ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 今日もケヤキにあいさつ
     今日も暑い中、文句ひとついわず、いつものようにケヤキが立っています。  黙って、ここに立ち続けること。雨の日も、晴れの日も、うだるように暑い日も、凍えるような寒い夜も、バケツをひっくり返したような嵐の日も、星のきれいな夜も、黙ってここに立ち続けること。  そのことを自分に課し、律儀にそれを守ってきたケヤキ。  いつか木の幹に耳をあて、ケヤキが見てきたこの街の歴史を聞いてみたいと思っています。   ある日 木があいさつした といっても おじぎしたのでは ありません ある日 木が立っていた というのが 木のあいさつです。 そして 木がついに いっぽんの木であるとき 木はあいさつ そのものです ですから 木が とっくに死んで 枯れてしまっても 木は あいさつしている ことになるのです。            (石原吉郎)
  • 彼らの日々を発信することの大事さ
    今朝(8月3日)の朝日新聞声の欄に私(高崎)の投書が載りました。 http://digital.asahi.com/article_search/detail.html?keyword=高崎明&searchcategory=2&from=&to=&MN=default&inf=&sup=&page=1&idx=1&s_idx=1&kijiid=A1001120160803M014-12-011&version=2016102103    編集されているので、いまいちの感じですが、相模原の事件を受けて書きました。  あらためて彼らの日々を発信することの大事さを思います。多くの方は、障がいのある人たちがどんな日々を送っているのか知りません。彼らのことを知らないことが、「彼らは社会の負担になっているだけ」「彼らは不幸だ」「生きる価値がない」といった考えにつながっていきます。  ぷかぷかが日々発信しているのは、彼らの平凡な日々の出来事です。今日もせっせといい一日を過ごしました、という記録です。平凡な、それでいてどこか楽しい日々の積み重ねは、彼らの人生そのものです。彼らは「ぷかぷか」で働くことで、街を耕しています。たくさんの「ぷかぷかのファン」を作りだし、街を豊かにしてきました。  昨日書いたセノーさんは「ああああああ〜」とかいいながら毎日街を耕しています。 pukapuka-pan.hatenablog.com  「ぷかぷか」は彼らに支えられています。彼らがいない「ぷかぷか」は気の抜けたビールのようで、なんの面白みもありません。彼らのおかげでこんなにも楽しい日々を過ごすことができています。こういう雰囲気がいつか社会全体に広がっていくといいなと思っています。  
  • ああああああ〜
    セノーさん、今日も郵便局に入金の仕事に行きました。 窓口に行き、こんな感じで手を振り上げ、   「ああああああ〜、ところでおねーさん、ああああああ〜、あの、ちょっと待って下さい、ああああああ〜、スタンプ台かして下さい」 といいます。 「ああああああ〜」のところはものすごく時間がかかります。窓口のお姉さんは、セノーさんは毎日のように入金に来て、ぷかぷかのはんこを押すスタンプ台を借りに来ることも知っているのですが、あえてすぐにスタンプ台を出さず、セノーさんの言葉が出るまで仕事が忙しくてもずっと待っててくれます。  セノーさんのなが〜い言葉を最後まで聞いてから 「はいどうぞ」 とスタンプ台を渡してくれます。  入金が終わると 「ああああああ〜、ところでおねーさん、ああああああ〜、ありがとうございました」 と、なが〜いあいさつをするのを待って 「はい、ありがとうございます」 といってくれます。窓口のお姉さんもこのやりとりを楽しんでいます。 こういう関係がすごくいいなと思うのです。
  • こちら側の出方次第で、この社会は変わる
