ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ほれぼれするほどいい顔をして
     ケンタロウくんのことを日記に書いたら、昔いっしょに「あそぼう会」をやった地域の仲間サキさんが連絡をくれました。いっしょに「あそぼう会」やった仲間に知らせるので、連絡先を教えて欲しいということでした。  30年ほど前、ケンタロウくんの担任をしていた私は、こんなすてきな子どもたちを養護学校に閉じ込めておくのは「もったいない」と、せっせと公園に連れ出し、いろんな人たちといっしょにあそんでいました。そこへ参加したのがサキさんであり、何人かの地域の友人たちでした。  ケンタロウくんたちのことをいっぺんに好きになり、ほんとうによくあそびました。このときできた仲間で「みちことオーサ」の上映会をやったり、うどん屋をやったり、ワークショップをやったりで、ずいぶん活動の幅が広がりました。  活動の幅が広がる中で、障がいのある人たちを取り巻く社会的な問題について、ほんとうにたくさんのことを学んだ気がしています。下手すると堅い話になりがちなこの手の話題であっても、ケンタロウくんたちといっしょの「あそぼう会」は、なぜか楽しく語れました。ケンタロウくんの「ひゃ〜」っていう、みんなを幸せな気持ちにさせる笑い声がみんなをつないでいたからだと思います。  そのときのつながりがまだ生きていたというわけです。  日記に書いた次の日に、葬儀場までケンタロウくんに会いに行きました。きりっと引き締まったいい男の顔でした。  そばにいたお母さんに 「ケンタロウって、こんなにいい男だったんだね」っていうと 「そうなのよ」とうれしそうに言ってましたが、このいい男が作ったつながりが、今も生きているんだから、すごいのひとことです。私はといえば、君と出会ったおかげで、その後の人生がほんとうに楽しいものになったんだよ、それまでと全く違う毎日が始まって、ほんとうに楽しかったよ、と、またケンタロウに感謝したのでした。  42歳、ほれぼれするほどいい顔をしていました。           
  • ここには社会の希望がある気がします
     日経イニシアティブ大賞の原稿を書いていて気がついたことがあります。瀬谷区役所の外販の売り上げが5年で10倍になった(販売のことですから毎回というわけではありませんが)ことを書きながら、これはぷかぷかの側からのメリットであって、それだけを書いても何か小さい話だなと思いました。そうではなく、お客さんにとってもパンを買う以上のことがあることをしっかり書かないと片手落ちのような気がしました。  先日ワークショップの記録映画を撮っている宮沢さんの撮影につきあって瀬谷区役所まで行ったのですが、お客さんの何人かはお店に来るなり親しいメンバーさんと楽しそうに「やぁ!」ってハイタッチしていました。パン屋に来て店員とハイタッチするなんてことは、普通はあり得ないことです。これはお客さんとぷかぷかのメンバーさんがどういう関係にあるかを明確に物語っているように思うのです。そういう関係が売り上げを伸ばしたのですが、お客さんにとってはどういう意味があるのでしょう。  毎週木曜日、彼らのにぎやかな声が聞こえると「あっ!来た来た!」とわくわくしながらお店に行きます、と以前語ってくれた区役所の方がいました。「なんとなくいやだ」「怖い」「何するかわからない」といった先入観で地域社会から締め出されることが多い現状を考えると、わくわくしながら彼らと会うことを楽しみにしている人がいる、ということは、ほとんど奇跡に近い、と思います。ここには社会の希望がある気がします。  しかもそれは「ぷかぷか」の側から、メンバーさんとのおつきあいの仕方とかをいろいろ説明したしたわけでもなく、彼ら自身が作ってきた関係です。地域社会から締め出されているという社会的な課題を彼ら自身の手で解決しつつある、彼ら自身が希望を生み出しているということです。  ぷかぷかは「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージを発信し続けていますが、それは彼らのためというよりも、地域社会全体が、彼らといっしょに生きていくことで、より豊かになることを願っています。  パンを買いに来たときに、彼らとひとことふたこと言葉を交わします。そのとき、「あ、こんなすてきな人がいたんだ」って気がついて「パンもおいしいし、また行こう」って思った人がだんだん増えて、今のように行列のできるほどのお店になっているんだと思います。  「世の中にこんなすてきな人がいた」という出会いは人生を豊かにします。ですから、外販は売り上げをぷかぷかにもたらすだけでなく、お客さんの側にも豊かなものをもたらしている気がするのです。社会の希望といっていいくらいの豊かさです。   
