ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 買えます!
     ダイチさんと配達に行く車の中でいろいろお話ししました。 「毎日コーラ飲んでるけど、自分の小遣いで買ってるの?」 「お母さんに毎日ジュース代もらいます」 「毎日?」 「そう、毎日」 「給料もらって、自分で管理しないの?」 「全部お母さんに渡します」 「ひょっとしてお金の計算ができない?」 「できます」 「じゃあ、ダイちゃんの給料はいくらですか?」 「え〜と、え〜と…」 「じゃあ、クイズで行きます。3,000円、5,000円、1万円、どれでしょうか?」 「3,000円!」 「そんなことないですよ、もっとたくさん渡してます。給食代をひいても1万円は渡していますよ。」 「給料が入ったら何買いますか?」 「映画のDVDです」 「そのときはお母さんからいくらもらいますか?」 「1万円です」 「え〜!1万円も? 3000円の給料で買えますか?」 「買えます!大丈夫です。」 と自信を持って言ったのでした。 こういう人といっしょにいるとほんとうに幸せな気持ちになります。 ダウン症の子どもを持ったお父さんが、「ダウン症の子どもは何も知らなくなる病気だ」などとひどいことを言われ、「息子はすばらしい人生をプレゼントしてくれた。いとおしくて、抱きしめたいくらいだ、病気でも、障がいでもない」と言ってましたが、ダイちゃんといっしょにいると本当にそうだと思います。ダイちゃんといると、毎日すばらしい時間をプレゼントしてくれます。お父さんでなくても、いとおしくて、抱きしめたくなります。    
  • 「ぷかぷか♡大好き♡」FBができました!
     「ぷかぷか♡大好き♡」という「ぷかぷかファンクラブ」FBが、ついさきほどできました。ぷかぷかのファンのひとりGohan Daisukiさんが立ち上げてくれました。  「 ぷかぷかのファン」という方は多いのですが、今まで横のつながりがありませんでした。ファン通しがつながって、お互いぷかぷかの魅力(カフェのあれがおいしかったとか、おひさまの台所のこれがおいしかったとか、パンのあそこがおいしかったとか、ツジさんのしゃべりっぷりが面白かったとか、セノーさんのサボりっぷりが横綱級だったとか、だらだらとした帰りの会の雰囲気にホッとしたとか…)を語り合えば、多分それは今までタカサキが語ってきたような魅力とはちがう、もっと素敵な魅力が出てくるような気がするのです。目の悪いタカサキが見落としている魅力が多分いっぱい出てきます。100個の目が語れば、100個の魅力が出てきます。  相模原障害者殺傷事件のあった今、ぷかぷかの魅力を街の人たちが語ることはとても大事なことだと思います。ぷかぷかの当事者の私が語る以上に、街の人が語ることが大事です。「ぷかぷかが街にあることの意味」は私が語るより、街の人自身が語る方がはるかに説得力があります。彼らの魅力にしても、街の人にとって何が魅力なのかを語る方が、社会に対してより説得力があります。街は社会そのものだからです。  ぷかぷかの魅力を語ることは、障がいのある人たちは街の中にいた方がいい、社会にいた方がいい、私たちといっしょにいた方がいい、いっしょにいて欲しい、ということです。それは、相模原障害者殺傷事件の容疑者のいう「障害者は生きていても意味がない」という言葉に対する、大きな大きな反論になります。「それはちがう」と私たちが言い続けないと、障がいのある人たちはどんどん生きづらくなってきます。彼らが生きづらくなるような社会は、私たちにとっても生きづらい社会です。  そんな今の社会状況にあって、「ぷかぷか♡大好き♡」のFBは、大きな希望になります。  ぜひぜひあなたが感じる魅力を書き込んでください。そしてどんどん拡散して下さい。
  • 毎日新聞「余録」
     毎日新聞1面の「余録」に「ぷかぷか」の話が載りました。 mainichi.jp  限られた文字数で「ぷかぷか」を語るのは至難の業ですが、コンパクトによくまとまっていると思います。こうやって少しでも相模原障害者殺傷事件のことと、「ぷかぷか」でやっていることが話題になれば、と思います。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者は生きていても意味がない」などといい、ここまではっきりでなくても、出生前診断で染色体異常が確定した妊婦のうち94%が人工妊娠中絶を選択した、という現状を考えると、社会全体が障がいのある人たちのことをまだまだ受け入れていないように思います。  そんな中にあって、「ぷかぷか」は日々、こんなことやりました、あんなことがありました、と障がいのある人たちの日々をホームページ、Facebookページで発信しています。障がいのある人たちがどんな人たちで、どんな毎日を送っているのかを発信しているのです。  それはこの人たちと一緒に生きていくと私たち自身が、私たちの街が豊かになるよ、というメッセージでもあるのです。実際、ぷかぷかに来て、彼らと出会い、「ぷかぷかが好き!」「ぷかぷかのファン」になったお客さんがずいぶん増えました。こんなふうにして街が少しずつ豊かになっているのです。  彼らのことを知ること、それがとても大事だと相模原障害者殺傷事件を見てあらためて思うのです。
