ぷかぷか日記

タカサキ日記

  • 「なんだ、そのままでいいじゃん!」という気づき
     先日、障がいのある子どものお母さんたちが見学に来ました。カフェで話をしていたのですが、ツジさんのおかあさんからのメールにあった「見当違いの努力」の話をしているとき、一人のお母さんが涙をぽろぽろとこぼしました。  「見当違いの努力」というのは、ツジさんのお母さんがパン教室に参加した方の感想を読んだことがきっかけで、ぷかぷかでのツジさんの働きぶりをなぞり返して出てきた言葉です。 《 …私に関していえば恥ずかしながら何十年もカツヒロのできないことをできるようにしよう、何とか社会に迷惑をかけないようにしよう、と見当違いの努力をしてきました。率直にいって、それが学校や作業所から求められてきたことだからです。…》  障がいのある人の家族は小さい頃から「できないことをできるようにしよう」「社会に迷惑をかけないようにしよう」の目標を掲げ、一生懸命がんばっています。何十年もがんばってきた目標が、ここへ来て「見当違いの努力」であったと気づいたというわけです。  「なんだ、そのままでいいじゃん!」という気づきです。無理に「できないことをできるようにしよう」「社会に迷惑をかけないようにしよう」と努力しなくても、「そのままで生きていけるじゃん!」という気づきです。  ぷかぷかはツジさんのおしゃべりをやめさせるのではなく、おしゃべりのまま働いてもらっています。おしゃべりを問題にするのではなく、むしろ商売の武器(?)にしています。  ツジさんはとにかくおしゃべりです。仕事中も、世界中の都市の名前、クラシックの作曲家の名前、紅白歌合戦に出た歌手の名前、車の名前、野球選手の名前など、途切れることがありません。先日ぷかぷかの旅行に行き、同じ部屋で寝たのですが、朝6時に目を覚まし、目を開けると同時にアンタナナリボ、リオデジャネイロ…と世界の都市の名前がずらずらっと出てきました。ツジさんにとってのおしゃべりは、呼吸とおんなじだと思いました。  外販先で、たまたま訓練会の先生がいて、外販中もずっとおしゃべりしていたツジさんに 「仕事中おしゃべりしちゃだめでしょ!」 と注意されたことがあります。(そばにいた私も!)  正しい指摘だったとは思うのですが、外販のパンの売上げはツジさんのおしゃべりが支えている割合がものすごく多いのです。外販でパンがよく売れるのは、まずパンのおいしさがあるのですが、それに加えて「ぷかぷかさん」たちの魅力があります。ふたことみこと他愛ない話をするだけですが、それでもパンと一緒に心あたたまるお土産がもらえます。そのため、区役所で販売するときなどはずらっと行列ができるのです。  「ぷかぷかさん」たちの魅力の中心に位置づけられるのが、ツジさんのおしゃべりです。いっけんうるさそうに聞こえるおしゃべりも、よ〜く聞くと、辻さんの博学ぶりがよく伝わってきて、すごく楽しいのです  「仕事中おしゃべりしちゃだめでしょ」は正しい指摘だとは思います。でも、ぷかぷかの外販はツジさんのおしゃべりが支えていることは誰もが認めることであり、どこへ行っても辻さんは大人気です。パン屋のぷかぷからしさを作り出しているのもツジさんのおしゃべりです。ぷかぷかにとって、ツジさんのおしゃべりは、ほかのどこにもない貴重な「宝」のような存在なのです。そしてその「宝」は、障がいのある人たちと社会との関係を根本からひっくり返すほどの問題提起をしているのです。  区役所にはたくさんの福祉事業所が販売に来ています。その中でぷかぷかはいちばんお客さんを集めていると区役所の方から聞きました。障害支援課の係長さんとそのことについて話をしたことがあります。  パンがおいしいことと並んで、利用者さんたちが楽しそうに働いている、ということが大きいのではないか、とその係長さんはおっしゃっていました。「ぷかぷかさん」たちは、みんな楽しそうにおしゃべりし、中にはお客さんと「やぁ!」と楽しそうにハイタッチする人もいます。この自由で楽しい雰囲気がお客さんを呼び込んでいるのではないか、というわけです。  