ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • ちょっとだけが5年分積み重なって
     先日「見当違いの努力をしてきました」 見当違いの努力をしてきました - ぷかぷか日記pukapuka-pan.hatenablog.com を載せたところ、いろいろご意見いただきました。その一つを紹介します。               ●●●今、まさにうちでは見当違いなことを必死でやっているのでは?と感じずにはいられませんでした。小さい子供のいる家庭では、障害の有無に関係なく、育てていて「あーしてはダメ」「こーしてはダメ」ダメダメの否定語を子どもたちにシャワーのように浴びせている気がします。「まーまーいいじゃない。やらせてあげなさい」と言ってくれる人が周りにおらず、お行儀の悪いこと、目立った行動をさせてはならないという子供達の言い分や主張を無視した、大人目線のしつけです。もっとおおらかに、自由に育てたいという思いは、必ずどの親も持っているはずだと思います。反面、周りに迷惑をかけてはいけない。という見えないプレッシャーがあるのです。障がい児のいる我が家では、大勢の人の集まる場で大声をあげたり、暴走したりして迷子になることはしょっちゅうです。外出するにはちょっとした覚悟がいります(決して大げさではありません)静かな場で大声を出したらすぐ退散外へ出てと苦情を言われることもしばしば(言われても凹まない心が必要)自由に走り回るので常に目を離せないのはもちろん、すぐ見つけ出せるように目立つ服を着せたり、気をそらせるためのオモチャやお菓子は必須です。外見では分からないので、子供の行動にあからさまに嫌な顔をされたり、同じ障害の子供を持つお友達は、公園で遊んでいても「一緒に遊んではダメ」とは言わないものの「あっちへ行ってはダメ」と自分の子供から遠ざけられたという親御さんもいます。「この子には障害があります」と言ってまわれば反応は違ったのでしょうか?障害があるから何でも許させる訳ではないのは百も承知です。でも、障害があるが故に大勢の人が集まって嬉しすぎて「キャー!」と声を出してしまったり、逆に不安になって逃げ出してしまう。健常者から見て不思議(不気味?)な行動にも、全て理由があることを知ってもらっていれば、「外へ出ろ」の言葉は出てこないのでは?と感じるのです。大声で同じセリフを繰り返し言っていても「あーそうやって心を落ち着かせているのかな」「好きなアニメのセリフかな?」「きっと不安なのかもしれない」と理解してもらえるのではないかと思います。障がい児を持つ親は(少なくとも私は)精神・体力ともに疲れます。将来を考えると不安です。こだわりの強さからの育てにくさや苛立ちは毎日です。正直かわいい我が子でも、放棄したくなる時もあります。だからこそ「早く○○できるように」「○○しないように」 何より「人に迷惑をかけないように」と思ってのことです。それが ’’見当違いの努力’’ だとしたら・・・なんだか気持ちが楽になります。社会の人たちに育ててもらえたら。そのままでいいんじゃない?と個性として見守ってくれる社会だったらどんなに楽だろうを思いました。障がい者、健常者の区別なく、皆がいっしょに個性を認め合っていけたらと思います。辻さんを不思議そうに見つめる男の子の目は、本当にかわいいです。            ●●●  ツジさんの不思議なパフォーマンスと、それを不思議そうに見つめる子ども。   子どもの目にはどんなふうに写ったのでしょう。この子が大きくなって社会を担うようになった時が楽しみです。    「見当違いの努力」と思いつつ、それでも周りからうるさくいわれれば、やっぱり辛いし、へこんでしまいます。「まわりに迷惑をかけないように」とつい思ってしまうのですが、障がいのある人の側にそれを求めるのは、かなりむつかしいものがあります。  そういうことをある程度理解できる方はともかく、理解がむつかしい方がたくさんいます。そういう場合は、親子で小さくなって生きるしかないのか、となりますが、一方が我慢しているだけで、ここに横たわっている問題は、何も解決しません。  ここにある問題とは、障がいのある人たちを「迷惑だ」と社会から排除してしまう時、排除した社会の側がどんどんやせこけていく、という問題です。多様性をなくした社会は、お互いとても窮屈になります。自由とか、自分らしくある、といったことがどんどん制限され、息苦しい社会になります。    