ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「あなたがいないと困るんです」という言葉に胸がきゅん
     Youtubeのダイジェスト版を見た横浜シュタイナー学園の先生から映画を作った宮沢さんのところへ   高崎さんの「あなたがいないと困るんです!」という言葉に胸がきゅんと致しました。   という感想が届いたそうです。「胸がきゅんと致しました」なんて言われると、なんだか気恥ずかしい気がするのですが、言葉の表現はともかく、私の言葉が映画を見た人の心をほんの少し揺さぶったのかなと思いました。  これは映画の中で私が知的障がいのある人たちとの関係を語った言葉で、彼らといっしょにワークショップをやっているうちに、彼らに向かって「あなたがいないと困る」と言えるような関係が自然にできた、と語った部分です。  何考えているかわからない、怖い、いっしょに何かやろうとすると面倒なことがいろいろ起こる、効率が落ちる、などを理由に、どちらかといえば彼らは社会から疎外されています。そういった社会的状況の中で、彼らに対し、素直に「あなたがいないと困る」「一緒にいて欲しい」と言える関係が自然にできてくるって、考えてみればすごいことだと思います。  ワークショップの場で,どうしてそんな関係ができてくるのか、彼らといっしょにワークショップをやろうと提案した私自身、うまく言葉で説明できません。そういう関係ができることを予測して提案したわけではなく、彼らといっしょにやれば、何かとてつもなく面白いものができるという予感だけがあって,いっしょにワークショップやってみよう、と提案したのです。  その、とてつもなく面白いものができていく過程の中で、気持ちのどこかに「彼らのために」という思いのあった地域の人たちが  「彼らを支えようという思いで参加したのですが、支えられているのは私たちの方だということがだんだんわかってきました」 とふり返りの中で語ったあたりから、彼らとの新しい関係がはっきり見えてきたのだと思います。彼らに向かって「あなたがいないと困る」「あなたに一緒にいて欲しい」と素直に思える関係です。そういう関係がワークショップ参加者の中で共有できてきた、ということです。映画の中で私が語っている言葉はここから生まれました。  このことの客観的な評価をもっともっとたくさんの人がやった方がいいと思っています。  彼らを社会の中から締め出してしまうとき、締め出した側も、許容できる人間の幅が狭くなり、お互いが生き辛くなります。お互いが息苦しい社会になっていきます。そんな中にあって、「彼らがいないと困る」「彼らに一緒にいて欲しい」と素直に思える関係ができた「場」は、この息苦しさが増す一方の社会にあって、この問題を解決していく手がかりを提案しているように思うのです。        Youtubeのダイジェスト版はこちら。もう340回も再生されています。もっともっとひろがって欲しいと思っています。 映画『ぷかぷか』ダイジェスト - YouTube          
  • 気がついたら舞台に
     みどりアートパークであった「身体で聴こう音楽会」にぷかぷかのメンバーさんといっしょに行ってきました。うたと手話を楽しもう!コンサートです。  第一部のHANDSIGNは手話を取り入れたダンスで、エグザイルのようなパワフルなダンスに手話を取り入れた熱気むんむんの舞台でした。手話って、こうやって使うとアートなんだと思いました。何よりもかっこいい!って感じ。まじめに手話の勉強しようと思いました。  第二部は野呂愛美さんのコンサート。野呂さんは去年やった「表現の市場」を見に来ていて、以来ぷかぷかのファンになって、毎日のようにFacebookページを見てくれています。今日はコンサートの途中でぷかぷかを紹介してくれ、「森は生きている」の本番舞台の写真もプロジェクターで映してくれました。来年2月14日にやる予定の「表現の市場」の宣伝までしてくれました。  「森は生きている」をすばらしい声で歌い、2回目を歌う前の、ちょっとした隙間に、私の周りに座っていたメンバーさんが一斉に立ち上がり、気がつくと舞台に上がって野呂さんといっしょに「森は生きている」を歌っていました。  プロの歌手の舞台に駆け上がるなんて、普通はあり得ないのですが、特に気にもせず、当たり前のように上がってしまうところが彼らのすごいところ。  一瞬にして舞台と会場の雰囲気を変えてしまった彼らに拍手!でした。  