「ぷかぷかさん」たちは、無理に社会に合わせず、ありのままの自分を出して働いています。だからこそ、日々笑顔で働くことができ、その笑顔がお客さんを呼び込みます。  そんな「ぷかぷかさん」たちの活躍のおかげで、ぷかぷかは彼らのありのままで商売ができることを教えてもらいました。無理して社会に合わせなくても、そのままでいいんだよ、ということです。  障がいのある子ども達は、あれがだめ、これが問題、ここが遅れている等々、だめなところばかり指摘され、大人になるまで様々な指導、訓練を受け、その子らしさをどんどんすり減らしていきます。社会の中で生きるには、社会に合わせなきゃだめだといわれながら…  でも、そのままでもいいとなれば、180度、話が違ってきます。気分的にものすごく楽になります。追い詰められていたものから解放されます。人生って、楽しい!って思えるようになります。   「なんだ、そのままでいいじゃん!」という気づきは、生き方を大きく変えます。障がいのある子どもをどう育てていくかで格闘(?)し、悩んでいるたくさんのお父さん、お母さんを、ひょっとしたらちょっとだけ救うかも知れません。障がいのある子どもを育てることが楽しくなります。そこから豊かなものが生まれるようになります。  話を聞きながら涙を流したお母さんも、障がいのあるお子さんを育てながら、ほんとうに苦しい思いをしていたのだろうと思いました。          
  • ぷかぷか秋のマルシェで「チェロと太鼓のコラボ」
     日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんがダイちゃんの太鼓とコラボしたいとやってきました。近くの公園で蚊に刺されながらのコラボです。  八木節 www.youtube.com  上を向いて歩こう www.youtube.com  愉快な馬車屋(『セロ弾きのゴーシュ』でタヌキが登場するシーンで 出てくる架空の曲を江原さんが作曲したもの) www.youtube.com  すばらしいコラボで、10月22日(土)ぷかぷか秋のマルシェでお披露目できたらいいなと思い、都合を聞いてみました。その日はサントリーホールで2時から日本フィルハーモニーのコンサートがあると聞き、あ、こりゃ無理だと思いました。ところが、11時にコラボをスタートして三曲演奏して車で駅まで送ってくれれば間に合う、と江原さんが言い出し、じゃ、やりましょう!となりました。本当にいい方です。  11時からわんどの前でやります。これはもう、絶対に見なきゃ損!です。日本フィルハーモニーのチェロの演奏をぜひ聴きに来てください。もちろん無料です。  この演奏のあと、「秋コレ・ぷかぷかファッションショー&ハロウィン仮装パレード」がスタートします。こちらはまだ参加者大募集中です。 pukapuka-pan.hatenablog.com      
  • 感受性は大事なのですが…
    爆笑問題の太田が相模原障害者殺傷事件の容疑者の言う「意思疎通できぬ人刺した」に反論しています。 numbers2007.blog123.fc2.com   容疑者が津久井やまゆり園で働いているときに障がいのある人たちといい出会いをしていれば、今回の事件はなかったと思います。そしてそれが彼自身の感受性の問題だけだったのかどうか。    私に障がいのある人たちの魅力を最初に教えてくれたのは、言葉をしゃべらず、いつもゲハハ、ガハハと豪快に笑う子どもでした。そんな子ども達を街に連れ出したとき、街の子ども達がとてもいいおつきあいをしてくれました。子ども達はみんな感受性が優れていたのでしょうか? pukapuka-pan.hatenablog.com  やっぱりね、感受性と合わせて、子ども達みんなの雰囲気だった気がします。子ども達みんなでけんちゃんにかかわろうとしたこと、そのことがとても大事だった気がします。それがこんなにすばらしい出会いを生み出したのだと思います。  容疑者がこんな出会いをしていたら、と思います。         
  • 語るに値する一日を創り出す