ぷかぷかはこの問題に対し、とにかくお互い知り合う機会を毎日の暮らしの中に作り出そう、と街の中に障がいのある人たちの働く場を作りました。パンを買いに来たついでに、あるいはカフェの食事をしに来たついでに、彼らとちょっとだけつきあってみよう、というわけです。あいさつを交わす、ちょっと言葉を交わす、彼らの身振りを見る、そういうちょっとだけのおつきあいです。  そのちょっとだけが、それでも日々積み重なると、彼らのことが少しずつわかってきます。そうしてそのちょっとだけが5年分積み重なって、彼らに会うと心が癒やされる、という人が増えてきたんだと思います。  この変化がすごいですね。彼らのおかげで、街が本当に変わってきたんだと思います。「彼らを理解しよう」とか「彼らといい関係を作ろう」とか言い続けたせいではなく、彼らの存在が、街を変えたのです。  彼らが、彼ららしく、そこにいること、そのことで街が変わってきた、ということです。  感想を寄せてくれた方が「障がい児を持つ親は(少なくとも私は)精神・体力ともに疲れます。将来を考えると不安です。」と思わなくてもすむような環境ができつつあるんだと思います。    ★あなたの感想、ぜひ聞かせてください。   takasakiaki@a09.itscom.net へメールください。        
  • 5年たちましたーその4 自分らしく生きている人たちが…
     ぷかぷかの大ファンの方にぷかぷかに来る理由を聞きました。             ●●●  言い方が良くないかもしれませんが、社会にいると我慢しないといけないことばっかりで、皆に迷惑をかけない様にと教えられ、自分と違った自分を出すことでコミュニケーションを円滑にし、気づいていない所で疲れています。 彼らの自分らしく楽しく働いている姿を見ると本当に癒されます。彼らのコミュニケーションの取り方も全てまっすぐで、こんな私でも頼ってきてくれるのが本当に嬉しいのです。彼らの行動一つ一つが愛おしい。癒される。この言葉に尽きます。ぷかぷかに行くと毎回思うのが「自分らしくいたっていいんだ。」いつも彼らに元気とやる気をもらっています。もちろん、彼らの「自分らしく居られる場所」を作っているスタッフさんのサポートも素晴らしいのだと思います。             ●●●   私は養護学校で彼らと出会って、何がよかったかというと、自分自身が自由になったことだ、と思っています。彼らには自分を縛る《規範》というものが、ほとんどありません。  はじめて彼らとおつきあいした頃、 「なんて自由な人たちなんだ」 って、つくづく思いました。  養護学校の小学部の教員をやっている頃、お漏らしするたびにパンツを脱ぎ捨て、庭に出て大の字になって寝っ転がる子どもがいました。天気のいい日は本当に気持ちよさそうでした。そばでぐちぐち陰険な顔して注意ばかりしている私よりも、おひさまの光を浴びながら気持ちよさそうに大の字になって寝っ転がっている彼の方がはるかにいい人生を送っている気がしました。そんな彼らと毎日つきあっていると、《規範》に縛られ、不自由な人生を送っている自分の生き方って、なんだかすごくつまらない気がしました。気がつくと、自分を縛る《規範》がだんだん取れてきていて、生きることがとても自由になったというか、楽になっていました。    人生、自由に、自分らしく生きた方が、絶対いいに決まっています。人生の、そんな一番大事な部分を、私は彼らから教えられた気がしているのです。  ぷかぷかで、利用者さんを管理しないのは、自由に生きる、自分らしく生きることの大切さを彼らから教わったことが大きいと思います。自由に生きることができる環境の中ではじめて彼ららしさが発揮できます。管理してしまうと、彼ららしさはなくなります。  管理し、彼ららしさをなくしたようなお店に行ったお客さんが、《ぷかぷか》に来るとホッとします、とおっしゃっていましたが、彼ららしさをなくすような環境は、お客さんにとっても息苦しさを感じるのだと思います。    ぷかぷかがスタートして5年。ぷかぷかに来ると癒やされる、というお客さんが、最近すごく増えた気がしています。スタートした当初は、考えもしなかったことです。ぷかぷかは利用者さんのおかげで、そういうサービス(?)が自然にできているんだと思います。  自分らしく生きている人たちが、地域の人たちを癒やし、元気をプレゼントしているなんて、ぷかぷかはすてきな街を作っているんだなと思います。5年たって、ようやくそういうことが見えてきました。        
  • 5年たちましたーその3 ここにしかない価値!
