ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 区役所でパン教室
      区役所でパン教室をやりました。横浜市教育委員会主催の「子どもアドベンチャー」という企画。子どもの職業体験の一つでパン屋を体験しようということで「ぷかぷか」が選ばれました。パン屋の体験と障がいのある人たちとの交流です。3〜5年の小学生15名と、ぷかぷかのメンバーさん4名が一緒にパン作りをしました。  作ったパンはピタパン、フーガス、バターロールです。それにピタパンにはさむドライカレーとミネストローネスープを作りました。  まず、ぷかぷかのパン製造工程の話をパネルを見ながらやりました。パネル制作はぷかぷかの「アート屋わんど」の人たちです。このアートなパネル、見てください。   生地をこねます。   ドライカレー、ミネストローネスープを作るために野菜を切ります。   発酵の終わった生地を分割、丸め、少し生地を休めます。   ベンチタイムの終わった生地を丸くのばします。これはピタパンの生地。発酵を取らずにすぐに焼きます。   フーガスは丸くのばした生地にチーズをのせ、二つに折りたたんで、また伸ばします。スケッパーで切れ目を入れて葉っぱのようにします。オリーブオイルを塗り、岩塩をのせます。作業的にはこれがいちばん面白かたようで、みんな集中してやっていました。   チカさんは何度も経験しているので、子ども達にやり方を教えていました。 この集中がいい。 しょうへいさんは子ども達と一緒に丁寧に岩塩を乗せていました。 ヨッシーの手さばきを感心しながら見ている子どもがいました。   バターロールの生地を成形します。指で輪を作り、そこに生地を通すとできあがり。この超簡単成形を教えてくれた本日のパン師匠ナガセさんは元ABCクッキングスクールの先生でした。   ピタパンが焼き上がり、中にドライカレーを詰めます。   できあがり!   いただきまーす!   テレビの取材が来ていました。     楽しかったですね。機会があればまたやりましょう。 ぷかぷかパン教室は毎月十日市場地区センターでやっています。ホームページにお知らせを載せますので、見てください。ホームページは「ぷかぷかパン」で「検索」です。  
  • 何だか心が洗われたような気がしました。
      先日取材に来られた毎日新聞論説委員の方から 「何だか心が洗われたような気がしました。」 というメールが届きました。  今までたくさんの記者の方が取材に見えていますが、「何だか心が洗われたような気がしました。」と感想を寄せてくださった方ははじめてでした。  朝日の投書を読んだことがきっかけで、「ぷかぷか」のホームページにたどり着き、とても興味を持ってこられたのですが、私の話だけだと多分「何だか心が洗われたような気がしました。」という言葉は出てこなかったと思います。  たまたま給食から帰ってきたテラちゃんの元気な受け答えや、セノーさんの気のない返事や、まったりした雰囲気の帰りの会に参加する中でその言葉が出てきたのだろうと思います。  当初予定していた取材以上のものが得られたのではないかと思います。  私たちはいくらがんばっても「何だか心が洗われたような気がしました。」といった言葉は引き出せません。彼らはいつも通りやっているだけで、こんなすごい言葉を引き出したわけで、そのことの意味を私たちはやっぱりちゃんと考えた方がいいなと思うのです。   このだらだら、まったりの帰りの会の雰囲気がよかった、と。  
  • 陶芸教室やりました。
    8月13日(土)陶芸教室をやりました。ぷかぷかのメンバーさん8人に、ぷかぷか大ファンの野原さん一家4人が参加しました。  いつものようにお地蔵さん、マイカップ、花瓶を作りました。お地蔵さんは何度作っても楽しいですね。マイカップ、花瓶はずいぶんうまくなった気がします。それぞれに表情があって、すばらしい作品に仕上がりました。お地蔵さんにしろ、花瓶にしろ、どうしてこんなに味のある表情が出るのでしょう。  
  • そよ風のように街に出よう
