ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • まだまだできることがあります。
    昨日テレビでもこの集会を伝えていましたが、「まずは私たちの声を聞いて欲しい」という発言が心に残りました。「うわべの優しさ」が事件を引き起こした、という指摘もありました。 www.kanaloco.jp   上から目線のつきあいに、こういう批判も出ています。 http://mainichi.jp/articles/20160915/ddm/041/040/142000c   2年前、脳腫瘍で亡くなったしんごっちのことをぷかぷか日記に何度か書いたことがあります。その記事を読んだ地域の方が、「何かをやってあげる」という関係から変わっていったことを書いていました。 pukapuka-pan.hatenablog.com    顔が思い浮かぶような関係を作ろう、というすばらしい提案もあります。 http://mainichi.jp/articles/20160905/ddm/041/040/083000c    相模原障害者殺傷事件を超えるために私たちはまだまだできることがあります。そのことをもっともっと考えていきたいと思うのです。  10月22日(土)ぷかぷか秋のマルシェではみんなで作ったこんな素敵なわけありモデルさんと一緒に地域の人たちが参加する楽しい仮装パレードを計画しています。みんなでこんな楽しいことをたくさんすることが、「何かをやってあげる」上から目線の関係を超えることであり、相模原障害者殺傷事件を超えることだと思います。
  • 新しいパン
      5年前、白楽で「ヤガヴァン」という カフェ&パン屋をやっていたワタナベさんがぷかぷかに来ました。3年間もラブコールを送り続け、やっと来ていただきました。  今日試作品をいくつか焼いてもらいました。酵母はルバン種とあこ天然酵母をブレンドしたもの。粉は南部地粉、南のめぐみ、ゆきちからの三種類をブレンドしたもの。 ・サンマと野菜のタルティーヌ(サンマとパンがものすごくよく合っています)   ・ピタパン(サバの唐揚げ、 マカロニグラタンと豆サラダ)   ・包みパン  里芋と大根煮(真ん中下、四つに切ったパン)   ・嶋海苔(アオサ)のカンパーニュ(右下)   ・藻塩のリングパン(右下三つ、オリーブオイルをつけるとすごくおいしい)  ★藻塩:海藻からとった塩。海藻を簀(す)の上に積み、いく度も潮水を注ぎかけて塩分を多く含ませ、これを焼いて水に溶かし、その上澄みを煮つめて作ります。   ・大葉ミソのリングパン(真ん中)   ・ペースト 有機大豆のフムス風(左下。つぶした大豆、練りごま、オリーブオイル、ニンニク、塩などを合わせたアラビア風のペーストで、ものすごくおいしい。) ★フムス:植物性かつ高栄養価であることから、世界のヘルシー志向の人々やベジタリアンたちが取り入れており、日本でも食のアンテナ感度が高い人は、既に注目しています。フムスはピタという薄いパンに付けて食べるのが中東では一般的ですが、世界に広まり、クラッカーに付けたりサンドイッチや野菜のディップなどにも用いられています。   ・プレーンカンパーニュ(「ぷ」の字が見えます)   ・パンのリース    ぷかぷかが求めていた素朴な自然志向のパンです。砂糖、バターは使いませんから、命に優しいパンです。  ワタナベさんのパンをめぐる話はいつも奥深く、話を聞くたびに世界が広がります。そのうちワタナベさんのブログ「パンと命をめぐる物語」が始まるのではないかと期待しています。  おひさまの台所とのコラボを考えていますので、今までにないおいしいパンの食べ方を提案できると思います。今日はサンマとパンの組み合わせが本当においしいと思いました。  今日焼いたパンは、今あるパンと調整ののち、パン屋に並びます。並ぶ日が決まりましたらお知らせします。ピタパンとかサンマと野菜のタルティーヌなどはおひさまの台所に並ぶかも知れません。楽しみにしていてください。(今ある人気のパンは残しますのでご安心ください)    ワタナベさんがやっていたヤガヴァンの評判です。 gbooks.jp taputapu.info ameblo.jp slowbutsteadyjournal.blog11.fc2.com platy-ridleyi.blog.so-net.ne.jp gymnastics.blog.shinobi.jp yaplog.jp plaza.rakuten.co.jp panyatour.blog58.fc2.com    
  • 自由になるということ