     『相模原障害者殺傷事件を超えるために』というタイトルの日記 pukapuka-pan.hatenablog.com   に、ある報道関係者から  《 「問い直すのをやめたとき、黙ってしまったとき、社会は後戻りし、またあの忌まわしい事件が起こるような気がする」という言葉に心から共感します。私たちも、記事の大小に関わらず伝え続けなければと思います。 》 というメールが来ました。そうやって受け止めてくれる人がいたことを、とてもうれしく思いました。  相模原障害者殺傷事件はとても重い事件で、そのことについて何か語ることは、ものすごく勇気のいることであり、とても気の重いことです。  でも、犠牲になった方の苦しみを思うと、私たちが感じる「気が重い」とか「勇気がいる」なんてことは、語るも恥ずかしいくらいです。ですから、どんなに気が重くとも、どんなに勇気がいることであっても、この事件について語り続けようと思うのです。  事件直後、様々な団体が声明を出しました。でも、大概は一回きりです。一回きりの声明では事件を生み出した社会は変わりません。「あなたたちを守ります」といった声明がありましたが、社会というものを相手にしたとき、そんな言葉では守り切れません。  ではどうすればいいのか。日々《それはちがう》《障害者は生きている意味がある》ということを言い続けていく、事実を作り続けていくことだと思います。自分のまわりの地域社会を、ほんの少しでいい、変えていくことだと思います。   むつかしい話ではなく、《今日、カナちゃんとこんな楽しいことやったよ》とか《けんちゃんとこんな一日を過ごしてとてもよかったよ》といった障がいのある人たちと過ごすかけがえのない日々の出来事を語っていくことです。   《障がいのある人たちと過ごすかけがえのない日々の出来事》を語ることは、そのまま《障がいのある人たちは生きている意味がある》ことを語ることになります。  彼らと一緒に過ごすいい一日、語るに値する一日を創り出すこと。それが今私たちに求められているように思います。    ぷかぷかでは帰りの会でみなさんに「いい一日でしたか?」という質問をします。いい一日を創ることが、いい人生をおくる出発点だと考えるからです。私も「彼らといい一日を過ごしましたか?」と毎日自分に問うていきたいと思っています。彼らと一緒にいい人生をおくる出発点になるからです。《障がいのある人たちは生きている意味がある》のは、まさにこの、彼らと一緒におくる人生があるからです。
  • 女の蜘蛛に糸を投げたのかも
       木曜日の朝、庭の隅に新しく貼った蜘蛛の巣を見つけました。巣の真ん中でじっとしている蜘蛛を見ながらいろいろ思うところがあって「ぷかぷかしんぶん」の冒頭の原稿を書きました。     朝、庭の隅に蜘蛛が巣を張っていました。蜘蛛は巣の真ん中でじぃっと何かを待っています。宮澤賢治の『洞熊学校を卒業した三人』に登場する赤い手の長い蜘蛛は下を通りかかった女の蜘蛛に糸を投げ、その糸を登ってきた女の蜘蛛と夫婦になります。子どもがたくさんでき、蜘蛛の巣は大変にぎやかになりました。  朝、庭で見つけた蜘蛛も下を通りかかる女の蜘蛛をじぃっと待っているのかも…。そう思うと、小さな蜘蛛が無性にいとおしくなりました。    で、金曜日の朝、蜘蛛にあいさつに行きました。なんと女の蜘蛛がそばにいるではありませんか。    上にいるのが女の蜘蛛です。  木曜から金曜日にかけて、下を通りかかった女の蜘蛛に糸を投げ、女の蜘蛛はその糸を伝って登ってきたのだろうと思いました。小さな蜘蛛のくせになかなかやるなぁ、と感心しました。子どもができたら蜘蛛の巣がにぎやかになるだろうなと、ちょっと楽しみにしていました。    で、今日、土曜日の朝、どうしてるかな、と蜘蛛の巣を見に行って撮った写真がこれです。    女の蜘蛛がいなくなっていました。わずか一日で別れてしまったのでしょうか。ケンカをしたのかどうかわかりませんが、蜘蛛の世界にもそういうことがあるのか、と妙に安心(?)したりしました。             
  • 《秋コレ・ぷかぷかファッションショー&ハロウィン仮装パレード》参加者募集!
