ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 社会が失うものを《想像》して欲しい。
     緑区役所の人権研修会に講師として呼ばれたのですが、私一人で行ってもなんだかつまらない気がして、ぷかぷかのメンバーであるツジさん、アサノさん、コンノさんを連れて行きました。  人権問題について抽象的な話をしても何も前に進みません。こういうことは人権問題になるからやってはだめです、とか、障害者を差別することは人権上許されません、とかの話をしても、「ああ、そうですか」で終わってしまい、何も変わりません。  大事なことは研修会がきっかけで、参加した人の中で何か新しい発見や出会いがあり、ほんの少しであっても、よりよい社会に向かって前に進むことです。そのためには人権問題の当事者、障害者差別に関しては障がいのある人本人に会うのが一番だと考えました。《障害者》という言葉には、社会のお荷物だとか、厄介者といったマイナスイメージばかりが詰まっています。でも、本人に会えばすごく楽しくて、心あたたまるところもあって、マイナスイメージばかりじゃないよな、ってすぐにわかります。  そういう人と人との出会いこそが、社会をよりよい方向へ変えていく出発点になると思うのです。  参加者のほとんどの方は障がいのある人たちと接するのは初めてだったようです。ですからツジさんが会場に着いたときからずっとしゃべりっぱなしだったことにちょっとびっくりしたようでした。このびっくりすることも大切な出会いです。  一人ひとり簡単な自己紹介をしてもらいました。ぷかぷかでどんな仕事をしているのか、仕事でおもしろいのはどんなところか、給料は何に使っているかなど聞きました。アサノさんは彼氏の話もしていました。コンノさんは秩父鉄道というマイナーな路線の話をしていました。ツジさんは紅白歌合戦が大好きなので、2005年の出場歌手の名前を全部言ってましたが、これがほんとうにあっているかどうか誰もわかりませんでした。ついでに2014年の歌手も言ってもらい、これはみんなよく知っている歌手なので、それを機関銃のように次から次に名前を言い、これにはみんな驚いたようでした。  驚きの中で《障害者》という言葉に詰め込まれた社会のお荷物だとか、厄介者といったマイナスイメージはどこかへ行ってしまったのではないかと思います。《障害者》といわれながらも、そこにはあたたかな生身の人間がいるということ、泣いたり、笑ったり、日々自分の人生を楽しんでいる人がいるということ、その当たり前のことに気がついたことはとても大きかったのではないかと思います。何よりも彼らと接すると、なぜか心がぽっとあたたまるということ。  そこを押さえた上で今一度《想像力》を働かせて欲しい。《障害者》を社会から排除するとき、私たちは何を失うのか、ということを。私たちはそれで幸せになるのか、ということを。  ぷかぷかのプロモーションビデオのプロデューサーの中島さんが撮った映像を紹介します。 www.youtube.com  彼らのインタビューの最後にツジさんに《ヨイトマケの唄》を歌ってもらいました。決してうまいわけではないのですが、しんしんと心にしみるものがあって、歌い終わったとき「ツジさん、ありがとう」といいながら、ついうるっと来てしまい、ちょっと困りました。  どうしてツジさんがこの歌を歌うのか、本人に何度聞いてもよくわかりません。紅白歌合戦で聞いたときいっぺんに気に入ったらしいのですが、そのどうして気に入ったのかがよくわからないのです。しつこく聞くと「勉強するよ」のところ、といったりするのですが、どうしてそこなのか、よくわかりません。そういう説明を彼は一切しないのです。 