ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 650万円ゲット!
     ぷかぷかを始める前、空き店舗活性化事業に応募し、なんと650万円もの大金をゲットしたことがあります。その時の話です。     2009年6月、横浜市経済観光局商業コミュニティビジネス課で空き店舗を活用するビジネスプランを募集していました。審査に通るとなんと650万円もの助成金がもらえます。  たまたまビジネスプラン作成のセミナーを受けたばかりだったので、腕試しのつもりでエントリーすることにしました。かなり難しいことはわかっていましたが、何もしなければ何も起こらないし、アクションを起こせば、たとえ1%でも前へ進む可能性があります。  説明会の会場には100人近い方が詰めかけ、圧倒される雰囲気でした。でも、ここで引いてしまったら全く前へ進まないので、教わったばかりのビジネスプランを書いて締め切り当日に投函しました。  説明会に押しかけてきた人数から考えて、あまり期待していませんでした。でも、しばらくして書類審査に通ったからヒアリングに来るように連絡がありました。自分の書いたビジネスプランが通ったことに、ちょっと驚きました。  ヒアリングでは、空き店舗を使って何をやろうとしているのか、採算は取れるのか、商店街の活性化にどのようにつながるのか、をかなり細かく聞かれました。採算が取れるのかどうかについては、やってみなきゃわからないことが多すぎて、うまく説明できませんでした。  でも商店街の活性化、ということについては、パン教室、運動会、ワークシップ、お祭りなどの楽しいイベントをいろいろ提案しました。「ぷかぷかはなんだか楽しいお店だ」というイメージを地域に定着させたいという思いを熱く語ったのです。  その熱い語りが聞いたのか、このヒアリングもパスし、最終審査のプレゼンテーションに来るように連絡がありました。  今でこそプレゼンテーションはパワーポイントを使いますが、当時はパワーポイントも知らなくて、だらだらと言葉で説明するだけでした。ただただ思いを込めて説明することしか私にはできませんでした。 以下、その時の原稿です。  「高崎といいます。街の中に障がいのある人たちと一緒に働くパン屋を作ろうと思っています。彼らの中にはうまくおしゃべりができなかったり、字が読めなかったり、簡単な足し算もできない人もいます。でも、そんなことをはるかに超えた人としての魅力を彼らは持っています。 
 私は養護学校で30年彼らとつきあってきました。自分の中にある人間のイメージを大きくはみ出す人も多く、初めのころは戸惑うことばかりでした。  でも、いろいろつきあってみると、私たちにはない,なんともいえない魅力をたくさん持っていて、いつからか、この人たちとはずっと一緒に生きていきたいと思うようになりました。一緒に生きていった方が「絶対に得!」という感じです。彼らと一緒にいると毎日が本当に楽しいです。養護学校の教員になるまで、こんな楽しい日々が来るとは思ってもみませんでした。 
 昔、私がまだ学生の頃、胎児性水俣病の子どもを抱きながら、「この子は宝子ばい」と言っていたお母さんがいました。でも、その「宝子」の意味がどうしてもわかりませんでした。重い障がいをもった子が、どうして「宝子」なのか、わからなかったのです。  でも、障がいのある子どもたちと30年付き合ってきた今、「宝子」という言葉に込めたお母さんの思いが痛いほどわかります。ぎすぎすした息苦しい今の世の中にあって、ただそこにいるだけで心安らぐような雰囲気を作ってくれる彼らの存在は、やはり「宝」といっていい存在だと思うのです。彼らがそばにいるおかげで、私たちは人としてそこに立つことができるのだと思います。  かつてあったおおらかさがなくなり、どんどん息苦しくなっていく今の社会には、そういう「宝」こそが必要なんじゃないか、私はそんな風に思います。   街の人たちに、そんな「宝」のような存在に出会ってほしい。彼らと一緒に街の中でパン屋を始める理由のいちばん根っこにはそんな思いがあります。 
 とはいうものの、彼らと一緒に働くことは、生産性の面からみると、極めて厳しいものがあります。彼ら抜きで働いた方が、ずっと効率はいいでしょう。でも、効率のみを追い続ける社会はお互いがとてもしんどくなります。世の中に一つくらいは、効率のよさを追わないところがあってもいいのではないでしょうか。  効率をこえる価値を、彼らといっしょに働くことの中に見つけることができれば、彼らにとっても私たちにとっても、大きな希望になります。彼らといっしょに楽しく働きながらも、パン屋を回していけるだけのお金を稼ぐ、といったことがどこまでできるのか、効率を超える価値は見つけられるのか、ぷかぷかは壮大な実験の場でもあるような気がしています…」 