     昨日アップした「重い障がいがあっても、こんなすてきな人生…」という記事の中の、事件で犠牲者になった方の名前を出さない問題に対し、 「私は保護者による人権侵害だとさえ思います。彼らは保護者のものではありません。」 というコメントがつきました。間違ってはいないと思うのですが、保護者を責めてもなんの解決にもなりません。問題がそこにはないからです。名前を出さない、出せないことのいちばんの原因、それは、障がいを隠して生きざるをえなかった人たちがいるこの社会こそが問われるべき問題だろうと思います。ですから今回の件は社会全体の人権侵害ではないかと思います。  そんな社会をどうやったら変えられるのか、どうやったら障がいのある人たちへの差別意識をなくすことができるのか、という問いの一つの答えとして、私は6年前、障がいのある人たちの働くお店「ぷかぷか」を街の中に作りました。障がいのある人たちへの差別意識は、彼らのことをよく知らないことから生まれます。ならば、街の人たちにお店で彼らと「いい出会い」をして欲しいと思いました。街の人たちが彼らと「いい出会い」をすれば、障がいのある人たちへの差別意識は自然になくなります。で、実際どうだったのかー  お店が始まった当初は、店頭で大声で宣伝していた「おいしいパンいりませんか」の声がうるさいと苦情の電話が入ったり、同じところを行ったり来たりする自閉の方の行動が目障りで飯がまずくなると言われたり、パニックで外へ飛び出してしまって大声で怒鳴られたり、ほんとうにもう心が折れてしまいそうな日々でした。  それでもこつこつお店を続けていると、彼らに優しく声をかけて下さるお客さんも少しずつ増えてきました。いちばんよかったことは、接客マニュアルを使わずに、彼らのやり方に任せたことでした。それぞれの個性、魅力がそのまま出るような接客に、お客さんはとても新鮮なものを感じたようでした。以来、「ぷかぷかが好き!」とか「ぷかぷかのファンです」というお客さんが少しずつ増えてきました。彼らと「いい出会い」をしたのだと思います。  Facebookページでは、毎日のように「今日はこんなことやりました」「あんなことがありました」という記事をメンバーさんのいい顔した写真と一緒にアップしました。毎日こんなに楽しく働いてるよ、というメッセージです。記事によっては1,000人を超えるアクセスがあります。Facebookページを通して「いい出会い」をしたのだと思います。  社会が少しずつ変わってきたなと実感します。こちら側の出方次第で、この社会はまだまだ変われる、希望を持つことができます。    今回の事件をきっかけに社会の暗部がぐわっと出てきた気がします。「障害者という税金食い潰すだけのゴミを始末した英雄に賞賛の声がツイッターで殺到」などというぞっとするようなネット上の情報には暗澹たる気持ちになってしまいます。そんな社会情勢にあって  「ぷかぷかが好き!」「ぷかぷかのファンです」 という言葉は、もう涙が出そうなくらい光っています。ここには希望があります。ぷかぷかが街に中にお店を作り、毎日街を耕した結果生まれた言葉です。こんな言葉をもっともっと増やしていきたいと思っています。    事件後、障がいのある人たちも一人の人間として認められるような社会になって欲しい、とよく言われるのですが、なって欲しいと思っているだけでは社会は変わりません。やはり彼らと一緒に何か始めること、社会に具体的に働きかけること、そうすれば社会は少しずつ変わっていきます。ぷかぷかを始めて、それは実感としてあります。  小さなことでいい。たくさんの人が小さなことを始めれば、社会は少しずついい方向へ変わります。   パン教室での、こんな小さな出会いが、未来に希望をもたらします。 制作スタッフのぷかぷかさんたちとの素敵な出会いがこのプロモーションビデオを生みました。「いっしょにいると心ぷかぷか」みんながそんな気持ちになってくれるといいなと思います。 www.youtube.com                       
  • 重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージの大事さ