父ちゃんのためなら エンヤコラ 母ちゃんのためなら エンヤコラ もひとつおまけに  エンヤコラ 今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄  工事現場の昼休み たばこふかして 目を閉じりゃ 聞こえてくるよ あの唄が 働く土方の あの唄が 貧しい土方の あの唄が  子供の頃に小学校で ヨイトマケの子供 きたない子供と いじめぬかれて はやされて くやし涙に暮れながら 泣いて帰った道すがら 母ちゃんの働くとこを見た 母ちゃんの働くとこを見た  姉さんかぶりで 泥にまみれて 日にやけながら 汗を流して 男に混じって ツナを引き 天に向かって 声をあげて 力の限り 唄ってた 母ちゃんの働くとこを見た 母ちゃんの働くとこを見た  なぐさめてもらおう 抱いてもらおうと 息をはずませ 帰ってはきたが 母ちゃんの姿 見たときに 泣いた涙も忘れ果て 帰って行ったよ 学校へ 勉強するよと言いながら 勉強するよと言いながら   ツジさんは人とのおつきあいの苦手な方で、会話が成り立たないことが多いので、人の生きることについても、それほど考えてないんだろうな、とつい思ってしまいます。でも、この《ヨイトマケの唄》を一度聞いただけで気に入って、歌詞を全部覚え、人の前で、人の心に響くように歌うところを見ると、人が生きることについて、すごく深いところで見ているように思うのです。  そんな彼も社会の中では《障害者》であり、さげすみの対象です。これこそが人権問題です。人権問題は、私たちの側の貧しさに他なりません。
  • ごちそうさまでした
    うれしいメールが来ましたので紹介します。 ●●● おひさまの台所の皆様   こんにちは。 土曜日は豪華なオードブルを届けて頂いてありがとうございました。 どのお料理もとても美味しかったです。   おじいちゃん、おばあちゃんも一緒に16日に10歳になる息子の一足早い誕生日祝いでした。 障がいの親の会で知って、カフェに伺ったのがぷかぷかさんとの出会いでした。 行く前は利用者さんがどんなところでどんな風に働いているのだろうという興味と応援の気持ちでしたが、伺ったら美味しいから、雰囲気が良いから、コストパフォーマンスが良いから、好きなお店になりました。 一度オードブルを頼んでみたかったので、チャンスがめぐってきて嬉しかったです。 おじいちゃんは前から春巻きがお気に入りで今回は他にも色々なお料理が食べられて、おばあちゃん共々大満足してもらえました。 ぷかぷかしんぶんとリーフレットを見ながら、今度はぷかぷかカフェに行ってみたいと言うので、近いうちに連れていってあげようと思っています。 皆でゆっくりと美味しいランチを食べて、お惣菜とパンを買って帰る日を楽しみにしています。 本当にこのたびはごちそうさまでした。
  • 悩むおじさん−2  とても深いところを揺すぶられ…
     近所の悩むおじさんことオーヤさんがワークショップの感想を送ってきました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  発表会の直前のワークショップに仕事が休めなくて参加できないかもと言っていたオーヤさん、仕事が忙しいのにワークショップがますますおもしろくなって、更に悩みが深くなったようです。 ●●●  今回、チームに分かれて「挨拶を無視される」「さいふを落とした」「こまっている」の芝居をすることや、皆でむっつり大王のお面を作り嫌なことを言うことを初めてやりました。 芝居では、それぞれのテーマについて、どのような場面を表現するかを皆で考え発表しました。「さいふを落とした」という芝居では、実際はもっと焦りそうだけど、思ったことを表現できない、もどかしさがありましたが、ヨッシーが穴を掘って財布をさがす芝居をしたときは、驚きとともに、笑えました。こんなことは思いつかないし、できないという感じです。  芝居を通し、普段の生活では、考えないことや感じないことを経験することができました。 芝居の面白さってこんなところにあるのかと思いました。  むっつり大王では、各々がイメージするむっつり顏のお面を作り、かぶって嫌なことを言いました。お面をかぶるだけで、普段言えないことを言えたことに驚きました。  むっつり大王が登場する劇は、どんなことになるか予想できませんが、面白くなりそうです。 非常に楽しみです。 ●●●  発表会直前のワークショップ、オーヤさんはどうするのかなぁ、と楽しみにしています。仕事を取るのか、ワークショップを取るのか、まじめなサラリーマン人生を送ってきたオーヤさんにとっては、人生の大きな分かれ目と言っていいほどのこれは出来事になると思います。  