     10月22日(土)ぷかぷか秋のマルシェのオープニングで 《秋コレ・ぷかぷかファッションショー&ハロウィン仮装パレード》 をやります。先日のワークショップで作ったこんなすてきなお姉さんを先頭に、みんなで練り歩きます。  地域の方たちも一緒にパレードしましょう。この素敵なお姉さんたちに負けないファッションをしてもいいし、ハロウィンの仮装をしてもかまいません。  この日のために作った特製の緋毛氈の上をしずしずとパレードします。アート屋わんどの前からカフェまでパレードします。カフェに着いて 「トリック・オア・トリート!」 というと、パッケージしたかわいいクッキーがもらえます。 写真投稿キャンペーンもやります。これはパレードの写真を撮って、自分のFacebookやツイッターに投稿してもらいます。投稿した、と写真を見せてもらえば、写真のクッキーを差し上げます。写真をぷかぷかにも送ってください。写真コンテストをやりましょう。  パレード参加申込はパン屋、カフェ、おひさまの台所で受け付けています。事務所でも電話受付します。453−8511 メールでもかまいません。pukapuka@ked.biglobe.ne.jp  
  • 相模原障害者殺傷事件を超えるために
     あの忌まわしい相模原障害者殺傷事件を超えるために、いろんな思いを書きました。気がつけば12本も書いていました。これで終わりではありません。いつもいつもあの事件てなんだったのかを自分に問い直すことが必要だと思います。問い直すことは、自分のまわりの社会をほんの少し変えることです。問い直して問い直して、ようやく、あの事件を超える社会が自分のまわりに生まれてくるのだと思います。問い直すのをやめたとき、黙ってしまったとき、 社会は後戻りし、またあの忌まわしい事件が起こるような気がします。 pukapuka-pan.xsrv.jp  最近おつきあいをはじめた日本フィルハーモニーのチェロ奏者江原さんと一緒に「津久井やまゆり園」を訪問し、チェロの演奏を届けようと思っています。亡くなられた方の鎮魂と、今いる方を元気つけるために。  江原さんは東日本大震災の際、たった一人で被災地をまわり、被災した人たちを励ましました。 www.youtube.com    その江原さん、ぷかぷかの太鼓の名人ダイちゃんに興味を持っていて、いつか太鼓とチェロとコラボをやりたい、といっています。うまくいけば、津久井やまゆり園でも、そのコラボができたら、と思っています。   現在、やまゆり園からの返事待ちです。      
  • その子の手が柔らかくて、あたたかいんですね。
     昨夜は瀬谷区の二ツ橋大学であった相模原障害者殺傷事件の犠牲者の追悼集会に行ってきました。 津久井やまゆり園で犠牲になられた方々への追悼の集い    いろんな方が発言され、とてもいい勉強になりました。    事件の容疑者は精神障害の人かと思っていましたが、福祉新聞の記者福田さんは、「措置入院までに精神科にかかったことがなかった」「措置入院の終わったあとの外来診察では主治医は「躁鬱病は考えにくい」と診断」「生活保護の申請の際、面接したケースワーカーさんも精神を病んでいるとは思わなかった」といったあたりを考えると、精神を病んだ人が犯した犯罪とみるのはおかしいのではないか、と報告され、目から鱗が落ちる思いでした。  措置入院のことがやたら話題になっていますが、容疑者が精神を病んでいたわけではない、となると話が全くちがってきます。論点がずれ、大事な問題が見えなくなっていくような気がしました。    30年ほど前、瀬谷にある生活クラブのお店の駐車所で「あおぞら市」というのがあり、そこに養護学校の生徒たちと地域の人たちで一緒に手打ちうどんのお店を出しました。そのときに手伝いに来ていた人が容疑者の闇の部分が私にもあります、と発言していました。 