  • 第三期第一回目のワークショップ
     8月20日(土)、第三期目の「みんなでワークショップ」がスタートしました。第一期目は『森は生きている』、第二期目は『みんなの生きる』をテーマにしました。そして今期は『セロ弾きのゴーシュ』がテーマ、というか、それを元に芝居を作っていきます。  ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係です。「みんなより遅れる」「みんなと合わない」「表情がない」「とけたひもを引きずったような演奏」と楽長にしかられてばかりいます。ゴーシュは一人残って壁に向かって涙をこぼしながら練習します。  そんなゴーシュのところへ毎晩動物たちがやってきます。ネコ、カッコウ、タヌキ、ネズミです。最初は無愛想ですが、それでもゴーシュは彼らのためにセロを弾きます。セロを弾きながら動物たちとのいろんなやりとりがあります。  ゴーシュは毎晩必死になって練習し、そのためにうまくはなるのですが、この動物たちとのやりとりこそが、ゴーシュを成長させます。  その成長がいちばん見えるのが、演奏会の日、「第六交響曲」が大成功し、アンコールの中でゴーシュがたった一人でセロを演奏する場面です。ゴーシュは動物たちがやってきた夜のことを思い出し、すばらしい演奏をします。  オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』には、ゴーシュの成長ぶりがすばらしい音楽で表現されていて、ここは何度聞いてもぞくぞくするほどの場面になっています。  ここを芝居の形で表現できないか、というのか、今回のワークショップのテーマです。  ゴーシュは楽長をはじめ、みんなからいろいろ馬鹿にされるのですが、「みんなより遅れても」「みんなと合わなくても」「表情がなくても」「とけたひもを引きずってても」そんなだめなことがいっぱいあっても、「それでもゴーシュはいた方がいい」といえるようなものを動物たちとゴーシュのやりとりの中で見つけ、それを芝居に形にすることができないだろうか、と思うのです。  それはゴーシュと同じような理由で社会的疎外を受けているぷかぷかのメンバーさんたちからの大事なメッセージになります。「それでも社会にはゴーシュのような人間はいた方がいい」というメッセージ。彼らと一緒にワークショップをやれば、多分それは見つかるのではないかと思うのです。  相模原障害者殺傷事件の容疑者は「障害者は生きていても意味がない」などというめちゃくちゃなことを言っていますが、「それはちがう」ということを私たちは言い続ける必要があると思っています。それば容疑者だけでなく、社会全体が障がいのある人たちをまだまだほんとうに受け入れていないと考えるからです。出生前診断で染色体異常が確定した妊婦のうち94%が人工妊娠中絶を選択した、という現状は社会全体が障がいのある人たちをどんな風に受け止めているかをよく物語っています。  言葉で「それはちがう」というだけでなく、そのことを語る具体的な事実を作っていくことがなによりも大事だと考えています。「支援」などという、どこか他人事の、上から目線の関わりではなく、あくまで彼らの側に立ち、彼らと一緒に豊かなものを作り続けることです。「ぷかぷか」はそのことを地域の中でやってきました。そしてワークショップはまさに彼らと一緒に豊かな文化を創り出すものです。  話をワークショップに戻します。  第三期第一回目のワークショップの報告です。  コミュニケーションゲームの最後に、自分で身につけているものも使ってグループごとに、どこがいちばん長くできるかのゲームをしました。靴や靴下ハンカチ、タオルなども動員して、みんな必死になって腕や足を伸ばして挑戦しました。この必死になる感じがすごくよかったですね。適当にゲームを楽しむのではなく、必死になってゲームをやるとき、人は皮がちょっとだけむけて、ちょっとだけ自由になれます。こんな体験を積み重ねていって、ワークショップはあたらしいものを創り出すことができるのです。  コミュニケーションゲームのあと、オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』のDVDを見ました。