 プレゼンテーションの始まる前に審査員に自分で焼いたパンを食べてもらおうと前日にオレンジブレッド(無農薬の甘夏を刻んで作ったオレンジピールを練り込んだパン)を焼いておきました。ところが当日、その肝心なパンを忘れたことに駅で気がつき、あわてて家まで取りに帰るというドジ。  プレゼンテーションの始まりの時間に遅れてしまい、電車で会場に向かっているときに担当者から「今、どこにいますか?」という連絡が携帯に入る始末。  それでもはぁはぁ息を切らしながらパンを配ると、「あ、おいしいじゃん!」という声があちこちから上がりました。それを皮切りにパンに入れたオレンジピールやシンプルな材料の話をしました。  ビジネスプランの話は、どうしてハンディのある人たちといっしょに仕事をするのかといった話につい力が入り、「あと3分です」の声に慌ててビジネスの話をしましたが、なんとも中途半端。  そのシロウトさがよかったのか、最初に配ったパンが効いたのか、とにかく後日、奇跡といっていい合格の通知が届いたのでした。  650万円ゲット! 何事もやってみなきゃわからないものだと、つくづく思いました。   
 後日担当者にどうしてぷかぷかが合格したのか聞いたことがあります。 「普通のパン屋にはない広がりとおもしろさが期待できそうでした。商店街の活性化には、そういった広がり、おもしろさが大切です。」  なるほどな、と思いました。そういえば、最初の説明会で、「おもしろい企画」「元気な企画」がいい、とあったので、その通りになった気がします。  横浜市コミュニティビジネス課の人たちの将来を見通す目の確かさを、今あらためて思います。経営セミナーを受講したとは言え、プロから見れば、経営的には頼りないプランだったと思います。それでも、その頼りなさを超えるおもしろさ、広がりをぷかぷかのプランに見いだし、それに650万円もの資金を「賭けた」担当者の決断に、感謝、感謝です。    
  • とにかくやりたいからやるーそれが福祉起業家 
     福祉起業家という言葉があります。自分ではそんなふうには思っていませんが、ぷかぷかを始める前、福祉起業家経営塾を受講したとき、その概念を聞きながら、これって自分のことじゃん、って思いました。     NPO法人申請のための予算案を作った頃から、どうも話す相手を説得できてないなという気がしていました。  計画が話だけで終わる段階はともかく、お金という具体的なものがからんでくる段階になると、情熱や思いだけではなかなか前へ進めません。いろんな人と話す中で、そういうことがだんだん見えてきたのです。  パン屋は商売です。収支が合うかどうかが一番大事なところなのに、そこの計算が私にはさっぱりできなかったのです。そこをしっかり計算し、相手を説得しないと前へ進めないところまで来ていました。  その頃、たまたま福祉ベンチャーパートナーズから「福祉起業家経営塾」の案内が来ました。  福祉ベンチャーパートナーズとは障がい者の自立支援を目指す福祉施設の経営コンサルティング会社です。障がい者の働く場を創りたいという方のために「福祉起業家経営塾」を主催していました。経営塾ではビジネスの種探しから始まり、ビジネスプランの作り方やマーケティング、経営戦略の考え方などの研修をやります。更に「何があっても絶対に諦めない」という経営者の心づくりという側面も非常に大切にしています。  そのパンフレットの文面には「福祉起業ビジネスプラン作成のポイント」「福祉起業のマーケティング戦略」「誰に」「何を」「どのように」提供するのか、といった言葉が並んでいました。それを見て「ああ、これこれ、こういうことが今必要なんだ」と、なんだか救われたような気持ちになりました。  「福祉起業家塾」は4日間のセミナーで、最終的に自分のビジネスプランをしっかり作る講座です。しっかりしたビジネスプランができれば、どこへ行っても計画をきちんと説明できます。  なによりも「カフェベーカリーぷかぷか」が街のパン屋としてちゃんとやっていけるかどうかが具体的に見えてきます。  障がいのあるメンバーさんには障害者年金(*障害者手帳を持った方が受けられる年金で、月65,000円程度)とあわせればグループホーム(*一人では自立生活できない障害者の方が、支援者の手を借りながら集団で生活している施設)で自立生活が送れるだけの給料(5万円程度)を払いたいと思っていました。  スタッフにも生活に困らないだけの給料(20〜30万円くらい)はきちんと払いたいと思いました。    プランを作ることができれば、それを実現させるためには何をどうすればいいのかも具体的に見えてきます。
  そんなことを期待しながら、2009年3月、私は4日間の講座を受けました。  