     『そよ風のように街に出よう』という雑誌があります。関西のおもろいおっちゃんたちが36年前に始めた、すばらしくセンスのいい雑誌です。  創刊は1979年12月。障がいのある人たちに「そよ風のように街に出よう」と呼びかけ、街に出るための情報を障がいのある人たちに届けました。(当時はヘルパーなどの制度もなく、障がいのある人たちが街に出ることは大変なことでした。街に出る、という発想自体がなかった時代です) 同時に普通の市民にも障がいのある人たちがどんな思いで何をしているのかといった情報を届けました。一方的な情報のやりとりではなく、ともに一つの広場、『そよ風のように街に出よう』という文化の広場を創ろうとしたのだといいます。こういう発想がすごいと思います。内容的にみても、様々な情報が行き交い、ほんとうに「文化の広場」だと思います。  みんな手弁当で取材に行き、手弁当で原稿を書き、手弁当で編集、デザインし、発行したといいます。そんな希有な雑誌が89号も続き、あと2号で終刊になります。時代の流れとはいえ、こういう「文化の広場」ともいえる雑誌が終刊になるというのは、時代の文化的状況を反映していると思います。文化的に危機的状況なのだと思います。  編集長の河野さんは、障害者団体の通信物がたくさん届くが、内向きの話ばかりで、ぜんぜん面白くない、障害者自身が社会に対して思いきってガンガン言えるようなものになっていない、といいます。  編集に関わった人たちの座談会では、福祉の現場に、自分たちのやっていることが、社会の中でどういう位置を持っているのかという全体像がない、ということが指摘されていました。政治も含め、社会全体を見ていく視点です。  そういう視点が欠けると、相模原障害者殺傷事件についても、その社会的背景といったものが見えなくなってしまいます。言い換えれば私たち一人ひとりの問題として事件を見ることができなくなる、ということです。    希有な、貴重な雑誌です。ぜひ注文して読んでみてください。 http://www.hi-ho.ne.jp/soyokaze/soyokaze-newest.htm                
  • 毎日新聞の方が取材に
      朝日新聞に載った高崎の投書(8月3日)をみて、毎日新聞の論説委員の方がぷかぷかに取材に来られました。投書にはぷかぷかの名前は載っていなかったのですが、高崎明で検索したら「ぷかぷか」がヒット、ホームページがすごく面白くて、ブログには相模原障害者殺傷事件のこともしっかり書いてあったので取材に来たという話でした。朝日新聞ではなく、毎日新聞の方が取材に来た、というところが面白いですね。相模原障害者殺傷事件についていろいろ思うところがあって来られたようでした。  ぷかぷかのことはひととおりお話ししたのですが、いちばん反応があったのは、メンバーさんと直接お話ししたときでした。たまたまカフェにいたテラちゃんとほんの少しお話ししたのですが、取材に来た方の表情がぐんぐん柔らかくなりました。  「ぷかぷかのウィルスに感染するって話、よくわかりましたよ」 と、その柔らかくなった表情でおっしゃって、ちょっとウィルスがうつったかなと思いました。   セノーさんが郵便局に入金に行くときの話をぷかぷか日記に書いていたのですが、それが面白かったから、と郵便局のお姉さんのところへも取材に行きました。お姉さんたちからは、セノーさんが来るのを楽しみにしていること、セノーさんが来るとすごく楽しいことなどを聞き出していました。  セノーさんにも直接取材していました。セノーさんは気のない返事で、適当に答えていましたが、そのあとごろんと横になり、  「ああ、こんなふうに私も寝たい。こうやって寝っ転がっても誰も文句を言わないところがいいですね」  と、ぷかぷかのいい加減な雰囲気が気に入ったようでした。  帰りの会にも参加し、すっかり溶け込んだようでした。  帰りがけ、ヨッシーに似顔絵を描いてもらい、名刺を作ることになりました。  ヨッシーは鼻をほじりながら似顔絵を描いていました。 この似顔絵と、ぷかぷかのメンバーさんの文字で名刺を作ることになりました。いただいた毎日新聞の名刺よりもぐっと楽しい名刺ができそうです。できあがりましたらまた紹介します。  下のような楽しい名刺ができあがります。こんな楽しい名刺を持って取材に行ったら、相手の気持ちもほぐれ、いいお話が聞けて、いい記事が書けるのではないかと思いました。硬い名刺では、やはり硬い話しか出てきてきません。
  • 彼らの生きている価値がぷかぷかを立ち上げた