     「カフェで元気に笑顔で働いている利用者さんを見ると、心が癒やされます、だからまた行こうと思うのです」と言ってくださるお客さんが何人もいます。  5年前、カフェを開く前に接客の練習をしたことがありました。接客に詳しい講師に来ていただいて、講習会をやったのです。講師の方のいうとおりにやれば、確かに「正しい」「いい接客」ができる感じでした。でも、マニュアル通りにやるというのは、なんかつまらないなと思いました。利用者さんの持っている味というか、魅力が全く出せない感じでした。いや、むしろそういうものは出しちゃいけない、という雰囲気でした。マニュアル通りに管理された接客です。マニュアル以外のことはやっちゃだめなんですね。彼らの持っているなんとも魅力ある味が出せないなら、全然意味ないじゃん!と思い、講師を呼んでの接客の講習会はそれ一回でやめました。  私は養護学校の教員をやっている頃、彼らに惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたい、一緒に生きていった方が「得!」と思って、彼らと一緒に働くお店を開きました。そのお店で、惚れ込んだ彼らの魅力が発揮できないなら、お客さんの「得!」にならないじゃないか、と考えたのです。お店に来て、彼らの魅力にふれ、癒やされ、ああ来てよかった、と思う「お得感」こそ、ぷかぷかが世の中で勝負できるもの、「ここにしかない価値!」だと思っていました。  ですから、お客さんに不愉快な思いをさせない、というその一点だけ守ってもらえば、あとは利用者さんと現場スタッフに任せようと思いました。利用者さんはみんなまじめですから、どう接客したらいいかを自分で一生懸命考えながら、ものすごく緊張してやっています。緊張のあまり手にしたコーヒーカップがかちかち音を立てている利用者さんもいます。その一途な一生懸命さに打たれた、というお客さんもいました。お客さんは思いもよらないところで利用者さんの働きぶりを評価してくれるのです。  本人に悪気はなくても、お客さんが不愉快になるような言葉を口にし、クレームをいただいたこともあります。そういったリスクを抱えながらも、彼らの魅力を存分の発揮できる環境を「勇気を持って」というより「彼らの力と魅力を信頼して」用意する方が、結果的にはお客さんと彼らの素敵な出会いを作り、リピーターを作ることが、この5年でよくわかりました。最近満席で入れない日が時々あるほどにお客さんが来るようになった一番の理由は、食事がおいしいことと並んで、利用者さんの管理されていない接客にあると思います。  「ぷかぷかに来ると癒やされる」というお客さんの言葉の持っている意味こそ、「ぷかぷか」が街の中にある理由であり、この息苦しい社会を救う手がかりを示していると思います。  彼らの魅力って、社会を変えるほどの、すごい力を持っているんだ、と今更ながらに思うのです。    
  • ドキドキ、はらはら、本音あぶり出しトークセッション
     4月24日(金)にみどりアートパークで「館長トークセッション」に出るのですが、 このチラシを見た方が、 「館長って、どんな人?」 と、レジにいた人に聞き、レジの人は応えられなくて困ったという話でした。急遽館長に連絡、経歴を教えてもらいました。以下、館長さんから送られてきた経歴。   ●●● 昭和29年(1954年)生まれ。61歳。小学校の途中から、中学校、高校時代は横浜市港北区小机に住んでいました。子どものころは引っ込み思案でしたが音楽とお芝居は大好きでした。高校時代から、演劇をはじめ、大学時代には、俳優養成所に通いました。20代は就職せず、アルバイトをしながら芝居をしていました。俳優ではなく、劇作と演出を学びました。20代後半には、或る演出家に弟子入り、そこでも劇作と演出を学び、劇団に所属はせず、プロデュース公演や、よその劇団に戯曲を提供したり、頼まれて演出をしたりしていました。その他、各種イベント、ファッションショー、伝統芸能舞台、国民文化祭ステージなどの構成、演出を手掛けていました。1996年池袋演劇祭にて演出作品が審査員特別奨励賞翌年、池袋演劇祭にて演出作品が大賞を受賞。