    以前紹介したtomoさんの新しいブログです。 《難病を発病し、後遺症で障害者になって、 身体は不自由になりました。 でも、驚くくらいに、心は自由になったんです。》とtomoさんは書いています。  「驚くくらいに、心が自由になったんです」 なんて素敵な言葉なんだろうと思いました。人間、心が自由になるって、なかなかできることではありません。それを障害者になることで「心が自由になった」というtomoさん。人が生きていく上でとても大事なことを教えてもらった気がします。 tomoecru.hatenablog.com  私が自由になれたときの話を書きます。  私は養護学校で障がいのある人たちと出会うことができて、何がいちばんよかったかというと、彼らと出会うことで私自身が自由になれたことです。こういうときはこうすべき、こういうときはこんなことしちゃいけない、といった様々な「規範」に私たちは縛られています。その「規範」が、彼らと毎日おつきあいする中でだんだん取れていったのです。  以前にも書きましたが、一日に何度もお漏らしし、そのたびにパンツを脱いで放り投げる子どもがいました。天気のいい日は芝生の上でふりちんのまま大の字になり、実に気持ちよさそうにニカニカしていました。私はそばで陰気な顔をして、「ふりちんはだめです。パンツはきなさい!」とぶつぶつ言っていました。毎日毎日こういうことを繰り返していたのですが、ある日、彼の幸せそうにニカニカ笑う顔を見ながら、なんだ、彼の方がオレよりもいい時間過ごしてんじゃん、とふと思ったのです。これは大変な気づきでした。毎日陰気な顔してぶつぶつ文句ばかり言っている私よりも、ふりちんで大の字になって気持ちよさそうにニカニカ笑っている彼の方が、はるかにいい人生の時を過ごしているのです。オレは一体何やってんだ、って、そのとき思いましたね。情けないというか、なんてつまらない人生生きてんだ、ってニカニカ上機嫌の彼を見ながら思いましたね。  その気づきは「パンツは誰でもはくもんだ」という思い込みから、「パンツをはかない子がいたっていいんだ」となって、以来、彼のそばにいてもあまり文句を言わなくなりました。いっしょにニカニカしながら大の字になって芝生の上に寝っ転がりました。おひさまのさんさん照る中、二人でほんとうにいい時間を過ごしました。(残念なことに私はふりちんにはなれませんでしたが…)    こういうことが養護学校では数え切れないくらいあって、そんな中で私自身が少しずつ自由になれた気がしています。障がいのある人たちのおかげで自由になれたというわけです。いろんな「規範」が取れて、人生がすごく自由で、楽しくなった気がしています。  ですから彼らを指導したり、訓練したり、あるいは支援したりして、社会に適合できるようにしようとは、ちっとも思わないのです。なんかもったいないというか、社会に適合できるようになったら、彼らの魅力はなくなってしまいます。まわりの人を自由にすることもできなくなってしまいます。  私たちより何倍も自由な彼らを社会に合わせることが、彼らにとってほんとうに幸せなことなのかどうか。私たち自身、いつもまわりの空気を読み、社会に合わせて生きていて、それがほんとうに自由で、自分らしく生きてて、幸せなのか、ってちょっとでも立ち止まって考えれば、すぐにわかることです。  
  • できないことをできるようにがんばらない人たちのパラリンピック
    NHKのパラリンピック報道で、 「パラリンピックの報道は障害者のイメージを変えますよねぇ」 なんてこと言ってましたが、確かに障害者もこんなすごいことができる(いろんなことができないというマイナスイメージを象徴する《障害者》という言葉を見事にひっくり返しています)という意味では、障害者のイメージは変わると思います。  でも、そういう意味で障害者のイメージが変わっても、障がいのある人たちの社会的生きにくさが変わるか、というと、多分変わりません。ハード面でのバリアフリーは進んでも、ソフト面でのバリアフリーはなかなか進まないからです。  できないことをできるようにがんばってがんばって、すごいことができるようになる人もいれば、できないことを全く気にしないで、がんばらない障がいのある人たちもたくさんいます。むしろこっちの方が多い気がします。  いつも話題にするセノーさんなんかはそのがんばらない人の代表です。  できることを極限まで追求する人たちのパラリンピックがあるなら、できないことをできるようにがんばらない人たちのパラリンピックがあっても面白いんじゃないかと思いました。そこでは、がんばらない人たちが作り出す、今までにない新しい価値で勝負します。