  • 映画を見ながら同じ時間を待つということ
      ワークショップのドキュメンタリー映画は面白い映画ですが、ひとりで見て、「ああ、おもしろかった」で終わるのでは,ちょっともったいない気がしています。見終わったあと、多分、新しいことは何も始まりません。でも、何人かでいっしょに映画を見て、そこで見えてきたことをみんなで共有し、障がいのある人たちといっしょにできることをみんなで探したり、彼らといっしょに生きると、なんで「得」なんだろうねっていっしょに考えたり、彼らといっしょに簡単なワークショップをやってみようか、っていう話になったりすれば、きっと新しい何かが始まり、今よりちょっとだけ前に進むことができます。  そんな上映会のために表現の市場の本番舞台とそれに至るまでのワークショップの記録(メイキング映像)を合わせて3時間近い長編を、1時間から1時間20分くらいに編集し直してもらえないかと宮沢さんに依頼しました。で、昨日それができあがり、宮沢さんの説明を聞きながら映画を見ました。  できあがった新しい映画は表現の市場が43分、メイキング映像が88分、合わせて131分。2時間11分の映画を見たあとみんなで話し合い、というのは結構きついなぁ、と思いながら、ともかく映画を見ました。  ここはこのシーンがいいから短くできない、ここはこの人がこんな事をやっているから外せない、と場面ごとに宮沢さんの思いのこもった解説が入り、自分の撮った映像,被写体になった人たちがいとおしくてしょうがない、もう抱きしめたいような思いでこの映画作ったんだな、とあらためて思いました。  言葉がなかなか出てこない人がいます。でもみんなはせかすこともなく、言葉が出てくるのを待っています。カメラはその「時間」をそのまま写しています。ですから見る人も同じ時間を待つことになります。そうすることで、ワークショップの場で何が起こっているかを見る人にも共有して欲しいというわけです。  ここを編集して短くカットし、その場で起こったことをテロップやナレーションで簡潔に説明する方法もあって、見る方はその方が楽?なのですが、それは違うと宮沢さんは言います。同じ時間を待つこと、それが彼らといっしょに生きていく、ということであり,それを宮沢さんは伝えたいのだと思いました。  私は安易に1時間くらいに編集し直してください、なんて頼んだのですが、宮沢さんと話をしながら映画を見ているうちに、その作業は宮沢さんにとって とても辛い作業だったんだなと思いました。1分の映像に込めた思いを削ることの辛さです。申し訳なかったなと思います。  上映会は主催する方とよくお話をして、1時間半のメイキング映像だけにするとか、43分の表現の市場の映像もいっしょに見るとか、臨機応変に対応したいと思います。 上映をお考えの方は連絡ください。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp       新しく編集したメイキング映像で面白かったのは、本番の舞台にも台本を手に持っていたリエさんの発見(!)です。リエさんは台詞がうまく言えるかどうか心配で心配で、本番の舞台にまで台本を手にあがっていました。誰もそのことに気がつかなかった、というところが、いかにもぷかぷかの舞台です。  映像でやたら矢印が出てくるので、なんだろうと思っていると、この台本でした。その台本が、ある場面からふっと消えます。あれ、どうしたんだろう、と思っていると、replayのメッセージが出て、映像が巻き戻されます。何かのアクションの時にリエさんは台本を床に置きます。それを見つけたぷかぷかのスタッフのオダさんが,さりげなく後ろに隠しました。ここはたまたまカメラに写っているのを宮沢さんが見つけたらしいのですが、オダさん自身はよく覚えてないそうです。床に置かれた台本に対し、頭よりも、体が自然に動いたのだと思います。  そういう誰も気がつかないようなフォローがたくさんあって、あの舞台は成り立っていたんだな、とあのreplayの場面を見て,ちょっとじ〜んと来てしまいました。「よく覚えてないわ」なんてさらっと言うオダさんも隅に置けない人だと思いました。       