原作は30年ほど前に初演され、今回見たDVDは10年前に上演されたときのもので、演出も歌役者もかなり変わっていましたが、それでもこんにゃく座のオペラってほんとうに楽しいとしみじみ思える作品でした。みんな集中して見てくれたので『セロ弾きのゴーシュ』がどういうお話かは十分伝わった気がしました。(DVD見たい方、高崎までメールください。お貸ししますよ。『セロ弾きのゴーシュ』という作品がこんにゃく座の手にかかってオペラになると10倍くらい楽しくなる、ということがよくわかります。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp)  オペラ『セロ弾きのゴーシュ』でゴーシュが家(といっても川端にあるこわれた水車小屋)に帰って夜セロを練習するときに歌う歌「ふをめくりながら」と、タヌキが登場する場面で歌われる歌「てぃーちでぃーる」を練習しました。  ♪ 譜をめくりながら 弾いては考え、考えては弾き…♪  これは左手でチェロを持ち、右手で弦を持って弾くようにして歌うと、とても気分の出る歌です。養護学校で『セロ弾きのゴーシュ』をやったときは、これを真っ先に練習しました。  二曲ともピアニストのあみちゃんが一回歌っただけですぐにみんな歌えるようになり、その吸収力にちょっとびっくりでした。   午後はあみちゃんの紹介でオーケストラで演奏しているチェロ奏者江原さんがチェロの生演奏をしてくれました。そのときの雰囲気をちょっとだけ楽しんで下さい。 「白鳥」 www.youtube.com www.youtube.com   流れ星の音まで入った「上を向いて歩こう」。江原さんによるすばらしいアレンジ曲。 www.youtube.com 「ザッツ エンターテイメント」 www.youtube.com  なんとも贅沢な時間でした。  演奏の終わったあとはチェロやチェロを弾く指を触らせてもらいました。  『セロ弾きのゴーシュ』の発表会(来年1月29日)でもスケジュールが合えば来てもらえるかも知れません。  チェロの生演奏を聴いたあと、みんなでゴーシュの家を訪ねるいろんな動物になったり、ゴーシュに何を頼むかを考えたりしました。  なぜかイグアナが登場  そのイグアナグル−プがゴーシュの役をやり、そこへほかのグループが 「最近眠られないんです。どうしたらいいですか?」 と訪ねてきました。期せずしてツジさんが 「チャン、チャララララン…」 と「禁じられた遊び」を口ずさみ、眠られなくて困っていたグループの人たちが眠ってしまう、という即興の芝居ができました。  イグアナグル−プに入っていたチェロの演奏者江原さんは 「およそ生産性には興味のないまったりグループの中でどうなることかと思いましたが、禁じられた遊びが飛び出してきたときは、ほんとうにびっくりしました。すごい可能性のある人たちですね」 とおっしゃっていました。  こういう反応を積み重ねていくと、今までにない面白い『セロ弾きのゴーシュ』ができあがるのではないかと思います。  発表会は来年1月29日(日)の午後、みどりアートパークホールでおこなわれる『表現の市場』でおこないます。ひょっとしたら本物のチェロの演奏が聴けるかも知れません。
  • 地域の人たちの心を豊かに
      マユミさんが亡くなってちょうど一年になります。突然の旅立ちに、みんなびっくりしましたが、あちこちにしっかりとマユミさんが生きた軌跡を残していました。  この動画はマユミさんのファンでもあった近所のオオヤさんが届けてくれました。ほんの短い動画ですが、オオヤさんの娘さんとマユミさんの、お互い信頼しているあたたかなおつきあいがよく見えます。 www.youtube.com    写真のカメラを見つめるマユミさんからは、マユミさんとオオヤさんのおつきあいが見えてきます。すごくいいおつきあいをしてたんだなと思います。障がいのある人たちを支援するとかではなく、どこまでもマユミさんという人とオオヤさんという人の普通のおつきあいです。   ぷかぷかのプロモーションビデオの中でオオヤさんは 「最初の頃は上から目線で見ていましたけど、今は私たちと変わらない普通の人だなと思っています。ぷかぷかのメンバーさんに耕されたんだと思います」 とおっしゃっていますが、マユミさんとのこんなおつきあいの日々があって、オオヤさんも少しずつ変わってきたのだと思います。    マユミさんはですから、亡くなる直前まで、地域の人たちの心を豊かにしていたのだと思います。いい仕事をしてくれました。  あらためてマユミさんに合掌。   ★マユミさんがMさんでは、ぜんぜん伝わりません。まして、名前がないとなれば、その人の生きた軌跡そのものがなくなります。      
  • セノーさん、ついにマック卒業証書ゲット!