ひょんなことから、静岡県文化財団にスカウトされ、静岡県立のホールである「グランシップ」にて企画制作プロデューサーとして11年間勤務し、音楽もの以外の全ての催物(子ども向け演劇、能・文楽・歌舞伎・寄席、子ども向け美術イベント、ダンス等)など約400本の事業の企画制作を手掛ける。平成25年、緑区民文化センター(みどりアートパーク)の館長に就任。みどりアートパークでは、アートでひととひとがつながる新しいコミュニティの創造を理想とし、地域の歴史と文化を継承しつつ、その中から新しい文化の創造を目指すことをみどりアートパークの運営骨子としています。そして、誰でも(子どもも大人も高齢者も、障がい者も)気軽にアートに触れられることを目標としています。特に子どもたちに気軽にアートを体験してほしいと、ワークショップにも力をいれています。個人としては、学校の授業やクラブ活動に居場所の見つからない子どもたちにとって、みどりアートパークが新しい居場所となるといいなあと考えています。そんな風にならないかと模索しています。 ●●●   すごい経歴の持ち主なんですね。きっと鋭い質問がズバズバ飛んでくるんだろうな、と今からドキドキしています。 でも、まぁ、ドキドキするくらいの方が、本音のトークセッションができていいのかな、とも思ったり。きれい事でなく、ドキドキ、はらはら、本音あぶり出しトークセッションだぁ!って感じですかね。  ですので、これはもう、来なきゃ絶対損!です。    
  • チューリップ、チューリップ、チューリップ
     近くの公園にチューリップはいっぱい咲いていました。雨に濡れて、とてもいい雰囲気でした。
  • 5年たちましたーその2
      ぷかぷかは5年前、土、日でも閑散とした商店街にお店を開きました。商売のノウハウもなく、全くのゼロからの出発でした。この閑散とした商店街で、素人の経営するお店に本当にお客さんがつくのだろうかと不安でいっぱいでした。  安心して食べられるおいしいパンを作ること、利用者さんと知り合う場を提供し、彼らの魅力を知ってもらうこと。この二つをひたすらやってきました。  国産小麦、天然酵母、安心できるいい材料でおいしいパンを作り続けました。子どもにも安心して食べさせることができるパンは、少しずつ評判がひろがっていったようでした。  おいしいパンを買いに来て、お店のにぎやかな雰囲気の中で、彼らの魅力に気がつく人も少しずつ増えてきました。おいしいパンといっしょに、何か心あたたまるお土産を買い物袋に入れたのだろうと思います。  地域の方といっしょに毎月のようにパン教室をやり、ここでも彼らの魅力に気がつく人たちがたくさんいました。辻さんのうれしそうな顔は、ここで生まれた関係をそのまま物語っています。   月一回発行している「ぷかぷかしんぶん」には、パンの宣伝だけでなく、利用者さんのちょっとしたエピソードなども載せ、彼らの魅力を伝えました。パン屋には来ないけど、しんぶんだけは楽しみにしているという人がいて、「今月はまだ入ってないよ」と声をかける方もいました。しんぶん配布の途中、団地の中で迷子になった利用者さんがいて、地域の方が「ああ、ぷかぷかさんね」と声をかけ、お店まで、迷子になってますよ、と電話をかけてくれたこともありました。毎月発行し続けた「ぷかぷかしんぶん」は50号を超えました。  ホームページも新しく立ち上げ、「障がいのある人たちとは一緒に生きていった方がいいよ」というメッセージを発信し続けました。ぷかぷかのことを語り続けたぷかぷか日記は500本を超え、ホームページのアクセスはもうすぐ80,000に達します。  カフェでは「接客マニュアル」のない接客を利用者さんがやっているのですが、そのあたたかで一生懸命な接客がいい、とお客さんが少しずつ増えてきました。みんなが楽しそうに働いている姿も、お客さんにとってはカフェの大きな魅力になったようです。みなさんの笑顔を見ると、こちらも癒やされるんです、とおっしゃるお客さんが何人もいました。  昨年秋から始めたFacebookページでは一枚の写真と短い文章で、毎日ぷかぷかで起こる小さな物語を発信し続けてきました。ぷかぷかの今をリアルタイムで伝えるすばらしいツールとなっています。