  • それじゃあ、人生つまらないじゃないですか
     横浜地域福祉研究センターで新しいセミナーを始めるにあたっての集まりで、重度障害のある子どもを抱えたお母さんの発言に目が覚めるような思いをしたことがあります。養護学校を卒業したあとは、重度心身障害者の施設に入るというのがおきまりのコースですが、 「それじゃあ、人生つまらないじゃないですか」 と発言し、なんかほっぺたをバチ〜ンと張られたくらい感動してしまいました。そのお母さんは、重度の障害を抱えた息子さんといっしょに、なんと「自営業」をやりたいというのです。要するに「商売」です。    私たちは「働ける」「働けない」で人を分けてしまっていますが、そのお母さんはそのカテゴリーを突き抜けたところで息子さんを見ているようでした。だからこそ、その「働けない」といわれている息子と一緒に商売をはじめます、とさらっと言ってのけたのだと思います。  その「志」がすばらしいと思うのです。仲間うちの「お仕事ごっこ」ではなく、自営業をやる、つまり社会の中でちゃんと商売をやろうというのです。  決められたレールの上を行くだけの安全な人生なんて「つまらないじゃないですか」と,蹴っ飛ばし、息子と一緒に「冒険」とも思えるような人生にチャレンジするなんて、もう聞いただけでわくわくしてしまいます。  もちろん超えなければならない難問は山ほどあると思います。でもそれにひるむことなく、「自営業をやります」と人前で言い切る姿がさわやかでした。    お母さんの人生、というより、自分自身の人生をしっかり生きて生きたい、という気持ちをびりびり感じました。  やわな自分の人生を揺すぶられた気がしました。   さあ、商売に出発!    
  • まっすぐに届いた気がしました
     ワークショップの記録映画「ぷかぷか」のDVDを購入された方の娘さんの感想が送られた来ました。     すごかった。引き込まれるように目が離せなくなり、一気に最後まで観た。  あんなに楽しそうに、笑っている、本当に心の底から笑っている、そんな人たちを初めて見たような気がする。みんなすごく楽しそうだった。心から笑っていた。   自分は、学校で相手(クラスメート)は、裏では本当は何を考えているんだろう、腹黒くて、つい裏のことを考えてしまうけど、DVDでは、そんなことは全くなくて、みんな自然体でとても純粋だった。重要なのは、周りからどう思われるかじゃなくて、自分が楽しんでるかだと思った。   この人たちは、なんでこんなこと、ワークショップをやっているんだろうと思った。利益のため?なんでやってるの?と思ったけど、ただ一緒にいたい、表現したいんだとDVDを観ていて思った。    映画は6ヶ月にわたるワークショップの記録をまとめたもので、本番の舞台も入れて3時間弱の長い映画です。 それを夜中に一気に見た,というのですからすごい!のひとことです。   若い方がこんなふうに受け止めてくれて、ほんとうにうれしいです。(高3だそうです)  「本当に心の底から笑っている、そんな人たちを初めて見たような気がする。」  ワークショップでは,障がいのある人もない人も、お互い笑い合っていっしょに生きていけるような仲間ができるといいなと思っていました。そんな思いが若い人の心にまっすぐに届いた気がしました。  
  • 音を消して見てみたら