新しい価値は、がんばらない人たちに寄り添う人たちが言葉や映像、その他で表現します。  新しい価値を評価することは、そのまま「できないことをできるようにがんばらない人たち」の評価につながります。評価することを超えたところで生きている彼らを評価するなんて、彼らから見れば全く意味のないことです。それでも今の社会にはない新しい価値を見いだすという意味で、そしてそのことで社会をより豊かにする、という意味で、私たちは目をこらして、必死になって評価することはものすごく意味があると思います。  「できないことをできるようにがんばらない人たち」の作り出す今までにない新しい価値で勝負するパラリンピック、考えただけでも楽しいと思います。いや、そういう新しい価値を掘り起こす作業が、今すごく必要なんじゃないかと思います。そういうことこそが相模原障害者殺傷事件を乗り越えるために必要だと思います。  たとえばセノーさんは「ああああ…」と言いながら、郵便局のお姉さんたちの心を耕しました。 pukapuka-pan.hatenablog.com  これは彼にしかできない《新しい価値》の創造と言っていいと思います。  彼らが生み出しているそんな《新しい価値》をみんなで探そう。そしてその《新しい価値》で勝負するパラリンピックをやろうじゃないか、という提案です。
  • 最初のシーンを作りました。
      2016年9月17日、第3期みんなでワークショップの第二回目がありました。今期は『セロ弾きのゴーシュ』がテーマです。どうやって『セロ弾きのゴーシュ』の物語をみんなの中に降ろすかが今回のテーマでした。  『セロ弾きのゴーシュ』は金星音楽団が練習しているとき、いつもゴーシュのセロが遅れ、楽長がだめ出しをするところから物語が始まります。 《 にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。 「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」 》 という具合です。そこで、この楽長がだめ出しするところの言葉をみんなで言い合う「だめ出し合戦」をやりました。人間、大きな声を出すと、自然にテンションが上がります。相手に向かって大声を出し、相手はそれに負けずに更に大声を出します。相手がいる、ということはすごく大事です。 手をパン!パン!パン!と三つたたき、この台詞を相手に向かって大声で言います。相手は同じ台詞を更に大きな声で投げ返します。  こうやって体が熱くなったところで、三つのグループに分かれて、練習中にゴーシュがだめ出しをされるシーン、叱られたゴーシュが壁に向かって涙をこぼしながら一人静かに練習をするシーン、夜、川端にあるこわれた水車小屋の家に帰り、椅子に座って練習するシーンを作りました。  オペラシアターこんにゃく座のオペラ『セロ弾きのゴーシュ』で歌われている歌を使ってシーンを作っていきます。  だめ出しの言葉を言ったあと、みんなが歌で支えます。  ゴーシュをのぞく楽団員が退場したあと、ゴーシュは一人残って練習します。  ここはゴーシュ役のサイトウさんが、すばらしい演技を見せてくれました。後ろ姿がすごくよかったですね。みんなが歌で支えます。 《 その晩遅おそくゴーシュは何か巨おおきな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋…  ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない、あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床ゆかの上にそっと置くと、いきなり棚たなからコップをとってバケツの水をごくごくのみました。  それから頭を一つふって椅子いすへかけるとまるで虎とらみたいな勢いきおいでひるの譜を弾きはじめました。》  体でゴーシュの家を作ります。そこへゴーシュがセロを担いで帰ってきます。先日日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんもリュックのようにチェロを背中に担いでやってきました。  セロを床に置き、棚からコップを採ってバケツの水を飲みます。それから頭を一つ振って、椅子にかけるとまるで虎みたいな勢いでセロを弾き始めます。  サイトウさんのこの熱演ぶり。♪譜をめくりながら 弾いては考え、考えては弾き…  ほかの二グル−プとも、こんなふうにして最初のシーンを作りました。デフパペットシアターひとみの役者エノモトさんが作った水車がすばらしかったですね。エノモトさんは聴覚障害者。