     今朝の朝日新聞にダウン症の娘さんを持つ最首さんの話が載っていました。 digital.asahi.com  重度の障がいを持つ娘さんとの生活は、「地獄であることが普通になってしまったような生活だ」と言います。そんな生活にあって尚、「ふっと希望が湧く瞬間がある」と言います。    先日書いたしのちゃんのお話 pukapuka-pan.hatenablog.com  殴られ、蹴られの日々の中で、尚もしのちゃんが好きで好きでたまらなかったのは、やはりこの「ふっと希望が湧く瞬間があった」からだと思います。言葉で説明なんかできません。ついさっきまでぼかすか殴られ、「くそ〜、もう絶対に許さん」と頭に血が上りながらも、遠くを見つめ、やわらかな笑顔を浮かべるしのちゃんの横顔を見てしまうと、とたんに気持ちがなよっとなって、「やっぱりしのちゃんはいい!最高!好き!」となってしまうのです。  この気持ちがなよっとなる瞬間こそが、人が人と出会う瞬間なのかも知れません。人と出会うというのは、その人が生きている価値に出会うことです。ぷかぷかはタカサキが障がいのある人たちとたくさん出会ったことから生まれました。タカサキが彼らと出会うことがなければ、ぷかぷかは立ち上がることはありませんでした。  言い換えれば、彼らの生きている価値がぷかぷかを立ち上げたのです。      
  • 笑顔は魔物だったのかも
    養護学校の教員をやっていた最後の年の話です。 遠くを見つめながら、ちょっと笑ったしのちゃんの横顔が好きでした。言葉をしゃべらないせいか、その横顔には深みがありました。ちょっとほほえんだ弥勒菩薩半跏思惟像のような、そんな深いやさしさをしのちゃんの横顔には感じていました。 しのちゃんのそのときのおだやかな気持ちが全部出ているようでした。しのちゃんがおだやかなとき、私はちょっと幸せな気持ちでした。 しのちゃんはクラスの中でいちばん障がいの重い生徒で、いちばん大変でした。なんの前触れもなく、いきなりぶん殴ってくるような生徒でした。一緒にトイレに行き、二人並んで用を足している最中にも、いきなりパンチが横から飛んできました。そんな状態でしたから、みんな1メートル以内には近づかない、といった雰囲気でした。 私もそうすればよかったのですが、どういうわけか私はしのちゃんが大好きでした。顔面を思いっきり殴られ、鼻の骨にひびが入って、鼻血を出しながらとっくみあいをしたり(高等部の生徒相手のとっくみあいはほんとうに大変でした)、胸に頭突きを食らって肋骨にひびが入ったり、雨のグランドで蹴り倒されてどろんこになったり、ほんとうにさんざんでした。ほとんど毎日のように殴られ蹴られ、もういい加減懲りてもいいのに、それでも私はしのちゃんが好きでした。 どうしてなのか、私自身、よくわかりませんでした。強いていえば、冒頭に書いたしのちゃんの遠くを見つめてちょっと笑う笑顔だったのかなと思うのです。あの笑顔を見ると、すべて許してしまうのです。しのちゃんの笑顔は私を幸せな気持ちにしたのです。殴られた痛み、悲しみ、怒りを全部忘れてしまうほどの幸せな気持ち。 あの笑顔は魔物だったのかも知れません。その魔物が今もぷかぷかを支えています。
  • 「障害者は生きていて意味がある」という事実を作ること
      相模原殺傷事件で、容疑者の「異常性」のみが強調されているようですが、障がいのある人に対する「憎悪犯罪」(ヘイトクライム)を容認する社会の闇の部分を見落としてはいけない気がします。毎日新聞のとてもいい記事を見つけましたので紹介します。 mainichi.jp   「障害者は生きていても意味がない」と主張し、障がいのある人たちを何人も刺殺した今回の事件は、長い時間をかけて障がいのある人たちを受け入れてきた日本の社会全体に対する攻撃だととらえるべきだ、という主張は、ほんとうにその通りだと思います。障がいのある人たちと一緒に生きていこうという「志」に対する攻撃です。  「障害者は生きていても意味がない」という容疑者の主張を否定するには、言葉で反論することはもちろんですが、それ以上に「障害者は生きていて意味がある」という事実を作ることだと思います。少なくとも「ぷかぷか」はその事実を作ってきたと思います。    ホームページ、Facebookページにはその事実がたくさん載っています。 