お金を出して買ってもらえることだ。こういうリアクションは作品作りのモチベーションを上げる。余暇活動でやる場合は、作りっぱなしで終わってしまうので、リアクションはない。 パン屋の仕事で一番人気があるのは外販だ。お客さんの反応が目の前で見られるからだ。自分の作ったパン、クッキー、ラスクが目の前で売れていく。自分の作ったものが売れると誰だって嬉しい。それが仕事のモチベーションを上げる。 アートも同じだ。売れる作品を作る。作品を売れる商品にまで持って行くにはどうしたらいいのか。アートスタッフの力量が問われる。 来週予定されている「企業とNPOのパートナーシップミーティング」向けに作ったパワーポイントのプレゼンテーションをそのまま養護学校の進路担当者に見せた。 ぷかぷかの「本気度」が伝わったと思う。 ★「ぷかぷか」のホームページは http://pukapuka-pan.xsrv.jp/      
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