言葉を使わずに体だけで様々なものを表現する活動をやっています。一声かけただけで、すばらしい水車を作ってくれました。   歌の力は大きかったですね。こんにゃく座のオペラの歌は原作の言葉をそのまま使っています。ですからオペラの歌を歌うと自然にそこのシーンが頭に浮かびます。『セロ弾きのゴーシュ』をみんなの中に降ろすのにとてもいい方法だと思いました。  終わってからの反省会、しょうへいさんはずっと黙ったままなので、今日は何も言わないのかと思っていたら 「実は小さな子どもが僕を好いてくれました。それがとてもよかったです」 と、ぼそっと言い、みんな笑ってしまいました。コミュニケーションゲームの中で、ピアノの役をやり、その中で子ども達がしょうへいさんのこと、とても気に入ったようでした。しょうへいさんは積極的に子ども達に関わるタイプではないのですが、内心すごくうれしかったんですね。  とりあえず最初のシーンができました。このあと動物たちが登場するシーンを作っていきます。どんなお芝居になるか、楽しみにしていてください。  できあがった芝居の発表は来年1月19日(日)の午後、みどりアートパークホールで予定している《表現の市場》でおこないます。
  • 電話で街を耕す。
    帰りがけ、セノーさんは行きつけのゲオのお姉さんに電話していました。 www.youtube.com  顔を見ながらの話ならともかく、電話でセノーさんの話に対応するのは大変です。この電話、10分くらい続いたのですが、ゲオのお姉さんはよく頑張ったと思います。普通なら電話を切ってしまうところですが、根気よく対応してくれました。お詫びと感謝の電話を入れようかとも思いましたが、セノーさんの電話をお詫びしたり感謝するのも何か変だと思い、やめました(お父さんは時々お詫びと感謝の電話を入れているようです)。  セノーさんがゲオに電話し、ゲオのお姉さんがそれに対応するのはごく当たり前のことだと思ったからです。私がそれをお詫びしたり、感謝したりすると、そのやりとりがなにか特別なものになってしまいます。セノーさんは当たり前のようにゲオに電話しています。私たちもそれを当たり前のこととして受け止めていかないと社会は変わっていかないなと思いました。  セノーさんはこうやって電話で街を耕しているんだと、あらためて思いました。
  • チェロのミニ演奏会やりました。
     日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんのミニ演奏会がありました。  演奏会の前に名刺に使う似顔絵とチェロの絵をヨッシー画伯に描いてもらいました。日本フィルハーモニーの名刺はどこかなくしてしまったので、今度はぷかぷかの似顔絵名刺を作るのだそうです。この辺の感覚がいいですね。日本フィルの権威(?)ある名刺よりぷかぷかの似顔絵名刺がいい、というわけです。    今日は帰りの会をチャッチャッと済ませ、さっそくミニ演奏会。生のチェロ演奏を聴くなんて、ほとんどの人ははじめてだったので、みんなすごい集中して聞いていました。 www.youtube.com www.youtube.com www.youtube.com  チェロって、しみじみいい音ですね。ほんとうにすばらしい時間を過ごすことができました。こういう時間こそ大事にしたいと思いました。  ダイちゃんの太鼓演奏の話をしたら、機会があれば太鼓とチェロのコラボをやってみたいとおっしゃっていました。ダイちゃんと相談し、ぜひそういう機会を作りたいと思います。即興の演奏会なので、どんな展開になるのか、全くわかりません。多分ダイちゃんの元気な太鼓演奏に、チェロが即興で突っ込んでいくような演奏になると思いますが、みんなわくわくどきどきしながら聞くような演奏会になると思います。日時が決まりましたらお知らせします。  親子で聞くチェロのソロ演奏もやりたいということでした。お父さんが牧師さんなので、教会でよく演奏するそうです。日時が決まりましたら、お知らせします。    来年1月29日(日)みどりアートパークのホールで「第三回 表現の市場」が開かれます。ぷかぷかのワークショップの発表会もそこでおこなわれるのですが、今年は「セロ弾きのゴーシュ」をやります。江原さんが芝居の中でチェロを弾きます。楽しみにしていてください。
  • みんな、自分の事を必要だと思いました。