  • これって、なんかすごいことじゃないかって
     ぷかぷかの理事会がありました。いつもは話し合いだけなので、今日は働く現場を見てもらいました。理事のみなさんはお店にはよく来ているのですが、働いている現場はまだ見たことがありませんでした。  みんなの真剣な仕事ぶりに理事のみなさん、一様にびっくりされたようでした。  「スタッフが多いので、その指示の元でやっているのだろうと思っていたのですが、そうではなくて、みんな自分で考え、判断して働いているので、本当にすごいと思いました」 とおっしゃった方もいました。  「みなさん、生き生きと楽しそうに働いていました。楽しそうだけれど、真剣で、目はみんな仕事をしている目でした。  こんなふうに、社会のオマケではなくてしっかり働いている、そんなことがみんなの自信にもつながり、それがまた地域に幸せの種を蒔いてくれる、そんな現場を見た気がします。」  と、自身のFacebookに書き込んでくれた方もいました。「地域に幸せの種を蒔いてくれる」という評価はとても新鮮な感じがしました。  昨年暮れ、 「ぷかぷかは社会の希望です」 とメールをくれた方がいましたが、多分同じようなことをおっしゃったのだと思います。  ぷかぷかは障がいのある人たちの働く場ですが、彼らの働く姿が「地域に幸せの種を蒔いてくれる」とか「社会の希望です」と言わせたりして、これって、なんかすごいことじゃないかって思いました。  今まで「社会のお荷物」としか見られてなかった障がいのある人たちが、こんなにも真剣に働いていた…。仕事なんてたいしてできないと思われていた彼らが、スタッフにいろいろ指示されてではなく、自分でちゃんと考え、判断して働いていた…。それは社会の彼らに対する評価を彼ら自身がひっくり返したことであり、なんだかとても痛快です。こういったことが社会をよりよい方向へ変えていくきっかけになり、みんなが気持ちよく生きていく社会を実現する手がかりになるように思うのです。  そこに社会の希望を見いだした人たちに拍手!です。         
  • ケンタロウくんに感謝
     ケンタロウが亡くなりました、と朝、お母さんから電話がありました。ケンタロウくんは養護学校の教員になって2年目に担任した子どもで、今はもう40歳くらいになっています。ガンだったようです。  ケンタロウくんは犬が大好きで、いっしょに散歩に行って犬を見つけると、だーっと駆け寄り、思いっきりぎゅっと抱きしめて、顔をべろべろなめ回していました。犬がケンタロウくんの顔をなめたのではなく、その逆だったので、犬の方がどぎまぎしていました。私も犬は大好きですが、ケンタロウくんとは「好き」のレベルが違うと思いました。  気持ちのストレートな表現に感動してしまったことを未だに覚えています。自分を抑えるものがないというか、なんて自由なんだと思いました。自分の気持ちをここまで素直に表現できたら気持ちいいだろうなと思いました。  ワークショップを始めたのもこの頃でした。ケンタロウくんはいっしょに芝居をやったりというのはむつかしい人でしたが、といってワークショップに参加しなかったわけではなく、とにかくよく笑う人で、みんながいろいろアクションをやるたびに、それに反応してケラケラ笑い、ワークショップの場をしっかり支えていました。  お母さんはワークショップをめいっぱい楽しんでいました。発表会で、男の子ともじもじしながらデートする役をやり、20歳くらい若返ったその役を存分に楽しんでいました。  自分が楽しむことを知っていたお母さんだったので、その頃養護学校の子どもたちといっしょに公園で遊ぼう!ということで月二回くらい集まっていた「あそぼう会」を中心になって楽しんでいました。