《 高崎さんに声をかけられて手伝いに行ったものの、障害のある人たちにどう接していいかわからずほんとうに困りました。「ああ、うう」とかしかいえなくて、よだれを垂らしながら歩き回っている人がいて、正直気持ち悪くて、私の方へ来なければいいなと思っていました。ところがお昼になってご飯を食べるとき、たまたまテーブルがその子とお母さんが座っているテーブルしかあいてなくて、ここでやめるのも失礼かと思い、勇気をふるってそこへ座りました。そのとき、そのよだれを垂らしている子どもが私に向かって手を伸ばしてきました。ああ、困った、と思いながらも拒否するわけにもいかず、思い切って、本当に思いきってその子の手を握りました。  すると、その子の手が柔らかくて、あたたかいんですね。もう、びっくりしました。なんだ、私と同じじゃないかと思いました。この発見は私の中にあった大きなものをひっくり返した気がしました。  その子のやわらかくて、あたたかい手にふれるまで、その子をモノとしか見てなかったのです。容疑者とおんなじだと思いました。でもその子の手が、その闇から私を救い出してくれた気がしています。》  いいお話しだと思いました。こうやって人と人が出会い、そこから新しい世界が始まっていくように思いました。  結局のところ、こうやって障害のある人たちと出会う機会がないことが、相模原障害者殺傷事件を生むような社会を作っているように思います。  会場になった「せやまる」のすぐそばにある三ツ境養護学校に子どもの頃よく遊びに行った人がいて、その方の話によれば、昔は塀もなく、自由に学校に入り込んで一緒に遊んでいたそうです。それがいつの間にか高い塀がたち、全く中には入れなくなったといいます。こうやって彼らと社会を分ける方向に世の中は進んできたのだと思います。  あおぞら市での手打ちうどん屋の試みは、そんな社会にあって、地域の人たちと障害のある人たちの出会いのきっかけを作ろうとしたのでした。お手伝いに来た人はほんとうにいい体験をしたと思います。  お手伝いに来た人の話を聞きながら、「あ、ケンタローだ」とすぐに思い出しました。「ああ、うう」とかしかいわず、よだれを垂らしながら歩いていました。気に入った人がいると手を伸ばしてきます。養護学校の教員になって2年目に担任した生徒で、彼と過ごした楽しい日々はその後の私の生き方を決めた気がしています。  ケンタローは犬が好きでした。私も好きなので、ある日散歩の途中で犬を見つけ、二人で駆け寄りました。私は普通になでなでしたのですが、ケンタローはがばっと抱きしめ、びっくりした犬の顔をぺろぺろなめはじめたのです。私はなんだか感動してしまいました。「犬が好き」というのはこういうことなんだと、ぺろぺろ犬の顔をなめているケンタローから教わった気がしています。  そのケンタローのかわいい手が、うどん屋のお手伝いに来た人を救ったのだと思うと、ケンタローもえらいな、と思いました。          
  • クリームパンを買いに来たのがきっかけで…
     いつも子どもと一緒にクリームパンを買いに来ているオーヤさんが先日のワークショップに参加した感想を書いてくれました。 ●●●  前半、二人組みになって表現する際、「ランドセル」、「箸と箸おき」のお題がでました。私が頭に浮かんだものは1パターンで、これ以外表現しようがないよな〜。なんて思いながら、他のチームをちらっと見ると、びっくり!!!色々な形でお題を表現していき、自分の頭の固さが嫌になった瞬間でもあり、皆なに早く追いつきたいと感じたりもしました。表現の楽しさを感じるにはまだ遠い道のりですが、表現する自由の幅広さを実感した今回のワークショップでした。それから、歌を思いっきり歌っている時は本当に気持ち良かった〜。娘二人は参加しているのか参加していないのか分からないけど、愚図ったりしないから良しとしよう。