     ホームページの左側メニュー欄「メンバーさん」のページに、先週金曜日から「王子様のいいこと日記」が登場しています。 pukapuka-pan.xsrv.jp  その日記に今日、こんな言葉がありました。  「今日はみんな、自分の事を必要だと思いました。」  すごい発見をしたんだと思いました。     今朝はかなり遅れてきて、みんな心配していました。遅れてきた王子様を見るなり、 「王子様がなかなか顔を見せないので、みんな心配してたんだよ」 「王子様がいないと、仕事がうまく進まなくて、ほんとうに困ってしまうんだよ」 「王子様がいないと、みんな、ほんとうにさびしいんだよ」 「王子様は厨房の大事な戦力だから、その王子様がいないと、予定していた仕事がみんな狂ってしまって大変なんだよ。」 「王子様の笑顔がみられないと、厨房の明かりが消えたようだよ」 ……… と、みんなに代わる代わる言われ、王子様は自分がみんなから必要とされていることをはじめて知って、すごくうれしかったようです。  そのことを帰りの会で、 「いい一日でしたか?」 と聞かれたとき、その時のうれしかった気持ちを素直に言い 「それが今日いい一日でした」 と報告していました。そのあと日記に 「今日はみんな、自分の事を必要だと思いました。」 と書いたのです。  社会から必要とされること、あなたが必要と言われること、それは誰にとってもうれしいことです。どちらかといえば社会から疎外されている障がいのある人たちにとっては、飛び上がりたいくらいうれしいことです。    「自分の事が必要な存在だと思いませんでした。」  は、なんて悲しい認識なんだろうと思います。そんな認識のところへ 「みんな、自分の事を必要だと思いました。」 とわかったときの喜びは、一体どれほどのものだったかと思います。 「早く切って仕事したいです。」 王子様の気持ちがあふれているようで、ジ〜ンと来ました。 この喜びが、彼の人生をもっともっとはずんだものにしてくれるといいなと思いました。  
  • あらためて障がいの人たちが街の中のお店で働くことの意味を思いました。
      マクドナルドで32年も働いたダウン症の女性が退職するとき、100人を超える人がお店にやってきた、という感動的なニュースが流れてきました。 irorio.jp  お店で働いていた同僚は「彼女の笑顔や熱意、そしてハグがこの店を単なるレストラン以上の存在にしてくれた」とコメントしたそうですが、「単なるレストラン以上の存在にしてくれた」という言葉がいいですね。その言葉こそが彼女が退職する日に100人以上の人が集まったことの意味だろうと思います。  このお店がぷかぷかのように福祉事業所ではなく、一般企業であることが、何よりもすばらしいと思います。その気になれば、福祉事業所だってやりきれていないことが一般企業でやれるということです。  一般企業であれば、多分ぷかぷかのように障がいのある人たちが街の中のお店で働くことの意味を発信したりはしません。ただただ彼女が毎日黙々と働いただけだと思います。彼女がお店で働くこと、そのことだけがこれだけの広がりを作り、単なるレストラン以上の存在にしたのだろうと思います。  あらためて障がいの人たちが街の中のお店で働くことの意味を思いました。    ぷかぷかも「ぷかぷかさん」たちがいなかったら、ただのパン屋であり、ただのカフェであり、ただのお惣菜屋です。なんだかつまらないですね。やっぱり彼らがいるからこそ、ただのパン屋以上の存在になっているのであり、今までにない新しい価値を生み出し、地域を豊かにする、魅力あるお店になっているのだと思います。
  • オーブンの前に座り込む子どももいて
    9月10日(土)、パン教室がありました。メニューは4種類のパンとスープ、具材などで、今回も盛りだくさん。これだけのメニューを9時半にスタートし、12時半には焼き上げました。 生地のこね始めは手にべちゃべちゃくっついて、とてもやりにくいです。でも、ここでめげずにこね続けることが大事です。 はじめて参加した方も、ちょっと慣れると、いい手つきになっています。 パン教室の入り−ダー永瀬さんは元ABCクッキングスクールの講師をやっていた人で、パンをこねる手の動きが実に速く、カメラで追いかけられないほどでした。 みんながこねている途中でツジさんが歌い始めました。これがぷかぷかのパン教室です。 www.youtube.com 生地がこね終わると調理に取りかかります。 成形をします。 カイセイ君はオーブンの前に座り込んでパンが焼き上がるのを待っていました。 そのカイセイ君がかわいくてかわいくてユースケさんはおんぶして歩き回っていました。 自分の子どもを抱き上げるお父さんのようです。 さぁ、焼き上がりました。これに全粒粉パンが加わります。 スープを盛り付けます。この真剣な目つき いただきまーす
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