ぷかぷかは障がい者差別と闘っているのか、ということ
先日、サッカーのサポーターが掲げた差別的な横断幕が問題になり、「差別と闘う」「差別を撲滅する」といった勇ましく、ちょっと懐かしい言葉が1日マスコミをにぎわせました。 「ぷかぷか」であれば、さしずめ「障がい者差別と闘う」と言ったところになるのでしょうか。でも、あまりそんな風には考えていません。 ぷかぷかの事業を拡大する案に「そんなふうに障がい者施設が広がっていくことに“不気味さ”を覚える」と言った方がいましたが、その言葉は、社会が障がいのある人たちをどんな風に見ているか、を象徴していると思います。 その言葉にどう答えていくのか。それは、この社会のなかで自分はどう生きるのか、といったことを問い続けていくことだと思います。私はどこまでも彼らといっしょに生きていこうと思っています。「不気味だ」などと失礼なことを言われる彼らの側に、私は断固として立ちたいと思うのです。 そんなことをいわれて「くやしいから」という思いもありますが、それ以上に、彼らにとことん惚れ込んでしまったからです。彼らといっしょに生きていった方が、人生が豊かになると思うからです。 私は彼らのおかげで自分自身を縛っていた「規範」というものから自由になれました。そのおかげで生きることがとても楽になりました。楽になることで、人生が本当に楽しくなった気がしています。 彼らの自由きわまる発想、自由奔放な表現に出会い、こんなすてきな人たちとはいっしょに生きていった方が絶対に「得!」だと思うようになりました。すばらしく豊かなものに出会った気がしたからです。 「不気味だ」などといって、彼らを社会から排除していくとき、社会は徐々にやせこけていくように思います。社会のなかで許容できる幅が狭まり、お互いが生き辛くなります。 だから「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」と言っているのです。そう言い続け、それを実践することが、「不気味だ」という言葉に対する私の答えです。