    7月30日の朝日新聞朝刊に、相模原で起きた殺傷事件で犠牲者の名前を公表していないことについての記事がありました。 digital.asahi.com  保護者の要望で名前を非公表としたというのですが、名前はその人の人生そのものであり、名前を公表しないことは、その人の人生そのものがなかったことにならないか、という気がします。  たとえ重い障がいがあっても、こんなすてきな人生、こんな豊かな人生を送ったんだよ、というメッセージは、こんな時こそ大事だと思います。  きちんと名前を書き、この人はこんなすばらしい人生をおくりました、と書き残すことは、亡くなられた方への最低限の「礼儀」であるようにも思うのです。      こんなことは考えたくないのですが、もしぷかぷかでこんな事件が起き、もし犠牲者が出たりしたら、悲しみに暮れながらも私は、犠牲になった方はこういう名前の方で、こんな人生を送ってたんですよ、という話を書きます。悲しくて、悔しくて、やりきれないから、ほんとうにもう毎日書きます。その人が生きた証を残してあげたいからです。障がいがあっても、こんなすてきな人生を、こんな豊かな人生を生きたんだよ、という確かな証です。  そしてそれをたくさんの人たちと共有することこそが、このような事件を防ぐ力になると思います。      「重度障害者は何もできない。生きる価値はない」なんて発言はとんでもないと思います。この記事で紹介されている写真の青年は、お父さんとお母さんの人生をしっかり支えてきました。すばらしい働きだと思います。こんな働きは誰にでもできることではなく、この青年しかできません。  彼が施設で生活することで、施設職員の雇用を生み出しています。食事を作るための食材の業者さんの仕事を生みだし、施設のメンテナンスをする業者さんの仕事を生みだします。つまり、彼が生活することで経済が回るのです。彼がいなければ、こういったことがゼロになります。その経済的な損失を考えると、彼が施設で生活することで生み出すものの大きさがわかります。  そういう働きを私たちがきちんと評価していくことが、今の社会風潮の中ではとても大事だと思います。    記事にそういう掘り下げがなかったことがとても残念です。
  • 包み込む手の優しさにジ〜ンと来ました
    ぷかぷか料理教室。今日はなんと「海陽飯店」のオーナーシェフ鳥海さんに来てもらって、餃子の作り方を教わりました。 www.kaiyou-family.com 鳥海さんとは緑区役所でおこなわれている「地産地消サポート店」の打ち合わせで知り合い、今回ぷかぷかのメンバーさんのために土曜のお昼の営業を休みにしてきてくれました。障がいのある人たちのために何かやりたい、という鳥海さんの思い。頭が下がります。   餃子の包み方の説明のあと、みんなのところを回って丁寧に教えてくれました。   鳥海さんの奥さんも、とても丁寧に教えてくれました。   包み込む手の優しさ。写真撮りながらジ〜ンと来てしまいました。   餃子の皮作りにも挑戦   ヨッシーはチャーハン作りに挑戦   モモコさんは餃子を焼くのがずいぶんうまくなりました。   そうしてできあがり。   すごく楽しかったので、またやりましょう、と鳥海さん。次回は中華菓子を教えてくれるそうです。 鳥海さんの経営する海陽飯店。地元で採れた野菜をふんだんに使ったおいしい中華料理です。ぜひお出かけください。完全予約制のコース料理専門店です。「ぷかぷかのブログを見ました」っていうと、ちょっとサービスしてもらえるかも。  ふだん食べたことのないようなコース料理が並ぶお店です。そんなすごいお店のシェフが、ぷかぷかのメンバーさんのためにお店を休みにしてまで来てくれたことに、ほんとうに感謝しています。鳥海さんの人柄がよくあらわれた今回の料理教室でした。
  • 今日もブルーベリー狩り
     今日もブルーベリー狩りに行きました。    新治市民の森のこんな雰囲気が好きです。 トーテムポールのおじさんも、いつものようにみんなを見守ってくれています。 この道を下ったところがブルーベリー畑です。   明日も行きます。
  • ブルーベリー狩りが始まりました。
     今年もブルーベリー狩りのシーズンが始まりました。今日はそれほど暑くもなく、快適なブルーベリー狩りでした。まだまだ熟し切っていなくて、効率の悪いブルーベリー狩りでしたが、それでも1時間ほどでかなりの収穫でした。      ブルーベリージャム、ブルーベリーデニッシュなどができましたら、また報告します。