      映画『ぷかぷか』ダイジェスト版テロップ付きができました。聴覚障害の方にも映画を楽しんでもらおう、ということで映画を制作した宮沢さんがテロップを入れました。 映画『ぷかぷか』ダイジェスト テロップ入り - YouTube    音の聞こえない人にはこのテロップ付きの映画がどんなふうに見えるんだろう、と実際に音を消して見てみました。当たり前のことですが、すばらしいピアノの音や、みんなのざわめきが全く聞こえなくて、とても淋しい気がしました。いろんな人の、いろんな言葉のやりとり、大きな声、小さな声、つぶやき、みんなのざわめき、台詞が出てこない間合い、歌、ピアノ、歩く音,笑い声、などなど、世界は実に様々な音で満ちていて、それ故に豊かなんだと、音を消してみてあらためて気がつきました。  音がある世界が当たり前、と思っている私たちにとっては、音を消した映画はやはり淋しい世界、という風に思ってしまいます。では、音の聞こえない世界に生きている人たちは、いつもこんな淋しい世界に生きているのかというと、どうもそうじゃない、音の聞こえない世界を、もっと違う形で受け止めているんじゃないか、そんな風に思いました。  ワークショップの進行役として参加していただいた『デフパペットシアターひとみ』(音の聞こえない人たちと聞こえる人たちがいっしょに人形劇を作っている)の人たちの舞台に出会う中で、音が聞こえない世界の豊かさを私は教えてもらった気がしています。 <a href="http://deaf.puppet.or.jp" data-mce-href="http://deaf.puppet.or.jp">デフ・パペットシアター・ひとみ - Deaf Puppet Theater Hitomi</a> デフ・パペットシアター・ひとみ - Deaf Puppet Theater Hitomi    昨年11月におこなった『表現の市場』に登場したデフパペットシアターひとみの舞台は、表現される世界の質の高さにおいて群を抜いていました。特に宮澤賢治の人形を使った静謐な舞台は、詩と重なって、背中がぞくぞくするほどでした。プロとアマの違いはあったにせよ、聴覚障害のある人たちの創り出す世界の豊かさを見せつけられた気がしました。    音を消して見ると、聴覚障害の人たちの生きる世界に、ほんの少しふれることができるかも、などとYoutubeの説明に書いたのですが、なんとも浅い感覚だったと、実際に音を消して映像を見てから気がつきました。 音を消してダイジェスト版を見て淋しいと感じるような感性ではなく、音が聞こえないが故に、何か研ぎ澄まされた感覚で世界を感じ取ってるのではないかと思ったのです。  聞こえないが故に感じ取れる世界。その世界をデフパペの人たちにもっともっと教わりたいと思いました。    今年のワークショップにもデフパペットシアターの人たちに進行役としてきてもらう予定です。ワークショップで作った芝居の発表は来年2月14日(日)みどりアートパークのホールでおこなう『表現の市場』でやります。楽しみにしていてください。ワークショップは9月スタート、毎月第三土曜日にみどりアートパークリハーサルルームでおこないます。前日のリハーサルも含め全7回です。詳しい内容はホームページの『ワークショップ』のタグをクリックしてください。問い合わせなどは    pukapuka@ked.biglobe.ne.jp      
  • るるぶでぷかぷか
      るるぶでぷかぷか、と書くと,なんのこっちゃ、という感じですが、「るるぶ」という本で「ぷかぷか」が紹介される、という話です。  で、今日、るるぶ情報版『るるぶ横浜線沿線』という本の編集者が取材に来ました。  どうして「ぷかぷか」に来たんですか?と聞くと、読者からのリクエストがあったからだそうで、これはうれしい話でした。ぷかぷかのパンがおいしいと感じたり、ぷかぷかの雰囲気がいい、と思う人が増えてるのかなぁ、と思いました。  十六穀パンの生地で自家製のあんこを包んだプレミアムあんパン、クリームパン、カレーパンなど試食していただいたのですが、どれも絶賛していました。  おもしろかったのは「ぷかぷか」で働いている障がいのある人たちの作品に興味を持って写真をバチバチ撮っていたことです。  「るるぶ」はあくまでお店の情報誌であって、その情報は大概これがおいしいとか、ここが見どころ、といった記事が多いと思うのですが、そういった情報の中に障がいのある人たちの情報が入る、ということです。  取材に来られた方も、なんだか取材の範囲を超えてるわ、とかいいながら楽しそうにメンバーさんの描いた絵や作品の写真をいっぱい撮っていました。理屈抜きにいい!これで食べていけるんじゃないか、と、もうべたほめでした。  今日の取材からどのような記事が生まれるのか全くわかりません。