養護学校で働く私にとって、ビジネスは全く未知の分野。どれもとても新鮮な内容でしたが、一番大きな発見は「福祉起業家」の概念でした。  福祉起業家とは、やりたいからやるもの。一つの自己実現であり、それは「福祉」とは全く発想が違う、といいます。「やってあげる」とか「お世話する」とか、まして「指導する」といったことでありません。 ・  一緒にやる、一緒に働くということ。 ・  そのことが好きで好きでしょうがないこと。 ・  ボランティア活動ではなく、経済活動であること。 ・  そこで働く障がいのある人たちはもちろん、自分自身も幸せになるということ。  どれもこれも納得できることでした。  「カフェベーカリーぷかぷか」は私自身の漠然とした思いでスタートし、イメージを作ってきましたが、福祉起業家とは何か、の話を聞いて、「ぷかぷかでやろうとしていることは、まさにこれだ!」と思いました。    
  • けんちゃん
     養護学校で仕事をやっていた頃の話です。  子どもたちといっしょに手製の紙粘土で大きな犬を作ったことがありました。何日もかかって作り上げ、ようやく完成という頃、子どもにちょっと質問してみました。  「ところでけんちゃん、今、みんなでつくっているこれは、なんだっけ」   「あのね、あのね、あの……あのね」 「うん、さぁよく見て、これはなんだっけ」 と、大きな犬をけんちゃんの前に差し出しました。けんちゃんはそれをじ〜いっと見て、更に一生懸命考え、 “そうだ、わかった!” と、もう飛び上がらんばかりの顔つきで、 「おさかな!」 と、答えたのでした。  一瞬カクッときましたが、なんともいえないおかしさがワァ〜ンと体中を駆け巡り、 “カンカンカンカン、あたりぃ!” って、鐘を鳴らしたいほどでした。  その答を口にしたときの “やった!” と言わんばかりのけんちゃんの嬉しそうな顔。こういう人とはいっしょに生きていった方が絶対に楽しい、と理屈抜きに思いました。  もちろんその時、 「けんちゃん。これはおさかなではありません。いぬです。いいですか、いぬですよ。よく覚えておいてね」 と、正しい答をけんちゃんに教える方法もあったでしょう。「先生」と呼ばれる人は大概そうしますね。  でも、けんちゃんのあのときの答は、そういう正しい世界を、もう超えてしまっていたように思うのです。あの時、あの場をガサッとゆすった「おさかな!」という言葉は、正しい答よりもはるかに光っています。あのとき、あんな素敵な言葉に、そしてけんちゃんに出会ったことを私は幸福に思いました。  
  • 飛行機の絵
     アートフォーラムあざみ野で開催されている「スーパーピュア展」に行ってきました。障がいのある人たちのアート作品展です。  いちばんわくわくしたのは、壁いっぱい、天井まで貼られた飛行機の絵。200枚くらいがびっしり貼られて、ブヮ〜ンと飛行機の爆音が聞こえてきそうでした。自宅近くの飛行場に毎日に用に通い、描いた絵だそうです。飛行機が好きで好きでしょうがないって気持ちがあふれていました。                   この写真、入院中のgottiに送りました。飛行機と電車の絵を見て、またむくむくと元気を出して絵を描いて欲しいと思います。
  • テツにはテツの人生が、私には私の人生が…
     養護学校で働いていた頃、テッちゃんという子どもがいました。テッちゃんは食事をするにも、着替えをするにも、誰かの手助けが必要でした。歩くときも一人では無理でした。そんなテッちゃんのお母さんが、ある日連絡帳に書いてきたことを今でも鮮明に覚えています。  「私はテツがすべてという生き方はしていません。テツにはテツの人生が、私には私の人生が、という考えでいます。親子ともども同じ回転で人生を過ごしてしまう必要はないと思っています。」  テッちゃんは自分でいろいろやったりする子どもではありませんでしたが、ただそばにいるだけでこちらの気持ちがほっとなごむような、そんなやさしい雰囲気を持っていました。そういう存在感がいいな、と思っていましたが、「テッちゃんの人生」までは考えませんでした。  自分の子ども、しかも重度の障がいを持ち、何するにも手助けが必要な子どもの人生を自分の人生と並べながら語るお母さんに正直びっくりしました。子どもの人生を突き放して語れるだけの人生をお母さん自身が歩んできたのだと思います。  お母さんは絵を描くのが好きでした。化粧品を買うお金があれば絵の具を買ったと言います。それくらい夢中になれるものを持っていました。でも、テッちゃんが生まれ、その世話に追われる中で、絵筆を折ったそうです。「折った」といういい方がとても印象に残りました。  「折った」と語れるほどの人生をお母さんは歩んでいたのでしょう。だから「テツにはテツの人生が、私には私に人生が…」という言葉がさらっと出てきたのだと思います。    学校では「個別教育計画」が、福祉事業所では「個別支援計画」なるものがありますが、そこには「本人の人生」へ寄せる思いなどといったものはまずありません。関わる人間の人生が見えるような気がします。  
