また、パン屋が始まった頃の話です
近隣から苦情の電話が入り、半年間は針のむしろ 障害者施設を建てようとすると、地元市民から反対運動が起きることさえあることは前書きにも書きました。そのため、お店を始める前に商店会の集まりに何度か出席し、説明しました。 障がいのある人たちの働く場「カフェベーカリーぷかぷか」を霧ヶ丘商店街の一角に作りたいと思っていること。障がいのある人たちは、うまくおしゃべりができなかったり、人とうまくおつきあいができなかったりすること。でも、丁寧につきあうと、私たちにはない、人としての魅力をたくさん持っていること。私はその魅力に惹かれ、彼らの働くお店を作ることにしたことを説明し、商店会の了解を得ました。周辺の家には、その説明を印刷して配布しました。特に反対するといった意見は聞きませんでした。ところが実際にお店を開くと、いろいろ苦情が来ました。 利用者さんたちはみんな仕事に一生懸命です。パン屋の店先で「おいしいパンはいかがですか」と大きな声で呼び込みをやっていました。それに対して「うるさいのでやめていただきたい」と苦情の電話が入りました。大変なショックでしたが、黙って聞き入れるしかありませんでした。呼び込みで張り切っていた利用者さんはがっくりきていましたが、仕方ありません。黙り込んでしまった利用者さんがほんとうに不憫でした。 こだわりの強い方で、同じところを行ったり来たりする利用者さんがいました。「お店の前を行ったり来たりされると、お客さんが落ち着いて食事ができないので、やめさせて下さい」と言われました。すぐにその当人に注意しましたが、当人は、どうしてそのことがダメなのか、あまり理解できてないようでした。ですからその方が出歩くときは心配で心配で、しばらくついて歩きました。 お店を開いた頃は、利用者さんたちも慣れない環境で、たびたびパニックになり、大声出しながらお店から飛び出す方もいました。そのたびに「うるさい!」と苦情が来ました。飛び出してわめいている方の手を引いてお店に無理矢理連れ戻すときは、自分で、なんてひどいことをやっているんだ、と涙が出そうでした。本人も悪気があって飛び出したのではなく、ぎりぎりまでがんばって、それでもがまんしきれなくて飛び出してしまったのです。パニックは押さえようがないので、ほんとうにハラハラしながらの毎日でした。 間違えてよそのお店に入ってしまい、えらい剣幕で叱られたこともあります。「どうしてきちんと教えないんだ、あなたは昔教員をやってたんだろ」と怒鳴られましたが、ひたすら頭を下げて聞くしかありませんでした。 そんなこんなで、半年ぐらいは今日は何か起こるのではないかとびくびくしていました。毎日、針のむしろに座っている気分で、神経をすり減らしました。 そんな中でも少しずつ顔見知りのお客さんも増え、利用者さんに「今日もがんばってますね」と声をかけてくれたりするお客さんも現れました。外販先では、計算機を持って焦って計算している利用者さんに「ゆっくりでいいよ、あせらないで」とやさしく声をかけてくれるお客さんもいました。ほんとうに救われた気分でした。カフェで接客をやっている利用者さんの一所懸命さに胸を打たれました、というメールが来たこともあります。 近くの八百屋さんに買い物に出かけた利用者さんが、手に持っていた5,000円札を風に飛ばされてしまったことがありました。その時は近くの方が何人かいっしょにお金をさがしてくれました。そのことを月一回発行している『ぷかぷかしんぶん』に書いたところ、「記事を読んで感動しました」という電話が入ったこともあります。 つい先日、カフェでお客さんの子どもの誕生会をやった際、利用者さんといっしょに写真を撮らせて下さい、とおっしゃったお客さんがいました。みんなで子どもを囲んで写真を撮ったのですが、素敵な笑顔の並ぶ写真が撮れました。ぷかぷかが作ろうとしていたのは、こんな笑顔の関係です。この写真を見ると、ぷかぷかがやろうとしたことがいっぺんに見えます。この1枚の写真を撮るために4年間がんばってきたといってもいいくらいです。この1枚の写真は、今までの悲しくなるようなたくさんの話を、いっぺんにひっくり返してしまうような「力」があります。「新しい歴史の始まり」と言っていいのかも知れません。真ん中に写っている子どもに、こんな関係がしっかり伝わってほしいと思いました。