  • ぷかぷかの本の表紙にはメンバーさんの絵がいい
      ぷかぷかの本を出版する雷鳥社の社長さんと編集者が打ち合わせに来ました。 www.raichosha.co.jp 写真スタジオを経営し、ビジュアルな本を出しているだけに、ぷかぷかのメンバーさんの描いた絵にはとても興味を持ったようでした。わんどではヨッシーの絵を始め、みんなのファイルを一枚一枚見て、1時間以上も汗だくになって写真を撮っていました。社長さんはプロのカメラマンです。   おしゃべりな野菜たちの絵も写真に撮り、「これはうまくすればいい絵本になる」とおっしゃっていました。    本の表紙は、メンバーさんたちの絵を使おう、タイトルは私の考えた「障がいのある人たちのチカラによる静かなソーシャルイノベーション」は、長すぎるし、ソーシャルイノベーションはわかりにくいので、ただの「ぷかぷか」がいいとかいってました。本の表紙にはそれにふさわしい絵を使うのがいい、ひと目見て、「あ、おもしろそう」って思えるようなそんな本がいい、と頭の中で着々とイメージを固めているようでした。サブタイトルに「福祉が街を豊かにする」と入れると中身をイメージできるということでした。  原稿の締め切り目標は9月末。予定通り書き上げれば年内発行も可能かもという話でした。ぷかぷかを立ち上げ、メンバーさんにとって、ありのままの自分でいられる場所になっているところまでは書いたのですが、そこから先がまだ書けていません。ここからが結構大事なところなので、それが9月末までに書けるかどうか、なんとも不安なところですが、今日熱血社長に会ってまた少し元気をもらったので、楽しく書けそうな気もしています。  ヨッシーに似顔絵を描いてもらい、名刺に使うそうです。
  • 診断を受けた妊婦さんとダウン症児のお母さんが直接話せる機会があれば
     今朝の朝日新聞「声」の欄に出生前診断についての意見が載っていました。    ●●●  「新型出生前診断3万人受診」(17日朝刊)を読みました。出生前診断で染色体異常が確定した妊婦のうち94%が、人工妊娠中絶を選択したという記述がありました。  我が家には生後8カ月のダウン症の娘がいます。生まれたときは驚きも不安もありましたが、ダウン症の子を持つ様々な親御さんと出会い、娘の成長が少しずつ想像できるようになりました。  考えていたよりも多くのことができるようで、成人後は福祉の支援を受けながら、ある程度自立した生活ができることもわかりました。  私が出会ったダウン症の子や家族はみんな明るく、幸せそうです。私自身も、ゆっくりと成長していく娘との生活が楽しみです。  染色体異常の診断を行う病院で、診断を受けた妊婦さんとダウン症児のお母さんが直接話せる機会を設けてはどうでしょうか。ダウン症の子の生活や将来をイメージできるようになると思います。  一人でも多くのお母さんが、染色体異常の診断を受けた子を安心して出産できるようにと願っています。 ●●●    「出生前診断で染色体異常が確定した妊婦のうち94%が、人工妊娠中絶を選択した」のは、なんともやりきれない話です。障がいのある子ども達のことを知らない、ということがこういう結果を生み出しているのだと思います。これは社会の大きな損失だと思います。  障がいのある子ども達は社会の宝だと私は思っています。そんな思いに至ったのは障がいのある子ども達と出会ったおかげです。いろいろ大変なことはあります。それでも尚、それらを超える魅力を彼らは持っています。社会の宝といえるほどの魅力です。  人工中絶を選択する前に、一回でも彼らと出会う機会があれば、そういう選択をしなかったのではないかと思います。あるいはこの投書にあるように、診断を受けた妊婦さんとダウン症児のお母さんが直接話せる機会があれば、気持ちが変わるかも知れません。  ぷかぷかが街にあること、そこで街の人たちが障がいのある人たちに出会うこと、それはこの社会の損失を少しでも減らすことにつながっていると思います。    お互いこんな顔して出会って欲しい。  
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