  • この1枚の写真は
     ぷかぷかが始まった頃、パン屋の店先で  「おいしいパンいりませんか」  と、一生懸命大きな声を出してお客さんを呼び込もうとしていた利用者さんの声がうるさい、と苦情の電話が入りました。  こだわりの強い利用者さんが、お店の前を行ったり来たりしていると、  「うろうろされると、お客さんが落ち着いて食事ができない。ここを通らないでください」  と苦情を言われたこともありました。  障害者の施設が街の中で増えていくのは不気味だ、などという人もいました。    悲しくなるようなそんな言葉を投げつけられながらも、それでもここでやっていくしかなくて、ぷかぷかはおいしいパンを作り続け、お客さまがほっとくつろげるカフェスペースを提供し続けてきました。  そして今日、誕生日会のさなか、お客さまの方から  「利用者さんと一緒に写真を撮らせてください」 と、申し出がありました。  この1枚の写真は、今までの悲しくなるようなたくさんの話を、いっぺんにひっくり返してしまうような「力」があります。「新しい歴史」と言っていいのかも知れません。こういう関係が、あちこちで広がっていったら、お互いがもっともっと気持ちよく暮らせる街ができあがるんだろうと思います。  
  • 利用者さんと一緒に
     今日はけんたろうくんの1才の誕生会がありました。  お父さんからのメール。      歌や記念撮影、何よりもみなさんの心温まるサービス、      「おもてなし」に感激いたしました。    というわけで、利用者さんと一緒に写真を撮ることになりました。  
  • 46,000円
     毎週木曜日に販売に行っている瀬谷区役所で、なんと46,000円もの売り上げがありました。今までで最高の売り上げでした。12時から始めて、1時間足らずの時間です。  3年半前、初めて行ったときは、わずか5,000円の売り上げでした。それが3年半で9倍にもなったというわけです。この驚異的な伸びはなんなのだろうと思います。  パンがおいしいことは、もちろん大きな要素ですが、でも、スタッフだけで販売に行っていたら、多分こんなにも伸びなかっただろうと思います。やはり利用者さんが一緒に販売している、ということが大きいと思います。  彼らと週一回会うのを楽しみにしているお客さんがたくさんいます。彼らのにぎやかな声が聞こえると、「あー、来た来た!」と、わくわくすると言ってくれるお客さんもいます。  こういう関係は全く予想外でした。外販を始める前の区役所との打ち合わせでは、とにかくパンを販売する、ということだけでした。ここで新しい出会いが生まれ、新しい関係ができるとは、誰も予想していませんでした。まして、そのことで売り上げが9倍も伸びるなんて、ほんとうにびっくりです。  障がいのある人たちと一緒に働くのは難しい、と考えている人は多いと思います。でも、ぷかぷかでは、彼らといっしょに働くことで、パンの売り上げが伸びています。彼らがいるからこそ、パンの売り上げが伸びるのです。  得しているのはぷかぷかだけではなく、パンを買いに来るお客さんも、得しています。パンを買ったついでに、なにかあたたかいものをお土産にしてかえるからです。パンを買いに来ることをこんなに楽しみにしているって、それだけで素敵じゃないかって思うのです。  そんなことを、ものすごくがんばるわけでもなく、自然に作り上げた彼らに拍手!です。    
  • 0.5才 誕生会
     ぷかぷかカフェで誕生会がありました。大概は1才とか2才とか3才ですが、今日はなんと0.5才の誕生会でした。るなちゃん、ゆうまくん、ゆいかちゃんの三人です。  お客さんも入れて、カフェスタッフみんなで「ハッピーバースディ」を歌いました。「あなたに出会えて良かったよ」っていう思いを込めて…  ぷかぷかカフェでこんな素敵な出会いがあるって、いいですね。
  • 紅葉
     パン屋の近くの紅葉が、あまりにきれいなので、ほれぼれしながら写真を撮りました。秋の神様の色合いのセンスに、今更ながら驚きます。  大変な日々を過ごされているgottiのお母さんにも、この紅葉の写真送りました。gottiと二人で  「きれいだね」 っていいながら見て欲しいなと思いました。そう言い合える時間を今、大事に大事に過ごして欲しいと思うのです。    
  • 最近の日記
    カテゴリ
    タグ
    月別アーカイブ