障がいのある子どもたちのため、というより、お母さん自身が楽しんで遊んでいるところがいいと思いました。自分の人生を楽しむ、ということを、子どもの人生と同じくらい大事にしている人でした。  重度の障がいを持った二人が施設を出て街の中で自立生活をするというドキュメンターリー映画「みちことオーサ」を自主上映したときも、小山内みちこさんとオーサという脳性麻痺の二人の女性の生き方に、いっしょに感動し、いいね、いいねと言いながら、ずいぶんいろいろな話をしました。この映画の上映がきっかけで、「遊ぼう会」が障がいのある人たちの社会的な生きにくさ、という問題に目を向けるようになりました。  障がいのある人が電車の中で赤ん坊の髪の毛を引っ張り、そういう子どもをひとりで電車に乗せないでください、という投書が朝日新聞に載ったときも、いちばんよく話ができたのは「遊ぼう会」の人たちでした。ケンタロウくんのお母さんをはじめ、障がいのある子どもたちを抱えたお母さんたちと、地域の方たちがいっしょに話ができるような集まりが「遊ぼう会」でした。障がいのある人たちと、そうでない人たちがお互い知り合う機会をもっともっと作った方がいいね、投書したお母さんが障がいのある子どもと少しでもおつきあいがあれば、もう少し対応は違っていたと思うよ、といった話が「遊ぼう会」ではできました。   今「ぷかぷか」でいつも話題になる、お互い知り合う機会を作った方がいい、という話は、ケンタロウくんのお母さんといっしょにいろいろやってた30年ほど前に生まれたのでした。  ケンタロウくんとそのお母さんは、私が学校から飛び出して、地域でいろいろ動き始めた頃のいちばんの仲間でした。そして何よりもケンタロウくんは、私がこの世界にのめり込むきっかけを作ってくれた何人かの子どものひとりでした。ケンタロウくんに感謝!  
  • パン教室はパンといっしょに希望のある未来を
     1月17日、パン教室がありました。今回も地域の子どもたちがたくさん参加し、にぎやかで楽しいパン教室になりました。    最初にケーキ作りで卵をホイップ   あれ?レシピはどうだっけ?   ハンドミキサー使ってどんどんホイップ   あんこになる小豆を洗います。   ケーキをオーブンに入れたあとはパン作りに。生地をこねます。   この力強い手   別のテーブルでは、ケーキのトッピングに使うリンゴを切っていました。   小さな子どもも一生懸命こねます。   この手つきがいい   子どもたちは飽きると別室へ   自閉症と診断された子どもとこんな幸せな時間を作っている人もいました。 こっちまで幸せな気持ちになってシャッター切りました。   おひさまの台所の大将からレシピを教わります。   ミネストローネスープの準備   発酵が終わり、生地を分割、丸めます。   私に生地をちょうだい   真剣に丸めます。   この集中力がすばらしい   肉まんの具を包んでせいろに並べます。   パンが焼き上がります。   ケーキの飾り漬け   ミネストローネスープのできあがり   できあがったケーキ   ようやく食事のできあがり。   こんなにたくさん子どもたちが集まって、パン教室はパンといっしょに希望のある未来を作っているんだと思います。          
  • 日々の小さな物語が積み重なって
     11月半ばにFacebookページを始めてちょうど2ヶ月。どんなふうに情報発信するのがいいのか、よくわからないまま試行錯誤しながら、ぷかぷかってこんなところだよ、こんなことやってるんだよ、というメッセージを私流で発信してきました。  朝、ケンさんといっしょに郵便局に入金に行くついでに、カフェ、お惣菜、パン屋をぶらっと見て回ります。いいなと思うところの写真をバチバチ撮っていると、すぐに100枚くらい撮れてしまいます。パソコンに移し、その中からぷかぷからしい小さな物語が生まれそうなものを10枚くらい選んで、ひとことだけコメントつけて発信しています。  Facebookページを見る人に、ぷかぷかの日々の小さな物語が伝わるといいなと思っています。日々の小さな物語が、いくつもいくつも積み重なって、ぷかぷかがあります。就労継続支援B型事業所とか、ぷかぷかの理念とか、ぷかぷかを語るものはたくさんありますが、いちばんよくわかるのは、やはりこの日々のなんでもない出来事の積み重ねだろう、とFacebookページを始めてからあらためて気がつきました。  