私の話を聞いて、なんだかおもしろそうって思ってワークショップに参加したのですが、まさか自分の人生とこういう形で向き合うことになるとは思ってもみなかったのではないかと思います。でもね、こういうことがあるから、ワークショップはおもしろいんですよ。それだけワークショップでやっていることは、人間にとって、とても深いところを揺さぶるのだと思います。  ちょっとだけですが、新しい人生が始まるのか、それとも今まで通りの人生なのか。どちらが正しいというものでもありません。大事なことは思いっきり悩むこと。悩んで悩んで悩みきって欲しいなと思います。
  • なんだか面白い、特別なお兄さんお姉さんたち
    ぽんちゃんから再び娘さんがワークショップに参加する理由についてメールがありました。   ●●● 昨日ははっきりとは書かなかったのですが 娘に「障がい」や「障がい者」という言葉を使ったこともないし 教えたことがありません。   カフェベーカリーぷかぷかで働く人たち=ぷかぷかさん   私は娘にメンバーさんたちのことをそう伝えているし、 娘もそのまま認識しているはずです。   「障がい」という言葉や概念を知らない娘にとって メンバーさんたちは、他の大人たちとどこも違わないのだと思います。   それどころか、自分が出逢った大人たちよりも なんだか面白い、特別なお兄さんお姉さんたちだと思っているのではないでしょうか。   以前、ぷかぷか5周年イベントで辻さんの歌を聞いたことがあります。   歯磨きしながら歌う姿がおもしろくて仕方がなかったようで、 家でもよく「歌のお兄さん」の話をしていました。   そして、しばらく後のパン教室に参加した時に、試食の時間、辻さんが娘の隣にすわって来ました。 その瞬間、娘はこっそりと、すごーく、嬉しそうな顔をしたのです。   それは、例えば「有名人が偶然隣の席に座ってきた」ときのような びっくりやら嬉しいやら、恥ずかしいやら、何とも言えない感覚というか…   端から見ると、そんな感じに見えました。   娘にとってメンバーさんたちは、テレビに出ている人たちに近いような存在なのかもしれません。 よく子ども番組に出てくる、歌のお兄さんやお姉さんのような。   ああ、だから、そんな憧れで大すきな人たちとワークショップでたくさん触れ合えて 距離が近づいて、それで嬉しいのかもしれませんね。   娘がワークショップを楽しみにしている理由は、きっとひとつではないのかもしれません。   これからの娘がメンバーさんたちとどういう関係を築いていくのか、楽しみです。 また次回、娘と一緒に参加させていただきます。  
  • 街の宝
     セノーさんが毎日のように行っていたマックのお店が閉店したと、従業員の方から連絡がありました。以前にもわんどのワークショップに参加され、セノーさんの働くところを見ることができてよかった、とメールがありました。  「健康のためにマックは買いません」なんて、わざわざマックのお店に行って言うなんて人はセノーさんぐらいしかいません。それでもこんなあたたかな関係ができてしまうんですから、セノーさんてすごい人だな、なんて感心してしまいます。こういう人はやっぱり街の宝だと思います。 ●●● 私は中学校の支援学級の仕事をしながら時々セノーさんのお家の近くのマックで働いています。何年か前はセノーさんは毎日のように仕事帰りにきてはセットを買って帰ってましたが最近は身体に悪いからと挨拶だけで帰っていきます。お店で働く私たちにとってセノーさんは買わないけれど大切なお客様です。顔を見ないとどうしてるかしらと心配になります。セノーさんの健康を考え私たちも買わないで帰るように話をしてますので安心してくださいね。今日は金子先生のワークショップも楽しかったのですがセノーさんの働くところを見ることができたこと、そしてぷかぷかがとっても素敵な場所だとわかり最高の一日でした。 ●●● 数日前、閉店のお知らせが来ました。 ●●● けんちゃんが毎日のように顔だしてくれたマクドナルドのお店は11月30日をもって閉店いたしました。今まで楽しい会話ありがとうございました。これできっと痩せますね。目も白くなりますね。 ●●● Facebookでメッセージが送られてきたので、送り主のFacebook見たら写真が載っていて、セノーさん、「あ、よく知ってるよ」と大喜びしていました。よほど親しくしていたのでしょうね。 「ねぇ、セノーさん、目も白くなりますねって書いてあるんだけど、白くなった?」  