ほんの20くらいのアクセスから始まって、今は1週間に1500人から多い時は3000人くらいアクセスしてきます。  そうやってぷかぷかは少しずつ「お客さん」あるいは「ファン」を増やしてきました。時々お店に来る、といった程度ではなく、「コアなファン」がたくさんいるという話も聞きました。うれしい限りです。  今年2月に「アート屋わんど」がオープンした時は、そのオープニングイベントにびっくりするくらいのお客さんがやってきました。            社会から邪魔者扱いされてきた障がいのある人たちの働く場に、これだけの人たちが集まるってすごいことだと思います。ここには社会の希望があります。  全く人のいなかった広場に、こんなにも人を集めることができたこと。これがぷかぷかが5年かけてつくってきた大切な人のつながりです。      
  • いのちを いただく
     読むたびに涙が出てくる絵本です。私たちが日々、いろいろなものを食べて生きていく、たくさんの命に支えられながら、たくさんの命をいただきながら生きていく、というのは、こんなふうに涙が出てくるほど感動的なことなんだ、ということだと思います。そんなことを教えてくれた絵本です。  命をいただく、ということがどれほど大変なことか、パック詰めの肉のスライスが当たり前と思っている私たちには、想像しにくい世界です。でも、本当はそれを想像することで、私たち自身の命もまた豊かなものになる気がします。  肉になる前の命を想像できないまま、残した食べ物を私たちは平気で捨ててしまいます。食べ物を捨ててしまう時、やっぱり何かとても大事なものをいっしょに捨ててる気がします。  この絵本はその大事なものを教えてくれます。  カフェにおいておきますので、ぜひお子さんといっしょに読んでみてください。     すると、女の子が、牛に話しかけている声が聞こえてきました。 「みいちゃん、ごめんねぇ。みいちゃん、ごめんねぇ…」   「 おいしかぁ、おいしかぁ」いうて、食べました。        
  • 5年たちましたーその1
     この4月で、ぷかぷかが誕生して5年になります。お店を始める前は教員をやっていたので、経営に関しては全くの素人。よく持ったよな、というのが素直な思い。たくさんの人たちの支えがあってこその5年でした。  ぷかぷかが始まった頃、かわいい1年生だった子どもが、たくましい体の5年生になりました。キラキラした目の輝きは、世界への好奇心がむき出しになったようで、この5年のすばらしい成長がまぶしいくらいです。  ぷかぷかもそんな成長があったのだろうかと思います。確かに規模は大きくなりました。パン屋とカフェ半分(開店当時、半分は利用者さんたちの食堂兼休憩室だったため、お客さんのテーブルは二つしかありませんでした)でスタートし、今はフルスペースのカフェ、お惣菜、アートが加わって4店舗。利用者さんは10人からスタートし、今は35人になりました。スタッフも7名から始まって今は30名近くになりました。規模が大きくなったことも成長の一つではあるのですが、そういう面だけの成長を言っていても、何かむなしい気がします。5年になった男の子の、あのキラキラした目に匹敵するような成長が、ぷかぷかにもあったのだろうか、ということです。  ハードな面だけでなく、ソフトな面での成長。『新しい価値』といったものをどれだけ創り出せたか、『未来に希望を抱くことのできる新しい物語』をどれだけ創り出せたか、といった面での評価です。    ぷかぷかにはほかの福祉施設からも、よく見学の方がいらっしゃいます。決まって言われるのが 「ここはみんな明るいですね。」 「みんな楽しそうに働いていますね」 という言葉です。  福祉施設の多くは「軽作業」と言われる、ボールペンの組み立てとか、割り箸の袋詰めとか、電機部品の組み立てとかをやっています。 「いつ行っても同じ仕事をやっていて、いつ行っても暗い雰囲気で…」  と、あちこちの福祉施設を見て歩いている方がおっしゃっていました。  ぷかぷかの明るい雰囲気は 「ぷかぷかを明るくしよう」 とと呼びかけてできたわけではありません。