そのなんでもない出来事の写真をいくつも撮り、それを眺めていると、いろんな小さな物語が生まれます。  シューさんはぷかぷかでいちばん年上です。今日はタマネギを切っている手のアップを撮りました。年季の入った手で、シューさんの長い人生が伝わってくるような気がしました。タマネギをしっかり握る手には、長い人生経験を通しての自信のようなものを感じました。シューさんとお話しすると、ひとり暮らしで大丈夫なのかな、といつも心配してしまうのですが、包丁を持つ手と、タマネギを握りしめる手には、そんな心配をはねのけてしまうような自信があふれていました。この手がシューさんの人生をたくましく切り開いてきたんだろうと思います。ほんとうに、すばらしい手です。  人の手は、その人の人生を語るんですね。そんなことを教えてくれたシューさんの手でした。  そんな小さな物語を伝えたくて「今日の仕事人ー2」のタイトルでアップしました。    こんな小さな物語が毎日積み重なって「ぷかぷか」があるんだ、とFacebookページは教えてくれた気がしています。     ぷかぷか | Facebook
  • いい時間をプレゼントする絵たち
      九州の「工房まる」のメンバーさんたちが福岡でこんな絵の展示会をやったそうです。すっごく楽しいと思いました。  藤が丘の自然食品店マザーズの社長から、お店の横の壁に壁画を描いてもいい、といわれているので、こんな絵を壁画にして飾るのもいいなと思いました。  街の中にこんな絵が飾ってある空間があるって、すごくいいと思うのです。一日一回、思わずにんまりしながら通り過ぎる場所があるって、すごく幸せだなと思います。  ぷかぷかでは毎日帰りの会で 「今日はいい一日でしたか?」 って聞きます。  そんな問いを一日の終わりに自分に発するとき、こんな絵と出会ったよなぁ、なんかクスって笑っちまったよって思い出してくれればいいなと思うのです。  たくさんの人たちに、クスッと笑うような、いい時間をプレゼントする絵たちに拍手!です。  
  • 社会的な課題と結論が見えれば…
     日経ソーシャルイニシアチブ大賞を狙って、申請書を書き始めたのですが、「事業の目的」と「ミッション」の違いがはっきりしなくていきなり初っぱなから行き詰まってしまいました。去年は「事業の目的」は「障がいのある方の就労支援」、「ミッション」は「お互い気持ちよく生きていける社会を実現する」と書いているのですが、書いた私自身が、これでよかったのかなぁ、と思ったりするくらいなので、あらためて書こうとしてもどうもすっきりしません。  顧問契約を結んでいる社会保険労務士事務所の所長に電話し、意味の違いを聞きました。「ミッション」はどちらかと言えば、社会を変えていく、といったことまで踏み込んだ「使命」という説明でしたが、これも結局わかったようなわからないような感じでした。  もう無理に外国語を使わないで、わかりやすく書くのがいちばん、と思い、もう一度、何が社会的な課題で、どうやってその課題を解決し、その解決の仕方の独自性をどう語るか、というところで整理してみました。  去年の申請書を読み直すと、言いたいことがありすぎたのか、話題が多方面にわたり、これでは審査する方も途中で投げ出したのではないか、と思われるくらいでした。で、今年はとにかく話題を絞ることにしました。  書きたいことは、以前にも書いたと思うのですが、瀬谷区役所の外販で、利用者さん自身が、社会的な課題を解決の方向に持って行っているのではないか、ということです。  外販の収益をいちばん支えているのは彼ら自身です。彼らの人としての魅力がお客さんを呼び、収益を驚異的に伸ばしています。ここを結論とします。  では社会的な課題は何でしょう。生産性というところから見ると、一般的には彼らは普通の人より劣るといわれ、一般の会社で働くことがきわめてむつかしい、ということがあげられます。彼らがいると生産性が落ち、収益が減る、というわけです。だから彼らは社会から疎外されることになります。彼らを社会から疎外するとき、普通といわれている人たちも、実は社会から疎外されています。