  • 豊かな地域に暮らせることに感謝しています
    近所の子どもが、今度ぷかぷかに「ありがとうカード」をプレゼントしてくれるみたいです。メンバーさんが一枚一枚思いを込めて描いている「ありがとうカード」を近所の子どもがまっすぐに受け止めてくれて、そこからまたおもしろい物語が始まって…。「ありがとうカード」が作り出す地域の豊かさです。   5歳の次男坊、海慈がおもしろいものを作っていました。海慈は、ぷかぷかさんからいただくありがとうカードが大好き。お買い物に行くと、あの絵がいい!やっぱりこっちがいい!と散々迷った末に、たくさんのカードの中から選ばせていただいています。(お忙しいのにお付き合いくださってありがたいです。。。)帰宅すると、メンバーさんが描いている味わいある絵をじっくり見ながらありがとうカードを引き出しにしまいます。これは僕がもらったものこれはお母さんがもらったものこれはお兄ちゃんがもらったもの、、、いつまでも覚えています。いつしか、我が家ではありがとうカードを引き出しにしまうのは海慈の仕事になりましたそんな彼が先日、大量の折り紙をはさみで切っていましたくりかえしくりかえし随分長い時間をかけて四つ切りにしています見守っているとこんどは、一枚一枚絵を描き始めました。これもまたじっくりと長い時間をかけて描いているのです。いつもはさらさらと描いては私に見せてくれるので何かとても集中しているなあ、、と私も興味津々。ざっと数えて見ると100枚近くあります。しびれを切らして『何を作っているの?』って尋ねてみました。そうしたら『ありがとうカードだよ』『僕が、ありがとう!って渡すの』ああ!!!なるほど!やっと繋がりました!*****もしかしたらぷかぷかさんでのお買い物の時にかいじからのありがとうカードがプレゼントされるかもしれません。その時は、どうぞもらってあげてください〓いつもぷかぷかのみなさんからのあたたかい「ありがとう」をいただいています。豊かな地域に暮らせることに感謝しています。
  • 「福祉」は「新しいカルチャーを生み出し得る創造的作業」
    昨日、読売福祉文化賞の授賞式に行ってきました。    審査員の一人が、「読売福祉賞」ではなく「読売福祉文化賞」となっている理由について話してくれました。    《「福祉」という言葉から抱きがちな「施し」のようなイメージを打破し、本来はそこから新しいトレンドやカルチャーを生み出し得る創造的作業だと思うからあえて「福祉文化」と表現しました…》    すばらしい発想だと思いました。「新しいカルチャーを生み出し得る創造的作業」という言葉がいいですね。目から鱗、というか、仕事、もっともっとがんばろうって思いました。  「福祉」が「新しいカルチャーを生み出し得る創造的作業」として機能するなら、社会はもっともっと豊かになると思います。  障がいのある人たちと地域の人たちが一緒にやる演劇ワークショップは、30年ほど前に始めたのですが、当初から、ここで生み出すものは「新しい文化」じゃないか、って言っていたのですが、振り向く人は全くいませんでした。それが今、「新しいカルチャーを生み出し得る創造的作業」として認められ、ほんとうにうれしい気がしました。  ワークショップだけでなく、ぷかぷかの日々の仕事も、障がいのある人たちが、ありのままの自分でいられる場所を作り出したり(障がいのある人たちにとって、その親御さん達にとって、これは希望の物語です)、彼らのありのままの姿が、たくさんの「ぷかぷかのファン」を作り出し、それが地域社会を豊かにしていることを考えれば、新しい文化を生み出している創造的な作業ではないかと思ったりするのです。        
  • 娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見て とても居心地よく、楽しかったのではないか。