なんて思っていたのですが、途中途中の歌で、口ずさんでいたのにはビックリ。子供なりのペースで参加してるんだな〜って思いしらされました。これも、けーぼーさんをはじめ、色々な方が、娘二人の面倒をみてくれたおかげだと。また次回、どんな感想が書けるのか楽しみです。 ●●●  少しずつ少しずつ自由になっていく感じがよくわかります。 《歌を思いっきり歌っている時は本当に気持ち良かった〜》 とありますが、ふだんの暮らしの中では、歌を思いっきり歌うなんてことはありませんから、なおのこと新鮮な体験だったのだと思います。 《本当に気持ち良かった〜》 という開放感あふれる言葉がいいですね。  子どもが歌を歌っていたことにびっくり、とありますが、うちの子どもは昔、保育園の送り迎えの際、車の中でオペラ『セロ弾きのゴーシュ』を毎日かけていたのですが、いつの間にかゴーシュのオペラ(1時間20分くらいの作品)を全部覚えてしまい、舞台を見に行ったとき、大声で歌っていたことがあります。子どもって、そんなもんです。大人が感じる以上に世界を感じ、吸収しています。    ぷかぷかに子どもと一緒にクリームパンを買いに来たことがきっかけで、こんなワークショップを体験し、少しずつ自由になり、新しい自分を見つけていく、というところがおもしろいですね。  そういえばぷかぷかのプロモーションビデオの中で 《 以前は上から目線で彼らのこと見ていましたが、彼らとおつきあいしているうちに、普通に見ることができるようになりました。私も彼らに耕されたんだと思います。》 と、おっしゃっていて、すごくうれしかったですね。こんなすばらしい言葉を口にできるのも、クリームパンのおかげです。    それから先ほどメールで「あした『不思議なクニの憲法』見に行きます」と連絡がありました。これもうれしかったですね。私の送った案内に、オーヤさんの心に届く言葉があったのかなと思いました。お父さんに子どもの面倒を見てもらって、お母さん一人で見に来るみたいです。お父さんが見る機会も作ってあげたいなと思いました。 takasakiaki.hatenablog.com          
  • 料理教室でパスタを作りました。
    料理教室がありました。 メニューは今日もすごい豪華。 フォカッチャのイメージ   まずはパスタの生地と、フォカッチャの生地を作ります。パスタの生地は硬くて手こずっていました。    生地をこねたあとは秋のスープ作り、フォカッチャの上にのるきんぴら作り、りんごの入ったスコーン作りに別れて作業。みなさん手慣れた様子でどんどん進みます。  モモコさんのきんぴらの材料刻みは達人のワザを見るようでした。 モーリー王子はごぼうをきざんでいました。なかなかの手さばきです。   子ども達はりんごのデザート作り スープの具材をてきぱきときざんでいきます。   きんぴらを炒めます。   パスタのソースに入るカボチャを蒸します。   パスタソースの材料。ベーコンはブロックです。   秋のスープを煮込みます。   タマネギ、ベーコンを炒め、やわらかくなったカボチャを混ぜます。 そこへ牛乳、生クリームを入れます。   フォカッチャの生地にきんぴらをのせます。 トマトの上にはローズマリー   りんごの入ったスコーンが焼き上がりました。   フォカッチャが焼き上がります。   パスタの生地をのばします。これが結構手ごわい。   伸ばしたあとはこんなふうに細く切っていきます。ヨッシーはすばらしくうまかったですね。  ゆであがったパスタをソースに絡めます。   できあがり!    次はパン教室。10月8日(土)です。秋の野菜を使ったパンを作るそうです。
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