そのことこそがほんとうは問題なのだと思いますが、そこまで広げていくと、また収拾がつかなくなるので、とりあえず、生産性が劣るが故に、彼らが社会から疎外されている、というところで話をとめておきます。  生産性が劣るといわれながらも、ぷかぷかでは彼らがいるおかげで外販での収益が伸びています。彼らが働いていることは、ぷかぷかの大きな魅力になっていて、その魅力が収益を底支えしています。彼らがいなければ、ただのパン屋であり、ただのカフェで、なんのおもしろみもありません。  社会的な課題と、結論が見えれば、あとはそれをつなぐ物語を書けば申請書はできあがりです。と書けば、ずいぶん簡単そうですが、物語を書くのは結構大変です。でもここがいちばん楽しいところ。課題解決の独自性をどこまでアピールできるかで勝敗は決まりそうです。あ〜、なんか、わくわくしてきました。      
  • ワークショップの中での成長を言うなら
     昨日「利用者さんの成長」について書き加えた方がいいのではないか、という意見があったことを書きました。  ワークショップは元々中南米、フィリピンで識字教育の中で開発されたメソッドです。文字を知らない人たちに、自分を取り囲む世界がどうなっているのか、働いても働いても暮らしが豊かにならないのはどうしてか、といった問題をワークショップを通して考えていったのです。  そのワークショップの原点を学ぼうと2回ほどフィリピンに行ってワークショップをやったことがあります。ネグロス島の貧しい漁村に行ったときのことです。小さな教会の中で子ども抱えたお母さんたちがワークショップをやっていました。舞台で進行役が、 「右側に米軍、左側に民衆がいます。コリー・アキノ(当時の大統領)はどちら側にいるでしょうか?」 と、集まったお母さんたちに聞きました。口々に 「米軍側だ」 と言っていました。突然 「日本人のあなたはどう思いますか?」 と聞かれ、暗殺されたアキノ氏の連れ合いなので、当然民衆の側だろうと思い、そのように言ったところ、えらいブーイングを受けました。  コリー・アキノ氏が大統領になってから数年後のことで、最初は熱狂的な歓迎を受けていたのですが、だんだん米軍側についていることが見えてきて、私が行った頃ははっきり民衆の敵だ、とみんな認識しているようでした。  フィリピンの政治状況について全く知らなかった自分が恥ずかしかったのですが、とにかくそんな風にして文字を知らない人たちにワークショップを通して自分を取り巻く世界のことを伝えていることがわかり、恥ずかしい思いをしながらも、いたく感動したことを覚えています。フィリピンというのはすごい国だとつくづく思いました。  このワークショップをやっていた人たちは、アキノ氏が暗殺されたとき、4車線の道路の真ん中で、抗議の芝居をやったそうで、そのときの写真を見せてもらいました。4車線の車を全部停めたりしたら、すぐに警察が来るんじゃないですか、と聞いたところ、民衆が取り囲んで守ってくれたというのです。もうびっくりしました。  表現の自由を守る、自分たち文化としての芝居を守る、ということを、フィリピンの人たちは体を張ってやっているのだと思いました。日本であれば、変な人たちが道路で勝手に芝居なんかやってる、と警察に通報しかねないですよね。京都駅前で芝居やったときも、一応見張り役は立てていましたが、いつ警察が来るかとものすごく緊張していました。    話がえらくそれてしまいました。  ワークショップは自分を取り巻く世界を知るために使われていた話を書きました。そのワークショップが日本に入ってきた1980年代の始め頃、黒テントが始めて実践で使ったワークショップに参加しました。世界を今までと全く違う方法で見直す、ということもおもしろかったのですが、それ以上に自分がそこで自由になれたことがいちばん印象に残りました。  ちょうど養護学校に勤め始めた頃で、養護学校の子どもたちといっしょにやれば、彼らともっと深く出会えるのではないかと思い、黒テントの稽古場まで何度か通い、養護学校の子どもたちといっしょにやるワークショップを提案したのでした。  黒テントの人たちは、はじめの頃は渋々やってきた感じでしたが、1回やっただけで、彼らの魅力に気づき、用意したプログラムが彼らによってめちゃくちゃにされながらも、それにめげることなく、ワークショップの「腕」がぐんぐん磨かれてきました。