でも、どこかいいお店ないかな、って「るるぶ」を開いた人が、予想もしなかった障がいのある人たちの働くお店を見つけ、そこはちゃんとしたおいしいパンを作っていて、味のある絵を並べていたり、そんな絵から生まれた素敵な商品を並べている、といったことの発見は、なんだかすごくおもしろいなと思うのです。  「コトノネ」という雑誌があります。障がいのある人たちに関わりにある人たち,関心のある人たちが読む雑誌です。その2月号に「ぷかぷか」の記事が載りますが、それよりも「るるぶ」に載る「ぷかぷか」の記事の方が、本を読む読者層を考えるならば、はるかにインパクトがあって面白いと思いました。そして何よりも、こういう広がりこそ大事な気がします。るるぶのような本の読者にこそ、ぷかぷかのメッセージを伝えたいと思いました。  3月下旬に書店に並ぶようです。本の名前は るるぶ情報版『るるぶ横浜線沿線』です。    
  • 思いを込めた新しいチラシ
      思いを込めた新しいチラシが完成しました。ぷかぷからしいほんわかした雰囲気のチラシです。B5二つ折りの4ページ。  1ページ目。みんなでルバン種のパンを担いでいます。障がいのある人たちと、いっしょにパンを担いで生きていこうと思うのです。いっしょだから、こんなに大きなパンも担げます。彼らとは、いっしょに生きていった方がいいよ、って。      2ページ目。子どもがクリームパン(ぷかぷかで一番人気のパン)を持っている絵と、ぷかぷかのメッセージを重ねました。いちばん見て欲しいページです。  ぷかぷかには、毎日子どもたちがたくさんやってきます。子どもたちは、クリームパン食べながら、ぷかぷかをしっかり見ています。子どもたちが大きくなって、社会を担うようになったとき、ぷかぷかのようなお店が、当たり前のように街のあちこちできるといいなと思っています。    3ページ目。各お店の紹介ページです。5年目でこんなにお店が増えたんだ、と自分でもびっくりするようなページです。どのお店も、心がほっこりあたたまります。ぜひお出かけください。    4ページ目。ぷかぷか三軒長屋の前のスペースは、こんな雰囲気になればいいな、という思いで絵を描いてもらいました。パンや、お惣菜や、アート商品を買うだけのお店ではなく、ここに来ると、なんだかホッとした気分になって、ちょっと自由になれて、絵を描いたり、楽器を弾いたり、お茶飲みながらぼんやりしたりして、ちょっとだけ元気になれる広場。誰かと友だちになったり、誰かといっしょに何かを作ったり、誰かとおしゃべりしたり、知らないうちに人と人とがつながれる広場。その軸になるのが、ぷかぷかで働いている障がいのある人たち。彼らがいるからこそ、こんなすてきな広場ができます。      チラシはお店に置いてあります。何枚でも持って行ってください。ぜひお友達に配ってください。こんな楽しいお店があるよ、って。  遠方の方にはメールで送り先を教えていただければ郵送します。  pukapuka@ked.biglobe.ne.jp
  • わくわくすることは…
     朝、完成したばかりの映画のDVDを持ってきた宮沢さんと会いました。  映画の上映会の時に、昔書いた本と、今のぷかぷかを語るような本を書いて売りたい、と話をしたところ、  「タカサキさんは思いが熱すぎるから、第三者の少し冷めた目でぷかぷかを書いた方が、読む人には伝わるんじゃないの」  といわれてしまいました。全くその通りだと思いました。 「じゃあ、宮沢さん書いてよ。文章うまいし(以前、超未熟児で生まれた娘さんのことを書いた『ミラクルベイビー』には、泣かされたことがあります)、映画を見てぷかぷかへの宮沢さんの思いも,すっごくわかったし、宮沢さん書いてくれるとうれしいな」 というと、 「う〜ん、上映会用の映画の編集が終わったら考えてみる」 と、まんざらでもないようでした。  宮沢さんの今回の記録映画には、ナレーションが全くありません。インタビューと、ぷかぷか日記の言葉だけで、メッセージを組み立てています。組み立て方がすばらしくうまいと思いました。  宮沢さんの『ぷかぷか物語』を見た感じがしました。その語り口が、ほんとうにうまいです。  