やはり仕事がおもしろいこと、その仕事が利用者さんの日々を支え、人生を支えるほどのものであること、といったことがあって、利用者さんの笑顔が生まれ、ぷかぷかの明るさが生まれます。  では、仕事のおもしろさはどこから生まれるのでしょう。  去年、朝日新聞が「ソーシャルビジネス」の特集記事を作るために取材に来たことがあります。最初に聞かれたのは 「どうしてビジネスで仕事をやるのですか?」 ということでした。ビジネスで仕事をやるというのは、街の中できちんと勝負できるもの、ほかのお店に負けないものを作ることだと思います。売れても売れなくてもどっちでもいい、というようなものではなく、ちゃんと売れるものを作る、それがビジネスだと思います。そういう指向を持つことでいいものができるのだと思います。  ぷかぷかを始める時、 「障がいのある人たちが作ったものだから買ってあげる」 パンではなく、 「おいしいから買う」 パンを作ろうと思っていました。  「障がいのある人たちが作ったものだから買ってあげる」とか「障がいのある人たちが作ったものだから買ってもらって当然」とお互いが思い合うような関係の中では、絶対においしいもの、価値あるものは生まれないと思っていました。  街の中でちゃんと勝負できるものを作る、という指向は、仕事に緊張感を生みます。その緊張感こそが、仕事のおもしろさを生むのだと思います。  NPO法人ぷかぷかの理事会で、仕事の現場の見学会をやったことがあります。多くの理事が利用者さんたちの真剣な仕事ぶりにびっくりされていました。この真剣な仕事ぶりも、 「真剣に仕事しなさい」 といってやらせているのではなく、いいものを作っていこう、という思いの中で、自然にできたものでした。  いいものができると、当然のように売り上げが伸びます。売り上げが伸びれば、それを作る人たちのモチベーションは上がります。みんなの笑顔が増えます。その笑顔を見てお客さんが増えます。その好循環をぷかぷかは作ってきました。    その好循環は、地域社会でのぷかぷかの評価、障がいのある人たちへの目線も変えていきました。  NPO法人ぷかぷかは、障がいのある人たちの社会的な生きにくさを少しでも解消しよう、という目的で作りました。街の中に彼らの働くお店を作ったのも、街の人たちと彼らが知り合う機会、出会う機会を毎日の生活の中で作っていこうと思ったからです。この5年で、ずいぶんたくさんの方が彼らと知り合い、出会うことができたと思います。  ビジネスで事業を展開することで、お店に明るさをもたらしました。いつ来てもみんなが明るい顔をして働いていること。これはすばらしい価値を街の中に生み出したと思います。  みんなが明るい顔をして働いている姿を見ることは、とても気持ちのいいことです。「障害」というマイナスのイメージを持った彼らが、街の人たちをいい気持ちにさせるなんて、考えただけで楽しくなります。    5年たって気がついたことを少しずつ書いていきたいと思っています。いろいろご意見いただけるとうれしいです。                
  • 生まれてきてくれてありがとう。あなたと出会えて、ほんとうによかったよ。
     今日はミズキさんの22歳の誕生日。みんなでハッピーバースデーの歌を歌い、小さな花束を贈りました。22歳の抱負は仕事を頑張ることと、魚介類を食べたいことだそうです。  今日の給食はお誕生日メニュー。ミズキさんのリクエストでハンバーグです。    大人になってハッピーバースデーの歌なんておかしい、という人もいましたが、でも、 「誕生日おめでとう!生まれてきてくれてありがとう!あなたと出会えて、ほんとうによかったよ。」 って、お互い思い合える関係を大事にしたいと思うのです。ハッピーバースデーの歌は、そんな風に思い合う時間を作るために必要なのです。  私自身は、彼らと出会えて本当によかったと思っています。彼らと出会えたからこそ、今の楽しい日々があります。ぷかぷかができたのも、彼らとの出会いが、いちばんの出発点です。  世の中に、こんなすてきな人たちがいたんだ、と思えるほどの出会い。それがあったから、彼らとずっと一緒に生きていきたい、と思うようになり、その思いがどんどん膨らんで、ぷかぷかを作りました。  彼らと出会えて、人生がほんとうに豊かになったと思います。こんな楽しい人生になるとは思ってもみませんでしたね。ほんとうに感謝!感謝!です。  ぷかぷかが新しい物語を次から次に生み出し、地域を豊かにしているのも、みんな彼らのおかげです。  生まれてきてくれてありがとう。あなたと出会えて、ほんとうによかったよ。    