    ぽんちゃんからワークショップの感想が届きました。子どもがどうして長い時間にわたるワークショップに参加できたんだろう、という疑問から見えてきたすばらしい感想です。   ●●● 2回目のワークショップに参加してから、ずっと不思議に思っていたことがあります。この日、6歳の娘を初めて連れて参加しました。私が「ぷかぷかに行く」というと、「一緒にいく!」と言ってついてきたのです。9時から16時まで、そんなに長い時間を室内で過ごせるわけがないだろう。私はワークショップの中に入り込んでしまうので、 娘は途中で飽きてしまうだろうから、お昼からはパパに迎えにきてもらおう。そんな気持ちで参加したのですが、お昼になっても「最後までいる!」と言う娘。全くの予想外でした。なぜ、娘はここにいたがるのだろう?そんなに内容に参加しているわけでもなかったので、不思議でなりませんでした。そもそも彼女は、注目されることがとても苦手で始めの名前の紹介などは壁にひっついて動かず、ヤダヤダと言うので、代わりに私が娘の紹介をしたりしました。私も、無理にやらせても意味がないと思ったしみなさんも「いいよ、嫌なんだね、大丈夫だよ」という雰囲気があったので娘のことはあまり気にせず、わりとほったらかしにしていました。その後少しして、チームに分かれて、怪獣になるというワークがあり私は後ろの方にいたので、娘を背中に乗せて腰をかがませ、娘に足を伸ばすように言って「しっぽ」を表現させました。それは楽しんでいたようで、後からも何度も「怪獣のしっぽになったあー」と嬉しそうに話していました。 その後、娘が参加したと言えば、歌を歌う時。私が車の運転中によく「ぴかぴかぴかぴか….」と歌うのでそれが気に入っていたのか、あみちゃんのピアノに合わせて一緒に歌っていました。途中であみちゃんから「よお!」という箇所を、動作付きで歌うようにと指示があったことも彼女をとても楽しませていました。それ以外は、他の子どもたちと部屋の中を行ったり来たり、カーテンに隠れたり、ポールに登ったり、きゃっきゃっきゃとやっていたのですが本当に最後まで「もう帰りたい」と一度も言うこともなく、楽しんでいたのです。試しに「また次も行く?」と聞くと「行くーーーー!!!」と大はりきりで答えたのです。どうしてだろう?確かにお友だちと遊んで楽しかったのかもしれないけれどこんなに長い時間室内にいるなんて、ちょっと考えられない….娘がワークショップを気に入った理由が知りたくてずっと考えていたのですが、なかなかピンとこなくて、考え込んでしまいました。3回目のワークショップの日を、娘は心待ちにしていました。最初の名前の紹介は、いつも通り、嫌がって部屋の外まで出て行ってしまいました。ちゃんとドアの影からみんなのことを見ていたようですが...この日は、午前中、他の子どもの参加者がいませんでしたので、もしかしたらすぐに飽きてしまうのかな?と少し心配になりましたが、全くそんなことはなく、ひとりでポールに登ったり、みんなと一緒に歌ったり、部屋の隅っこで見ていたり…お昼からは他の子たちも来たので、一緒に駆け回ったりしていましたが、なんとなく、彼女がワークショップに来たがるのは、お友だちと遊べるからという理由だけではない、気がしていました。それ以外の理由が何かあるんじゃないか?でもやっぱり、答えがなかなか見つかりません。このままでは高崎さんにワークショップの感想を送れない…モヤモヤそんな日々の中、今日、娘が家の中でゆみっちのマネをしたのです。「ゆみっちでーす」ゆみっちがアクションをしながら自己紹介をした時のマネでした。両手を横に広げ、一歩足を前に出しながら「ゆみっちでーす」と言うのです。やけに楽しそうに、何度もやります。私のマネもしていました。「タルトの好きなぽんちゃんです」ケラケラケラケラ笑いながらいろんな人のマネをしはじめました。「ももちゃんは何が好きだった?」なんて聞いてきたりして。「娘の周りにいる大人たちで、こんなに楽しそうにしている大人たちが一体どれほどいるのだろう?」ふとそんなことを思いました。ぷかぷかのみなさんは、私とそう歳が変わりません。