表現の市場での本番舞台の映画を見る前に、カメラを回しっぱなしの映像を見ていたのですが、宮沢さんの編集した映画を見て、  「映画を編集するって、こういうことか」 って、宮沢さんの力をまざまざと見た気がしました。だらだら続く映像が、編集することで、一つの物語になるんですね。その物語は、宮沢さんのぷかぷかへの熱い思いそのものでした。  発表会の舞台は,それ自体が一つの物語であり、すばらしい作品です。でもそれを編集すると、元の作品以上の物語というか、もう一つの物語、つまり『ぷかぷか物語』が見えてくるんですね。『森は生きている』ぷかぷか版、を語りながら、実は、もう一つの物語を語っていた、というわけです。  上映会用に1時間ぐらいに編集してもらえないか、と何度も頼んでいるのですが、本番の舞台の37分間は絶対にさわりたくないので(つまりそのまま見せたい)、1時間に編集するのは無理!と強く言い張っています。本番の舞台の映像はそのままでないと、あの舞台の良さは伝わらない、というわけです。  DVDのdisc1は本番の舞台をそのまま使い、その前後に編集した映像を入れているのですが、それだけで、伝わってくるのものが全く違っていました。  そんなワザを持っている宮沢さんに、ぜひぷかぷかの本を書いて欲しいと思いました。ぷかぷかがやっていることの意味が、客観的に見えてくると思います。  楽しみですね。こういうことは、楽しみにしていると、案外実現するものです。ですから本気で楽しみにしてましょう。私も本気でぷかぷかの本をまとめたいと思っています。二つが並ぶと、すっごくおもしろいと思います。中からの目線で書いた本と、外からの目線で書いた本と。それに映画が重なったら、どれほどおもしろいことになるか、考えただけでわくわくします。  わくわくすることは、実現しないと損!です。またしても「お〜し、やるぞ!」っていう気が起こってきました。      
  • 取材の突っ込み方が半端じゃない
     ワークショップの助成金のことで「ヨコハマアートサイト」の方と相談しました。半分は向こうの取材もあって、こちらが時間にすれば五分の四くらいでした。「障がいのある人たちとアート」がテーマで,今度アートサイトの本で特集を組むそうです。  アートサイトの方は、私が昔書いた『街角のパフォーマンス』という本を絶賛していて,ちょっとびっくりでした。 街かどのパフォーマンス|太郎次郎社エディタス 街かどのパフォーマンス|太郎次郎社エディタス    30年ほど前の本ですが、今読んでも全く古くない、今の時代に十分通用する内容だ、といっていました。今やっている「ぷかぷか」も、この本に書いていることが原点になっていると思います。アートサイトの方は昔私が働いていた養護学校の歴史も調べ、どうしてあの「芝居小屋」のような自由な空間が学校の中でなくなってしまったんだろう、としきりに残念がっていました。まぁ、これは、そういったことを引き継ぐ人がいなかったことと、学校の中の管理が厳しくなったことが原因としてあげられると思います。でも、大事なことは、昔のことを残念がるよりも、今、自分の周りで、あの「芝居小屋」のような、みんなが自由になれる場を創り出すことだと思います。去年やったワークショップの場は、まさにそれにあたります。  更にびっくりしたのは国会図書館のサイトで「高崎明」に関する資料がないか探しまくったそうで、昔書いた雑誌「公明」のデータがあったとそのコピーを持ってきました。国会図書館というのは議員だけが読む図書館かと思っていましたが、どうもそうでもないようで、やはりここにはいろんな資料を入れておいた方がいい、というアドバイスをいただきました。  最近いろいろ取材に来る方が多いのですが、アートサイトの方は突っ込み方が半端じゃない感じがしました。いつもは質問に対し適当に応える、という感じですが、今回は一生懸命考えないと応えられないような質問ばかりで、ちょっと疲れました。でも、緊張感ある楽しい時間でした。  いずれにしても昔やっていたことを振り返るいい機会になりました。アートサイトの方、ありがとうございました。  
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