すばらしい成長だったと思います。今、ワークショップのプロ集団としてやっている「演劇デザインギルド」の出発はここにあったように思います。  地域の参加者が、障がいのある人たちのため、と思って参加したのに、気がつくと彼らに支えられていた、と発言し、このあたりから地域の参加者が目に見えて変わってきました。  ワークショップの中での成長を言うなら、それはまずファシリテーター(進行役)であり、地域の参加者であったと思うのです。  私自身、彼らの存在が必要、彼らといっしょに生きていった方が絶対にいい、と確信したのは彼らといっしょにワークショップをやったからでした。それが今のぷかぷかの理念の原点になっています。ですからワークショップでいちばん成長したというか、得したのは私ではないかと思っています。        
  • 参加者みんなが世界と新しく出会い直すような
     昨日ワークショップの企画書をアップしたら、利用者さんの成長を書き加えた方がいいのではないか、という意見がありました。  ワークショップは物事についてひとりで考えるのではなく、みんなで考えます。頭だけで考えるのではなく、体を使って考えます。言葉だけをやりとりするのではなく、形のある共同作業を通して考えていきます。そうしてみんなで新しい世界を切り開いていきます。  昔、京都で平和をテーマにワークショップをやったことがあります。あの当時、湾岸戦争のさなかで、地上戦が始まるのではないか、という緊張感の中でのワークショップでした。  まずは戦争について、それぞれ短い詩を書きました。その短い詩を一人ひとり思いを込めて朗読しました。地上戦が始まる、という緊張感故に、平和への思いがあふれるような詩が集まり、もうそれだけでみんな感動してしまいました。平和へのそれぞれの思いをこういう形で共有しました。  それぞれの詩を組み合わせ、「集団詩」を作ります。これは単なる言葉の切り貼りではなく、それぞれの熱い思いの切り貼りです。この作業がものすごく大変で、詩の言葉を並べ替えしながら、どうすればみんなの思いを表現できるかを徹底して確かめ合います。この作業が大変な分、できあがった集団詩は、個人の詩の何倍も力を持つことになります。  そうやって作り上げた集団詩をみんなで朗読します。声に出して読み始めたとたん、詩がむくむくと生き始め、集団詩の持つ力を体で感じることができます。  立ったまま朗読することから始め、歩きながら読んだり、座って読んだり、誰かにもたれかかりながら読んだり、様々な動きをつけながら読んでいきます。動きながら言葉にメリハリをつけていきます。誰に向かって、どんなふうに言葉を発するのか、体が動くと、言葉がどんなふうに変わるのか、そんなことを体で確かめながらワークショップは進行していきます。  こんなふうにして、自然に芝居ができあがっていきます。場のテンションがぐんぐん上がってきます。ここまでくると、もう進行役の手を離れ、ワークショップの場のエネルギーが参加者の背中をぐいぐい押します。  京都でやったときは、全く予定になかった大きな舞台に立ってしまい、芝居をやる側も見る側も涙、涙の感動的な舞台になりました。舞台に立った人たちの熱気はまだ収まらず、誰かが「街頭でやろう!」といいだし、みんなで連休でごった返す京都駅まで押しかけ、ゲリラ的に駅前の広場で芝居をやってしまったのでした。    こうやってワークショップの参加者は自分の世界を、想像もできないような形で広げていきます。ワークショップの始まる前、誰も京都駅前で芝居をやるなんて考えていませんでした。参加者のほとんどは芝居は初めてという人たちでした。それが三日間のワークショップのあと、大きな舞台に立ち、更には京都駅前に広場で芝居をやってしまったのです。「成長」などというおとなしい言葉では語りきれない、もっとダイナミックな変わりようが参加者みんなの中にあったのだろうと思うのです。    参加者みんなが世界と新しく出会い直すような、そんな劇的な変化がワークショップにはあります。  利用者さんの成長、といったことをはるかに超えた、もっと広い世界の、もっと大きな変化をワークショップは考えています。            
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