  • 見当違いの努力をしてきました
     一昨日載せた《「障害者」って言葉は、何だか違う》という記事を読んだ、辻さんのお母さんからこんなメールが来ました。   《 最新のぷかぷか日記を読ませていただき、感動しました。   こんなにも克博たちと真剣に向き合って下さる方達がいるなんて!   親は否応なく克博たちの世界の一員になりますが、パン教室に来てくださっている方達は積極的に関わってくださっています。凄い!   私に関していえば恥ずかしながら何十年も克博の出来ないことをできるようにしよう、何とか社会に迷惑をかけないようにしよう、と見当違いの努力をしてきました。率直にいって、それが学校や作業所から求められてきたことだからです。   でもぷかぷかでの克博の働きぶりを見て、考え方が変わりました。  そして、今、軽々と今まで私が考えていた越えがたい違いを超えていこう、という機運が感じられます。  親からしたら感謝の念しかありません。  これからも地域で克博が、ぷかぷかの皆が地域の一員として自然に、楽しく生きていけたらな、と思います。》    なんかうれしいですね。ぷかぷかがやってきたことが、保護者の方からこんなふうに評価されるなんて。  「できないことをできるようにしよう」「社会に迷惑をかけないようにしよう」と「見当違いの努力をしてきました」、それは「学校や作業所から求められてきたことだから」  障がいのある人たちはもちろん、その保護者の方も多くは、こんなふうに縮こまって生きてきたんだな、と今更ながら思いました。  もっともっと自分らしく、お互い堂々と生きていけばいいと思うのです。ぷかぷかは素直に自分を差し出している利用者さんたちに支えられています。それがぷかぷかの魅力になっています。    先日、利用者さんの出勤しない日があって、パン屋に来たお客さんが、 「あら、なんかすごく静かで、さびしいわね、ぷかぷかじゃないみたい」 とおっしゃっていましたが、彼らのためにと思って始めたお店が、いつの間にか、彼らに支えられる、彼らが主人公のお店になっていました。彼らがいない「ぷかぷか」は、もう想像できないくらいです。  彼らがいなければ、ただのパン屋で、お客さんはただパンを買って帰るだけ。今の「ぷかぷか」を思うと、なんだかとても淋しい気がします。  うるさいほどににぎやかで、元気があって、よくわからないおしゃべりが飛び交って、つい、クスッと笑ってしまったり、心がキュンとあたたかくなったり、パンを買うだけでなく、何かあたたかいお土産をいっしょに持って帰るような、そんなお店になっています。    いろいろ理屈をこねたり、苦労したりではなく、「彼らと一緒に生きていきたい」とただそのことだけを考えてやってきたら、こんなお店になっていた、というだけです。特別なことは何一つせず、普通に、楽しく、日々やってきただけなのに、知らないうちに、保護者の方に「見当違いの努力をしてきました」と思わせるくらいの「新しい価値」を生み出していた、というところが、おもしろいなと思うのです。    ツジさんは、ほとんど一日中レジのそばで、こうやって手を上げてぶつぶつおしゃべりしながら、お客さんが買ったパンの値段はレジよりも速く暗算で計算します。なんとも不思議な人です。   そのツジさんを見つめる子どもの目がいい。世の中にはこんなお兄さんもいるんだよ。ずっとおしゃべりしてるけど、よーく聞くとすごいことしゃべってるんだよ。計算もすごい早いし、20年前の紅白歌合戦の出場歌手を全部言えたりするんだよ。こういう人と仲良くすると、いいことがいっぱいあるんだよ。       
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