見た目はお若い方ばかりですが、娘にとっては「大人の人たち」楽しそうにしているぷかぷかのみなさんを見て(みなさんにつられて)楽しそうにしている、他の大人たち。娘は、もしかしたら、そんな楽しそうな大人たちを見てとても居心地よく、楽しかったのではないか。そんな風に思ったら、ずっと抱えていた疑問がすっと腑に落ちた気がしました。ワークショップ参加者のみなさん、心から楽しそうに参加されています。私も、とても楽しい。そしてもしかしたら、そんな風に自分が楽しんでいる姿を、娘に見せる機会が今まであまりなかったのも。たいてい毎日こなさなければならない作業に追われていてせかせかと「こわい」お母さんをやっているわけですから…誰からも否定されることもなく「こうでなくちゃいけない」というプレッシャーもなくあるがままの自分で、今を楽しんでいる。そんな大人たちの姿が子どもたちの目にどう映ったのか...高崎さんがブログに書いていましたが赤ちゃんの横顔の写真を見ながら思い浮かんだキャプションが「きみがここで見たことが未来の社会を豊かにするんだよ」だった、と。まさに、それなんだ、と思いました。娘がここで目にし、触れて、感じた、ぷかぷかのメンバーさんの「ありのままの姿」は、この未来への希望だったのではないか。ワークショップ(ぷかぷか)は、大人も子どもも「ありのまま」を認められる場です。大人も子どもも、普段は「こうあらねばならない」という見えない何かからのプレッシャーを感じながら生活していますから、それがない場というのは、子どもにとっても新鮮だったのではないでしょうか。そして、ぷかぷかのメンバーさんが「ありのままの姿」でいられているのは「ありのままの姿でいいんだよ」と、認めてくれる確かな存在(高崎さん)がいるからこそ。彼らを見て、彼らと触れて、ありのままの自分を取り戻す大人たち。(高崎さんご自身もそうなのではと感じます)そんな大人たちと同じようにありのままを認められ、心地よく、その場が大すきになる子どもたち。そうした子どもたちが、一体どんな未来をつくっていくのか...改めて、今ぷかぷかのみなさんたちと出逢えたことの意味の大きさを感じています。
  • ありのままの彼らが作り出す豊かなもの
     養護学校の保護者の方から、先日の講演会の感想が送られてきました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  ぷかぷかは「障がいのある人たちが、ありのままの自分でいられること」「そういう形で仕事が成り立つこと」「彼らのありのままがお客さんの心を癒やしていること」、そういったことをこの5年で少しずつ作り出してきました。それは障がいのある人たちの親御さんにとっては「希望」につながる物語だったようです。  障がいのある人たちの多くは、社会の基準に合わせるべく、日々大変な努力をしています。障がいのある人たちの「ありのままの自分は社会の中で通用しない」ということが一般的な通念になっているからです。  でも、ぷかぷかは、その「ありのままの自分は社会の中で通用しない」という一般的な通念を実際の仕事の現場でひっくり返したのではないか、と思っています。ありのままの自分で仕事が成り立っているからです。どうしてそんなふうになったのかを少し書きたいと思います。    私は養護学校で教員をやっているときに、養護学校の子どもたち、生徒たちに惚れ込み、彼らと一緒に生きていきたいと思って、定年退職後、彼らと一緒に生きる場として「ぷかぷか」を立ち上げました。  ありのままの彼らに惚れ込んだものの、仕事の現場でありのままの彼らが通用するかどうかは正直不安でした。接客などというものは全く経験がなかったので、講師を呼んで接客の講習会を開いたりしました。  ところが、期待していた講習会にはなんともいえない違和感を覚えました。要するに接客マニュアルがあって、その通りにしなさいと講師は言うのですが、その通りにすればするほど、《彼ららしさ》がなくなっていくのです。  マニュアルにある接客用語(「お待たせいたしました」「かしこまりました」「少々お待ちください」「申し訳ございません」「恐れ入ります」等)は、彼ら自身の言葉ではありません。