pukapuka-pan.xsrv.jp   Facebookページはこちら https://www.facebook.com/pukapukapan    「障がいのある人たちとはいっしょに生きていった方がいいよ」というメッセージは、「障がいのある人たちと一緒に生きていくことに意味がある」から出しているのであり、それはそのまま「障害者は生きていて意味がある」ことになります。    「障害者は生きていて意味がある」ことが見える具体的な事実を作ること、それが何よりも大事だと思います。 ぷかぷかで働く障がいのある人たちと地域の人たちが一緒に6ヶ月かけて作った芝居の発表会の舞台です。障がいのある人たちと一緒に作ったからこそ成り立つ舞台です。「障害者は生きていて意味がある」のです。   人の心をぷかぷかにする彼らは、社会の中でとても大事な仕事をしています。「障害者は生きていて意味がある」のです。 www.youtube.com    もう一つ、今回の事件に関しての安倍政権の反応です。 http://mainichi.jp/articles/20160802/ddf/012/070/002000c あれだけ大変な事件について、なんのメッセージもないなんて、この政権は一体何を考えているのでしょう。社会的弱者や少数者の人権を守っていこうという意思が、ほんとうに情けないくらい見えません。彼らが目指す憲法改正がどういう方向を目指しているのか、きちんと監視しておかないと、気がついたらとんでもない社会になっていた、ということになりかねません。彼らが作ろうとする未来がとても心配です。  
  • 今日もケヤキにあいさつ
     今日も暑い中、文句ひとついわず、いつものようにケヤキが立っています。  黙って、ここに立ち続けること。雨の日も、晴れの日も、うだるように暑い日も、凍えるような寒い夜も、バケツをひっくり返したような嵐の日も、星のきれいな夜も、黙ってここに立ち続けること。  そのことを自分に課し、律儀にそれを守ってきたケヤキ。  いつか木の幹に耳をあて、ケヤキが見てきたこの街の歴史を聞いてみたいと思っています。   ある日 木があいさつした といっても おじぎしたのでは ありません ある日 木が立っていた というのが 木のあいさつです。 そして 木がついに いっぽんの木であるとき 木はあいさつ そのものです ですから 木が とっくに死んで 枯れてしまっても 木は あいさつしている ことになるのです。            (石原吉郎)
  • 彼らの日々を発信することの大事さ
    今朝(8月3日)の朝日新聞声の欄に私(高崎)の投書が載りました。 http://digital.asahi.com/article_search/detail.html?keyword=高崎明&searchcategory=2&from=&to=&MN=default&inf=&sup=&page=1&idx=1&s_idx=1&kijiid=A1001120160803M014-12-011&version=2016102103    編集されているので、いまいちの感じですが、相模原の事件を受けて書きました。  あらためて彼らの日々を発信することの大事さを思います。多くの方は、障がいのある人たちがどんな日々を送っているのか知りません。彼らのことを知らないことが、「彼らは社会の負担になっているだけ」「彼らは不幸だ」「生きる価値がない」といった考えにつながっていきます。  ぷかぷかが日々発信しているのは、彼らの平凡な日々の出来事です。今日もせっせといい一日を過ごしました、という記録です。平凡な、それでいてどこか楽しい日々の積み重ねは、彼らの人生そのものです。彼らは「ぷかぷか」で働くことで、街を耕しています。たくさんの「ぷかぷかのファン」を作りだし、街を豊かにしてきました。  昨日書いたセノーさんは「ああああああ〜」とかいいながら毎日街を耕しています。 pukapuka-pan.hatenablog.com  「ぷかぷか」は彼らに支えられています。彼らがいない「ぷかぷか」は気の抜けたビールのようで、なんの面白みもありません。彼らのおかげでこんなにも楽しい日々を過ごすことができています。こういう雰囲気がいつか社会全体に広がっていくといいなと思っています。  
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