     みどりの家診療所にメンバーさんの健康診断に行きました。セノーさんと廊下で待っているときに、三宅先生が通りかかったので、 「セノーさん、体重が重くて、来週旅行に行くとき、バスが傾くんじゃないかと心配しているのですが、体重を減らすためのアドバイスをしてやってください」 「ああ、大丈夫だよ、やせたタカサキさんと一緒に乗れば、ちょうどバランスが取れていいんじゃないの」 だって。ついでにもう一つ。 「セノーさん、健康になるために、マックの卒業証書が欲しいようなので、書いてもらえませんか?」 と頼むと、ちらっとセノーさんの目を検査し、 「あ、これは健康ですね、更に健康になるために卒業証書を出しましょう」 と事務室に入り、紙とサインペンを持ってきて、本人の目の前で書いてくれました。   書き上げたあと、証書を読み上げてくれました。セノーさん、神妙な顔をして、両手をそろえて聞いていました。   証書を受け取り、 「いや〜、よかったねぇ」 と三宅先生に拍手されると、ほんとうにうれしそうな顔していました。   「もう、マックには行きませんから」 と大きな声で言っていると、たまたま通りかかった理事長が聞いて 「ええ!マック行かないんだって、すごいなぁ」 とほめてくれました。  マック卒業証書の話がすぐに伝わって、みんなで盛り上げてくれる診療所の雰囲気がいいなと思いました。    
  • 区役所でパン教室
      区役所でパン教室をやりました。横浜市教育委員会主催の「子どもアドベンチャー」という企画。子どもの職業体験の一つでパン屋を体験しようということで「ぷかぷか」が選ばれました。パン屋の体験と障がいのある人たちとの交流です。3〜5年の小学生15名と、ぷかぷかのメンバーさん4名が一緒にパン作りをしました。  作ったパンはピタパン、フーガス、バターロールです。それにピタパンにはさむドライカレーとミネストローネスープを作りました。  まず、ぷかぷかのパン製造工程の話をパネルを見ながらやりました。パネル制作はぷかぷかの「アート屋わんど」の人たちです。このアートなパネル、見てください。   生地をこねます。   ドライカレー、ミネストローネスープを作るために野菜を切ります。   発酵の終わった生地を分割、丸め、少し生地を休めます。   ベンチタイムの終わった生地を丸くのばします。これはピタパンの生地。発酵を取らずにすぐに焼きます。   フーガスは丸くのばした生地にチーズをのせ、二つに折りたたんで、また伸ばします。スケッパーで切れ目を入れて葉っぱのようにします。オリーブオイルを塗り、岩塩をのせます。作業的にはこれがいちばん面白かたようで、みんな集中してやっていました。   チカさんは何度も経験しているので、子ども達にやり方を教えていました。 この集中がいい。 しょうへいさんは子ども達と一緒に丁寧に岩塩を乗せていました。 ヨッシーの手さばきを感心しながら見ている子どもがいました。   バターロールの生地を成形します。指で輪を作り、そこに生地を通すとできあがり。この超簡単成形を教えてくれた本日のパン師匠ナガセさんは元ABCクッキングスクールの先生でした。   ピタパンが焼き上がり、中にドライカレーを詰めます。   できあがり!   いただきまーす!   テレビの取材が来ていました。     楽しかったですね。機会があればまたやりましょう。 ぷかぷかパン教室は毎月十日市場地区センターでやっています。ホームページにお知らせを載せますので、見てください。ホームページは「ぷかぷかパン」で「検索」です。  
  • 何だか心が洗われたような気がしました。