ですから、この言葉を繰り返すだけのマニュアルは、やればやるほど彼ららしさがなくなって、私にとっては気持ちの悪いほどでした。  彼ららしさがなくなるのであれば、彼らと一緒に生きていきたいと思って始めた「ぷかぷか」の意味がなくなるので、講習会は一日でやめました。  お客さんに不愉快な思いをさせない、ということだけ守ってもらえば、あとは自分の言葉で気持ちを伝えればいい、というところでマニュアルなしの接客が始まりました。ヘタでもいい、心を込めて接客すれば、お客さんにその心はきっと届くと思っていました。   接客マニュアルがなくて、いちばん不安だったのは彼ら自身だったと思います。寄りかかるものがないので、それぞれほんとうに一生懸命考えて接客しました。その一生懸命さがお客さんにはしっかり届いたようでした。  カフェに来たお客さんからこんなメールをいただいたことがあります。    《丁寧に、慎重にコーヒーをテーブルに
おいてくれたお店の方。
心がこもっていて、一生懸命なのが
すごく伝わりました。また行きますネ!》    このときのメンバーさん、緊張のあまりコーヒーカップを持つ手が震えていたのですが、お客さんにはメンバーさんの思いがそのまま伝わっていたようです。心のこもらないマニュアル化された接客ばかりの世の中にあって、ぎくしゃくしつつも自分で一生懸命考えてやる接客は新鮮で、お客さんの心をぽっとあたためたのではないかと思います。  こんなメールもありました。   《メンバーのユミさんが「すごいねー、いっぱい食べるねー」と厨房に話しているのが微笑ましく、明るい彼女にひとときの幸せをいただきました。また、たくさんパンのおかわりをしに、笑顔をいただきに、カフェに行きますね。》    「ひとときの幸せをいただきました」とか「笑顔をいただきにカフェに行きますね」という言葉がほんとうにうれしいです。こんな言葉はマニュアルによる接客からはまず出てきません。   「なんかゆったりとした空間で、すごく良かった。」とか「今日はやわらかい時間を過ごさせていただきました。」といったメールもいただきました。    こういった言葉は障がいのある人たちのありのままの接客が生み出す「新しい価値」といっていいほどのものだと思います。一流ホテルのレストランの接客でも、こんな言葉は多分生み出せません。  それはまた彼らとの新しい「出会い」だと思います。その出会いが生み出した「なんかゆったりとした空間で、すごく良かった。」とか「今日はやわらかい時間を過ごさせていただきました。」といった言葉からは「豊かな空間、時間」がイメージできます。  障がいのある人たちの、あるがままの接客が、お客さん達に「豊かな空間、時間」を提供しているというわけです。「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんがどんどん増えているのも、彼らが作り出す豊かなものにふれたせいだと思います。    ぷかぷかは、「障がいのある人たちが、ありのままの自分でいられる」場所なのです。そしてそのことで今までにない豊かなものを生み出しているのだと思います。  
  • きみがここで見たことが未来の社会を豊かにするんだよ。
     昨日のパン教室の写真は半日で485枚も撮りました。いつもの倍以上撮っていました。どうしてそんなに撮ったのかなぁ、と考えていたのですが、やはり今回はクリスマスパン教室と名付けたことで子どもたちの参加が多く、いろんな思いがあって、ついつい撮ってしまったのだと思います。  以前、映画「ぷかぷか」は単なる記録映画ではなく、「未来への祈り」と書いたことがあります。 pukapuka-pan.hatenablog.com   そして今回、たくさんの子どもたちが参加したパン教室の写真をこんなにたくさん撮ったのも、「未来への祈り」が自然に込められていたのだろうと思います。  かわいい赤ちゃんの横顔を見ながら思い浮かんだキャプションは「きみがここで見たことが未来の社会を豊かにするんだよ」でした。
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