      先日取材に来られた毎日新聞論説委員の方から 「何だか心が洗われたような気がしました。」 というメールが届きました。  今までたくさんの記者の方が取材に見えていますが、「何だか心が洗われたような気がしました。」と感想を寄せてくださった方ははじめてでした。  朝日の投書を読んだことがきっかけで、「ぷかぷか」のホームページにたどり着き、とても興味を持ってこられたのですが、私の話だけだと多分「何だか心が洗われたような気がしました。」という言葉は出てこなかったと思います。  たまたま給食から帰ってきたテラちゃんの元気な受け答えや、セノーさんの気のない返事や、まったりした雰囲気の帰りの会に参加する中でその言葉が出てきたのだろうと思います。  当初予定していた取材以上のものが得られたのではないかと思います。  私たちはいくらがんばっても「何だか心が洗われたような気がしました。」といった言葉は引き出せません。彼らはいつも通りやっているだけで、こんなすごい言葉を引き出したわけで、そのことの意味を私たちはやっぱりちゃんと考えた方がいいなと思うのです。   このだらだら、まったりの帰りの会の雰囲気がよかった、と。  
  • 陶芸教室やりました。
    8月13日(土)陶芸教室をやりました。ぷかぷかのメンバーさん8人に、ぷかぷか大ファンの野原さん一家4人が参加しました。  いつものようにお地蔵さん、マイカップ、花瓶を作りました。お地蔵さんは何度作っても楽しいですね。マイカップ、花瓶はずいぶんうまくなった気がします。それぞれに表情があって、すばらしい作品に仕上がりました。お地蔵さんにしろ、花瓶にしろ、どうしてこんなに味のある表情が出るのでしょう。  
  • そよ風のように街に出よう
     『そよ風のように街に出よう』という雑誌があります。関西のおもろいおっちゃんたちが36年前に始めた、すばらしくセンスのいい雑誌です。  創刊は1979年12月。障がいのある人たちに「そよ風のように街に出よう」と呼びかけ、街に出るための情報を障がいのある人たちに届けました。(当時はヘルパーなどの制度もなく、障がいのある人たちが街に出ることは大変なことでした。街に出る、という発想自体がなかった時代です) 同時に普通の市民にも障がいのある人たちがどんな思いで何をしているのかといった情報を届けました。一方的な情報のやりとりではなく、ともに一つの広場、『そよ風のように街に出よう』という文化の広場を創ろうとしたのだといいます。こういう発想がすごいと思います。内容的にみても、様々な情報が行き交い、ほんとうに「文化の広場」だと思います。  みんな手弁当で取材に行き、手弁当で原稿を書き、手弁当で編集、デザインし、発行したといいます。そんな希有な雑誌が89号も続き、あと2号で終刊になります。時代の流れとはいえ、こういう「文化の広場」ともいえる雑誌が終刊になるというのは、時代の文化的状況を反映していると思います。文化的に危機的状況なのだと思います。  編集長の河野さんは、障害者団体の通信物がたくさん届くが、内向きの話ばかりで、ぜんぜん面白くない、障害者自身が社会に対して思いきってガンガン言えるようなものになっていない、といいます。  編集に関わった人たちの座談会では、福祉の現場に、自分たちのやっていることが、社会の中でどういう位置を持っているのかという全体像がない、ということが指摘されていました。政治も含め、社会全体を見ていく視点です。  そういう視点が欠けると、相模原障害者殺傷事件についても、その社会的背景といったものが見えなくなってしまいます。言い換えれば私たち一人ひとりの問題として事件を見ることができなくなる、ということです。    希有な、貴重な雑誌です。ぜひ注文して読んでみてください。 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/soyokaze-newest.htm                
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